『僕が殺した人と僕を殺した人』(東山彰良/文藝春秋)

*ネタバレ、結末まで触れています。


『僕が殺した人と僕を殺した人』(東山彰良/文藝春秋)


 2017年刊。

 1984年。わたしたちは13歳だった。
 過去と、今、2015年ふたつの時間。台湾での少年時代と、少年を7人殺した連続殺人事件。
 犯人は。あの頃は。今、わたしは。

 ツイッターで、これは素晴らしいメリバBL小説!という紹介ツイートが流れてきて、記事はバレがこわくて読まなかったけれども、なんだか興味をとってもそそられる~と思って読んでみました。東山彰良、初めて読む。

 サックマン、と呼ばれる、少年を狙った連続殺人犯の、8番目の犠牲者になりかけたデューイ・コナーはたまたま近くにいた警官に助けられ、犯人は捕まるとあっさり犯行を自白した。2015年。
 1984年。兄が事故というか事件で亡くなってしまい、精神のバランスが壊れてしまった母を、父はしばらくアメリカへ連れて行ってみることにした。ユンは、近所のアホンさんのうちへ預けられることになった。アホンさんの牛麺屋をよく手伝いにいっていた。その家のアガンとは友達。その頃、ご近所づきあいとはそういう、みんなが助け合う大きな家族のようなものだった。

 少年時代の主人公はユン。というか、全体通して主に、ユンの物語かなあ。少年時代の、友達。仲間。喧嘩して競い合って、バカげた遊びに熱中して、大人に叱られる悪い事もして。親がいなくなり、不安で、でもアガンやジェイとつるんで最高の夏休みを過ごした時間。

 途中まで、少年殺害の犯人はジェイだろうと思わされる。それが違った、とわかった瞬間の鮮やかにああ騙されていた、という快感凄かった。
 人形劇を子どもを誘う手口の一つとして使っていたり、二人きりでビデオを見ていた時、唐突にユンにキスをしたりするジェイ。少年愛というか同性愛の傾向? というミスリード。それが、実は犯人はユンの方で、国際弁護士となっているジェイが、アガンに頼まれたこともあってユンのもとを訪ね、弁護してやろうとする。
 かつて、ジェイを殴る義父を3人で殺そうという計画をたてた仲間だった。毒蛇を使って、事故にみせかけて。だが、思いがけず毒蛇はアガンの父、ホアンを死なせてしまう。計画は狂い、3人の仲も壊れる。

 その時、その頃、何があったのか。現在の時間から振り返るように小出しにいろんな展開がにおわされて、そして過去を読む。すごくひきが上手くて面白くて、一気読みしてしまった。少年たちよ……。
 まだ子ども扱いされる。けれどもう子供ではない。大人の支配下にいなくてはならないことにどうしようもなく怒り渦巻き、なんとかしようとする考えはあまりにも視野が狭く愚かだ。でも、大事な友達のため。大事な自分たちのため。計画は現実へとうつされる。
 ユンは、だが、仲間割れの報いで酷い怪我を負って二年、意識不明の状態だったようだ。

 大人になったジェイは、弁護士となり、パートナーも得ている。同性愛者であることの苦悩は乗り越えて、よきパートナーを得て、そう、今、時代としても、同性愛者であることは、まだ勿論平等ってわけではないが、30年前に比べればずっとマシになっている。何よりジェイはもう大人になっている。

 ユンは。
 意識不明で寝たきりになった2年のせいなのか。激しい損傷で脳のダメージが暴力的な方向へ振れ切ったのか。ユンが何故その犯行に踏み切ったのかは、本当にはわからない。
 ジェイに憧れていたらしいユン。ジェイとの不意のキスが嫌だったのかそうではなかったのか。あの頃、の自分たちである、12歳13歳あたりの少年たちを攫って殺す。それは、あの頃の何か、あの頃の自分、あの頃の世界を取り戻したかったのか。あの頃、で、時間が止まったまま、なのか。ユンが漫画を描こうとしていた、ヒーローたち、悪役たち。それが全てユンの中の人格として犯行し続けたのか。
 ユンとジェイ。二人が初めてあった少年だったころ。始まりを思い出し語り直す物語。


 メリバ、の意味が私、ちゃんとわかっているわけではないのです。メリーバッドエンド。末永く幸せに暮らしましためでたしめでたし、という風なハッピーエンドではなくて不幸な、悲しいエンディングだけれども、その二人にとっては幸せだから、メリー、というか、世界に二人だけの二人にとっては幸せみたいなエンディング、って感じかなあ、と、思ってる。
 ユンは少年を殺し続けた最悪の人間だ。
 でも、ジェイと、ユンと、アガンと。少年のころ、確かに仲間だったことを、この物語は描く。もしもユンが怪我をすることなく普通に成長して大人になっていれば。もしもジェイの義父殺害計画がただの空想の計画のままだったら。もしも不慮の事故でアガンの父が亡くなったりしなければ。同性愛者であることがあれほどの嫌悪や憎悪の対象でなかったら。もしも。もしも。もしも。もうどうしようもないもしもの話をいくら思っても仕方ない。
 ユンは死刑にならなくてはならない。
 ジェイには今は理解ある大事なパートナーがいる。
 もしも。
 ユンとジェイが互いの初恋を初恋として育てられていたら。
 ありえなかった世界。でも、最後に二人はたっぷり語り合ったのだろう。その、物語。

 子ども時代と、最悪の現在と。何より子ども時代のやるせなさ切なさ、でも貧しくて不安だけど最高に眩しい夏休みの事と。とてもとてもよかった。『スタンド・バイ・ミー』的な世界であり。もっともっと物狂おしい世界であり。
すごく面白かった。よかった。読んでよかった。よかったです。


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『IQ』(ジョー・イデ/ハヤカワ文庫)

*ネタバレ、結末まで触れています。


『IQ』(ジョー・イデ/ハヤカワ文庫)


 最初はツイッターで流れてきた紹介で、相棒ものが好きな方、疫病神シリーズとか、と、いくつか挙げられていた中で疫病神シリーズがあって、そういう感じ? と興味をそそられてしまいました。で、他にもさらに評判よさそうで、読んでみよう~と。

