『ジャコメッティ』(矢内原伊作/みすず書房 1996年刊)


『ジャコメッティ』(矢内原伊作/みすず書房 1996年刊)


ジャコメッティの、あの細くひょろ~~~っと長い彫刻は印象的で、何も知らない
ながらも好きなだなあという思いはある。
ジャコメッティ展やるらしいと先日知って、せっかくなのでちょっと予習して
みようかなあと、読んでみた。
矢内原伊作のことはもっと何も知らないんだけれども、何度もモデルをした
日本人、ってくらいの感じで読み始めたのです。が。
すっごい!これめっちゃ面白い!!!!!

「ジャコメッティとともに」
「その後のジャコメッティ」
「ジャコメッティからの手紙」
「ジャコメッティについての日記・手帖」

写真もいくつかあり。矢内原、こんな顔なのかあと思う。ジャコメッティが
描き出そう作り出そうと苦悩した顔。

パリに留学していてもうすぐ帰国、帰国の前にはかねて憧れの中東旅行しよう、
エジプトにはぜひ行かねばと計画している矢内原。肖像画を描いてくれるなら
ありがたいなあ、ってくらいの軽い気持ちでモデルを引き受けたものの、
ジャコメッティはヤナイハラの顔を描き出すことに尋常じゃない情熱を傾け、
苦悩しながら描き続けるその執着にひきずられて、旅行の計画はずるずると
伸ばし、中東戦争勃発でさらに帰国は伸び、結局数日のつもりのモデルを
二か月以上も続けることに。

途中出てくる交友関係もなんだがゴージャスで、サルトルとかジャン・ジュネとか。
1956年ごろのパリって、こんな感じだったのかなあというのを知るのも楽しい。

で、帰国してからも夏休みの旅に出かけていって、ポーズする矢内原。
この二人の蜜月の記録、すごい。

芸術家はモデルを捉えて作品にしようと苦悩しながら芸術を高めていく。
モデルは囚われながらも超然とポーズし続けて、見つめられながらも芸術家の
苦悩を見つめ返している。
互いが互いの王であり奴隷であるという、この、称賛と絶望の振れ幅の激しさ、
執着、尊敬と愛情。
この素晴らしい二人の世界は、恋と呼ぶしかないでしょう。らぶらぶキスして
だとかいうのとは違うけれども、こんな風な二人の絆に名前をつけるなら、
それは恋でしょう。

芸術家と、哲学者と。すごい二人の世界をこうして書き記し残してくれてよかった。
矢内原さんありがとう;;

あまりに素晴らしくて、感動して、もえころげて、嗚呼~今まで読んだこと
なかったなんて自分の馬鹿っと思い、でも今これを読むことができてしあわせっ、
と感激し。最高の読書体験しました。
好きだーって付箋つけまくって、書き写してたら一万字くらいになったよ。
好き。好き。素晴らしい。面白かった。

少し、書き写した一部。胸きゅんすぎるでしょ。


 「「写生からやり直さなければならない、私はこういう風景が描きたい、
 それはどんなにすばらしい仕事になるだろう。ああ、したいことが多すぎる。
 彫刻もしなければならないし、きみの顔も描きたいし。」
  アトリエの前まで来てぼくは別れた。別れるとき彼は、「数日中に来てくれ
 ないか、きみの顔が描きたいから」と言った。」(p14)


 「はじめてモデルになるぼくは緊張し、かたくなっていた。自分の首がどちらに
 傾いているのかわからない。「そうだ、それでまっすぐだ。動かないで。」
 やっと彼はそう言い、すぐ鉛筆を動かしだした。「美しい」とか「すばらしい」
 とか嘆声を発しながら。それが何を意味するのか、はじめぼくはわからなかったが、
 それは僕の顔のことなのだった。「デッサンするにはあまりに美しすぎる。」」(p22)


 「「いや光のせいではない、自分にはよく見える、見えるがそこに達しないのだ。
 見えないのはヤナイハラではない、ヤナイハラをとらえる方法だ。」それからまた
 しばらく仕事を続けたあとで、「美しい、すばらしく美しい。」「ワグナーが?」
 と訊く奥さんにジャコメッティは少しおどけた調子で、「ヤ・ナ・イ・ハ・ラ」
 と一言ずつ切って答えた。ぼくはこんなふうに言われるのはむろん初めてだから、
 なんとも妙な気持ちだが、ひたすら無念無想を念じ、表情を少しも変えないように
 努めた。」(p23) 


 「「この顔は充実性と重さをもっています」と言うと、「そして同時に軽さもだ。
 頭ほど重く、そして同時に軽いものはない。それは山のように重く、それでいて
 船のように軽々と空中に浮いている。どうしたらそれが描けるか。」そう言って
 彼はぼくの顔をまじまじと凝視し、まるでぼくにたいして怒ってでもいるかの
 ような声で、「きみは私に恐怖を与える」とつぶやいた。」(p51)


 「「あなたはあまりにもペシミストでありすぎる。」とぼくは少し怒ったような
 声をだした。「毎日進歩している癖に駄目だ駄目だと悲観ばかりしているでは
 ありませんか。あなたが自分の仕事を駄目だということはポーズするぼくの努力が
 無駄だということですか、ぼくはそうは思いません。第一、今日のタブローは
 昨日よりも進歩しているではありませんか。」「昨日にくらべれば無論遙かに
 進歩している」ジャコメッティはぼくの見幕に驚いて言う。(p74-75)

 そして哀願するように、「きみは、いつでもポーズをやめる自由をもっている。
 しかし明日もう一日だけ続けさせてくれ、明日もしもうまく行かなければ私は
 もう二度と絵を描かない。」「明日も明後日も来ますよ」とぼくは答えた。
 「ぼくがポーズするのは、あなたに依頼されたからでも肖像画が欲しいからでも
 なく、ポーズしたいからするだけです。肖像画ができなくてもかまいません。」
 「きみはかまわなくても、私はかまう。どんなことがあっても明日はきみの鼻を
 つかまえなければならない。ああこの鼻。」そう言って彼は腕をのばし、
 その太い指でぼくの鼻を強く突いた。」(p75)


 「ぶつぶつ言っているジャコメッティを奥さんがなだめ、三人で会場に着くと、
 いろいろの人がジャコメッティに、「この頃はどこにも姿を見せないが一体
 どうしたのだ、もうスイスに出かけたのかと思っていたが」と言う。そのたびに
 彼はぼくを顧みて答えた。「この日本人につかまっているのでどこにも出かけ
 ない、自分は今ムッシュー・ヤナイハラの奴隷なのだ」と。「とんでもない、
 ぼくのほうこそ奴隷ですよ」とぼくは笑う。そんなジャコメッティとぼくを見て
 人々は怪訝な顔をしたり微笑したりした。」(p101-102)


