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『あけぼの杉の竝木を過ぎて』(石井辰彦/書肆山田)


『あけぼの杉の竝木を過ぎて』(石井辰彦/書肆山田)


 2020年5月刊行。2015年くらいから去年までくらいの期間に作られた歌から、かな。

 石井辰彦の歌はまず見た目からして明らかに石井辰彦の歌、というインパクトが強い。
 ルビがいっぱいある。しかも独特なつけかたでいっぱいある。
 レイアウトも計算されている。上と下とそろった四角に歌が並んでいたり、ダッシュ―や空白を使って整えていたり。旧仮名だし正字だし。漢字が多くて紙面が黒いよ。固い。圧倒的に男の歌だ。
 
 何より言葉ってこんなにもあるんだと圧倒される。華麗。豪奢。私が連想するのは三島由紀夫。日本語で絢爛たるゴシックの城を構築しているみたい。イメージする雰囲気は19世紀。ギリシア神話。いやでも私がなんもわかってない無知無教養なので全然ダメなこと書いてる気がする。私、石井さんの歌見る時いつも読めねーよーーーという嘆きから入るしかないです。

 だが好き。それが好き。こんな華麗な詩の世界を繰り広げて見せてくれるのは石井辰彦しかいないと思う。全く良い読者でなくて申し訳ないけれど、石井辰彦の歌を見るのが好きです。

 幸いなことに読む短歌でしばらくご一緒させていただいて、歌つくってよんでしていました。作ってきた歌、連作のコピーを配られて朗読を聞いて、その初見でなんか感想を言うの。ぐはーと思いながら短時間のうちにいくつか辞書ひいて朗読ききながら振り仮名書いて、かっこいいです~とかアホな感想言ったりしてました。これは何ですか? と聞いたり。つくづく、贅沢な時間だった。
 そんなこんなの時間は今はもう私にはなくなりましたが、改めて歌集を読んで。うう、言えるのはやっぱり、かっこいいです~、とか、そういう……私に語彙がなくて申し訳ない、です。

 引用して書き写すのもなんか違うというか難しいのだけど。紙の本で印刷された活字を見て一連の物語を見るのが良いと思うので。
 でもなんとか、無理矢理ながらいくつか好きな歌。漢字が出ないのがあるかも。

 

  慘いほど淸んだ眼をした警官は犬 若くして死に取り憑かれ (p26)

 ルビ「慘 むご」「淸 す」 美しい青年に違いない。これはかなりもえる一首です。死の影を帯びているような若者、その澄んだ目を見て、なお、「犬」と呼ぶ。惨いのはその若者を見ている方なんだ。お互いに酷い事しあってほしい。ドラマチックです。


  風に舞ふ羽根のやうだと言はば言え。男心はその實、重い (p68)

 ルビ「實 ジツ」 上句の俗っぽさで軽いって煙に巻こうとしているみたい。男心の重さ、をさらっと言っているようで、ほんとうはじっとり重いんだろうと感じる。重いのだろう。生きてるうちにいろんな重さをどんどん帯びて、ほんとはすごく重いんだろう。


  詩を愛し詩に愛される。さういつた若者だつた、曾て私も (p75)

 ルビ「曾 かつ」「私 わたし」 ひどく無防備に率直な言葉の一首で、それがむしろ胸をつかれる。過去形なのが切ない。今は違う、のは、愛される方なのかと思う。詩を愛してるのは変わりないのではないか。でも愛されていると無邪気に信じられる若者ではもうない、という独り言。


  その罪は赦される──。我が悲哀に滿ちた心を盗んだ罪は (p79)

 ルビ「悲哀 かなしび」 恋人を許すよ、といってると想像します。これもひどくシンプルな歌。上記3首は「死ににゆく旅」の一連から。珍しくというかなんというか、かなり作者の実感のようなものがストレートに表されたりしているのかもしれない、と思いながら読んだ。と思わされていて惑わされているのかもしれないけど、でも、そう読んだ。面白く読みました。


  人閒もまた獸、獸は嚙みあひて──。空には(一條の)夜這星 (p99)

 ルビ「人閒 ひと」「獸 けもの」「一條 ひとすぢ」「夜這星 よばひぼし」 わりとダイレクトにえろい詩だと思ってもえました。かっこいい。噛むって独占欲らしいよ。勝手に私の推しカプを妄想して噛みしめました。


  君に似た花だ──、と言つて心友が、手折る。薄紫の菫を (p117)

 ルビ「心友 シンイウ」「手折 たを」「菫 すみれ」 これもめっちゃもえました。ヤバイ。菫の花をくれる友よ……(*ノωノ)


  驟然と吹雪く心の夕まぐれ。愛は(畢竟)殺意を孕む (p131)

 ルビ「驟然 シウゼン」「吹雪 ふぶ」(漢字が出せなかった。雪はちょっと違う字です)「畢竟 ヒツキヤウ」 これもめちゃめちゃかっこいい。愛は殺意を孕むという断言にうっとりです。吹雪の冷たさの中で厳しく愛と殺意を抱いている姿を思います。かっこいい。

 全然読めてないとは思いつつ、ページをめくるごとに、かっこよさを感じて好き。壮大で世界の広さだけじゃなく時の深さも感じる。短歌ってこうでもあるんだなあと、いいなあと、言葉って凄いなあと、思わせてくれる。私ももっと言葉をつかえるように頑張ろう……。

 

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『土のいろ草のいろ』(飯沼鮎子/北冬舎)


『土のいろ草のいろ』(飯沼鮎子/北冬舎)


