『鳥肉以上、鳥学未満。』(川上和人/岩波書店)


『鳥肉以上、鳥学未満。』(川上和人/岩波書店)


 ニワトリの話。
 ニワトリ、食べますね。ニワトリ食べつつ、その部位、骨、働き、進化の話とか、みたいなことを丁寧に、かつ面白く書いているエッセイ。

 雑誌連載だったそうで、一つ一つ短いので、ふむふむ~とか、おいしそう~とか思いながら、ちょっとだけ勉強になった気分も味わいました。風呂読書でちまちま読んでいた。
 ごめん、へらっと読んでいたので、何が勉強になったとかはあんまり残ってない。

 でもなんかケンタッキーフライドチキンを食べる時、骨、骨だな。なんてちょっと思ったりはする。ニワトリの体の部位だな~と思う。
 焼き鳥はこの頃全然食べに行けてないけど、はーん、なんか部位、あるよね。という気持ちにもなった。

 楽しく読みました。
 全然身になってなくてごめんね。

 

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『極夜』(カーモス)(ジェイムズ・トンプソン/集英社文庫)


*ネタバレします。


『極夜』(カーモス)(ジェイムズ・トンプソン/集英社文庫)


 カリ・ヴァーラはキッティラ警察署長。フィンランドの北の町。スキーリゾートはあるものの、小さな田舎町である。
 妻のケイトはアメリカ人。スキーリゾートの総支配人の仕事があり、妊娠している。
 ある午後、カリは死体があると呼び出しを受けた。被害者は黒人で映画女優のスーフィア。雪の上に放置されたその死体は酷く傷つけられている。性犯罪。差別によるもの。証拠はたっぷりあった。犯人と原因を探ってカリは捜査はすぐに完了できると考えた。


 本国では2009年の作。読んだ文庫は2013年刊。

  フィンランドが舞台。で、冬、一日中太陽の出ない世界だった。辛い。この冬の憂鬱がつのる今、何故私はこれを読もうとしてしまったのか、自分を悔やんだよ。うう。辛かった。終盤は悲惨がどかどか重なってきて、こわすぎて辛すぎて読み終わらなくちゃいられなくてやめられずに読んだ。はー。大変だ。

 昔、一方的にカリから離れて離婚された妻の、今の夫、結婚はしてないけどカリをすてて走った先の金持ちの男が容疑者で、いきなり人間関係の狭さとごっちゃごちゃが大変。
 小さな警察署だからあんまり人員もいなくて、カリ、めっちゃ関係者なのに捜査から外れられない感じ。自分も外れたくなさそうだし。
 
 他にも浮かび上がってくる容疑者、クズだし。ひどいじゃん。
 フィンランド。オーロラの街。北欧、福祉先進国。素敵な暮らし、のイメージとはまるで違う、人々は暗い冬を飲んだくれてやりすごし、たいてい鬱とハイで病気だったりカッとなって人を殺したりしてる。嘘ぉ……。
 いやまあ、もちろん。警察小説ですしミステリですし犯罪ものですから。人殺しの話ですから。北欧、夢の国みたいなわけないよねー。というか、人間社会である以上、誰もが幸せな夢の国なんてあるわけないよねー。わかってるわかってる。特捜部Qだって、デンマークにも犯罪はあるとか思いながら読むわけですし。

 にしても、極夜のどんよりっぷりは凄い。
 これがフィンランド、とは思わないけれども、多少は、こういうところもあったりするんだろうなあ、社会の一端を見た気にもなって、面白かった。いやおもしろいとかじゃないけど、面白かった。

 人種差別だとか性犯罪とか、いろんな偏見やヘイトクライムが、ある、という前提の中で描かれていく。これが多様性かなあと思う。わりと日本だと、そんな、差別だとかそんなに深くあるわけじゃない、っていうなあなあ感、見えないことにしてる感があるのが多い、ような気がするんだけど、ある、という認識であることがまず最初だよなあ。

 あるから正すように努力するんだよ。

 カリの、子どもの頃、妹を亡くしたトラウマとかあったり、アメリカ人の妻とのコミュニケーションギャップだとか、パーソナルな部分がたっぷり描かれて。別れた妻とのことも。
 警察仲間の息子が、実はそそのかされて犯行を犯したってわかって、あまりにも辛い。自殺してしまうし。
 別れた妻も殺されて。しかも焼き殺されて。そしてそれは仲間のヴァルテリの復讐によるもので。辛すぎる。

 無理でしょー。辛いでしょーーー。
 それでも、事件は解決し。妻と家族と、クリスマスを迎えるのよ。タフだ。そして、一日のうち、ほんの少しでも、陽が出るようになる、と、喜ぶのよ。凄い。

 外の気温がマイナス四〇度だとか、マイナス三二度で、「暖かくなってきた」って書かれていたり。北極圏の冬、怖すぎる~。凄いわ。
 読んで、物凄く鬱々となってしまったけれども、読んでみたのはよかった。けど辛かったよ……。

 

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 『狼の王子』(クリスチャン・モルク/ハヤカワポケットミステリ)


*ネタバレします。


 『狼の王子』(クリスチャン・モルク/ハヤカワポケットミステリ)


 ダブリンのすぐ近くの町、マラハイド。郵便配達員は、とある家で第一発見者となる。
 その家には一人の女性が住んでいた。一人の女性、だけと思われていたそこには、監禁されたあとのある、二人の女性が発見された。三人の死体。さらにもう一人監禁されていたと思われる痕跡。この家で、一体なにがあったのか。

 なんとなくタイトルに惹かれて手に取って、著者はコペンハーゲン生まれ、話の舞台はアイルランド。最近の私にはとってもそそられる~と思って読みました。2013年刊の本。
 
 えーと、最初に家の住人として知られていたのはモイラ叔母さん。監禁されていたもう少し若い女性は、フィオナ・ウォルシュ、ロイシン(ロージー)・ウォルシュ姉妹。もう一人いたのはイーファ・ウォルシュ。ロージーと双子。
 密かに投函されていた、フィオナとウォルシュの日記を、郵便局員のナイルが発見して、事件が物語られる。