 アイゼイア・クインターベイ。通称「IQ」という、名前がタイトルなのかとまず納得。ふざけた呼び名だぜ、みたいな。まだ若い私立探偵。2013年の舞台で20代終りくらいなのかな。ロサンゼルスの黒人社会。ラッパーとかなんだかんだいろいろ。
 プロローグとして、少女誘拐の常習犯の男、それをたまたま見かけたアイゼイアが助ける、という派手めなオープニングがあって、あ~なんかこういう感じ、映画だな。映画化されるかなされるといいな見たいなと思う。

 で、本筋の事件は、超売れっ子大物ラッパー、だった、カル・ライトが命を狙われているらしい。きっと犯人は元妻だ。なんとかしてくれ、という依頼。
 ドッドソンは、レコード関係の実業家、かな。なんかよくわからない胡散臭さ。アイゼイアとは高校生の頃に知り合った。かつてはルームシェアをしていた。ドッドソンは知り合った時から下っ端の薬の売人でいろいろヤバいことにアイゼイアを誘い込んでいった。
 アイゼイアは、兄と暮らしていたのだけれど、たった一人の家族、大好きな兄マーカスが交通事故で目の前で死亡。それから、まだ高校生のアイゼイアはなんとか一人で生きていかざるをえない、と思いこむ。

 時間軸として2013年の今、と、2005年の過去とがある。街の人々のためにタダ同然で便利屋的な探偵をやってるアイゼイア。まだ高校生のアイゼイア。天才少年。
 
 無茶苦茶になってる大物ラッパーカルを狙っているのは誰か。雇われた殺し屋、巨大な犬を使うその男をどう追いつめるか。アイゼイアの天才性、推理。過去の出来事と、いろいろと複雑でよくわからないまま読み進めていって、結末できれいにまとまって感動した。
 ロサンゼルスのシャーロックホームズ、みたいな宣伝文句も見かけた気がするけど、そういう、小さなことから推理を積み重ねて真相にたどり着くみたいな所かなあ。化け物みたいな巨大な犬が出てきたりするから? 私は別にそんなシャーロックホームズっぽいって感じは思わなかったけれども。

 何より、青春小説じゃん、と、読み終わった時には感動した。ドッドソンは実に困ったやつで、悪いんだけど、子どもの頃犬に襲われたトラウマがあって、今も犬が怖くてないちゃうとか、ちょろちょろ金目当てだけみたいにしてるけど本当の根っからの悪人ではないという、魅力。
 兄を失って、ほとんど狂気の域で思いつめているアイゼイアと、てきとーにふらふらしてるだけな感じのドッドソン。そんな10代の少年たちの泥棒稼業が、ついには取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう。
 泥棒だけではすまなくなったドッドソンが薬の売人の上の方から金を奪おうとして、人が死ぬ事態になって。子どもも犠牲になった。
 
 アイゼイアとドッドソンで、少しの間はなんだか上手く暮らしていけそうだったんだよね。ドッドソンは部屋をきちんと綺麗に使って掃除をして、素晴らしく料理の才能があってアイゼイアにガンボというご飯作ってふるまったりする。
 ガンボって私は知らなかったんだけれども、アメリカ南部の料理みたい。ピリ辛スープ的な感じで、ライスにかけて食べる感じ? レシピぐぐったらいろいろあった。多分家庭料理とか郷土料理みたい。ともあれ、ドッドソンはそれをちゃんと丁寧に作って、揚げたオクラをそえて、というのすごくおいしそうでよかったなあ。最初の時、アイゼイアは兄を亡くしたショックの中、味はわからない、って感じだったりして、それがまた切ない。二回目食べさせてあげる時にはうまい、って言ったけど、でも、最初の時のことを覚えてないみたいなのがドッドソンはショック、みたいな。
 ドッドソンは昔付き合った相手に料理習ったってことで、テレビで料理の鉄人を見るのが大好きだったり。すごく魅力あるキャラだった。アイゼイアももちろん、ナイーヴな天才で。このコンビの魅力っていうのがまず大成功だと思う。すごく好きになった。
 
 どっちかというと私は、カルの事件より、過去の二人の出会いとか最悪に転がっていってしまうとかの方を熱心に読んだ。こんなことやってられない、って感じでアイゼイアはドッドソンとは距離置いて、高校中退しちゃって、いろんなバイトしまくって知識技術を増やしていって、大人になってこんな風なのかあとわかる。
 ドッドソンの方がまだあんまりわからないかな。ちょっとは語られてたけど、基本アイゼイア主人公なので。でもいっぺんに何もかもって書かれても読む方も困る。次作もあるみたいだからシリーズになっていってくれるといいなあ。で、ドッドソンのことももっといろいろ描かれるといいな。
 ドッドソンは自分が引き起こしたことのとばっちりで関係ない人が死ぬことになって子供が犠牲になって、ってことをまるで気にしてないように忘れてるかのようにしてるのに、最後の最後、その巻き添えで怪我した子、フラーコが、もうじき18歳になるから、ということで、グループホームを出なくちゃいけなくて、その彼の暮らしを支えたいってアイゼイアがお金必要ってことでこのカルの事件を引き受けたのがそもそもなんだけど。ドッドソンが、ほんとはフラーコのこと忘れてなんかなくて、彼のために資金ためて増やして、ってやってきてて、それを、アイゼイアにさり気なく差し出すんだよ。
 泣かされた。

 全体的にぶっきらぼうな文体で、そっけなくて、私はとても好きな文だった。それで、ほんと、この締め方には参った。

 アイゼイアは本当に兄、マーカスが大好きで、彼を目の前で失って、傷付いたなんてもんじゃなくて、どうしようもなくて。めちゃくちゃだった時期の最後に、フラーコのために何か、助けられないか、としたことで、自分自身も意図せず癒していったんだよなあ。苦しくて苦しくてどうしようもなくて、酷いことして酷いことになって。フラーコにとってもとてつもなく酷い事なんだけど。それでも生きる。うっかりすればあまりにも陳腐なお淚頂戴になることだけど、それをこんな風に読ませる作品凄い。とても深く私には刺さってきた。読んでよかった。