 第五歌集だそうです。2019年12月刊。2011年~2018年に作った歌からの一冊。

 父母と老いと死と、成長した子どもとの日々が感じられる歌がたくさんあって、私自身の実感を思ったり、そういう風なのかと想像したりしながら読みました。
 旅の歌、海外のことを思わせてくれたり。
 単純な明るさではなくて、かすかに陰る暗さから目をそらさず、ちゃんと見つめているような姿勢が見えます。原発問題とか、原爆のこととか、国とか差別とか。私自身はそういうことができてない、と我が身を振り返ったりして。読みながら、凄く自分自身と向き合う気持ちになった。ので、あー短歌って、人生、生きる、いのち、自分、だなあと思ったのでした。

 作者と私は全然別なのに、歌の実感、手ごたえを渡される。それが私には、重い、って逃げたかったりしたのでした。別に何も押し付けてくるものじゃなくて、読んでる自分の問題を自分が考えちゃう、あー、歌集を読むって自分と向き合うことだと、改めて思う。それだけしっかりした素敵な歌集だと思いました。


 いくつか、好きな歌。

  なんて重たい父母だろうベッドごと芝に出したき梅雨の晴れ間を (p12)

 「父母」に「ちちはは」のルビ。梅雨時期のじっとりした重い空気に重なって、老いた両親、気持ちの重さ、ふさぎ込み、でも晴れ間であるひと時の解放感の願い、みたいな、すっごく今の私に実感伝わる気がしました。ちょっと布団を干すとか日光浴とかじゃなくて、ベッドごと全部! 丸ごと! な感じの勢いの強さもいい。


  助けを呼ぶメールそのまま閉じながらわたしがわたしでなくなるを待つ (p18)

 ちょっと状況は私にはちゃんと読み取れない歌なのだけれども、ひどく切実な思いが刺さってくる一首。わたしのままでいたら、そのメールに応えてすぐさま助けに走り出してしまうのだろうか。どんな助けが求められているのかわからないのだけれども。でも、「わたしがわたしでなくなるを待つ」というのは、感情のままに動きだすのではなくていったん冷静になろう、ということなのだと思う。閉じたメールを胸に抱えてると思う。「待つ」のも結構大変でしょう。しばしうずくまるような感じ、孤独を感じました。


  旋律はかくやわらかくもの憂げに子の島ことば聞こえくるなり (p54)

 娘さんが奄美大島に永住してる、そこへ行った時の歌だそうです。自分のもとにいた頃とは違う、娘のその話すことば、を聞くのは、驚きであり寂しさであり、なのだろうなあと思います。ことばを「旋律」ととらえ、それは「やわらかくもの憂げ」である、そういう響きの伝わり方が気持ちなんだなあと。好きな歌です。


  わが夢に匂いのありて裏庭に母は三つ葉を膝つきて摘む (p72)

 匂いのある夢って不思議です。私は夢をほとんど覚えていないし、色とかまして匂いとか、あるってあんまり思ったこともなくて。ま、実際そういう夢見たのかどうかはともかく、匂いのある夢、それは母の夢で、多分その匂いは三つ葉の匂いだったのかなと思って、膝をついて母が三つ葉を摘んでいた、という情景もよくて。何気ない、けど、ほろっとくる歌だと思います。


  生き物を食べないでね 子に言われつくづくと見るシラスの目玉 (p105)

 この「子」はヴィーガンであるようで。ヴィーガンてベジタリアンよりもっと完全菜食主義者、ということらしい。そういわれてしまうと……。一文字空けで一つ息を飲む感じ、ぴったり。シラス、って、私食べますけれど。丼だったら何百ものしらすがいて目玉がある。あるね。たっくさんの生き物をパクっと一口で私は食べるね。食べます。食べますが。この一首はしずかでやわらかい、特に主張の強いわけではない歌ですが、深くため息ついたのでした。そういう「子」の切実さみたいなのも伝わってきて。これは、なんていうの、言葉の動かない、完成した一首だと思います。

  ヴィーガンの子はひたすらに光りゆく草であるらし夜更けの庭に (p107)

 その子を光り、草と見る親の気持ち、を想像しました。わからないのだけれども。ひかりなんだなあ。

 

  指先に五匹の豚が笑ってるソックスを履き会いにゆくなり (p112)

 入院中の母に面会に行くときの歌のようです。これ、つま先が五本指に分かれている靴下だろうと思います。その指ひとつひとうに豚のイラストが笑ってるんでしょう。楽しいお出かけではないけど、このソックス履いて、ちょっとふふってして、という自分の励まし方がわかるなあ、いいなあと思って好きでした。


  別れ方が難しいのだ冷たすぎず温かすぎず雲のようにも (p181)

 ホームにいる父と面会した後の「別れ方」。難しいだろうなあ。最後、「雲のようにも」に飛躍したのが、読んでいてあっと思ってよかった。ふわっと広がって。空に飛んで。
 お父様は亡くなられたようでその挽歌もしっとり美しかったです。音楽がお好きな方だったのかな。教師だったのか。文化教養の高い方のようで、そういう姿を歌から感じられて、歌に書き留めている作者の思い、視線を感じられて、よかったです。

 

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『ティファニーで朝食を』 (トルーマン・カポーティ/新潮文庫)

 

*ネタバレします。


『ティファニーで朝食を』 (トルーマン・カポーティ/新潮文庫)


 作家志望の僕。以前暮らしていた場所、イーストサイド七十二丁目のことを思い出す。ホリー・ゴライトリーと出会った場所。古くてひどいアパートメントだったけれど、僕が生まれて初めて手にした自分の場所だったのだ。