 「なおも休みなく描き続けながら、「ああ、せめて一年間こうしてきみの顔を
 描き続けることができたらいいのに」と彼は嘆息する。そして、「私はルネッ
 サンスや近世初頭の宮廷のお抱え画家が羨ましい。もしもきみが王様だったら、
 私は一生傭われて王様の肖像画を幾つも幾つも描くのだが。」「召使いのように
 傭われて王様の顔ばかり描かされるのはむしろ悲惨ではありませんか。」
 「悲惨どころか、それこそ最も理想的な境遇だ。」「報酬はひどく悪いですよ。」
 「報酬などはいらない、台所の隅で下男と一緒に食べさせて貰うだけで沢山だ。
 もしも王様がポーズするのにあきたら、家来にポーズさせて顔の描き方を研究
 させたらいい。他の何ものにも煩わされずに一つの顔を一生描き続けることが
 出来るということ、これ以上の境遇は望めない。」」(p125)


 「時間がたつにつれてジャコメッティの仕事ぶりは殺気だってくる。身をよじり、
 叫び、地団太をふむ。「これ以上この不条理な仕事を続けることは狂気の沙汰だ。
 そうだ、これは確かに狂人の仕事だ、王様は御用画家を変えたほうがよくは
 ないか」と彼は言う。「私が王様だとしたら」とぼくは言った。「この仕事を
 続けることを命令します。」「そうか、それで安心した。王様の命令ならば
 仕方ない、もう私はきみに同情したりはしない。私は王様の命令に服従する
 奴隷にすぎず、仕事の結果がどうであろうと、その責任は王様にあるのだから。」
 「いやいや、私のほうが奴隷ですよ、毎日ポーズをさせられて。」こう言って
 しまってから、これは失言だったな、とぼくは気がついた。人を強制して何かを
 させるということほどジャコメッティの嫌いなものはないからである。案の定、
 彼は幾分むきになって、「私はきみを強制したりはしない、きみはポーズを
 やめたければいつでもやめられる。私の運命はきみの掌中に握られているの
 だから、やはりきみのほうが王様だ」と言い張った。王様はジャコメッティが
 描こうとするぼくの顔そのものであり、彼とぼくは共にその奴隷、ただし自由な
 意志でこの王様に仕えることを選んだ奴隷なのだった。」(p127)


 「 疑いもなく、彼の名前と作品は、二十世紀の輝かしい記念として後代に
 のこるだろう。だがそれが何になるか。「もう少しの勇気を!」その絶叫は
 彼の彫像のように、凍りついて宙に浮かんだままだ。こんなバカなことが
 あるだろうか。重い気持ちでこの原稿を書いているとき、夫人のアネットさん
 から長文の電報がとどいた。ではやはり彼は本当に死んだのか、私のアルベルトは。
 私は私自身が死んだように感じる。」(p172)


 手紙
 「 きみは知っていない、私の極めて親愛なヤナイハラよ、私のためにきみが
 どれだけのことをしてくれたのかを。われわれのすばらしいアヴァンチュールは、
 一昨日以来、われわれはあくまで自由であって欲する時にまた会うことができる
 ことを知っているということだ。しかしいまは、まだきみがここにいるかの
 ように思われる。今日はこれのみ、近いうちにまた書こう。   
  きみの アルベルト・ジャコメッティ 」  (p178)


 手帖
 「九月八日 木曜日
  午後五時、胸像。
 呻きながら仕事を続け、時に叫ぶ。
 G「オー! ヤナイハラ、ヤナイハラ……」
 しばらくして、
 G「キリストは十字架の上で何と叫んだか、エリ、エリ、レマ、サバクタニ
 {わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てですか}、私はヤナイハラに助けを
 求める、助けてくれ!と」
 Y「ぼくは何もすることができません」
 G「私を助けるのはきみだけだ、きみを除いてはだれもいない」」 (p247)


  愛の話。
 「G「私はヤナイハラを熱愛している」
 Y「仕事のゆえです」
 G「いや、そうではない」 (p259)

 きょうは早くやめると言っていたが、「あと五分」と言いながら、結局午前
 一時近くまでやる。
 ジャコメッティのモデルをすることは、戦慄、眩暈、驚愕、感嘆の連続だ。」
 (p259-260)


 「 タクシーの中でも彼は仕事のことで興奮して喋る。あまり彼が絶望して
 いるので、こちらもイライラして、とうとう大きな声で怒鳴ってしまう。
  食事の終り頃に宇佐見来る。
 G「絶望だ、悲しい、無念だ。私は眠りたい、しかし同時にそれを嫌悪している」
 Y「ぼくにどうしろ言うのですか。悲しい人を見るのは悲しい。あなたは無念で
 ある筈がない。きょう、あなたは仕事をした。明日もするだろう。何が悲しい
 のですか」
 (ぼく、興奮する。)
 G「そう怒るな。むろん明日がある。私は今晩のことを言っているのだ。それに
 私の言ったことは、全部が嘘なのだ。それはこの前も言った通りだ。私は満足
 していると同時に不満足なのだ。それに、頭の中に浮かぶことを口に出しては
 いけないのか」
 Y「いや、口に出して言う権利があります。ぼくが大声を出したのは、あなたを
 勇気づけるためです」
 G「私は愚かだ、いつも軽はずみなことを言う。ヤナイハラは正しい」
  ぼくらは疲れていた。感じやすく興奮しやすくなっていた。午前三時、
 疲れて外に出ると、暗い舗道は雨に濡れ、冷たい雨が降っていた。その雨の中
 に二人、しばらく立ちつくす。
 別れ際にGは、ぼくの頬をなで、「われわれがきょう敗北したことを忘れては
 ならない。ワーテルローの戦いで敗北したとき、ナポレオンは悲しかった
 だろうか」と言った。ぼくは感動し、何も言えなかった。「ぼくらは敗北したの
 ではない、むしろ勝ったのではないか。少なくとも戦いはまだ終わらない」と
 考えたのは、Gが雨の中に消えて行くのを見送ったときであった。ぼくは
 ホテルに帰った。なぜかセンチメンタルな夜だった。帰国の日が迫っている
 せいもあるかもしれない。」 (p263-264)

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『岸』(岩尾淳子/ながらみ書房)

『岸』(岩尾淳子/ながらみ書房)


岩尾淳子第二歌集。

今月出たばかりの歌集。
ていねいな、うつくしいゆったりと優しい韻律の歌が並んでいて、とても心地よく
読めた。教師の仕事、街を眺め歩きあちこちを訪れること、身近な家族、誰か
との小さな触れあい。何気ない日々の中に作者が見出す瞬間の鋭さが詩になって
歌い止められている。はっきりいって全部がいいので、どれに付箋つけるか
やめるかわからなくなってしまった。私ではこの歌集読み切れてないと思うけど
全部いいですさすがです。

いくつか、なんとか選んだ好きな歌のこと。


  校舎から小さくみえる朝の海からっぽの男の子たち、おはよう(p11)

歌集の最初の歌。海が見える心地よい景色を遠目に、目の前にいるのは多分
生徒である男の子たち。その男の子たちを「からっぽ」と見ているのがすごく
不思議であり面白かった。男の子が光にとけてしまうみたいに感じる。