 で、日記が始まって、いやでもこれ、監禁されてヤバイって時に書いた、事件の真相の日記、でしょ? あまりにも文学的
 すぎない?? って思いながら読みました。

 ウェストコークの町で教師をしていたフィオナ。かっこいい真っ赤なバイクに乗って現れた、物語を語って旅する男、ジムに出会ったことが悲劇の始まりだった。一目でどうしようもなく惹かれてしまうセクシーな男、ジム。
 バーで、遠いあるいは近いどこかにあったお城、その王子と狼の物語を語るジム。町の人、あらゆる女たちを虜にしていく。
 だが、ジムは渡り歩く先々で女を殺していっているのではないか。

 ってな感じで、フィオナたちはジムに疑いを持ち、ジムは姉妹の叔母、モイラに取り入って結婚するとかになり。姉妹に余計なことをするなと脅すジムはイーファをレイプ。フィオナたちはジムを殺す。
 証拠のないまま時はすぎるかに思えた、けれども、モイラは姉妹の犯行の証拠をつかんだ、と呼び出して、監禁し、殺すことを企む。

 って合間に、ジムの語った狼と王子の物語もあったりする。その昔話みたいなお話は、実はジムと兄弟の物語でもあって。ナイルは日記を読んでハマってその昔話と思われていたジムの物語の場所を探し当てる。
 そんなこんなで、凝ったつくりの小説だなと思う、けど、凝りすぎててちょっとなんか、散漫な気がしたなあ。私は最初期待したほどには熱中はできず。やっぱなんか、被害者の日記、ってわりに切迫感みたいなのがないーと思うのが、乗り切れなかったかなあ。

 一人助かったのはイーファ。
 一応、関係者、というか、ジムも姉妹も叔母さんもみんな死んじゃってるから、警察沙汰になって事件解決めでたしめでたしって感じでもないのが、すっきり終わった感じがしないのかもしれない。
 ナイルだけは、日記を読んで真相を知った、ということなんだけど、それでいいのかー? これを元に漫画とか描く? ナイルはイラストレーターというか、絵を描く人になりたい、今はちょっとダメ人間なんだよなあ。
 ジムにもどうにも魅力が足りない、と、私は思って。まー、セクシーハンサムガイってことなので、もしもすっごい最高ハンサムな俳優とかうまくあてはまったらいいのかもしれないな。
 おわり。

 

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『パーフェクト・クォーツ 碧き鮫』(五條瑛/小学館文庫)


*ネタバレします。


『パーフェクト・クォーツ 碧き鮫』(五條瑛/小学館文庫)


 ソウルで情報漏れの調査をするべく赴いた坂下冬樹。韓国側の洪と組むことになる。
 ハニートラップをしかけた女、アヤラを追う。同じころ、本社では大物を釣る準備をしていた。意図せず二つの軸が交差する、マレーシア空港。ターゲットにされたキバノロ。ヨハン。事件は冬樹の目の前で起きた。


 『スリー・アゲーツ』から続く、『パーフェクト・クォーツ 北の水晶』ではエディと葉山、その同じ時期、坂下は何をしていたのか、の物語。
 アヤラってハニトラしかけた彼女、どーなの、と気になっていたので、その辺読めてとても満足。
 って、『スリー・アゲーツ』、この前読み直したけど、あれって20年くらい前に出てたの。まあ、それぞれ単体で読める一冊ごとだけれども、連なる小説が。こう、20年を経て出て、読めて、感激……。アラヤ、あなたのことが気になってた思いが私にずっとあったんだね、と、思う。別にずーっと考えてたわけじゃないけれども、この前再読してふむふむと思ってた所に、こう、読めて本当によかった。
 
 結局ヨハンは死ぬ運命。というか現実がね。北の水晶 と同じなわけだし。だから、坂下たちは間に合わないとわかりながら読んだのだけれども。それでもドキドキの緊張感はすごくあって面白かった。政治っつーか上層部で話はついてたみたいなことが今作ではもっとあからさまな感じ。現場の人間はたいへんだなー。


 一番大筋としては、坂下と洪がアヤラを追うこと。途中の道筋も面白かった。丹念に情報拾っていくのなー。洪と坂下の緊張関係というか、洪も大変だな~とか。
 んで、洪は葉山くんのことちゃらちゃらちらつかせるのがね~。坂下くん、そんっなに葉山くんのことラブだっけ? つか、葉山くんのほうからもマメにメールが来るし~電話くるし~。坂下が気乗りしないまでもなんか流れで遊ぼうとするタイミングで葉山くんからの電話きて未遂、ってなるのがもうううう~~。なんなんだこれ。薄い本が厚い公式が最大手なやつ???? とびっくりしてしまう。
 まあ、北の水晶 の時もそうだった……。エディと葉山くんの、嗚呼……。ご褒美ありがとうございます……。

 それに! 今回、ついにというか、葉山くんの母のほうの様子がちらっと。彼女を描いた絵が出てきて。それを落札したのがサーシャだった~。びっくり~。マジか。
 サーシャ、は、まあ、そうか。ロシア方面だから伝説の白雪姫に興味持つか。そうか。
 骨董屋でくつろいでいるサーシャのシーンにうっとりでーす。好きでーす。あーーー。サーシャも葉山くんが欲しいわけか。全方向にモテモテな葉山くん。やべえ。凄い。

 五條さんの作品世界って、ほんっと血とか遺伝子とか、家族の絆みたいなのが最重要ってなってる。裏切りと陰謀、非情の国家諜報の世界だから大切で信じられるのは家族だけ、ってなるのは、まあ、そうなのかなあとも思う。
 一方、すみれとかサーシャには身内的なものはもう何もなくて、ただ夢に情熱をかける、みたいになってる。
 血のつながりなくても、家族的な絆は持てる、かも。でも。


 サーシャはさあ、でもこの時期っていつなんだろう。亮司とは出会ってるのどーなの。そんなに葉山くん気にかけてていいの。革命のほうとはどーゆー物語の時系列になってるんだろう。
 革命の方の事件のあれこれ、エディや葉山くんは把握してんのかなあ。してないのかなあ。別世界なのか。そーでもないか。わからない。いつかわかるような話があるんだろうか。

