『弟の夫』1~4巻(田亀源五郎/双葉社 アクションコミックス)

*ネタバレ、かな?


『弟の夫』1~4巻(田亀源五郎/双葉社 アクションコミックス)

いろいろ評判いいのは見てて気になってて、4巻で完結とのことで、1~4電書
でまとめ買いしてみた。

両親を事故でなくしているヤイチ。双子の弟がいたけれど、弟はアメリカに
渡って10年。その弟が亡くなり、弟と結婚していた「夫」、マイクが日本にきた。
離婚して小学生の娘の夏菜と二人で暮らしている家に、マイクがしばらく滞在
することになる。

ってことで、多分ごく普通の男としてのヤイチが、「弟の夫」とどう接していい
のか、どう認識を改めていくのか、が、とてもとても丁寧に、一つ一つの疑問に
立ち止まり考えていくお話。
最初は、おかしいだろ、変だろ、いや別に差別とかじゃないけどなんか違うだろ、
みたいな所にいたヤイチが、無自覚だった差別意識に気が付いていく。

全体通して、本当に丁寧に描かれていて、どうして、何が、おかしいと思うのか、
それは本当に自分の考えなのか、ただなんとなく世間みたいな曖昧なものの
思い込みなんじゃないのか、無理な押しつけではなく静かに問いかける感じ。

人が出会って一緒にいたくて結婚して家族になっていく。
そこに性別へのこだわりは本当に必要ですか。人と人との関わりに性別という
要素についてことさらに不必要に過剰反応しなくてもいいんじゃないの。

実はゲイかもと思って悩んでる子とか、ずっとカミングアウトはせずに隠してる
人とか、子どもを心配するという中で悪影響とか悪気ないつもりで言っちゃう人
とか。いろいろな要素が描かれながらも、ちゃんとわかりあっていける人達が
いるという、希望と願いの漫画だと思う。

個人的には、夏菜ちゃんとか~別れた元妻とか~、お話に都合いい無邪気なフラット
な存在、疑問を呈する人とか理想の理解者って役割キャラという気がしたけどなあ。
子供らしさの概念って気が。
でもまあ私も実際リアルに子どもを知ってるかというと、まあ知らないし
わかんないんだけどね。

Twitterでの感想リツイとか眺めていると、教科書にして読ませたい
みたいなのもあったと思うけど、ほんと、そう。そういう理想的なところが
あって、でもそれが必要っていう気がするなあ。
無自覚だったり自分のこととは思わなかったり、というのが日本の社会、という、
イメージ。うーん。どうなのかな。あんまり、わかんないけど。。。

田亀源五郎さんの漫画とかわりとがっつりハード目な方、って思ってたけど
たぶんだいぶマイルドにしてるのかな。それでもちゃんとしっかり筋肉~だし
毛ももじゃもじゃもあるよ、ってのが素敵でした^^

LGBTブームみたいなことじゃなくて、こういう静かな丁寧な漫画があって、
たぶん評判も良くて、って、いいなと思う。私もすごく、なんかいろいろ無自覚で
駄目なことが、ほんと気づかずにあるんだろうし気づいていきたいと思った。

好きで一緒にいる、家族になる、ってことを、誰でもが、他人に強制されるとか
禁じられるとか、逆に奨励されるとかではなくて、自由でいられるようになると
いいのにね。


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『楽園の世捨て人』(トーマス・リュダール/ハヤカワポケットミステリ)


*ネタバレ、結末まで触れています。


『楽園の世捨て人』(トーマス・リュダール/ハヤカワポケットミステリ)

(2017年1月刊)

エアハートはタクシー運転手。ピアノ調律師。67歳。デンマーク人だが国から
離れて17年ほど。スペインのカナリア諸島で世捨て人と呼ばれながら暮らして
いる。別れた故郷の妻アネッテに仕送りを続けている。
島で友人といえる人は少ない。ラウールという金持ちの道楽息子とその恋人と
酔っ払い、雷見物に行った時、海辺で発見された車の中に男の子の赤ん坊が
捨てられている騒ぎに遭遇した。
警察はその赤ん坊に関する捜査を早々に切り上げようとしていた。
エアハートは見過ごすことができず、一人、調べ始める。


老人素人探偵の登場、ってことなんだけども、颯爽とって感じはなくて、正直、
なかなか面白く読めなくてすごく時間がかかってしまった。
エアハートがどういう人物なのかなかなかつかめない。
なんでそんなことするの??? って不思議で仕方ない。

エアハートは指を一本なくしてるんだけども、それが何故なのかとかは不明。
でも欠けた指に思う所は深いらしく、事故った車、亡くなった人から指を
貰って帰って自分の指にくっつけてみたりする。もちろんくっつくわけじゃない。
指はやがて腐り干からびる。なんで。何やってんのエアハートじーさん??

恋人が欲しい。って、娘みたいな女と付き合う妄想してたり。
ラウールんちで飲んだくれた後、目が覚めるとラウールがいなくなってて、恋人
ベアトリスも頭殴られて意識不明、ってなってて。それでもベアトリスが
「私を隠して」という声を聴いた、と、思い込み、思い込みなんだろうかなあ、
多分。で、病院に連れて行くのではなくうちでこっそり寝かせておくことに
したり。知り合いの医者に脅しをかけて協力してもらって。

タクシー運転手であり、調律師ってことで島の人間のうちに入り込んだりしてる
うちになんとなく人の弱み、秘密を握ってるんだねー。
別に普通に暮らしている間にはただなんでもなく見過ごしたけど、こう切羽詰まって
じわっと脅したりする。
エアハート自身は、死んだ赤ん坊のためになんとかしなくちゃ、って突き動かされて
いるんだけど、その衝動っつーか情熱というか、なんでそこまでその事に
首突っ込みまくってんだか、なんで??? って不思議だった。
最後まで読んでも、なんでだよ、って思いは残る。。。
なんでそんなに頑張っちゃったんだよエアハート。

素人なりにあれこれ聞きまわって、数少ない友人知人と思ってたちょい悪な
金持ち、エマヌエル・パラブラスがちょい悪どころじゃないのか!ってなったり、
でもでも実はラウールなのかよ!?ってなったり。
その最後も、逃げようとして海へ沈んだ、とか、うーん。
まあ、素人のおじいちゃんが華麗なアクションで追いつめたりできるもんじゃ
ないもんねえ。そういうぜいぜいもう駄目無理ってしんどい感じはリアルで
辛かった。まあそれでもおじいちゃんすごいタフにがんばってたけど。
そしておじいちゃんってか、中年くらいな感じ? 女とやることにもそこそこに
熱心だったりして、枯れた渋み探偵ってわけでもない。


