11月30日(金)に、東京コミコン2018 行ってきました

11月30日(金)に、東京コミコン2018 行ってきました。

 個人的覚書メモ。
 2017にはマッツがゲストで、チケットとれなくて死にそうって思いながらもなんとか、撮影はとれて、サインは譲っていただけて、二日間参加。めちゃめちゃ幸せで最高すぎたのだけれども、やはり、すごい人だし並ぶし、人が多いのこわいって思うので、今回は行くつもりではなかった。
 ゲスト発表があって、トムヒが!??あああ~~~、とぐらぐらきたけど、やはりさすがチケットもお高い。(28000円だっけ)それに、うん、いや、まて自分、と思って、やはり行かないと思ってた。

 しかし、エズラ・ミラーが来る、と、いうのが発表されたのが11/18だか19、19日だったかなあ。んでチケット発売が21日だと。21日、水曜日の昼からって。そ、そんな急に!???? ええええ……。と、無茶苦茶動揺したけれども、でもダメ元でチケットとれるかどうかチャレンジしようと思いました。
 なんか、マッツの時のチケットとれない、という精神ぐらんぐらんになるキツさがもう厭で辛くて、チケットゲットにチャレンジするのさえなんか辛い、って思いながらだったんだけど、なんかわりとあっさりゲットできてしまった。30日に、撮影とサイン各一枚。各17000円。+手数料的なものとかで、トータル35020円のお会計ですねー。
 個人的には物凄く大金。だけどエズラ・ミラーくんに、こ、これで合法的に接近できるわですね……。海外旅行にチャレンジする気はない自分にとっては残りの人生一度あるかないかとチャンス、と、思う。すごい。わああああ。

 とはいえ、発表されたゲストがわりと直前でキャンセルみたいなこともありえるので、当日まで信じられない思いと緊張で時々意味なく胸が苦しい、とかなったり。はー。現実こわい。

 で、無事当日。
 グッズ販売みたいなので欲しいものはないので、最低限撮影の14時までに入ればいいんだ、と思っていたけれども、なんとなくそわそわ。ツイッターで入場待ち大行列みたいなのを眺めてしまい、うう~ん~どうしよう。と思いつつもまあ焦っても仕方ないだろ、と、当日になるとむしろ虚無の気持ちで、家を出る。
 幕張メッセに到着は10時半すぎ。ハリコンサイトでチケット買ったので、ウィルコールという所で注文ナンバー伝えて実物を手にしました。入場券はぴあで買っておいてもっていきました。

 さて。オープニングセレモニーのステージが12時から。しかし開場時間も12時なんだよね。そしてすでに入場待機の列がずら~~~~~~~っとできている。オープニングは見られないかなあと諦めモードで、一応並ぶかな、と列に入ったのが11時すぎ。ぼっち参加なので黙々とスマホ見たりゲームしたり。去年の時は、隣に並んだ人がフレンドリーでお喋りできて、楽しく待っていたなあ、と思ったり。でも自分から隣の人に話しかけてみるとかは出来ないよ……。
 開場時間が少し早まって、多分11時40分ぐらいに開いたのではないか。ゆっくり列が動いて、12時くらいに入場できました。
 先にトイレいってきた。それから無理かな~と思いつつステージへ。正面は到底無理だったけれども、かなり端っこのほうから、一応はステージ目視できる、ってところで眺められました。
 大きいスクリーンがあるから目視する実物ゲスト、スクリーンに映る表情って、遠目からでも十分楽しめた。
 エズラくんも~いる~~~!!!真っ赤なお洋服。マントっぽいような?ああああ~~。ヤバ~い、って言ってた。そういう日本語覚えてるわけですか。可愛い。トムヒとか~~。トムヒの挨拶の日本語は丁寧で、すごいさすが~と納得。なんてゴージャスな。遠くから拝む気持ち。すごい。実物。本物がいる。
 で、ステージは最後にプレスへの記念写真みたいなのばしばしとって終り。前の方の席に入れていたら、写真撮り放題ですごいいいと思う。私は間に合わず見られないだろうと思っていたので、遠目からでも大満足した~~~。

 撮影時間まで会場のいろんなブースを、一応、ざっくり回る。けど、なんかもうとにかく全然落ち着かない目がすべる。14時からの撮影待機列に早めに並びに行きました。
 大体開始時間の30分前くらいから待ち列いけるみたい。誘導されてブースの方へ。荷物は並ぶカゴの中へ置いて、貴重品とチケットのみ持って行く。去年マッツに並んだ時、えっとえっと貴重品だけ持つってどうすれば、とパニックったので、今回は財布は小さいもの、ポケットある服で行った。手にはチケットのみ。ドキドキで待機。心臓吐く気分。

 始まれば早い~。とはいえ、エズラくんは、すごくすごくすごく優しくて、一人一人迎えるたびにハグして、撮影、そして握手、って感じで、にこやかでソフトな声で、英語が出来る人なら会話とかポーズお願いとかいける感じだった。ブースに入って待ってるだけで昇天しそうだった。
 自分の番になって、も、やっぱりすごく優しく迎えてくれてハグしてくれて、マントってわけじゃないけどその、真っ赤なお洋服と腕に包まれて、ほわああああああああいい匂いとか昇天する。当然なんもお願いとか言えない。しっかり両手で抱いてくれてて私もめいっぱい抱きついて、なんとかカメラの方をむいた、ら、パシャッと終りで、thank youとあいらぶゆーーーーー、は、言った、言ったと思う、言えた気がする。わからない。エズラくんはにこにこしてくれて優しくて光り輝いてた。光に包まれていたとしか思えない。

 ふ、震える死ぬ、と思いながら自分の荷物をとる。ようやく深呼吸~~あああ~~。
 去年、マッツの時にはとにかく早く早く早く、ってぐいぐい流された気がするけれど、それでもやっぱりマッツはあったかくて光り輝いていて昇天ものだったけれども、今回は近づいたらエズラくんからハグしてくれて声かけてくれて、体感時間としてはものすごくゆったり、って気分だった。まあそれでも一瞬の出来事で、でもでもこんなに丁寧に優しくされていいんだろうかと、物凄く有難くてわけがわからなかった。
 で、写真とりに行く。真っ赤な顔してテンパって超笑ってる自分はともかく、エズラくんが私の頭に頬を乗せてる感じでにこってしてて、両手でしっかり抱いてくれてて、あああ~~光に包まれている証拠写真、と、自分のフォトを直視できない尊さ。ヤバい。

 次はサイン。2時間くらい間があるので、なんか、ちょっとなんか食べるか? と思ったけどとてもそんな気にもならず、でも何か飲み物を飲まないとやばいのではないかと思って、屋外のフードエリアへ行ってみた。美味しそうなものもたくさんあったけど、お茶だけかった。ごめん。
 そこに、パトレイバーの実物大機? があり、ちょうど、ジャッキアップします!という所だったので眺める。かっこい~~~すごい^^ 私は写真だけばしゃばしゃ撮った。