 作家になった僕の回想というスタイルの短編、中編かな、の、小説なんだね。読みました。
 この前、カポーティのドキュメンタリー映画を見て、作品読むべきかなあと気になっていて。ちょうどBSで「ティファニーで朝食を」を先日やってたので、ちゃんと見た事なかった~と思って見て。
 オードリー・ヘプバーン、言うまでもなく素晴らしく可愛いし綺麗だった~。そしてさすがの名作ラブロマンス、ちょっとコメディ、でもすごく切なくもあって、そしてハッピーエンド、って見ました。見てよかった。面白かった。なるほど名作。

 でも本は結末が違うとか、カポーティは映画をあんまり気に入ってなかったらしいとかだよね、やっぱ本を読もうと思って。
 読んでみてよかった。

 大雑把にあらすじを言えば、映画と同じ。ホリー・ゴライトリーという魅力的な若い女の子と知り合って、僕は彼女と仲良しになって。奔放な彼女に振り回されつつ、彼女の助けにもなる。
 14歳なんていうほんの子供の時に結婚したという夫がやってきたり、自分は何も知らないままに麻薬売人の伝言係になっていたり、金持ちと結婚しようとがんばり、連日のパーティや夜遊び三昧。ホリーは貧しかった少女時代から脱却してニューヨークを愛していて、いい男をつかまえるべく奮闘している。唯一大事な兄弟、フレッドに似てる、といって「僕」をフレッドと呼んで友達になって。
  
 二人の好意は、本で読むとやはりラブロマンスの気配は、なくはないけど、友情、だなあ。映画はまあやっぱ美男美女ですものねえ。それはやっぱラブロマンスにしちゃうか。
 猫ちゃん。
 名前をつけられない猫ちゃんも、雨の日に捨てられた後、ちゃんと素敵なおうちに拾われて、しっかり綺麗な窓の内にいることを僕が確認してた。

 ホリーは旅立ち、きっとどこかで幸せになっているはずだ、と、僕は信じる。願う。
 本を読むと、ホリーは男と恋して幸せを得るというよりは、男を利用して自分の生きる道、場所を掴む、って感じでした。愛情もあるけど、フレッドを亡くして、たった一人だ、という感じが強い。僕もよけない真似はしない。彼女を送り出すしかないの、そんな無力さもよかったな。面白かった。

 他に短編も入っていた。「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」
 どれもよかったなあ。面白かった。人物がみんな魅力的。んで、同性愛の雰囲気とか要素、隠そうとかしてないんだなあと思った。ヘテロもあるけどそうでもないのもある、当たり前って感じがした。だよねー。

 「ダイアモンドのギター」

 は、囲いのない、囚人が力仕事みたいなことして刑期を務めるところの話。そこの優良囚人なミスタ・シェーファーは、新入りの若い男、ティコ・フィオにひかれ、彼にそそのかされて、脱走しかける。成功しなかったけど。
 思いがけずそんな年になって初めてティコに恋したって感じ~~~。きゅんとしてしまう。

 「クリスマスの思い出」

 ちょうど今、11月の終りの頃の思い出。まだ小さかった僕、と、60くらい年の離れたうんと遠縁のいとこのお話。彼女はクリスマスが近くなったある日、フルーツケーキの季節がきたよ! と叫ぶ。そして、一緒に30ものフルーツケーキを焼く準備をして、作って、送るのだ。
 クリスマスツリーも二人で切り出しにいく。僕らだけの秘密の場所からとってくる。老いた犬のクイーニーも一緒にはしゃぐ。


 カポーティ本人の思い出だよねえ。
 この前見たドキュメンタリーで、小さい頃世話になっていた家で、おばさんが焼いてくれたジンジャーマンのクッキーを缶に入れてずうっとずーっと大事に持ってた、みたいなエピソードがあった。
 貧しくて、でも二人は親友で、一緒にクリスマスの準備をして。
 大事な思い出。大事な人。
 とてつもなくうつくしくて素晴らしい短編で、泣いてしまった。めちゃくちゃ良い。

 あ、翻訳、村上春樹、と思ったけど、別にそれは気にならなくて。訳者あとがきにあったように、カポーティってすっごく書くのが上手くて凄すぎる、のが、わかる気がした。
 他の作品も読もうと思う。
 
 ドキュメンタリー見て、ティファニーで朝食を 映画を見て、本を読んで。と、なんとなく名前は知ってて読もうとしたこともあったけど、いまいちわかってなくて、という作家を、今こうして出会って辿り着いた気持ちで読めて、よかったな。やはり本との出会いはタイミング。私には今だったな~と思える。よかった。

 

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映画 「ウルフウォーカー」


*ネタバレします。


映画 「ウルフウォーカー」


 17世紀。アイルランド、キルケニーが舞台。街にはイングランドから護国卿がやってきて、森を切り開き狼を追い払い開拓していこうとしていた。
 ロビンは女の子。父を手伝ってハンターとして一緒に森へ行きたい。けれど、父は危ないから家にいなさい、城壁から外に出てはだめだという。お前を守るためだよ、と、ロビンを町に閉じ込めようとする。
 けれど、一人森へ行ったロビンは、大事な鳥、(鷹?)のマーリンを誤って傷つけてしまう。マーリンは狼とともに現れた少女に連れていかれた。マーリンを追って森の奥深くへ行ったロビンは、伝説のウルフウォーカー、マーリンの傷を治してくれたメーヴという女の子と友達になる。メーヴのママの魂がかえってこないのを、森で待ち続けてるメーヴ。

 メーヴに噛まれたロビンも眠ると魂が狼の姿になって森を駆け回ることができるようになっていた。
 城に囚われていたメーヴのママを助けようとするロビンたち。人間たちは、森を焼いて狼を退治しようとした。

 

 「ブレンダンとケルズの秘密」「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」 につづくケルト三部作、とのことです。私は前のは見てない。