 エピローグでは、アイゼイアが一時マーカスをひき逃げした車として探そうとしていた車が廃車になって置かれてるのに気が付いた所で終わってた。これ、アイゼイアはまた犯人探ししちゃうのか、この廃車のようにただ葬るしかないという感じなのか、ちょっと、わからない。次作あるらしい。続きなのかなあ? 読みたい~~翻訳早く欲しい~。お願いしますお待ちしてます。

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『ドクター・スリープ』 (スティーヴン・キング/文藝春秋)

*ネタバレ、結末まで触れています。


『ドクター・スリープ』 (スティーヴン・キング/文藝春秋)


 ダン・トランスは“かがやき”を持つ少年だった。閉ざされた冬のホテルでの恐ろしい出来事から30年。大人になったダニーは放浪していた。だが小さな町でようやく落ち着く。自身のアルコール中毒に向き合い、ホスピスで眠りにつく人の助けをしていた。
 アブラ・ストーンもまた“かがやき”を持つ少女だった。しかもとびっきり強い力を。ダンと実際に出会う前、アブラが赤ん坊の頃から、ダンとの心の接触はあった。
 <真結族(トゥルーノット)>は“かがやき”を持つ人間の「命気(スチーム」」生命力のようなもの?を吸ってはるばるとした長寿を得ている者たち。そのリーダーであるローズは、衰えゆく<真結族>のためにも強い「命気」を持つアブラを知り、狙う。ダンはアブラのよき教師となり守ることができるのか。


 ユアン・マクレガー主演で映画化になるらしい、というのを知って、え、『シャイニング』の続編か、というのを知って、読んでみた。2015年刊ですね。
 『シャイニング』多分映画を見たことが、ある、多分。で、本を読んだ。読んだな、かなり昔に、と思う。キングも一時すごくハマって読んでいたけれども、だいぶ遠ざかっていて、物凄く久しぶりに読んでみた。キングの世界観は実は繋がっていてとか、なんかそういうのはうっすら聞いたことはあるけど、あんまりもう、そういうのおっかけたりは私は出来ない。最近映画で「IT」や「ダーク・タワー」見たけど、ん~、まあ、もう私はあんまりそこを求めないというか。
 で。ともあれ、久しぶりに読んでみた。

 あんまり、ホラーではないですね。そもそもホラーではないんだっけ、シャイニング。。。わからない。。。最初の頃の、ダンがまだ子どもで、あのホテルのお化けが追ってくる、って感じはホラーっぽい感じだけれども、それを金庫に封じる、という方法を教わってなんとか対処。生き延びていく。
 でもアルコールでボロボロになり、“かがやき”もかつてほどはなくなり。それはいいことかもしれないけど。普通にまっとうに、生きるということが難しい中年となったダンが、まだ幼い少女を守って、<真結族>と戦い、滅ぼす、という。冒険活劇?
 
 二段組上下巻でたっぷりなんだけれども、さすが面白くて読み易くて、なんかいろいろ荒唐無稽な超能力な感じと、現実感と、うまいよなあと思う。
 まだ子どものアブラを守ろうとするまともな大人、の話でよかった。アブラは誰よりも強い力を持っているけれども、12歳くらいなので、あぶなっかしい。親とか助けになってくれる同僚なんかが普通に良い人で助け合って、という感じの中での超能力戦っていう、すごいバランス。
 <真結族>はでも全滅したわけじゃなくて、ローズから離れてひっそり逃げた面々もいるわけで、こう、世界の展開の余地も残している感じはさすがベテランなのかなあ。書きたくなったら書くのかな。そもそも『シャイニング』からはるばる時間がたって、続編書いたのも凄いことで。

 あ、ル・カレもだったな。
 作家生命を長く長く続けているという、凄味、強み、かなあ。

 面白く読んだ、けれども、まあ、そりゃ最後にはローズに勝つだろう、勝ってくれなきゃ困る、という安心の結末で。アブラも成長し。ダンも心の重荷をなんとかおろし、断酒の積み重ねは続く。めでたしめでたしな所かな。
 気が向けばまたアブラの物語も書けるだろうし、世界は広がっていく。

 私個人の好みでいうと、まー、面白かったけど、面白さ、そこそこ。正直あまりアブラやローズたちに興味持てず。ダンがぼろぼろだったところからなんとか立ち直り、働き、というのを一番面白く読んだ。それにしても、実はアブラの母ルーシーと腹違いの兄妹ですよとか、実際アブラのおじさんなんだよとか、それ、そういう設定はいるのか?? “かがやき”は必ずしも遺伝ではないってことだと思うんだけど。殊更強い力の二人だから、実は、ってことにしたのかなあ。でもなー。それはどうかと私は思った。
ダンを脳内キャスティング、ユアンくんで読めてすごくよかったけど。映画で見るの楽しみだなあ。どんな映画になるのかなあ。多分、映画では派手めになるのではないかな~。映画にほんとになって、日本で公開、公開になるよねきっと。その頃には多分いい塩梅に忘れてるかなあ。楽しみです。

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『寒い国から帰ってきたスパイ』(ジョン・ル・カレ/ハヤカワ文庫)

*ネタバレ、結末まで触れています。


『寒い国から帰ってきたスパイ』(ジョン・ル・カレ/ハヤカワ文庫)


 先日、『スパイたちの遺産』を読んで、寒い国かよーって思って再読してみました。気になるもん、やっぱり。
 「訳者あとがき」によると、1963年末にロンドン、1964年にアメリカで出版、たちまち世界規模でベストセラーのトップに躍り出た、ようです。この文庫翻訳は1978年だ。
 で、ちょうど昨日、「ジャコメッティ 最後の肖像」のブルーレイ見てたら、ディエゴが読んでる本としてタイトル出てたんだよね。そうだよ映画見に行った時にも、あっ、って思ってた。1964年の頃らしいので、まさにベストセラーになってる本ってことなんだな。
 本出した三作目のこの作品で作家一本になったらしいル・カレ。本人にとっても大事な作品だったのだね。そして、この、これ、に、ある決着をつける、『スパイたちの遺産』を今書いたのか、と、感慨深い。最初世に出てから50年あまり? そんで続編というか、その後、が、新作で出るって、物凄いよなあ。


