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『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』 (アンドリュー・メイン/ハヤカワ文庫)

*ネタバレします。

 

 

『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』 (アンドリュー・メイン/ハヤカワ文庫)

 

 

 生物情報工学者、セオ・クレイ。今はオープン・スカイAIの社員。技術的な面からテロリストの捜査に加わったりしている。上司ともめた後、帰宅するセオ・クレイを待っている男がいた。セオ・クレイは、誰からも見逃されてきた恐ろしいシリアルキラーを退治した男として有名になっている。男は、行方不明の息子を探して欲しいと頼みに来たのだった。

 

 てことで、やっぱ大学はクビになり、けれどまた新たにテクノロジー駆使する所で雇われているセオ・クレイ。けど、やはり単に学者で民間人ですよね??? そんなに犯罪捜査に突っ込んでいくかーー??? いくら素晴らしいプログラムでデータ分析できるとはいえ、そうそうさっくり犯人にたどり着きますかーーーー????? と、今回も、何もかもやりすぎだし上手くいきすぎなのでは、と思いながら読みました。面白かったけど。

 魔術絡みだとか、スパイ絡みなのか? とか、オモシロ要素も盛沢山。

 けど、基本的には子どもを守らなくては! という強い情熱があり、それは、まあ。正義だよね、とは思う。多大な犠牲の山と、それらを発見し、さらなる犠牲を防いだセオ・クレイは正義の側だとは、思う。けどなー。

 

 最後、警察が逃してしまった犯人を、セオ・クレイは一人追い詰め、一応正当防衛で、撃ち殺す。でも、私刑だよなあ。セオ・クレイはヒーローものなのか? 警察や、裁判や、そういうものが信頼できないなら自分が。ってなるのは、危ういよなあ。

 まあ、政府組織だか議員だかの圧力で、オヨを逃してしまう、あいつはまたやる、って、そう、それは、そうなんだけど。

 ドラマ「シャーロック」S3のラストだっけ、シャロが恐喝王を撃ち殺したのを思い出す。それはそう、そうなんだけど。

 法と秩序を信じたいんだな私……。 まーそれを超えてバンバンやるのもいいんだけど。どっかんどっかんする映画とか好きさ。けどなー。

 この本を読むときに、大体今の現実リアル世界を舞台設定して読んでいるから。けどまあ、そこをもうちょっと自分の中で変えなきゃだめなのかも。

 

 けれどセオ・クレイ自身も、自分も犯人と同じ、獲物を狩る衝動、ハンター的な遺伝子みたいなものを持つ側、という自覚もあり。犯人と同じだからこそ犯人を狩ることができる、みたいな感じはわかる気がした。

 シリーズはまだ続くようで、本国では4作目まで出てるらしい。翻訳もまだ続くかな。けど、うーん。次が出てまた読むかなあ私。ん~。わからないけど。うーん。どうなっていくんだセオ・クレイ。スパイ絡みとかになっていくのかなー。

 

 この中にちょっと、バイオテロ研究みたいな話もあって、今読むとなかなかぞわぞわとくる。コビット19のこの厳格体制の世界。バイオテロとかだったらなんて想像すると……。まー、もしもひょっとして万が一そうでも絶対隠匿されるだろうなーと思う。今、現実がフィクションみたいな感じだからな~。やれやれ。平穏な日常が何よりだよ……。ドラマチックなことは小説とか映画で楽しみたい……。

 

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映画 「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

*ネタバレかな?

 

 

映画 「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

 

 

 「19695月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー」 とのことで、実際の映像たっぷり。動いてる喋ってるカラー映像で見る三島由紀夫だった。すごい。

 三島を招いた当事者の人、討論した人、会場にいた人、盾の会の人、生きているその人たちの今の発言もあってよかった。平野啓一郎や瀬戸内寂聴は、個人的にはなんだかなって感じ。

 

 時代背景。1968年に、東大、安田講堂占拠、69年一月に陥落なのかな。そのすぐあとってことか。全共闘が次に何をするか。てな空気の中で、駒場キャンパス、900番講堂(?)で集会、右翼VS左翼というような討論会の論客に三島由紀夫を招き、千人の観客、観客というか、学生運動家とか? まあ単なる野次馬気分の人もいたのだろうけれども、どうなんだろう。よくわからないけれども。

 

 映像の中での三島の言葉は、時にユーモア持ちつつ、向き合う学生の問いをちゃんと聞いてちゃんと答えていた。敵対、という立場の千人を前に、三島由紀夫は自分の考えをすごくきちんと丁寧に話して、まさに討論していた。学生のほうがつっかかり気味だし挑発的だし斜にかまえる感じだけど、三島の態度に不誠実さはなかった、と、思う、多分。

 

 三島は単身、対話に向かったってことでもなくて、ま、勿論壇上で討論するのは三島一人だけれども。TBSがはいっててこうして記録してるし新潮社は三島が呼んだらしいし、カメラマンも一緒に上がってて間近で写真撮ってる。三島は多分当時映画スター並みの文学者、だったのかな。メディアに出ることを自分なりに十分利用するつもりであの場に赴いたんだよなー。自分の主張とか言葉を、世間に届けたいとかいう思いがあった、の、かなあ。

 

 三島由紀夫は言葉を使う。全共闘は武力行動に出た。この集会では言葉で戦うことができた。途中野次があって、観念的なことばっかいってんじゃねーよ殴らせろ的なことがあったけれど。

 言葉、思想。

 

 途中、芥正彦という、全共闘側の人との話がすごく面白かった。芥は、解放区とか、空間、みたいなことを言ってて、三島は、そこに名前とか言葉とか持続とかを求めてて。芥は演劇の人だそうで、すごく、納得。芸術、演劇至上主義みたいな感じ、かな。

 芥の主張は、舞台だなと思う。時間とか越えた別次元の解放、空間、とかって、舞台なんだよ。多分、私の理解だと。まあ私が理解できてないかもなんだけど、一応、聞いて私が理解したのは、あーこの芥と言う人が演劇の人だというのは物凄くよくわかる~だった。彼の主張は舞台で演劇でその瞬間現前するけれども、幕が下りると消えてしまう。だから持続とかとは別、ってなるんじゃないかな。舞台の上だけなら、あり。けど、それで社会を変革って、いうのは、無理じゃねえか。芸術の世界は、あり。だけど社会に暮らす人々の生活の中では無理じゃねえか。

 だからせめて言葉で、ひらいて、社会の持続を、という三島の言ってたことの方がリアルと思った。でも芥の芸術至上主義、芥の信念、演劇性に、おされてたなあ。三島は言葉の人で、演劇の総合性とはまた違うと思うけど、なんか、言葉、文字だけだと舞台に負ける気がしちゃうのもなんかすごくわかる。舞台には身体性もあるし。

 けど、けどけど、言葉が負けるというわけじゃない、と、思う。私は思う。言葉が好き。舞台も演劇も大好きだけど~~~~。けど三島の言葉も好き……。

 

 芥正彦、73歳だっけ。今も演劇の人らしい。今も、現役らしい。他の当事者の人が、それなりにまあ、70代だとかのそれなりに、当時は若かったとか今となっては過去、って感じのじーさんな風なのに、芥正彦は、現役って感じだったー。インタビューしてた人怖かったんだろうなあってひしひしと伝わるわ。芥、怖いな。あの場に赤ちゃんつれてって、ちょっとほわっとゆるっとした顔してみせたりしてるのもなんか。もう。ずるいわ。赤ちゃんがじーっと三島がしゃべってるの見てたのも可愛かったけど。

 

 言葉の人三島が、「天皇」と名付けた信念って、それはほぼ神だろう。

 日本って、無宗教のように言われるけど、多分明治以降敗戦までの日本は、天皇教みたいなことだったんだろうと思う。多分。人だけど神としての天皇を、なんとなく偉い人で神だ、みたいに信仰してたんだろう。

 三島の世代、というのか、敗戦を10代で迎えて、同年代で若くして戦死してゆくものがいて、という人々。国の命運と自分の命が当然のように重なって国のために兵隊になり戦って死ぬ、という教育の中にあった人、が、天皇を神と受け入れ。

 けれど敗戦。そして国家と重なっていたはずの自分の命が、個人のものだと投げ返されて、拠り所を失って、死に損ねた、生き延びてしまった、という、感覚って。それはわからないけれども……。

 

 キリスト教だとか、いっそ本当に、宗教として神を信仰しているならば。突然神が人間になったりしないもんなー。天皇という存在が、人で神だったの、ミラクル……。

 

 三島が言ってたけど、皮肉のように「朕はたらふく食った」みたいにいってる、天皇が至福を肥やす悪い王様ならば、革命は成功することもあるかもしれないけどそうじゃないから難しいんだろ! ってやつ。

 天皇、人として立派だったりいい人だったりするんだよな……。むしろ無私で虚心坦懐に国家の安寧を願ったりしてくれちゃったりして。知りません分かりませんけれども。なんか。近代の天皇ってシンプルに人として立派そうだしいい人そう。まあわかりませんけれども。