作者は2014年、この作品でデビュー、北欧ミステリの最高峰「ガラスの鍵」を
得た、ってあったけど、そんなにすごい面白いだろうか? というのが私には
わからなかった。。。文化の差なのか私の理解力がダメダメだからか。。。
エアハート何やってんの? なんで?? という面白さでがんばってずっと
読みました。てことはキャラの魅力あるってことなのかなあ。
三部作構想らしくて、2016年に二作目出てるらしい。三部作全部翻訳出るかなあ。
出たとして読むかなあ私。わからない。でも読みたい気もする。わからないな~。
一応読んだぞという満足はあります。

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『暮れてゆくバッハ』(岡井隆/書肆侃侃房)

『暮れてゆくバッハ』(岡井隆/書肆侃侃房)


岡井隆のこれは歌集、だけど詩、散文、水彩画等入ってる文集、かなあ。2015年7月刊。

2014年の秋ごろから2015年の半ばまでの作品。初出は未来が多いけれども、
未発表のものも入っている。
2014年の終り頃、手術をしていて、その体験時の歌、文章がある。簡単な手術
ですよ、と言われるものだったようだけど、実際2週間ほどでほぼ癒えたという
ことらしいけれども、まあ、大変ですよね。亡き弟との対話の文章はすごく、
素敵です。
水彩画と歌はノートからそのままの印刷だそうで。2015年の1月2月頃か。
岡井さんの文字、好きなんだよね~。絵も素敵。こういうの出してみようかなと
いうのは、やっぱり子規さんのこと好きだからという感じなのかなあと想像する。

歌は、もう、日常全て、生きて呼吸するように歌が出来ているんじゃないかと
いう感じなので、なんかこう好きな一首とか私選べない。。。もう丸ごと愛してる
としか言いようがない。丸ごとうつくしい。何言おうとしても私のうすっぺらな
言葉じゃ全然遙かに無理って気がする。好きなんだもん。


とはいえまあ、いくつか引いてみる。


  いやッといふ人は居ないが好きといふ人は夕顔の白さで並ぶ (p9)

ちょっと何のことかはわからない。激しく嫌な人はいない。好きな人は夕顔の
ようだ。ってわけじゃないかなあ。「いふ人」は、言う人、なのか、ん~。
好きという人、というのは好意的な人のように思う。「夕顔の白さ」は美しい
比喩だと思うけれど、白さ、だからなあ。ちょっと幽玄めいてくる。明るく
楽しく見るのではなく、ほのかな闇と淡い白さとして好意的な相手をとらえる
感じかと思って、惹かれた。


  幾つかの袋のどれかに横たはつてゐる筈なのだ可愛い耳して (p12)

これはこの次の歌から察すると多分どうやら妻の携帯を探している場面。先に
この歌を読むので、「可愛い耳」をした何か、小さな生き物が袋に入ってるように
思えて、なんだかわからないけれども可愛いものを探している歌として、とても
可愛い一首と思う。日々の暮らしの中のなんでもないことがこうしてさらっと
可愛い歌になってるのを読むと、ふふって思った瞬間をわけてもらった気がして
ちょっと嬉しい。


  ものの見事に裏切られてはかくし持つ刃を握るとぞ薔薇は陰険 (p44)

これも正直わかんないんだけど、とてもかっこいいと思って付箋した歌。
かっこいい。歌集タイトルにしてる「暮れてゆくバッハ」の中の一首。劇的な
歌に思うけれども。裏切り、刃、薔薇、陰険。ドラマチックな道具立てで
何か昏い思いがあるひとときのことかなあ。


  たつた今わがかたはらにうづくまりゐたる羊が啼いて去りゆく (p80)

  てんてんとてんてんてんと川岸をころがりてゆく思考の兎 (p100)

アクロスティックで作られた別別の一連の中から。羊ちゃんと兎ちゃんだ、
と思って。作者の思考が生き物となって自分から離れていってしまう感じ。
でもそれを平然と眺めている感じがあって、余裕を感じる。
可愛くてかっこいいの。

  あなたの若い写真を見つつ思ふのはたとへばヴィヨンの形見の歌だ (p113)

松本健一さんを悼む歌の一連。悼む思いの流れが歌になっていて伝わってくる。
他にも訃報に接しての歌もあって、作者はこうして多くの仲間を、友を、見送り
続けている。とても切なくなる。しっとり沁みる歌です。

  今年またレモンの花がわれわれの噂をきいて(だらう)笑いた (p151、ルビ「笑ひら」)

われわれというのは、家族、妻と作者かな。レモンの花が咲いた、という春の
訪れがいかにも爽やかで、笑うように咲いていて、でもそこに「噂」という
ちょっと不穏な気配を混ぜている。そういう加減がな~。うまい。こわい。


詞書があるのも多く、それがまた俳句だったりもして、これ全部きちんと読もう
としても私には。。。無理で。。。とへこたれそうなんだけども、まあでも、
別にいっか、とさらさら読んでうっとりして、絵も字も素敵だな~って眺めて、
まあそれでいっか、と思う。
言葉の豊かさうつくしさ、呼吸するようなリズム、調べを感じるだけでいいよね。
歌だけでなくて文章のリズムも素敵で、ほんと憧れる。盛り沢山にいろいろ
入っていて有難い一冊です。


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『念力ろまん』(笹公人/書肆侃侃房)


『念力ろまん』(笹公人/書肆侃侃房)


笹公人四冊目の歌集。2015年5月刊。
笹さんは歌集だけじゃなくていろんな本も出されてるので、あとがきによると
この前に『遊星ハグルマ装置』(朱川湊人共著)にも多数歌を収録してるそうです。

Eテレの「念力家族」すっごい面白かったよねえ。あれ始まったの2年前ってことか。
月日の経つのがはやすぎると感じるお年頃だぜ私。。。

笹さんの短歌は、自分が短歌を読み始めてすぐにファンになったもので、すごく
面白おかしい感じの中にはっとする美しさがあって。抒情というものかと後から
わかった。ぱっと見のとっつきやすさ、サブカル的だったりオカルト的な素材の
親しみと、それが短歌であるという面白さが、いつもいつも、ずーっと凄くて、
ずーっとファンでいさせてくれる歌人だなあと思う。

この歌集は、開いてみてまず、字がでっかい、ってびっくりする^^
一頁一首。大体二行になってる。これはあれだ、トリックの上田教授の『なぜ
ベストを尽くさないのか』を連想^^ いやまあ違いますけど。