  忘れられ誰のものでもなくなった傘りんりんと夜に光れり(p14)

学校の傘立てにぽつんと残った傘があったのだろう。夜にはその傘がりんりんと
光る。蛍のように青白く仄かに光るのではないかと私は思った。誰のものでも
なくなって傘自身が息づきはじめるようなイメージがとても素敵だ。


  制服を着るのを忘れて来たというおおかた忘れていいことばかり(p16)

これは面白くて。制服がある学校なのだと思うんだけど、登校してきたのに
制服忘れて来るか???とうっかりにもほどがあると思うと同時に、わざとなの
だろうか、むっと黙り込む思春期反抗期な子どもの姿なのだろうか、と思う。
それとも普段は私服オッケーで、なにかしら行事のある日だけ制服、みたいな
所なんだろうか。わからないんだけれども。でもそれを「おおかた忘れていい
ことばかり」とゆったりと一旦受け止めている感じがほわっとしてよかった。


  おとうとにやさしくするよ七夕の電車の窓に平仮名を読む(p23)

電車の窓にはあっと息をかけて、「おとうとにやさしくするよ」と淡く書き
残されていたのだろうかと思う。弟がいるお兄ちゃんもまだ子どもなのだ。
お兄ちゃんなんだからやさしくしなきゃ、って、ぎゅっと我慢してる気持ちを
言わずにやさしくするっていう決意を書く、可愛い兄弟の姿を思った。七夕の
日ということで、願いでもあるのかなあ。すごく物語な世界が広がる歌で
とっても可愛くて好きです。


   「声」米口實先生ご逝去
  死んだのですねどうやって死んだのですか脳とか肺とか声とかは(p47)

師への挽歌の一連。一首目のこの、知らせを聞いても受け入れがたい感じがとても
迫ってくる。声、に焦点を絞っていくのも作者のリアルを感じた。


  うつむいて胸の釦を嵌めてゆく身体がなければもういない人(p61)

釦を嵌めて体を確かめて、服に包むことで身体を辛うじて保っているかのようで。
身体をなくした人のことを思い、今身体がある自分のことを思う歌だと思う。
しずかに寂しい。


  少年はあかんかったとのみ言いき動かぬ影をわれに重ねて(p76)

野球部の生徒の少年なのかなと思う。鮮明に光景が浮かぶ。「あかんかった」と
いう生の言葉、声が聞こえてくる。何も言えないけれど少年よ、頑張ったんだな。


  輪廻してゆく人たちが乗り合えるバスにちいさな運賃の箱(p118)

バスの乗客を「輪廻してゆく人たち」と捉えた瞬間に詩になり歌になっている。
バスが三途の川へ向かうようになってしまうし運賃の箱には六文銭を入れるの
だろうか。バスに乗ってどこかへ行くなんてほんとうに何でもない日常なのに
ぐにゃっと異世界に変わるのが凄い。


  筆先が紙にひらいてゆくように思いを声にすればよかった(p162)

筆で紙に文字を書いてる書道の時、と最初思ったけれど、絵を描いている所かも
しれないなあ。どっちにせよ、静かに筆を使っているときに不意に思う、ちゃんと
声にすればよかったのに、という言えなかった事。こういう感じ、わかる、と
思わせてくれる。


  それぞれの暮れゆく海に触れぬよう離れぬようにあたなと歩く(p80)
  自転車を水辺の柵に凭れさせ二人はちがう島を見ていた(p178)
  「少し呑む?」「ああ少し呑む」あてどなき心だけれどひとりでもない(p191)
  わたくしに弔う人のあることの沖に届いているひつじ雲(p196)
  いつかあの岬へ行こうと君はまた思い出みたいに「いつか」と告げる(p209)

誰かと二人でいるふわりと甘い気配のある歌。相手は家族だったり誰かだったり、
明確に私にわかる人物ではないのだけれども、大事な人なのだろうなと感じさせて
くれる。側にいて、一緒にいて、それでも互いに別々であることが歌われている。
こういう距離感いいなあと思った。

あとがきに、神戸の街をよく歩くようになり、と書いてあって、そして阪神淡路の
震災のことを思う歌もあった。私は当事者というわけではないが、切々と感じる
ものはあって、大きな災害の巨大な喪失を思う。
穏やかにうつくしい歌集でした。

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『かぎしっぽ ふれふれ』(茂木敏江/私家版)

『かぎしっぽ ふれふれ』(茂木敏江/私家版)


茂木敏江第一歌集。
二五年間、続けてきた短歌を選びまとめたものだそうです。
表紙からしてとても可愛い猫の写真、猫の足跡のイラスト等で手にした時から
にこにこしてしまう。


  舞えよ舞え車道に舞えよ桜花モヤモヤさんを散らしておくれ(p10)

歌集の最初の歌。「モヤモヤさんを散らしておくれ」という表現に、作者の
人柄に触れる気がした。もやもやした心地を憂鬱に歌うのではなく、ユーモアに
呼びかけるように表していて好感が持てる。


  蜘蛛助の語源を語りタクシーの運転手らと乗客を待つ(p18)
  料金を払わずに降りし乗客の残しし住所は偽物だった(p23)
  くしゃくしゃの千円札を投げよこす乗客なりし着飾る女(p23)
  暗闇のタクシープールに客を待つ計画停電に大き月あり(p27)
  横断に笑顔で手を振る幼女なり停車の吾も手を振り返す(p35)

作者はタクシー乗務員であると序文で紹介されている。その仕事の毎日の様々な
出来事が歌われているのが面白かった。震災の頃の歌もある。街を走りまわり、
いろんな人を運んでゆく。時に踏み倒しにあったり身の危険のようなこともある。
切実なリアルが見える歌には強い力があった。

蜘蛛助って私はいまいちピンとこなかったのでぐぐってみると

「くも‐すけ【雲助/蜘=蛛助】 の意味 出典:デジタル大辞泉
《浮雲の行方定めぬところからとも、また、客を取ろうとクモのように巣を張って
いるところからとも》
1 江戸時代、街道の宿駅や渡し場などで、荷物の運搬や駕籠 (かご) かきなどを
仕事としていた無宿の者。
2 人の弱みにつけ込んだり、法外な金銭を取ったりする者を、ののしっていう語。」

ということで、タクシー運転手のことを悪く言う言葉でもあるらしい。
こういうことが雑談に出たりするんだなあ。それを作者は歌にするのはやはり
言葉に敏感だからかなあと思った。

  「困ったことあれば言えよ」と父は言う鼻から腸に管を入れつつ(p41)
  弟は家内安全の吾が札に猫しかいないではないかと言う(p50)
  冬物の衣類それぞれに名前書く施設に入る母の持ち物(p61)

家族の歌。父はこんなにも父なのだなあというのが切々と伝わってくる。
弟とのやりとりは大変だったり面白かったり。母の老いを見つめて心を寄せて
いる様はかなしくもやさしい。持ち物に名前を書く、という行為はたぶん子ども
の頃には母からしてもらったことなのではないか。それを自分が母にこうして
いるということは、今、とてもよくわかると思う。


