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『アンヌのいた部屋』 (小林久美子/北冬舎)

 

『アンヌのいた部屋』 (小林久美子/北冬舎)

 

 

 第三歌集だそうです。シンプルでちょっと細身な活字のタイトルがすごく似合ってると思うきれいな装丁。

 20199月刊。これは大事にちゃんと読まなくちゃと思って、落ち着いたらじっくりとと思ってたら年を越してしまったのでした。でも落ち着いて読みたかったのです。きれいだから。

 

 まず驚いたのが、一首が四行、時に三行の分かち書きになっていること。小林さんのお歌、好きで未来で拝読もしているのだけど、破調というか、そうでもないか、ええと、と、一首読むときに独特のリズムに作っている感じが、うーん読みづらいとも思ったりしていたのだけれど、こうして一行ではなく書かれていると、あ、こう読むんだ、と思ってすっごく腑に落ちました。

 短歌の定型のリズムはある。でもなお独特のリズムがある。そして何より本当に詩だなあと感じられたのでした。いや私、詩歌のわからない人間なのでわからないけど。わからない私なりにも、あー、って腑に落ちた気持ちになりました。面白い。

 

 好きな歌気になる歌に付箋をつけていたら凄い数になり、ちょっとまて自分、ととめながら読みました。大仰な感じはなくて、純度の高さが詩としてとても完成されているよう。短く並ぶことば、少しざらつくページの紙の余白の広がりまで完成された絵のような一冊です。

 絵を描く、見る、という世界でもあって、私が思い浮かべたのはフェルメールの頃のオランダの感じとか、つい先日見たハマスホイ展での絵画とかでした。絵は全然詳しくなくて私の中でイメージが足りてなくて単純すぎるかな。申し訳ない。日常の中の小さな絵、窓からの光と部屋の影という絵を思ったのでした。裸婦がいても、それは豪奢なカウチに横たわるというものじゃなくて、そっけなく体をさらしているような感じなのかなあと思う。ここまではいいよ、という、距離のある親密さみたいなこと。

 

 何度も出てくる「汝」。誰だか私にはわからない。タイトルにある「アンヌ」なのだろうか。わからないけれどそうだったら素敵だな。そうでもなくて、たんに側にいる人のことを、君だとかあなたではなく汝というのかなあ。まあ、歌ごとに違うのでしょうけれども。わからなくて気になる「汝」でした。

 

 いくつか、好きな歌。というかどの歌もすごく素敵で私の感想とか全然無理だけどなんとか、感想。

 

  うつくしい書簡をまえに

  試される ひとへ

  愛を返すということ      (p14

 

 「うつくしい書簡」がはらむ緊張感を思う。それが愛だとはっきりしているのもぞくぞくきます。「試される」と感じること。愛をうけとって愛を返すんだな。こわい。

 

  なぐさめを与え得た

  像だとわかる 白い

  一片でしかないのに     (p28

 

 これは大理石かなんかの塑像、の、一片、かと思う。古いものの欠片なのか、目の前で壊れた、壊した欠片なのか。欠片の一つだけれども、それは「なぐさめを与え得た」ものという、失われた全体を凝縮している感じ。安らぎも喪失感も両方感じる広がりがすきです。

 

  あみ上げを

  試しに履くつかの間

  おもうまま編む

  めぐりたい村の名      (p32

 

 編み上げのロングブーツかな。試してみて、紐をしめていって、その間に、ふーっとこころが遊ぶ感じ。「めぐりたい村の名」って出てくるのすごく素敵。ほんのり浮き立つ気分が伝わってくる。

 

  画く者の羞しさを

  蒐めるという

  裸婦は私的なものを

  さしだし         (p34 ルビ・羞やさ 蒐あつ)

 

 モデルである裸婦はそういうものを蒐めているのか、と、ひんやりした感触の歌。画家とモデルって、私は全然縁のない世界で物凄く憧れるというかドラマチックに想像する関係性なんだけど、こういう歌を読むとますますドラマチックに妄想して憧れが募りました。わかんないけど。すごく。お互いにさしだして奪って与えてる感じ、すごい素敵でもえた。

 

  話すことなくなればまた

  ひそやかに

  そのくちびると膝はふれあう  (p36

 

 これは、一人の人が、自分の膝を抱えて座ってる感じ、と読むべきかなあ。けど、えろい妄想しがちな私としては、二人いて、二人いる場面だと思う、話したり触れたりしていると思いたい。すごくきれいな色気が漂うと思う。すき。このあたり画家と裸婦モデルがいる一連と思って読んでいいのかなあ。わからないけど。

 

  汝の意思はことばではなく

  身体に翻訳

  されていくときがある     (p38

 

 言葉という抽象が「汝」の身体になるっていう関係、そんな「汝」って、何がどうとは具体的にはわからないけれどもものすごく素晴らしい。この次の歌では粘土を触ってるから、やはり芸術家というか、言葉じゃなくてかたちをつくりだすことができる人、なのだろう。すごくいいな。

 

  木の実の美味しさを空に

  空のしずけさを木に

  語りやまない鳥       (p53

 

 おしゃべりな鳥。かわいい。とても可愛い一首。

 

  とり落としたインクが

  黒い糸になる

  言葉を線で

  画こうとして      (p65

 

 万年筆か。つけペンか。インクで線を引いて文字を書いていくのは、普通のことのはず。だけど、線が言葉になることの方が不思議、というめまいがおきる。線は絵になるのでは。インクの黒い糸、線がすうっと伸びていくのが見えるような気がして好きです。

 

  まえに読んだ日も

  この語にとまり

  辞書をひいたはず

  載っていないのに     (p66

 

 古書店かなにかで、古い絵葉書を買った、のかな、という一連の中。フランス語なのかしら。となんとなく思う。その語は何なのか、宗教的な特殊な言葉なのか親しい人同士の何かの言葉なのか、スペルミスだったりする? わからない言葉、気になる言葉、それに魅了される感覚、わかる気がする。

 

  たち止まる人のない絵に

  深まる白 それを

  汚す眼からのがれて     (p76

 

 人が見ていない絵、は、よりうつくしいという捉え方が印象的です。絵、見られると汚されるのか。人間の眼は、不純。自分で思ったことのない感覚で、うっわ凄い、と、やられました。至高なる絵よ……。見ようとしてしまってごめんなさい……。

 

  ひっそりとした部屋になる

  一台の

  火のないストーブを

  置くだけで         (p97

 

 これはまさに絵の世界だと思う。火のないストーブが置かれることで完成した部屋の静か。

 

  まだ

  唇に結ばれているのか

  あの日放った

  またね の言葉は      (p112

 

 果たされていない、「またね」の言葉。約束ともいえない約束のことを思う、思い出す感じがすごく好きです。

 

  沖を見ていると

  しきりに判りたがる

  ここにいない

  汝のきもちを       (p138

 

 「判りたがる」と、自分の気持ちであろうはずの、わかりたい気持ちを他人事みたいに描写してるのが不思議で、「汝」を思う気持ちってそういう距離のあることなのかと、切なくなる。沖をみている。強い風が吹いているような気がします。

 

  しらない土地へくるたび

  錯覚する 帰れば

  汝が存在すると       (p148

 

 もういない「汝」とわかっているのに、何度も錯覚する。とても切なくて苦しいけれど静か。次の歌では「汝」はひかりと歌われていて。たいせつなひとを思うはかなさがうつくしい。

 

 帯も解説もあとがきもなくて、ただ差し出された一冊で、凄い感じを受け取ったけれどとても私が読めたとはいえない一冊でした。歌集、凄い、というのはものすごくわかる。ありがとうございました。

 

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映画 「ミッドサマー」

*ネタバレします。

 

 

映画 「ミッドサマー」

 

 

 ダニーは妹からの気になるメールが不安で両親に電話してみる。大学生の彼女は家から離れて暮らしている。妹も両親とも連絡がつかず、恋人のクリスチャンに電話して会いたいと伝えた。彼に依存しすぎてる、よくないって自分でも思いながら。

 妹たちは、自殺していた知らせが入る。家族を亡くして悲痛な叫びをあげるダニー。

 

 夏休み、ダニーはクリスチャンと友人たちがスウェーデン旅行を計画していることを知った。なんで教えてくれないの?とクリスチャンを問いただすダニー。しかしまともに話し合うことは出来なくて。