この本で、この表紙の絵の怪しいんだかでもなんだかとっても綺麗だし、
ページを開くとインパクトあるし。さすがだなあと思う。念力~~。好き。
大林監督が帯書いてるのもさすがです。


いくつか好きな歌。


  またふられしフーテンの寅に安堵する日本人は童貞贔屓 (p18)

寅さんの映画ももう作れなくなっちゃってそれでも永遠に人気作品なんだろうなあ。
いつものパターンな感じに安堵する、その安堵を「童貞贔屓」って言いきってる。
そうかも~って納得させられるなあ。寅さんて結局地に足のついた大人には
なりきれない存在で、そういう永遠の男子、って感じ、それ永遠に童貞、日本人
好きなんだろうなあと思ってしまう。まあ、漂泊の旅人への憧れってみんなある
と思うけど。外国だと行きて帰りし物語、帰ってきてめでたしめでたしになる、
かなあ。


  9の字に机ならべていたりけり夜の校庭はせいしゅんの底 (p22)

これも、好き。ミステリー現象みたいにちょっと騒がれたこともあったような
気がする、校庭に机を並べていたり。その、夜の校庭でそんなことしちゃう
生徒たちって、でも楽しくて、でも苦しくて、「せいしゅんの底」という感じは
伝わってくるなあ。


  雨ふれば人魚が駄菓子をくれた日を語りてくれしパナマ帽の祖父 (p38)

これは帯にあって、あっかっこいいと私もすごく思った歌。パナマ帽、いい。
雨、人魚という繋がり。駄菓子をくれた思い出、は、法螺話かもしれないし、
人魚に例えた、大人の女性に憧れた幼い日のちょっと艶っぽい出来事かもしれない。
なんにせよ素晴らしい雰囲気のある歌で、さすがかっこいい。
ちょっとだけ思うのは、「語りてくれし」がなんか調べがぎくしゃくする気が
して、いいな好きだなと思うと同時に何度読みかえしてもうーんなんか、ここ、
もうちょっとなんとか。と、思う。けど、改作案が浮かぶでもなく。ん~。


  にんげんのともだちもっと増やしなと妖怪がくれた人間ウォッチ (p68)

流行りもの取り入れて笹さんの歌に仕上げてるの、ほんとさすが。一気に切ない
ほろ苦い気分にさせてくれる。


  本尊なき御堂のごとき淋しさに耐えられるのか四月のアルタ (p81)

これも時事ネタ。30年続いていた笑っていいともが3月で終わったんだよね。
新宿の駅前の、アルタでお昼の生放送。初めてアルタを見た時にはここでやってる
のか~~って眺め見上げたよ。「本尊なき御堂」というのはついに終わるのか
っていう気分を言い得ている感じがする。
これ、いずれ笑っていいともとかタモリが生放送であそこでやってたとか知らない
わからない時がくると思うけど、この歌はどう読まれるだろう。ほろりとくる
淋しさ、という感覚だけは伝わるように、私は思うけど、どうなんだろうなあ。


    さびしんぼう
  ひとがひとを恋うるさびしさ 鍵盤に涙の粒はぽろぽろ落ちて (p94)

映画「さびしんぼう」に寄せて。人がさびしい時、人を恋うているのだ、という
把握が、改めてはっときた一首。


  夕焼けに伸びゆくメトロン星人の影に塗られて言いしさよなら (p123)

夕暮れの別れのシーン。メトロン星人の影がさす異化と、ノスタルジー。
って私はメトロン星人について何も知らないんですが。ウルトラマンに出てくる
宇宙怪人かなみたいな感じ。ぐぐってなるほどとちょっと思うものの、でも、
こういうのがダイレクトじゃなくても伝わってくる感じって、いいなあと思う。


  いつのまにか消えたナメクジ 玄関まで「伯方の塩」を持ってきたのに (p150)
  なめくじのテレポーテーション数えつつこの遊星の冬を耐えおり (p151)

なめくじには塩をかける。わかる~っていうのは世代なんだろうか。どのくらいの
共通認識なんだろう。ともあれ、そこに持ってきた塩が「伯方の塩」っていうのも、
わかる~ってなんか、何がどうわかるのかきちんと言おうと思うとめちゃめちゃ
大変だな。うーん。なんかこう、ちょっといいお塩なんだよね。でも凄くオシャレ
とか凄く高級品てわけじゃなくて、普通にスーパーで売ってるし日常使いしてる
家庭なんだろうと思う。でもなめくじにかけるにはちょっとだけ、ちょっとだけ
躊躇しちゃうかもしれない感じ。もったいない。でも、その塩もってきたのに
ナメクジはいなくなってる。「持ってきたのに」と、あれっと拍子抜けする感じ、
すごい、これも、なんか何がどうわかるとは言いづらいけど、わかるーって思う。
そして次の歌は「なめくじのテレポーテーション」とくるのがすごい。SF世界に
なってしまう。遊星、って普通にこの地球だろうと思うんだけど、ここが、別世界
になる感じが好き。冬だし。冬って、なんか、核の冬とか、こう、荒涼とした
気分になる。面白かった。


  シャンプーの容器の底に黴見えて盲愛に似た夏が終りぬ (p162)

ちょっとぬるっと黴がきてしまうシャンプー容器の底。夏の盲愛ではなくて
盲愛に似た夏、とくるのがいいなって思いました。でも夏も、愛も、過ぎて
しまった直後だと、なんだか嫌なものなのか。美化されるには時間が必要かなあ。

さくっと読んでしまう歌集だけれども、やっぱり浪漫で素敵でした。

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『喧嘩(すてごろ)』(黒川博行/角川書店)

*ネタバレ、結末まで触れています。


『喧嘩(すてごろ)』(黒川博行/角川書店)


西山という代議士の私設秘書をしているという長原から二宮は相談事を持ち掛け
られた。たまたま再会した同級生つながりだ。西山事務所に火炎瓶が投げ込まれる
という騒ぎがあった。警察沙汰にはしていない。密かに繋がりのある麒林会との
揉め事だという。二宮が普段請け負うサバキとは勝手が違うが、ヤクザと折り合い
つける仕事ではある。ろくな収入のない二宮はともかくも引き受けた。


てことで、またしてもトラブルが手に負えなくなりそうな所で二宮くんは桑原に
話をふる。前作『破門』で、組から破門されている桑原は一応は今はカタギで
それでも強面、イケイケの度胸は全く変わらない。
話が、最初の単純な揉め事の手打ちのための仲介じゃすまない裏があるとわかって
きて、桑原さんがまたぐいぐいどんどんイケイケで、金ふんだくってやるって
なって、また刺されたりもあって、さすが面白いっ。