 中に戻ってまたひとしきりいろんなブースを巡る。ファンタビのファンコほしい、とか思ったりだったけれども、うーん。お買い物はしなかった。ごめん。
 グッズを求める行列なんかも多々あり。うーん。私、もう無理。

 サブステージかな、バンザイステージって方で落語をやってるのに気づいて終りの方を少し聞きました。
 「カメラを止めるな!」の監督と女優さんがいらして、「ナポリタン」という短編のお話と上映があり、それを聞いて見た。座れたのが嬉しい。可愛い。「ナポリタン」人の言葉が全部ナポリタンとしか聞こえなくなった男の混乱、みたいなコメディで、ふふって面白かった。

 そんなこんなでまたサインの待機列に並びに行きました。
 16時半~だったけれども、時間押して、45分くらいから始まったかなあ。前の撮影が終わってなくてという感じらしい。そりゃあねえ、あんなにみんなに優しく丁寧にしてくれてるんだものなあと思う。あとツイッターに沢山流れてたの見たら、いろいろポーズとかとってくれてるのもいっぱいあった。凄いなあ。エズラくんほんっとにちゃんと一人一人にいろんな顔してくれてるの。ブースで待ってる時にも前の人それぞれと写るとき表情変わってたもの。すごい。どんだけ表情動くんだか。すごい。

 で、サイン始まったらこれもさっくり早い。私は、ファンタビのブルーレイにしてもらうか2のポストカードブックでクリーデンスくんのにしてもらうか、迷いつつ持っていってたのだけれども、やっぱり今日という日の、記念、この、フォトにしてもらうことに決めました。今度はテーブル越し。撮影よりは落ち着いて眺められ、る、って落ち着けるわけもなく。あああほんっとに綺麗な顔。色白い。鼻高い。髪つやつや。にこやかにうなずいてくれながらサラっとサイン。ううううう嬉しい。一応今度もあいらぶゆーーっとさんきゅーっは言えた、と、思う。多分。わからない。
 あまりに好きな人とあうその光り輝く瞬間の記憶って、記憶になってないんだよね……。もったいない;;残念な自分の脳よ;;
 だけどほんと、マッツの時も、エズラくんの時も、こう、終わってから思い出そうって思ってみて結局、ひかりだった……としか思えない。かみさまありがとうとしか思えない……。すごいよ……。
 ほんとにほんとに、地球に生きててくれてありがとう。きてくれてありがとう。こんなにも幸せな気持ちをくれてありがとう;;;; あなたが幸せでありますように;;

 で、もう、ふらふら。帰ることにしました。17時すぎくらい。
 一人でいっていろいろこわいな~とか思ってたけど何もかもふっとんでただただ幸せをもらってきた気分。会場はお祭り気分で楽しいし、サインや撮影したみんなのうきうきが満ちている気がしたし、あ~人混み辛い、と思いながらもやっぱり行けてよかった。

 その夜にはディオールのショーに参加したらしく、そのニュースも流れてきて参る。ディオールの春のお洋服なんでしょ~それ~。白くて花模様きれい~春の妖精だった。シャンパンペン??? グラスの軸がペンになってるよーなオモシログッズもってて、ボードになにか書き込み中、みたいな。ショーマネージャーが何かチェックしてるって感じだったのか。すごい。コミコンの時とか違う雰囲気のスタイルになってて美形っぷりがまた格段に上がってて、ほんっとすごい。あんなにもみんなにサービスしまくったあとにまたこんな麗しい姿になってお仕事できる。スターってすっごい。すっごい大変で、凄い素晴らしい。

 コミコンは三日間続く。今日もエズラくんは大サービス中みたい。みんなの幸せが流れてくる~。すごい。昼のステージでDCのコスプレの人たちとはしゃいだりしてたっぽい~すごい。そして演説っていうか、コミコンのみんな、単なるファンダムじゃない、ファミリーだ、って。コミックやゲームに夢中になる僕等、現実で退屈してるなんてうんざりだ、僕等をみくびるなよ!みたいな話しててそれもまた~素敵すぎる。かっこいいよぉ~。はー。すごい。

 三日間参加できたら凄いだろうなあと思うけど、自分にとっては一日だけでも消耗が、つらい、お年頃なので。一日だけでもすっごくよかったしほんっと感謝。
 でも本当に、心臓に悪いので。チケットとか。ゲストがキャンセルになるとか。ほんと、この、ドキドキさせられまくるよね東京コミコン。ほんとわからない。こわい。すごいねー。
 ここしばらく、コミコン行くと決めてからの、ずーっと上の空だった感じから、なんとか復帰しなくてはと、思う。

 ファンタビ、公開初日に行き、エズラくんのチケットとったあとにも行き、30日にはテレビで1をやってたのを見て、ああ~~この~~~クリーデンスくんに、中の人エズラくんに、会ったんだよな私~~ってなって、昨日、1日にもまた見に行ってきた。好き。ほんっと好き。こんな、映画大好きで、中の人に会えて、また映画見てってできるだなんて。凄いな。げんじつこわい……。
 これからも、退屈したくないし!楽しいフィクションに没頭するし! そして、エズラくんにあんなに優しくされたことを大事にして生きていけるなあ。ありがとう夢の世界よ。私もできるだけ、優しくなりたい。みんなしあわせになるといいのにね。


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「前衛短歌が忘れたもの」永田和宏×三枝昂之

今更の日記。10/29日(月曜日)に、日本歌人クラブ創立70周年 記念シンポジウム―歌の力を次の地平へ というのに行ってきました。@中野サンプラザ。13時~17時。+懇親会。
 お話聞いてすごく面白かった。自分の覚書メモ。でももうだいぶ忘れてるかもだしそもそも個人的主観メモなので、発言等勝手に思い違いしているかもしれません。ごめん。

 日本歌人クラブ、東京ブロック優良歌集表彰式、というのが第一の目的。本多真弓さんの『猫は踏まずに』が受賞されたののお祝いに。おめでとうございます^^

 そして 対談「前衛短歌が忘れたもの」永田和宏×三枝昂之 

 まずはこのお二人が、長年の友である、というお話など。永田さんは京都、三枝さんは関東で学生時代から同人誌等で短歌活動していてそれぞれに主張があって、対決しよう!みたいなこともあったらしい。別に対決はしなかったようだけれども。
 戦後、短歌俳句は第二芸術論にいかに対抗するか、で試行錯誤していた。戦後の、伝統否定な政策の中、短歌は生き延びられるのか。あの時、滅びてもよかったかもしれない、短歌。