 ともあれ、スウェーデンへの旅ははじまった。ペレという友人の故郷の村で、夏至祭、ことに90年に一度の大祭が始まる。文化人類学の論文を書こうとしているジョシュ。クリスティンもまた同じテーマで書こうとしていた。(ダニーは心理学専攻)

 

 人里離れた小さな共同体はカルト的な雰囲気。近くに到着するなり葉っぱやお茶でトリップして一服。人々は白い服、花飾りを身に着けている。村独特の祭りのやり方に戸惑いながら、ダニーたちは彼らと行動を共にする。

 

 そんなこんなで、白夜の閉ざされた村。広々とした広場に緑はうつくしく色鮮やかな花飾りにあふれ、共同生活をする建物には稚拙な、だが迫力ある絵が描かれている。村人は歌い、微笑み、ダニーたちを歓迎するといってくれる。ここではみんなが、家族だと。

 

 なんだかツイッターの私のTLでは始まる随分前から大人気って感じで、なんだかすごい、すごいすごい、みたいな期待を煽られていた。アリ・アスター監督、前作の「ヘディレタリー 継承」もなんか凄いと評判だったなあと、この前見ておいた。衝撃はあった~。けど、ホラー、っていうか、ホラー? ホラーって、何だろう。と、よくわからなくなる感じ。

 今作も、監督来日したりして、いろいろ宣伝で、ホラーというより恋愛映画だよ、みたいな発言をちらっとは見ていた。そしてファン(?)たちは、監督はそういうけど信じないぞ、みたいな感じだったと思う。やっぱホラー? けど、これ、ホラーって感じはあんまりしなかった。やはり衝撃シーンはあったけれども、あんまり怖いっってわけでもなかったかなあ。なんかもっと怖くなるのかなとドキドキしちゃったけど、あれっ、終わっちゃった、って感じ。

 ホラーって、何だろうというのが私がホラー苦手、と自分で思い込んでいるので、避けてきたからよくわかんないんだろうな。けど私が苦手なのって、やっぱり日本のホラー、心霊系って感じかなあと思った。グロテスクな死体とか内臓出ちゃうとかはわりと大丈夫。痛そうなのは痛そうでツライけど、怯えるってことではないかなあ。

 それに、「ハンニバル」大好きなので。今作で出てきた遺体の装飾っぷり、あのくらいだったら全然大丈夫、ハンニバルのほうがもっと凄いよねえと思った。というか、ハンニバル、テレビドラマでよくあれやってたな、と、今更ながら思ったわ。

 

 ダニーが最初からとても不安定な女の子で。恋人に依存してよくないって自己分析できてもどうにもできないとか。クリスチャンも友達にはもう一年前から別れたいとかこぼしてたらしいとか、家族を亡くしたダニーなのに、恋人関係も不安定で。クリスチャンもでもまあ学生くんで、若いもんなー。ダニーが重荷ってなっちゃうのも仕方ない気はする。

 ダニーが、彼に嫌われたくなくて、なんとか彼らの空気よもうとして、気の進まないトリップとかもやるとか、機嫌損ねたくなくて自分を押し殺すみたいなのとか、あーいたたまれない気持ち~というのもすごくわかる。

 

 監督は、みんながざわざわした気持ちになってくれるといいなとか言ってたけど、ほんと、恐怖というより、どうしていいのかわからない気持ちになる。

 家族を亡くし、恋人は誕生日を忘れちゃうような不実。ペレは、そこにつけこんで、いやまあつけこんでっていうか、彼はちゃんときみを守ってくれるの? とか、親身になって、僕も孤児だった、ここはみんなが家族なんだ、と、ダニーに優しく近づく。

 この村は、素晴らしい所なのでは? という気持ちになってくる。みんなが助け合って生きてる。誰の子であってもみんなが育てる。みんなが一緒になって歌い、祈り、食事をして眠って家族になって暮らす。

 

 72歳になったら、儀式として飛び降りて自殺するサイクル、っていう文化なんだよ……。夏至祭の時の決まりかな。これは毎年、というか72歳になる老人がいたらその年にやる儀式ってことなのかなあ。90年に一度の大祭っていうのは、生贄捧げるってことかな。

 けど、もだもだと年老いていくよりすっぱり72歳で死んで命を渡す、みたいな宗教、宗教かなあ、信念、生活は、なんか、いいような気がする……。自分で飛び降りするのはこわそうだけど。お茶か麻薬で麻痺しちゃったりするのかなあ。そういうものだと信じて生きていけてれば大丈夫なのかなあ。

 

 彼らは外に出ていく時期もあるわけだけど、外に出て洗脳がとけるっていうかこの村に疑問を持って出て行ったっきりになったりしないのだろうか。やっぱここがいいわーってなるのかなあ。出ていくほどには、また外から引き入れてバランスとれるんだろうか。

 

 外の血を時々入れる、みたいに行ってたから、なんかこう、夢物語的にセックスだけとって殺すとかもあるのかなあ。まあいちいちは殺さないのかな。90年に一度の時じゃなければ。

 ダニーは女王になって、そして多分あの村でペレと仲良く暮らしていく、めでたしめでたし、という感じかなあ。外にもう彼女を引き戻すものはないもの。彼女が生きやすいのはあの村の中だろうなって。よかったねしあわせになれるよきっと。と思ってしまうのは、見てて私も一緒に狂ってしまってるのかなあ。なんか、あの思想に馴染める気がしてしまった。

 いや、けど、あんな共同体、みんなと一緒って耐え難いよな……。

 

 セックスもさー。あんなみんなに見守られて声かけて促されてやって、クリスチャンよくやれたなあ。あれもなんかドラッグ作用とかなのか。裸で走り回って逃げ回るクリスチャン。俳優さんもタイヘンだ。笑っちゃった。

 

 あの村の世界が、ヘンで狂ってると思うけど、なんかいいんじゃないこれはこれで。という気持ちになってしまう。死体を飾り立てるのも見てて私は平気だったし。というかてっきりあのパイの具としてみんなで食べてたのかなあと思ってた。食べてたのかもしれないけど、あからさまなその示唆はなかった気がする。あくまで生贄かなあ。

 

 ダニーはあの村で、あのみんなと家族になれることで、やっと一緒に泣いて寄り添って支えてくれる人を得る。クリスチャンなんかいらない、という選択、するねえ。と、納得してしまった。

 花に埋もれた白夜の祝祭。悪夢のような。けれど救いのような。結構ほんとに若者たちの青春恋愛映画かなあ。ホラーではない気がする。ん~私がホラーのことをわからない……。カルトで、グロテスクさもいっぱいあったけど、眩しく明るくて、色鮮やかな花いっぱいで。ダニーにとっては救いだった、と、言える。

 

 よくこんな、別世界作り上げたなあ。なんだかあの村の世界はそのままでいい気がする。いい気がしてしまうのがこわいような。面白かった、でもないしー。つまんないわけでもないなあ。

 

 あ。年を取って自殺する老人の男の方、ビョルン・アンドレセンなんだって。「ベニスに死す」のあの美少年が。すてきに枯れた老人に~。そっかーと思って眺めてしまった。永遠の美少年がフィルムに生きているのもいいし、年をとるってのもいいな。いいものを見た気分。いい映画、かもしれない。

 なんにせよ、当分きれいなお花、白い服、花冠なんかを見るたびに、ミッドサマー……と心の中でつぶやくことになります……。

 

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『Ange-Mensonge 天使―嘘』 (守中章子/角川書店)

 

『Ange-Mensonge 天使―嘘』 (守中章子/角川書店)

 

 

 2014年の『一花衣』に続く第二歌集。2019年10月刊。

 

 短歌というのはこんなにもうつくしいものだなあ。と、つくづく実感させてくれる歌集でした。白い表紙に細やかなきらめきをまとう本そのものも綺麗だし、一冊におさめられた歌、言葉でひろげられる世界はやわらかく美しく敬虔で、清らかなものだと思える。

 

 歌は調べだ、と、よく言われるなあと思い返した。大会や批評会で岡井さんはよくそういっていた。この歌集を読んで、一首の調べのうつくしさ、言葉のひびきあいを味わって、歌っていいなあと憧れをまた深くしました。

 

 パリで学生生活をした一年半の歌があり、その期間に母を亡くすということがあったのかな。また、テロだとかの事件があった頃か、不穏な世界を肌で感じる歌もあった。

 私は異国に暮らしたことがないので、実感をわかるってことはできないと思うのだけれども、そういう歌を読んで疑似体験をした気持ちになる。遠い世界。大切なひとの喪失。ひととき漂う暮らしでありながら旅である時間。