 構想としては、というか作者の手元には? 頭には? 次作があり、さらに大陸編となる、らしい。書いてるのかなあ。読めるのかなあ。出して欲しいし読みたいすごく読みたいめちゃ読みたいお願いします!!!!!
 って思うけど、普通に商業出版してくれないと読めないし、作者が出す気にならなきゃ仕方ないのだろうし。
 また20年待つのかなあ。私そんなに生きてないかなー。もう私が読めることはないのかなあ。わからないけど。ふっと出るといいのにな~と願っておきます。

 

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『遠い声 遠い部屋』(トルーマン・カポーティ/新潮文庫)


*ネタバレします。(別にミステリとかではないしネタバレとか関係ない気がするけど)


『遠い声 遠い部屋』(トルーマン・カポーティ/新潮文庫)


 ヌーン・シティへたどり着いた一人の少年。ジョエル。13歳の誕生日に、会ったこともない父からの手紙がきて、エレン叔母さんと暮らしていたニューオリンズから旅立ってきた。
 スカイリズ・ランディングというお屋敷にいるはずの父。だがジョエルはなかなか会うことができない。
 従弟だというランドルフさん。父の妻エイミイ。台所仕事をしているズー。その父、ジーザス。町で出会ったアイダベル、フローラベルという姉妹の女の子。
 ジョエルの見た家。人。ジョエルのみた世界。


 カポーティの処女長編。半自伝的、らしい。親戚の家たら回しみたいな少年時代だったみたいだもんね。その頃経験したこととかモデルとかがあるらしい。

 身寄りのない少年がやってきた古い屋敷。町の人からは謎めいて遠巻きにされているらしい屋敷。住人はどこか悲劇的。父に呼ばれてきたのに、なかなか会わせてもらえない。秘密を抱えているような屋敷。
 ホラーっぽい雰囲気いっぱい。でも別にホラーではない。明確なストーリーがあるわけではないかなあ。ジョエルがそこで見た、出会った、聞いた物事が次々ゆらぎながら描かれていって、幻想めいて不思議な感触になる。

 子どもの世界ならではの混乱とか不自由さの感覚が鮮明だけど夢みたい。移り変わりの唐突さとか、なかなかついていけない~と思いながら読んだ。

 文章読みにくい。ティファニーの方がずっと読みやすかったなあ。まあ、これは最初の長編だそうだし。なんといっても22歳で書き上げたとかの、若き勢いみたいなのもあるのか。
 物凄く端的に言えば、子ども時代が一歩進んだ、少年の日々への別れの季節、みたいな感じ。

 鬱屈した屋敷から、町から、アイダベルと一緒に逃げ出そうとして、でも逃げられなくて。少し前に逃げたはずのズーも傷ついて戻ってくるほかなくて。一人で人気のない道歩いてるとレイプされちゃったりなんだな。辛い……。
 ジョエルももちろんまだ子どもで。
 しばらく寝込んで、一度死んだような気分になって。そして何かを諦め訣別して、家の中へ戻る。うつくしくて切なくて輝くラストシーンだった。

 ランドルフさんが、どうやらゲイであると。昔自覚して、でもどうにもならない感じでいて。ジョエルもなんかなんとなく。ランドルフさんと同じ人間だよ、というの。こういう自覚とかある感じかあ。わからないけどすごくわかる気がする。
 
 文章読みにくい、んだけど、描写の細やかさ、その表現の比喩の美しさ、面白さ、飛躍、詩的というのかな。すごくきれい。きれいは汚い汚いはきれい、みたいに、必ずしも美しい表現じゃなくて、うげー、なんかヤダ、みたいな生生しさのリアルもある。でもやっぱり幻想的。

 この本、翻訳出たのが1955年だかで。本国で1948年に出たのですね。70年以上昔の作品なんだな。カポーティの少年時代と考えると1920年代のアメリカ。私はその時代も何も知らないけれども、なんだかこういう暮らしがあった世界の手触りを感じる気がした。遠い昔の古臭さはあまり感じなくて、普通に読めたし面白かった。あんまりわかった!って感じではなくて、迷宮連れまわされるような気持ちになりながら。わからないけど面白くて、読んでよかったわ。

 

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『四月の雪』(古川順子/砂子屋書房)


『四月の雪』(古川順子/砂子屋書房)


 2020年10月刊。第一歌集。あとがきによると2011年から2018年頃までに詠んだ歌を再構成しておさめたそうです。
 
 なんとなくなのですが、多分古川さんが未来に来られてお歌が出るようになった頃のことを覚えてます。あとがきによると未来入会は2007年だそうで。私もまだ入ってちょっとの頃だ。
 まだ全然どんな方なのかも知らず、ただ歌でしか知らない間。とてもとても綺麗な、うつくしい歌がいつも目に留まって、あーすごい。うまい。いいなあと思ってました。岡井先生この人のことお気に入りだろう~~ってまったくもって一人勝手に嫉妬してました。(山木さんが入ってこられた時にも同じように思ってた)その後、お目にかかる機会もあって、ご一緒する機会もあって、それでさらにいつもお歌読むたびに、あー綺麗。すごい綺麗。うまい、と、ずーっと思っています。
 一冊の歌集となった歌を手にして、柔らかい滑らかな感触はますますうつくしく感じられました。

 一読の印象は淡くやわらかく、うつくしい歌の世界。具体的にどうこうの直接さは少なくて、幻想的だったりするけれど、簡単におもてには表さない、強い感情、芯、屈折、があるのだろうと感じられます。
 好きな歌に付箋をつけて、いっぱいつけて、ひかり、水、ということばがたくさんあって、私は好きで、でもこの歌の世界は甘くはないな、と、ひんやりした距離を感じます。
 あとがきにもありましたが、岡井先生が歌集をつくるといいと書かれていたように、古川さんの歌集できてすごくいいな、よかったな、って、この歌集を手にした誰もが思うのではないか。
 
 短歌ってひかりだな、と思いました。自分のために灯すちいさなあかり。ゆれる蝋燭みたいな。素直にそう思える、美しいことば、詩を、届けてくれてありがとうございます。


 で、いくつか好きな歌を絞って。


  春のひかり充ちれば重い荷のように流すよ笹の舟を浮かべて (p14)

