『アンヌのいた部屋』 (小林久美子/北冬舎)
『アンヌのいた部屋』 (小林久美子/北冬舎)
第三歌集だそうです。シンプルでちょっと細身な活字のタイトルがすごく似合ってると思うきれいな装丁。
2019年9月刊。これは大事にちゃんと読まなくちゃと思って、落ち着いたらじっくりとと思ってたら年を越してしまったのでした。でも落ち着いて読みたかったのです。きれいだから。
まず驚いたのが、一首が四行、時に三行の分かち書きになっていること。小林さんのお歌、好きで未来で拝読もしているのだけど、破調というか、そうでもないか、ええと、と、一首読むときに独特のリズムに作っている感じが、うーん読みづらいとも思ったりしていたのだけれど、こうして一行ではなく書かれていると、あ、こう読むんだ、と思ってすっごく腑に落ちました。
短歌の定型のリズムはある。でもなお独特のリズムがある。そして何より本当に詩だなあと感じられたのでした。いや私、詩歌のわからない人間なのでわからないけど。わからない私なりにも、あー、って腑に落ちた気持ちになりました。面白い。
好きな歌気になる歌に付箋をつけていたら凄い数になり、ちょっとまて自分、ととめながら読みました。大仰な感じはなくて、純度の高さが詩としてとても完成されているよう。短く並ぶことば、少しざらつくページの紙の余白の広がりまで完成された絵のような一冊です。
絵を描く、見る、という世界でもあって、私が思い浮かべたのはフェルメールの頃のオランダの感じとか、つい先日見たハマスホイ展での絵画とかでした。絵は全然詳しくなくて私の中でイメージが足りてなくて単純すぎるかな。申し訳ない。日常の中の小さな絵、窓からの光と部屋の影という絵を思ったのでした。裸婦がいても、それは豪奢なカウチに横たわるというものじゃなくて、そっけなく体をさらしているような感じなのかなあと思う。ここまではいいよ、という、距離のある親密さみたいなこと。
何度も出てくる「汝」。誰だか私にはわからない。タイトルにある「アンヌ」なのだろうか。わからないけれどそうだったら素敵だな。そうでもなくて、たんに側にいる人のことを、君だとかあなたではなく汝というのかなあ。まあ、歌ごとに違うのでしょうけれども。わからなくて気になる「汝」でした。
いくつか、好きな歌。というかどの歌もすごく素敵で私の感想とか全然無理だけどなんとか、感想。
うつくしい書簡をまえに
試される ひとへ
愛を返すということ (p14)
「うつくしい書簡」がはらむ緊張感を思う。それが愛だとはっきりしているのもぞくぞくきます。「試される」と感じること。愛をうけとって愛を返すんだな。こわい。
なぐさめを与え得た
像だとわかる 白い
一片でしかないのに (p28)
これは大理石かなんかの塑像、の、一片、かと思う。古いものの欠片なのか、目の前で壊れた、壊した欠片なのか。欠片の一つだけれども、それは「なぐさめを与え得た」ものという、失われた全体を凝縮している感じ。安らぎも喪失感も両方感じる広がりがすきです。
あみ上げを
試しに履くつかの間
おもうまま編む
めぐりたい村の名 (p32)
編み上げのロングブーツかな。試してみて、紐をしめていって、その間に、ふーっとこころが遊ぶ感じ。「めぐりたい村の名」って出てくるのすごく素敵。ほんのり浮き立つ気分が伝わってくる。
画く者の羞しさを
蒐めるという
裸婦は私的なものを
さしだし (p34 ルビ・羞やさ 蒐あつ)
モデルである裸婦はそういうものを蒐めているのか、と、ひんやりした感触の歌。画家とモデルって、私は全然縁のない世界で物凄く憧れるというかドラマチックに想像する関係性なんだけど、こういう歌を読むとますますドラマチックに妄想して憧れが募りました。わかんないけど。すごく。お互いにさしだして奪って与えてる感じ、すごい素敵でもえた。
話すことなくなればまた
ひそやかに
そのくちびると膝はふれあう (p36)
これは、一人の人が、自分の膝を抱えて座ってる感じ、と読むべきかなあ。けど、えろい妄想しがちな私としては、二人いて、二人いる場面だと思う、話したり触れたりしていると思いたい。すごくきれいな色気が漂うと思う。すき。このあたり画家と裸婦モデルがいる一連と思って読んでいいのかなあ。わからないけど。
汝の意思はことばではなく
身体に翻訳
されていくときがある (p38)
言葉という抽象が「汝」の身体になるっていう関係、そんな「汝」って、何がどうとは具体的にはわからないけれどもものすごく素晴らしい。この次の歌では粘土を触ってるから、やはり芸術家というか、言葉じゃなくてかたちをつくりだすことができる人、なのだろう。すごくいいな。
木の実の美味しさを空に
空のしずけさを木に
語りやまない鳥 (p53)
おしゃべりな鳥。かわいい。とても可愛い一首。
とり落としたインクが
黒い糸になる
言葉を線で
画こうとして (p65)
万年筆か。つけペンか。インクで線を引いて文字を書いていくのは、普通のことのはず。だけど、線が言葉になることの方が不思議、というめまいがおきる。線は絵になるのでは。インクの黒い糸、線がすうっと伸びていくのが見えるような気がして好きです。
まえに読んだ日も
この語にとまり
辞書をひいたはず
載っていないのに (p66)
古書店かなにかで、古い絵葉書を買った、のかな、という一連の中。フランス語なのかしら。となんとなく思う。その語は何なのか、宗教的な特殊な言葉なのか親しい人同士の何かの言葉なのか、スペルミスだったりする? わからない言葉、気になる言葉、それに魅了される感覚、わかる気がする。
たち止まる人のない絵に
深まる白 それを
汚す眼からのがれて (p76)
人が見ていない絵、は、よりうつくしいという捉え方が印象的です。絵、見られると汚されるのか。人間の眼は、不純。自分で思ったことのない感覚で、うっわ凄い、と、やられました。至高なる絵よ……。見ようとしてしまってごめんなさい……。
ひっそりとした部屋になる
一台の
火のないストーブを
置くだけで (p97)
これはまさに絵の世界だと思う。火のないストーブが置かれることで完成した部屋の静か。
まだ
唇に結ばれているのか
あの日放った
またね の言葉は (p112)
果たされていない、「またね」の言葉。約束ともいえない約束のことを思う、思い出す感じがすごく好きです。
沖を見ていると
しきりに判りたがる
ここにいない
汝のきもちを (p138)
「判りたがる」と、自分の気持ちであろうはずの、わかりたい気持ちを他人事みたいに描写してるのが不思議で、「汝」を思う気持ちってそういう距離のあることなのかと、切なくなる。沖をみている。強い風が吹いているような気がします。
しらない土地へくるたび
錯覚する 帰れば
汝が存在すると (p148)
もういない「汝」とわかっているのに、何度も錯覚する。とても切なくて苦しいけれど静か。次の歌では「汝」はひかりと歌われていて。たいせつなひとを思うはかなさがうつくしい。
帯も解説もあとがきもなくて、ただ差し出された一冊で、凄い感じを受け取ったけれどとても私が読めたとはいえない一冊でした。歌集、凄い、というのはものすごくわかる。ありがとうございました。
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