 この中にもちろんスマイリーは出てくるし、ピーター・ギラムの名前も何度が出てくる。『スパイたちの遺産』と突きあわせてって思うと、なんかちょっと違う感じかなと思うんだけど。リズにギラムさんがあらかじめ会ってたとは思えないけど。まあ、別に突きあわせて考えなくてもいいか。。。スマイリーやギラム、管理官のシーンは本当にごくわずかで、アレックス・リーマスの物語。
 リズもただ巻き込まれてしまった女。
 二重スパイを取り込むために極秘任務を追って東ドイツへ潜入、というはずが、実は二重スパイ、ムントと守るために、リーマス本人も騙した上での二重の複雑な計画が描かれていた、と。
 再読なんだけれども、ほんとうに、終盤まで何がおこなわれているのか、もやもやと疑いと不安の中にずーっと引きずり回されて、ほんっと、毎度、ル・カレの作品を読むって何が何だかわからない。そして、あ、あ、あ、……終盤になって事の真相、というか、終りが来た所で、一気に盛り上がりの頂点、で、その頂点で放り出される。登ってきた梯子がぽいっと外されて消えて、なんかもう重力も半減して、ゆっくり理解というか、結末が自分の中に沁み込んできながら落ちていく感じ。辛い……。

 アレックスを、スマイリーたちは迎えに来ていたし、脱出させる計画はあった。あと一歩でできるはずだった。けれど、リーマスはリズを見殺しにはできず、壁をこえずに戻ってしまう。組織の、国家の、捨て駒に使われたことを自覚して、それでもそういうものだと呑みこもうとしていたスパイ。でもリズにそんなのおかしい、そんなの悪い、と、責められた後に、死んだ彼女から離れられなかったスパイ。
 寒い国から、帰ってこられるはずだった。けれど、帰れなかった。帰らなかった。あの壁の上で、自国の方へ飛び降りれば、逃げられたはず。けれど、生きられないって思ったのかな。もう、生きられない、のか。スパイの心って。
 
 再読してよかった。めちゃくちゃよかった。ル・カレを追い続けてきてよかった。本当によかった。時を経るということをこんな風に噛みしめることができるなんて凄い。
 生きてるって凄い。


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『スパイたちの遺産』(ジョン・ル/早川書房)

*ネタバレ、結末まで触れています。


『スパイたちの遺産』(ジョン・ル・カレ/早川書房)


 今はフランスで引退生活をしているピーター・ギラム。ある日、呼び出しを受けた。かつての職場、英国の秘密情報部からの手紙。

 てことで、今になって、新刊(出たのは去年だけど。2017年11月刊)しかもギラムさんが主役!? って買ってドキドキしてて、ゆっくりじっくり読もう、と置いてたのをようやく読みました。
 老人になってるギラムさんか~。補聴器をつけてたりするよ。老人なのかあ。スマイリーは? と読み進める。スマイリーがほんっと最後の最後まで出てこないの。じらされる。死んでるのかと思ったけど生きてたわ。

 過去の作戦、<ウィンドフォール>で命を落としたスパイ、の、遺族が訴えるという。その作戦とはどういうものだったのか。何故失敗したのか。ギラムは弁護士たちに話を聞き出されるが、極めて限られたものしか知らない極秘作戦のことを、今もどの程度話すべきか、隠すべきか、悩んだ。

 基本的に「わたし」ギラムさんが語り手というか手記、ってスタイルだね。その過去の作戦の頃のギラムさんたちの回想と記録、弁護士たちの追求。次第に明らかになってくる<ウィンドフォール>。
 と、読み進めながら、あれ、これって『寒い国から帰ってきたスパイ』なんじゃないかな? と思う。読んだことはある。けど、名前とか詳細はもう覚えてないなあ。訳者あとがきを読むとやっぱり『寒い国から帰ってきたスパイ』のことなんだな。あー。
 
 すごく、はるばるした気持ちになる。
 私はル・カレ読んで日は浅くて、2012年か、映画の「裏切りのサーカス」を最初見て、あんまりよくわからなくて、でもすっごい好きではあって、それから本を順に一通り読んで、二回目見に行って、感激感動、そしてその後もいくつか作品読んで、という感じ。まだ全部読破しているわけではない。けれど、ギラムさんや特にスマイリーには、彼の半生に付き合ったような気分でいる。

 そして今、新刊が出るのか、と感慨深く、それがこういう、過去の作戦を別角度から描くという、こんな話になるのかと。コントロールやビル・ヘイドンたちもいた頃だよ。そして、ジム・ブリトーが今も、いるよ。学校の先生やってるよ。偏屈な先生を。ジム、生きてる。それだけで泣いちゃう。
そしてスマイリー。最後の最後に登場のスマイリー。生きてた。相変わらず穏やかで、紳士的で。ギラムとの再会を懐かしんで。そして静かに怒る。
 ギラムさんがあんなに極秘をどうするかって悩んでたのに、スマイリーはあっさり資料全部出すっていうんだよねえ。嗚呼。スマイリーかっこいい。

 この頃の翻訳は随分読みやすくわかり易くなってるなあと思うのだけれども、これも随分読みやすいなと思ったけれど、やっぱり、地味、地道で、終盤までは、なんだろうなんなんだろうとわからなくて、心がしーんとして。でもやっぱり読み終わるとじわっと目の奥に涙が熱い、という感じ。別に泣かせる感じではないのにね。でもやっぱ、うるっとくる。実際泣くまでには至らないほどの、じわじわと、沁みてくる感じ。好き。