 ちょうど前衛短歌が勢いあった頃、お二人もそんなこんなをやってたけれども、それはやがて勢いを失い。なんか、短歌の総合誌が前衛一色みたいな頃から、編集長が変わったりしたりかなんかで、ぱたっと紙面の様子が変わったりしたらしい。
 前衛短歌は、虚構、というか、生活のリアルをおいといて、思想運動だったような感じかなあ。
 そして歳月は流れ、今、お二人はそれぞれに、家族や生活を歌ったりしている。
 歌集が編年体で出ることとか、そういうのに、いろんな背景の意味があるんだなあと思う。編年体もいいものですよ、みたいに言うようになってる感じがふふって面白かった。

 前衛短歌流行りのリアルタイムに直面していた人のお話を聞けて面白かったし。お二人の話で聞く塚本や岡井隆の様子って、なんだか新鮮なような気がする。
 私はあんまり短歌の会とか不勉強で出かけていったりしてなくて、未来じゃない人の、もちろん本人でもない人の語る、岡井隆の感じとか、新鮮~へ~~、ってすごく面白かったなあ。岡井さんはばりばり社会詠の左翼っぽいばかりじゃなくて、不意に自分の中の右翼みたいな歌も出して、なんだこれこいつ!?みたいに思ったりだとか。偏らないバランスというか俯瞰的なものあった感じか。
 そして、ずっとずっと長く友である相手がいるっていうの、すごく素敵だ。お互い、あいつが俺の歌を読むだろう、と、信頼している感じ、とてもいい。羨ましいし。お二人の本をもっと読んでみよう。こんな機会に行けてよかった。ありがとうございました。

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特別展「寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」

今更の日記。11/3日(土曜日)に、神奈川近代文学館行ってきました。

「特別展「寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」」(2018/9/29~2018/11/25)

 イベント企画など遅ればせながら知って、ああ~~見たかった聞きたかった、というのがありつつ、ともあれ展示を見ておこうと思って。
 展示の見せ方、というか、会場が面白かったです。パネル、フラッグ? 舞台や映画写真プリントした布が吊り下げられていて、寺山修司がつくった世界をめくっていくような感じ。ことばもあちこちちりばめられていて、言葉だけではない、映像だけではない、そんな雰囲気を満喫できた。

 最初に、寺山のパスポートやコート、スーツの展示があり、ああ、現実に、リアルに、生きていた人なのか、という生々しさと、でもそれもすべて良く出来た小道具なのではという感じもして、眺めても眺めても、嘘みたい、という気持ちがする。

 最初はまだ中学生くらい? 離れている母へのハガキがある。学生の頃作った俳句同人誌がある。もちろん全て手書き。寺山の文字って一文字ずつきちんと、それがもうフォントみたいだよねえ。もちろん当時パソコンもワープロもなく、手書き当たり前なんだけれども、こういう、これ、手書きかあ、と感慨がある。
 手紙やハガキ、出したのも送られてきたのも、親密さがあってすごくいい。素敵。見せてもらってごめん、ありがとうと思う。寺山の手紙とかってすごく甘え上手というかお願い上手というか、なんか、すごく、甘えて見せる感じが、なんだろう~~~この、この子、この人、人たらしなんだろうなあと、思う。わからないけど。
 塚本のお見舞いハガキや、岡井隆の名前出ることにもえもえ。好き。すごい、ほんとこういう繋がり最高ステキ。

 演劇にも進出してって、ポスターやなんかもう凄い、あの辺のあの時代の感じの一端を見る。舞台って消えていくもので、ナマものってその場その時でならでは、なので。何が起きていたんだろうなあこの頃、って、いろいろ見聞きしてはうっすらと想像する。なんかとてつもなくエネルギーはあったんだなと思う。そんな舞台の観客に私はなりたくないな~と思うし、けどこれ体験したらすごいんだろうなとも思う。うーん。わからない……。

 寺山修司(1935~1983)、47歳で没。早すぎる、若すぎると思う。私今彼の享年と同い年かあ。彼の残した世界、言葉は圧倒的で、今読んでも強い魅力がある。私が親しみを持つのは短歌を通じてという所が大きいけれど、なんか、ほんと、こういう人がいて、あんなこんないろんなこと、やってたんだなって、とても不思議。

 しばらく前に世田谷文学館でも寺山修司の、あったよね。それを見に行った時に、寺山の手紙の魅力に撃ち抜かれて激モエして、展示ケースにはりついて眺めて読んで興奮のあまり手帳に書き写したりしたけど。今回の展示はあの時ほどではないかなあ。けど、やっぱりとってもよくって、見に行っておいてよかった。

 場所が港の見える丘公園続きで、文学館の外にもことばのオブジェがあるとのことでした。私はちょっとあんまり元気がなくなってた時なので、全部探すほどの気力はないまでも、一応、ローズガーデンで3つ、発見。最初全然わからなくて、ん~~?? まあ薔薇綺麗だしそれでいっか、とひとしきり歩いだのだけど、見つけた時に、あっ!ってすごく嬉しくなった。野外演劇みたいな雰囲気をほんのすこ~~~し、ささやか~~に感じた気がする。いい場所だな、と、改めて感じました。

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 桂文珍独演会 一期一笑

 
 桂文珍独演会 一期一笑
 関内ホール 3:00p.m

 聞きに行ってきました。落語は、これまで一回、か、二回、生で聞きに行ったことあるけど、こんなにじっくりと独演会っていうのは初めて。上方落語、も初めてかな。以前見たことがあるのは何人かが噺を一つずつという感じだった。

 前座、桂文五郎さん。途中で三味線、おんな道楽というの? をやっている内海英華さん。それぞれ面白かったです。都都逸うたってるの聞けたの面白かったなあ。話す言葉のリズムもなんともいえない色気、華やかさがあってなんだかさすがって思う。

 桂文珍さん、テレビで見たことある~くらいのミーハー気分で聞きに行きましたが、すっごいすっごく面白くて笑った笑った~。あ~なんだかこのライブな場でこその笑いの体験って感じ、すごい。ほんとに客席との掛け合いみたいな感じなんだなあ。客席からは笑いという反応返すだけなんだけれども、舞台から本当に客席の空気というか反応、客の心の動きまでくみ取ってくすぐって笑わせてくれる。落語完全に初心者でなんもわからない私でもわかる、すっごいこの場を転がす上手さ。
 噺の枕っていうの? 雑談みたいに時事ネタをバンバンガンガンどんどんバシバシ繰り広げてくるのね~~。まさに今朝みたテレビで見た話がネタになってる。ジュリーのコンサートドタキャンだとかダンパー改ざんだとか。すごい。こんなに~?こんなに鮮度キレキレ~??? 文珍さんだからこそなのかどうか、私は他の経験がなくてわからないけど、ほんっと、「今」の話がめちゃめちゃ取り入れられてるのね。舞台ごとに変ってくのかなあ。勿論全部が全部ではないんだろうけど、それにしても凄い。