 春の光を笹舟に乗せて流していく、みたいに読んだのだけれど、なんだかいろいろ不思議というかわからない。ひかりがみちて重い荷にようになるから舟で流す、というようなのって。ひかりには重さはほぼないだろうし、ひかりが満ちるってあかるく良いことのように思うのに、それが重荷になって、笹舟なんて頼りないものにのせて、流せるのか。無理なのでは。と、うねぐねと考えてしまう。まあ実景ではなくて気分のような、全体が喩なのだろうけれど。あかるくなってきたものの春の憂鬱という気分、かなあ。つかめない、と思いつつ、一見したときのきれいさ、と、あれ、よく考えようと思うとわからないな、ってひっかかりと、でも全体のきれいなひかり、みどり、水の印象がよくて、好きです。


  堆積のために重みを増してゆくひかり
  あるいは
  しろき文字盤 (p28)

 多行書きにしている歌が所々にあって、お、と思いました。あるいは、とあるけど、白い文字盤の腕時計の歌ですね。またひかりに重さが……。一連、仕事のある月曜の憂鬱、ままならない仕事の鬱屈が広がっていました。この一首の、「堆積のために」という説明のようで説明になってない感じが面白くて好きです。ひかりとか白いとかあかるいのに、重いの。


  そこのみに夏のひかりはあふれおり厨にふたつ残れる檸檬 (p46)

 夏の外に比べて暗い室内、台所で、ちょうどそこに光がさしていて。ただそこにある檸檬がふたつ、かけがえなく輝いてみえる情景だと思います。なんだか眩暈がしそう。なんだか泣いてしまいそう。檸檬ふたつ、の、鮮やかな黄色が奇跡のよう。精緻な筆致で描かれた絵画のようでもあり、印象的な一首。


  雨はいつ雨から水になるのだろう 名のないものにひとはなれない (p51)

 そうだな、いつだろう、と前半で思い。下句は、ええと、とちょっと考えてしまいます。人はたいてい名付けられている。親子関係とか社会的人間関係とかで娘とか友人知人とか、役割のものになっていたりもする、かな。世界中にたった一人、であったとしても、わたし、吾、というものになるのかな。雨だったら、雨でも水でもないあわいがある、って感じかなあ。でもなんかそういう理屈を言いたいわけではないのだろうと思うんだけど。はっきり読み切れないのですが、そうだなあとかわからないなあとか、これも考えてしまって好きな歌です。ほんのり悲しい。


  剥き出しの器官がふたつ澄みながらわたしを見てた(欲しかったもの) (p58)

 器官、っていう、それは眼だな。澄んだ目に見つめられて、見て欲しかった、欲しかった視線を得た、という。それがこういう表現で一首になっているのがすごい。「剥き出しの器官」ってちょっと怖い。ぬるっとしそう。それが「欲しかったもの」なのもこわい。人の何かを欲するってこわいなと、改めて感じちゃってこわくてすきです。


  まっすぐにのびる背中にかすかなる副音声がある 困ってる (p75)
  きみという生きている音そのおとのとおのいてゆくような復路は (p75)

 これらがある一連は誰かと出かけた感じかな? よくわらかないのだけれども。誰かの背中、まっすぐにのびる背中、という姿の美しさがある。それを見て、副音声がある、と、聞いてしまう。「副音声」って表現、面白い。裏の声を勝手に聞いてしまうのですね。その背中を見せている人は「困ってる」。何になのか、どうしてなのか、わからないけれども、読む私は、わたしとのお出かけ、わたしとの関係に困ってるんじゃないかな、この人。なんかごめん、みたいな切ない気持ちになる。次も同じく。帰り道、きみとの距離は近づけなかった。離れてしまうみたい。ため息をつくような気持ちを真ん中に遠回りするような表現で描かれていると思う。「きみ」のこと、じっと耳をすまして心傾けている感じがとても繊細です。


  にんげんのかたちにすこしずつ熱が輪郭を得てはじまる冬に (p103)

 冬の空気の冷たさの中で、にんげんのかたちが暖かい、のかなと。「にんげんのかたち」に「熱」がすっごくいいと思います。


  青空はひかりの過剰 ふところに幾億の星抱けるものを (p113)

 昼間の空は明るすぎて、星が見えないことをこんな風に表現している。「過剰」という断言にひかれました。私、「過剰」という単語が好きなんだな、って思ったな。


  こんなにも身体はだめでまぼろしの波音ばかり聴く耳がある (p116)

 ものすごくすごくだめな感じがします。ぐったりぱったりなんとか帰った部屋のベッドに倒れ伏しているイメージでした。だめな時なんだなーと。幻の波音に救いを求めているのかな。耳鳴りしちゃうような不調、みたいなことかもしれないのだけれども、幻の波音ってやさしいイメージだから、それにゆだねて安らげるといいなと思いました


  こんぺいとう ちいさき冬のかたちして放られているあかるさのなか (p118)

 初句で、ぽん、と切れて、それが小さい冬のかたち、と見ているのが可愛いし、なるほど、って納得します。白い金平糖なんだろうなと思う。それが放られている、明るさの中に。放り上げてぱくっと口で受ける遊びだったりするのかなと想像します。軽やかで好きでした。


  閉じないでいる眼に花は降りやまず ひとという皮もずいぶん重い (p132)

 「ひとという皮もずいぶん重い」のところが物凄くて、ぐっときました。一連のタイトルでもあります。うう、生きてるってたいへん。他の歌もみると「きみ」への執着があるようで、でももう諦めようとしているようで。自分本体はもう幽鬼のようだ。なんとか、ひとという皮被って、生きてくしかない……。


  しろい陽がからだを通り過ぎるとき無数の傷はあたらしく生る (p182)

 陽、は、あかるくてあたたかくて良いもの、と私はイメージするのに、それで無数の傷ができてしまうという痛々しさ。ガラス細工の生き物みたいです。どうしたらいいのかわからないし何もできないけどこの歌、見つめていたい。


  闇にたたずみ咲くさくらばなみつみつとそうだったあれはあらがう力 (p189)

