『歳月の庭』(加藤ミユキ/ながらみ書房)

 

『歳月の庭』(加藤ミユキ/ながらみ書房)


 第七歌集。2020年9月刊。2007年~2019年まで、目次がある。その期間の作品からまとめた歌。「年齢では、七十九歳から九十一歳に当たります」とあとがきにありました。すごい。

 日々の出来事が丁寧に描かれていて、いろいろなことをおっとり教えてもらっているような気持ちで読みました。自転車で転んじゃったりしたんだな、そういえばうちの母もこの前自転車で転んで、車輪ちょっと小さめの電動アシスト自転車に変えたっていってたなあ。なんて、歌を拝読しながら、自分のこともあれこれ思うのでした。
 お子さんのこと、お孫さんのこと、何より夫のこと。家族を大事に暮らしてらっしゃるのだということがよく伝わってきます。季節の移り変わりがあり、庭の様子なども一緒に見ているかのように感じられました。


 いくつか、好きな歌。


  剪定をせし中庭は明るくて蟬の居場所をふとも危ぶむ (p29)

 剪定して明るくなった、と見る庭に、蝉のことをちょっと心配している。お、そういうことを気にかける作者なのだなあと、優しさが伝わってきて、いいなあと思いました。


  吾が編みし小さき布団に眠る猫陶製なれば起きることなし (p33)

 するすると読んでいて、え、陶器の猫なんだ、と小さな裏切りにあった気持ちがして面白かったです。そして陶器の猫に小さい布団編んでおいてるんだという風情に可愛いなあ、優しいなあと、びっくりからにっこりの気持ちになりました。


  三人子の齢かぞへる誕生日私の生命たうたうと在る (p59)

 子どもが三人いる、そのことを、その子がいる今を、「私の生命」と感じるのですね。私は子どもがいなくてまるで思ったことのない感慨なので、ああこんな豊かさがあるんだなあと、不思議で新鮮な思いがしました。


  つれだちて秋色の森見ずなりてはや幾年ぞいよよ夫老ゆ (p75)
  山車にのり笛吹く息子眺めゐる老いさらばへし夫の眼は父 (p89)

 老いと病とある夫との日々、でしょうか。常に寄り添って、夫を思い、夫を見つめている作者の視線があります。息子を晴れがましく眺め、それを見ている夫を見て、その眼をやっぱり父親だなあと思って。家族のつながりを大切になさっているんだなあと伝わってきました。


  『うたびとの日々』に顔出す母われの名古屋弁丸出しのページはとばす (p98)

 くすっと笑ってしまった一首。息子に描かれる母である自分の姿がいまいち気に入らなかったのかなあと思いました。いやあるいは嬉しくて照れくさくて読めないわ~ととばすのかな。何にせよ、息子の本に登場する母、も、書かれた母である作者からの歌もあるのってすごいです。


  「ミユキです」夫の耳にもの言へど応答もなきに再び三度 (p125)
  言葉なく暗闇の道ひた走る車の内に吐息は満ちる (p126)
  まだ温みある手を握り夫をよぶ生涯に二度となきわが声音 (p127)

 「夫」という一連。最期にあうところ。すごく臨場感ある歌が並んで、切実な思いがとてもよくわかります。こんな風に描くことができるんだな。歌人だなと思いました。「生涯に二度となきわが声音」という表現が凄くて、そのかけがえのなさ。逝ってしまった夫を呼ぶ、生涯だた一度の自分の声。凄いです。


  生前の夫の食事の時間帯今もくづさず夜の盃も (p130)
  傍らに人居るごとき手のかたち夫はまさしくわが横にゐる (p143)

 体としての夫は亡くなっても、夫とずっと暮らしているのは同じ、という気持ちが伝わってきます。歌集ずっと、夫といるという作者の気持ち、暮らし、姿があって、長く連れ添い、心ひとつということなのだなと、胸をうたれる思いでした。


  店の前坂ありいつも「がんばれ」の歌口ずさみ吾を励ます (p177)

 よいしょっという気持ちがすごくわかる~って思いました。がんばれの歌を口ずさむというのが素敵です。こう、日常の中でちょっとずつ何かのたびに自分を励ましながら、なんか無理矢理ではなくてちょっと楽しむように、というのがいいなあと思います。私もそうしようって思う。


  なきがらの蟬をひろひて葉の上へ昨日置きし蟬も安らぎてゐる (p186)

 蝉のなきがらを葉の上に置く。きのうも。今日も。正直、私は蝉が転がっているの毎年すごく恐怖で、何もできず遠巻きに通り過ぎるのみなのです。作者のこうした姿、尊敬します。でもやっぱり怖い。すごく印象に残った一首でした。


  美しく夜が明けたりととのへて枕辺に置きし衣に手を通す (p198)

 きちんとした暮らしの姿がとてもうつくしく感じられました。静かな夜明けの気配。美しく、夜が明けるのですね。
 ずっしり重い一冊でした。ありがとうございました。

 

|

『亀さんゐない』(池田はるみ/短歌研究社)

 

『亀さんゐない』(池田はるみ/短歌研究社)


 第七歌集。2020年9月刊。2015年から2020年の間の作品。

 やわらかい言葉で綴られる穏やかな世界。と思うけれど、読むごとに深く厳しい視線の芯があるのもしっかり感じられる。
 70代を迎えられたんだな。お孫さんがまた増えたのだな。なんて、とても親しく感じながら読みました。ほんとは別にお隣さんでもなし、知らないんだけれども、読んでいるととても親しい隣人のように思わせてくれる歌集です。

 ひとはくっきりとひとり。
 そんな風に思いました。さびしいだろう。さびしくはないだろう。自分が生きていること、まだしばらくは多分生きていくだろうということを思いながら読みました。読んでるだけで豊かな気持ちになれた、と、錯覚? でも、そう思えてよかった。 


 いくつか、好きな歌。


  いまわれは何をしてゐるのだらう電話・パソコン・テレビのなにを (p11)

 ちょうどうちのテレビを買い替えたばかりで、ああ~そう、と共感が深かったので。買ってきて電源入れたらおわりじゃなくて、何らかの設定を求められて、なんかとりあえず「はい」決定、とかしたりして。なんだろ……って思って。これからますますわからなくなるのかなあ。もっとするとブラックボックス化して、電源入れるだけでOKになるのか。それはそれでこわいのかな。わからない……。


  足あとがつくほど降つて 足跡を消すほど降つて まだ雪止まぬ (p18)

 すんなりとした一首で、雪が降ってきて積もってきてそしてもっと降って、という時間が見えます。ひらがなと漢字の違いのバランスで後半の方が硬そうに感じられるの、一晩たって一度凍ったのかなとか想像できる。さりげなく、けれど的確に伝わる、こういうのすっごく上手い歌といえるのではと思いました。