 スマイリーは、ギラムさんは、ほんっとに作者に愛されてるキャラなんだなあ。スマイリーは作者の投影が大きいんだっけ。ル・カレの回想録『地下道の鳩』、買ってるけどこれも読みかけだ。読もう。ル・カレ伝も出るんじゃなかったっけ。どうしよう。それは、うーん、それはちょっと読むかどうかわからないけど。
 でもそれよりまずは『寒い国から帰ってきたスパイ』をもう一回読もう。
 ほんと、まんまと、ル・カレに惑わされる感じ。ほんと好き。読もう。

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『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン/サンマーク出版)

『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン/サンマーク出版)


 2001年初版。
 これは、自己啓発本、ということになるのかなあ。クリエイティブ、創造的なことをやりたいのにやれない、自分には無理、という人に向けての本。
とはいえ、クリエイティブというか、自己肯定とか人生を豊かに、というためにも読んでみてよかったなあと思った。

 ちょっと、その、用語というか霊的、スピリチュアル的要素を信じられる、という感じはちょっと、自分はあんまり、と思うけれども、シンクロニシティっていうか、なんか繋がりができて運が繋がって続きて、みたいなことがあったりすることあるよね、という感じはわかる。人生の波っていうか、運気みたいなの引き寄せる感じかなあ。
 かなり前に、「掃除力」みたいなのが流行った時に、なんか、鬱々としてた時期に掃除しようとかちょっとだけハマったことあったかなあ。それはまあ別に、本当に単純に、それまでよりはもうちょっとマメに掃除をした、ってことで、それはそれで、単純に部屋が綺麗になって気分がいい、みたいなことからよかったなあと思う。今はまた怠惰な生活で、掃除もほどほどですが。いかんね。掃除、もっとしようか。。。

 この本を読んでみようかなと思ったのは、去年の秋に引っ越しをして、その時、断捨離とかおうちの片付けとか、シンプルライフに憧れて、で、いろいろなブログを読んでみたりしまくったことがあって。シンプルライフとか、気持ちいい暮らしの感じの中に、モーニング・ページということがあったのに興味を持ったことがきっかけ。
 手帳術とかそういう流れかな。書くことで暮らしをきちんとしよう、ということをしようと思ったのかな。クリエイティブになりたいという欲望もあり。
 で、この本のことを知って、そのうち読んでみようと思ったのでした。

 著者は脚本書いたりとか映画製作等、そういう世界に身を置いた経験とか自分の人生とかから、創造的になるためのヒント、エクササイズを教える講座を持つようになり、それを本に書きました、ということらしい。
 なので、まあやっぱ生活に役立てるというよりは、何か自分でも創造してみたい、というためのエクササイズですね。誰にでも創造性はある。自分が自分で自分の可能性を阻んでいるだけなのですよ、という。

 基本的にはモーニング・ノートとアーティスト・デート。
 朝起きて、何かごちゃごちゃと仕事を始める前に、ノートを開いてただただ何でもいいから3ページ書きましょう、ということ。内容は本当にただどうでもいいことでもなんでもいい、って。何にも書くこと思いつかないよ~とだらだら書いてもいいらしい。ただ、書く。毎朝書き続けていると、自分の中が見えてくる、という感じ。読みかえしたり反省したりするのはずっと書き続けたあと、少なくとも二か月くらいは読み返さない。

 これ、私も始めてみてて、まーなんかもう毎日めんどくさいとかそういう、自分の言い訳みたいなことをだらだらと書いてる。まだ読み返さない時期だけど。ノート術というか、言霊的なことでポジティブな言葉しかあんまり書かない方がいいのでは、という気もしてたけど、まー愚痴吐きもしなくちゃねって感じでだらだら、ポジティブネガティブ関係なく、ぐにゃぐにゃと書いてみている。それでとことんダウナーになった翌日ふっとポジティブになったりもして。でもまたメンドクサイのやだーとか。そんなこんなの、ぐにゃぐにゃでも、なんか、いい。私はもともと書くの好きだし、ほんとに飽きるまでは多分続けると思う。

 アーティスト・デートというのは、自分の中のアーティストチャイルドとの時間、デート、だそうで。創造性の子どもが自分の中にいるのだ、その自分の中の声を解放するように、ちょっとした気晴らしのように、ゆっくり散歩をしたり好きな音楽にひたったり、という時間を持つこと。
 毎日、何かやらなきゃ、って追い立てられることからちょっとだけ一息つく、という感じかなあと思う。これは、まあ、私は無職だし、まあ、いろいろ雑事はあるけれども、好きな事する時間は持ってる、かなと、思う。ちょっと意識して、アーティスト・デートだぞ、って思うと、散歩する気分もよくなるかもね、と思って、そう思うようにした。

 本来は三カ月、毎週行う講座、エクササイズなので、一章ごとに、今週のチェックがある。けど、数日で読んで、紹介されてるエクササイズも、いやあ、それメンドクサイ~と思って多分今後もやらないかなあ。でもやってみたいと思ったことは、ちょこっとやってみようかなって思えた。
 ネット依存でツイッターばっかり見てるとか、テレビを意味なくだらだらつけっぱなしにしてるとか、ほんと私の生活超ダメダメじゃーん、って、自分でも思うんだよね。それ、もうちょっと、そういう自分に大事じゃないことをもう少しやめる。自分が好きなこと、やりたいことの方に、心をむける。

 どうせダメだから。どうせ私には才能がない。何かを始めるにはもう年寄りすぎる。そういう自分の中の言い訳、「どうせ」って、すっごく思うんだよねー。それ、その言葉よくない、って思って、思わないようにしようって思ってるのに、っていう、この、この、自分で自分を疎外する、自分のやりたいことに自分でブレーキをかける、それな、っていうことの指摘がされていて、ああ~そうですね~って思いました。本という形で読んでみてよかった。
 これで明日からポジティブに! やりたかったことが全部できる! 成功する! というわけではないんだけれども。
 エクササイズも全部やるのはめんどくさすぎる。。。と、ほんっと私って、と思うけれども、まあ、でも、やってみたいところもあって、この通りには出来ないけれども、自分が楽しくなるように考えてみるといいよな、と、思う。時間はかかる。「どうせ私なんかダメ。無理」って思わないようになりたいけどなかなか、ねー。時間かけていこう。