 けれども。

 昭和天皇の様子、私はテレビのニュースだとかで見るくらいしか知らないけれども、けど、象徴として国民のために、って姿勢だった気がする。

 三島が思い出話をしてた、学習院首席だった時、銀時計を賜った、その時、式典の間じゅう、微動だにせずすっとしてた天皇をとても立派だと感じた、という事。多分そういう、実際にあの人立派だなって感じが、困るという感じ。すごいなるほど~と思う。

 

 実際の討論会場での映像と、喋ってる事の解説みたいなことが途中はさまれたり、当事者が回想して語ったりするのが混ざって、話が随分とわかりやすくて、こんなにわかった、って気になっていいのかしらと思いながら見ました。私の知識レベルは三島にも東大学生さんにもはるかに及ばないのに。まあ、わかりやすいところ編集して映画にしてるんだろう。

 

 それに、その後、この約一年半後、三島が自衛隊扇動しようとして失敗して自決、という流れを観客である私は知っている。生き残っている当事者も。知っている。三島が言葉の人で、それのみならず行動の人であろうとして、本当に行動してしまったことを知っている。

 

 ピュアピュアじゃねーか。自分の言葉を忠実に守ってしまう人。

 

 我々は共闘できるのではないか、という提言があった。三島は、君たちが「天皇」と言ってくれさえすれば、と。

 全共闘の戦いって、本質としては反米愛国の精神があったのだ、て語られてたけれど。三島が敵としていたのも、結局、アメリカの属国として日本の芯をなくした中途半端な民主主義めいた空虚な日本、で、本当の日本を取り戻せ、みたいなそれは、やはり反米愛国ってことかなあ。

 三島は自分の中の信仰の天皇に殉じていったのか……。

 

 この政治の季節を経て、日本って全国民ノンポリ、みたいな感じになっていったの、かなあ。暴力の無力さ、みたいなことがあったのかな。この、全共闘世代に。

 でもなあ。わかんないな。どうなんだろう。これは革命の失敗だったのか。失敗だった、かなあ。それで、権力側が今にいたるまでこうも徹底的に国民をアホにしてしまえるのは、何故だったのか。何故なのか。んー。共闘はもう無理、って、思う、うーん。今、私も思ってる気がする。けど。どうなんだろう。うーん。政治への無力……国家への失望……。天皇、うーん……。

 日本。どうすればいいの。

 

 まあ、わかりません。わからない。三島由紀夫が好きとはいえ、生きている頃を知ってはいないし。本を読んでるとはいえ、全部読破してるわけじゃないし。

 けど、三島の享年を超えて、こうして生きている映像を見て、わ~普通にかっこいいな……って思った。とてつもなく頭いい上にちゃんと大人だ。張り詰めた緊張感も、落ち着こうとタバコふかすのも、声や喋り方も、見ることができてよかった。面白かった。やっぱり三島由紀夫、好きだー。また本を読もう……。

 

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『閑閑集』 (紀野恵/沖積舎)

 

『閑閑集』 (紀野恵/沖積舎)

 

 双書 現代女流短歌3 昭和617月刊。て、1986年かな。

 すべて書下ろしの歌集ですって。

 

 春の社

 海へ

 月の雫

 融くる雪

 

 東から吹く風の便り

 紀野恵の多重世界 坂田靖子

 無念の木枯らし

 

 と、春夏秋冬の歌、同人誌「七曜」に連載した散文、坂田靖子による解説、ってえっと~坂田靖子ってあの漫画家の坂田靖子さん?? 「バジル氏の優雅な生活」とかの???? 金沢で会ったとか、紀野さんとどういう感じというかなんで歌集の解説??? 何一つわからないけど、なんか、まあ、そうなのかな。わからない。この時代って感じ??????

 で、後書きとかいらない書きたくない、ってかいてある4行の後書き。不思議な歌集。というか、同時代だったら問答無用うちうちでわかってたような事があるんだろうけど、この本一冊手にしただけではわからないなー、と、思った。

 

 紀野恵さんは1982年、83年に角川、短歌研究で新人賞次席、らしい。古典和歌のようだけど学生さん!?みたいな感じで話題だった、らしい。

 で、このころってあれかサラダ記念日か、とぐぐったら86年が俵万智さん角川受賞の年かな。若い女性歌人だとかがブームってことなのか。よくわからない。若い女性作家ブームとか作ろうとしてた頃なんだっけ。あんまわからないけれども。まー、時代?? 

 

 それはともかく、この、歌集の流麗な歌の数々はやはり凄くて、言葉そのもの、響き、調べ、浮遊感。背景とか作者のこととかよくわからない知らないで読んでも、すごく、うわ凄い、ってなるの、すごいです。アホすぎる感想で申し訳ない……。無理じゃん。こういう歌集の感想とか無理じゃん。はー。

 エッセイというかの、文章のきままな感触も、強かった。面白いです。なんか簡単にさらっと書いてるようで、実際そうなのかなそうなんだろうな、って思う、思うけどわからないけれども。書いてる人つよい、って思わせられる。

 

 いくつか、好きな歌。

 

  あしはらのなかつくになるみづうみにみづあふれつつひかり砕けつ  (p10

 

  物ぐるひの姫きみが吐き散らしたる言が氷れる染井吉野や  (p21

 

  ほんに吾が嫉みごごろのつよきまま夾竹桃の庭にそなたと  (p37

 

  ほの暗う語らはむためたそがれのゆふがほいろの和語を聚めて (ルビ:聚あつ)(p42

 

  くらき壺に孔雀の羽の挿されゐる部屋満たすべき光は有りや  (p60

 

 

 歌のことばって美しいなあとつくづく思う。こういう言葉を自在に使えるの凄いなあと思う。キラキラとしているようでいて、分厚い氷の壁の向こうの世界で絶対手出しできない冷ややかさ、暗さがあるみたい。短歌、かっこいいです。

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『コールド・コールド・グラウンド』 (エイドリアン・マッキンティ/ハヤカワ文庫)

*ネタバレする。

 

 

『コールド・コールド・グラウンド』 (エイドリアン・マッキンティ/ハヤカワ文庫)

 

 

 ショーン・ダフィは王立アルスター警察隊巡査部長。カソリック教徒。30歳。1980年現在、ベルファストで暴動が起きている中、殺人事件の捜査に乗り出した。手首を切り取られた死体が発見され、それはおそらくタレコミ屋の末路。単純な事件に思われたそれは、別人の手首と発覚してもう一つの死体が発見されたことにより、連続殺人事件とみなされた。

 この辺でそんな事件は珍しい。連続殺人をしたいようなサイコパスはIRAに入ってどんどん人殺しをすればいいから。

 ショーンはさらに同じ頃、自殺とされた女の事件とも関連を感じて、やみくもな捜査を続ける。

 

 2018年刊行の文庫。シリーズになっててもう6作目まで出てるらしい。翻訳されてるのは3作目までなのかな。で、これが一作目。

 

 ショーンは、大学出のインテリ、ではあるけど、まだ若くて、キャリックファーガス署に配属されて間もない。早く手柄をあげたくてうずうずしてる。で、いろいろ無鉄砲をするんだけど、なかなか捜査進まないし、事件解決のめどがたたないし、ショーンはローラという監察医と仲良くもしたいし、けっこうずっと、話進まないなあってうだうだしてて読むのに時間がかかりまくりだった。

 

 それに、街が。暴動が起きていて聞き込みに行くにも命がけ、みたいな感じ。なんか、この街、どういう状況? とか、カソリックとプロテスタントの対立? とか、私が、アイルランドのことを何も知らなくて、いちいち、ええと、これは、どうなってる?? と、認識に時間がかかりまくった。

 1980年代。ショーンはテープかけたりレコード聞いたり、音楽がいっぱい出てくる。事件の謎でもオペラの楽譜の断片が尻の穴に突っ込まれてるのが発見されたり。

 そんなこんなの音楽の感じも私はいまいちわからなくって、んーと、って思ったり。1980年代。私は生きててそこそこ物心ついてるとはいえ、世界情勢がわかるわけじゃない、にしても。一応。サッチャーとか名前は知ってる。けど、でも本当に、私、アイルランドの事を何も知らないんだなあとつくづく実感した。これまでにも映画だとかなんとなく少しは見聞きしたことがあるけれども、認識できてないなあ。せっかくなのでこのシリーズを読んでもう少しはいろいろわかるようになりたい。

 

 この事件も、IRAだとかなんかこう、組織のこととか、捜査が進まない感じの事情が私にとってなんだそれは? と思うことが多くて。読んでいけばなんとなくまあ、なんとなーくは、わかる。けど、わかったとも言えない。北アイルランド、どうなってるの……。

 訳者あとがき で、この時の事件、人物の映画「ハンガー」というのがあるよって知ったので近々見てみたい。あまぷらにあるみたい。

 

 ローラとも無事仲良くなってよかったね。そして事件の関連性を見出した、と思ったけど、捜査に進展がないって、ショーンは担当を外されてしまう。

 脅しが入ったり。事件担当から外されてからの急展開の勢いが面白かった。

 英国のスパイかよ!