前作から半年後くらいの時間かな。二宮くんとの付き合いは5年になる、って
ことらしい。作中時間はそんなもんかあ。二宮くんはこの話終りの時点で40の
誕生日を迎えるところ。桑原さんは41歳らしい。
年やから、といいつつ、バリバリぐいぐい、凄い行動力で話も一気に読めて
すごく面白かった。
政治家やら秘書やら、やってることがえげつないっつーか、利権利権、ごり押し
の秘密の金設けまくりで、こわいわ~。まあもちろんこれは小説ですが。

このシリーズは主役側二人も全く正義の味方みたいなことじゃなくて、ヒドイし
桑原はヤクザでなんだかんだ二宮くんもクズでな~。それがさらに汚いとこから
なんとか金を引っ張り出す。読んでると桑原さんかっこいいわ~二宮くん可愛い~
結局なんだかんだ二人で組んでいっしょ設けたろ、ってのが楽しいんだろーっと
面白いけどねえ。こんなん絶対無理な世界だわ。

で、二蝶会は頭の代替わりになるとのことで。桑原さんの復帰となりそうな終り。
疫病神の復活、ってことで、またシリーズ、新作は出るんだろうなあ。
前、破門になった時にはどうなるんだ、って心配したけど。まあ元気そうで
なにより。二宮くんと桑原さんの会話やっぱめっちゃ面白い。どこまで続くのか、
また新作を楽しみにしよう。

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『瀬戸際レモン』(蒼井杏/書肆侃侃房)


『瀬戸際レモン』(蒼井杏/書肆侃侃房)

蒼井杏第一歌集。2016年6月刊。

ですます口調というのか、丁寧語というか、そっと書いて置いたみたいな歌が
多いなあという印象の残った歌集です。
世界に居場所がなくてごめんなさいここはどこですかここにいてもいいですかと
小さくなったりしてるんじゃないかなあという姿を思った。
いいよいいよ、別に大丈夫だよ、と、私が思うのは全く無関係で無神経なこと
なんだけど、大丈夫なんだよとこの歌集の中の子に伝えたくなる。

  わたくしを全消去する はい/いいえ 夢の中までカーソルまみれ (p16)
  なにをしてもおこられるときわたくしは夢の中でもプリンをこぼす (p37)
  目のふちにびっしり鳥のとまる夢わたし行けないあらゆるいけない (p47)
  申し訳ございませんと繰り返す夢を見た日の、はやいなあ、雲 (p54)
  (なんでわたしこんなところにいるんだろ)って夢からはやく覚めたらいいのに (p89)

夢の歌。物凄い悪夢というわけではないけれども、じんわりと窒息しそうで、
夢から覚めたいという願いは、夢の中だけじゃなくて起きてても、で、ちゃんと
時々空も見上げるといいねと思う。

  このひとはもういないのだと思いつつあとがき読めば縦書きは、雨。 (p27)
  あたしもうだめかも なんて かめパンの首・尾・手・足 じゅんばんにもぐ (p34)
  夏草に影を落としてぼうと立つ指切りしたのにね ゆび きり (p41)
  百円のレインコートをもとどおりたためるつもりでいたのでしたよ (p45)
  ほらできない ご自愛だとか じゃがいもがうっすらみどりになってゆきます (p50)

どうしようもなくやるせなくさびしくちょっとうつむいている感じの歌。
かめパン、亀の形のパンですね。その細部をもぎとって、食べる。ちょっとずつ
損なわれ傷つけられもうだめかもしれない「あたし」がかめパンなんだよねえ。


  拝啓のつづきをひねもす考えて潮騒になる窓辺のラジオ (p19)

春の海ひねもすのたりのたりかな(蕪村)っていうのを連想するので、平和な
気分を味わいつつでも手紙に何をどう書けばいいのか思いつくことができない感じ。
実際に海辺にいるわけではないのだろうと思うんだけど、明るい海辺の窓際という
感じがする。好きだなあと思った歌。


  ともかくも今の幸せ享受するレジ袋代五円を払って (p66)

レジ袋代五円を払って享受できる幸せ、かなあ。たぶんとてもささやかな幸せ。
スーパーで買えるくらいの小さなこと。でも大事なこと。今生きてくってこれ
くらいかなという実感を思う。


  そうですね ちょうどことりの首ほどの苺をまみずであらうくるくる (p82)
  そうでした 秘すれば花で物干しに首のないシャツきちんとならべて (p84)

苺が小鳥の首になる。洗濯物のシャツは首なし。なんでもないことが喩によって
不気味な気配を帯びるのが素敵でした。


  ものさしを落としてしまってフロアーにさかさの数字がはねたのでした (p96)
  それはそれはよかったでした夕刊をつばさのようにばさばさたたむ (p111)
  スポンジにふくませたみず はなびらの切手をまっすぐはるのでしたよ (p128)


この歌集の中で特徴的に感じた、丁寧語がなんだかヘンに使われて印象に残る感んじ。
ふわりとやさしい手応えを感じるんだけど、その中に小石がひっかかるような。

落っことしたものさしが跳ねたのを「さかさの数字」と捉えたり、多分いいニュース
を読んた夕刊を「よかったでした」とちょっと突き放す感じ、ことさら慎重に
切手をまっすぐ貼ろうとしたこと。

ほんとうに、この歌集の中に描かれる、なんでもないことがなんだか大変になる
感覚が、かなり辛い、だけど辛くて当たり前、みたいなのが、よく伝わってきた。
私はもうこういう感じでずっといるのは通り過ぎたと思うけど、どうかなあ。
自らのことを考えてしまう歌集でした。

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『新装版 桜森』(河野裕子/蒼土舎/ショパン)


『新装版 桜森』(河野裕子/蒼土舎/ショパン)


河野裕子第三歌集。昭和55年(1980年)に出たもので、この新装版は2011年に
出たもの。
河野裕子、1946-2010。作者30代始め頃の歌集ですか。
私は不勉強にしてお名前といくつか有名な歌くらいしか知らなくてちゃんと歌集と
して読むのはこれが初めてです。

一読しての印象は、濃密な歌集。
沢山の「われ」が歌われていて、どれもがずしっと絡みついてくる気がする。
重力が重い、本当は月の住人なので地球の重力がつらい、水に溺れる、人間の
肉体にうまく馴染めない、でもこのわたしの身体に、私の男に、愛憎愛着は
たっぷりとある。
そんな感じがした。
写実的なようであり、でも常にはるばると遠く深い幻想が重なっている。
一首一首、とてもさらりとは読み流せない迫力があった。


  たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり(p8)

これ、とても有名なやつですね。この歌集の巻頭の歌だったのか。
作者自身が近江の地すべてを抱いている壮大さを感じる。昏き器だもんなあ。凄い。

  われはわれを産みしならずやかの太初吾を生せし海身裡に揺らぐ
   (p21、ルビ「太初はじめ」「吾あ」「生な」)
  花や藁乾きてゆける陽の下に血の壺のやうに重たきわれは(p25)
  地に直に触れゐる部分のやはらかさ裸足といふこと私といふこと
   (p30、ルビ「直ぢか」)
  この髪膚われを包みてわれとなすこのぐにやぐにやの湯の底のわれ(p31)
  ちちははも君も子も重し月あらぬ湯の底のわれ更にも重し(p109)
  登りても登りてもなほ坂は坂われみづからを灼く血が苦し(p114)
  肉が肉押しわけてゐる雑踏にどつとかなしきわが乳房なる(p124)
  ほしいまま雨に打たせし髪匂ふ誰のものにもあらざり今も(p164)
  ざつくりと朝より裂けてゐる空に肩さし入れて朝より憂鬱(p204)

いくつか、われの身体感覚の歌。自分が自分を産んだかも、太初の海を自分の裡に
あるという感覚。重たく血が詰まった器である自分。髪や肌の歌もたくさんあって、
愛着はあるけれどもただ綺麗なものっていうのじゃなくて、自分を閉じ込める
肉体、という憎悪も秘められている気がして、苦しい。この、苦しさ、でも
苦しさばかりでもなくて、愛着。こういうあやうさが魅力なんだろうなあ。
わたしはとてもこわい。こういう愛着には圧倒されるしかない。

今、読むと、作者が乳がんを患って亡くなられたということも知っているので、
どうしてもそのことを思ってしまう。
そういう病にこんな愛着持っていた自分の身体が奪われていくのって、すさまじい
ことであったろうと思う。晩年の歌集はまだ読んでいないけれども。絶対圧倒される
だろうから読むのこわい。歌つくるというのは、一旦突き放す行為だから、
こんな歌を若い頃からつくれる人なんだから、凄いに決まってるよなあ。こわい。

   「花」
  ほのぐらき桜の森に棲み待ちて胸乳ゆたかに花浴みゐたる(p38)

「花」の一連はタイトルにしている桜の森の中の幻想世界。鬼が出てきたりで
とてもうつくしくて物凄くかっこいい。


  ゆふがほのひかり寂けき傍らに花より冥くみづは匂へり(p83)

これは比較的さらりとした歌だと思う。美しくてそれでもこんなに水が生々しくて
惹かれた


  死者のみを切なく愛し蜜こゆき白桃無惨に夜ふけに喰へり(p112)

無惨に食べられる蜜の濃ゆい白桃かあ。直接ではなくてこんなにもエロティック
なのがとても素敵。好き。

  ひたぶるに夕日の坂は傾斜せり喉のくらがりが血まみれなり(p139)
  睡さうな生首どもをひとつづつ夕日の納屋の棚からおろす(p140)

「首(かうべ)」という一連から。
首を切り裂いて生首を沢山持ってる。という世界になるのかとても惹かれた。
私がわからないだけで聖書とか的になんかあるのかなあ。サロメとか。黄泉の国?
バカですみません。わかんないけど、こういう感じは私の好みど真ん中。凄い。

  君が指をつたひて落つる血の雫かくまざまざと君が血を見る(p72)
  羞しさや 君が視界の中に居て身震ふほどに君が唇欲し(p181)

「君」を思う歌もいくつか。でも淡い相聞とかではなくて、ぐっとリアルに
血肉があって、欲しい、という激しさがすごい素敵。


  身一つにありし日日には知らざりき日向にても子を見喪ふことを(p174)

子どものことを歌っているのもいくつか。子育て大変そうだなあと伝わってくる。
上にひいた歌は比較的穏やかで、日向の中での不意の不安が切ない。

読んでる間ずっと歌集の中に呑みこまれて、読み終えてやっと呼吸した、って
感じに圧倒されてしまった。作者の壮大な器。濃密です。

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『ジャコメッティ』(矢内原伊作/みすず書房 1996年刊)


『ジャコメッティ』(矢内原伊作/みすず書房 1996年刊)


ジャコメッティの、あの細くひょろ~~~っと長い彫刻は印象的で、何も知らない
ながらも好きなだなあという思いはある。
ジャコメッティ展やるらしいと先日知って、せっかくなのでちょっと予習して
みようかなあと、読んでみた。
矢内原伊作のことはもっと何も知らないんだけれども、何度もモデルをした
日本人、ってくらいの感じで読み始めたのです。が。
すっごい!これめっちゃ面白い!!!!!

「ジャコメッティとともに」
「その後のジャコメッティ」
「ジャコメッティからの手紙」
「ジャコメッティについての日記・手帖」

写真もいくつかあり。矢内原、こんな顔なのかあと思う。ジャコメッティが
描き出そう作り出そうと苦悩した顔。

パリに留学していてもうすぐ帰国、帰国の前にはかねて憧れの中東旅行しよう、
エジプトにはぜひ行かねばと計画している矢内原。肖像画を描いてくれるなら
ありがたいなあ、ってくらいの軽い気持ちでモデルを引き受けたものの、
ジャコメッティはヤナイハラの顔を描き出すことに尋常じゃない情熱を傾け、
苦悩しながら描き続けるその執着にひきずられて、旅行の計画はずるずると
伸ばし、中東戦争勃発でさらに帰国は伸び、結局数日のつもりのモデルを
二か月以上も続けることに。

途中出てくる交友関係もなんだがゴージャスで、サルトルとかジャン・ジュネとか。
1956年ごろのパリって、こんな感じだったのかなあというのを知るのも楽しい。

で、帰国してからも夏休みの旅に出かけていって、ポーズする矢内原。
この二人の蜜月の記録、すごい。

芸術家はモデルを捉えて作品にしようと苦悩しながら芸術を高めていく。
モデルは囚われながらも超然とポーズし続けて、見つめられながらも芸術家の
苦悩を見つめ返している。
互いが互いの王であり奴隷であるという、この、称賛と絶望の振れ幅の激しさ、
執着、尊敬と愛情。
この素晴らしい二人の世界は、恋と呼ぶしかないでしょう。らぶらぶキスして
だとかいうのとは違うけれども、こんな風な二人の絆に名前をつけるなら、
それは恋でしょう。