  バス亭に何度もバスを見送りて今日も老女は誰を待ちいむ(p78)

バス停に今日も老女がいることを、バスには乗らずにいることを、作者は見て、
心をよせている。何もわからないけれども過不足は感じない。切なさの情景
が見えてくる。


  花粉症の猫のノンノと吾なりき小さなクシャミと大きなクシャミ(p108)
  硬直し初めて吾に触れさせし野良猫レオを葬る朝(p121)

猫を飼っていて、猫が可愛い歌。私も猫大好きなので、にこにこして読ませて
もらった。猫も花粉症になるかなあ。一緒にクシャミをしているのがとても
可愛かった。
作者は野良猫のことも気にかけている。やっと触ったその猫の身体は冷たく
なっていたのだろう。小さな命の儚さを思う。

家族や猫や絵や思い出の写真もつまった大切なものがとてもよく伝わってくる
歌集でした。

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『無韻を生きる』(三田村正彦/短歌研究社)

『無韻を生きる』(三田村正彦/短歌研究社)


三田村正彦第三歌集。

一部を除き2013年から2016年の間の歌だそうで、作者の日々の暮らしの
中の歌だと思う。
ことさらにドラマチックなことはない。なくていい。見慣れた物や情景への
作者の視線が歌になっている。


印象として「父」が沢山歌われているということが強くあった。


  直線に空から降りる晩夏光父が私を占拠する夢(p9)
  星二つ並ぶ秋空 二人分見てゐるよ今日は父の命日(p62)
  雨のただ降りかかる肩濡れながら父にかざしたビニールの傘(p66)
  また空のメガネケースが光りをり 父はゆふやけ雲のあたりか(p77、空「から」ルビ)
  ガラス戸を打つ風の音透明な父の言葉が今を生きをり(p119)

父を亡くして5年という感じの歌があったのだが、もういない父がずっと側にいて
まだ強く作者の心の多くの部分を占めているのだと感じた。単なる懐かしさという
よりは、かなり複雑に深い思いを秘めているのだと思う。父が今も自分の側に、
中に、当たり前にともに生きているという感覚が伝わってきた。


  鶏の声をうしろにオフィスへと私のやうなわたくしがゆく(p79)
  蛍光灯堪へ切れずに切れるとき我を取り巻く冷笑の止む(p99)
  今我はペットボトルの空だから苦情を入れる準備はしない(p101、空「から」ルビ)


仕事関係からくるやるせなさを感じる歌は結構静かで、落ち着きがあって
じんわり沁みてくる気がした。具体的に何のお仕事なさっているのかわからない
けれども。人事関係だったりなのかな。悩まされることは多く、楽しいことばかり
なわけはなく、でもきちんと役割をこなそうとしている誠実さを感じる。
「今我はペットボトルの空だから」というの、すごくわかる気がした。ペットボトル
は軽くて透明で薄くて、ちゃんと必要な強度はあるんだけれどもベコベコにされて
しまいそうでもあって。今はやめてくれ、という感じがとてもわかる気がした。

 
  自転車が光に変はる夏真昼終はりに向かふ飴色の雲(p11)
  自動販売機の光ひとつの夜の街だあれもゐないときが来たのだ(p18、自動販売機「じはんき」ルビ)
  何か今始まるはずだこの町の形を変へる夕暮れが来る(p22)

概ねリアルな現実に即した歌の中、なにか、こう、世界が終わるような瞬間を
感じる歌があって面白かった。
夕暮れにはまだ至らない、午後の日差しの「飴色」の雲を見て「終はりに向かう」
と感じたり、夜の街、自分の他に人影はなく、自販機の灯りだけが頼りという
静寂の瞬間とか、やはり夕暮れの前、町の形が変えられてしまうような、
終わりの始まりのようなことを感じてしまうとか。ふうっと紛れてくるこの感じ、
いいな。
自転車の歌が他にもあった。自転車に乗る日常なのかなと思う。好きです。


  八月の電信柱まひるまを言ひ訳しない姿勢にて立つ(p14)
  冬の日をじつとしてゐる扇風機過去を語らず今を生きをり(p143)

真夏の電柱。冬の日の扇風機。じっと立っているそんな無機物の姿に自分を
重ねている歌だと思う。余計な事も文句も言わず、やや時代遅れのような電柱、
扇風機のすっと真っ直ぐ垂直に立つ姿。
かくありたい、という姿なのかなと思う。にんげんでいるのはこうはいかない
ことが多いもんね。


  雨降れば必ず雨を受けるその道のくぼみが今を生きたる(p39)
  春の日を喪服の我は複数の雨粒だから流れては消ゆ(p125)

雨の歌も多かったと思う。雨を受ける道の窪みが生きているという見方が面白い。
雨が降ったら必ず水たまりになっちゃう窪み。いつもここに水たまりになる窪み
があるな、と、作者がそれをいつも見るんだなあ。そしてこんな歌に作るのか。
喪服の我、は、雨粒になって消えてしまう。流れていってしまう。でもどこかに
受け止めてくれる窪みがあるはずなんだよね。
これを書いている今、結構激しい雨が降っています。雨は、憂鬱になってしまう
けれども、でも、雨はやさしくもある。

歌集のタイトル『無韻を生きる』というように、「生きる」物、人、思いが
伝わってくる一冊でした。

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『人魚』(染野太朗/角川書店)


『人魚』(染野太朗/角川書店)


染野太朗第二歌集。

ずっしりと重い歌集だ。端的に物量的に重い。ハードカバーで277頁。
そして中に描かれている人生のようなものも、ずっしりくる世界だった。

あとがきがなく、わかるのは著者の生年くらい。一冊読み通してみると
30代の男性、両親がいて妻がいて、教師をしていて。仕事、日常。離婚。
引っ越し、たぶん実家に帰ってまた両親と暮らし始めているのかな。
という姿が浮かび上がる。それがどの程度事実なのかは知らない。
東京で、少し離れて、の暮らし。人との関わり。鬱々とした苦しさのリアル。
コーヒーで生き延びているような感じがする。
それが、短歌という器で描き出される、うつくしさの現れ方が凄い。


  父の揚げた茗荷の天麩羅さくさくと旨しも父よ長生きするな(p13)

  紫陽花の毬の重みをなお増して雨 少しずつ妻を消しゆく(p42)

親のこと、妻のこと。家族とは近しいがゆえにままならなさがとてつもなく
苦しいと思う。激しい何事かがあるのだろうけれども、具体的なことはわからない。
わからないけれども、関わりの重苦しさはどうしようもなくある。


  被曝だ、と笑い男らが吉祥寺PARCOを出でて夕立の中へ(p49)

2011年の夏らしい。3月の地震よりは少し時間は経って。あの地震の頃の
どうしようもなく塞がれた気分を思う。不謹慎だとか言うのは単純すぎる話で
私は本当にどういえばいいのかわからない。けれどこの感じ、というのは凄くある。
被曝だ、と、そんな言葉が日常の冗談としてある世界。
吉祥寺のパルコとか、わかる、この場所の感じ。
そしてこれを歌に書き留めている感じが作者の感じなんだと思う。