 

 途中、同性愛嫌悪が共通点か、と探っていく。アイルランドでも同性愛は罪だったんだね。1980年代のこの当時でも。この少し後に法改正が進むのかな。

 捜査の途中、話聞くだけのつもりの男娼にあれこれされちゃって戸惑うショーン、可愛かった~。

 

 結局、連続殺人に見せかけて、自分に都合悪いことを知られた相手を消したのはMI5のスパイだったやつで。ショーンは守秘義務負わされて黙ってるしかなく。同性愛関係をバラされるのを恐れたビリーとシェーンってのに襲われて銃撃戦、酷い怪我を負うも撃退、回復。で、それで手柄たてたってことで、リハビリ、復帰後に昇進した、のかな。

 

 ひそかに訪ねてきたMI5の人間に、スパイをやっちゃってもいいぞ、という匂わせを受けて、ショーンはイタリアへ。密かに、始末つけた。

 一応、殺人犯したやつらはすべて報いをうけた。けど、逮捕して裁判、みたいな結末じゃないんだなあ。ハードボイルド……。警官なのに。

 けど、その、どうなるんだろ。ショーン、MI5に誘われるってこと? テロ組織の方に誘われるってこと?? そういうわけでもない?? シリーズの続きも是非読みたい。面白かった。

 

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映画 「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」

*ネタバレします。まあ、別にネタバレを気にするタイプの映画ではないと思うけどまあ、内容に触れるので気になる人は見ないでね。

 

 

映画 「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」

 

 ジョーカーの彼女。という事でやりたい放題でも見逃されてきたハーレイ・クイン。だけど、ジョーカーとは別れちゃった。すると、これまで彼女にあれこれ痛い目にあわされた悪人どもが、ここぞとばかりに仕返しをしようとしてくる。

 中でもローマン・シオニス。街一番の悪い奴。手下はいっぱい、私設軍隊もどきもある。かつて巨大マフィアだった一家から奪うはずだった莫大な金のありかが隠されたダイヤモンドを探していて、それがスリの女の子、カサンドラ・ケインに奪われてキレてるところ。

 ハーレイ・クインもいろいろ恨みかってて捕まって殺されかけてるのを逃れるために、そのダイヤモンド、探してあげるから! と、真夜中までの猶予をもらったのだった。

 

 

 まーなんていうか、物語そのものはまあどうでもよくって、ハーレイ・クインがジョーカーの庇護下から離れて、それでもなんとかうまいことすり抜け生き抜くぶっとびアクションを楽しむ映画! ですね^^

 

 「スーサイド・スクワッド」の時から、ハーレイ・クインのぶっとびカワイイは突き抜けてましたが、やっぱ大人気で単発作品。演じるマーゴット・ロビー、ほんっと今売れっ子だな~。はじけて演じてて、すっごく可愛い。クレイジー。大仰でまさにコミック!

 ちょっと、この前のホアキン・フェニックスのシリアスな「ジョーカー」を今だと連想しちゃうんだけど、ハーレイが別れた可愛いプリンちゃんは、ジャレット・レトのジョーカーなんだからね、と、心の中で補正しつつ見なくては。

 

 アクションシーン、どれもすっごくかっこよくって、面白くって、テンションあがる。女の子って感じもある~とはいえ、ほんっと、すっごくよくって、女子キャラだからってぬるいってことは全然ない。

 ゴッサムシティでしたたかに生き抜くには! と、いろいろ不遇な目にあってた彼女たちが、今はひとまず手を組もう、って戦うのは爽快^^

 なんかんだ、無事にダイヤもゲット、悪い奴もぶっとばし、ハーレイちゃんたちは逃げ延びて、けどまたそれぞれ勝手に生きていくのでした^^

 

 ハーレイちゃんのモノローグいっぱいで、話があちこち飛ぶけど、全部説明してくれる親切設計。だからこれ単発で見て全然オッケーな優しさ^^ 一時仲間になる女たちもそれぞれにしたたかで面白かった。

 不幸、は、ある。けど、ゴッサムシティじゃ不幸を嘆いてたらあっというまに踏みつけられておしまい。戦わなくちゃ! おりゃー!って感じ。

 まーゴッサムシティですけど、つまり、そう、現実もね。なかなか彼女たちを見習うってわけにはいかないけれども、(当たり前)戦う気分だけでも持っていたいものだ。

 

 で、今作の悪役はブラックマスク。ローマン・シオニス。ユアン・マクレガーがやってるの!

 かっこいいわ~可愛いー!

 気に入らないとすぐキレる。右腕になってるザーズがいっつもくっついてて、ボスのためにあれこれやる。ザーズの方がボスに執着ありそうで、お、二人はデキてんのか? って感じなのも可愛かった。ローマンの方はまあ何よりも自分の事しか考えてなさそうだけど。ナルシストらしい。お着換えもいっぱいしてて、衣装みんなお似合い~ステキだった~^^

 さっすがユアンくんで、しぐさの一つひとつがかっこいいし! シリアスに決めてるのもいいし、シリアスにキメようとしてずっこける感じも素敵です~~。可愛い。面白かった。

 あっはは~暴力で解決―!ってのも、映画ならではの爽快感いっぱいで! よかったです。

 

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映画 「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」

*ネタバレします。

 昨日、18日の水曜日に見てきました。

 

 

映画 「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」

 

 若きスター、ジョン・F・ドノヴァン。主演のドラマが大人気。次に大作ヒーロームービーの主演がほぼ決まりだろうと噂されていた。だが、突然の死亡のニュース。11歳の少年、ルパートはテレビでそのニュースを知った。ママにも内緒で、ルパートはジョンと文通をしていたのに。その秘密。その交流。10年の後、ルパートは文通していた手紙をまとめて一冊の本にした。俳優であり、作家。インタビューを受けて少年時代のこと、ジョンのことを語る。

 

 

 グザビエ・ドラン監督の新作だ。と、待ってました。29歳の若さで、薬を飲みすぎてしまった事故で亡くなった若きスター。リバー・フェニックスがモデルなのかな? とか、監督が実際8歳の時にレオナルド・ディカプリオにファンレターを送ったことをもとに作った、とか、そういうのはあれども、やっぱりこれはグザビエ・ドランの作品なんだなあと思った。

 スターの孤独。両親は離婚、転校した少年の孤独。10年の時を隔てた二つの物語があり、少年とスターとの文通、という軸があり、だけど強く印象に残ったのは母と息子の物語でもある。相変わらず、母と息子の、濃密で苦しい、けれど強烈な愛の世界があるわあ。

 

 この作品、10年前が2007年で、わりと最近じゃーん、と思ってしまうワタクシ……。けれど、11歳の子どもが、21歳の作家で俳優って成長するような時間なんだよねえ。

 

 最初は、売り出そうとしてる若手俳優作家にインタビューなんてうんざり、って感じだった記者? ライター? のオードリー。どうやら彼女は本来社会派って感じみたいで、ルパートの子どもの頃の思い出だとかジョンがどんなスターだったかなんて芸能問題みたいな事には興味がなく、なんとなく仕方なく引き受けさせられた仕事みたい。けれど、ちゃんとインタビューを聞いて、大きな社会問題じゃなくて、ほんとうにパーソナルな出来事だって同じように大事って、少し考えの変化がある。

 

 社会って個人の集まりだもの。一人一人のしあわせを大事にできなきゃダメなんだよ。テレビスターとしてファンに大騒ぎされてみんなに愛されていても、大事な人と素直に愛してるって、愛し合ってるって言えないと、辛い。

 まだ子どもだから。親の都合に振り回されて、でも子どもなりに精一杯に生きる。そういう一人一人の人生。

 

 家族との愛。ルパートくんのママは女優、だったのか卵だったのか、けれどもう今はダメになってて、代わりにルパートが子役として小さな仕事をしたりオーディションを受けたりしている。いつかジョンと共演したい! という夢がある。

 けど、口にはしてない思いは、ママが頑張ってた仕事を僕もやっていけたら、ママが喜んでくれるんじゃないかって、いうこと。ママには見せずに提出した作文の宿題に書いてあって、先生がママに見せてくれるんだよー。泣かせるじゃん。

 

 ジョンと文通してるっていうのがちょっとした騒ぎになってしまって、けれどジョンは冗談みたいにテレビのトークショーで否定する。ショックを受けるルパート。これは泣いちゃう。

 なんで秘密に? と思ったんだけど、ひそかに文通してるというのはよりスキャンダルなのかなあ。子ども相手にってこと? 男娼と歩いてたみたいなゴシップを書かれたところだったみたいだから、ついでにペドフェリアみたいな疑いになっちゃったらヤバすぎる? むしろ他のファンの攻撃とか防ぐため? 否定しなくてもいいじゃん、って思ったんだけれども、んー、否定するかなあ。

 