 噺は「持参金」か。(ぐぐった)急に20円を返すよう催促された男が、わけありの女の持参金がちょうど20円という縁談に飛びついたら、その女と20円と言うのは実は。って感じ。ちょっといい話というか、お前なあ、番頭さん? あんたダメ男だな~ってのを思いつつ、面白かった。
 それから「地獄八景」、長い噺らしいけれど、ダイジェストというか、おいしいとこぎゅっとコンパクトにして、の噺でした。サバに当たった男が三途の川いく途中でご隠居? この前葬式に出た相手に会って一緒に旅していく、と。あと金持ちの若旦那が遊び飽きてちょっと死んでみるか、ってフグの肝食べて賑やかに一同引き連れて三途の川渡るとか。噺の中にも今の時事ネタ入るんだね~。すごい面白かった!
 私は全然落語知らないけど、ふら~っといってこんなにも笑わせてもらって、いい時間過ごしたな~といい気分で、とってもよかった。楽しかった~!

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「世界と<私>の関係を言葉にする」


 昨日、夕学五十講 というのに行ってきました。丸ビル入るの初めてだったー。

講師、穂村弘さん。「世界と<私>の関係を言葉にする」 講義90分、質疑応答30分かな。18:30~20:30でした。
 久しぶりに穂村さんのお話聞きにいって面白かった~という個人的覚書メモ。私個人の主観思い込みの感想で発言など勘違いがあるかもです。記録ではありません。

 最初は「●言葉からわかること」 で、ご自身のお話で、結婚した後、それまで居なかった自分の妻という存在を人に紹介なり話なりするときに、その人をどう呼ぶか、ということに戸惑ったお話。「妻、女房、奥さん、嫁、家内、家人、パートナー、つれあい、細君、相方、ワイフ、うちのやつ、配偶者、山の神、大蔵省、敵」等、妻を表す言葉が列記されており、どれを選んで言ったとしても、自分はそれを選んで言う人だ、と相手に認識される、自分の中の何かをさらけ出すことになる。その言葉の中で、多分一番ニュートラルであろう「妻」という風に言うけれど、それもつまり「妻」が意味合いニュートラルだと思ってその言葉を使う人、ということをさらけ出している。女性が夫を呼ぶ言葉としてもいろいろあって、その中から何かを使う人、になる。
自分の一人称に、「小生」って使っちゃう場合とか、言葉には、人それぞれに、その言葉がイメージさせる人物像や物の在り方のイメージの蓄積がある。
 「小生」って自分のこと書いちゃうおじさん、まあ、おじさんに限ったものではないけれども、それを使って書いちゃうこと自体が発するメッセージというか、イメージ力って。強いよね。私は無理~って思うけど、まあ、うん。そう使いたい人がいるんだなあというのは、まあ、なるほど。

 電車や商品、物のネーミング、ラベリングの変化の話。特急「つばめ」かつては実体のある、速そうなかっこよさそうなネーミング。→「こだま」「ひかり」という夢の超特急には、目には見えない、触れない、けれど聞こえる、見える(光のあるなしはわかる)ものになり。その次はどうなるんだ? と不安に思っていたら→「のぞみ」。これはもうすっかりイメージ。思念だとかの世界になる。
 昭和的、実体→イメージ、限界がないものへの変化。イメージ化しやすいのは、生活必需品よりは嗜好品、レベルがちょっと違うもの。

 言葉の含むイメージ自体の変化。「科学」って、かつては良いもの、未来への希望、憧れだった。万能感。ユートピアのイメージ。電気、電子、原子、等「ピカピカギラギラ 憧れだ」というもの。けれど、近年だとむしろディストピア。
 
 特にもう今の日本だと震災、原発事故を経ているからなあ。原子力だとか無邪気に凄いパワーだとか言えないよな、と思う。アトムがラララ科学の子で、妹だとかがウランちゃんとかコバルトとか、そのネーミング、今、ちょっともう以前みたいには見られない。世界は変わるよね……。

 短歌の紹介。子供、青春、中年、老年が見える短歌。
 子供の短歌は世界への知識の蓄積が少なくて、ガードも緩くて遠慮少なくて、新鮮な驚きや発見がぐっとくる。
 青春の恋はほんの些細なことにも集中度が高くて眩しい。童貞感だとかいい変態の歌とか面白かった。短歌ってもう一度プリミティブに、一言で言える名前がついているような物事を解体して表現をするもの。
 中年期ってぼんやりしている。
 老年の歌は、いつか自分がそういう所へ行くのか、と思う。そこで愛の歌がある、精神レベルの高い歌をうたうひとがいる。それって、憧れられるからいいなあと思う。

 夫が妻を歌った歌、妻が夫を歌った歌の温度差みたいな話。
 夫の方が概ねロマンチストなままだったりするのねえ。妻の側の冷え冷え具合は、何故そうなったか、みたいなわけが垣間見えるのも引用があったりして、ねー。わかる。
 でも多分今後、本当にちゃんと家事育児分担をするとか、夫側がリアルな毎日の生活や暮らしに本当に関わる人が増えてくる、きてる? そうなってきたとしたら、温度差も傾向として捉えられるほどにはなくなるのかもしれないなあ。どうなんだろうね。

 イメージ化の方が私も好きだし、実体のリアルからは私も逃げたい、現に今も逃げている。フリスク食べることを選ぶ方でありたい。けどまあ、そっちへばかり逃げ切れるかどうか、わからない。
 私はバブル期のスタイリッシュな幻想を学生の頃に垣間見た気はするけれどもその場にはいなかったしその幻想は目の前で暗転した気がするし社会は景気悪くなってくばかりな気がするし、その後、これから、日本が持ち直して行ける気は、あんまりしない。
 逃げたい。逃げ切りたい。
 けど、そういうわけにはいかないのか、なあ。どうかなあ。けど逃げたい……。
 ここんとこ毎年、新年の抱負というかなんというかで、全力で現実逃避、と自分の中で掲げている。実際今自分は社会的に何か責任ある立場とか重要な仕事があるわけではなく、つるっと何もない毎日をぼんやり生きている。
 言葉に耽溺して世界と私の関係を言葉の中だけで築いていたいな。どんな言葉を使うか、選ぶか、出来る限り繊細でありたい。

 いろんな認識を考えることが出来て面白かったです。なんかあの「場」も面白かったな~。

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舞台 「贋作 桜の森の満開の下」 NODA MAP 第22回公演