  手袋が手袋のまま落ちていた校門を出て右に曲がれば(p27)
  教壇に立つたび翅をつままれてとんぼがもがくこの肺の奥(p81)
  教室に静寂ふかきひとところありてときおりしねとし聞こゆ(p167)
  たまにとても恥ずかしくなり教室の後ろに行って音読はする(p203)
  なんと濃い夕陽だろうか教室でしずかにめくるエロ本の上に(p235、上に「え」ルビ)

教師であること、学校での歌も読んで辛くなるのが多かった。
「手袋が」の歌はかなり好き。夕陽の中に落ちている手袋、というイメージを
持った。でも黒い手が落ちているような不気味さも仄かにある。最初ノスタルジー
な印象だったけれども、もう少し怖いようにも思う。それは歌集全体の持つ
息苦しさであると思う。

教壇に立ちながらトンボが翅をつかまれてもがく様であるとか、静けさの中に
「しね」と聞くとか。生徒のことをよく見ているなとか生徒と冗談言い合う感じ
もあるのだけれども、私が強く印象に残ってきたのは、苦しい歌だった。

引用の後ろ二首、恥ずかしくなって、でもちゃんと音読する先生とか、教室で
エロ本をめくっている先生とかの姿は、ちょっと可愛げがあった。しかしその
エロ本、生徒から没収したのだろうか。濃い夕陽の中でしずかにいる先生、
もしかしたら生徒と向き合って、とも思えて、シュールな可笑しさとどんより
嫌な気持ちと、両方湧いてきてしまう歌だ。

  水死した前世のせいで足先が冷えるのですと告げられて冬(p21)
  尾鰭つかみ人魚を掲ぐ 死ののちも眼は濡れながらぼくを映さず(p91、眼に「め」ルビ)
  叫び声をあげないためにこの蛇は君の不在を銜えつづける(p95)
  ぼくの汗をとんぼが舐める舐めながら白い卵をなお産みつづく(p110)

歌集のタイトル『人魚』に全体が統べられているのかもしれない。童話の中の
可愛い人魚というよりは、人を惑わせ水に引きずり込む恐ろしいものとしての
人魚。冷たい水、湿気。出てくる生き物は昆虫や爬虫類で冷たくぬめりを帯びて
不気味なような感じがする。ふわふわもふもふあたたかい猫とかいればいいのに、
いない。
蝶の翅をむしったり蜻蛉に苛まれたり、人魚を殺すイメージの数々は、悪夢だ。
こわくて苦しい歌で、それに掴まれてしまってとても魅力的だった。

  君の手に触れたすべてに触れたあとこの手で君を殴りつづける(p129)

  感情がなければいいなひとりだな便器を摑んで吐くこの朝も(p149)

時に爆発する暴力的な衝動が、自分を責めている痛々しさが歌として表現されて
きれいだと思う。
ひどくボロボロになって、そのままで歌を作っているんだなあと圧倒される
一冊だった。

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『オワーズから始まった。』(白井健康/書肆侃侃房)

『オワーズから始まった。』(白井健康/書肆侃侃房)

白井健康第一歌集。ってことでいいのかな。詩も二つ入ってる。

オワーズって? と思ったら、加藤治郎さんが解説に書いていてくれた。
フランスのオワーズ地方。O型口蹄疫ウイルスが最初に発生が確認された場所
だそうです。

帯文に「派遣獣医師としての口蹄疫防疫作業のドキュメント」とあるように、
三部構成のこの歌集のⅠは、口蹄疫という事態において詠まれた歌、詩である。
「たましいひとつ」の一連。他、命を奪うしかない作業に従事する事実の重みが
深い迫力として迫ってきた。私などはニュースでちらっと見たことがある、と
いう、知らない世界の現場の実感が伝わってくる。時間を経て歌にすることで
何かバランスをとろうとしているように思った。

  六百頭の牛を殺めた親指の仄かな怠さ一日を終える(p24)
  わかばいろそらいろつちいろうしのいろ髪切虫の複眼のなか(p27)

世界と牛と自分をも見ている、生き物だけどなんだか無機質なような髪切虫の
複眼を通して描く一首の距離の置き方がいいと思った。


  夏はすでにひかりのなかに椅子を置くふたりの椅子をひとつの場所へ(p48)

明るい夏の日差しが見える歌。たぶんかなり爽やかな朝のようなイメージ。
「すでに」と決まっている感覚がいい。


  コーンスープと水平線が平行であること生きていることみたいに(p83)

これはある時不意に気づいたというか思ったというか、そういう実感だと思う。
どこかの何かの水平線。と、自分の持つコーンスープの器の中のスープの平行線、
の平行、が、生きている事みたい、と思う、全然理不尽な不意の実感なのだと
思った。


  散ってしまったことを後悔するよりも咲かせたことを後悔してる(p118)

恋が破れた歌かと思う。別れよりももうその恋全部を後悔してる、という感じ
かなあ。この丸ごと全部つらい感じがすごく伝わってくると思う。


  なんべんも色鉛筆をならびかえ森をさまようおんなを探す(p143)

この歌集の中ではかなり即物的に「おんな」って言われるんだなあと思う。んで
セックスしたりしてもあんまり「おんな」がわからなくて探しきれてないの
かな。色鉛筆が森になってくイメージで、深い森で、でもつるっとカラフルな
イメージが重なって、「おんな」をつかまえきれない感じがする。
別世界を見せてもらったような歌集でした。

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『いちまいの羊歯』(國森晴野/書肆侃侃房)


『いちまいの羊歯』(國森晴野/書肆侃侃房)


國森晴野第一歌集。

とても可愛い、といっても落ち着いた色合いの可愛い兎の絵が表紙の一冊。
しずかに植物を食みながらひっそり実験してみているような印象の歌集でした。

理系の人なのか、というのがまず印象に残る。始めのほうにはえーと、なんだろう、
実験みたいなことをしているんだな、という言葉がたくさん並ぶ歌が続く。
東直子さんの解説によると作者は今水質検査等の仕事に携わっている、との
ことなので、そういう感じかーと思う。私にとっては見慣れないわからない知らない
言葉が多いので、それだけでなんだかとても素敵なものに思える。ちょっと
無機質で冷たい言葉のように思ってしまう、理科実験室みたいな感じ。って、
自分の理系っぽさのイメージが貧弱すぎて申し訳ない。お恥ずかしい限り。

きれいな言葉。きれいなイメージ。相聞の甘さ、でもべったりした甘さではなく
少し離れて少しかなしんでいるような甘さ。植物に同化していくイメージ。
個人的勝手なイメージだけど『慣用少女(プランツドール)』という漫画を連想した。
観葉植物のような少女人形を育てる。ミルクやお砂糖だけできれいに愛でる。
昔読んだ記憶のイメージだけなので全然違うかもと思うのだけれども、大事に
きれいに、そっと、清らかな世界でありたい、でもそんなわけない、という感じ。
どーかなあ。