 この、文通してるんだというのがホントの事なのかどうか、わりと最後まで疑いながら見てしまった。ルパートの心の中の出来事なのでは、とか。実はママが代筆してた?? とか。けどまあ、実際あったことという映画の中のリアルだった、らしい。のかな。

 手紙の内容なんて、子どもにもわかるような、他愛のないちょっとした日々の事しか書いてないよ、とのことだけど。

 じゃあジョンのあの日々、気になる相手ができちゃったり、お兄ちゃんとこにうだうだしにいったり、ジョンのママのなかなかの強烈さだったり、おじさんとか微妙なぎこちなさのある、けど家族―っだったりの、ああいうジョンの日々は、まあ、そういうものってことなのか。

 映画の視点というか、最初、青年ジョンが語るストーリーかと思ったんだけど、ジョンの事は、ルパートが知りようのない生活、で、それは想像なのか、別にルパート視点のってことはなく単に映画として描いているのか、ちょっと、悩んでしまう。気にせず二つの物語って思えばいいか。んー。

 

 子どもルパートくんが、ママと喧嘩するとき、もうほんっとママが最も傷つくような事を言う。パパからも女優の夢からも逃げて英国にきたんじゃないか、だとか。辛い。息子にそんなこと言われなきゃならないほど悪いママじゃないよー。けどなー。けどちゃんと愛があるんだよなー。ほんと、ドラン監督の描く母と息子って、凄い。

 

 ジョンはホントはゲイだけどカムアウトは出来なくて、悩む。こっそりうまくやればいいってことは出来ないのな……。2007年って、そこそこ開けてきてはいると思うけど、けどやっぱりオープンにすることは簡単じゃないよなあ。ジョン、すでに異性のパートナーがいたわけで。難しい。家族の中ではお兄ちゃんは理解者。けど、多分ママとかにとってはタブーな感じ。

 隠し事をする人生。それは不誠実な人生。大事なものを失ってしまう。

 そして、彼の死は事故なのか自殺なのか。本当のところなんてわからない。ただ、彼は死んでしまった。世界中のファンがショックだったろうし、ルパートの心にもどれほどのショックだったか。

 けれど、10年を経て、ルパートは本を出す。自分の中で何か区切りつけたんだろう。インタビューを終えて、迎えにきた、って席を立つ。迎えにきた相手、あの親密さは恋人なんだろう。同性の。ゲイであることは今もマイノリティで差別もあってまだまだ簡単に誰にでもオープンってわけでもないだろうけれども、それでも、10年前よりさらにひらけてはきているんだと思う。ルパートは隠さずに生きる道を選んでいる。

 世界は、少しずつでも変化してきて、少しずつでもよくなってきているんだと思う。願う。信じたい。愛を信じたいと、強く思わせてくれる映画でした。ドラン監督の中ではエンタメっぷりが増してる作品なんじゃないかなあ。どのキャストも魅力的で、見ごたえって、面白かった。

 

 ところで、ジョンがプレミアだかレッドカーペットに登場してファンサービスしてたり、写真撮られまくったり、トークショー出てたり、あんなそんながすごく、わ~~~私が日々ツイッターで好きな人追っかけてる感じ~これ~~わかる~~~ってなった。私のスターよ、カメラのフラッシュの前に現れる前や、裏で、なんか人知れぬ苦悩やうんざりを抱えてたりするんだろうか。わかんないし、勿論いろいろあるんだろうけれども。でも、どうか、健やかに幸せに生きてて欲しい;; ファンでごめんなさい……。いやごめんなさいってことないか。でもほんと、お仕事でカメラの前に出てきてくれる時には、きゃーって言わせてください;; でも本当に本当に、プライベートはただただあなたの人生のしあわせのための日々でありますように;; 推しのお仕事が見たいのであって、推しの人生はただただ幸せで生きて、ってことだけ。ほんと、みんな。しあわせに生きろ……。

 

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映画 「屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ」

*ネタバレします。

 

 

映画 「屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ」

 

 

 1971年、74年あたり。ドイツ、ハンブルク。屋根裏に住むフリッツ・ホンカ。行きつけの酒場で女を誘うもなかなか相手にされない。行き場のなさそうな、老いた、太った、誰にも相手にされなさそうな女をつれて部屋で飲みなおそうと誘い、連れ込む。うまくいかないと殴る。殺す。

 

 17日(火)に見てきた。実在の連続殺人犯。エンドロールの時に実際の写真が出てきて、うっ、と、いっそうどんより気分に突き落とされて映画館を出ました。はー。辛い。

 孤独で、不細工で不器用で良い暮らしとは程遠い、それでも彼なりになんとかやっていこうとしてる。けれども絶望的にコミュニケーションはうまくいかず、女が欲しくてたまらないのに相手にされず、どん底同士みたいな女を連れ込んでも勃起がもたずセックスもうまくやれず、裏切られキレで殴って殺す。死体を捨てるのもうまくできず、バラバラにして部屋に隠して塞ぐ。悪臭は下の部屋のギリシャ人が臭い料理ばかり作るせいだ、と言って。

 

 何から何まで汚く不快。シリアルキラーといっても上手く犯行を隠しおおせたというよりは、どん底同士、社会の最底辺なところって感じだから被害者が消えても誰からも騒がれず見過ごされてしまったって感じかな。

 

 逃げられた女がいた。エルダだっけ。黙々と従ってホンカとやったあと、家を片付けて掃除してしばらく一緒に暮らしたのね。それでもトイレの汚さに掃除を諦めた感じとかちょっと笑った。いや。笑えない汚さだった。ぐへ~~。でもなんか、ほんのちょっとだけ、あのわずかの間、二人は一緒に暮らした、って感じがあった。一緒に料理したりして。

 ロージーって名前の娘がいる、と女が話すと、ホンカはその娘に紹介しろって迫ったりしてて、女のことは住み込みの家政婦だ、なんていうけど。ほんの一瞬、まともに生きられそうなところはあった。

 けれど彼女はまた酒場で、救世軍? あれはあれでどうなんだか全然わからないけれども、宗教の福祉なの? カルト?? わからないけど、とにかくその誘いにのって、ホンカの所から去る。無事に逃げられたよかった、ってことなのかどうかはわからない。けれど、また裏切られた、というホンカの絶望と怒りは膨らんだろうなあ。

 

 この映画は殺人犯の日常って感じで、特になんの説明もなくて、ただただホンカの姿を見せられる。一度は酒をやめて今度こそちゃんと仕事する、って夜警の勤務をがんばるけど。そこで出会った掃除婦、とその亭主にすすめられてまた飲むようになってしまう。一応、ホンカくん、断ろうとかがんばってはみたよね。けど、女とやりたい、って衝動に逆らえないんだね。

 

 ずっとホンカを見つめ続けてくので、彼の衝動とか鬱屈たまっていく様とかを、わかる、って思いかける。徹底的に汚いのも、汚いはきれいきれいは汚い、みたいな事、と言えなくもなくないかも、みたいに思う。思うけど、ぐへー、と嘔吐感がこみあげる。無理~。

 

 社会に馴染めない孤独な男が犯罪を、って「ジョーカー」とも通じるところかもしれないけどまあ、ジョーカーどころじゃないよね。この圧倒的に重く塞がれる感じ。ま~エンタメで世間にもてはやされるのはジョーカーだよね。時代も違うけど。ホンカくんは、あまりにもあまりにも、醜く惨めで汚くて、見るものの目をそらさせる。何より事実ベースですし。辛い……。

 

 殺される女性たちもどん底。辛い。

 ホンカがわずかにすれ違い、憧れる金髪美少女がいて、あー狙われてるやばい、ってところで、住んでた建物で火事騒ぎ、ホンカの屋根裏の部屋から死体発見になって、逮捕、ってなって、ほっとした。美少女ちゃん危なかった。あのひょろっとした男の子はダメだ~もう~。バカ。

 

 よくこんな映画を、作りましたね……。ホンカの苦しみは、わかる。わかるけどまったく無理。感動的に盛り上げるってこともなく、美しく悲劇的に描くこともなく、この、突き詰めるけど突き放す、カメラの感触が凄かった。

 主演の人も、すっごい。よくほんとうに。こんなに。ヨナス・ダスラー、私は知らない俳優さんだけど、よく演じ切ったなー。すごい。

 全然鑑賞の気持ちよさのない、吐き気いっぱいの映画だけど気になってたし見られてよかった。よかったのか……。よかったです。ん~。私はやっぱりレクター博士が好きなんだよ……。フィクションがいいよ……。

 

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ナショナル・シアター・ライヴ 2020 「フリーバッグ」

*ネタバレします。

 

 

ナショナル・シアター・ライヴ 2020 「フリーバッグ」

 

 

 13日(金曜日)に見に行きました。特別料金だからいついっても一緒だ。なら初日に行くべし、と思って。

 

 88分。一人舞台。作、主演フィービー・ウォーラー=ブリッジ。

 なんかいろんな賞とりまくりの、これきっかけで超売れっ子になった人、という私の認識。今度の007の脚本にも参加、ということくらいしか私は知らないんだけれども。

 アマゾンプライムで、テレビシリーズの1、2は見た。最初はアンドリュー・スコットが2に出るらしいな、というくらいの軽い気持ちで見たんだけど、ぐいぐい引き込まれて、どっぷり、泣いたわ。

 

 で。元は舞台だったという、それを、見ることができてよかった!