 いろんな言葉が混ざって使ってみている感じは、どうなのかなあ。私としてはあんまりわかんないなとひいてしまうけれど、作者の実感としてはこういう感じ、という言葉遣いなのだろう。

 私が街並みを思い浮かべられるようであったら、もっと楽しめたのかもしれない。社会詠というか時事詠のところも、私がもっと世界のニュースに関心を持って記憶してればいいんだけれども。よい読者にはなれなかった。

 

 いくつか、好きな歌。

 

  しづもれる枝より落つるひかりはも会はざるままに迎ふる転生 (p12

 

 冬晴れの日かなあ。むき出しの枝にあたる淡いひかり。それを見ながら「転生」という言葉にとぶ。これは、輪廻転生というか、前世の約束があって会いましょう、という人がいた、という風に読みました。けれど、会ってない。そして今生を儚く思い、転生の約束を思い、という風な時と命のようなものを思いました。私は相聞のようにとったけれども、何か、親子だとかいろいろ、「会はざるまま」の相手とは、と、想像が広がります。綺麗で切なくて素敵な歌。うっとりです。

 

 

  姿なきものを主にてこれいじやう従ふべしや春泥に立ち (ルビ:主-ぬし)(p18

 

 「姿なきもの」とは何か、茫としてわからないんだけれども、私は、神とか運命、という感じかなと思った。妖怪のようなもの、かも。「春泥」という語が強くて、そこにひかれてしまう。主とする姿なきものに従いながら、これ以上は、という苦悩がある。従うのをやめる、とも続けるとも心をきめられず、立ち尽くしている感じが好きです。足元を汚す春泥。春泥っていいなあ。

 

 

  聖なるかなわれらの口に運ばるる屠りの儀式なき赤き肉 (p47

 

 日々の食卓にのぼる肉は、「屠りの儀式」をされることもなく淡々と生き物から肉塊に変えられたものだよな、と、改めて思えた一首。それを「聖なるかな」と讃えているのが印象的だった。いただきますの気持ちを新たにしようと思う。

 あとまったくもって個人的な好みの問題なんですが、私は「ハンニバル」が大好きで、レクター博士の華麗な料理を連想してしまって、この歌本来の読みではないですよねごめんなさいと思いつつ、あの料理、食事する絢爛たるシーンにもこの歌は似合う、と、思って大好き。

 

 

  声たてて笑ひし夢のさめぎはに死はまたたけりとほき火のごと (p148

 

  鳴きて朝を告げくる鳥ようつうつと此の世の白湯をくちにふふめば (p148

 

 声をたてて笑うような夢だったのに、そのさめ際には死の感触がある。鳥の鳴き声の朝、ぼんやりとしたまま白湯を飲む。その熱さあたたかさ潤いは「此の世」のものだということ。死の夢と目覚めきっていないあわいがしっくり伝わってくる歌だった。

 

 

  されど雨は降りやまざりき言の葉を送りしのちの長き夏の日 (p168

 

 「されど」といういきなりの始まり方が好き。長雨だったのかな。やみそうで、けれどやまなくて。手紙を出した、ということかと思う。なんでもない情景でなんでもない歌のようなんだけれども、なんでもない感じがなんともいえずとても良いと感じられました。

 

 

  われはいま危ふいばしよに膝をつきさいごの種を蒔かうとしてゐる (p184

 

 危うい場所とか最後の種とか膝をついて種まきをしようとしているとか具体的なようでいて、全体が喩である歌なんだろうなと思って正直よくわからない感じなんだけれども、そのあやうさが確かに伝わってくるような気がして目がとまった歌。なんの種なのか。それはちゃんと芽吹いて育ってゆくだろうか。自分のいる危うい場所から、ちゃんと安全な場所にうつれるのだろうか。世界が崩壊しそうな中で生きているという感じを思わせて、ささやかな行為のようでありながら壮大さを含む一首だと思う。

 

 きれいな歌集をありがとうございました。

 

 

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映画「スキャンダル」

*ネタバレします。

 

 

映画「スキャンダル」

 

 

 2016年、アメリカ、FOXのニュースキャスターがボスをセクハラで訴えた。この実際のニュースは記憶にある。けど、実際FOXがどんななのかとか、ニュースキャスター、アンカー?とか、アメリカでのメディアの世界がどうなのかとか、私は知らない。知らない、わからないなりにも、ニュースの世界、テレビ局の中でのゾクゾクくるぶつかりあいを見ちゃって、うっわー、いいのかしらこれ、って気分になってすごく面白かった。

 

 最初は、メーガン、女性キャスター、アンカー? 看板番組のトップって感じか。彼女が大統領選前のトランプと討論番組でやりあって、トランプがツイッターでなんだかんだ書き込みまくって、メーガンの生活が脅かされる、ということが描かれる。彼女をまともに守ってくれる人はいない。

 

 グレッチェンはロジャーの誘いを断ったせいでもともと視聴率のとれない昼の時間帯へ実質降格させられ、さらについにはクビにされた。

 

 若く野心溢れるケイラはロジャーに会える機会をつかみ、なんとか彼にひきたててもらおうとする。女性キャスターの脚をうつしてみせることで視聴者の目をひいた実績のあるロジャーは、まず女を立たせ、回って見せろという。そしてケイラはもっとスカートをあげろ、と求められるままに、下着までも見せてしまう。次の時には、もっと。

 

 実話ベースとはいえ、映画、面白くいきおいよく見せるエンタメ作品になってて凄い。女性が声を上げることの困難の根深さ、パワーを持つものが、当然の権利のようにセクハラ行為をすることが描かれている。遠まわしな、あからさまな、セクシャルな要求を、女性は時に冗談のように、まるで自分が悪かったかのように、ごまかし、愛想笑いをし、なんとか交わしてうまくあしらおうとする。それなのに、相手はさらにきわどく迫ったり、機嫌を損ねたりする。不当な要求をしたなんて思ってもみない、パワーを持つ者たち。

 

 ああいう、ごまかしとか、うまくかわすことも女の仕事、みたいに思い込むこととか、そういうの物凄く誰もが思い当たることだと思う。ああいうトップクラスな世界ばかりでなく、社会に溢れた大なり小なりのあれこれ。

 そういうの、ほんっともううんざりだ、という、Me Too 運動のはしり。そして証拠を固めて訴えて、グレッチェンは勝利する。ただし、それ以上何も言わないという契約にサインをして。

 

 若いケイラが、セクハラを受けたことを誰にも言わず、言えず、友達と思っててもだれも助けられず、何が行われるかうすうす察していながら、見過ごしてきたそれまでの女性たち。その、罪も、辛さも、深い。彼女を助けられたのか。彼女がもっと慎重にもっとうまくふるまうべきだったのか。自分を責めて自分が不潔だと感じて、どうしていいのか誰に話していいのか何も分からなくなった時に、訴訟騒ぎが起きて、やっと、ケイラは泣く。誰かに、そうするのが一番よって言って欲しかった、って。

 悪いのはセクハラをした方なのに、被害者が自分を責めるように仕向けてきた社会。そういうのは間違いで、そういうのはもうやめてくれという訴え。

 仕事で認められたい、出世したい、そのためにいる場で、セックスを使えと強要される酷い侮辱。辛い。

 

 シャーリーズ・セロンがメーガン。最初誰だかよくわからなかった。これ本人にそっくりってことなのかな。アメリカのテレビを普段見てる観客だったらもっとよかったのかなあ。それでもわからないなりにも、トップキャスターってなんかすっごいな! というのはガンガン伝わってきた。自分の番組持つ、自分のスタッフを持つって感じなんだね。クールでタフで、当然スマート。まさにトップ。自分たちはエスタブリッシュメントの側なんだよ、っての、ほんとすごいそれなーって感じ。グレッチェンの訴えに賛同すると、ここまで築き上げたキャリアを捨てることになるかもしれないというプレッシャーははかり知れない。でも声をあげたんだなあ。

 

 グレッチェンを演じていたのはニコール・キッドマン。見苦しい中年女め、なんて言われる役をすっぴん見せて演じるのね~。ニコール・キッドマンが~~~~。彼女が必ずしもヒーローって祭り上げられる描き方でもなくて、なんか視聴者から嫌われたりしてたりなのも、面白かった。自分の意見を持つ生意気な女は嫌われる、ってか。