  亀さんは大くすのきの下が好き ゆつくりゆつくり来たりしものを (p36)
  亀さんはさびしくないよというてゐた くすのきの影ふかぶか差して (p37)
  甲羅干すカメのあつまるくぢら池 柵にもたれてわれは見てをり (p38)
  白昼にはたらく蟻は音たてず ゆつくり時はすぎゆきにけり (p44)

 「亀さんゐない(平成二十八年夏)の一連から。この亀さんは、手押し車を押してゆっくりあるく高齢の方、とわかるのだけれど、どことなく絵本を読んでいくような、生き物の亀の擬人化のような景色を思い浮かべる風情があって、とても味わいある好きな世界です。途中、これはホントに生き物のカメが甲羅干していたり。蟻を見ていたり。作者の描いてくる世界が日常と幻想のあわいみたいなふんわり感があり。けれど、老いとか、社会批判とか家族を思うとか、いろいろに広がっていて、面白かった。


  すぐそこにくる怖いこと世界中に「壁」を作りていがみあふこと (p51)
  「年取つてひとり」はみんなさうだよとうしろ姿のいふがごとしも (p54)
  老若の壁をひつそり耐へながら亀さんいつしか見えなくなりぬ (p54)
  亀さんのこゑたうとう聞かず そよ風のやうな時間を見せてくれしが (p62)

 その後にも亀さんがゐた姿が描かれています。「壁」は、トランプ大統領になった時のことでしょう。壁をつくる、のは、その後全部実現されたわけじゃなかった、かな。けど、世界の分断は進み、ということを思います。そしてコロナ禍で世界の分断、国の区切りはもっとあらわになったな、と思ったり。
 亀さんの姿に年を取ってゆく自分、を、作者も読者の私も重ねます。社会のスピード、あわただしさの中でひとり歩くゆっくりさが。邪魔にされるかもという怯え、でも一人一人の歩む速さはちがっていて当然だよねと思う。
 あれ、亀さんの声をきかない、って、話したこともないのかな、と思う。あとがきによると、ただ町で時折みかけただけの人、とのことで。そういうすれ違うだけの小さな縁から、こういう歌たちがうまれているのってすごいなと改めて思いました。


  ひとの世にひとりでママが育ててる女の子ゐて歌会にくる (p96)

 「子ども」という一連で、最初はパンダの赤ちゃん、シャンシャンが生まれた、可愛いね、という始まりから、上記の一首があり。パンダの赤ちゃんに浮き立つニュースのことを思い、そこに費やされる人、金があり。それはそれで、よしとしても。赤ちゃんパンダ、可愛いものね。
 でも一方で、子育てをする人の世のやるせなく世知辛く大変すぎる、時に惨いニュースのあまたあることを思い。一連、やわらかくやさしく歌われているのだけれども、この一首、本当に切実に鋭く深く刺さってきて、今また見ても目の奥が熱くなって泣きそうになって困るのでした。泣かないけど。泣くほどわたしはわかってないと思うけど。


  七十の新婚だつた岡井さんを知らんふりして見てゐしわれら (p110)

 七十で新婚だったのかあ。そういう時に何かでご一緒してて、ちょっとうふふと思いつつみんな大人なので、知らんぷりしてる、という情景でしょうか。作者が七〇になって、思い出した、という事でしょう。そういういろんな情景教えて欲しい。


  三月は七十代の一年生さつそくに傘置き忘れたり (p117)

 「三月生まれ」という一連。お誕生日が三月にあるのですね。傘を忘れちゃった、という事がユーモアで描かれていて、でも多分これまでにだって誰にだってそういうことはあると思う。「七十代の一年生」というちょっとした言い訳でふふって思う感じが、いいなあと思います。


  「まだやのに きふにあつうて満開になつてしもてん」はにかむ桜 (p118)

 桜のことばを代弁している歌。関西の言葉でアテレコしてるのが面白くて、作者の内心の言葉はこういう風な言い方になるんだなあと思いました。はにかむ桜に、あらあらいいじゃない、きれいよ、ってさらに話しかけているんじゃないかしら、と、読んで私の中で作者の会話を想像しました。


  ながあめを連雨と言へばうつくしく草叢のなか水ひかりをり (p147)

 *ルビ「連雨 れんう」  この歌がある一連、葬儀の場のようです。長い付き合いのある方の最期。小さな子もいるちょっとした賑わいもある場の空気が伝わります。そしてこの歌のように、美しい言葉で言える、と、心を自分で少しでも哀しみの暗さからひかりのほうへ向けているのだと思います。一首で読んでもすらりときれいな姿の一首で、ことばの、歌の良さを感じました。


  からだからある日ことりを音がせりさびしさの芯がぬけてしまうた (p149)

 これは芯、というか、栓、のように読んだのだけど。さびしさをせき止めていた器に栓があってそれがおちて、さびしさが溢れてしまう、というような。夫の手術がありひとりの不安寂しさの日々のようで。でも「芯」だから。寂しいとかの気持ちの張り詰める塞がれる感じから、ふ、と力が抜けた、みたいな感じなのかな。うまく読み切れないのだけど、「ぬけてしまうた」という結句の印象にもひきこまれて、あ、なんかこういう実感を覚える時がくるかもしれない、と、わからないけど実感がくるような気がして目がとまる歌でした。


  総武線東中野の駅に降りちよつと探しぬ岡井隆を (p162)

 東中野は未来の発行所がある場所。岡井さん始め、編集委員の方が集まって編集会したりします。多分だけどその編集会に作者が行くとき、岡井さんいるんじゃないかな、と、ちょっと探す感じ、とてもわかる。一連読んでると、あー岡井さんがもう来なくなった時期で編集会でみんなが岡井さんお元気かしらとか話してたあの頃だなあと、わかります。とても、わかる、と思えていい、けど、今はまだ読んでとても、寂しいです。


  口中にするするすするよろこびをもたらすうどん うどんは偉い (p173)

 お孫さん? 一歳前くらいの子どもの離乳食に付き合ってる場かなと思います。が、それでなくてもいい。うどん、美味しい。うどんを食べるよろこび。「するするすする」の表現のあかるさ。「うどんは偉い」という断言もいい。同意です。池田さんのお歌でごはんが出てくると、すごいご馳走じゃなくても美味しそうでいいな~食べたいな~と思います。うどん食べたいな。


  華やかなコロナと思ふかろがろと人から人へうつつてゆけば (p178)

 歌集の終りの方、は、今年の事で。「華やかな」と表現しているのが凄味があると思いました。社会の混乱と不安は非日常感がすごくて、それはなんだか祭りの非日常にも通じるかも、と、思う。勿論違うのだけれど。こう表現してる一首をちゃんと歌集に入れていていいなあと思います。


  すれちがふ人はやや頭を下げくれぬ折れ合ひながら生きてぞゆかむ (p188)