 序文 私自身の旅
 基本ツール モーニング・ページ アーティスト・デート
 第一週 安心感を取り戻す
 第二週 アイデンティティを取り戻す
 第三週 パワーの感覚を取り戻す
 第四週 本来の自分を取り戻す
 第五週 できるという感覚を取り戻す
 第六週 豊かさの感覚を取り戻す
 第七週 つながりの感覚を取り戻す
 第八週 芯の強さを取り戻す
 第九週 思いやりの心を取り戻す
 第十週 守られているという感覚を取り戻す
 第十一週 自立の感覚を取り戻す
 第十二週 信じる心を取り戻す

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『ファルコナー』(ジョン・チーヴァー/講談社)

*ネタバレ、結末まで触れています。

『ファルコナー』(ジョン・チーヴァー/講談社)


ファルコナーは刑務所。ファラガットは兄を殺した罪でここへ入ることになった。
妻と子どもがいる。面会に来た妻はそっけない。離婚する話にはなっているが、面会の時にはごく普通に会話をする。
ファラガットは麻薬中毒者で、メタドンを支給してもらう権利を認められているが、次第にその薬を支給されることを忘れて、中毒からは回復した。
刑務所での暮らし。作業。看守や仲間とのやりとり。恋人が出来たりもする。ファラガットは乱暴な男ではない。教養もそれなりにある。家も名門、というか、悪くない育ちをしてきて。だが家族との関係は悪く、兄は嫌なやつで、物の弾みのように殺してしまった。
年寄りの囚人が亡くなるのを看取った時、チャンスだと思ったファラガット。死体袋に自分が入り、脱獄に成功する。

「ファラガットはバスの入口へ歩いていって、つぎの停留所で降りた。バスから通りへ降り立ったとき、彼は、倒れそうな恐怖や、そのほかのそれに類する恐怖がすべて消滅していることに気がついた。彼は、頭をぐっと上げ、背すじをしゃんとのばし、すいすいと歩いていった。愉快だ、彼は思った。愉快だ。」 (p225)

これが終りの一節。愉快だ、ねえ。
アメリカの作家ですね。賞をとったりもしている、らしい。私は知らなかった。この作品が初読み。アミハマちゃんがインスタで本を読んでいる写真をあげてて、その時読んでいる本がこれなのではないか、とのことで、どんななんだろうと思って読んでみました。

私、アメリカの文学とか知らないなあ。この本の巻末の宣伝にはサリンジャーとかあって、あ~なんかそういう感じか、と思う。なんか。うまくいえないけど。アメリカの文学っていうかまあ他の国の文学も知らないけど。一応日本の文学の流れは、多少は知ってる、程度だけれども。
ともあれ、この本、本国で1977年に出た作品。読んだこの本は1979年刊。時代かなあ、「ホモ」と作中に出てきて、うっ、と思う。まあ、仕方ないか。時代。。。

刑務所の中の話だけれども、わりとなんか自由というか、自由なわけじゃないけれども、苦役についてるという感じはしない。ファラガットは周りを観察しているような、達観しているような感じがある。自分の罪に苦しむ風でもない。全部さらっと他人事みたい。恋して、その相手が脱獄しちゃって、寂しい、みたいなのも、さらっとしてる。
というか司祭にまぎれて脱獄、そしてなんとなく司祭が助けてくれるとか、そういうの何だろう。そこんとこもっと詳しく、って思ってもさらっとエピソードは終わる。

翻訳の文体の感じもあるのか。そもそもの原文の味わいがこういう加減なのか。なんかこうほどほど豊かな傍観者みたいな時代の感覚があるのか。わからないけれども。読んでて、私は何を読んでるんだ。何でこの作品は書かれたんだ。わからない……って思う。でも読み終わり、最後に「愉快だ。」って終わると、ふーむ、なんだか愉快な気がする、と思った。
やっぱり刑務所というか、どうにもならない閉塞感みたいなのがあって、そして、脱して、「愉快だ」って、ぽんっと終わってしまう、それは「愉快だ」。ほんと、読んでる最中は何だこれ……と淡々と読み進めたのに、なんか読み終わるとふいっと愉快になれるって、すごいかも。ファラガット、でもしかしどうなるんだ、どうするんだ。わからない。けど、こう終わってよかったなって思う。
面白かったとは、言えない。わかんないし。でも読んでよかったなと思う。へんなのー。

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『夫のちんぽが入らない』(こだま/扶桑社)


『夫のちんぽが入らない』(こだま/扶桑社)

 ネットで評判を見たのがきっかけだったかなあ。煽情的なタイトルだけど全くえろくはない。告白小説、というものかな。もとは、文学フリマに出す同人誌に書いたエッセイだったそうです。

 子どもの頃から始まって、大学進学を期に一人暮らし。同じアパートで初対面からなんだかなれなれしい、でもとても自然に一緒にいられる男の人とつきあうようになって結婚しました。と。学校の先生になりました。学級崩壊があって仕事をやめてしまった。夫は理解あって文句を言われるわけでもなく。だが同じく教師の夫も精神的危機はあり、治療を続けている。
 二人はセックスができない。夫のちんぽが入らない。いろいろな努力の結果、裂けて血塗れになりながら、ならば、入る。できる。でもそんなの続けられない。不妊治療を試みたことはある。でもできなかった。
 誰にも言えない事情。どうしようもない出来事。もう少しうまくやれたかもしれなかった事。人には、夫婦には、それぞれが抱える問題があり人生があり、生きてきたのだ。

 他の人相手だと夫も自分もセックスできるんだなあ。でもお互い大切な夫婦であるけれどもセックスがうまくいかない。どういう事情なんだかわからなくて、でもまあわからないというのがこのお話なので、受け止めるしかないか。
 もうちょっとちゃんと医者と相談とか、誰にも言えないって頑なに思いこむのではなくて助けを求めるとかなんか、なんか、もうちょっとなんとかなるんじゃないのか? というつっこみを思ってしまって仕方ないけれども、そういうお話なので仕方ない。どのくらいに事実なのかなんなら100%フィクションなのか、それはどうでもいいんだけど、なんか、なんかもうちょっと、っていう気がしてしまう。

 文章はすいすい読めて、丁寧なんだけれども、えっ、そこはもうちょっと詳しく、って思っても不意に投げ出される感じになったりして、面白かった。著者の感覚がちゃんと文章になってるんだろうなあ。
 悲しいこととか不幸だとか、単純に同情誘うような書きぶりでもなくてちょっとふわーっとしてるのも面白かった。読んでみてよかった。

 あとがき が、別紙、という感じでついている。その途中から手書き文字になっていて、なんでこういう感じにしてるのか謎。同人誌っぽさ? いやあ??? 