 闇。だけど、桜の咲く闇、花がみっしり咲いていて、それは「あらがう力」があるもの。あらがって咲き誇る、美しい世界だと思いました。


 歌の世界は繊細で美しくて、けれどちゃんと仕事をしてたり生活してたりもほんのり見える。ひらがなの使い方も好きでした。言葉の豊かさを感じました。やわらかくさらりと歌われているようだけど、私、結構わからない言葉があって、調べつつ読んでます。というかやはり私があまりにも無知なだけか……。そんな私にも短歌ってひかり、と、思わせてくれて、ありがとうございました。

 

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『歳月の庭』(加藤ミユキ/ながらみ書房)

 

『歳月の庭』(加藤ミユキ/ながらみ書房)


 第七歌集。2020年9月刊。2007年~2019年まで、目次がある。その期間の作品からまとめた歌。「年齢では、七十九歳から九十一歳に当たります」とあとがきにありました。すごい。

 日々の出来事が丁寧に描かれていて、いろいろなことをおっとり教えてもらっているような気持ちで読みました。自転車で転んじゃったりしたんだな、そういえばうちの母もこの前自転車で転んで、車輪ちょっと小さめの電動アシスト自転車に変えたっていってたなあ。なんて、歌を拝読しながら、自分のこともあれこれ思うのでした。
 お子さんのこと、お孫さんのこと、何より夫のこと。家族を大事に暮らしてらっしゃるのだということがよく伝わってきます。季節の移り変わりがあり、庭の様子なども一緒に見ているかのように感じられました。


 いくつか、好きな歌。


  剪定をせし中庭は明るくて蟬の居場所をふとも危ぶむ (p29)

 剪定して明るくなった、と見る庭に、蝉のことをちょっと心配している。お、そういうことを気にかける作者なのだなあと、優しさが伝わってきて、いいなあと思いました。


  吾が編みし小さき布団に眠る猫陶製なれば起きることなし (p33)

 するすると読んでいて、え、陶器の猫なんだ、と小さな裏切りにあった気持ちがして面白かったです。そして陶器の猫に小さい布団編んでおいてるんだという風情に可愛いなあ、優しいなあと、びっくりからにっこりの気持ちになりました。


  三人子の齢かぞへる誕生日私の生命たうたうと在る (p59)

 子どもが三人いる、そのことを、その子がいる今を、「私の生命」と感じるのですね。私は子どもがいなくてまるで思ったことのない感慨なので、ああこんな豊かさがあるんだなあと、不思議で新鮮な思いがしました。


  つれだちて秋色の森見ずなりてはや幾年ぞいよよ夫老ゆ (p75)
  山車にのり笛吹く息子眺めゐる老いさらばへし夫の眼は父 (p89)

 老いと病とある夫との日々、でしょうか。常に寄り添って、夫を思い、夫を見つめている作者の視線があります。息子を晴れがましく眺め、それを見ている夫を見て、その眼をやっぱり父親だなあと思って。家族のつながりを大切になさっているんだなあと伝わってきました。


  『うたびとの日々』に顔出す母われの名古屋弁丸出しのページはとばす (p98)

 くすっと笑ってしまった一首。息子に描かれる母である自分の姿がいまいち気に入らなかったのかなあと思いました。いやあるいは嬉しくて照れくさくて読めないわ~ととばすのかな。何にせよ、息子の本に登場する母、も、書かれた母である作者からの歌もあるのってすごいです。


  「ミユキです」夫の耳にもの言へど応答もなきに再び三度 (p125)
  言葉なく暗闇の道ひた走る車の内に吐息は満ちる (p126)
  まだ温みある手を握り夫をよぶ生涯に二度となきわが声音 (p127)

 「夫」という一連。最期にあうところ。すごく臨場感ある歌が並んで、切実な思いがとてもよくわかります。こんな風に描くことができるんだな。歌人だなと思いました。「生涯に二度となきわが声音」という表現が凄くて、そのかけがえのなさ。逝ってしまった夫を呼ぶ、生涯だた一度の自分の声。凄いです。


  生前の夫の食事の時間帯今もくづさず夜の盃も (p130)
  傍らに人居るごとき手のかたち夫はまさしくわが横にゐる (p143)

 体としての夫は亡くなっても、夫とずっと暮らしているのは同じ、という気持ちが伝わってきます。歌集ずっと、夫といるという作者の気持ち、暮らし、姿があって、長く連れ添い、心ひとつということなのだなと、胸をうたれる思いでした。


  店の前坂ありいつも「がんばれ」の歌口ずさみ吾を励ます (p177)

 よいしょっという気持ちがすごくわかる~って思いました。がんばれの歌を口ずさむというのが素敵です。こう、日常の中でちょっとずつ何かのたびに自分を励ましながら、なんか無理矢理ではなくてちょっと楽しむように、というのがいいなあと思います。私もそうしようって思う。


  なきがらの蟬をひろひて葉の上へ昨日置きし蟬も安らぎてゐる (p186)

 蝉のなきがらを葉の上に置く。きのうも。今日も。正直、私は蝉が転がっているの毎年すごく恐怖で、何もできず遠巻きに通り過ぎるのみなのです。作者のこうした姿、尊敬します。でもやっぱり怖い。すごく印象に残った一首でした。


  美しく夜が明けたりととのへて枕辺に置きし衣に手を通す (p198)

 きちんとした暮らしの姿がとてもうつくしく感じられました。静かな夜明けの気配。美しく、夜が明けるのですね。
 ずっしり重い一冊でした。ありがとうございました。

 

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『亀さんゐない』(池田はるみ/短歌研究社)

 

『亀さんゐない』(池田はるみ/短歌研究社)


 第七歌集。2020年9月刊。2015年から2020年の間の作品。

 やわらかい言葉で綴られる穏やかな世界。と思うけれど、読むごとに深く厳しい視線の芯があるのもしっかり感じられる。
 70代を迎えられたんだな。お孫さんがまた増えたのだな。なんて、とても親しく感じながら読みました。ほんとは別にお隣さんでもなし、知らないんだけれども、読んでいるととても親しい隣人のように思わせてくれる歌集です。