 *ルビ「頭 づ」  二〇二〇年、五月、で、この歌集のラスト。みんなマスクをしていて。大声のお喋りなんかもよくない、とみんなわかってきていて。すれ違う時、気軽に挨拶やお喋りをしない、ちょっと会釈をする感じ、だと思う。お互いに。どうなるんだろう。みんな死ぬのかな。なんて私も思ったことがあり、でも大丈夫だろうって思ったり、でもわからないと思ったり。今もまだ先は見えないですね。「折れ合いながら」おりあう、と同じか。互いに譲り合い、解決していく。「生きてぞゆかむ」という言葉が大袈裟でなく切実であることをわかっています。今、の心が率直に記されていて。こういう歌が、あんなころがあったね、大変だった、と、穏やかに振り返る時がきますように。


 お相撲の歌もまた社会詠であるなあと読みました。あとがきもしっとりした思いで読みました。あとがきの最後に岡井隆の訃報が届いたとありました。リアルタイムを共有した思いで読んだ一冊でした。ありがとうございました。

 

|

『パールグレイの瞑想』(岡田衣代/書肆侃侃房)

 

『パールグレイの瞑想』(岡田衣代/書肆侃侃房)


 第四歌集。2020年7月刊。2012年から2020年の歌から351首を選んでの一冊だそうです。
 瞑想、というタイトルのように、ゆっくりとひとり自分の中から紡ぎ出している歌があつまった歌集だと思いました。空白をいう歌があったの、余白や空白、記さないことのほうがたくさんあるような一冊。

 あとがきを読むと、声紋の癌の手術で声を失ったとのこと。そういう中でいっそう短歌が大事になったと。私にはその辛さを推し量ることしかできません。この歌集の中で、自在に歌をいろいろに試して楽しんで作ってみせてくれているのだなあと思います。
 正直言えば私の個人的好みとしてはどうかなーと思ったりする歌も多々ありました。でもこのきれいな歌集がただ綺麗なだけでなく、作者の世界の強さを広げるものであることを、読んで味わうことができてよかったです。


 いくつか好きな歌。


  心地よく白身にいつも庇われて夢見る黄身よ 殻割ってやる (p36)

 卵のことですね。ふむふむと読んでいたら不意に意地悪しちゃうみたいな結句でびっくりして、しばらく手がとまってしまいました。。黄身を夢見るお嬢様みたいに捉えているのも面白かったし、そういう見立てをしてる卵だなあと思いながらコンッと殻をぶつけて割っちゃう。白い卵ってピュアな印象あるかなあ。それを割って食べるって、なんか考えるほどにひどい、みたいな気がしてしまう、ってなるような、インパクトがある。ただ卵を割る、なんでもない日常の行為がちょっと複雑なユーモアな世界に変わってしまった。面白かったです。


  ひかりとは旋律に似て静けさの極まるかたち 春がきている (p56)

 ひかりには形はなくて。旋律だって静けさだって形はなくて。それを「かたち」と歌いとめていてとても綺麗だと思いました。あかるくなる春がきているという感じってそういう感じ、と、素直に同意します。


  どこからかこそっと逃げ来たネジの子よ、なぞなぞなんぞを仕掛けてくるな (p64)

 あれ? と、どこかの何かのネジが落ちているのに気づく、って、あるなあと思いました。え、何のネジだろう? どうして? いいのかなよくないのでは? どうしよう。って、小さなネジに語りかけているユーモア、面白かったです。下句の「なぞなぞなんぞ」の響きも楽しい。


  新聞の分厚き手ごたえ昨日とはこんなに確かなものであるのか (p71)

 何か大きな事件があったのか、何か特集版だったりするのか、新聞の分厚い手ごたえを改めて感じた時に、それを「昨日」のたしかな手ごたえと表現している感動がありました。なんとなく不穏な出来事、って思ってしまうのは私の問題かな。あんまりいいニュースにこの頃思いがいたらないなあ。


  どうしても摑めなかった春風の羽根のようなるそのひとり言 (p83)

 ふわふわな気分で読んでいって結句が「ひとり言」と着地したのが面白かったです。掴めなかった誰かのそのひとり言は何を言ってたのでしょう。春の気分を思いました。


  足元に小さな螺子が転がってガクッガクッと私がずれる (p144)

 ちょっと前のネジの歌とは違って、こちらはシリアス。私の螺子なのだろう。私の大切な。ずれて不安定になっても、倒れずにいるのだ、と思った。全体、喩としての歌だけど、深い実感、思いが伝わってくる一首。「ロープ」というタイトルの本の最後の章は、重く感じられる歌が多く、いっそう深く味わわせてもらいました。

 

|

『ジューンベリー』(小川佳世子/砂子屋書房)


『ジューンベリー』(小川佳世子/砂子屋書房)


 2020年7月刊。第三歌集。2016年からの約400首をほぼ編年順に集めました、という一冊。

 薄紙に包まれた表紙で、わ、歌集っぽい、と思います。この紙を破ってしまいそうと思って、こういう本を手にするときにはいつもかすかに緊張する。

 病や怪我、怪我? 検査や入院、骨折の日々があまた綴られていて、小川さん大丈夫かなとまた改めてハラハラしながら読みました。
 父と母との関係や、思い。生きる事、子どもがいないこと、実感を感じて共感したりはるばると想像したり。
 鬱屈や悲しみは確かにあるけれど、きれいな軽やかさもあって、作者の力であり、短歌の力であるのかなと思う。定型で一首、すっとたつ言葉は確実な一歩一歩だと思う。一首のかたちにいれた思い、出来事はあとをひく湿っぽさではなくて、一滴一滴ひかる雫みたい。歌に寄り添う気持ちで読めました。


 いくつか好きな歌。

  思ったより寒い紫陽花の角を曲がる だれかの日かげはだれかの日なた (p19)

 寒い/でちょっと切れる風に読んだ。意外と寒くて。紫陽花の花の色をみて。角を曲がって。そんな風にぽつぽつ途切れながらにいるような感触。下句の感慨はとてもわかる。日向も日陰もただ単純にそう、ではない。かすかに諦め、やわらかく許し、みたいな印象があった。


  「気がめいる」と言ってもいいよそのほかに「西日がイヤ」と言ってもいいよ (p46)

 いいよ、いいよのやさしい肯定が好きです。ちょっとした愚痴、西日がイヤっていうささやかな、でもわかる~と思うとりあわせ。この歌がある一連は、姪御さんとのラインとかあるんだな、と、父との苦い思い出とがあって、家族って、と思う。家族ってねえ。


  痛い場所もなくて阪神戦を見るこれは確かにいつもより楽 (p62)