9月に見たもののこと全然書いてなかった。遅ればせながら順次メモっとく。

*ネタバレ、結末まで触れています。


舞台 「贋作 桜の森の満開の下」 NODA MAP 第22回公演

9/12(水)に見に行った。東京芸術劇場。

耳男 妻夫木聡
夜長姫 深津絵里
オオアマ 天海祐希
マナコ 古田新太
ヒダの王 野田秀樹

最初の東京公演終りの日だった。どうりで平日の昼間なのに当日券にもすごく人が並んでいると思った。豪華キャストだし、名作という評判、は、なんか聞いたことがあると思いつつ、見たことはない。坂口安吾の本はあまり沢山読んでなくて、「桜の森の満開の下」は大好き、「夜長姫と耳男」は知らなかったので、舞台見終わってから読みました。知らなかったもので、夜長姫と早寝姫って、岩長姫と木花咲耶姫ってことか? なんて思いながら見てました。無知ですまん……。いやでもほら古事記だとかその辺の感じ混ぜてる舞台みたいだから。

 つまり「桜の森の満開の下」のイメージ以外には何も知らずに見に行きました。
 相変わらず言葉の応酬が凄い。遊びも。動きも。舞台の縦横無尽さも。大きな桜の木。うつくしい花の世界。消えそうな記憶。巧みの技。鬼の世界。
 国を作るお話。

 なんか全然、きちんとした説明も感想も書けないなあ。見てからかなり時間たってしまったし。かといって見てすぐには全然何にも何を見てきたのか書く気にもなれず、落ち着いたら書こう、と思って、時間たちすぎちゃった。

 当然キャストみんな、みーんなすっごく凄くて、舞台からエネルギー浴びて終わった時には滂沱の涙。本当に、ナマの舞台を見るって凄い。キャストの、別世界のエネルギーを浴びる感覚は他にない。生身の迫力を感じられるしあわせ。

 可愛い女の子~って感じで始まる、早寝姫の門脇麦と夜長姫の深津絵里。きゃっきゃした女の子~の感じが舞台が進むにつれて物凄い迫力に。途中で儚く死んでしまう早寝姫の無垢さがむしろこわいし。無邪気なままに、でも同時に邪悪さを滴らせて人が死ぬのを楽しむ夜長姫の異様さ、うつくしさ。最高だった……。
 オオアマ天海祐希は、男役、とはいえ、あんまりそれがどうこうってわけじゃないんだけれども、二幕目になって王となる迫力も見栄えも最高すぎて、かっこよくってかっこよくってかっこよくてかっこよくって~~~~たまんねえ。さすがすぎた。素晴らしい……。
 当然舞台での古田新太のセクシーさったらもう痺れるしかないし、野田秀樹もまだまだ全然軽やかで凄い。みんなどういうことなんだ……。

 巨大な桜の樹が、大仏になって、そしてまた桜になって。舞台セットとしてはその巨大な一つで、あとは紐、ゴム紐? でどんどん空間が生まれて開いていくの、すごく面白かった。どういうアイデアなんだ。凄い。
 圧倒され、うつくしくて。だめだ私はああいう生身の迫力になんか言葉を書くことができないんだなあ。見にいけてよかった。ただただ溺れてきました。

 で、カーテンコールもいっぱいあった。いっぱいあるな、と思って、帰ってみたら、あ、今日が一旦最終日だったのか、と納得。ほんとにほんとに、見に行けてよかった。

「シネマ歌舞伎最新作、『野田版 桜の森の満開の下 』を2019年4月5日(金)に全国公開することが決定致しました!」てなニュースもあった。中村勘九郎さんが耳男の。2017年の上演作らしい。これもぜひ見に行きたいな。


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現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年   「ニューウェーブは何を企てたか」 に行ってきた。

 6月2日(土)名古屋へ行ってきました。

 現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年 
 「ニューウェーブは何を企てたか」
https://wave20180602.wixsite.com/wave20180602

 というイベントへ。
 これは私の個人的主観的メモ、覚書日記で、私の勘違いや思い込みがきっとあって、間違いが多いかもしれない、ただの感想です。

 朝、新横浜から名古屋へ向かう。ランチに味噌煮込みうどんを食べて満足。迷子になる~と思いつつも一応迷子ってほどにはならずに会場到着。

 受付が13:10~ということだったけれども、到着したらもう開場されていた。160名?もっとかな? とにかく沢山の参加者がいるらしい。受付してもらって、なるべく前の方へ、っと端っこながらも席を確保。机がある所に座れてよかった。後ろ半分くらいは椅子のみのようで、すごい、大盛況ですね。企画、スタッフの皆さまさぞ大変だったでしょう。お疲れ様です。ありがとうございます。

 で。
 上記のサイトであらかじめ資料、参考資料をプリントしていきました。行きの新幹線でざっくり読んでにわか勉強。2001年の「未来」の特集?「場のニューウェーブ」という、荻原裕幸さんと加藤治郎さんのメール対談、面白かった。この時点での、現代短歌、80年代90年代振り返りですね。オンデマンド出版への夢と希望、「電脳短歌」だとかの言葉がすごい懐かしい感いっぱい。今これを読むと、ああ、まだインターネットの世界が自由で希望と可能性に満ちている感じだなあ、って感慨深い。オンデマンド出版も別に絶版なしの永遠なものではないし、「電脳」ってあっという間にレトロワードになったし、インターネットは小宇宙化の一途で広がりよりは今気の合う限られた人達同士のミニマムに閉じる方向になってる、と、思う。
 「レ・パピエ・シアン」2003年の大辻隆弘さんの「ニューウェーブ、やや回顧的に」という文章も面白かった。やっぱ大辻さんの言ってることはよくわかる。気がする。多分私には。(いやわかってないかもだけど)大辻さんは同時代で、近い所で「ニューウェーブ」を見てきた、けど当事者ってわけではないかなという感じかな。同時代わかってる感と一歩ひいた観察者感と両方あってわかりやすい、気がする。


 前には四人。加藤治郎、穂村弘、西田政史、荻原裕幸。
 追加資料、「ニューウェーブ関連年表」。荻原さん作。これはこの企画のためのざっくりしたものです、とのこと。1984年~現在まで。

 「ニューウェーブの30年」て、同人誌フォルテから数えるとちょうどそのくらいですね、みたいな感じで始まる。ふぉるて??何それ、という感じで、当事者が語る、自分は全然知らないその頃、という話を聞けたのは面白かったなあ。「ニューウェーブ」を語るイベントだと思ってたけど、始まりの加藤治郎sなんのお話から、ほんとにニューウェーブは存在したのか、という根本的疑問からだったので、えっ? という風に聞き入りました。

 でもそれは参考資料なんかでのにわか勉強でも感じたことで、なんかニューウェーブだとかいって、近代短歌的主体というものからのずれ、口語、記号多用の短歌、みたいなざっくりしたのが、主に加藤、荻原、穂村の一時の短歌の感じをさして言われたりしてるなあ、そういえば、みたいな感触なんですね。