  コロニーと呼べばいとしい移民たち生まれた星を数える真昼(p12)

これは培地になんかを培養してみてる。のを、移民のイメージに重ねている、
のかな。生まれた星はここではないどこかなのですね。数えるほどにたくさんの
生まれた星、でもここではない別の星、というイメージかな。目の前の培地と
いう小さな世界から宇宙へ、SFになる飛躍が美しい。


  椎茸はふくふく満ちるとりもどせない夕暮れをかんがえている(p28)

私は実は椎茸が嫌いで。でもこの歌みたいにおいしそうに詠めるんだなあと
印象に残った。干し椎茸を戻して煮て、という感じなのかなあ。その間に思うこと。
とりもどしたいのはよいものだったのだろうなと感じられる。


  いっしんにみどりを釣りあげるひとのうなじの斜面を這いのぼる蔦(p35)
  絶え間なく嘘をつきつづけています袖口からは蔦のみどりが(p45)
  待つことの嘘とさみしい幸福を誰かのために抱く蔦の町(p80)
  ゆうぐれの水面に映る蔓草はしずかに彩る街の亡骸(p98)

蔦、蔓草。まきついてきてからまって覆い尽くしていく蔦が好きなのかな。
閉塞感でもあるような。苦しいのに繁るみどりは美しい。


  順序など知らない僕はゆきのなか経口感染した恋を抱く(p73)

うっかりキスしてしまったから始まった恋、という感じかな~。素敵かわいい。


「かたおもい」は折句を集めた一連。どれも折句なのに普通にちゃんと一首で
すごいと思った。

  (答えなら、いらない)雪のごときみの声は真冬に濾過されてゆく こいごころ
  ことごとく濡らしたままで重ねれば朝をしらずに眼をとじている こぬかあめ
  (p88)
中でもこの二首が特に好きでした。きれいでセクシー。


  (そんなにも綺麗なものが)抜け殻の鴉はそっとおしえてくれる(p107)

抜け殻の鴉、というのは、剥製なのかなと思って読んだ。聞こえるはずのない
鴉の声をきいて、綺麗なものを教えてもらうイメージ、とても素敵です。

なんだか途中で、一頁に二首、一頁に三首、とレイアウトが増えたり減ったり
してて、それはなんで?? と、たぶん、多分どうでもいいことが気になったり
して、うーん。まあ、それはそんなこと気にするな俺、と思いました。じっくり
見比べると意味があるのかしら? でもまあ、いっか。
読み終わってまた表紙の兎をじっと見てしまう。兎と、花と。きれいです。

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『風のアンダースタディ』(鈴木美紀子/書肆侃侃房)


『風のアンダースタディ』(鈴木美紀子/書肆侃侃房)


鈴木美紀子第一歌集。

アンダースタディというのは控えの役者。代役、かな。知らなかった。
あとがきにもあるように、自分、ではない誰かが演じる自分、というような
印象のある歌がたくさんある歌集だった。
映画や舞台がお好きなのでしょうか。自分のような自分ではない、自分とは
距離がある世界、を言葉でひきよせてきて歌にしているみたい。
ふわりときれいな世界でした。

 
  傘の中ふたりの会話はどこまでも定員割れのようなさびしさ(p9)

傘の中のふたりの会話、という甘い世界ように思ったところで、定員割れ、
という比喩がさくっと無機質に冷たい感じがして驚きがあった。


  ガリガリくん冷凍庫のなか生き延びて目が合う度に老け込んでゆく(p11)

あの坊主頭のガリガリくんを買って冷凍庫の中に入れていて、食べずにいて、
冷凍庫をあける度に目があって。季節は変わり老け込んでいくのはガリガリくんも
私も、ということなのでしょう。じわりと冷たい嫌な感じがすごい。


 きみはまたわたしの角を折り曲げるそこまで読んだ物語として(p17)

このきみに無造作に扱われるのだ、という切なさ。でも私は物語として表現
されていて、ナルシスティックだなあ。好きといいたくないけど好きな歌です。


  どちらかが間違っている 夕闇の反対車線、あんなに空いてる(p36)

理屈を考えれば上り下りで渋滞に差が出るのは当たり前なんだけれども、始めの
断言とか渋滞のいらいらがつのる感じとか、世界の理不尽な怒りがぐつぐつと
こみ上げているような根深い暗い強さがあって迫力ある歌。


  異国にてリメイクされた映画では失われているわたくしの役(p33)
  過るのは再現フィルムでわたくしを演じてくれたひとの眼差し(p43)

「わたし」は誰かに演じられている感じ。私が映画の中にいるというナルシストな
感じと、でもそこにいない、どこにもいない、という不安と。寂しい。


  待ってても「何階ですか」と訊かれない見知らぬひとと落下してゆく(p53)

受け身でいて、沈黙の中、落下していく不安、不穏な歌。こわいのに、ただ
黙って受け入れているどうしようもない感じが読むほどにますます怖かった。


  旧姓で今でも届くDMは捨てないでおく雨に濡れても(p66)
  この指環はずしてミンチをこねるときわたしに出来ないことなんてない(p67)
  しゅわしゅわとバイキンの死ぬ音が好き漂白剤にこころを浸す(p69)

これはちゃんと「私」の歌のような気がする。生活があるけれども別に楽しく
ない感じの生活。リアル、だけれども詩的に歌えているのがすごい。


  カラコロと返却口へ落ちてゆくコインの気持ちをつかみかけてた(p73)
  路地裏でひっそり月を待っている<刃物研ぎます>という看板は(p74)

そんなものに共感、感情移入して歌にしてるのかと思う。不如意なもの。そこに
こころを寄せる作者のやるせなさを思う。しかも美しい。


  本心が読み取れなくて何回もバーコードリーダー擦り付けてた(p82)
  二人用の柩はないと知ったときあなたに少しやさしくなれる(p88)
  自販機に<なまぬるい>のボタン見つけたらわたしはきっと次の階段(ステージ)(p103)

この、なんか、なんかちょっと違う、間違ってるけどそうなんだろうなあという
ずれた感覚が詩的なような気がする。こわい、し、不思議、だし、きれいだけど
嫌な感じがするあたりの微妙なゆらぐ感覚がすごい。


  自らのいのちをそっと手放して水を産みたりあわれ淡雪(p114)
  この部屋にわたしがいないときに来て誰かが飾ってくれる白菊(p114)

もうすでに自分がいない世界という感じがする。とてもきれいな歌で、少し
こわい静けさ。

タイトルに「風の」とあるように、全体にふわりとしている。そして不穏。
不安とか切なさとかが淡く滲んで、別の世界でしかないような感覚がある。
これが鈴木美紀子さんの世界なのだなというのを見せてもらった一冊でした。

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『ピース降る』(田丸まひる/書肆侃侃房)


『ピース降る』(田丸まひる/書肆侃侃房)