 「検査入院」という一連にある歌。検査だけなのでちょっと気楽、なのかな。阪神ファンなんですよね。能見さんが登板あった時なのかな、と勝手に想像して、ちょっとふふって思った歌。でも、「痛い場所」がよくあるんだな、という背後も感じて、単純に笑えはしないのだけれど。ふっと軽みのある歌で、好きです。


  賞状より歩ける方がいいのにと一瞬思った 一瞬だけです (p72)

 ながらみの賞をとった授賞式の時の一連だと思います。私もお会いできて嬉しかった。旅のようす、思いが伝わってきて、うんうんって思いながら読みました。一瞬思った願いの切実さ、でもすぐ「一瞬だけです」って打ち消すのもほんとなのだろう。両方だったらいいのに。


  あなたには書いてほしいと思います誰も知らないわたしの昔を (p103)

 誰も知らないわたしの昔、を知っている「あなた」がいるのがいいなあと思った。語順がうねうねしてますが、それが屈折の感じかなと思う。あなたは書く人なんだな、というのも、いいなあと思います。


  大泣きをしそうになるやん 踊り場で元気そうやと言われてしまい (p127)

 これより前にも元気そうと言われたって歌があり、多分言った相手は励ますつもりの善意であるのは言われた方もわかっているんだけれど。元気そうに見えるのはいいけど、元気じゃないんですよね。踊り場で、だから、階段でちょっとすれ違いざまに、という場面だと思います。多分その場は明るく挨拶してすれ違って、心の中で泣きそうに、大泣きをしそうになってしまう。「なるやん」という軽やかな言いぶりで作られた歌だけど切なくて私も泣きそうになった。大泣き、そう簡単にはできなくなってるけど、泣いていいよね。


  もうもとのからだのかたちに戻れない 夏が雨滴にかわって落ちた (p144)

 「からだのかたち」という表現にひかれました。少しひいて客体化した自分を繊細に見ている感じ。下句の夏という大きな形のないものが、雨滴という小さな水、天からの水、目の前に落ちてくるもの、にぎゅっとなる感じも、腑に落ちる。この飛躍を私は説明できないなあ。でも、詩だと思いました。


  青空にジューンベリーの花の白 今までのすべてに号泣したい (p159)

 ジューンベリーがどういう花なのか私は知らなくてちょっとぐぐりました。木で白い小さな花が、春?初夏?に咲くのですね。果実は6月に収穫、ジャムにしたりできる。6月のベリーか。青空の白い花を見上げて深呼吸する気持ち。あかるい景色の中で、下句の言葉の切なさがぐっときました。歌集のタイトルにされている歌ですね。青空、ひかり、花を見上げて、泣きたい気持ち。でも泣いてない気持ち。強く印象が残る一首で好きです。


  日日ままは耳から遠くなってゆく絶叫しているひまわり畑 (p167)

 母との二人の暮らしも多く描かれていました。耳が遠くなる母の姿、ひまわり、この歌はゴッホの絵を連想させますね。「まま」という表記、呼び方、はかり知れない屈折があるように思いました。淡い水彩ではなくごつく塗り重ねた油絵みたいなのかな、と、想像しました。なんか迫力ある一首。


  新しい年の日記は黄色くて「かなしい」が書かれませんように (p187)

 黄色は明るい色。暖かい色。かなしい、が書かれないように私も願う。普遍的な願いだと思う。たのしい、が、たくさんありますように。


 とはいえ、今年の夏、岡井隆の死があったのだったと思ってしまった。私もまだまったくのみこめていないのです。でもこの歌集はちゃんと届いていると思う。空を見上げていきましょう、って思った。青空を。白い花を。読めてよかったです。

 

 

|

『あけぼの杉の竝木を過ぎて』(石井辰彦/書肆山田)


『あけぼの杉の竝木を過ぎて』(石井辰彦/書肆山田)


 2020年5月刊行。2015年くらいから去年までくらいの期間に作られた歌から、かな。

 石井辰彦の歌はまず見た目からして明らかに石井辰彦の歌、というインパクトが強い。
 ルビがいっぱいある。しかも独特なつけかたでいっぱいある。
 レイアウトも計算されている。上と下とそろった四角に歌が並んでいたり、ダッシュ―や空白を使って整えていたり。旧仮名だし正字だし。漢字が多くて紙面が黒いよ。固い。圧倒的に男の歌だ。
 
 何より言葉ってこんなにもあるんだと圧倒される。華麗。豪奢。私が連想するのは三島由紀夫。日本語で絢爛たるゴシックの城を構築しているみたい。イメージする雰囲気は19世紀。ギリシア神話。いやでも私がなんもわかってない無知無教養なので全然ダメなこと書いてる気がする。私、石井さんの歌見る時いつも読めねーよーーーという嘆きから入るしかないです。

 だが好き。それが好き。こんな華麗な詩の世界を繰り広げて見せてくれるのは石井辰彦しかいないと思う。全く良い読者でなくて申し訳ないけれど、石井辰彦の歌を見るのが好きです。

 幸いなことに読む短歌でしばらくご一緒させていただいて、歌つくってよんでしていました。作ってきた歌、連作のコピーを配られて朗読を聞いて、その初見でなんか感想を言うの。ぐはーと思いながら短時間のうちにいくつか辞書ひいて朗読ききながら振り仮名書いて、かっこいいです~とかアホな感想言ったりしてました。これは何ですか? と聞いたり。つくづく、贅沢な時間だった。
 そんなこんなの時間は今はもう私にはなくなりましたが、改めて歌集を読んで。うう、言えるのはやっぱり、かっこいいです~、とか、そういう……私に語彙がなくて申し訳ない、です。

 引用して書き写すのもなんか違うというか難しいのだけど。紙の本で印刷された活字を見て一連の物語を見るのが良いと思うので。
 でもなんとか、無理矢理ながらいくつか好きな歌。漢字が出ないのがあるかも。

 

  慘いほど淸んだ眼をした警官は犬 若くして死に取り憑かれ (p26)

 ルビ「慘 むご」「淸 す」 美しい青年に違いない。これはかなりもえる一首です。死の影を帯びているような若者、その澄んだ目を見て、なお、「犬」と呼ぶ。惨いのはその若者を見ている方なんだ。お互いに酷い事しあってほしい。ドラマチックです。


  風に舞ふ羽根のやうだと言はば言え。男心はその實、重い (p68)

 ルビ「實 ジツ」 上句の俗っぽさで軽いって煙に巻こうとしているみたい。男心の重さ、をさらっと言っているようで、ほんとうはじっとり重いんだろうと感じる。重いのだろう。生きてるうちにいろんな重さをどんどん帯びて、ほんとはすごく重いんだろう。


  詩を愛し詩に愛される。さういつた若者だつた、曾て私も (p75)