 ほんっとに一人で、舞台セットといっても椅子が一つあるだけ。赤いセーターとパンツ姿のフィービー・ウォーラー=ブリッジ一人が、ただそこで語って演じてくれるだけ。これ以上ないシンプルさ。他の人の声の出演がすこーしだけあったけれども、ほんっと、本当に一人、彼女の話を聞くだけ。凄い。

 

 親友のブーと始めたカフェが破産の危機。必死に面接を受ける女。うまくいかない。

ブーは事故でなくなった。家族との関係いまいち。彼氏はいたけど出ていっちゃった。セックスは好き。求められるのが好き。動画みてマスターベーションよくやる。街での出会いもある。でも満たされない。

 ブーが亡くなったきっかけは、彼氏の浮気へのあてつけのために、ちょっと車道に飛び出して怪我してやろうってしたこと。ちょっとした怪我、ではなく彼女は自転車と車に、三回はねられて死んでしまった。

 彼氏の浮気。それは、フリーバッグとの浮気。親友の彼氏とやっちゃったこと。親友が、死んじゃったこと。ひとりぼっち。いずれ年をとる。怖い。誰にも求められなくなっていくのが怖い。何もない。若さも残り少ない。怖い。みんな、どうやって生きていってるの!?

 

 基本的にコメディで、すごい、一人芝居の間合い、語り、演じ分け、すっごい上手い。顔芸もヒドイ可笑しい。笑っちゃう。劇場映してるので観客の笑いもいっぱいで、見てて私も笑った。

 けれど、その背後に彼女の悲鳴が、悲しみが時々鋭く聞こえてしまう。ちょっとだらしないし欲深いし図々しいし、正直いい子ではない彼女、けれど必死に生きようとして生きることがわからなくなっている彼女の姿。それは私の姿。今、この社会に生きている一人一人みんなの姿。今、「若い女」として生きる悲鳴。何者でもなくても、必死に生きるしかない、どうしていいのかわからない姿。

 

 コメディだし笑わせてくれるけど、見終わって目の奥が熱くなってどうしようってなる。

 

 ドラマの方がやはりわかりやすくて、時間ももっと長いわけで、丁寧でいいなあと思う。けれど舞台は舞台ならでは、たった一人の彼女の孤独と滑稽さが際立っててすごい。

 

 モルモットカフェになっちゃってて、モルモット、ヒラリーがいて、でもヒラリー、ネズミ男に蹴られて瀕死になって。フリーバッグがもう虫の息で苦しんでいるだけのヒラリーを、物凄くためらって辛そうながらも自分で絞め殺してしまうの、凄い。苦しみを終わらせてあげる、自分の手で。

 苦しみを、終わらせることができるのか、自分の手で。

 

 ひとしきり語った終わり、なんと冒頭の面接の場面に戻って、おっ、この舞台ってほんの一瞬の回想って感じなのか、って構成にもびっくりした。そして最後のセリフは「FUCK OFF!」。(だったと思う)ヒドイ言葉。笑って言って暗転。

 あー。こうやって生きていくし。生きるし。生きるしかないし。フリーバッグ、愛しい。

 

 先にドラマ見ててよかったのかなあ。わかりやすくはあったと思う。そしてドラマすっごい、ドラマはドラマですっごいよかったから、両方見られて本当によかった。ドラマの2も最高なので本当によかった。

 結局彼女の語りかけって、ブーに喋ってる感じなんだろうと思う。いつも、ブーと延々どうでもいいお喋りしまくっていたのだろう。それを、「観客」「視聴者」に向かってしてみせた。彼女の本心。相対してる相手じゃなくて、あとからブーにお喋りするときの本心を、聞かせてくれているんだ。だから、フリーバッグのこと、親友になった気持ちで、愛しく見ちゃう。あけすけな本心を一緒になって笑っちゃう。私で、あなただ。

 これを舞台としてドラマとして成立させて、見るものすべてを自分のペースに巻き込めるの、ほんっと凄い。人間て。世界って凄いね。

 

 

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映画 「シェイクスピアの庭」

*ネタバレします。

 

 

映画 「シェイクスピアの庭」

 

 

 ロンドンの劇場を火事で失ったシェイクスピア。筆を折って故郷へ帰る。だが、家を離れていた時間はあまりにも長く、妻、アンと娘たちにはそっけなく他人のようにふるまわれる。

 シェイクスピアにはもう一人息子がいた。ハムネット。少年だった彼の書いた詩に才能をみて、大事に期待していた息子。疫病で亡くなってしまったその子をしのんで庭を造ろうと思い立ったシェイクスピアは、一人作業を始める。

 

 ケネス・ブラナー監督主演。シェイクスピアは49歳で引退して故郷へ帰ったとか。その晩年は謎である、ってことで、この映画の物語は想像ってことですね。というかもうはるか昔の人だし、すべてが想像なのでは。と思うものの、息子の生没とか娘たちのその後のことなんかはそれなりにちゃんと記録があるってことだろうか。シェイクスピアは研究されまくってるでしょうしねえ。

 

 物語は、家族のこと。ロンドンで働いて稼いできたんだぞ! というシェイクスピアが見てなかった家族のこと。結婚してない娘、ジュディスのヒステリックさにはわけがあった。

 息子は、本当は疫病で亡くなったわけではなくて。父に褒められ、認められるのが嬉しくて見せていた詩、それは本当はジュディスが作ったもので、才能があるって褒められるべきはジュディスの方で。ハムネットは、普通に可愛い男の子だった、ってわけで。

 

 この辺、というか時代というか、1613年? 女の子はただ結婚して子ども産め、ってだけしか期待されてなくて、とにかく息子が大事! っていうねえ。辛い。

 ジュディスは読み書きができないってことなんだけど、それでも詩を作ることができたのって凄いね。シェイクスピアが褒めまくったのも、けどまあ、息子の作品だ! ってことだからってことじゃないのか。でも、ジュディス、彼女だってちゃんと学校に行ければ。

 

 妻のアンも読み書きができないんだって。昔は本当に、女性は教育の機会すらなかったってことなんだなあ。辛い。そしてただ男の子を産むことばかり期待されてるのも辛い。それ以外の生き方っていうのがなさすぎる……。

 それにこたえようとするジュディスが、それでもいい寄ってくる男がいて付き合い始めたのはけっこう楽しそうにしてて、まあよかったじゃないの。と思っていたら、女たらしの彼だったから、結婚の約束もしてないけど孕ませた女がいて、とか。辛い……。

 けどまあ、なんだかんだ波乱はありつつも、家族の真実を知り、見つめて、シェイクスピアは穏やかな晩年だったという感じねー。

 息子の死の真相は、とか、ちょっとだけミステリ風味もあったり。

 映画の最初の方に、不思議な男の子が出てきたんだけど、それは、息子の幻、というか、霊、というか、だったの。死の真実を、家族の真実をわかってくれて成仏、みたいな。そういう、成仏みたいな観念ってキリスト教でもありなんだっけ。よくわかんないけど。けどまあ、英国、幽霊大国って感じもするから、そういうもんなのかなあ。

 

 アンを演じてたのはジュディ・デンチで、さっすがの貫禄です。息子の死を疫病だったと頑なに言い張り、そうした信念みたいなの、強くて。読み書きは出来なくても、うちで大事なことはしっかり押さえてますよって感じ。最後には文字を習って、自分の名前のサインをしたの、ほろっとしちゃった。

 

 途中、サウサンプトン伯爵が遊びにくる。イアン・マッケラン。シェイクスピアのソネットで愛を捧げられている美青年と言われる人物ね~。そっかそっか。

 二人で暖炉の前で語り合ったりしてて、あなたのためだけの詩です、ってシェイクスピアが詩を暗唱して、あわよくば口説く、今からでもっ、って、おおお~~??? ってドキドキしちゃった。これはこれは。こんな恋のシーンが見られるとは思ってなくて。

 詩や劇を褒め、もっと書くべきだとか、シェイクスピアと仲良しっぽいのに、口説きモードになると、ふいっとかわして退ける、その威厳、さっすがです~~~。かっこいい。セクシー。ほんっと、イアン・マッケラン色気あるよねえ。すっかり爺さんなのに、じーさんBLにもえころげてしまった。

 去る前に、同じ詩を伯爵も暗唱してみせる。自分に捧げられた愛の言葉をしっかり覚えているの~~~。素敵すぎた。

 この二人の詩の朗読聞けただけでも大満足。うっとり~~~。好き~~~。

 