 

 若きケイラはマーゴット・ロビー。今すごい売れっ子だなあ。今回の役は野心溢れる、けれど弱いところのある、普通の女の子って感じ。ロジャーの部屋に呼ばれて、緊張してたり、懸命にアピールしたし、精一杯愛想よくしたり、けれどセクハラでぎこちなく、落ち着かなく、表情が固まっていく感じとても辛かった。

 

 女優三人、それぞれにすっごくうまくて素敵でかっこよくて、そういう面でもすっごく見応えありあり。エンタメしてるなあ。まだ割と最近って記憶にあるニュースがこういう映画になるんだなあ。すごいテンポよくて、シリアスでかつエンタメで、面白かった。

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『シトロン坂を登ったら』 (白鷺あおい/創元推理文庫)

*ネタバレします。

 

『シトロン坂を登ったら』 (白鷺あおい/創元推理文庫)

 

 大正浪漫横濱魔女学校Ⅰ

 

 横濱女子仏語塾の三年生、花見堂小春ちゃんが語り手。時は大正、海老茶の袴姿の乙女たちが学ぶ塾は語学のみならず、女学校の教養一般、薬草学や特別なダンスの授業もある。ダンス、とは箒にまたがって空を飛ぶこと。魔女の卵が学ぶ学校なのだ。

 

 てことで、これは『ぬばたまおろち、しらたまおろち』のディアーヌ学院の、始まりの頃のお話ってことですね。主な舞台となるのが魔女として学んでいる妖魅や人間たちの学園というのは共通しているものの、時代も人物もお話も違うわけで、新シリーズ、三部作の予定とのこと。

 

 最初は、楽し気な学園生活。で、小春ちゃんは抜け首、という妖魅で、ひょいっと頭だけ飛んだりするのね~。普通に学生さんの日常を読んでるつもりが、お、ってなるのがすごい楽しい。前のシリーズ読んでるから舞台設定わかってるつもりなんだけど、やっぱまた新鮮にちょっとびっくりして、面白い。

 

 舞台が横濱、元町とか坂を登ってとか、想像するに港の見える丘公園のあたり? もっと山手ってことかなあ。勿論ファンタジィなんだから明確にどこってことではないのだろうけれども、なんとなーく、あの辺の感じなのかなあと思いながら読みました。まあ私もお散歩程度にしか知らないのでわからないんだけど。

 

 坂があって、大きなお屋敷があって、お庭は南国風、大きな温室もあるとか。そこに越してきた奥様は塾ともつきあいがあって、お招きされていくと素敵な絵のコレクションがあり。車椅子のちょっと偉そうな少年、千秋くんがいたり。いいね~。

 南米、南国の密林の緑濃い絵の中には動物の姿があって、その絵は、動く、とか。

 これは、ルソーの絵を私は思い浮かべながら読みました。

 絵が、動く?

 

 それとなんだか胡散臭いうわさ話として、虎だか豹だかに襲われたとかそいつは言葉を喋る、とか。妖魅なのか?

 その噂話をおっかけるのがゴシップ新聞の記者、小春ちゃんより年上の甥っこである修太朗さん。

 この、豹の妖魅がいるのかどうか、いた、んたけれどもその正体は?

 小春たちはある時、動く絵の中に引きずり込まれて、その世界で魔女呼ばわりで追い詰められたり。魔女呼ばわり、というか、魔女であり妖魅なのでそうなんだけど。といって火あぶりにされかけるなんてひどい、たいへん。

 「グリーンマンション」『緑の館』という小説、映画? の引用があるようで、けど私はそれ知らなかったな。実際ある小説なんだ。いつか読むかなあ。

 

 乙女たちの学園の日々にミステリ風味から冒険小説的と、今作でももりもり盛沢山の要素で面白い。キャラクターたちみんな強くて素敵。基本がポジティブ思考っていうかなー。凄く大変なことが起きるけど、へこたれそうだけどともあれなんとか! って頑張るの、すごくいい。無茶苦茶な超展開じゃなくて、あー、いやまあファンタジィなので超展開だけど、でも、彼女たちの学びや思考がしっかり描かれているので、ドキドキハラハラしながら展開にしっかりついていけるんだよね。窮地からの脱出も、あーなるほど、こうきたかーって思う。うまい。

 

 三部作とのことで、今度は千秋くんが自分のルーツをたどる、みたいなことになるのかな? どうなっていくんだろう。舞台は横濱ってだけじゃなくて、南米まで広がるのかしら。壮大だなあ。楽しみ~!

 

 

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『影裏』 (沼田真佑/文藝春秋)

*ネタバレ

 

 

『影裏』 (沼田真佑/文藝春秋)

 

 「わたし」、今野は釣りを趣味としている。友人の日浅と川にそって歩いている。大きな水楢の倒木に感銘を受けているらしい日浅。彼はこう、大きな崩壊に感じ入るところがあるたちだった。

 

 

 映画すきだったので、本はどうなんだろうと思って読んでみました。これが文学界新人でデビュー作、そして芥川賞なんだ。すごい。2017年刊行。

 本文90ページあまりの、これは、中編、て感じか。「わたし」今野君の一人称なんですね。映画でちょっとよくわかんないと思ったことがもう少し詳しく書かれてたりするかなと思ったけど、むしろ映画よりずっとシンプルでさらりとした作品だった。日浅のことは映画よりもっとわからない。というか、この原作から、あんな風に膨らみ持って映画になるのかあ。と。

 

 映画だと生身の俳優が演じてるわけで、その体温、実際二人がいることを目にした。

 本を読むと、そこにいるのは今野くんで、体温低い感じで、あんまり説明もしてくれない。でもこの文体、文章、こういうひとりな感じ、とてもよかった。うつくしい。

 

 映画だともっと明確にゲイであることとかわかりやすかったけど、本だとあまりその辺強くはない。ダイレクトに目にする映像やセリフは強いものだなと、本を読んでみて改めて思った。本くらいの低音な感じでもいいと思った。どっちも好きになれてよかった。

 

 つくづく、映画化、いいキャスティングだなあと思った。今野と日浅だけでなく、父とか。西山さんとか。原作では名前のみだった兄の登場も、いいと思う。

 

 本読んでみると、映画はあれでも語りすぎかもなあとちょっと思うけど、でもそれはそれで当然必然のような気もする。それに映画見た時にはもうちょっとくれ、とも思ったわけで、あれはあれで随分抑制きいていたんだな。けどほんと、本の、つめたい水みたいな感じ、好きだなあ。どっちも味わえて本当によかった。すきです。

 

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映画 「影裏」

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「影裏」

 

 昨日17日(月)見てきました。タイトル、えいり と読むのですね。

 

 今野は先月埼玉から盛岡に転勤してきたばかり。会社で禁煙の場所で、のんびりタバコを吸っている男に思わず注意するが男はまるでとりあってくれない。

 男は日浅。同い年じゃん、ということで仲良くなる。不意に今野の家にやってきて、酒を酌み交わす。釣りに行こうよと誘ってくれる。次第にうちとけ、親しくなっていく二人。

 だが、日浅は突然会社をやめてしまう。今野は何も知らされていなかった。

 やがてまたふらっと、今野のうちにやってくる。今は営業、葬儀や結婚資金のための互助会契約を飛込みで回っているという。また付き合いが復活して。けれどある時、どうしても今月中にもう一件契約が必要とたのまれて、今野も一口のることにする。

 それからしばらく。夜釣りに誘われたのになんだかぎくしゃくしてしまい、ふっつりと連絡もなくなった。

 そして、311日がすぎる。震災で大変な中、今野は日浅が死んだのかもしれないと聞かされる。日浅はどうなったのか。彼の捜索願を出さない家族に会いにいき、自分の知らなかった彼の姿を聞かされて、今野は戸惑った。

 

 

 芥川賞受賞の短編(?)が原作だそう。どういう話なのかよく知らずに見に行きました。知らずに見に行けてよかった。どう展開するのかドキドキしまくり。

 けれど、冒頭、狭いアパートで植木鉢にパンツひとつで水やりをする今野、綾野剛を、寝ているところ、足からなめるように体撮っていってて、しゃがんだ時のパンツ、股間のふくらみもあらわにとっていく、綺麗な朝のしどけない色気を見せつけられた時から、あーこれはゲイムービーかな? って思った。自分の直感を信じて正解。とても切ない恋と喪失の映画だった。