 ウルフウォーカーという伝説があるらしい。人と狼の融合? 狼の妖精さん?? 治癒の力があって、狼たちのリーダー。もののけ姫みたいだなと思ったけど、ウルフウォーカーは、人間と自然の対立、もだけど、少女二人の成長物語。

 ロビンは、ハンターで護国卿に使える父についてイングランドからきた、よそ者の女の子。父に大事にされているものの、本当はうちで家事するより、森へ行って父を助けたい。母親はいなくて(死別したんだろうと思う)父を大事に思ってるけど、狼と出会って親離れしていく。
 メーヴは母と狼たちと暮らしてる森の子。魂が抜けた母の側で待ってる。ロビンよりは小さい女の子って感じ。なので、ロビンが姉のようにふるまって、あなたのためなのよ、って逃がそうとしたり閉じ込めようとしたりする。それって、父がロビンのためだよといって町に閉じ込めようとしたみたいだった。
 対称的な二人の女の子。二人だから、強くなって力を得て、一緒にしあわせになるんだよ。もののけ姫とか違うハッピーエンドだった。

 ただ、ママが助かって帰ってきて、父も狼になって理解示して、人の町から離れて、父とママがそろってロビンとメーヴは姉妹みたいになって、っていうファミリーの形に納まったのが、なんか、ん~そうなるか~とちょっと、んん~と思った。両親そろって家族みたいな形におさめなくても。でも、まあ、他人、異種族、だったそれぞれが、理解しあい寄り添って家族になる、というのは、いいことかなあ。けど、結局みんなウルフウォーカーになりました、なんだよな。
 人間ともののけ姫、と別れて、それでも時々あって仲よくしよう、っていったもののけ姫の方が、ひろいような気もする。んー。ま、いいけど。

 あと、悪い人間、というのがイングランドからきた人間、だったのが、ちょっと、お。うう。と、なんか複雑だった。アイルランドを支配しようとするイングランド、という構図が見えて、うーんーそうだなあ。アイルランド、辛い、という気持ちがちょっとわく。難しいよなあ。
 人間側としても、森を切り開いて生活の場を広げたいっていうの、まあ、そういうなんやかんやの事情はある。でも、森を守れ、というのもわかる。難しい。
 とってもファンタジーだったけど、やっぱり複雑な歴史背景みたいなのもあるなあって感じがして、単純によかったね、では終わらない気持ち。最後、ロビンたちは仲良くしあわせそうに旅立っていくみたいだったけど、あれは森を出ていったのかなと思ったし。
 イングランドの支配とかまだあるだろうし、森は否応なく開発されていくだろうし。複雑~。難しい~。そんなこんなも面白かった。

 ビジュアル、動き、すっごくかっこよくって、綺麗で、すごくオリジナルな感じだった。テンポよくて全然飽きる間がない。森のうつくしさ、町の冷たさ。メーヴたちの丸っこさ、狼のシャープさ、人間の硬くごつごつした感じ。パッとそれぞれの特徴がよくわかって、隅々まで行き届いてる~。
 見に行ってよかったです。大満足。

 

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映画 「罪の声」


*ネタバレします。


映画 「罪の声」


 平成が終わる頃。大日新聞の記者である阿久津は過去の未解決事件を振り返る特集記事を、あまりやる気はないままに担当することになった。ギンガ・萬堂事件。警察マスコミを翻弄した、ふざけているかのような多くの脅迫状やお菓子に毒というセンセーショナルさの劇場型犯罪だった。

 父の跡を継いでテーラーをしている曽根。たまたま見つけた古い箱から、何やら英語での書き物の手帳と、カセットテープを見つける。1984年、とあるそのテープ。再生してみると幼い自分の声が歌っている。不意に、別の録音が始まり、それは、自分が文章を読み上げている声だった。自分が何を読んでいるのかもわからない幼い声。未解決事件で、脅迫の金を持ってこさせる指示のための声だった。


 これ、どのくらい本当の事?? と思ってしまうくらい、なんだかドキュメンタリーなのかなと錯覚しそうなくらい、じっくり丁寧に事件を追っての謎解き映画だった。
 グリコ・森永事件が元ネタだよね。私はリアルタイムの事件報道とかの記憶一応ある。35年前くらい? 考えてみれば、前世紀の事件だし、令和の今となっては二つ前の時代の出来事、なんだよなあ。フィクションで映画にもなるか。

 脅迫状替わりの子どもの声の指示。その時使われた、わけもわかってないであろう子どもの、その後の人生はどうだったのだろう。その切り口がすごく新鮮、といっていいのかどうか、ほんと、あ……と思った。子どもの声あったよな。その子、が、大人になって、自分がかかわったことに気が付いてしまったら、というのは……。

 曽根さんは、テープを見つけるまで記憶にもなかったくらい、5歳の頃の出来事で、何も知らず、事件に悩まされることなく大人になった。妻子がいて、跡を継いだ自分の店があって。父はなくなっていて、母も癌だけど、けれど、平凡な幸せのある人生。だからこそ、幼い自分の声があの大事件に関わっていたことに、言いようのない不安がつのり、苦しむのもわかる気がする。

 テープを聞かなかったことにもできず。父の兄、おじさんが事件にかかわっていたのではないかと、跡をたどっていく。

 阿久津は、記者としてのやる気はないものの、上司の熱意に押されて、事件を追ううちに、時間がたったからこそ、今だから言うけど、という証言者を辿って、ついに曽根と出会うことになる。

 話しの展開も、キャストも、どっかんと派手なことはなくて、じっくりこつこつ積み上げていく、だからこそリアリティを感じる。小栗旬と星野源ってゆー、派手に人気の俳優二人主演にすえながら、外連味なく、それぞれ普通に生きて仕事して、という人物像なのがすごいよかった。