田丸まひる、第三歌集、かな。
花の妖精のような女の子の絵の表紙が印象的な本。
とてもとても切実な、窒息しそうな世界に生きる、祈りの一冊だ。

まひるさんも、私が一方的に長年見てる歌人。短歌に興味もったばかりの頃、
題詠マラソンに参加してた頃に知って、まひるさんの歌はずば抜けて可愛くて
上手くて同じ題で同じ定型で作っているはずなのにどうしてこんなに違うのか。
学生さんみたいだ。すげええ~って思ってた。時々題詠マラソンの歌をとりあげて
読む日記をよく見にいっていた。読みもすっごく面白くて好きだな~~と思ってた。
まあずっと見ていたわけではないし、時は流れ学生さんはお医者さんになり
お会いしたことはあるけれどもやっぱり実際何がどうだかなどは知らないし
わからない。
ので、また念のため言うと作者田丸まひるという記号として読みます。現実の
人と直結させてみることはできない。

もくじに並ぶ小見出しがもういちいち可愛くて最初からやられてしまう。
「ピース降る」「可愛くて申し訳ない」「ロッキンホースバレリーナ」
「空がほつれる」「わたしの果てにわたしはいない」「ぼろぼろになればよかった」
「目覚めたらそこにいてほしかった」等々どれもこれも素晴らしい。
活字、フォント? も、これはなんていうの。明朝じゃない可愛い文字。

最初。「ピース降る」
*の記号が降るように散らばったレイアウトが可愛いなあ。

  感情を言い表せる言葉より花の名前の方が多いね

  雪のような夜の春だねいつまでもきみは無料の音楽を聴く

一連どれもすごく素敵なんだけれども、ステキすぎて、言葉や道具立てが
慎重にきれいすぎて、こう、*を散らしているのも、ちょっと私の個人的好み
でいうと、やりすぎな気がする。でも歌集の冒頭なのでこんなにとびっきりに
飾っているのかな。

「可愛くて申し訳ない」

  可愛くて申し訳ない ふみづきの帽子に深くしずむそらみみ
  ゆるされることよりずっと快感と知ってゆるしたことがあります
  こいびとの名前はわたしが呼ぶための詩(だったらいいな)西日の隙間

これはもう「可愛くて申し訳ない」というフレーズが最高すぎて参る。甘い
けれどもとてつもなく繊細な甘さ。
ゆるされる、ゆるす、の関係にぞくぞくする。関係ない妄想繰り広げてしまう。
こいびとの名前は詩だよね。好き。

  塩漬けの花をくずしてでもあれは嗤われたって知っていたよね(p21)
  あやめあやめたぶんこれから繰り返すあやまちさえもわたしのものだ(p28)

こういう自覚の在り方が凄い。声高な主張とかではなく、少し凍るこころを
自分で知っている。表現している。受け止めて突き放す。わりとこう、実は
許さないよね、って感じが凄い。

  跳ねあがるような癖字を書いていたきみがきみにだけ向けた暴力(p34)
  
  明日も目が覚めてうれしい うれしいと発音すればうれしい限り(p44)

中盤にきて、ぐっと鋭くえぐられる。多分突然の死。多分、医師と患者、かと
思って読んだけれども、その関係性は多分読み方次第。恋人でも友達でも
きみとわたし、誰かと誰かの別れ。それは多分、突然のやりきれなさ。
取り残された時、何を思っても後悔にしかならず、感情にどんな名前をつけよう
としても、どうしようもない。「花の名前」より言い表せる言葉は少ない。

明日も目が覚めるって、本当は決まってないのに、うれしいとあらかじめ言う
ことを決めている、かきむしるような切実さが苦しい歌だ。三回も「うれしい」
と書いている。うれしいと発音してうれしいと書きとめなくては明日生きて
いくことができない切実な必死な一首で泣いてしまった。

「あすを生きるための歌」は、詩、かな。詩と歌と。4頁に渡る言葉。
切迫した過剰な言葉。飛躍もイメージの奔流も迫力ありました。

  意思のあるスプーンになり金色のゼリー舌から舌へと運ぶ(p60)

これは自分がスプーンになって舌のゼリーを口移ししあうセクシーな歌~と
思って読んだ。喩とみてもほんとにゼリーを食べるとしても、いい。好き。


  またねは祈り暗喩ではなくまたあした昼夜逆転していても来て(p67)

これはまた随分直球な。でもこの本気の祈りであることがぐっとくる。


  透きとおる傘をわずかに傾けてわたしは色をこらえきれない(p83)

これはちょっと救いを感じた。こらえなくてもいい色がこぼれてしまえば
いいと思うよ。


  借りていた傘を返しに行くときの時雨『カフェー小品集』を鞄に(p91)

お。これは野ばらさまの本。と思って目に留まった。こういう本はお守りだから。


  泣きながらうつむく時の首のほね なんて小さな獣だろうか(p97)

これは目の前で泣く子どもの姿を思って読んだ。愛しさを感じる。でも、獣
なのね。なんて小さな、という存在でありながら、絶望的に獣なのかなあ。
通じないんだろうか。首の骨そのものを獣みたいだ、と見ているのかも。

「きみの花冷え」も、詩、かな。
これはとても許しているように思った。許す快感なのかなあと。「あすを
生きるための歌」の時のような緊迫感よりは少しゆったりしてる。
とはいえ重い苦い辛い感じはありつつ、イメージのひらひらくるくるゆれて
変化して広がっていく感じは少し、余裕があるかなあ。きれいに完成してる。

  若いひとと軽くくくられクロッカスわたしはわたしのために笑った(p113)

これ、とっても自覚の歌。「くくく」「クロッカス」という軽やかさ。
「若いひと」ってまだまだ当分作者は言われ続けるでしょう。そういうのに
こういう距離をとるんだなというのが凄い。かっこいいです。

一冊全部素敵だ、という本で、とてつもなく大事なものを渡されたと思う本で、
こんなに可愛くてこんなに辛い、詰め込まれた生身を見た気がした。
私は私で、もちろんこの歌集全部がわかるわけではないし共感できるものでは
ない。けれど、しあわせになろう。生きましょう。
この本がひつような「あなた」に届きますように。


一つ前の『硝子のボレット』の批評会行った時の日記を書いてたのをちょっと
読みかえした。
http://to-jin.cocolog-nifty.com/tojinntannka/2015/05/post-0b0e.html
ボレットに関しては私はちょっと乗り切れないところが多かったんだな。
「若い女」として見られることをとても自覚的にセルフプロデュースしていた
歌集だったんだっけかな。今歌集そのものを読みかえしたわけではないのだけど、
多分、その後もう少し表現して見せるやり方を変えた、か、変わった、か、
ん~。
私は『ピース降る』が好きなんだな。


と、ここまで書いて「『ピース降る』のあとがきのあとがきという戯言」を
読んだ。
https://note.mu/tamarumahiru/n/n0751e4128c28

これもとても素敵なあとがきのあとがきで、なるほどー。
私が歌集読めてたなというところも、あれ、って感じも、でもまあ、私は私で
勝手な感想を持つのでした。
読んでよかった。ありがとうございます。

