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『四月の雪』(古川順子/砂子屋書房)


『四月の雪』(古川順子/砂子屋書房)


 2020年10月刊。第一歌集。あとがきによると2011年から2018年頃までに詠んだ歌を再構成しておさめたそうです。
 
 なんとなくなのですが、多分古川さんが未来に来られてお歌が出るようになった頃のことを覚えてます。あとがきによると未来入会は2007年だそうで。私もまだ入ってちょっとの頃だ。
 まだ全然どんな方なのかも知らず、ただ歌でしか知らない間。とてもとても綺麗な、うつくしい歌がいつも目に留まって、あーすごい。うまい。いいなあと思ってました。岡井先生この人のことお気に入りだろう~~ってまったくもって一人勝手に嫉妬してました。(山木さんが入ってこられた時にも同じように思ってた)その後、お目にかかる機会もあって、ご一緒する機会もあって、それでさらにいつもお歌読むたびに、あー綺麗。すごい綺麗。うまい、と、ずーっと思っています。
 一冊の歌集となった歌を手にして、柔らかい滑らかな感触はますますうつくしく感じられました。

 一読の印象は淡くやわらかく、うつくしい歌の世界。具体的にどうこうの直接さは少なくて、幻想的だったりするけれど、簡単におもてには表さない、強い感情、芯、屈折、があるのだろうと感じられます。
 好きな歌に付箋をつけて、いっぱいつけて、ひかり、水、ということばがたくさんあって、私は好きで、でもこの歌の世界は甘くはないな、と、ひんやりした距離を感じます。
 あとがきにもありましたが、岡井先生が歌集をつくるといいと書かれていたように、古川さんの歌集できてすごくいいな、よかったな、って、この歌集を手にした誰もが思うのではないか。
 
 短歌ってひかりだな、と思いました。自分のために灯すちいさなあかり。ゆれる蝋燭みたいな。素直にそう思える、美しいことば、詩を、届けてくれてありがとうございます。


 で、いくつか好きな歌を絞って。


  春のひかり充ちれば重い荷のように流すよ笹の舟を浮かべて (p14)

 春の光を笹舟に乗せて流していく、みたいに読んだのだけれど、なんだかいろいろ不思議というかわからない。ひかりがみちて重い荷にようになるから舟で流す、というようなのって。ひかりには重さはほぼないだろうし、ひかりが満ちるってあかるく良いことのように思うのに、それが重荷になって、笹舟なんて頼りないものにのせて、流せるのか。無理なのでは。と、うねぐねと考えてしまう。まあ実景ではなくて気分のような、全体が喩なのだろうけれど。あかるくなってきたものの春の憂鬱という気分、かなあ。つかめない、と思いつつ、一見したときのきれいさ、と、あれ、よく考えようと思うとわからないな、ってひっかかりと、でも全体のきれいなひかり、みどり、水の印象がよくて、好きです。


  堆積のために重みを増してゆくひかり
  あるいは
  しろき文字盤 (p28)

 多行書きにしている歌が所々にあって、お、と思いました。あるいは、とあるけど、白い文字盤の腕時計の歌ですね。またひかりに重さが……。一連、仕事のある月曜の憂鬱、ままならない仕事の鬱屈が広がっていました。この一首の、「堆積のために」という説明のようで説明になってない感じが面白くて好きです。ひかりとか白いとかあかるいのに、重いの。


  そこのみに夏のひかりはあふれおり厨にふたつ残れる檸檬 (p46)

 夏の外に比べて暗い室内、台所で、ちょうどそこに光がさしていて。ただそこにある檸檬がふたつ、かけがえなく輝いてみえる情景だと思います。なんだか眩暈がしそう。なんだか泣いてしまいそう。檸檬ふたつ、の、鮮やかな黄色が奇跡のよう。精緻な筆致で描かれた絵画のようでもあり、印象的な一首。


  雨はいつ雨から水になるのだろう 名のないものにひとはなれない (p51)

 そうだな、いつだろう、と前半で思い。下句は、ええと、とちょっと考えてしまいます。人はたいてい名付けられている。親子関係とか社会的人間関係とかで娘とか友人知人とか、役割のものになっていたりもする、かな。世界中にたった一人、であったとしても、わたし、吾、というものになるのかな。雨だったら、雨でも水でもないあわいがある、って感じかなあ。でもなんかそういう理屈を言いたいわけではないのだろうと思うんだけど。はっきり読み切れないのですが、そうだなあとかわからないなあとか、これも考えてしまって好きな歌です。ほんのり悲しい。