 
 身代金とか、脅迫して金を奪う目的は表面的なことで、本当は株価操作、空売りでもうけをだす作戦だったのではないか、とか。全共闘世代が、金持ちや権力に対する社会正義のつもりで仕掛けた犯罪なんじゃないか、とか。
 犯人は寄せ集めグループだったからだんだんグダグダになって、ヤクザも絡んでて物騒になり、とか。
 そうだったのかもな~~~~、なんて思ってしまう。

 子どもの声。曽根さんは幼過ぎて事件とのかかわりを知らぬまま大人になれたけど。もっと大きかった、中学生の女の子、その弟、っていう、二人の人生、運命が、あまりにも過酷に描かれていて、とても辛かった……。
 大人の勝手な行為で、安易な発想で、子どもならわかりにくいしいいだろう、なんてことで、巻き込まれてめちゃめちゃになった人生。
 これはフィクションだ、と思ってこんなことない、って思うけど、こんなことだったりするかもしれなくて、暗澹たる気持ちになった。
 この作品は、一応、弟くんがほんとに取り返しつかなくなる前に、間に合ったけれど。でものぞみちゃんはころされていて。あまりにもひどいじゃないかー。何がなんでも子どもは守ってやれよ……。

 で、生き残ってる犯人、黒幕的なのは曽根さんのおじさん、で、英国にいるわけだ。全共闘世代。実は曽根さんの母が、我が子に読ませて録音したのだった、というのも。全共闘世代……。社会や権力への反発、自分たちなりの正義、の実行のつもりの犯罪。革命めざすのも過激な思想も、まあ、うーん、まあ、思想は自由だけど。犯罪を起こすとか、ましてや無関係な一般人を、まるっきり罪があるわけのない子どもを、巻き込むなんてあんまりだ。
 あ、いやまあ、フィクションで。犯人がこうだったってわけじゃないけど。

 しかし大人はやはり、全力で子どもを守ってくれと、つくづく思った……。

 実際、グリコ森永事件の犯人ってどうなってるんだろうなあ。告白手記だとか残したりしないのかなあ。

 事件をエンタメとして消費しない。でも真実が知りたい。どうなんだ。どうなんだ、という、悩み、ゆらぎのある、エンタメ作品だった。

 ちょうど三島由紀夫の死から50年、だとかで、先日も全共闘と対話する三島って映像見た所だ。当時暴れてた若者たち、な。あれは何だったのか、まだ生きた証言とれるうちに総括とかする時期なのかなあ。わからないけど……。
 物語としてエンタメとして消費しない。でも、どんな物語に突き動かされていたのか、知りたい気がする。でも。うーん。
 わからない……。

 見に行くかどうかちょっと迷ってたけど、見に行ってよかった。小栗旬も星野源も、すっごい、いいなあと思った。こういう地味で、重い、派手な面白みのない役でもちゃんとできる、魅せる俳優だなあ。これからもご活躍してください。見たいね。

 

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『アキレウスの歌』(マデリン・ミラー/早川書房)


*ネタバレします。


『アキレウスの歌』(マデリン・ミラー/早川書房)


 ギリシア神話の時代。人と神との間に生まれた半神の王子アキレウス。
 引っ込み思案で偶然の罪によって追放された王子パトロクロス。二人は少年の頃に出会って、ともに育った。


 2014年の本。原本は2011年に出たようです。世界中で翻訳されベストセラー。たくさんの賞を受賞してるらしい。私は全然知らなかったのだけれども、最近Twitterですごくはまってる人のコメント見て気になって読んでみた。

 アキレウスってアキレスのかかとが弱点、みたいなあの人物か。ギリシア戦争、トロイアとの戦、って、トロイの木馬が出てくるあれか。ブラピが出てる映画見た事あるなあ。オーランド・ブルームがパリスだったやつ。アキレス、アキレウスってブラピがやってた役かー。
 なんて思いつつ。私はギリシア神話のことをうっすらとしか知らないので、なんとなーく、の、感じで詠みました。
 イリアスやオデュッセイアも、読んでみようとしたことあるかもだけど、多分読んでない、し、あんまわからない。

 けれどまあギリシア神話はともかく。この本の語り手はパトロクロス。多分わき役扱いされてきたのであろう少年、王子、で、アキレスの従士。パトロクロスの見た、恋した、アキレウスの姿の物語だった。

 パトロクロスは、王子とはいえ、親の期待に何一つ答えることができず、愛情もかけられてこなかった少年。たまたまちょっとした諍いで突き飛ばした相手が打ちどころ悪く死んでしまって、追放される。
 そしてプティアの寛大な王ペレウスのもとで、多くの里子たちと暮らすようになる。そこで、王子アキレウスに出会う。

 海の女神テティスの子。半分神であるアキレウスは英雄となる期待を受け、自身もそう望んでいた。
 ある時、サボってたって言われるパトロクロスをかばって、アキレウスは王に、パトロクロスを従士にしたと言う。そうして、二人は初めはぎくしゃくとしながら、次第に深い友情を築いていく。

 誰よりも美しい。誰よりも強い。アキレウスを見つめてパトロクロスは友情以上の感情を持つ。それは、アキレウスも同じだった。

 みたいな感じでーーーっ。最初は反発しながらもパトロクロスはアキレウスとの関係を深め、互いにかけがえのない相手として育っていく。

 パトロクロスのキャラクターは、近代人の自我って感じがする。といってもまあ、私はギリシア時代の人間の自我がどんな感じだったのかなーとか全然わからないわけですが。
 パトロクロスは人間なので。その語られる感じはわかりやすくて面白かった。神々が人間と交わり、人間の味方になったり、怒りや罰を下したり、という、神話時代の世界だけれども、パトロクロスを通して読むのはすごくわかりやすい。