 この暖炉とか、夜の蝋燭とか。暗い所でも照明使わずに撮ったのかな。炎のゆらめき、影のゆらめき、暗さが、静けさ親密さを深める感じですごく素敵だった。

 外のシーンも。樹々、草花の中、空、そのままで、人物はシルエットになったりしてて、そういうのも綺麗だった。

 シェイクスピア、愛されてるなー。今現在でもこんなにも愛されてるんだなー。その感じの一端でも感じられて、よかったです。

 

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映画 「初恋」

*ネタバレします。

 

 

映画 「初恋」

 

 

 葛城レオはボクサー。駆け出しながらセンスは高く買われ、勝っている。とはいえ今どきの青年。勝利しても大げさに喜ぶこともなく、黙々とトレーニングに励み、バイトをする毎日。赤ちゃんの時に捨てられて親の顔も知らない。天涯孤独。ボクシングしかない。

 ある日、思いがけないパンチでKOくらった。病院で脳腫瘍があることを告げられる。手術も難しい状態、と。呆然と夜の街を歩いている時にすれ違った女の子、何かから逃げて、助けて、と言った。彼女をおっかけていた男を思わず殴り倒すと、その男のポケットから警察手帳がこぼれる。

 なりゆきで女の子を助けて走り出すレオ。彼女は親の借金のカタにヤクザに売られていた。薬で幻覚を見て、怯えて謝るばかりの百合。彼女にやりたいことはないの? と聞いてみて、百合がかつて救いに思った男の子の元を訪ねてみることにした。

 

 ヤクザとつるんで麻薬を横取りしようとしていた、レオに殴り倒された警官、大伴。組を裏切った加瀬。彼らもレオたちを追うことになる。

 

 そんなこんなで、青春初恋胸キュン。ってまあそんな甘いもんじゃなくてわりとどん底状態ではあるけれども、主役若者たちの姿と、ヤクザもののどろどろ腹黒、泥縄式の事態最悪に進んでいく感じと、なかなか切なくうまく話が展開していって、すごく面白かった。

 今のこのなんだかみんなじっと息をひそめてなきゃいけない、みたいな社会の空気がつらく。まあそりゃウィルス対策だよね仕方ないとは思うんだけど。けど、なんか。憂鬱気分なので、三池監督の血と暴力に触れたかった。満足。しょっぱなからごろっと首が転がるよー。

 

 下っ端ヤクザの情婦、情婦っつーかまあ、その。それをベッキーが演じていて、凄い迫力だった。しぶとい。笑っちゃうほどのキレッキレで、上手かった。ちゃんと女優だなー。

 組の古臭さに耐えかねて、薬横取りしてバックレようとしてた、ヤングなヤクザを染谷将太くんが演じていた。えとー、ええと、彼は、ブッダ! とか思っちゃった。最初はほんと、半端なヤングで、自分のざっくりした計画に刑事の大伴巻き込んで、チョロい仕事って思ってたんだよね。

 だけど、百合が逃げ出しちゃったり、レオが絡んでしまったりで、加瀬の予想外の事ばかり。自分も横取り計画がスムーズにやれなかったりして、どんどんうっかり人を殺していくことになる。加瀬とか大伴がねー。ほんと、最初はだるそうにしてたのが、なんとなくなりゆきで人を殺していくにつれて、ほんっとに顔つきが変わってくる。染谷くんもすっごいな。今どきの若者の一人~でありながら、ずぶずぶ地獄にはまってく。命消費するいい顔してた~。役者~~~。

 

 余命僅か、と思って、なげやりに、占いしてもらって、けどハズレ占い師め!ってやけになってた所のレオ。けど、なんと終盤、医者が検査の画像取り違えをしてまして、あなたは健康です、謝罪させてください、なんて留守電が入ってることに気づくの。

 アホか―ww

 渋い、ヤバイ、血みどろヤクザものでありながら、トホホ~ってなる、ふっとしたゆるゆるダメ感がとってもいい塩梅で、それもすごいよかった。

 

 最後の中華系との対決になっちゃった場は、ユニティというホームセンター。ホームセンターといえばゾンビものとかパニックムービーって思ってたけど、ヤクザの喧嘩の舞台としても面白かったわー! それぞれに、銃や日本刀青龍刀なんか持参してきてたから、あんまりホームセンターで売ってるものを工夫して戦うみたいなことはあんまなかったけれども、なんかちょっとヘルメットかぶってみたり、棚のごっちゃな商品投げたり、隠れたり、駐車場からのダイブ! とかも~。面白い舞台になってた。

 駐車場からのダイブは、実際のスタント使うのは危険すぎるからアニメに、みたいなインタビューを読んでたけど、まあそういう苦肉の策だったとしても、ちゃんとはまっててよかったと思う。

 

 そもそもヤクザ映画もファンタジーだなな。映画の夢とロマンだよなあ。タカクラケンに憧れるっていうのが象徴してるみたいなこと。カタギの若者たちを、逃がす、生かす方へ促してやる渋いヤクザな大人、っていうの、やっぱかっこいいわ。

 

 ヤクザな面々、内野聖陽だとか、塩見三省さんとか、激渋いっ。素敵だ~~~。顔の陰影が濃い照明が似合う! 塩見さん、私はあまちゃんの時の琥珀のベンさんで認識したんだけど、こういう激渋のもすっごいほんと、似合う素敵だよなあ。好き。

 ダメ刑事大伴の大森南朋も腹黒、汚いのが似合う~。さっすがいいキャストそろえてるんだなあって感動。

 

 激動の夜。死んだ気になればやれるってことかー。てな悟りを得て、かどうかはともかく、生き延びて、レオと百合は血まみれの身体に冷たいシャワーを浴びて洗い流す。あれは禊みたいな感じかなあ。冬でめっちゃ寒そうだった。

 最初のきっかけだった竜司くんと偶然あえて、彼は身重の妻と一緒で、ああ、彼はもう当然彼の人生を歩んでいて。「しあわせそうで、よかったです」と、百合は言った。ふっきれたんだね。

 

 生きてみる。って、二人は一緒に帰るんだ。その辺のやりとりの、初々しさ、さりげなさ、すっごくよかったよー。

 ヤクザには夜明けは似合わないって、ヤクザ抗争したみんなは死んじゃった。

 レオはボクシングの練習と試合に励む。勝った時には前と違って、力強く勝利の雄たけびをあげる。百合は薬断ちの施設に入ったのかな。苦しんで。けれど生きる道を選んで。

 

 最後、雪の降る街、アパートを映す遠景で、レオの部屋へやってきて、部屋へ入っていく百合の姿があった。

 こういう風に、さらりと見せて終わるの、すごくいい~。素敵だった。背負ってるものは絶望でしかなくて、けれど、生きる、生きなおす二人は、これからだって大変だろうけれど、なんかちょっと、あったかくなるんだろうなって思える。二人のこれからに幸あれって、素直に心から願うよ。好きになれた。見に行ってよかった。

 

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『ロボットと帝国』上下 (アイザック・アシモフ/ハヤカワ文庫)

*ネタバレします。

 

 

『ロボットと帝国』上下 (アイザック・アシモフ/ハヤカワ文庫)

 

 

 グレディアは星空を見上げて、ふと、かつて自分が生まれ若い頃をすごした星、ソラリアはどの星だろうと考えた。しかし、目に見えるわけはなかった。雲も出ている。ソラリアを出てオーロラに暮らして二百年。自分はもうオーロラ人のはずだ。

 いつもそばに控えているヒューマノイドロボットのダニール・オリヴォーとロボット、ジスカルド・レベントロフに、懐かしい名前、イライジャ・ベイリと口にされて驚く。短命な地球人である彼が亡くなってもう160年も過ぎた。

 自分の血筋にあたるというマンダマスとの面会。敵対するアマディロ博士との対面。グレディアはベイリの子孫からの依頼を受けて、はるか昔に去ったソラリアへ再び旅立つことになった。

 もともと人口の少なかったソラリアから、完全に、人間が消えたというのだ。

 

 ロボットシリーズは読んできてて、あとこれだけになったなーと思ってしばらく手を出してなかったんだけど、やっと、読みました。

 翻訳刊行は1988年。本国では1985年か。私が読んだ文庫は1998年の。

 

 もうベイリがいない時代になってるってつまんないんじゃないかなあと思ってたけれど、ベイリは160年前に亡くなったとはいえ、グレディアの心に、ダニールの心にも、彼の印象は強く残っていて、何度か回想シーンというか思い出シーンもあって、けっこうしっかり出番ある~。

 最初っから、ダニールは、ベイリとの記憶をなくしたくはありません、というシーンがあったりしてもえる。二人は友達。精巧なヒューマノイドタイプとはいえ、ロボットのダニールに、けれど深い強い友情愛情、心というほかない感情の流れがあるんだよなーって、また読めてしあわせでした。可愛い。

 

 今回は、事件捜査みたいなことではないんだけれども、宇宙規模、人類の未来への変化みたいな壮大な話になっていって凄い。

 ソラリアから消えた人間はどうなったのかとか、ロボットなのに人間を攻撃することができてしまう、見た目もヒューマノイドな監督ロボットとか、その辺の謎は、わからなかったんだけど。

 