 荻原さんが1991年に新聞のコラムのタイトルとして「現代短歌のニューウェーブ」としたのが、名称としての始まり、ということらしいです。が。それは特に意図的な我々の短歌革新運動を名付けるってものでもなくて、この頃の短歌はこんなのがありますよ、という紹介みたいなんですね。岩波の現代短歌辞典には「ニューウェーブ」の項目があるけれど、三省堂の現代短歌大事典にはその項目はない、と。1999年、2000年と、ほぼ同時期に出てるものでも違う、と。編集委員の考えの違いとからしい。辞典作るの大変そう~。編集委員でもめたよね、みたいな話もちらっと聞けて面白かった。

 登壇者それぞれの話、それからみんなで対談、という感じだけど、まあ、みなさん付き合い長い友人たちということなんですね、雑談風な感じで、このメンバーでこういう場ならではの空気が面白かったです。
 「ニューウェーブ」がもてはやされた、というか話題にされたのって、前衛短歌への二重写しの期待の評価、という話もなるほどと思った。みんな前衛短歌に憧れたんだよねえ、それで、その後の世代でもなんか面白いことないかなっていう期待感の俎上にのせられたのがニューウェーブの三人、という感じか。

 「ライトヴァ―ス」っていう言葉の方が当時強かったね、という話。口語で、都市部の感じとか、軽やかに、とかいう感じ、かな。俵万智さんがな~もう圧倒的にそこは強い感じ。「ライトヴァース」の方がその、80年代90年代の現代短歌としては包括的に示す言葉で、「ニューウェーブ」っていうのは、加藤、荻原、穂村、西田と、この3、4人のことなのです、という定義づけ。
 「ニューウェーブ」みたいに成功するには三つの条件があって、と加藤治郎さんが教授してました。
 ・人がはっきりしていること。人数があんまり多くても駄目で、3,4人がちょうどいい。
 ・作品に明確な共通性、文体があること。これは記号短歌、みたいなことかな。他と識別性があること。
 ・共通の場があること。出発点に「フォルテ」があり、S2プロジェクトやラエティティア(メーリングリスト)という場を作っていた。

 これはこれで、後から会場発言とか参加者的にも、ニューウェーブってそんな、3人だけ、4人だけのことかよ~という驚きがあがってた感じ。
 でもまあ、それはそういう風にしか語られてこなかった、という事実、事実かな、私はちゃんと知らないのだけれども、まあ、ニューウェーブを語る時にはその3、4人の名前で語られてきたのでしょうねっていうのはわかる。だから、女性歌人とか他の人は入らないのですか? という質問に、入らないですねという返しでおしまいになったのもわかる。

 東直子さんが観客(?)でいらしてて、会場質問で話してたの面白かった。
 今後の見直しとか、語りなおしで、いや東直子さんだってそうだろう、みたいになるのかもしれないし、わかんないけども、それは今後の話で、これまでは結局その目立って活動活躍してた三人がニューウェーブ、って感じなんだろう。今回の企画としてこの4人の活動中心に年表ざっくりと作ってみました、というのもわかる。そもそも「ニューウェーブ」なんてあるのか? という話になるんだなーというのも、なるほどと思った。
 ニューウェーブって、今回前に出てた3、4人が、短歌面白いよ、なんかもっと面白いのやろうよ、やってみようよって感じでいろいろ活動したことが、目立って人気出て、そんでまた彼らが何かときちんと記録したり発表したり、今回だってこうして企画して人集めて、ってやってきてる、そういうことなのかなあと思う。同調したりしなかったり、同時代のいろいろな人のそれぞれの活躍はあるのだろうけれども、まあ、表立って仲間って目立ってやってきた3人、みたいなことでまとめてなんとなく呼ばれる、他の人はなんか個々に、かなあ。

 それから主体の話とか。近代的主体、「私」とは違う感じになってる、けど。これはちょっと全然語りきれない感じだった。この対談とかは記録でまとめられて本?ムック? が書肆侃侃房から出るみたいだし、その時に全対談が読める、のかな。違うかな。まあいろいろまとめられてくでしょう。

 インターネットという場が始まって広まったの、が、ニューウェーブなのだろうなあという感じ。記号使ってみたとか、加藤さんがデジタル化で文字が動く、カット&ペーストとかおっしゃってたけど、そういう、手書きとは違う遊びみたいな変化で短歌つくってみたとかもあるのかなあと。荻原さんはワープロで、画面とか二行くらいしかなくて、かな、そう言ってたのもすごいわかるw。ワープロ、表示画面ちっさかったねーと、思う。別にモニター上で作ったわけではない、と。
 まあ、それでも、自宅ですぐに活字、プリントを出せるという感じは、原稿用紙に手書きとはちょっと違う、のではないかな、と、思う。コンピューターとかインターネットとかがきらきらしい未来と夢と希望、ロマンな感じなー。その過渡期の実感みたいな所もあるんじゃないか。

 あと、時代はバブルで、なんか浮かれてお金あって、みたいに言われるけれども、それがすごく嘘なんじゃないか、っていう違和感はすごくあって、という風なお話とか。
そーはいってもあんたらバブルじゃん、って思うけどね。もちろん、その、嘘っぽさを感じてというの、すごくそうなんだろうなあって思うけど。
 私はバブルが目の前で弾けて放り出された感の世代なので(ロスジェネとか? 今はひきこもり高齢化問題とかいわれる、40代後半さ)なんだかんだちょっと上の人々のいやバブルっていっても恩恵なんかなかったよ的言説には超ムカつく、ぼんやりと怨恨抱くよ、個人的にw

 あと、穂村さんがちょっと愚痴めいた感じで言った本音っぽいようなこととか。短歌は他ジャンルの人には知られてないとか、フィクション、ノンフィクションのこと、差異、異化とか圧倒的散文的社会には通じないしあっちにはどうでもいいんだよ、という苛立ちとか絶望めいたこととか。若い人が正しいと思ってるけど、苦しい、とか。
与謝野晶子がいればいいんじゃない、とか俵万智一人でいいんじゃない、とか。

 いろいろな質問に答えてたり、加藤治郎さんが岡井隆らぶなんだなーっ、岡井隆の存在感、と思ったり。
 この30年を振り返る、かなり誠実に簡単にまとめずに、なんか面白いことやりたいっていろいろやってたらなんとなくニューウェーブって言われてて、でもその実態とか特にはない、みたいな感触を語ってるなあ、と、眺められて面白かった。

 今後は、でも、男友達同士で内輪でやるよ~って時に、そこで女性を無視するのか? という視点がくるよね、と、思う。ほんとは理想は、性別がどうこうっていう話をしなくてよくなることなんだけれども、まだまだ、女性は、ということを指摘しないと悪意なく自然に無視されがち、ということがあるかなあ。それは自分自身でもあって、私個人的には女性がいることが苦手で、勿論これは完全に個人的問題。女性として声を出すことが苦手、というか。うーん。まあ、いろいろ、自分自身の内面の問題も考えたりでちょっとしんどい。