 

 松田龍平が演じる日浅。ふらふらしてて気負いがなくて、つかみどころがなくて、するっと人と仲良くなれる、けどするっと消えてしまう男。そういうのすっごく似合うよなあ。

 おばちゃんたちとも気安く喋って、人気者になれる。転勤してぽつんとしてた今野の初めての親友になれる。

 日浅にとっても、今野との友情はやっぱり本当だったんじゃないかなあと思う。いろいろ彼の裏の顔、裏の顔っつっても、人殺し的なものではなかったけど、わりと平然と人を裏切って金だまし取るみたいなこと、親からも絶縁されて仕方ないみたいな男。あのおばちゃんからも多分金無心してたり。なんなら不倫つーかセックスもてきとーにあの人とか会社とかあちこちでやってたりしたんだろうなあみたいな、だらしなさみたいな所。

 それでも、今野とただ喋ったり飲んだり、一緒にふらふら散歩したり、渓流釣りをしたり。その時間はホントに友達として楽しんでいた、日浅にとっても大事な時間だったんじゃないかなあ。

 今野に契約頼んだ時、すぐ行けなくて、部屋の前で今野が出てくるまでタバコ吸って待ってた感じ。あの吸い殻の時間分、日浅は迷ったんだよねえ。会社の」おばちゃんには躊躇なくいったと思うんだ。けど、今野と友達、という気持ちは本物で。契約頼むとかかっこ悪いし友情にひびいれたくないし、みたいな思いが、あったんだと。思う。

 

 今野綾野剛が、ほんとうに儚く寂しい顔をして現れてさー。もう、ほんっと、この、今野くんをカメラ通して見つめて、彼のぎこちなさとか緊張とか、日浅とだんだん距離が近づいて笑うようになっていくのを見てる時間がたまんなかった。切ない。きゅんきゅん。

 二人が仲良くなっていく、その時間を丁寧にうつしだしてる映画だったから。30歳の男子二人はこんな風に仲良くなるのかあと思う。

 そして、あー好きになっちゃうんだなあっていうのが今野の姿を見てるだけでひしひしと伝わってくる。好きになっちゃうな。好きだろう。水筒を回し飲みするとか、ザクロを一緒に食べるとか。ヤダ、間接キッスじゃん!って心の中の乙女がドキドキしちゃってんのがすっごい、すっごい見えて、観客である私もドッキドキしちゃうし。ドキドキときめき、だけじゃなくて、あ、こんな気安く接してくれるんだ、という友達の距離感の嬉しさみたいなのもすごく、わかる。

 

 二人でいつもみたいに飲んだくれた夜、夜中にむくっと目を覚ました日浅が、今野の胸元に小さな蛇がいるのを見つける。それを見つけてあんまり動じるでもなく、ぽいっと窓から捨てるんだけど。どっから入り込んだかなあ、なんてのんきな日浅と見つめあって、しばらく固まってしまってた今野は、日浅にキスしてしまう。びっくりする日浅を押し倒してしまう。けど、やめろって、と、跳ね飛ばされてしまう。「ごめん」と、言うしかない今野。

 日浅は、なかったことにするように、また寝る。

 翌朝、日浅がいない、と思ったら、窓の外にいて、また釣りに行こうみたいに誘ってきて。あーなかったことにされるんだ。

 

 この、友情を超えて好きになってしまう、今野くんはゲイなんだなって所と、嫌悪とか示すわけじゃないけども、ありえないとして友達のままでいようとする日浅。今野くんとしては、辛いのでは。辛い、けれども、友達でいられるのはよかった、なのか。うー。辛い。わからない。でもそれでなんとなく、今野くんとしては複雑さが増してしまうし、日浅はなんか今野を利用しちゃうんじゃないかとか、関係のあやうさがすごくて、引き込まれる。

 好きで。けどどうにもならなくて。

 

 今野は日浅があの日、亡くなったとは信じられなくて、信じたくなくて、かな。日浅が言ってた、お前が見てるのなんて人のほんのわずかな表面だ、人間見るなら一番暗い影を見ろ、みたいな言葉をかみしめてしまう。

 日浅は今野が好きになった男ではない部分がいっぱいあったみたい。それでも。

 

 日浅が生きているのか死んでしまったのか、わからない。けど、今野はもう追いかけないし追いかけられないし。日浅が残したただの契約書の名前を見て涙を流す。

 とても綺麗だった。あれ、どうなんだか私には明確にはわからなかったけれども、日浅と友達だった自分の時間は確かにあって、けれどそれはもうどうにもならない、という、ひとつの諦めの時だったのかなあと思う。泣ける、って、一つの浄化だと思うから。

 

 それからまた時は流れて、今野くんは、出向から本社に戻れるとか言われてた3年をすぎてるんだと思うけど、まだ盛岡にいて、釣りをしてる。仕事、同じとこなのか、やめて転職とかしたのかわからないけれども。かつてはそんな先輩の話を、自分は真似できないなあって言ってたけどさ。

 あ、そもそも転勤してきた時に、多分何か辛い別れかなんかあったんだろうなあというのもあった。昔の友達? 知り合い? もしかしてつきあってた? 相手が、トランスして、というのか、性別を女性に変えたかなんかで、一度会いにきてて。何もかも捨てるみたいに引っ越しちゃったという風な感じに話してた。

 ゲイとしてのアイデンティティに悩んで苦しんできたのかなあと思う。それを捨ててきて、けれど盛岡で日浅と出会って、やっぱり恋をしてしまうんだなあ。

 人が人を思う心は、自分でもままならない。

 そして今また、恋人ができて、多分今度は両親に会うみたいな会話があったから、一緒に暮らそうとかパートナーシップとかそういう風に進んでいこうとしてる所なのかな、と、思わせる感じで終わった。

 

 そんな中でも、日浅の幻を見てしまうけれど。今野くん。幸せになってくれ;;

 

 松田龍平と綾野剛がほんっとよくって。二人を見なくてはと思って見に行ったわけですが、二人にも大満足だし、物語として映画として、余白が多いゆったりした感じと、闇の深さとか切なさも愛しさも、全部、見に行ってよかったなあと思った。

 他のキャストもさっすが渋いうまい素敵だったし。

 盛岡の自然とかですか、ひかりも水も緑もとても綺麗だった。

 

 震災が一つ大きな出来事なんだけど、それを殊更に大仰に言うのではなく、たいへんなことがあってたいへんなんだけど、日々は続いていくという感じ。繊細な描かれ方だったと思う。東北、みたいな大きなくくりではなくて、それぞれの場所で、それぞれの人に、それぞれの出来事があること。

 

 夜釣りに行ったシーン。今野くんが、なんかたぶん浮かれてミニキャンプみたいにいろいろ買って持っていっちゃうのに、日浅は、なんもいらないっていったろ、みたいな感じでそれを小バカにするんだよ。川のそばで車とか置かせてもらってる地主さんのおじいちゃんに、こいつはダメですよ、みたいに、今野と喋る時とは違って結構訛り使って喋るのね。今野くんもイライラしちゃうし。

 こういう、あー、いやだー日浅酷い奴、って感じの見せられ方、苦しかったし、あー、こんなだったりするんだ~~~ってずるかったし。

 見せられるシーンすべてがセリフ以上に豊かで見応えあった。説明がほとんどなくて、なんとなく察するんだけど、わかんない。わかんないけど、わかんないままでいいか、って、思える。たっぷり豊かに二人の世界を見せてもらったから。

 

 原作本も読んでみようと思った。もう少しわかりやすいのかな。もっと違う感じでわかんないのかなあ。でもこの二人の姿を思いながら読むことができるんだな。楽しみ。

 

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映画 「1917 命をかけた伝令」

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「1917 命をかけた伝令」

 

 昨日18日(日)にIMAXで見てきました。

 

 1917年。第一次世界大戦中。46日。(だったかな?)休憩中だったブレイクは将軍に会うよう、呼ばれる。もう一人選んで一緒に、と言われ、近くで一緒に休んでいたスコフィールドと行く。

 電話線がすべて切断された、とのことで伝令の命を受ける。ドイツ軍が一時撤退したのを追討しようとしている部隊に、それは罠だ、攻撃をしてはいけないという命令を伝えなくてはいけない。翌朝予定の出撃までに。さもないとその部隊1600名は待ち構えるドイツ軍の餌食になるばかりだ。