 ルビ「曾 かつ」「私 わたし」 ひどく無防備に率直な言葉の一首で、それがむしろ胸をつかれる。過去形なのが切ない。今は違う、のは、愛される方なのかと思う。詩を愛してるのは変わりないのではないか。でも愛されていると無邪気に信じられる若者ではもうない、という独り言。


  その罪は赦される──。我が悲哀に滿ちた心を盗んだ罪は (p79)

 ルビ「悲哀 かなしび」 恋人を許すよ、といってると想像します。これもひどくシンプルな歌。上記3首は「死ににゆく旅」の一連から。珍しくというかなんというか、かなり作者の実感のようなものがストレートに表されたりしているのかもしれない、と思いながら読んだ。と思わされていて惑わされているのかもしれないけど、でも、そう読んだ。面白く読みました。


  人閒もまた獸、獸は嚙みあひて──。空には(一條の)夜這星 (p99)

 ルビ「人閒 ひと」「獸 けもの」「一條 ひとすぢ」「夜這星 よばひぼし」 わりとダイレクトにえろい詩だと思ってもえました。かっこいい。噛むって独占欲らしいよ。勝手に私の推しカプを妄想して噛みしめました。


  君に似た花だ──、と言つて心友が、手折る。薄紫の菫を (p117)

 ルビ「心友 シンイウ」「手折 たを」「菫 すみれ」 これもめっちゃもえました。ヤバイ。菫の花をくれる友よ……(*ノωノ)


  驟然と吹雪く心の夕まぐれ。愛は(畢竟)殺意を孕む (p131)

 ルビ「驟然 シウゼン」「吹雪 ふぶ」(漢字が出せなかった。雪はちょっと違う字です)「畢竟 ヒツキヤウ」 これもめちゃめちゃかっこいい。愛は殺意を孕むという断言にうっとりです。吹雪の冷たさの中で厳しく愛と殺意を抱いている姿を思います。かっこいい。

 全然読めてないとは思いつつ、ページをめくるごとに、かっこよさを感じて好き。壮大で世界の広さだけじゃなく時の深さも感じる。短歌ってこうでもあるんだなあと、いいなあと、言葉って凄いなあと、思わせてくれる。私ももっと言葉をつかえるように頑張ろう……。

 

|

『土のいろ草のいろ』(飯沼鮎子/北冬舎)


『土のいろ草のいろ』(飯沼鮎子/北冬舎)


 第五歌集だそうです。2019年12月刊。2011年~2018年に作った歌からの一冊。

 父母と老いと死と、成長した子どもとの日々が感じられる歌がたくさんあって、私自身の実感を思ったり、そういう風なのかと想像したりしながら読みました。
 旅の歌、海外のことを思わせてくれたり。
 単純な明るさではなくて、かすかに陰る暗さから目をそらさず、ちゃんと見つめているような姿勢が見えます。原発問題とか、原爆のこととか、国とか差別とか。私自身はそういうことができてない、と我が身を振り返ったりして。読みながら、凄く自分自身と向き合う気持ちになった。ので、あー短歌って、人生、生きる、いのち、自分、だなあと思ったのでした。

 作者と私は全然別なのに、歌の実感、手ごたえを渡される。それが私には、重い、って逃げたかったりしたのでした。別に何も押し付けてくるものじゃなくて、読んでる自分の問題を自分が考えちゃう、あー、歌集を読むって自分と向き合うことだと、改めて思う。それだけしっかりした素敵な歌集だと思いました。


 いくつか、好きな歌。

  なんて重たい父母だろうベッドごと芝に出したき梅雨の晴れ間を (p12)

 「父母」に「ちちはは」のルビ。梅雨時期のじっとりした重い空気に重なって、老いた両親、気持ちの重さ、ふさぎ込み、でも晴れ間であるひと時の解放感の願い、みたいな、すっごく今の私に実感伝わる気がしました。ちょっと布団を干すとか日光浴とかじゃなくて、ベッドごと全部! 丸ごと! な感じの勢いの強さもいい。


  助けを呼ぶメールそのまま閉じながらわたしがわたしでなくなるを待つ (p18)

 ちょっと状況は私にはちゃんと読み取れない歌なのだけれども、ひどく切実な思いが刺さってくる一首。わたしのままでいたら、そのメールに応えてすぐさま助けに走り出してしまうのだろうか。どんな助けが求められているのかわからないのだけれども。でも、「わたしがわたしでなくなるを待つ」というのは、感情のままに動きだすのではなくていったん冷静になろう、ということなのだと思う。閉じたメールを胸に抱えてると思う。「待つ」のも結構大変でしょう。しばしうずくまるような感じ、孤独を感じました。


  旋律はかくやわらかくもの憂げに子の島ことば聞こえくるなり (p54)

 娘さんが奄美大島に永住してる、そこへ行った時の歌だそうです。自分のもとにいた頃とは違う、娘のその話すことば、を聞くのは、驚きであり寂しさであり、なのだろうなあと思います。ことばを「旋律」ととらえ、それは「やわらかくもの憂げ」である、そういう響きの伝わり方が気持ちなんだなあと。好きな歌です。


  わが夢に匂いのありて裏庭に母は三つ葉を膝つきて摘む (p72)

 匂いのある夢って不思議です。私は夢をほとんど覚えていないし、色とかまして匂いとか、あるってあんまり思ったこともなくて。ま、実際そういう夢見たのかどうかはともかく、匂いのある夢、それは母の夢で、多分その匂いは三つ葉の匂いだったのかなと思って、膝をついて母が三つ葉を摘んでいた、という情景もよくて。何気ない、けど、ほろっとくる歌だと思います。


  生き物を食べないでね 子に言われつくづくと見るシラスの目玉 (p105)

 この「子」はヴィーガンであるようで。ヴィーガンてベジタリアンよりもっと完全菜食主義者、ということらしい。そういわれてしまうと……。一文字空けで一つ息を飲む感じ、ぴったり。シラス、って、私食べますけれど。丼だったら何百ものしらすがいて目玉がある。あるね。たっくさんの生き物をパクっと一口で私は食べるね。食べます。食べますが。この一首はしずかでやわらかい、特に主張の強いわけではない歌ですが、深くため息ついたのでした。そういう「子」の切実さみたいなのも伝わってきて。これは、なんていうの、言葉の動かない、完成した一首だと思います。

  ヴィーガンの子はひたすらに光りゆく草であるらし夜更けの庭に (p107)

 その子を光り、草と見る親の気持ち、を想像しました。わからないのだけれども。ひかりなんだなあ。

 

  指先に五匹の豚が笑ってるソックスを履き会いにゆくなり (p112)

 入院中の母に面会に行くときの歌のようです。これ、つま先が五本指に分かれている靴下だろうと思います。その指ひとつひとうに豚のイラストが笑ってるんでしょう。楽しいお出かけではないけど、このソックス履いて、ちょっとふふってして、という自分の励まし方がわかるなあ、いいなあと思って好きでした。