 パーティへ場所移動。そこもかなりの人数でほんと大賑わいでした。ポエトリーリーディングがあったり。四人へのプレゼントがあったり。私は飲んで食べて、多少はお喋りもできて、楽しい一日でした。このイベントの話を知った時、名古屋か~と思ってたけど、行けてよかった。皆様ありがとうございました。
 そして私はホテルへ戻り、部屋でもうちょっと飲んで、「おっさんずラブ」の最終回に一人盛り上がり、いやあ、よかった。
 翌日はもう観光とかの気力もなく、ホテルでだらけて、だらだらして後片付けを気にしなくていいって最高~とのんびりした~。コメダ行ってコーヒー。名古屋駅へ戻って自分お土産買って帰りました。新幹線あっという間だよ。いい週末でした。


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鈴木美紀子歌集『風のアンダースタディ』を語る会


14日の土曜日、行きました。

鈴木美紀子歌集『風のアンダースタディ』を語る会 @中野サンプラザ。

(あくまで単なる参加者の個人的主観の日記感想メモです。私が発言や様子を
勘違いしているかも)

受付後会場に入ると、資料が置いてありました。レジュメだけでなく、
「風のアンダースタディ以降のわたし」という、印象的な赤いスカートや靴の
ちょっとこわい写真の小冊子「迷宮へ」があって、短歌だけでなく、詩もあり。
ますます表現の世界を広げてらっしゃるんですねえ。


第一部:対談 穂村弘×文月悠光

穂村さんは鈴木さんの歌を早くから天才と見出して推してる、という感じ、
文月さんは詩人で、鈴木さんは文月さんの詩の講座に参加されてるそうです。
そんなお二人の対談楽しみでした。

レジュメに歌集からの10首選があり、それにそったりそわなかったりで
対談が進む。二人が選んでるので重なってるのは2首かな。評価受けて
代表歌っていえそうなのがちゃんとある歌集って素晴らしいなあと思う。

一首で成立してる歌が多い、というのも納得。、新聞とか雑誌に投稿してる
からかなあと思う。そこで勝負して勝ってきてるんですよね鈴木さん。凄いな。

「成仏できない魂」というフレーズで語られてた。タイトルの「アンダースタディ」
のように、今ここ、ではないどこか、「あなた」は決して手の届かない人、
身近にいる「あなた」はこれじゃない感が凄い、みたいなこと。
無力感がとてもあるけれども諦念ではないバランス、アンバランス。
強烈な相聞のようにも、相聞と限らず、パラレルワールド的な、ありえた
かもしれない別世界への希求のようにも、とれる「あなた」。

この歌集を読んで、うんうんわかる気がする、と思っていた感じ、でも
私はさらっと読んでいた歌の奥の奥底の怖さみたいなことを、お二人の
対談で深く広くひらいてもらったなあと思いました。面白かったです。


休憩後、パネルディスカッション。

天野慶、伊波真人、岡崎裕美子、司会:朽木祐

最初に伊波さん。
・メタ視点 ・「役者」である作中主体 ・夢というモチーフ 
・生活の中で目にするフレーズの引用 ・句読点の多用
と歌をひいてきてのコメント。私、個人的にはそのメタ視点って把握は
なんかチガウんじゃないのかと思ったけれども、他はまあなるほどと
聞きました。

次、岡崎さん。(だったと思う)
自己愛、という点からの読み解き、だったと思う。自己愛、がある、自分を
愛したい、けれども否定してる、でも、という、せめぎ合いのバランスが
歌をよくしているという感じ。
「アンダースタディ」というと、裏方っぽいようでもあるけれど、でも、
出番がある方なんだ、というのは、あ~そうだなってとってもはっとした
指摘でした。

天野さん。
演劇経験があるそうで、そういう面からもこの歌集の関心ポイントを見て
読まれたようです。「本当の私」はまるでもうこの世にいないみたい、な
魂の距離感。「切ない」ことの距離感が独特な歌集だと。死との断絶が
ないみたいな。

一通りそれぞれの発表のあとディスカッション。
ちょっとなかなかかみ合わない感じが見ててハラハラしたけど、まあそれぞれ
いろいろに、歌を読んでいる感じが面白かったです。上手い、こわい、
言葉や距離感のバランスのよさなど改めて確認できた感じでした。


それから会場発言。
みなさまのあれこれ、なるほどと聞きました。

やっぱり批評会に行くと、自分の読みは全然浅かったなあとか、そういう
読み方があるのか、するのか、とか。自分とは違うなあとか、いろんな
見方を知ることができて面白いです。
参加させてもらってよかった。
鈴木さんこれからもますますのご活躍を。
スタッフ皆様ありがとうございました。


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「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」 「談ス/NUDE」


*ネタバレしてます。


4/5日(木)横浜美術館「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」

「談ス/NUDE」19:00開演

見に行ってきました。
「ヌード展」は、始まるよって予告の時から、ロダンの「接吻」のポスター
がすごくきれいでそそられてた所、このダンスパフォーマンス? が、
ある、と知りまして。

それは何? って、ほんとこの企画で初めて知って見たのでした。
大植真太郎、森山未來、平原慎太郎の三人。ダンサー、と、いう枠のみならぬ
ご活躍、なんだろうか。森山未來は知ってる、ドラマや映画見た。
けど、何があるのかわからないなあって、そんなぼんやりで見に行ったら。

横浜美術館は木曜日が休館日。なのでこの企画のための特別な日なんですね。
入場開始は17:30から。並ぶのは17時以降にしてください、とのことで、
私は17:15すぎくらいに美術館到着。並ぶのかな? どのくらい? って
わからなかったんだけど、まあ、ほどほどに、並んでて、大体時間通りの
開場でした。

まずは展示見に行きました。ほんとは場所取りとかするべき?とちょっと
迷ったけれども、ステージ、ほぼ正方形で、ロビーにあって、四面全部
囲んでの立ち見、って感じ。一人で行ったしやっぱまずは展示見たいので、
まっさきにロダンの「接吻」見に行った。

人がまだほとんどいない中で、真っ白な像を舐めるように眺めたおす。
綺麗。
うっとり。
等身大よりだいぶ大きい。大きな、足。手。背中。滑らかな肌。キス。
最高。
うつくしい。
ものすごく触ってみたい滑らかさに見える。けどもちろん触ってはダメ。
フラッシュなしなら写真オッケーなのか、ってことでスマホでとりました。
どの角度でもどんな風でも、素晴らしく美しい。すごい。ううあ~、と
何度も何度も眺めまくって、人も増えてきたので、改めて、他の展示も
見に回りました。