 ひとはくっきりとひとり。
 そんな風に思いました。さびしいだろう。さびしくはないだろう。自分が生きていること、まだしばらくは多分生きていくだろうということを思いながら読みました。読んでるだけで豊かな気持ちになれた、と、錯覚? でも、そう思えてよかった。 


 いくつか、好きな歌。


  いまわれは何をしてゐるのだらう電話・パソコン・テレビのなにを (p11)

 ちょうどうちのテレビを買い替えたばかりで、ああ~そう、と共感が深かったので。買ってきて電源入れたらおわりじゃなくて、何らかの設定を求められて、なんかとりあえず「はい」決定、とかしたりして。なんだろ……って思って。これからますますわからなくなるのかなあ。もっとするとブラックボックス化して、電源入れるだけでOKになるのか。それはそれでこわいのかな。わからない……。


  足あとがつくほど降つて 足跡を消すほど降つて まだ雪止まぬ (p18)

 すんなりとした一首で、雪が降ってきて積もってきてそしてもっと降って、という時間が見えます。ひらがなと漢字の違いのバランスで後半の方が硬そうに感じられるの、一晩たって一度凍ったのかなとか想像できる。さりげなく、けれど的確に伝わる、こういうのすっごく上手い歌といえるのではと思いました。


  亀さんは大くすのきの下が好き ゆつくりゆつくり来たりしものを (p36)
  亀さんはさびしくないよというてゐた くすのきの影ふかぶか差して (p37)
  甲羅干すカメのあつまるくぢら池 柵にもたれてわれは見てをり (p38)
  白昼にはたらく蟻は音たてず ゆつくり時はすぎゆきにけり (p44)

 「亀さんゐない(平成二十八年夏)の一連から。この亀さんは、手押し車を押してゆっくりあるく高齢の方、とわかるのだけれど、どことなく絵本を読んでいくような、生き物の亀の擬人化のような景色を思い浮かべる風情があって、とても味わいある好きな世界です。途中、これはホントに生き物のカメが甲羅干していたり。蟻を見ていたり。作者の描いてくる世界が日常と幻想のあわいみたいなふんわり感があり。けれど、老いとか、社会批判とか家族を思うとか、いろいろに広がっていて、面白かった。


  すぐそこにくる怖いこと世界中に「壁」を作りていがみあふこと (p51)
  「年取つてひとり」はみんなさうだよとうしろ姿のいふがごとしも (p54)
  老若の壁をひつそり耐へながら亀さんいつしか見えなくなりぬ (p54)
  亀さんのこゑたうとう聞かず そよ風のやうな時間を見せてくれしが (p62)

 その後にも亀さんがゐた姿が描かれています。「壁」は、トランプ大統領になった時のことでしょう。壁をつくる、のは、その後全部実現されたわけじゃなかった、かな。けど、世界の分断は進み、ということを思います。そしてコロナ禍で世界の分断、国の区切りはもっとあらわになったな、と思ったり。
 亀さんの姿に年を取ってゆく自分、を、作者も読者の私も重ねます。社会のスピード、あわただしさの中でひとり歩くゆっくりさが。邪魔にされるかもという怯え、でも一人一人の歩む速さはちがっていて当然だよねと思う。
 あれ、亀さんの声をきかない、って、話したこともないのかな、と思う。あとがきによると、ただ町で時折みかけただけの人、とのことで。そういうすれ違うだけの小さな縁から、こういう歌たちがうまれているのってすごいなと改めて思いました。


  ひとの世にひとりでママが育ててる女の子ゐて歌会にくる (p96)

 「子ども」という一連で、最初はパンダの赤ちゃん、シャンシャンが生まれた、可愛いね、という始まりから、上記の一首があり。パンダの赤ちゃんに浮き立つニュースのことを思い、そこに費やされる人、金があり。それはそれで、よしとしても。赤ちゃんパンダ、可愛いものね。
 でも一方で、子育てをする人の世のやるせなく世知辛く大変すぎる、時に惨いニュースのあまたあることを思い。一連、やわらかくやさしく歌われているのだけれども、この一首、本当に切実に鋭く深く刺さってきて、今また見ても目の奥が熱くなって泣きそうになって困るのでした。泣かないけど。泣くほどわたしはわかってないと思うけど。


  七十の新婚だつた岡井さんを知らんふりして見てゐしわれら (p110)

 七十で新婚だったのかあ。そういう時に何かでご一緒してて、ちょっとうふふと思いつつみんな大人なので、知らんぷりしてる、という情景でしょうか。作者が七〇になって、思い出した、という事でしょう。そういういろんな情景教えて欲しい。


  三月は七十代の一年生さつそくに傘置き忘れたり (p117)

 「三月生まれ」という一連。お誕生日が三月にあるのですね。傘を忘れちゃった、という事がユーモアで描かれていて、でも多分これまでにだって誰にだってそういうことはあると思う。「七十代の一年生」というちょっとした言い訳でふふって思う感じが、いいなあと思います。


  「まだやのに きふにあつうて満開になつてしもてん」はにかむ桜 (p118)

 桜のことばを代弁している歌。関西の言葉でアテレコしてるのが面白くて、作者の内心の言葉はこういう風な言い方になるんだなあと思いました。はにかむ桜に、あらあらいいじゃない、きれいよ、ってさらに話しかけているんじゃないかしら、と、読んで私の中で作者の会話を想像しました。


  ながあめを連雨と言へばうつくしく草叢のなか水ひかりをり (p147)

 *ルビ「連雨 れんう」  この歌がある一連、葬儀の場のようです。長い付き合いのある方の最期。小さな子もいるちょっとした賑わいもある場の空気が伝わります。そしてこの歌のように、美しい言葉で言える、と、心を自分で少しでも哀しみの暗さからひかりのほうへ向けているのだと思います。一首で読んでもすらりときれいな姿の一首で、ことばの、歌の良さを感じました。


  からだからある日ことりを音がせりさびしさの芯がぬけてしまうた (p149)