 学園ものっぽくもあり、戦争に駆り出される悲劇の若者たちの話でもある。
 でもなー。
 私はどっちのキャラにも思い入れ持てず。
 アキレウスが名誉のためにギリシア軍の負けにも手をかさないとか。アポロンだとか神々が人間に手を貸すとか不興で疫病流行らせるとか、は?? と思う。

 特に今はな~~~。疫病がとかに対して敏感になっちゃうよ。神々よーなんでやねん。アガメムノンに怒ったならアガメムノンに罰与えなよ。なんでモブの名もなき兵士が疫病でごろごろ死ななきゃいけないんだよ。ムカつくぜ。疫病退散っ。

 二人でケイロンの処で学び鍛えられていく日々が一番平和できらきらの青春でしあわせいっぱいだった。
 でもそういう青春の日々って、儚いからこそうつくしい、みたいなことなんだなあ。
 戦争が起き、戦いに赴くことになり。
 その前には結婚だとか子作りイベンドがあり。
 同性愛というか、友情愛情の関係はあれど、母である女神の怒りはかうし、女と子をなすことこそ、みたいなことではあるんだねえと、なかなか、生きて育っていくって普遍でもあるのかなあ。
 まあ、そんなこんなも、私個人的には全然面白くないところなので、ふーん、というくらいの気持ちで読んだ。

 ギリシア軍がトロイに攻め込む、の、戦争。のんびりーって感じで9年10年もも続くものだったのか、とか、改めて読むと、へ~~~~~。と思う。
 捕虜、戦利品として女を持ってきたり。それを助けるようパトロクロスがアキレウスに頼んだり。
 その辺も、なんか、ふむー。今どきの感覚で描かれてるのかなと思う。
 いや、昔ってもそうだったのかもしれないけど。

 パトロクロスが、アキレウスに愛されてることに傲慢、って気がしてしまった。
 正直私にはパトロクロスの魅力ってわからなくて。戦いや名誉を求めない善良な青年、って感じかなあ。たまたまアキレウスの近くにいた、その偶然こそが運命、みたいなことか。でも、アキレウスの名声の邪魔って気がするのはテティスに同感。
 
 アキレウスは、名声を得て英雄になることが本当に望みなのか。
 ただ平凡に、ただパトロクロスと暮らす、では満足できない、んだよねえ。半神だし。無敵だし。
 でもなー。
 パトロクロスを失ったら我を忘れて復讐に走り残虐を発揮するほどの狭隘盲目の愛がありながら、ねえ。でもなんでアキレウスはそんなにパトロクロスが好きなの。初恋的な? 初恋を失うことすらありえない王子としての傲慢?

 アキレウスとパトロクロスのらぶいちゃに、ときめきはしたけど、どっちのことも私は好きにはなれなかったな。
 
 パトロクロスが先に死ぬんだろうと途中からわかるんで、死後のアキレウスのことはどう語るんだろうと思っていたら、成仏、いや成仏ってことはないか、仏教じゃない、えーと、魂が現世に残ってしまって、みたいな感じだった。
 そしてアキレウスも死ぬ。
 遺灰は二人のを混ぜろ、と命令していたので、本当に混ぜられて。
 埋葬。墓碑銘はアキレウスの名前しか書かれなかったので、やっぱ成仏できない、みたいなパトロクロス。
 息子、孫を失ったテティスにアキレウスの思い出を語る、みたいな、それがこの本の中の話、みたいなことかな。それで。テティスの怒りがやっととけて。二人の名前が墓碑銘に並んで。
 二人は黄金の光の向こうへ、みたいな感じで終り。

 なんかこう、登場人物、というか登場人物かつ神、みたいな所とか、なんか二人の間に入る女性キャラとか、どーもうまく私は話に入っていけなかった。好きになる要素より、はーん、嫌い、みたいな所のほうが多かった。
 でも読んでみたのはよかった。ギリシア神話ってすっごい古典なのに、こういう風に読み解いたりできるんだなあと思った。

 

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ナショナル・シアター・ライブ2020「プレゼント・ラフター」

 

*ネタバレします。


ナショナル・シアター・ライブ2020「プレゼント・ラフター」


 16日に見に行ってきました。
 ほんとは多分7月頃に公開予定だったのが、延期になって10月に公開になった。のを、私の都合がつかず見に行けなかったの。すっごく見たかったのに~と悲しんでいたら、吉祥寺オデヲンである! てことで、ひっさしぶりに吉祥寺へ。夜遅くなるので、頑張れば帰れると思ったけど、せっかくなので一泊で遊んできました。

 
 スター俳優のギャリーは、アフリカへ長いツアーに出る予定。その旅立ち前に起きるドタバタのコメディ。
 主演、アンドリュー・スコット。好き~大好き~なので見たかったのです。

 ギャリーは40歳になり、もう若くない、禿げるかも、人気も落ち目かも、そんなこんなをくよくよ悩みながらも、気軽なセックスで遊び、一夜の恋を嘆いては別れる。そんな彼に、マネージャーも、ずっと前に別居してる妻も慣れっこ。長年の仲間もいて、悪く言えば腐れ縁、良く言えば安定の信頼の中にいた。
 ギャリーの熱狂的なファンや、仲間の夫が一度寝てみたかったずっと好きだっただとか、ギャリーへの誘惑と面倒事がいっぱい降りかかる。
 愛されてていて、でも孤独なスター。そんな中年男のひと時を見せてくれる舞台だった。


 舞台を映していて、手前に少し客席も見えたりして、その続きにスクリーン見てる自分たちもいる感じ。笑いや反応を共有する感じで、私も思わずちょっと声出して笑ったり、息を飲んだり、すごく楽しかった。
 