 前線を超えて撤退したはずの敵地を超えて、伝令のために二人は走る。

 

 全編ワンカット! としきりに宣伝されていたけど、あくまでワンカット風、だよね。けど本当にずーーーっと、ずーーーーーーーーーーーーーーっとカメラはスコフィールドたちにそっていくので、一緒に歩くというか、一緒に進んで景色を見て、疲労や爆撃や炎を感じていく。すっごい緊張感。ぐったりするー。ただ私は映画を見ていただけで、体験ではないのだけれども、この、どうしようもない疲労感。すごい。

 

 途中、文字通り死体を踏み越えていくシーンが何度かある。ネズミが死体を食べてまるまるしてたり。ネズミのせいでドイツ軍の塹壕の罠が爆発して生き埋めになりかけたり。

 戦闘機が空中戦してるのを眺めてたら、墜落したドイツ軍機がこっちに落ちてきて。パイロットを助け出すんだけど、ちょっとした隙にブレイクが刺されてしまう。スコフィールドはすぐ敵を撃ち殺してやるけど、ブレイクは息絶えてしまった。中止命令を伝えるのは兄がいる部隊。兄を探してくれ、と言い残して。

 

 私、伝令二人がなんとか助け合い励ましあいしていくバディムービー的なものを勝手に想像してたので、こんなわりと最初の方で一人になってしまうのかとびっくりした。

 助けた敵パイロットに、ちょっと情けをかけてしまったばっかりに、死んでしまうなんて辛い……。そしてわりとその直後くらいに、味方がトラック移動してて寄ってくれて、あーこの味方がくるのがほんの少し前だったら、ブレイクは死んでなかったかも、と、ほんと、辛い。

 

 トラックでちょっと送ってくれるんだよー。けど、そこに乗ってる兵士たちと、スコとでは温度差が。スコは明日の朝までに行かなきゃ、と必死で。それを兵士たちがちょっとわかってくれたのが、ぐっとくる。

 けれどあくまで通りすがり。橋が落とされていたので、スコは一人トラックをおりて歩いて渡る。

 

 途中敵兵に撃たれてショックで階段から落ちて気を失うとかあって。夜に、目的地近くの村で隠れていた赤ちゃんと女とに出会ったりもして。親子ではないみたいだけど、そんな風に助けるしかないんだなーと。

 赤ちゃんに、ミルク、って、昼間、あの、ブレイクを亡くした農家でとったミルクを出納にいれてたのをあげたりして。

 それはむしろお腹壊したりしない?? と心配しちゃったけど。それにミルク、すぐなくなるでしょ。どうなんだろう、あの一夜をやりすごせば、彼女たちは逃げ延びていけるのかなあ。わからない。

 

 そんな風に、出会う人とはすぐに別れ、スコは進み続ける。崩壊した村。踏み越える死体。味方も敵も、通り過ぎていくしかない。目的地まで。

 

 それでも、朝になってしまって、もう間に合わないのかと思ったけど、なんとか森で部隊の最後尾に落ちあうことができた。

 森で、出発前に歌ってたよ。歌の上手いやつがいたんだね。戦地でもなんとか慰めと楽しみを見出して。みんな人間だもの……。

 

 第一波は戦闘初めていて、それでも塹壕の中、その上を、走って走って、スコは命令を伝えることができた。

 第二陣は攻撃中止。攻撃中止になって、負傷兵の手当てを始める。

 

 ブレイクの兄は生きていた。ブレイクの死を伝えて、スコはまたやっと、一休みできた。

 

 これは戦争という非日常の中のある日常の一日の物語。戦局の中の小さな出来事。その時の無駄死を最小限にとどめることができた。とはいえ、またすぐ別の命令が下る。

 一兵卒というのは、こんなにもわけのわからない中で、命令に従って行動するしかないんだなあと、本当に辛くなる。けれど、命令だから、命令があるから、進む。

 あんなの動けないよ。逃げ出したいよ。無理だよー、と、見ている私は思う。けれど、戦争中だから。戦争に行っているから。隣にいた友達が次の瞬間には死ぬかもしれない日々だから。戦う。走る。やるしかない。戦争……。

 

 豪華キャストで、出番ちょびっとのすれ違う人が素敵だったりする。みんな現場にいる兵士だー。コリン・ファースが一番偉いさんだったのかな。将軍。命令を下す。まさに、命令を「下す」って感じだった。さすが。

 

 前線のちょいやさぐれなかっこいい中尉、中尉だっけ、わかんないけど、が、アンドリュー・スコットでこれも似合ってたなあ。すてき。

 途中、トラックで助けてくれるのがマーク・ストロングで、かーっこいい~~。ああ~~あと少し早くきてくれていたら~。マーク・ストロングなら絶対助けてくれただろうに、と、泣ける。かっこいいわ。

 命令伝えに行く先の大佐、だっけ、が、ベネディクト・カンバーバッチ。相変わらずいい声。ちょっとだけ頑なで、戦闘に疲れながらも、やるしかない、って覚悟はある感じ。

 多分他にも私が気づかないキャストもいるんだろうな。渋い。豪華なちょい役だった。さすがの存在感ありで、いい。

 

 これは、監督、サム・メンデスの祖父が話してくれたことがベースだそう。サム・メンデスのおじいちゃんが第一次世界大戦いってた感じ?? サム・メンデスは55歳くらいじゃない? けどまあ、そーなのかなあ。ちょっとわかんないけど。

 そういう、戦争、国家みたいな大局ではなく、一人の物語、という感じがよかった。

 春で、自然がうつくしくて。花がさいて、丘は緑で、森は新緑があって。けれど川を流れて倒木の所に死体が水膨れになって白く、浮かんでる。たぶんそれは、リアル。

 面白かった、というにはぐったりしてしまいすぎる、辛い映画で、でも、ほんと映画館で見てよかった。良かったです。

 

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映画 「グッドライアー 偽りのゲーム」

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「グッドライアー 偽りのゲーム」

 

 12日の水曜日に見に行きました。

 イアン・マッケランと、ヘレン・ミレン、二人の名優、老人の愉快なコン・ゲーム、みたいな感じかな~と、なんとなく思っていたのです、が。

 

 冷酷な詐欺師、ロイは、マッチングアプリ(?)で、夫を亡くしたばかりらしいベティと知り合う。最初はうまくいけばちょっとした財産を巻き上げられるかも? というものだったが、ベティとの仲が深まると、彼女の資産が思っていたより莫大のようだ、と気づく。

 投資話でカモをつっていたが、今度はベティにターゲットを定め、二人の資産を合わせて共同高座とし、確実な投資をして配当で優雅に暮らそうと誘う。

 ベティの孫に多少疑われつつも、それでも話は進む。旅先で、思いがけず過去を暴かれるが、それでも、ベティとの絆は深まったと、ロイは信じた。しかし。

 

 

 イアン・マッケランがとにかくチャーミングなので、なんか老人たちの楽しい化かしあい、みたいな知的クール楽しい映画のイメージを持っていた。

 けど、暴かれる過去とは、戦争時の話。ロイもベティも、ドイツの生まれだったのね。ロイは、戦後英国情報部のために働いていて、不慮の事故で英国のエージェントが亡くなった時、入れ替わってすべての過去を捨てて、英国人として生きていた、と。

 一度は、それはその時やむにやまれぬ同情すべき苦しみの選択だった、と思わせておいて、けれどもう一段階あって、ロイはかつてベティの英語の家庭教師をしてたことがある、と。

 その時、裕福な一家、その娘たちに逆上したかのような性暴力のふるまいをしたことがあった、と。ベティは幼心にあこがれていた先生である彼に、レイプされたことがあった、と。

 そして一家を密告したロイ。ベティの一家は崩壊。多くは語られなかったものの、彼女の一家、彼女の半生は苦しみのどん底であったろう。

 ベティがロイと出会い、慎重に、でも急激に仲を深めたのは、復讐のためだったのね。

 

 前半は確かに、なんか裏がありそうな中をドキドキを探りあって進む感じが楽しかった。けど、う、思ってた以上にロイの詐欺っぷりは冷酷。騙したなーって被害者をさっくり殺したりする。