 これは芯、というか、栓、のように読んだのだけど。さびしさをせき止めていた器に栓があってそれがおちて、さびしさが溢れてしまう、というような。夫の手術がありひとりの不安寂しさの日々のようで。でも「芯」だから。寂しいとかの気持ちの張り詰める塞がれる感じから、ふ、と力が抜けた、みたいな感じなのかな。うまく読み切れないのだけど、「ぬけてしまうた」という結句の印象にもひきこまれて、あ、なんかこういう実感を覚える時がくるかもしれない、と、わからないけど実感がくるような気がして目がとまる歌でした。


  総武線東中野の駅に降りちよつと探しぬ岡井隆を (p162)

 東中野は未来の発行所がある場所。岡井さん始め、編集委員の方が集まって編集会したりします。多分だけどその編集会に作者が行くとき、岡井さんいるんじゃないかな、と、ちょっと探す感じ、とてもわかる。一連読んでると、あー岡井さんがもう来なくなった時期で編集会でみんなが岡井さんお元気かしらとか話してたあの頃だなあと、わかります。とても、わかる、と思えていい、けど、今はまだ読んでとても、寂しいです。


  口中にするするすするよろこびをもたらすうどん うどんは偉い (p173)

 お孫さん? 一歳前くらいの子どもの離乳食に付き合ってる場かなと思います。が、それでなくてもいい。うどん、美味しい。うどんを食べるよろこび。「するするすする」の表現のあかるさ。「うどんは偉い」という断言もいい。同意です。池田さんのお歌でごはんが出てくると、すごいご馳走じゃなくても美味しそうでいいな~食べたいな~と思います。うどん食べたいな。


  華やかなコロナと思ふかろがろと人から人へうつつてゆけば (p178)

 歌集の終りの方、は、今年の事で。「華やかな」と表現しているのが凄味があると思いました。社会の混乱と不安は非日常感がすごくて、それはなんだか祭りの非日常にも通じるかも、と、思う。勿論違うのだけれど。こう表現してる一首をちゃんと歌集に入れていていいなあと思います。


  すれちがふ人はやや頭を下げくれぬ折れ合ひながら生きてぞゆかむ (p188)

 *ルビ「頭 づ」  二〇二〇年、五月、で、この歌集のラスト。みんなマスクをしていて。大声のお喋りなんかもよくない、とみんなわかってきていて。すれ違う時、気軽に挨拶やお喋りをしない、ちょっと会釈をする感じ、だと思う。お互いに。どうなるんだろう。みんな死ぬのかな。なんて私も思ったことがあり、でも大丈夫だろうって思ったり、でもわからないと思ったり。今もまだ先は見えないですね。「折れ合いながら」おりあう、と同じか。互いに譲り合い、解決していく。「生きてぞゆかむ」という言葉が大袈裟でなく切実であることをわかっています。今、の心が率直に記されていて。こういう歌が、あんなころがあったね、大変だった、と、穏やかに振り返る時がきますように。


 お相撲の歌もまた社会詠であるなあと読みました。あとがきもしっとりした思いで読みました。あとがきの最後に岡井隆の訃報が届いたとありました。リアルタイムを共有した思いで読んだ一冊でした。ありがとうございました。

 

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『パールグレイの瞑想』(岡田衣代/書肆侃侃房)

 

『パールグレイの瞑想』(岡田衣代/書肆侃侃房)


 第四歌集。2020年7月刊。2012年から2020年の歌から351首を選んでの一冊だそうです。
 瞑想、というタイトルのように、ゆっくりとひとり自分の中から紡ぎ出している歌があつまった歌集だと思いました。空白をいう歌があったの、余白や空白、記さないことのほうがたくさんあるような一冊。

 あとがきを読むと、声紋の癌の手術で声を失ったとのこと。そういう中でいっそう短歌が大事になったと。私にはその辛さを推し量ることしかできません。この歌集の中で、自在に歌をいろいろに試して楽しんで作ってみせてくれているのだなあと思います。
 正直言えば私の個人的好みとしてはどうかなーと思ったりする歌も多々ありました。でもこのきれいな歌集がただ綺麗なだけでなく、作者の世界の強さを広げるものであることを、読んで味わうことができてよかったです。


 いくつか好きな歌。


  心地よく白身にいつも庇われて夢見る黄身よ 殻割ってやる (p36)

 卵のことですね。ふむふむと読んでいたら不意に意地悪しちゃうみたいな結句でびっくりして、しばらく手がとまってしまいました。。黄身を夢見るお嬢様みたいに捉えているのも面白かったし、そういう見立てをしてる卵だなあと思いながらコンッと殻をぶつけて割っちゃう。白い卵ってピュアな印象あるかなあ。それを割って食べるって、なんか考えるほどにひどい、みたいな気がしてしまう、ってなるような、インパクトがある。ただ卵を割る、なんでもない日常の行為がちょっと複雑なユーモアな世界に変わってしまった。面白かったです。


  ひかりとは旋律に似て静けさの極まるかたち 春がきている (p56)

 ひかりには形はなくて。旋律だって静けさだって形はなくて。それを「かたち」と歌いとめていてとても綺麗だと思いました。あかるくなる春がきているという感じってそういう感じ、と、素直に同意します。


  どこからかこそっと逃げ来たネジの子よ、なぞなぞなんぞを仕掛けてくるな (p64)

 あれ? と、どこかの何かのネジが落ちているのに気づく、って、あるなあと思いました。え、何のネジだろう? どうして? いいのかなよくないのでは? どうしよう。って、小さなネジに語りかけているユーモア、面白かったです。下句の「なぞなぞなんぞ」の響きも楽しい。


  新聞の分厚き手ごたえ昨日とはこんなに確かなものであるのか (p71)

 何か大きな事件があったのか、何か特集版だったりするのか、新聞の分厚い手ごたえを改めて感じた時に、それを「昨日」のたしかな手ごたえと表現している感動がありました。なんとなく不穏な出来事、って思ってしまうのは私の問題かな。あんまりいいニュースにこの頃思いがいたらないなあ。


  どうしても摑めなかった春風の羽根のようなるそのひとり言 (p83)

 ふわふわな気分で読んでいって結句が「ひとり言」と着地したのが面白かったです。掴めなかった誰かのそのひとり言は何を言ってたのでしょう。春の気分を思いました。


  足元に小さな螺子が転がってガクッガクッと私がずれる (p144)