芸術家と、哲学者と。すごい二人の世界をこうして書き記し残してくれてよかった。
矢内原さんありがとう;;

あまりに素晴らしくて、感動して、もえころげて、嗚呼~今まで読んだこと
なかったなんて自分の馬鹿っと思い、でも今これを読むことができてしあわせっ、
と感激し。最高の読書体験しました。
好きだーって付箋つけまくって、書き写してたら一万字くらいになったよ。
好き。好き。素晴らしい。面白かった。

少し、書き写した一部。胸きゅんすぎるでしょ。


 「「写生からやり直さなければならない、私はこういう風景が描きたい、
 それはどんなにすばらしい仕事になるだろう。ああ、したいことが多すぎる。
 彫刻もしなければならないし、きみの顔も描きたいし。」
  アトリエの前まで来てぼくは別れた。別れるとき彼は、「数日中に来てくれ
 ないか、きみの顔が描きたいから」と言った。」(p14)


 「はじめてモデルになるぼくは緊張し、かたくなっていた。自分の首がどちらに
 傾いているのかわからない。「そうだ、それでまっすぐだ。動かないで。」
 やっと彼はそう言い、すぐ鉛筆を動かしだした。「美しい」とか「すばらしい」
 とか嘆声を発しながら。それが何を意味するのか、はじめぼくはわからなかったが、
 それは僕の顔のことなのだった。「デッサンするにはあまりに美しすぎる。」」(p22)


 「「いや光のせいではない、自分にはよく見える、見えるがそこに達しないのだ。
 見えないのはヤナイハラではない、ヤナイハラをとらえる方法だ。」それからまた
 しばらく仕事を続けたあとで、「美しい、すばらしく美しい。」「ワグナーが?」
 と訊く奥さんにジャコメッティは少しおどけた調子で、「ヤ・ナ・イ・ハ・ラ」
 と一言ずつ切って答えた。ぼくはこんなふうに言われるのはむろん初めてだから、
 なんとも妙な気持ちだが、ひたすら無念無想を念じ、表情を少しも変えないように
 努めた。」(p23) 


 「「この顔は充実性と重さをもっています」と言うと、「そして同時に軽さもだ。
 頭ほど重く、そして同時に軽いものはない。それは山のように重く、それでいて
 船のように軽々と空中に浮いている。どうしたらそれが描けるか。」そう言って
 彼はぼくの顔をまじまじと凝視し、まるでぼくにたいして怒ってでもいるかの
 ような声で、「きみは私に恐怖を与える」とつぶやいた。」(p51)


 「「あなたはあまりにもペシミストでありすぎる。」とぼくは少し怒ったような
 声をだした。「毎日進歩している癖に駄目だ駄目だと悲観ばかりしているでは
 ありませんか。あなたが自分の仕事を駄目だということはポーズするぼくの努力が
 無駄だということですか、ぼくはそうは思いません。第一、今日のタブローは
 昨日よりも進歩しているではありませんか。」「昨日にくらべれば無論遙かに
 進歩している」ジャコメッティはぼくの見幕に驚いて言う。(p74-75)

 そして哀願するように、「きみは、いつでもポーズをやめる自由をもっている。
 しかし明日もう一日だけ続けさせてくれ、明日もしもうまく行かなければ私は
 もう二度と絵を描かない。」「明日も明後日も来ますよ」とぼくは答えた。
 「ぼくがポーズするのは、あなたに依頼されたからでも肖像画が欲しいからでも
 なく、ポーズしたいからするだけです。肖像画ができなくてもかまいません。」
 「きみはかまわなくても、私はかまう。どんなことがあっても明日はきみの鼻を
 つかまえなければならない。ああこの鼻。」そう言って彼は腕をのばし、
 その太い指でぼくの鼻を強く突いた。」(p75)


 「ぶつぶつ言っているジャコメッティを奥さんがなだめ、三人で会場に着くと、
 いろいろの人がジャコメッティに、「この頃はどこにも姿を見せないが一体
 どうしたのだ、もうスイスに出かけたのかと思っていたが」と言う。そのたびに
 彼はぼくを顧みて答えた。「この日本人につかまっているのでどこにも出かけ
 ない、自分は今ムッシュー・ヤナイハラの奴隷なのだ」と。「とんでもない、
 ぼくのほうこそ奴隷ですよ」とぼくは笑う。そんなジャコメッティとぼくを見て
 人々は怪訝な顔をしたり微笑したりした。」(p101-102)


 「なおも休みなく描き続けながら、「ああ、せめて一年間こうしてきみの顔を
 描き続けることができたらいいのに」と彼は嘆息する。そして、「私はルネッ
 サンスや近世初頭の宮廷のお抱え画家が羨ましい。もしもきみが王様だったら、
 私は一生傭われて王様の肖像画を幾つも幾つも描くのだが。」「召使いのように
 傭われて王様の顔ばかり描かされるのはむしろ悲惨ではありませんか。」
 「悲惨どころか、それこそ最も理想的な境遇だ。」「報酬はひどく悪いですよ。」
 「報酬などはいらない、台所の隅で下男と一緒に食べさせて貰うだけで沢山だ。
 もしも王様がポーズするのにあきたら、家来にポーズさせて顔の描き方を研究
 させたらいい。他の何ものにも煩わされずに一つの顔を一生描き続けることが
 出来るということ、これ以上の境遇は望めない。」」(p125)


 「時間がたつにつれてジャコメッティの仕事ぶりは殺気だってくる。身をよじり、
 叫び、地団太をふむ。「これ以上この不条理な仕事を続けることは狂気の沙汰だ。
 そうだ、これは確かに狂人の仕事だ、王様は御用画家を変えたほうがよくは
 ないか」と彼は言う。「私が王様だとしたら」とぼくは言った。「この仕事を
 続けることを命令します。」「そうか、それで安心した。王様の命令ならば
 仕方ない、もう私はきみに同情したりはしない。私は王様の命令に服従する
 奴隷にすぎず、仕事の結果がどうであろうと、その責任は王様にあるのだから。」
 「いやいや、私のほうが奴隷ですよ、毎日ポーズをさせられて。」こう言って
 しまってから、これは失言だったな、とぼくは気がついた。人を強制して何かを
 させるということほどジャコメッティの嫌いなものはないからである。案の定、
 彼は幾分むきになって、「私はきみを強制したりはしない、きみはポーズを
 やめたければいつでもやめられる。私の運命はきみの掌中に握られているの
 だから、やはりきみのほうが王様だ」と言い張った。王様はジャコメッティが
 描こうとするぼくの顔そのものであり、彼とぼくは共にその奴隷、ただし自由な
 意志でこの王様に仕えることを選んだ奴隷なのだった。」(p127)