 グレディアはスペーサーでありながら、地球へまでも旅して地上で生きるようになりそうだし。地球を滅ぼそうとしたアマディロ博士たちの陰謀とか結局はとめられなかった、けど、それでいいのか? 地球がいつか人の住めない星になって、地球から人類がセツラー、移植者として銀河へ広がっていくことの方が、人類全体の未来には良い事なのだ、と、ジスカルドは判断したわけだけど。それで、いいのか。いいという確信はなくて、ジスカルドは機能停止してしまった。

 

 人間に危害を与えてはならない。絶対的な第一条。だけど、その前に、個人の人間そのものよりも、人類、という規模での安全、幸福を優先するという第零項を自主的にインプットしたダニール。

 それもイライジャ・ベイリの最期をみとった時の影響で。ベイリが最期まで心配して、最期に側にいたのはダニールだとか最高にもえるやばい。すごい。とても美しいシーンだった……。泣くわ。

 

 

  ベイリは口をつぐんだが、ダニールは辛抱強く待っていた。

  ベイリの目が開いて、ダニールを見つめた、ちょっと眉をよせて。

 「まだここにいるのか? もう帰る時間だ。きみに話したいことは話した」

 「帰りたくありません、パートナー・イライジャ」

 「帰らねばならない。おれはもうこれ以上死を引きのばせない。疲れた――ひどく疲れた。死にたい。その時がきたよ」

  「生きておられるあいだ、ここにとどまることはなりませんか?」

  「だめだ。きみが見ている前で死んだら、きみに有害な影響を与えるだろう。せっかく言ってきかせたのに。さあ、行け。これは――命令だ。きみがロボットだと言いはるなら、それでもいい、ただしその場合、きみはおれの命令に従わなければならない。きみは、いかように力をつくそうとおれの命を救うことはできない、したがって第二条に優先するものはなにもない。行け!」

  ベイリの指が弱々しく指し示し、そして彼は言った。「さようなら、フレンド・ダニール」

  ダニールはゆっくり背を向けて、ベイリの命令に従ったが、これほど従いがたいことはかつてなかった。「さようなら、パートナー――」彼は口をつぐみ、かすれた声で言った。

  「さようなら、フレンド・イライジャ」 

                   (『ロボットと帝国』上/348349

 

 

 イライジャがさー、人間の命を何よりも守る使命を持つロボットのダニールに、自分の死が悪い影響を与えるだろうって心配してるのも最高だし、人間の寿命ってものを知識としては持ってても、その死を受け入れがたく、悲しむことに不慣れなダニールが可愛すぎる。そして最後には互いに「フレンド」と呼び合ったんだね;; ダニールが、友情をちゃんと自覚したんだなあ、そしていつまでも記憶してるんだなあって、感動……。

 

 話しは、人の心っていうか感情を読み取って、影響を与えて少し操ることができるジスカルドを巡る戦いになっていく。超能力者ってことだもんなあ。

 それでも、非暴力の世界なので、わりとみんな丁寧な言葉で喋ってて可愛いなって思う。

 

 グレディアはベイリの子孫のキャプテンと仲良くなっていき、そして長寿のあまり退屈しかないスペーサーとしてではなく、ベイリ・ワールドや地球で演説をぶって、スペーサーと地球人、セツラーとの平和の懸け橋になりたいって感じの使命に目覚めていく。

 ジスカルドの後押しはあったようだけれども、グレディア、スペーサーにしては感情豊かすぎるタイプの女性だったからなあ。

 

 

 地球滅亡計画とか、超能力の伝授とか、壮大だな~荒唐無稽だな~って感じなんだけど、礼儀正しく穏やかに、けれど結局感情の生き物なのかって感じにもなったり、ロボットが神になっていく感じだなあって思って、面白かった。

 

 地球滅亡の危機のぎりぎりのところで、ジスカルドの決断で人類の方向が決まったわけ、だな? 人類は地球を離れていくしかないってことかなー。

 ジスカルドは機能停止してしまった。ダニールに感情が読めるプログラムを残して。ダニール一人が、人類の未来の秘密を背負っていくのね。

 

 

  そしてジスカルドは沈黙した。二度とふたたび話すことも、動くこともなかった。

  ダニールは立ち上がった。

  彼はひとりぼっちになった――その肩に、銀河系を背負って。

                    (『ロボットと帝国』下/331

 

 

 凄い、痺れる終わり方。ダニールの孤独……。

 けれどダニールの記憶には、ベイリのことも、ジスカルドのこともクリアに残っていくんだろう。ダニール、神になるの?

 今作は、ロボットシリーズと、銀河帝国興亡史をつなぐもの、だそう。でも私、銀河帝国興亡史ってゆーのを読んでない。どうしようかなー読むべきかなー。面白そうな気がするというか、どうなってんの。地球人とスペーサーのバトルとかになってんの? 地球人が銀河に広がっていって大冒険とかしてんの? うーん。いつか、たぶん、読んでみようかなあ。そのうちのお楽しみだ。

 

 ソラリアって、そういえば、ロボットに囲まれていて、人間同士の接触はなくて、人と会うのは恐怖、とか、スペーサーはそもそも地球を、地球人を、古臭い世界と見下していて病原菌をいっぱい持ってるから怖いって感じだったな。シリーズのこれまでをちゃんと全部覚えてるわけじゃないけど。

 今、新型コロナウィルスで大騒ぎ、パニックになりそうな現状の中で読むと、なんか、すごく、身に沁みる……。病気は、ないほうが良いな~。

 そして私にもダニールみたいなロボットが欲しいよ。

 

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『館山』 (三平忠宏/ながらみ書房)

『館山』 (三平忠宏/ながらみ書房)

 

 

 第二歌集なのかな?

 2020年1月刊。題字は奥様の書だそうで、それも美しいです。

 

 館山って、どこなのか、私は出かけたことのない場所で、この歌集を読むことで、その歴史や景色の一端を知ることができたような気がします。

 「帰郷」という一連に始まり、作者のさっくりとした半生を知る思いです。すらりすらりと歌に人生を凝縮していくことができるのが深いなあと思いました。

 

 あとがきによると歴史ガイドや戦争遺跡ガイドなどもされていたようで、その地の歴史、戦争の跡が多く歌になって収められている一冊でした。私は知らない事ばかりだったので、面白く読みました。故郷でこうしてまた学び、あいしてゆく作者の姿勢もすごいです。

 

 いくつか、いいなと思った歌。

 

 

  街中の景色も人も変はりけり四十四年ぶりの館山  (p10

 

 四十四年という歳月を経ての帰郷の感慨はどれほどだろうかと想像します。作者の深い深い想いが、すっとした一首になっていて重すぎなくていいと思った。

 

 

  黒船に備へ築きし砲台は土塁をわづかに残しゐるのみ  (p19

 

 黒船に備えるって~。幕末か。その遠い昔の歴史が、今もわずかな土塁のみとはいえ残っていて、そこではるばるとした思いをはせる感じが壮大で、けれど時の流れのほのかな寂しさもあって、好きでした。

 

 

  背の丈が皆に抜けゐし若き日は神輿担ぐも楽しまざりけり  (p30

 

 作者は背の高い人なのですね。神輿の重みが人よりぐっと強くかかったのかなあと思って、楽しくなかったという歌ですが、読んでちょっと笑ってしまう。祭りのあとの肩はつらかったんだろうなあ。

 

 

  寒晴れの朝にひときは神々し雪を冠れる伊豆大島は  (p143

 

 伊豆大島がどう見えるのか、私にはわからないんだけれども、これは冷たく冴えた朝の気配、青空、雪、と景色が広がる感じがしてとても綺麗に読めました。

 

 

  収まりしわれの蔵書は古書店に仰ぐやうなる姿となりぬ  (p161

 

 書斎を作ったりそこから去ったりで、とにかくたっぷりの本をお持ちのようで。本の引っ越しすっごい大変だよねという実感が私にもあり、けれど私の規模とはけた違いなんだろうなあというのがすごくわかる一連の歌がありました。狭い古書店に天上まで届くような本棚があり、ずっしりとそこに積み上げられた本たち。その景色が自宅の書庫に、という圧巻の様子がわかります。本好きには夢の書庫ですね。

 

 

  出向地にたづさへ行きし文机が戻り来にけり十五年経て  (p165

 

 これは文机という古風な道具がしみじみ、いいなと思った。そこでたくさんの本を読み、書き物をしたりお茶を飲んだりもしたのだろうと思う。愛用の相棒がおさまって、落ち着く気分を感じました。

 

 

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映画 「スウィング・キッズ」

*ネタバレします。

  昨日、1日に見に行きました。

 

映画 「スウィング・キッズ」

 

 

 舞台は1951年。朝鮮戦争は激化。アメリカと中国の代理戦争のようになっている。捕虜収容所では、囚われて集められた兵士たちが、北と南、どちらへ帰属するかのひそかな対立があった。また、捕虜の扱いが良いと対外的にアピールするために、新任の所長は、兵士たちの娯楽を勧めさせる。