 舞台で演じてるアンドリュー・スコットは、大仰で激しかった。コメディだからっていうのもあるよね。体が、あー生きて広がる体がすごーい。なんかすごい長セリフを、わーーーーーーーーーっとまくしたてる所があって、客席から拍手とどよめきがあったような。圧倒される。それはギャリーの叫びだし演じてそこにいる俳優の声と体。ああ~舞台ってかっこいいなあとつくづく思った。
 私はスクリーン越しに見たのだけれど、こ、これ、この、この生身のアンスコちゃんを目の当たりにっ、この舞台見に行った人は目の当たりにして感じたわけですよねえ。心底羨ましい。

 モテモテで愛されてるのに、スターは孤独。という、まあ、よくあるっちゃあるシンプルなストーリー。身近な人ほどつれないような。でも本当にずっと寄り添ってるのは誰、みたいな。
 
 半ばで、ジョーという色男にギャリーが誘惑されて、いやいやいやいや、みたいになりつつ、ジョーの口車にのって、あ~~~と躊躇しつつ、おちるシーンがありまして。あのセクシーさ、メロメロ身悶えで悶絶の最高さでした。あーーーーーっ、駄目でしょーーーーーーっダメだけどでもそうなるよねーーーーーーーーーーーーっ!!!!!
 はあ。いいものを見た……。

 話の展開も、前半で広げた枝葉が後半、ぱきぱきはまっていく感じがふふって笑えてうまくて面白かった。
 ギャリーだけじゃなく、ほんと、周りの人々のキャラも良くて。みんな我儘で勝手だなーって思うけど、なんかでも、あ~なんかそうか~そうかもなあ~やっぱギャリーが好きでおかしくなったりも、あ~するかも~うむ~~~~。って、みんなどうにも愛してしまう。みんな勝手だな! ギャリーたいへんじゃないの。私がギャリーを守ってあげる! と、まんまと私も思って、ギャリーの迷惑なファンになってしまうのでした。好き。

 そんな愛されてしまう困らされてしまうギャリーだな、って、納得するアンドリュー・スコットの演技なのでした。好き。声も喋り方も大好き。ほんと可愛くてかっこよくてセクシー。
 一見、パッと見ただけでハンサム!てなるわけじゃないのに(ごめん)見てればみてるほど好きになるセクシー。いいなあ。素敵だなあ。見に行けてよかった。
 
 ラスト、ギャリーはうまく折り合いつけて、幸せに生きて行ってほしいよ、と願った。なんか、飛び降りて自殺しちゃう???ってハラハラしたけど。暗転。でも、しあわせになってほしいよ、ギャリー。
 もともとの脚本はけっこう昔のものらしく、現代にアレンジしました、とのことで。同性愛も当たり前にありになってるのが現代風にしたってところだったりするのかな。なんか結構若さにこだわる、みたいなことは、やっぱ現代でも海外でもああいう感じってことなのかな。オリジナルとの違いなんかは私にはわからないけれども、名作がちゃんと今も愛されて演じ続けられていくのはいいよなあ。
 お芝居、また見に行きたいな……。いつか英国で見たり、できる、かなあ。どうだろう。スクリーンで見られただけでも嬉しいけど。
 いつか。
 いつか、ね。

 

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映画 「ストックホルム・ケース」


 水曜日だ~映画だ~。てことで行ってきました。

*ネタバレします。

映画 「ストックホルム・ケース」


 1973年。スウェーデンの銀行にアメリカ人らしき男が乗り込んでくる。ラジオをかけて音楽を流して、銃をぶっ放す。二人ほどの女子行員を人質に、他の客や従業員はすべて追い出して、警察に伝えた要求は、刑務所にいるグンナー・ソイレント(だっけ、名前覚えてない。グンナー)を連れてこい! ということだった。


 そんなこんなの、人質立てこもり事件、かな。ストックホルム症候群て名前の由来の事件だそうです。
 スウェーデン初の人質事件だぞ、だとか、なんか警察とかマスコミだとかも、朴訥ってゆーか、なんか浮足立ってる感じ。そもそも犯人が、ほわっほわしてる。人質に親切というか、親切?? そもそも銃持って発砲して銀行乗り込んできてるんだから親切もなにもあったもんじゃないのに、見てるとどうにも、親切だな~とか、彼のいう事聞いてあげればただ逃げるっていうんだし、悪い人じゃないよ。って、思っちゃう。
 そう。見てるワタシもまんまとストックホルム症候群。犯人側で警察が敵みたいな気持ちになる。

 主演はイーサン・ホーク。ラースって名前らしい。アメリカ人、ではなく、出身はスウェーデンなのね。アメリカ育ちみたいにいってたけど。そんで数年前に押し込み強盗したことあるけど、そこで襲われた側のご主人が心臓発作だかなんだか、で、でも、薬上げて助けたとか、なんか、そういうお人よし強盗みたいなことらしい。
 いや犯罪者ですし。そもそも強盗ダメ。でもなんか、お人よしというか、悪い人じゃないんだけど。という気持ちになってしまう。ならざるをえない、チャーミングで困る男。イーサン・ホークが絶妙すぎるわ。うまい。すごい。アホっぽい。かわいいよなあ。ひどい。

 で、マーク・ストロングがグンナーを演じてる。ラースと親友なんだって。んで、親友だから、ラースはグンナーを釈放させるためにこのとんでもない事件引き起こしたらしい。グンナーは、刑務所から出たいから警察に協力する、かな。するのかも。みたいな微妙な立ち位置。ラースと親友で仲良しで兄貴分って感じで。ラースとグンナーのコンビも、なんだかおかしくて。
 グンナーの方がラースよりは厳しめ、かな。人質とりあえず一人殺すしかないみたいにいったりして。でも殺さないけど。
 