 ちょっと前のネジの歌とは違って、こちらはシリアス。私の螺子なのだろう。私の大切な。ずれて不安定になっても、倒れずにいるのだ、と思った。全体、喩としての歌だけど、深い実感、思いが伝わってくる一首。「ロープ」というタイトルの本の最後の章は、重く感じられる歌が多く、いっそう深く味わわせてもらいました。

 

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『ジューンベリー』(小川佳世子/砂子屋書房)


『ジューンベリー』(小川佳世子/砂子屋書房)


 2020年7月刊。第三歌集。2016年からの約400首をほぼ編年順に集めました、という一冊。

 薄紙に包まれた表紙で、わ、歌集っぽい、と思います。この紙を破ってしまいそうと思って、こういう本を手にするときにはいつもかすかに緊張する。

 病や怪我、怪我? 検査や入院、骨折の日々があまた綴られていて、小川さん大丈夫かなとまた改めてハラハラしながら読みました。
 父と母との関係や、思い。生きる事、子どもがいないこと、実感を感じて共感したりはるばると想像したり。
 鬱屈や悲しみは確かにあるけれど、きれいな軽やかさもあって、作者の力であり、短歌の力であるのかなと思う。定型で一首、すっとたつ言葉は確実な一歩一歩だと思う。一首のかたちにいれた思い、出来事はあとをひく湿っぽさではなくて、一滴一滴ひかる雫みたい。歌に寄り添う気持ちで読めました。


 いくつか好きな歌。

  思ったより寒い紫陽花の角を曲がる だれかの日かげはだれかの日なた (p19)

 寒い/でちょっと切れる風に読んだ。意外と寒くて。紫陽花の花の色をみて。角を曲がって。そんな風にぽつぽつ途切れながらにいるような感触。下句の感慨はとてもわかる。日向も日陰もただ単純にそう、ではない。かすかに諦め、やわらかく許し、みたいな印象があった。


  「気がめいる」と言ってもいいよそのほかに「西日がイヤ」と言ってもいいよ (p46)

 いいよ、いいよのやさしい肯定が好きです。ちょっとした愚痴、西日がイヤっていうささやかな、でもわかる~と思うとりあわせ。この歌がある一連は、姪御さんとのラインとかあるんだな、と、父との苦い思い出とがあって、家族って、と思う。家族ってねえ。


  痛い場所もなくて阪神戦を見るこれは確かにいつもより楽 (p62)

 「検査入院」という一連にある歌。検査だけなのでちょっと気楽、なのかな。阪神ファンなんですよね。能見さんが登板あった時なのかな、と勝手に想像して、ちょっとふふって思った歌。でも、「痛い場所」がよくあるんだな、という背後も感じて、単純に笑えはしないのだけれど。ふっと軽みのある歌で、好きです。


  賞状より歩ける方がいいのにと一瞬思った 一瞬だけです (p72)

 ながらみの賞をとった授賞式の時の一連だと思います。私もお会いできて嬉しかった。旅のようす、思いが伝わってきて、うんうんって思いながら読みました。一瞬思った願いの切実さ、でもすぐ「一瞬だけです」って打ち消すのもほんとなのだろう。両方だったらいいのに。


  あなたには書いてほしいと思います誰も知らないわたしの昔を (p103)

 誰も知らないわたしの昔、を知っている「あなた」がいるのがいいなあと思った。語順がうねうねしてますが、それが屈折の感じかなと思う。あなたは書く人なんだな、というのも、いいなあと思います。


  大泣きをしそうになるやん 踊り場で元気そうやと言われてしまい (p127)

 これより前にも元気そうと言われたって歌があり、多分言った相手は励ますつもりの善意であるのは言われた方もわかっているんだけれど。元気そうに見えるのはいいけど、元気じゃないんですよね。踊り場で、だから、階段でちょっとすれ違いざまに、という場面だと思います。多分その場は明るく挨拶してすれ違って、心の中で泣きそうに、大泣きをしそうになってしまう。「なるやん」という軽やかな言いぶりで作られた歌だけど切なくて私も泣きそうになった。大泣き、そう簡単にはできなくなってるけど、泣いていいよね。


  もうもとのからだのかたちに戻れない 夏が雨滴にかわって落ちた (p144)

 「からだのかたち」という表現にひかれました。少しひいて客体化した自分を繊細に見ている感じ。下句の夏という大きな形のないものが、雨滴という小さな水、天からの水、目の前に落ちてくるもの、にぎゅっとなる感じも、腑に落ちる。この飛躍を私は説明できないなあ。でも、詩だと思いました。


  青空にジューンベリーの花の白 今までのすべてに号泣したい (p159)

 ジューンベリーがどういう花なのか私は知らなくてちょっとぐぐりました。木で白い小さな花が、春?初夏?に咲くのですね。果実は6月に収穫、ジャムにしたりできる。6月のベリーか。青空の白い花を見上げて深呼吸する気持ち。あかるい景色の中で、下句の言葉の切なさがぐっときました。歌集のタイトルにされている歌ですね。青空、ひかり、花を見上げて、泣きたい気持ち。でも泣いてない気持ち。強く印象が残る一首で好きです。


  日日ままは耳から遠くなってゆく絶叫しているひまわり畑 (p167)

 母との二人の暮らしも多く描かれていました。耳が遠くなる母の姿、ひまわり、この歌はゴッホの絵を連想させますね。「まま」という表記、呼び方、はかり知れない屈折があるように思いました。淡い水彩ではなくごつく塗り重ねた油絵みたいなのかな、と、想像しました。なんか迫力ある一首。


  新しい年の日記は黄色くて「かなしい」が書かれませんように (p187)

 黄色は明るい色。暖かい色。かなしい、が書かれないように私も願う。普遍的な願いだと思う。たのしい、が、たくさんありますように。


 とはいえ、今年の夏、岡井隆の死があったのだったと思ってしまった。私もまだまったくのみこめていないのです。でもこの歌集はちゃんと届いていると思う。空を見上げていきましょう、って思った。青空を。白い花を。読めてよかったです。

 

 

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