 そして、ナチス時代、まだ少年だったロイは犠牲者だった、かのように一度は見せながら、いやそもそもロイってクズじゃねーか、という方向に見せてくる。

 ポスターにあった「冷酷な詐欺師」というのは、ほんと、文字通り「冷酷」だったんだなあと思い知る。

 そしてベティも、本当はもっとしたたかでもっと強くもっと賢かった。危ない賭けをやってのける行動力。

 けどまあそんなうまくいくかなあ、というのは、まあ、映画だからいいか。

 

 最後には、自業自得的にロイへ復讐の制裁を果たし。ロイは殴られまくったあげくのショックだかなんだかで、施設で虚無みたいになってた。ただ、生きているだけ、みたいな。老いの哀れ、けど、自業自得、みたいな。

 ベティは大きなお屋敷で、子どもや孫が沢山いて、親しい友人たちもいて、という様子。孫娘たちを心配はする、不穏さをのぞかせつつ、それでも、多くの人と明るい陽光に囲まれたベティは、大丈夫なんだろう。

 

 あんまり、楽しい映画じゃなかったなー。けど、すごく、見ごたえはあった。

 イアン・マッケラン、じーさんだけどほんっとチャーミング。そしてやっぱどうしたってかっこいい。旅行前のおめかしの買い物シーンとか、ほれぼれ見惚れました。すてきだなあ。

 ロイは、でもやっぱ、時代の被害者ってところもある、という、気はする、けども。けどなー。ロイ本来の人間性がダメって感じもするよなあ。なかなか、ツライ人物像でした。

 

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「ハマスホイとデンマーク絵画」を見に行った。


 2/6(木曜日)に、上野、東京都美術館へ行ってきました。

ハマスホイとデンマーク絵画
Vilhelm Hammershoi and Danish Painting of the 19th Century
2020年1月21日(火)~3月26日(木)

 この日は晴れて青空だったものの、風がすっごく冷たくて、凍えた~。北欧を感じるにはいい気温だったのだろうか。
 私がデンマーク好き~になったのはマッツ・ミケルセンファンになったから。だけど、それからいろいろ少しずつ知れば知るほど、なんだか素敵だなあデンマーク、って思えることが沢山ある。まあもちろん良い面ばかりではないでしょうねとは思うけれども。

 今回、デンマーク絵画というのを流れをみながら集中して見ることができてとても面白かった。

 1.日常礼賛―デンマーク絵画の黄金期
 2.スケーイン派と北欧の光
 3.19世紀末のデンマーク絵画―国際化と室内画の隆盛
 4.ヴィルヘルム・ハマスホイ―首都の静寂の中で

 大体19世紀の絵画かな。ハマスホイのが、20世紀最初のもあり。ところで、ハンマースホイっていってなかったっけ? まあよくわからないしいいけど。
 で。
 最初は風景とか。風景、山がないのねえと思う。そうだデンマークは山がないんだっけねえ、と思ったり。森はある。というか、デンマーク、島国なんだっけ。そうだっけ。あー、好きとか思いつつ、地理感覚が全くないな、と、絵画の舞台を地図で示したパネルを有難く眺めました。
 平地で。空。雲。北の国なんだなあと実感させる空です。

 スケーイン派、という、漁師たちや船の絵は力強くて、そんな風に画家たちが、その地域、風景、人々の暮らしを「発見」するんだなという感じが面白かった。
 そこに人々の暮らしはもちろん当たり前にあった、あるのに、絵画として「発見」され、優れた作品が残されて、スケーインという場所が、特別な場所みたいになるのな。映画とかドキュメンタリーの舞台になってにわかに聖地になるみたいな感じ、かなあ今でいうと、なーんて思ったりした。

 北欧のフェルメール、とも呼ばれるハマスホイ、だそうで。フェルメールは17世紀か。室内の絵はやはりどうしたって連想しますねえ。
 ポスターにもなってる、黒い服の女性の後ろ姿、横に陶器があって。その実物のパンチボウルと、銀の盆が一緒に展示されてて感激。ロイヤルコペンハーゲンなのね。蓋が割れたらしく、継ぎ合わせてるんだなーとかじっくり見て満足。絵の中のものの実物があるってすごい。

 コペンハーゲンの、部屋。窓。扉。その色合いも輪郭も優しかった。歳月のまろみって感じ。がらんとした部屋の、白い扉。黒ずんだり変色したりしてる床。ただそれだけなのに、絵の中に誘われているみたいですごくひかれた。
 窓からひかりが差して、あかるさを感じるけれども、北国のひかりなんだなあと思う。どこか灰色がかって、淡い。静謐という言葉が似あう絵だよねえ。心地よく見ました。

 グッズ売り場がまた充実してて、ハマスホイ風な微妙な色合いのあれこれ、可愛くてすごく欲しいのいっぱいあったー。
 けどいくつかのポストカードと、タオルハンカチ、ドアの刺繍のやつ一つで我慢。と、やっぱおやつ~と、デンマークのクッキー、可愛い缶入りのやつと、なんかチョコケーキ、も、買ってしまった。ドアのピアス凄く欲しかったけど、まあそりゃお安くはないわけで、諦める。いいな~可愛かったなあドアのピアス。

 人混みというほど混雑はしてなくて、わりと落ち着いてゆったり見ることができてよかった。

 外に出るとやっぱりすごく冷え冷え、寒くて、けれど冬晴れの青空のもと、寒桜が咲いているのを見たりもして、いい散歩でした。けど寒いので早々に帰った。春が待ち遠しいなあ。

 

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映画 「母との約束、250通の手紙」


*ネタバレします。


映画 「母との約束、250通の手紙」

 2/5(水曜日)に見に行きました。

 小さな男の子、ロマン。母は昔ロシアで女優をしていた。今は帽子を売ってかつかつの暮らしをしている。
 寒い冬。周囲の人々から浮いた存在の一家。母は息子を溺愛し、いつかこの子はフランスの外交官になる、士官になる、作家になる、立派になると信じて育て上げた。

 二人はフランスへ移住し、ロマンは勉強して大学へ。短編小説が新聞に載って作家としての一歩を進む。けれど、その後はなかなかうまくいかず。軍に入ったものの、士官になるには、ユダヤ系で帰化して間もないということでいったん見送られる。それでも、戦いに向かい、フランスが占領された後にはイギリスへ渡って戦功をあげて、勲章を受けることができた。戦時下でも書き続けた小説が出版もされた。
 入院中のはずの母の所へ帰ったロマンはしかし、母がすでに他界していたことを知る。ずっと届いていた手紙は、母が書き残したものを、少しずつ友人が送ってくれていたのだった。
 母に、母の願いのように、晴れがましい姿である自分を見せたかったロマン。誰よりも深く愛した母と息子の世界だった。


 フランスの文豪、ロマン・ガリ。自伝的な物語なんですね。私、恥ずかしながらロマン・ガリって誰だか知らず……。
 映画紹介によると、
  「外交官や映画監督、そして「勝手にしやがれ」の女優ジーン・セバーグの夫としての顔も持ち、1980年に拳銃自殺で最期を遂げたフランスの伝説的文豪ロマン・ギャリーの自伝小説「夜明けの約束」を、シャルロット・ゲンズブールと「イヴ・サンローラン」のピエール・ニネの共演で映画化。」
 とのことで。

 ほんとーに外交官になったり、作家として名声を得ていたり、世界一の美女がよってくるわよ、とか言われてたように、女優と結婚して。映画監督もしてたのかー。マジか。無茶ぶりすぎる母の願いって思ってたけど実現したのか息子よ……。すごい。

 本当に強烈な母の愛で、重すぎるんだけど。けど、戦争の頃で、母一人で、誇り高く生きねば、ってんで、詐欺まがいの事したりしてでもって、あのくらいパワフルじゃないのやってけないってことかなあと思う。息子くんの視点側なので、ママがどれほどの事をして生き抜いたか、真実はわからないけれども。
 浮き沈み激しいなーという中で、それでも息子が一番って、凄くて。
 
 あんな期待重圧かけられて、ふつう子ども側としてはもう無理とか潰されてしまいそうな気がするけど、そこはさすがあの母の息子ってことなのか、生き抜くんだなあ。
 反抗期っぽいことはあっても、それでも母の期待にこたえるという思いは変わらずに成長していくの凄い。
 母の自慢の息子であること。
 で、実際それを実現していくのすさまじいな。

