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映画 「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

*ネタバレかな?

 

 

映画 「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

 

 

 「19695月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー」 とのことで、実際の映像たっぷり。動いてる喋ってるカラー映像で見る三島由紀夫だった。すごい。

 三島を招いた当事者の人、討論した人、会場にいた人、盾の会の人、生きているその人たちの今の発言もあってよかった。平野啓一郎や瀬戸内寂聴は、個人的にはなんだかなって感じ。

 

 時代背景。1968年に、東大、安田講堂占拠、69年一月に陥落なのかな。そのすぐあとってことか。全共闘が次に何をするか。てな空気の中で、駒場キャンパス、900番講堂(?)で集会、右翼VS左翼というような討論会の論客に三島由紀夫を招き、千人の観客、観客というか、学生運動家とか? まあ単なる野次馬気分の人もいたのだろうけれども、どうなんだろう。よくわからないけれども。

 

 映像の中での三島の言葉は、時にユーモア持ちつつ、向き合う学生の問いをちゃんと聞いてちゃんと答えていた。敵対、という立場の千人を前に、三島由紀夫は自分の考えをすごくきちんと丁寧に話して、まさに討論していた。学生のほうがつっかかり気味だし挑発的だし斜にかまえる感じだけど、三島の態度に不誠実さはなかった、と、思う、多分。

 

 三島は単身、対話に向かったってことでもなくて、ま、勿論壇上で討論するのは三島一人だけれども。TBSがはいっててこうして記録してるし新潮社は三島が呼んだらしいし、カメラマンも一緒に上がってて間近で写真撮ってる。三島は多分当時映画スター並みの文学者、だったのかな。メディアに出ることを自分なりに十分利用するつもりであの場に赴いたんだよなー。自分の主張とか言葉を、世間に届けたいとかいう思いがあった、の、かなあ。

 

 三島由紀夫は言葉を使う。全共闘は武力行動に出た。この集会では言葉で戦うことができた。途中野次があって、観念的なことばっかいってんじゃねーよ殴らせろ的なことがあったけれど。

 言葉、思想。

 

 途中、芥正彦という、全共闘側の人との話がすごく面白かった。芥は、解放区とか、空間、みたいなことを言ってて、三島は、そこに名前とか言葉とか持続とかを求めてて。芥は演劇の人だそうで、すごく、納得。芸術、演劇至上主義みたいな感じ、かな。

 芥の主張は、舞台だなと思う。時間とか越えた別次元の解放、空間、とかって、舞台なんだよ。多分、私の理解だと。まあ私が理解できてないかもなんだけど、一応、聞いて私が理解したのは、あーこの芥と言う人が演劇の人だというのは物凄くよくわかる~だった。彼の主張は舞台で演劇でその瞬間現前するけれども、幕が下りると消えてしまう。だから持続とかとは別、ってなるんじゃないかな。舞台の上だけなら、あり。けど、それで社会を変革って、いうのは、無理じゃねえか。芸術の世界は、あり。だけど社会に暮らす人々の生活の中では無理じゃねえか。

 だからせめて言葉で、ひらいて、社会の持続を、という三島の言ってたことの方がリアルと思った。でも芥の芸術至上主義、芥の信念、演劇性に、おされてたなあ。三島は言葉の人で、演劇の総合性とはまた違うと思うけど、なんか、言葉、文字だけだと舞台に負ける気がしちゃうのもなんかすごくわかる。舞台には身体性もあるし。

 けど、けどけど、言葉が負けるというわけじゃない、と、思う。私は思う。言葉が好き。舞台も演劇も大好きだけど~~~~。けど三島の言葉も好き……。

 

 芥正彦、73歳だっけ。今も演劇の人らしい。今も、現役らしい。他の当事者の人が、それなりにまあ、70代だとかのそれなりに、当時は若かったとか今となっては過去、って感じのじーさんな風なのに、芥正彦は、現役って感じだったー。インタビューしてた人怖かったんだろうなあってひしひしと伝わるわ。芥、怖いな。あの場に赤ちゃんつれてって、ちょっとほわっとゆるっとした顔してみせたりしてるのもなんか。もう。ずるいわ。赤ちゃんがじーっと三島がしゃべってるの見てたのも可愛かったけど。

 