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『しんくわ』(しんくわ/書肆侃侃房)


『しんくわ』(しんくわ/書肆侃侃房)

しんくわ第一歌集。

といっていいのだろうか。俳句やエッセイも入ってる。歌文集?
本当なら10年以上前にしんくわさんの第一歌集は出ているはずだった。
2004年、歌葉新人賞受賞「卓球短歌カットマン」。
そして受賞者は歌集を出せるのだった。
なのに~応募しておきながら~受賞しておきながら~、歌集を出さなかった。
しんくわ。
ずるいぞ。

しんくわさんには数回お会いしたり見かけたりしたことがある。歌葉の頃から
見ていたし(私も応募はしてたけど全くダメだった)題詠マラソンに私も参加
していた。しんくわさんは岡山かー、というのを知って、四国松山にいた私は
結構近いとこにいるんだなと思っていた。
でも全てこちらの一方的勝手な思いで、しんくわさんに私が認識されているのか
どうか定かではない。しんくわさんの実際実生活だとかはまるで知らない。
しんくわさんがついに歌集を出したのかあ。
と、この本を手にしたときにはまたしても勝手にしみじみと感慨にふけった。
私としては自分が短歌に親しみ始めてからずっと長年知ってた人、見てきた人が
ついに歌集を出したのかあ、と一方的に思ったのだった。

そんなこんなで、作者しんくわをうっすら少しだけ知っていて、でも実際には
全然知らなくて、改めて一冊の分量読んでみて、とても面白かった。
愛されキャラでいいなあと思う。ずるいぞ~とやっぱり思う。
そんな勝手な言いがかりの感想を書く。
(念のため書いておくけど私がここでいう「しんくわ」は作者名記号としての
「しんくわ」であって現実生身のしんくわさんのことはおいといて、な話です。
繰り返すけどそもそも実際よく知らないわけですし)

タイトルからして凄いですね。しんくわの『しんくわ』。名前まんまタイトルって。
まあ、打ち合わせのノリで『陳Q』にならなくてよかったね。

最初に「卓球短歌カットマン」。
これは歌葉で受賞した時に読んで、くーーっ岡村靖幸使いやがって~~ズルいっ
あーでもすごいわかる。いい。面白い。と思ったのでした。
男子の歌だねえ。いまいち冴えない。モテない。卓球部だった男子。友達と
だらっとしたりはしゃいだりしている、していた、男子の歌。
30首の連作のうち、「だ」とか「だった」で終わっている歌が多いなと目に
つく。そのぶっきらぼうな口調の感じ、リズムがまた、男子だなーという気が
する。
改めて読みかえせば、そんなにモロに岡村ちゃんを使ってるわけではないか。

  あの子は僕がロングドライブを決めたとき 必ず見てない 誓ってもいい
  射精と同じだ レベルEの緊張感にため息をつく少年十四歳

くらいかな。でもなんだろう。生徒会長とか部活の感じとか、なんかそういうの
最初見た時には強烈に岡村ちゃんな世界~と思ったのだった。私が岡村ちゃん
大好きすぎて過剰反応したのかなあ。

  我々は並んで帰る (エロ本の立ち読みであれ五人並んでだ)

という歌で連作は終る。くそ可愛いダメ男子生徒の姿が青春してる。なんだか
時にきゅんとする抒情もある。支持を集めてしまった、受賞してしまったの、
そうなんだろうなあと納得できる一連である。

ペンギンー題詠マラソン2003より

題詠マラソンには私も二回か三回参加した。公募した100の題を1番から順に
読んで行って、それぞれのペースで完走をめざす。あっという間に駆け抜ける
人もいれば、途中で止まったり時間切れで完走できなかったり。しんくわさんが
どのくらいかけてやったのか覚えていないが、題詠マラソンなのに、ペンギンの
連作になっているのが凄い。
ズルいぞ。ペンギン可愛いもんね。。。「ン」の音が跳ねるのが可愛い。
多分、題を読み込むという枷からの発想の飛躍と、ペンギンモチーフの可愛さが
歌の面白さを増している。結構抒情的。結構物語が繋がる。21首入っているが、
どれも一首としても素敵だなあと思えて、すごい。悔しい。

  脱ぎました銀行強盗用マスクいくらなんでもペンギンは嫌
  きらきらと光る凶器を魚だと言い張ってます。覆面ペンギン

ほとんど全部好きだなあ。

その他動物―題詠マラソン2004より

こっちはペンギンほどのまとまりではないけれど。何が題なのかわからない。
それだけ一首成立させているんだな。でもやっぱペンギンシリーズの方が好き。

それ以降は特に出典というか初出とかないのでわからないけれども、短歌を
書いたり俳句を書いたりエッセイ書いたりしてるんだなあしんくわさん。と、
またしても勝手にしみじみと感慨にふける。ぺんぎんぱんつの紙、という
ネットプリントを田丸まひるさんとのユニット+ゲストで出し続けているので
そこがしんくわさんの主な発表、活動、の、場、ということなのだろうか。

俳句は、うーん。俳句わからないからなあ私。うーん。付箋はって好きな俳句、
ってあげるほど好きなのはなかった。なるほど、らしい、感じするなあと思った
けど私が好きって選ぶのはなかった。

エッセイがとてもいいなあと思う。ゆるっとだるっとなんでもないことみたいな
文章だけれども、ちゃんと面白くて凄い。結構美しい詩的世界を作り上げている
のが凄い。三国志のカード対戦だったりパンツいっちょで暴走する若者の前に
立つ、丸腰、みたいな、なんかダメだなあってことがこんな文章になってるの、
なんでだろう。すごい。
不意に万葉集読みだしてみたり、山上憶良への共感なのかなんなのか、嫁に
つくらされているのかと言い出してみたり。
やはり実はしんくわ真面目か。短歌好きなのか。真面目か!?


  かばんの中に君の身体をたたむようにだからといって殺さぬように(p33)
  ほろ酔いで初秋の雲を見ていると、梨が食べたくなってしまうよ(p65)
  ラーメン道、夢は破れて山河あり、からの石の隙間に蛇あり にょろん(p66)
  難しい漢字のように降る雪のように忘れるようにしまおう(p71)

いくつか、好きな歌。
結局結構私はこういう優しいうつくしいほろんとした感じが好きになってしまう
のだなあ。「にょろん」はズルいな。可愛いだろ。

「難しい漢字のように降る雪のように忘れるようにしまおう」これはもう。
とんだシャイボーイめ。結局仕舞いこんで大事にしてんじゃん。何がどうかは
わからないけれども、自分でも忘れたいくらい切なく大切なものでしょう。
好きだなあ。

とても面白く読ませてもらいました。今になって、今だからこそ、この本が出て
手にすることができてよかったです。ありがとうございます。
書け~とか出せ~とか、たぶんものすごおおお~~く大変でがんばったので
あろう田丸まひるさん、ほんとにありがとうございます。

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