 「 疑いもなく、彼の名前と作品は、二十世紀の輝かしい記念として後代に
 のこるだろう。だがそれが何になるか。「もう少しの勇気を!」その絶叫は
 彼の彫像のように、凍りついて宙に浮かんだままだ。こんなバカなことが
 あるだろうか。重い気持ちでこの原稿を書いているとき、夫人のアネットさん
 から長文の電報がとどいた。ではやはり彼は本当に死んだのか、私のアルベルトは。
 私は私自身が死んだように感じる。」(p172)


 手紙
 「 きみは知っていない、私の極めて親愛なヤナイハラよ、私のためにきみが
 どれだけのことをしてくれたのかを。われわれのすばらしいアヴァンチュールは、
 一昨日以来、われわれはあくまで自由であって欲する時にまた会うことができる
 ことを知っているということだ。しかしいまは、まだきみがここにいるかの
 ように思われる。今日はこれのみ、近いうちにまた書こう。   
  きみの アルベルト・ジャコメッティ 」  (p178)


 手帖
 「九月八日 木曜日
  午後五時、胸像。
 呻きながら仕事を続け、時に叫ぶ。
 G「オー! ヤナイハラ、ヤナイハラ……」
 しばらくして、
 G「キリストは十字架の上で何と叫んだか、エリ、エリ、レマ、サバクタニ
 {わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てですか}、私はヤナイハラに助けを
 求める、助けてくれ!と」
 Y「ぼくは何もすることができません」
 G「私を助けるのはきみだけだ、きみを除いてはだれもいない」」 (p247)


  愛の話。
 「G「私はヤナイハラを熱愛している」
 Y「仕事のゆえです」
 G「いや、そうではない」 (p259)

 きょうは早くやめると言っていたが、「あと五分」と言いながら、結局午前
 一時近くまでやる。
 ジャコメッティのモデルをすることは、戦慄、眩暈、驚愕、感嘆の連続だ。」
 (p259-260)


 「 タクシーの中でも彼は仕事のことで興奮して喋る。あまり彼が絶望して
 いるので、こちらもイライラして、とうとう大きな声で怒鳴ってしまう。
  食事の終り頃に宇佐見来る。
 G「絶望だ、悲しい、無念だ。私は眠りたい、しかし同時にそれを嫌悪している」
 Y「ぼくにどうしろ言うのですか。悲しい人を見るのは悲しい。あなたは無念で
 ある筈がない。きょう、あなたは仕事をした。明日もするだろう。何が悲しい
 のですか」
 (ぼく、興奮する。)
 G「そう怒るな。むろん明日がある。私は今晩のことを言っているのだ。それに
 私の言ったことは、全部が嘘なのだ。それはこの前も言った通りだ。私は満足
 していると同時に不満足なのだ。それに、頭の中に浮かぶことを口に出しては
 いけないのか」
 Y「いや、口に出して言う権利があります。ぼくが大声を出したのは、あなたを
 勇気づけるためです」
 G「私は愚かだ、いつも軽はずみなことを言う。ヤナイハラは正しい」
  ぼくらは疲れていた。感じやすく興奮しやすくなっていた。午前三時、
 疲れて外に出ると、暗い舗道は雨に濡れ、冷たい雨が降っていた。その雨の中
 に二人、しばらく立ちつくす。
 別れ際にGは、ぼくの頬をなで、「われわれがきょう敗北したことを忘れては
 ならない。ワーテルローの戦いで敗北したとき、ナポレオンは悲しかった
 だろうか」と言った。ぼくは感動し、何も言えなかった。「ぼくらは敗北したの
 ではない、むしろ勝ったのではないか。少なくとも戦いはまだ終わらない」と
 考えたのは、Gが雨の中に消えて行くのを見送ったときであった。ぼくは
 ホテルに帰った。なぜかセンチメンタルな夜だった。帰国の日が迫っている
 せいもあるかもしれない。」 (p263-264)

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『岸』(岩尾淳子/ながらみ書房)

『岸』(岩尾淳子/ながらみ書房)


岩尾淳子第二歌集。

今月出たばかりの歌集。
ていねいな、うつくしいゆったりと優しい韻律の歌が並んでいて、とても心地よく
読めた。教師の仕事、街を眺め歩きあちこちを訪れること、身近な家族、誰か
との小さな触れあい。何気ない日々の中に作者が見出す瞬間の鋭さが詩になって
歌い止められている。はっきりいって全部がいいので、どれに付箋つけるか
やめるかわからなくなってしまった。私ではこの歌集読み切れてないと思うけど
全部いいですさすがです。

いくつか、なんとか選んだ好きな歌のこと。


  校舎から小さくみえる朝の海からっぽの男の子たち、おはよう(p11)

歌集の最初の歌。海が見える心地よい景色を遠目に、目の前にいるのは多分
生徒である男の子たち。その男の子たちを「からっぽ」と見ているのがすごく
不思議であり面白かった。男の子が光にとけてしまうみたいに感じる。


  忘れられ誰のものでもなくなった傘りんりんと夜に光れり(p14)

学校の傘立てにぽつんと残った傘があったのだろう。夜にはその傘がりんりんと
光る。蛍のように青白く仄かに光るのではないかと私は思った。誰のものでも
なくなって傘自身が息づきはじめるようなイメージがとても素敵だ。


  制服を着るのを忘れて来たというおおかた忘れていいことばかり(p16)

これは面白くて。制服がある学校なのだと思うんだけど、登校してきたのに
制服忘れて来るか???とうっかりにもほどがあると思うと同時に、わざとなの
だろうか、むっと黙り込む思春期反抗期な子どもの姿なのだろうか、と思う。
それとも普段は私服オッケーで、なにかしら行事のある日だけ制服、みたいな
所なんだろうか。わからないんだけれども。でもそれを「おおかた忘れていい
ことばかり」とゆったりと一旦受け止めている感じがほわっとしてよかった。


  おとうとにやさしくするよ七夕の電車の窓に平仮名を読む(p23)

電車の窓にはあっと息をかけて、「おとうとにやさしくするよ」と淡く書き
残されていたのだろうかと思う。弟がいるお兄ちゃんもまだ子どもなのだ。
お兄ちゃんなんだからやさしくしなきゃ、って、ぎゅっと我慢してる気持ちを
言わずにやさしくするっていう決意を書く、可愛い兄弟の姿を思った。七夕の
日ということで、願いでもあるのかなあ。すごく物語な世界が広がる歌で
とっても可愛くて好きです。