 言葉の人三島が、「天皇」と名付けた信念って、それはほぼ神だろう。

 日本って、無宗教のように言われるけど、多分明治以降敗戦までの日本は、天皇教みたいなことだったんだろうと思う。多分。人だけど神としての天皇を、なんとなく偉い人で神だ、みたいに信仰してたんだろう。

 三島の世代、というのか、敗戦を10代で迎えて、同年代で若くして戦死してゆくものがいて、という人々。国の命運と自分の命が当然のように重なって国のために兵隊になり戦って死ぬ、という教育の中にあった人、が、天皇を神と受け入れ。

 けれど敗戦。そして国家と重なっていたはずの自分の命が、個人のものだと投げ返されて、拠り所を失って、死に損ねた、生き延びてしまった、という、感覚って。それはわからないけれども……。

 

 キリスト教だとか、いっそ本当に、宗教として神を信仰しているならば。突然神が人間になったりしないもんなー。天皇という存在が、人で神だったの、ミラクル……。

 

 三島が言ってたけど、皮肉のように「朕はたらふく食った」みたいにいってる、天皇が至福を肥やす悪い王様ならば、革命は成功することもあるかもしれないけどそうじゃないから難しいんだろ! ってやつ。

 天皇、人として立派だったりいい人だったりするんだよな……。むしろ無私で虚心坦懐に国家の安寧を願ったりしてくれちゃったりして。知りません分かりませんけれども。なんか。近代の天皇ってシンプルに人として立派そうだしいい人そう。まあわかりませんけれども。

 けれども。

 昭和天皇の様子、私はテレビのニュースだとかで見るくらいしか知らないけれども、けど、象徴として国民のために、って姿勢だった気がする。

 三島が思い出話をしてた、学習院首席だった時、銀時計を賜った、その時、式典の間じゅう、微動だにせずすっとしてた天皇をとても立派だと感じた、という事。多分そういう、実際にあの人立派だなって感じが、困るという感じ。すごいなるほど~と思う。

 

 実際の討論会場での映像と、喋ってる事の解説みたいなことが途中はさまれたり、当事者が回想して語ったりするのが混ざって、話が随分とわかりやすくて、こんなにわかった、って気になっていいのかしらと思いながら見ました。私の知識レベルは三島にも東大学生さんにもはるかに及ばないのに。まあ、わかりやすいところ編集して映画にしてるんだろう。

 

 それに、その後、この約一年半後、三島が自衛隊扇動しようとして失敗して自決、という流れを観客である私は知っている。生き残っている当事者も。知っている。三島が言葉の人で、それのみならず行動の人であろうとして、本当に行動してしまったことを知っている。

 

 ピュアピュアじゃねーか。自分の言葉を忠実に守ってしまう人。

 

 我々は共闘できるのではないか、という提言があった。三島は、君たちが「天皇」と言ってくれさえすれば、と。

 全共闘の戦いって、本質としては反米愛国の精神があったのだ、て語られてたけれど。三島が敵としていたのも、結局、アメリカの属国として日本の芯をなくした中途半端な民主主義めいた空虚な日本、で、本当の日本を取り戻せ、みたいなそれは、やはり反米愛国ってことかなあ。

 三島は自分の中の信仰の天皇に殉じていったのか……。

 

 この政治の季節を経て、日本って全国民ノンポリ、みたいな感じになっていったの、かなあ。暴力の無力さ、みたいなことがあったのかな。この、全共闘世代に。

 でもなあ。わかんないな。どうなんだろう。これは革命の失敗だったのか。失敗だった、かなあ。それで、権力側が今にいたるまでこうも徹底的に国民をアホにしてしまえるのは、何故だったのか。何故なのか。んー。共闘はもう無理、って、思う、うーん。今、私も思ってる気がする。けど。どうなんだろう。うーん。政治への無力……国家への失望……。天皇、うーん……。

 日本。どうすればいいの。

 

 まあ、わかりません。わからない。三島由紀夫が好きとはいえ、生きている頃を知ってはいないし。本を読んでるとはいえ、全部読破してるわけじゃないし。

 けど、三島の享年を超えて、こうして生きている映像を見て、わ~普通にかっこいいな……って思った。とてつもなく頭いい上にちゃんと大人だ。張り詰めた緊張感も、落ち着こうとタバコふかすのも、声や喋り方も、見ることができてよかった。面白かった。やっぱり三島由紀夫、好きだー。また本を読もう……。

 

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