  別れ方が難しいのだ冷たすぎず温かすぎず雲のようにも (p181)

 ホームにいる父と面会した後の「別れ方」。難しいだろうなあ。最後、「雲のようにも」に飛躍したのが、読んでいてあっと思ってよかった。ふわっと広がって。空に飛んで。
 お父様は亡くなられたようでその挽歌もしっとり美しかったです。音楽がお好きな方だったのかな。教師だったのか。文化教養の高い方のようで、そういう姿を歌から感じられて、歌に書き留めている作者の思い、視線を感じられて、よかったです。

 

|

『ティファニーで朝食を』 (トルーマン・カポーティ/新潮文庫)

 

*ネタバレします。


『ティファニーで朝食を』 (トルーマン・カポーティ/新潮文庫)


 作家志望の僕。以前暮らしていた場所、イーストサイド七十二丁目のことを思い出す。ホリー・ゴライトリーと出会った場所。古くてひどいアパートメントだったけれど、僕が生まれて初めて手にした自分の場所だったのだ。

 作家になった僕の回想というスタイルの短編、中編かな、の、小説なんだね。読みました。
 この前、カポーティのドキュメンタリー映画を見て、作品読むべきかなあと気になっていて。ちょうどBSで「ティファニーで朝食を」を先日やってたので、ちゃんと見た事なかった~と思って見て。
 オードリー・ヘプバーン、言うまでもなく素晴らしく可愛いし綺麗だった~。そしてさすがの名作ラブロマンス、ちょっとコメディ、でもすごく切なくもあって、そしてハッピーエンド、って見ました。見てよかった。面白かった。なるほど名作。

 でも本は結末が違うとか、カポーティは映画をあんまり気に入ってなかったらしいとかだよね、やっぱ本を読もうと思って。
 読んでみてよかった。

 大雑把にあらすじを言えば、映画と同じ。ホリー・ゴライトリーという魅力的な若い女の子と知り合って、僕は彼女と仲良しになって。奔放な彼女に振り回されつつ、彼女の助けにもなる。
 14歳なんていうほんの子供の時に結婚したという夫がやってきたり、自分は何も知らないままに麻薬売人の伝言係になっていたり、金持ちと結婚しようとがんばり、連日のパーティや夜遊び三昧。ホリーは貧しかった少女時代から脱却してニューヨークを愛していて、いい男をつかまえるべく奮闘している。唯一大事な兄弟、フレッドに似てる、といって「僕」をフレッドと呼んで友達になって。
  
 二人の好意は、本で読むとやはりラブロマンスの気配は、なくはないけど、友情、だなあ。映画はまあやっぱ美男美女ですものねえ。それはやっぱラブロマンスにしちゃうか。
 猫ちゃん。
 名前をつけられない猫ちゃんも、雨の日に捨てられた後、ちゃんと素敵なおうちに拾われて、しっかり綺麗な窓の内にいることを僕が確認してた。

 ホリーは旅立ち、きっとどこかで幸せになっているはずだ、と、僕は信じる。願う。
 本を読むと、ホリーは男と恋して幸せを得るというよりは、男を利用して自分の生きる道、場所を掴む、って感じでした。愛情もあるけど、フレッドを亡くして、たった一人だ、という感じが強い。僕もよけない真似はしない。彼女を送り出すしかないの、そんな無力さもよかったな。面白かった。

 他に短編も入っていた。「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」
 どれもよかったなあ。面白かった。人物がみんな魅力的。んで、同性愛の雰囲気とか要素、隠そうとかしてないんだなあと思った。ヘテロもあるけどそうでもないのもある、当たり前って感じがした。だよねー。

 「ダイアモンドのギター」

 は、囲いのない、囚人が力仕事みたいなことして刑期を務めるところの話。そこの優良囚人なミスタ・シェーファーは、新入りの若い男、ティコ・フィオにひかれ、彼にそそのかされて、脱走しかける。成功しなかったけど。
 思いがけずそんな年になって初めてティコに恋したって感じ~~~。きゅんとしてしまう。

 「クリスマスの思い出」

 ちょうど今、11月の終りの頃の思い出。まだ小さかった僕、と、60くらい年の離れたうんと遠縁のいとこのお話。彼女はクリスマスが近くなったある日、フルーツケーキの季節がきたよ! と叫ぶ。そして、一緒に30ものフルーツケーキを焼く準備をして、作って、送るのだ。
 クリスマスツリーも二人で切り出しにいく。僕らだけの秘密の場所からとってくる。老いた犬のクイーニーも一緒にはしゃぐ。


 カポーティ本人の思い出だよねえ。
 この前見たドキュメンタリーで、小さい頃世話になっていた家で、おばさんが焼いてくれたジンジャーマンのクッキーを缶に入れてずうっとずーっと大事に持ってた、みたいなエピソードがあった。
 貧しくて、でも二人は親友で、一緒にクリスマスの準備をして。
 大事な思い出。大事な人。
 とてつもなくうつくしくて素晴らしい短編で、泣いてしまった。めちゃくちゃ良い。

 あ、翻訳、村上春樹、と思ったけど、別にそれは気にならなくて。訳者あとがきにあったように、カポーティってすっごく書くのが上手くて凄すぎる、のが、わかる気がした。
 他の作品も読もうと思う。
 
 ドキュメンタリー見て、ティファニーで朝食を 映画を見て、本を読んで。と、なんとなく名前は知ってて読もうとしたこともあったけど、いまいちわかってなくて、という作家を、今こうして出会って辿り着いた気持ちで読めて、よかったな。やはり本との出会いはタイミング。私には今だったな~と思える。よかった。

 

|

『アキレウスの歌』(マデリン・ミラー/早川書房)


*ネタバレします。


『アキレウスの歌』(マデリン・ミラー/早川書房)


 ギリシア神話の時代。人と神との間に生まれた半神の王子アキレウス。
 引っ込み思案で偶然の罪によって追放された王子パトロクロス。二人は少年の頃に出会って、ともに育った。


 2014年の本。原本は2011年に出たようです。世界中で翻訳されベストセラー。たくさんの賞を受賞してるらしい。私は全然知らなかったのだけれども、最近Twitterですごくはまってる人のコメント見て気になって読んでみた。

 アキレウスってアキレスのかかとが弱点、みたいなあの人物か。ギリシア戦争、トロイアとの戦、って、トロイの木馬が出てくるあれか。ブラピが出てる映画見た事あるなあ。オーランド・ブルームがパリスだったやつ。アキレス、アキレウスってブラピがやってた役かー。
 なんて思いつつ。私はギリシア神話のことをうっすらとしか知らないので、なんとなーく、の、感じで詠みました。
 イリアスやオデュッセイアも、読んでみようとしたことあるかもだけど、多分読んでない、し、あんまわからない。