ジャコメッティのブロンズ一つあった。
フランシス・ベーコンのスケッチ、大き目の油彩二点。楽しい。
メイプルソープの写真いくつか。ベルメールの人形もあったわ。楽しい。
でもいろいろと、じっくり、落ち着いて、という気分にはなれなくて、
この後の談スってなんだろうどんなのだろうと気もそぞろ。
展示はまたもう一回見に行きたいなあ。
ひとしきり眺めて二周くらい、ロダンは3,4回見に行って、ロビーへ
降りました。あ、グッズ売り場も素敵で、英国土産的なのもあって、
あれまた買いにいきたいわ。マーマレード買いたい。昨日は重いと思って
見送った。

で。
18時半すぎくらいからステージの側で立ち尽くす。すでに人が取り囲んで
いるので、その隙間から見られる、二列目くらいな感じの所に立つ。
ステージといっても、高さは50センチもないくらいかな?
床に、ここから入らないでね的なラインはあるものの、ほんと、近い。
この間近で見られるのか、と、ドキドキする。
真っ白な場。丸い、高さのあるテーブル。それと、床にも何か、丸いもの。
あれ、最初わからなかったけれど、なんか、スライム? ぺろーん、
べちょーって、伸びてくっついて流れてでもくっつかない。金色のスライム?

ちょっと楽しい開始アナウンスがあって、始まり。
すーっと始まるのね。三人入ってきて、上がって、最初はポーズきめて
みたりウォーミングアップ的に体くきくきしたり。

音楽も何もない。

ただそこに三人がいて、距離が近づいたり離れたり。なんかちょっと喋ったり
ただ呼吸あわせたり。
二人で、一人で、三人で、動いて、絡み合って、組み合わさってもたれあって
動いて動いて動いて動いて。
すごい。
なんだかわからない。
けっこう笑わせてくれる。
でも物凄い圧倒される。

スライム使って、というか、置いたり持ったりちぎったり。あの流れ、あの
感じに一体化して動いたりしてる、のか。

にんげんの身体、って思う。
人の身体ってこんなにも動くのか。
人が三人。別々の人だけどひとつになったり。
信頼してあずけて、受け止めて、という、その、わかんないけどその感じに
感動してしまう。そんなにできるものなのか。

私はでも物語が欲しいしないとわかんないって思うしない中に無理にでも
見出そうとしてしまうなあ。
けども、そこにあるのは断片、って感じ。
でも絡み合う三人の身体、という圧倒的な力がすごくて。
ヌード、ヌード展。
にんげんのからだ。

最後の終りで、ヌードになるかな~ってところでならずにおしまい。
面白かったなあ。
スライムがテーブルから流れるのものすごく綺麗だった。

何が行われてるのかわからない~と思いながらひたすらひたすら見つめた。
すごいよなあ。
あんなに三人絡み合えるものなのか。にんげん……。
うー。全然言葉に出来ない。
見に行けてよかった。
なんか、公演(?)はまだあちこちであるようで、これから、というか、
たぶん毎度変化するんだろうなあ。大まかな流れはあるにしても。不思議。

茫然として帰りの電車の前にコーヒーを飲む。絵を見て回り、ステージ、
大体60分、だけどそれよりもうちょっと長かったな。じっと立ち尽くして
いたので、足痛い。腰も。さっきまで見ていた身体とは全然違って私の
身体は動かない。やれやれ。ふー。って、少し別世界から戻る感じに休んで、
帰宅。
すごかったなあ。

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横浜美術館 「石内 都 肌理と写真」


2/28(水)映画のあと、横浜美術館にも行きました。
3/4で終わっちゃうからあわてて。

「石内 都 肌理と写真」

正直私は全然知らず。でも美術館のお知らせとかポスターでひかれるものを
感じて、見ようかなあと思って。
写真、写真作家一人の作品をじっくりと眺めるのって私、初めてかもなあ。

最初はモノクロの、横須賀の街とか、廃墟だとか。
古くなった建物。塗装のひび割れ、剥がれ落ちていく鱗のような壁を撮って
いたり。
人物のヌード。老人の肌のたるみ、皺、しみ、女性の体の傷痕。ゆがみ。

「絹の夢」というコーナーでは鮮やかな着物の写真やカイコの繭だとか。

「遺されたもの」ではフリーダ・カーロ、えーとメキシコの女性画家、ね、
の、遺品や母の遺品の写真。着ている人を失った色鮮やかな洋服もまた
「肌」であるということ。
アクセサリーや、滑らかさを失った口紅とか、印象的だった。

「ひろしま」の洋服たちは、それを着ていた人が、誰なのかどう、亡くなった
のか、ということはわからなくて。でも、その虚ろを思うと、どうにも言葉が
ない。私には言葉が見つけられない。汚れ、破れ、でも可愛い模様のワンピース
があったりして、その、そう、こうして、服が残っているということは、
一瞬で影になってしまったのとは違う、その、こう……。

「肌理」という企画展のタイトルを思う。
こういう言葉を与えられて、こういう企画で年代追って見て行くと、
写真家のテーマの変遷、展開みたいなのが見えてわかりやすい気がするなあ。
私は写真とか全然わかるとは言えないんだけれども、こういう流れがある、
という企画は面白く見させてもらった。

コレクション展の方にもこの人の写真あって、「横須賀ストーリー」って
1976-1977の、街の写真があった。モノクロ。
これも、私は横須賀の街とかほとんど知らないしわからないんだけれども、
なんか、わかるって気にさせられる感じがあった。横須賀な~。米軍基地が
ある感じなあ。

コレクション展は「全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの
美術と写真」というもの。
シュルレアリスム、面白いよね。見たことあるのいっぱいだけど何度見ても
楽しい。ベルメールの写真とかなあ。ほんと、なんか、うまく言えないけど
この人芸術家になってくれてよかった、と思う。
こっちも見応えたっぷり十分~~~で堪能して、すごいいろいろじっくり
見て、ものすごく疲れた。芸術と向き合うのはほんとこっちも気力がいる。


[特別展示]旅する根付 高円宮妃殿下写真展と現代根付コレクション
というのもあった。
これはミニコーナーって感じかな。
根付を、あちこちの景色の中において、根付くんたちが旅してる感じの
写真たくさん。で、本物の根付も。根付だから、ちっちゃくて可愛い~のが、
写真はおっきくて旅してる感じで、面白かった。
これって、お気に入りフィギュア連れて旅してお人形だけで写真とる、って
そういうのと同じ、と、思っていいのかしら。可愛いもの持ち歩きたいよね。
写真も撮りたいよね。
これも楽しかった。

たっぷり見てぐったり。でも見に行ってよかった。
次は「ヌード展」があるよね。すごく楽しみ。

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