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『君の名前で僕を呼んで』(アンドレ・アシマン/マグノリアブックス)

*ネタバレ、結末まで触れています。

『君の名前で僕を呼んで』(アンドレ・アシマン/マグノリアブックス)


今日は映画の「君の名前で僕を呼んで」二回目見てきました。本を読んで、また見てきたの。映画と本と両方の内容に触れて感想メモします。


小説の方は、回想スタイルなんだ、というのにまずびっくりした。
私には映画が完璧に大好きなので、原作本の翻訳が出ると知ったけれども、読まなくていいかと思っていた。けれど、本だと、映画のその先まであるらしい。
映画と小説は別物。というのは鉄板のセオリーだけれども、でも、あの二人のその先が描かれているものがあると、いうと、それはやっぱり、読みたい。
てことで、読みました。

 第一部 あとでなければ、いつ?
 第二部 モネの段丘
 第三部 サン・クレメンテ症候群
 第四部 ゴーストスポット

しかしこの文庫、主な登場人物があるけど目次がないのは何故。目次欲しい。

基本的には映画と同じ、というのは当たり前だけれども、オリヴァーがやってくる前から、彼をこの夏のゲストに迎える選考をする時から、エリオは彼が気になってた。彼がやってきたその時から、もう彼が気になっていた。彼と仲良くなりたい、でも彼はそっけない、彼が気になる、けど彼の視線が冷たい。ぐずぐずともだもだと、彼の一挙一動にかき乱されている感じは映画よりもっとずっとわかりやすく描かれていて、ああ~この、どうしようもなく些細なことに一喜一憂、自分自身の感情のアップダウン、好きも嫌いもくるくる変わる混乱って感じを、延々と読むのはもう~~~甘酸っぱいの極み!

 小説だと、オリヴァーはエリオんちのお隣さんだかの、ヴェミニという女の子と仲良くなる。小さい女の子。病気で長くは生きられないと、本人もみんなも知ってる女の子。切なかった。でもこの子は映画には入れられない、というのもわかる。映画はやっぱだいぶすっきりさせていて、焦点は二人に絞っていたんだなあと思う。
わりと最初から桃、というかアプリコットってオリヴァーのお尻ですね。きゃ。
 「あとで!」がぶっきらぼうで乱暴って感じなのか。朝食の卵を上手に上だけ割って食べられないってアメリカ人だからって感じなのか。そっかあ、ヨーロッパなスタイルの感じとアメリカ人って感じの違いみたいなことがあるのかあ。
 あとユダヤ人同士だ、っていう親近感の持ち方の感じが私にはよくわからないんだけれども、そういう民族的なこととか意識したりするのも、ヨーロッパ的っていう感じ、なのかな。迫害の歴史とかある、あった、のがリアル? 私がなにかと無知で、その辺の感覚とかよくわからない。
 でもそう、そういう、ハンサムでスマートで気さくなアメリカ人、映画スターみたい、ってたちまちみんなの人気者になる感じのオリヴァー。アーミー・ハマーでとても納得。一目見ただけで、ああ映画スターみたい、ってうっとりできるもんね。

 映画ならではの印象的な、エリオの父は美術研究者っぽいんだけど、小説だと文学者?哲学者なのかな。ビジュアル的に映画的に結構アレンジしてるんだなという違いも納得した。
 映画の中のほうがエリオの家庭、環境は夢のようだ。言葉だけだと映画を見たあとだと物足りない気がする。小説はエリオの回想だしずっとエリオ視点のモノローグみたいなものだから、エリオの行為、心情、揺れ動きくるくる変わる気分はすごくくっきりわかるけれども、その分私の解釈とは違うなあ、と、思ってしまう。まあ、先に映画見てめちゃめちゃ妄想したからな。

 エリオとオリヴァーがリバだな、って確信したのは嬉しかったっ。二人が関係を持ったあと、一度きりではなくて何度もやるんだな~やるよねそりゃねうんうん。
  「今朝はあらゆるものからオリヴァーを守りたかった」
  「平凡な幸せ。昨夜彼が僕を上にならせてくれたという、それだけの理由で」(p212)

 二人の関係は始まってしまえば情熱的。ローマへの二人の旅のシーンは、オリヴァーが本を出すための準備、で、書店でパーティとか、詩人の延々とした語りとか、その辺はあんまり私は、ピンとこないし、二人がもっといちゃいちゃしてるのを、読ませてくれよ~せっかくの二人きりの最後の旅なのでは~ともどかしかった。
 でも、そして、別れはやってくる。
 小説のほうがあっさりはしてたかなあ。別にママに迎えにきてとか頼んだりしてなかった。

 ハヌカの祭り、光の祭りってユダヤ教のお祭りなんだ。クリスマスの頃の。映画だと電話だけだったけれども、小説だとオリヴァーがきて、婚約の知らせは直接話していた。
 でももう、二人は抱き合わない。夏の情熱は消えてしまった。ほんと、ほんと、切ない。
 映画の感じだと、その後の再会って、また切なくハグして、という感じだと思っていたのに、まさかの、リアルに目を覚ました感じ。辛い。。。それから時間は流れ、エリオはアメリカの大学に進学するけどオリヴァーに会いにいったりはなく、他の出会いはあり、みたいに、まあ、さくさくと回想は進み、15年も過ぎて、20年も過ぎてから、やっと、オリヴァーがイタリアへ一泊戻ってくる。エリオの父が亡くなって、それを偲ぶ、という感じかな。その前に再会はしていたものの、オリヴァーはあの情熱はすっかり過去の事にしていて、また恋愛するでもなく。
 それでも、本当は忘れてなんかいない。エリオの部屋からこっそり持ち出していた絵葉書はずっと大切にされていて、エリオへのメッセージも一言記されているのだ。「心の中の心」。
わりと最初の頃、エリオがオリヴァーに初めて告白めいたことを話した時の雑談で出た言葉。大事なことを知らないんだ。君はわかってるくせに。君に知って欲しいんだ、と、二人の気持ちを見せ合う始まりの時の、言葉。