 けれどまあギリシア神話はともかく。この本の語り手はパトロクロス。多分わき役扱いされてきたのであろう少年、王子、で、アキレスの従士。パトロクロスの見た、恋した、アキレウスの姿の物語だった。

 パトロクロスは、王子とはいえ、親の期待に何一つ答えることができず、愛情もかけられてこなかった少年。たまたまちょっとした諍いで突き飛ばした相手が打ちどころ悪く死んでしまって、追放される。
 そしてプティアの寛大な王ペレウスのもとで、多くの里子たちと暮らすようになる。そこで、王子アキレウスに出会う。

 海の女神テティスの子。半分神であるアキレウスは英雄となる期待を受け、自身もそう望んでいた。
 ある時、サボってたって言われるパトロクロスをかばって、アキレウスは王に、パトロクロスを従士にしたと言う。そうして、二人は初めはぎくしゃくとしながら、次第に深い友情を築いていく。

 誰よりも美しい。誰よりも強い。アキレウスを見つめてパトロクロスは友情以上の感情を持つ。それは、アキレウスも同じだった。

 みたいな感じでーーーっ。最初は反発しながらもパトロクロスはアキレウスとの関係を深め、互いにかけがえのない相手として育っていく。

 パトロクロスのキャラクターは、近代人の自我って感じがする。といってもまあ、私はギリシア時代の人間の自我がどんな感じだったのかなーとか全然わからないわけですが。
 パトロクロスは人間なので。その語られる感じはわかりやすくて面白かった。神々が人間と交わり、人間の味方になったり、怒りや罰を下したり、という、神話時代の世界だけれども、パトロクロスを通して読むのはすごくわかりやすい。

 学園ものっぽくもあり、戦争に駆り出される悲劇の若者たちの話でもある。
 でもなー。
 私はどっちのキャラにも思い入れ持てず。
 アキレウスが名誉のためにギリシア軍の負けにも手をかさないとか。アポロンだとか神々が人間に手を貸すとか不興で疫病流行らせるとか、は?? と思う。

 特に今はな~~~。疫病がとかに対して敏感になっちゃうよ。神々よーなんでやねん。アガメムノンに怒ったならアガメムノンに罰与えなよ。なんでモブの名もなき兵士が疫病でごろごろ死ななきゃいけないんだよ。ムカつくぜ。疫病退散っ。

 二人でケイロンの処で学び鍛えられていく日々が一番平和できらきらの青春でしあわせいっぱいだった。
 でもそういう青春の日々って、儚いからこそうつくしい、みたいなことなんだなあ。
 戦争が起き、戦いに赴くことになり。
 その前には結婚だとか子作りイベンドがあり。
 同性愛というか、友情愛情の関係はあれど、母である女神の怒りはかうし、女と子をなすことこそ、みたいなことではあるんだねえと、なかなか、生きて育っていくって普遍でもあるのかなあ。
 まあ、そんなこんなも、私個人的には全然面白くないところなので、ふーん、というくらいの気持ちで読んだ。

 ギリシア軍がトロイに攻め込む、の、戦争。のんびりーって感じで9年10年もも続くものだったのか、とか、改めて読むと、へ~~~~~。と思う。
 捕虜、戦利品として女を持ってきたり。それを助けるようパトロクロスがアキレウスに頼んだり。
 その辺も、なんか、ふむー。今どきの感覚で描かれてるのかなと思う。
 いや、昔ってもそうだったのかもしれないけど。

 パトロクロスが、アキレウスに愛されてることに傲慢、って気がしてしまった。
 正直私にはパトロクロスの魅力ってわからなくて。戦いや名誉を求めない善良な青年、って感じかなあ。たまたまアキレウスの近くにいた、その偶然こそが運命、みたいなことか。でも、アキレウスの名声の邪魔って気がするのはテティスに同感。
 
 アキレウスは、名声を得て英雄になることが本当に望みなのか。
 ただ平凡に、ただパトロクロスと暮らす、では満足できない、んだよねえ。半神だし。無敵だし。
 でもなー。
 パトロクロスを失ったら我を忘れて復讐に走り残虐を発揮するほどの狭隘盲目の愛がありながら、ねえ。でもなんでアキレウスはそんなにパトロクロスが好きなの。初恋的な? 初恋を失うことすらありえない王子としての傲慢?

 アキレウスとパトロクロスのらぶいちゃに、ときめきはしたけど、どっちのことも私は好きにはなれなかったな。
 
 パトロクロスが先に死ぬんだろうと途中からわかるんで、死後のアキレウスのことはどう語るんだろうと思っていたら、成仏、いや成仏ってことはないか、仏教じゃない、えーと、魂が現世に残ってしまって、みたいな感じだった。
 そしてアキレウスも死ぬ。
 遺灰は二人のを混ぜろ、と命令していたので、本当に混ぜられて。
 埋葬。墓碑銘はアキレウスの名前しか書かれなかったので、やっぱ成仏できない、みたいなパトロクロス。
 息子、孫を失ったテティスにアキレウスの思い出を語る、みたいな、それがこの本の中の話、みたいなことかな。それで。テティスの怒りがやっととけて。二人の名前が墓碑銘に並んで。
 二人は黄金の光の向こうへ、みたいな感じで終り。

 なんかこう、登場人物、というか登場人物かつ神、みたいな所とか、なんか二人の間に入る女性キャラとか、どーもうまく私は話に入っていけなかった。好きになる要素より、はーん、嫌い、みたいな所のほうが多かった。
 でも読んでみたのはよかった。ギリシア神話ってすっごい古典なのに、こういう風に読み解いたりできるんだなあと思った。

 

|

『今昔百鬼拾遺 月』 (京極夏彦/講談社文庫)


*ネタバレします。


『今昔百鬼拾遺 月』 (京極夏彦/講談社文庫)

 鬼
 河童
 天狗

 三つのお話が一冊になっている、分厚いやつ。ちょっと前に読み終わり。

 それぞれに単独で文庫出てたみたい。講談社、角川、新潮の文庫で、それをまとめて一冊にしたのがこれ、ですか。なんとなく、以前講談社ともめて手を切ったみたいな感じだった気がするんだけど、あれはどうだったんだろうなあ。帯の京極堂のシリーズのタイトルずらりの最後に近日刊行予定で ヌエの碑 って出てるけど。(ヌエが環境依存文字で出せぬ)

 ともあれ。三つのお話。探偵役、というか、事件を解き明かす側が、中禅寺敦子と呉美由紀。呉さんて、絡新婦の事件の時の学園にいた女の子、ね。正直あんまりちゃんともう覚えてない。記憶が曖昧でごめん。一時はほんっとドはまりして分厚くても何回も読み返したけど、あれ、出たのが1996年? 二十年以上昔かあ……。