 ジャクソンという黒人の下士官。一人講堂でビアノを弾き、タップダンスのリズムを刻む彼の姿を、もっとも厄介な囚人とみなされているロ・ギスは覗き見た。

かつてはブロードウェイスターだったらしいジャクソン。ダンスチームを作ったらどうだ、と所長から話が持ちかけられる。自由の踊りを踊る反動分子は面白いだろうという気まぐれな思い付き。

 まったくやる気のないジャクソンだったが、オーディションを開催。見込みあるものなんていないと思っていたが、伝統芸能を演じていた元役者ビョンサム、中国人で太っているのに栄養失調、心臓に持病を抱えるものの抜群の動きで独自の踊りを踊れるシャオパン、兵士相手に踊り歌う娼婦のようにして潜り込んできた、4か国語話せるヤン・パンネが通訳として、さらにダンサーとしてチームをつくる。反発していたロ・ギスだが、誰よりもダンスはうまかった。ジャクソンのステップに負けず嫌いに挑んでいく。

 寄せ集めチームが、トラブルを乗り越えながらダンスでここからの脱出を夢見て踊り出す。

 

 

 そんなこんなで、戦時下の収容所という舞台の中、ダンスバトルかーみたいな現代的要素たっぷりで、ドタバタコミカル風味も交えて、どんどんみんながダンスに夢中になっていくさまが描かれる。コミカルである、けれども、その背後にある重すぎるほど重い、辛い現状も容赦なく描かれる。

 ダンスを通じてバラバラだったみんなの心が一つに、っていう青春ムービーっぽさ、まあ、ほんとに若いのはロ・ギスとかパンネちゃんくらいかもだけど、それでも青春ムービーっぽさはあって、胸きゅんだったりもする。私個人的にはその胸キュンはいらないぜ、とは思ったものの、若者にはときめきも大事かねえ。

 けれどそこは収容所。思想の対立。兵士と捕虜。それぞれが抱える背景はずっしり重い。

 

 通訳できる、という彼女が四か国語をこなすのは、戦争や占領下だったことのせい。すごく頭いい子なんだろう。まともな時代にちゃんと教育受けてたらどんなに優秀だったのかと思う。言葉を覚える、使えるっていうことの有利さをつかみ活用して生き抜くしたたかさ。妹や弟たちがいて、多分親はいなくて、彼女が保護者になってる。

 生き別れになった妻を心底愛して探してて、ダンスで有名になったら行方がわかるかもしれないという希望を持ってるビョンサム。中国人の彼は京劇役者だったりしたのかなあ。演じる、踊ることの圧倒的オリジナリティがある。楽しくさせてくれるけど、楽しくさせてくれることが、切ないよ。

 ロ・ギスは、人民の英雄とあがめられる兄がいて、その弟として一目置かれてて、けど、後にわかったけど、演劇学校かなんか? で、首席卒業とかで、もともと表現とかダンスとかすっごい才能ある子だったのね。戦いに行くような子じゃなかったのに。

 

 ロ・ギスの幼馴染、学校も一緒だった友達が、片手片足失った姿で、収容所にはいってくる。収容所でそれなりに穏やかに暮らしつつあった仲間に過激な激を飛ばし、内部抗争がひどくなっていく。

 ロ・ギスはタップダンスに夢中になってきてて、でも仲間と一緒にひそかな殺戮行為に加担する。それでも、ダンス対決した米兵を殺すふりで見逃したり。

 

 戦いの中にる。分断の渦中にある。資本主義、共産主義。憎みあう思想。けれどそのイデオロギーって、人が作り上げたもので、本当なら人が幸せに暮らすために、生きるために、社会をつくっていくものだったのでは。なのに、戦う理由になって、戦う必要なんて考えられない、ただ憎しみの連鎖になって。

 ロ・ギスは踊りたい。けれど仲間と共にいるしかない。

 

 ロ・ギスの兄も囚われて、収容所にやってくる。すごい巨漢。背も高く力も強く。誰よりも敵を殺してきた男。仲間からは英雄で、敵からしたら化け物。そんな兄は、実はちょっと頭がよわいみたい。兄弟で喋る時には、ロ・ギスのほうがお兄ちゃんみたい。仲良し兄弟で、ニワトリの真似~とか豚の鳴き声~だとか、無邪気にふざけあったりできる。けど、兄は、殺人の技術は抜群。ためらいなく人を殺せる。これもとてつもなく悲しい。兄を殺人マシンに仕立て上げた戦争……。

 

 ジャクソンもまた、黒人として白人にさげすまれている。一応軍隊の建前としては、差別なんてしないってことなんだろうけれども。ジャクソン、沖縄で任務についてたことがあるそうで、日本人の妻がいる、とか。それもまた差別のネタにされるのなー。

 オキナワとか聞くとぎゅっと辛くなっちゃうし。

 ジャクソン、最初は東洋人にはダンス無理だ、とやる気も何もなかったのに、みんなに教えること、みんながついてきて踊れるようになってそしてチームになっていくことに誇りを持って行くようになったんだ。

 演じている人、「ブロードウェイミュージカルの最優秀ダンサーに授与される「アステア賞」の受賞者であるジャレッド・グライムスがジャクソン役を演じる。」って、本物~~~プロ~~~! ほんっとに、めっちゃめちゃうまくてかっこよくって、うっわーこれは、ロ・ギスはじめみんな、見た人を夢中にさせるわ、という納得感が凄い。ダンスシーン、どれも最高だった。

 

 そのジャクソンに負けない、ロ・ギスのダンスも最高だった。なんか、KPOPの人らしく、私はわからないんだけど、多分、人気の人、なんだよね。けど、ほんっと、彼はめちゃめちゃ踊れるっていう、ジャクソンさんに負けてないのがすっごいし。主人公としてゆれたり意地になったり、無邪気に少年っぽかったり、すっごくよかった。主人公だった。

 

 Bowieの曲が使われるらしいってことでいつ、何がどんな風に? と思ってたら、ロ・ゴスと通訳ちゃんと、それぞれに心の叫びをダンスで表現!ってシーンだった。モダンラブ。ダンスも最高だし曲もあいまって泣いた。なんで、こんなに踊れるのに、こんなにダンスに夢中になって楽しいのに! 自由に踊れないの;;

  

 

 刑務所内での抗争あれこれより、所長を殺してしまえ、と、ロ・ギスは命じられる。クリスマスイベントで、ダンスステージに立て、そして油断してる所長を殺せ、と。

 ロ・ギスは覚悟を決めて、ステージが終わったらみんなすぐにこの場を離れろ、といってステージに立つ。

 みんなの演技は最高! バンドマンたちもノリノリ!

 このバンドマンたちもさー、囚人なのね。彼らも戦いの前には音楽が好きで演奏して、ってプロみたいな人達なんだろう。演奏も最高で楽しくて、素晴らしいステージだった~!

 

 そして一人ステージに残ったロ・ギスが、銃をとりに行こうとしたとき、お兄ちゃんがきて、弟を守ろうとするんだよねー。殺しをやるのは自分の役割、って感じで。

 銃撃戦の阿鼻叫喚、そしてジャクソンが止めるのにもかまわず、スウィング・キッズだちは撃ち殺される。一人、ロ・ギスは、あの、かつてダンス対決した、かつて殺すふりで見逃した米兵に、殺される、寸前で、足を撃たれる。

 足を。タップダンスのリズムを刻む足を。それはほとんど殺されたようなもの。

 

 それでも、それでも、生きてさえいれば。と思えるのかどうか、本当にわからなくて、呆然として、泣いた。

 映画のラストは、現代。かつての収容所は記念碑的場所として、観光ツアーに組み込まれている。そこにきた、老人。最初、足元と杖しか映らなくて、もしかしてロ・ギス? と思っちゃったけど、ジャクソンさんだね……。思い出の場所。ステージの床。そこに手を差し伸べて、回想。ジャクソンにチームに入るかどうか勝負したロ・ゴスとのダンス対決。二人で、二人だからこその、最高のダンス。タップのリズム。勢い。強さ。それは命だった。のぞき見した子どもも夢中になっちゃう。

 エンドロールには、スウィング・キッズたちが、練習重ねてるような、日々のスナップ写真。重い、辛い、必死の日々の中、それでもだからこそ、ダンス凄い! 楽しい! って夢中になっちゃったんだろうなあって。

 劇場が明るくなっても呆然とした気持ちだった。マスクが涙でびしょぬれだった。

 

 これは別にドキュメンタリーとか実話ベースとかいうのではない、エンタメ映画だと思う。もしかしてありえたかもしれない夢物語。ダンスいっぱいで楽しくて、かっこよくって音楽最高で。ごまかさない映画だった。苦しさも。悲劇も。楽しさも優しさも。強さも。愛と平和。どの登場人物もすっごく魅力的だった。誰もが、生きてた。ちびっこも。兵士も。裏切り者さえも。みんな人生を持ってた。

 タップダンス、すっごいね。かっこいいね。最高のきらめきを見ました。

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