 小説の結びの一文も、完璧だった。別れの朝の予感。これしかないって思う。

  「そしてあの頃みたいに僕の顔をまっすぐに見て、視線をとらえ、そして、僕を君の名前で呼んで。」


 今日、本を読んでの、映画、二回目を見て、やっぱりとてつもなく切なく美しく、完璧な映画化だと思った。小説のほうがかなり即物的に思春期男子~って感じに何もかも全部って感じに言葉になっててすごかったけど。(スカトロ風味までもありか~ってびっくりした)
 映画は、映画だからこそ、うつくしいものだけでできていた。
 理想的な家族。理想的な夏。夢のような恋。恋する人とのキス。セックス。
 鼻血出ちゃった、って時にオリヴァーがエリオの足をマッサージして、思わずって感じで足の甲にキスするの、アドリブだったらしい。マジか。アミハマちゃん天才か。いやほんとかどうか知らないけど。
 初めての恋におちたとき、世界がこんな風だったらいいのに。という、理想を見せてくれる映画。本当になにもかもが美しい。
 
 エリオがオリヴァーに、こつん、て、頭、額をぶつけてく感じが好き。猫みたい。抱きしめる距離をつめるのにためらって、手も足も出せなくて頭ぶつける感じ。めちゃくちゃ可愛い。猫みたいに、という描写は小説にもあって、嗚呼~わかる。と、思う。
 マルツィアとの恋、というか、恋、友情とセックス、も、同時進行しちゃう感じもわかる、いや、わからないけども、エリオにとってはそうなんだ、って、わかる。
 やっぱり映画のほうが好きだなあ。大好きだ。とはいえ、小説も読んでみてとてもよかった。面白かったしこっちでもめちゃめちゃ胸きゅんだしこの小説がああいう風に映画になるのかあって面白かった。
 エリオ。オリヴァー。二人の名前がずっと、この先もずっとずっと、私の中に甘く切なく棲みつく。エリオ。オリヴァー。イタリアの夏。眩しくて優しくて切なくて、かけがえなく愛しい。大好きです。


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『機龍警察 狼眼殺手』(月村了衛/早川書房)


*ネタバレ、結末まで触れています。


『機龍警察 狼眼殺手』(月村了衛/早川書房)


機龍警察シリーズ第五弾。

国を挙げての新プロジェクト、「クイアコン」。これまでの通信インフラ、
人々の生活を一新する新たなビジョン。
だが、そこには利権をめぐる争いが蠢き、中国企業、ヤクザ絡みの闇の中、
連続殺人が起きてしまった。


今回も、死神ライザの過去の因縁が大きく関与してくることになって、
鈴石主任にも危機が迫る。
機龍でのロボットバトルみたいなのはなかったな。警察小説、という面が
強かった。
前々から引っ張っている警察内部、というか政治内部? にあるらしき謎の
<敵>。その圧力がいよいよ露骨になってきている感じ。今回もしかしその
正体を突き止めるには至らず。誰がどっちなのか。特捜のメインキャラ以外
私はあんまり記憶できてないので、あんまりその辺を追及したい気持ちはない。

今回登場の、財務捜査官、仁礼草介はちょっと覚えた。金の流れ、数字の
声を聴く、ね。ベンアフの映画の会計士みたい。キャラは全然違うけど。
仁礼くんはひょうひょうとした研究者めいた感じかなあ。
あと国税庁の魚住希郎か。脱税方向からの追求。悪いやつから税金徴収して
国庫が潤うのが大好き!って感じかな~。出番少ないけど面白かった。
この二人は沖津部長の覚えめでたくって感じで味方になる、多分今後も、
と、思うけど、どうかなあ。多分、今後も出番ありそうかも。

連続殺人の実行犯が、実はライザの過去、かつてIRFにいた時を知っている
死んだと思われていたテロリストエンダ。彼女のあだ名が「狼眼殺手」。
からっぽな彼女が依頼殺人以外でライザを狙って、鈴石主任も巻き込まれ。
ってそんなこんなの因縁も大きなストーリー。
しかし正直私個人的には、ライザとか鈴石さんとかの諸々はあんま興味ない。
もう一回一冊分やったんだから、今回もこの辺の話か、とわかってちょっと
テンション下がった。まーいいんだけど。作者的にはこのキャラへの思い入れ
があるのかなあ。最初に設定もりもりにしちゃって、それがどんどん思いが
強くなったのかなあ。ん~。
次はもうちょっとチガウ話が進んでくれるといいな。

というか、続く、ですよね。<敵>とか警察組織、政治、どういう風に
話を作っていくんだろう。シリーズ何作まで続けるんだろうか。
5作目まで読んで、きて、だがまだ私はこのキャラ、人物が好き、って
思い入れ持つにはいたってないなあ。一応、多分、次が出れば読むとは
思うけれども、そろそろ終局に向かってほしい。風呂敷畳むんでしょうね、と
それが心配になってきたよ。硬派というか、ハードで面白いのは面白い、
けど、私個人の好みの問題として熱中はできない。色気が足りない気がする。
エロシーン書けとかいうわけじゃなくて、ん~。色気。色気。なんていうか、
うーん、色気、としか言えないか。ほんと、別にエロシーンとかいうことじゃ
なくて、魅力としての色気があるのが私は好きなんだ。うーん。

それと勿体ぶり方が信用できない感じがする。ちゃんと着地するんだろうか。
そしてそれは面白いだろうか。ちゃんと終わらせてほしいなと願う。


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