  剥き出しの器官がふたつ澄みながらわたしを見てた(欲しかったもの) (p58)

 器官、っていう、それは眼だな。澄んだ目に見つめられて、見て欲しかった、欲しかった視線を得た、という。それがこういう表現で一首になっているのがすごい。「剥き出しの器官」ってちょっと怖い。ぬるっとしそう。それが「欲しかったもの」なのもこわい。人の何かを欲するってこわいなと、改めて感じちゃってこわくてすきです。


  まっすぐにのびる背中にかすかなる副音声がある 困ってる (p75)
  きみという生きている音そのおとのとおのいてゆくような復路は (p75)

 これらがある一連は誰かと出かけた感じかな? よくわらかないのだけれども。誰かの背中、まっすぐにのびる背中、という姿の美しさがある。それを見て、副音声がある、と、聞いてしまう。「副音声」って表現、面白い。裏の声を勝手に聞いてしまうのですね。その背中を見せている人は「困ってる」。何になのか、どうしてなのか、わからないけれども、読む私は、わたしとのお出かけ、わたしとの関係に困ってるんじゃないかな、この人。なんかごめん、みたいな切ない気持ちになる。次も同じく。帰り道、きみとの距離は近づけなかった。離れてしまうみたい。ため息をつくような気持ちを真ん中に遠回りするような表現で描かれていると思う。「きみ」のこと、じっと耳をすまして心傾けている感じがとても繊細です。


  にんげんのかたちにすこしずつ熱が輪郭を得てはじまる冬に (p103)

 冬の空気の冷たさの中で、にんげんのかたちが暖かい、のかなと。「にんげんのかたち」に「熱」がすっごくいいと思います。


  青空はひかりの過剰 ふところに幾億の星抱けるものを (p113)

 昼間の空は明るすぎて、星が見えないことをこんな風に表現している。「過剰」という断言にひかれました。私、「過剰」という単語が好きなんだな、って思ったな。


  こんなにも身体はだめでまぼろしの波音ばかり聴く耳がある (p116)

 ものすごくすごくだめな感じがします。ぐったりぱったりなんとか帰った部屋のベッドに倒れ伏しているイメージでした。だめな時なんだなーと。幻の波音に救いを求めているのかな。耳鳴りしちゃうような不調、みたいなことかもしれないのだけれども、幻の波音ってやさしいイメージだから、それにゆだねて安らげるといいなと思いました


  こんぺいとう ちいさき冬のかたちして放られているあかるさのなか (p118)

 初句で、ぽん、と切れて、それが小さい冬のかたち、と見ているのが可愛いし、なるほど、って納得します。白い金平糖なんだろうなと思う。それが放られている、明るさの中に。放り上げてぱくっと口で受ける遊びだったりするのかなと想像します。軽やかで好きでした。


  閉じないでいる眼に花は降りやまず ひとという皮もずいぶん重い (p132)

 「ひとという皮もずいぶん重い」のところが物凄くて、ぐっときました。一連のタイトルでもあります。うう、生きてるってたいへん。他の歌もみると「きみ」への執着があるようで、でももう諦めようとしているようで。自分本体はもう幽鬼のようだ。なんとか、ひとという皮被って、生きてくしかない……。


  しろい陽がからだを通り過ぎるとき無数の傷はあたらしく生る (p182)

 陽、は、あかるくてあたたかくて良いもの、と私はイメージするのに、それで無数の傷ができてしまうという痛々しさ。ガラス細工の生き物みたいです。どうしたらいいのかわからないし何もできないけどこの歌、見つめていたい。


  闇にたたずみ咲くさくらばなみつみつとそうだったあれはあらがう力 (p189)

 闇。だけど、桜の咲く闇、花がみっしり咲いていて、それは「あらがう力」があるもの。あらがって咲き誇る、美しい世界だと思いました。


 歌の世界は繊細で美しくて、けれどちゃんと仕事をしてたり生活してたりもほんのり見える。ひらがなの使い方も好きでした。言葉の豊かさを感じました。やわらかくさらりと歌われているようだけど、私、結構わからない言葉があって、調べつつ読んでます。というかやはり私があまりにも無知なだけか……。そんな私にも短歌ってひかり、と、思わせてくれて、ありがとうございました。

 

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