 なんだろうなあ。こいつら、駄目っぽいからつい、人質にされた側が、ちょっとあんたたちしっかりしなさいよ、みたいになったりして。

 人質にされたメインの人、ビアンカは、夫と子ども二人がいて、もちろん家族を愛してる。でも、なんかこのあまりにもあんまりな非日常、非現実の事件の中で、ラースにほだされてしまうのも、あーなんか、そうかもな~~~~って思っちゃう。ドキドキやパニックは恋に似ているの? 混乱は錯覚になっていくの? でも、どうにも名付けようもなく、犯人たちと共に、同じチームだ、という風になるの、そうかもなあと思えた。

 警察には内緒でみんなで梨をわけあって食べたり、人質ちゃんたちの要求警察に伝言してあげたり。ラースと人質ちゃんたちみんなが仲良くなっていくディティールは、どのくらい本当のことなんだろう。わかんないけど、なんか細々したことがヘンで可愛くて、すごくよかった。

 全体的に冗談ですか????? って変な雰囲気で、コメディ、めいてはいる。けど、なんか切実さも感じる。ゆるゆるしてる不思議絶妙なバランスで成立してた気がする。
 やっぱイーサン・ホークがよすぎるのか。
 キャストみんながうまくてよかったですし。
 面白かったなあ。

 結局は警察側が勝つ、勝つというかまあ、あんな行き当たりばったりてきとーなやらかし事件、うまくいくわけないんだけど。
 ラースは捕まり。ビアンカは家族と過ごしながらも、あの時のことが忘れられない。かといってどうなるものでもないけれど。ラースに面会に行って。でも。でも、どうということでもないのだけれど。

 銀行強盗、人質立てこもり、とかなのに、緊迫感がうっすい。おかしくてヘンだけど、いい映画だった。見に行けて満足。

 

 

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映画 「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」


 日記書くの凄く久しぶりになってしまった。しばらく地元に帰っていて、介護というか家政婦というかやっててパソコンに触れず、何も書けずでした。つらー。まあ、当分、そんなこんなの生活になるのかな。ライフステージの変化の時らしい。
 で。久しぶりに映画を見に行ってきました。映画はいいよねえ。私には面白い物語が必要だ。

*ネタバレします。


映画 「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」


 「私はアル中である。
 私はヤク中である。
 私はホモセクシャルである。
 私は天才である。」

 という煽情的な、本人のことばだそうなコピーのついた、若き日のカポーティ本人のかっこいいポスターにそそられて待ってました。彼の知人友人の沢山のインタビューや取材テープ。ご本人がテレビのトークショーに出た時の映像だったり、雑誌や本の写真だったり。
 語られて、あるいは自分自身で語って、描き出される、若き天才作家としてのデビュー、そして話題作の発表、NY社交界での派手に面白がられているカポーティの姿。
 
 親に捨てられた不遇な生い立ち。ゲイであること。背の低さがコンプレックスだったり、特徴的な声や女っぽいと揶揄されてきたカポーティ。
 愛されたい。けれど、愛されているとは本人が思えず、飢えて満足できずいっそう求めては乾く、みたいな感じ。

 愛されては、いたのか。いなかったんだろうな。パーティで出会う面白い友人、という以上には求められてなかったのか。
 多分かなりの無茶苦茶っぷりで、実際親しく仲良く付き合ったり仕事したりする相手としては厄介なんじゃないかなあ。でも天才である。天才だから、か。

 「ティファニーで朝食を」の原作者か~。私は『冷血』を読んだことがある、気がする。どうだっけ。ちゃんと覚えてない。名前は知ってる作家。よく知らないのに見に行ってしまった。
 亡くなったのが1984年か。1924~1984。享年59歳だったそう。

 作家としてというか、天才作家の看板しょってるインテリタレントみたいな華やかセレブだった感じかなあ。『冷血』が大ヒットして、ホテルでセレブ集めて盛大な仮面舞踏会やった、ってのとか、映画か。マジか。
 なんかそういう当時の、NYこそカルチャーのトップみたいな、ハイソ、社交界。そういう雰囲気みたいなのの断片を、記録映像みたいなのとか写真で見られて面白かった。
 
 60年代。ベトナム戦争だったりの頃なんでしょう? その一方でこういう世界もあったわけ。まあ。まあ、まーそっか。うーむ。
 凄い。

 若きカポーティはほんとハンサム、厳しさのある顔しててすごい。ちやほやされるだろう納得。
 しかしアル中ヤク中がどんどんひどくなってったみたい。へろへろにらりってるような状態でテレビのトークショーに出てた。すげえな。当時って生放送なんだっけ。なんか、ほんと。すげえな。

 今は、テレビに出るような人は海外でもあんなに無茶は許されないだろう、ねえ。多分。時代っちゃ時代なのかなあ。才能あれば破天荒なのも許される愛されるみたいなの。
 というか、作家が凄いセレブになるんだよなあ。
 昔って作家のちやほやされっぷりが今とは全然違うみたいな感じ? 日本でも三島由紀夫とか大人気っぽかったりだったよな?
 今でも作家ってセレブだっけ。いまいちよくわからないけど。

 最後の未完のセレブゴシップ暴露小説、ほんとは完成させてるはずだろうとか、いや一部公開された分だけでもうないんだ、騙されてたんだ、みたいな。何かを書き続けていたのは確かみたいだけど。いつかどこかで原稿が発見されるのか。わからないよねえ。

 カポーティのことがわかったとは言えないけれども、彼が生きてた雰囲気の断片を見ることは出来た気がする。やっぱ、もっと、作品を読もう。読まなきゃね。

 

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