   「声」米口實先生ご逝去
  死んだのですねどうやって死んだのですか脳とか肺とか声とかは(p47)

師への挽歌の一連。一首目のこの、知らせを聞いても受け入れがたい感じがとても
迫ってくる。声、に焦点を絞っていくのも作者のリアルを感じた。


  うつむいて胸の釦を嵌めてゆく身体がなければもういない人(p61)

釦を嵌めて体を確かめて、服に包むことで身体を辛うじて保っているかのようで。
身体をなくした人のことを思い、今身体がある自分のことを思う歌だと思う。
しずかに寂しい。


  少年はあかんかったとのみ言いき動かぬ影をわれに重ねて(p76)

野球部の生徒の少年なのかなと思う。鮮明に光景が浮かぶ。「あかんかった」と
いう生の言葉、声が聞こえてくる。何も言えないけれど少年よ、頑張ったんだな。


  輪廻してゆく人たちが乗り合えるバスにちいさな運賃の箱(p118)

バスの乗客を「輪廻してゆく人たち」と捉えた瞬間に詩になり歌になっている。
バスが三途の川へ向かうようになってしまうし運賃の箱には六文銭を入れるの
だろうか。バスに乗ってどこかへ行くなんてほんとうに何でもない日常なのに
ぐにゃっと異世界に変わるのが凄い。


  筆先が紙にひらいてゆくように思いを声にすればよかった(p162)

筆で紙に文字を書いてる書道の時、と最初思ったけれど、絵を描いている所かも
しれないなあ。どっちにせよ、静かに筆を使っているときに不意に思う、ちゃんと
声にすればよかったのに、という言えなかった事。こういう感じ、わかる、と
思わせてくれる。


  それぞれの暮れゆく海に触れぬよう離れぬようにあたなと歩く(p80)
  自転車を水辺の柵に凭れさせ二人はちがう島を見ていた(p178)
  「少し呑む?」「ああ少し呑む」あてどなき心だけれどひとりでもない(p191)
  わたくしに弔う人のあることの沖に届いているひつじ雲(p196)
  いつかあの岬へ行こうと君はまた思い出みたいに「いつか」と告げる(p209)

誰かと二人でいるふわりと甘い気配のある歌。相手は家族だったり誰かだったり、
明確に私にわかる人物ではないのだけれども、大事な人なのだろうなと感じさせて
くれる。側にいて、一緒にいて、それでも互いに別々であることが歌われている。
こういう距離感いいなあと思った。

あとがきに、神戸の街をよく歩くようになり、と書いてあって、そして阪神淡路の
震災のことを思う歌もあった。私は当事者というわけではないが、切々と感じる
ものはあって、大きな災害の巨大な喪失を思う。
穏やかにうつくしい歌集でした。

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『かぎしっぽ ふれふれ』(茂木敏江/私家版)

『かぎしっぽ ふれふれ』(茂木敏江/私家版)


茂木敏江第一歌集。
二五年間、続けてきた短歌を選びまとめたものだそうです。
表紙からしてとても可愛い猫の写真、猫の足跡のイラスト等で手にした時から
にこにこしてしまう。


  舞えよ舞え車道に舞えよ桜花モヤモヤさんを散らしておくれ(p10)

歌集の最初の歌。「モヤモヤさんを散らしておくれ」という表現に、作者の
人柄に触れる気がした。もやもやした心地を憂鬱に歌うのではなく、ユーモアに
呼びかけるように表していて好感が持てる。


  蜘蛛助の語源を語りタクシーの運転手らと乗客を待つ(p18)
  料金を払わずに降りし乗客の残しし住所は偽物だった(p23)
  くしゃくしゃの千円札を投げよこす乗客なりし着飾る女(p23)
  暗闇のタクシープールに客を待つ計画停電に大き月あり(p27)
  横断に笑顔で手を振る幼女なり停車の吾も手を振り返す(p35)

作者はタクシー乗務員であると序文で紹介されている。その仕事の毎日の様々な
出来事が歌われているのが面白かった。震災の頃の歌もある。街を走りまわり、
いろんな人を運んでゆく。時に踏み倒しにあったり身の危険のようなこともある。
切実なリアルが見える歌には強い力があった。

蜘蛛助って私はいまいちピンとこなかったのでぐぐってみると

「くも‐すけ【雲助/蜘=蛛助】 の意味 出典:デジタル大辞泉
《浮雲の行方定めぬところからとも、また、客を取ろうとクモのように巣を張って
いるところからとも》
1 江戸時代、街道の宿駅や渡し場などで、荷物の運搬や駕籠 (かご) かきなどを
仕事としていた無宿の者。
2 人の弱みにつけ込んだり、法外な金銭を取ったりする者を、ののしっていう語。」

ということで、タクシー運転手のことを悪く言う言葉でもあるらしい。
こういうことが雑談に出たりするんだなあ。それを作者は歌にするのはやはり
言葉に敏感だからかなあと思った。

  「困ったことあれば言えよ」と父は言う鼻から腸に管を入れつつ(p41)
  弟は家内安全の吾が札に猫しかいないではないかと言う(p50)
  冬物の衣類それぞれに名前書く施設に入る母の持ち物(p61)

家族の歌。父はこんなにも父なのだなあというのが切々と伝わってくる。
弟とのやりとりは大変だったり面白かったり。母の老いを見つめて心を寄せて
いる様はかなしくもやさしい。持ち物に名前を書く、という行為はたぶん子ども
の頃には母からしてもらったことなのではないか。それを自分が母にこうして
いるということは、今、とてもよくわかると思う。


  バス亭に何度もバスを見送りて今日も老女は誰を待ちいむ(p78)

バス停に今日も老女がいることを、バスには乗らずにいることを、作者は見て、
心をよせている。何もわからないけれども過不足は感じない。切なさの情景
が見えてくる。


  花粉症の猫のノンノと吾なりき小さなクシャミと大きなクシャミ(p108)
  硬直し初めて吾に触れさせし野良猫レオを葬る朝(p121)

猫を飼っていて、猫が可愛い歌。私も猫大好きなので、にこにこして読ませて
もらった。猫も花粉症になるかなあ。一緒にクシャミをしているのがとても
可愛かった。
作者は野良猫のことも気にかけている。やっと触ったその猫の身体は冷たく
なっていたのだろう。小さな命の儚さを思う。

家族や猫や絵や思い出の写真もつまった大切なものがとてもよく伝わってくる
歌集でした。

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