 で。まあ。正直私は中禅寺敦子というキャラにあまり興味がなくて、そーいえばそれぞれが単独の本で出てた時にちょっと手に取ってはみたものの、うーん。と思って読んでなかったのでした。今回、分厚いやつ~ってなって出て、やっぱ読もうかなと。

 「鬼」は、昭和の辻斬りに連続して切り殺される事件が美由紀の編入先の学校のそばで起きる。そして美由紀の友達だったハル子が殺されてしまった。また、友人を亡くした美由紀が、古本屋か探偵に頼りたかったところ、他の事件で不在のため、敦子が話を聞くことになった。
 で、なんだかんだの因縁を辿った果て、実は犯人はハル子で、ハル子をとめたかった母が誤って殺してしまった、という顛末。
 なるほど。たいへんだ。

 そして、女学生の美由紀と記者である敦子は年の離れているなりに友達になった。

 「河童」は、男の尻をのぞき見する不審者がいるらしい。美由紀の友達同士の会話から河童のことが語られ、美由紀が夏休みに親戚の所へ遊びにいってたところに、死体があがって。研究にきていた多々良先生も発見者になって。担当の敦子もやってきた。
 とかなんとかで、偽造宝石とかも絡みーの、戦後の混乱の闇みたいなのがありましたねという感じ。

 「天狗」は、お嬢様登場。探偵たちが強姦魔のぼんぼんの縁談ぶっ壊した事件あったなあ。その時の婚約者だったお嬢様、美弥子さんが、探偵事務所を訪ねていて、たまたま美由紀も挨拶しようかなと寄ってみたけど探偵は留守で。美弥子さんのお友達が高尾山で行方不明になったのを見つけたいとかなんとかで。
 身代わり殺人かな? 娘を逃がしたい父親が死体を用意したみたいな、無茶苦茶でした。ひどいな。

 事件やストーリーは凝ってて面白かった。いっときハマりまくったせいもあって、分厚くても読み始めれば面白いしするするするーっと読める。
 ただまあ、やっぱ、これ、一応舞台は昭和中期? 戦後間もないところであるものの、語られているのは完全に2010年代の我々読者への言葉で、またしても随分たっぷりと、演説を読みました。
 言葉。価値観。思い込みの解体。
 そういうのに痺れていたものの、私もすっかり年をとり、延々語られてる言葉に新鮮味もありがたみもあんまり、まあ。まあそうだなという感じに読むので、ふむー、と読んで終り。

 キャラが京極堂や榎木津さんだったら、もうちょっともえもえして読むかなあ。どうだろう。今になるとそうでもなくなるのか。んー。古本屋と探偵がちゃんと出てくる話を読みたい~読ませてくれ~と思っているけど、実際新作出たらどうなんだろうなあ。やっぱり面白いと思えるのかどうか。わからない。わからないから読みたい。新刊、お待ちしてます……。

 

|

『FiND ME』(アンドレ・アシマン/マグノリアブックス)


*ネタバレします。


『FiND ME』(アンドレ・アシマン/マグノリアブックス)


 息子、エリオに会うためにローマへ向かう列車に乗っている父、サミュエル。偶然近くの席に座った女性、ミランダと会話し、そして恋におちていく。
 エリオは音楽学校で教えるピアニストになっていた。日曜の教会でのコンサートで、ミシェルというかなり年上の男と出会う。食事をして、別れて、でも会いたくて再会して、恋におちていた。

 『君の名前で僕を呼んで』の続編! ってことで、ドキドキワクワクで翻訳出るのをまっていました~!
 読み終わったのはしばらく前。正直、こういう続編を期待していたわけではなかった……。

 映画にまずドハマリして、大好きで、原作小説も読んでみたんだった。で、それは楽しんだんだけど、あれはあれで、わりと映画のその後のほうまでちょこっと描かれていて、それで、続編が出るって知ったあと、どうして? どうなるの?? と、不思議だったんだよね。でもまあ著者が興がのって書きたくなったってことは、エリオとオリヴァーの物語、その後の彼らが描かれるのだろうと思って、ドキドキワクワクだったんだよー。

 んで。読み始めて、おお? あの仲良しラブラブだったと思った両親が別れたんですね、ということで、エリオのパパの話から始まる。へー。と思って読んでると、えーと~。パパの恋物語はいったいどこまで続くの? とページをパラパラしてしまう。一冊の半分近くはパパの若い恋人との出会いとのめりこみの話でしたね……。まあいいけどさ。若い女の子とこの年になって本物の恋に!? みたいなのは、まあ、それはまあそれでいいですが。
 惚れっぽい、というわけでもないか、その、出会って、恋して、のめり込んで本気になって、という勢いが、父子で似てるな~。とでも思えばいいのか。ふーむ。

 で。エリオの話にやっと、なった。と思ったら、エリオの恋物語で、相手はまた父のように年の離れた素敵な紳士で、エリオは夢中になってしまう、と。
 まあ。ん~~。まあ、それはまあいいですけど。素敵ですけど。エリオにだって恋人が出来てそれは素敵でよかったねと思うんだけど。けど~~~~~~~~。
 エリオは今も心の中にオリヴァーとの恋が一番大事な感じに残ってはいて、でも、ミシェルと恋して、ついでになんか過去の因縁めいた楽譜の謎解きを一緒にしたりして、まあ、楽しそうで幸せそうでよかったねとは。思う。思うけどねえ。

 で。
 オリヴァーの話にもなって、これはまあちょっとなんだけど。結婚して子どももいて。というのは前作でも知ってたしいいんだけど。大学教授になってて。で、また若い友人たちのことをちょっと好きになってたりして。でも、みたいな。

 みんなそれぞれの場所でそれぞれに恋をしていて、みたいなのねー。まー。それは、まあ、そうなんですねと、それでいいんだけど。

 そんな風にバラバラに人生を過ごした後に、やっぱり一緒になった、エリオとオリヴァーでした。と。それ、ほんと最後の方で、ページ数もちょっとだけなの。ちゃうやろ、そこんところもっと詳しく!!!!!!! 
 んで、なんか、子育てもどきとかするのかなーとか、なんか。そーいうの~? そういうのは期待してなかったんだけど~。
 エリオとオリヴァーが運命の恋人って、そういう、なんか、そういうことを、もっと詳しく……;;

 ま。
 作者は作者なので。
 こういう続編書きたくなったわけですかーということに文句はないです。ただの一読者としては、そっかーとしか。


 映画も続編あるってことだけど、映画は映画で別物になるのかなあ。別物であってほしい。でもほんとに続編できるかどうか、わからないけどな。映画産業もコロナ禍でタイヘンだし。でもまたアミハマちゃんとシャラメたんで、二人で、二人の物語を作って欲しいよ……。監督お願いします;;

 

|

より以前の記事一覧