 戦争映画でもある。けど、大局ではなくて、あくまでそこに生きた個人って描き方だった。一歩間違えば死ぬ。次の瞬間には死ぬかも。それでも、その時できる精一杯で、生きる。
 信念の強さなのかなあ。ずっと書き続けていたのも、人を助けたりするのも、その時の精一杯。ロマンくん、すごく魅力的だった。

 ピエール・ニネが~相変わらず麗しく素敵で、素っ裸になったりもあったり、女ともいっぱいやっちゃってたり、青年期から壮年の頃までかな、素晴らしく熱演で、うまくて、モノローグで声もたっぷり聴けて、すごくよかった。いろんな姿を見られて眼福。よかった~。
 強烈な母と息子の物語。ニネくん目当てで一応見るか、ってくらいで行ったけど、見ごたえあって面白くて、見に行けてよかったよ。いつか本も読んでみるべきだろうか。ロマン・ガリ、すごい人生なんだなあ。

 

 

 

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『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』 (アンドリュー・メイン/ハヤカワ文庫)

*ネタバレしてます。

 

『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』 (アンドリュー・メイン/ハヤカワ文庫)

 

 

 セオ・クレイは科学者だ。生物学。生物情報工学。主に情報、環境の計算をしてる感じかな。で、カエルの原型を調査するフィールドワークにきていた所、警察に尋問されることになった。かつての教え子、ジェニパーが近くで殺されたらしい。殺人と疑われたものの、実は熊に襲撃された事不幸な事故死、ということでクレイは解放される。しかし、たまたまサンプルを盗んでしまったクレイは、遺伝子検査を頼んで警察たちが、間違った熊を殺したこと、本当は熊に襲われたのではなく、巧妙に仕組まれた殺人なのではと疑いを抱く。

 独自の推論とシュミレーションを重ねて、クレイはモンタナを縄張りにしているらしき、連続殺人犯の存在を掴む。ハドソン・クリークという寂れた街での行方不明事件に目を付けたクレイは、隠されていた遺体を発見。犯人の行動パターンを掴んだが警察に信用されない。そしてクレイは独自に次々とこれまで隠されていた遺体を見つけだし、犯人を追い詰める。

 だがついに、犯人から脅迫の電話がかかってきて、クレイ自身が追い詰められてしまう。

 

 てことで、シリーズ第一作、2019年四月刊行。で、もう二作目翻訳が出て、(本国では3作目も出てるみたい)面白そうかも、と思って読んでみた。

 

 セオ・クレイは生物情報工学を駆使して犯人を捕食者としてパターンを見つけ出し、事件を解決! 天才教授、らしい。そういう感じでシリーズ続くのかな?

 この一作目読んだところ、その、犯人を生物学的に捕食者として考え、パターンをさぐる、と、このパターンはホオジロザメの行動パターンだ、ってなったのは、おお~なんかすごい、と感心して面白かった。けど、その、パターンで割り出してここに遺体が隠されている、ってクレイくんが遺体どんどん見つけ出しちゃう、っていうのは、そんなに都合よくいくか~~??? と、ちょっとひく。まあ、そんだけ見つけ出せちゃうほど犯人が殺しまくっていたのだ、って感じだけど、けど、そうかな~~~~。まあ、小説ですし、そうかもね、でいいけど。それに誰にも疑われず気づかれず、延々と殺しまくってる犯人がいるかもね、というのは否定できない……。

 

 そして犯人に脅されて、ちょっと恋してしまった彼女とか巻き込みたくない、大事な家族を殺されるかも、って畏れたとはいえ、犯人に自殺しろよと脅されて、じゃあ、って検視局から遺体盗んで、自分が自殺したように偽装して、時間稼ぎをして犯人を追い詰める、っていうのは、そこまでやる~~~???? やれる~~~??????? と、けっこうひく。クレイくんは救急隊員やってたこともあるよ、とか。生物学者で医学的知識もあって、とか、で、最後の犯人との対決の時も、負傷しながら救急車にある薬品で一時的トーピングってゆーか一瞬超人になる、みたいな展開が、ええ~~~~???? と、ひく。けどまあ、なんか、超人漫画みたいなもんかな、ということで、まあ、小説ですし。まあいいか。

 

 小説を読んでいる時、特に現代で今自分が住んでる世界と地続きな感じで読んでいるとき、やっぱちょっとリアリティのラインが、一応は自分がわかるって思える範囲であることを、私は設定してるんだな。海外のものだとその国の事情とかわかんないし、実際どうこうがわかるものではないんだけれども。まあ、日本が舞台であったところで、実際どうこうっていうのがわかるものでもない、けども。なんとなく、なんとなーく、自分が思う常識の範囲っていうのがあって、その枠外はなんかトンデモみたいな気がする。けど、その自分の持つ枠っていうのは別に個人的で小さなものでしかない、よなあ。

 最初からファンタジーとか、時代が全然違うよとかだと、その自分の持つ枠みたいなのを最初から考えない、そう書かれてるならそう読むだけ、なんだけど。けどまあ、たとえ舞台が現代で今のアメリカ、だろうがなんだろうが、まあ、そこにそう書かれてるならそう読むだけでしかないよね、小説なんだし。

 

 というわけで、結構クレイくんの行動には私はついていけないわーと思いながらも、なんか、そうか、と、面白く読んだ。

 でも、一応事件の決着はついた、とはいえ。クレイくんと彼女はなんとか犯人を倒した、とはいえ、意識を失っていくところで終わりなのは、やっぱ、そこはなんかエピローグつけてくれよ~~~と思った。基本「わたし」クレイくんの一人称なので、クレイが意識失っちゃうとわかんなくなっちゃうよね。それはそうなんだけど。エピローグでさー、病院で気が付いて後始末を聞くとか、ジリアンとどうなったのかなーとか、大学の学期開始を大幅に連絡もなしにサボったけどクビになったのかなあ、特別にちゃんとまた復帰したのかなーとか、なんかこう、気になる所すっきりさせてほしかった。次作読んだらなんか書いてあるのかなあ。まー、事件は一応終わったからその後とか気にしなくていいのか。でも~。エピローグつけてくれよ。最初のとこには、事件の始まりみたいな感じの話がついてるのにさ。

 まあ、第二弾も読みたいです。そう思えるほどには面白かった。

 

 

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映画 「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」

*ネタバレします。

 

 

映画 「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」

 

 

 世界的ベストセラーミステリー作家であるハーラン・スロンビー。85歳の誕生日に家族が集まってパーティーをした。が、その翌朝、看護師のマルタが朝食を部屋へ運ぶと、首から血を流し死体となった姿を発見する。

 ハーランの遺産を巡る家族の諍い。自殺と処理されたものの、その死から一週間、改めて話を聞きたいと刑事に家族たちは集められた。刑事と一緒に、私立探偵である男、ブノワ・ブランも家族の話を聞き、質問する。

 探偵を雇ったのは誰なのか。自殺なのか、殺人なのか。弁護士によって、死の一週間前に書き換えられていたという遺言書の詳細が知らされる。ハーランの遺産は、家族ではなく、友達のように、看護師としてよく仕えてくれたマルタに、すべて遺されるということで、家族は逆上する。

 

 

 現代が舞台なんだけど、いったんは自殺として処理されている、田舎(郊外、くらいかな?)であること、の感じで、科学捜査バリバリではなくして、うまく名探偵登場って感じ。

 大きなお屋敷、大富豪、ってことでちょっと前見たばかりの「ダウントン・アビー」を連想したけど、まあそもそも時代も国も違うし、お貴族様とは違うし、お屋敷の感じとか全然違うわ~というのも面白かった。

 

 遺産が当然自分たちのものになると思っているワケアリ家族。中でも孫にあたるランサムは、一家のやっかいもの駄目息子って感じで、パーティの日に自分は遺産相続から外されたと告げられていた。これがクリス・エヴァンスで、清く正しい正義の人キャプテン・アメリカとは全然違う役なわけで、よかったねー。

 

 実は看護師マルタちゃんは移民の娘で、母は不法入国してて、って弱みがあった。それでも、素直で優しくて優秀な彼女はすっかりハーランに気に入られる。けれどパーティの夜、ふざけたはずみで夜のいつもの注射の薬液を、モルヒネと間違えてしまったミス、で、ハーランは死んでしまうことになる。けれど、ハーランは彼女を守るために自殺する。その後の彼女のアリバイづくりのアドバイスを与えて。

 

 この、マルタのミスによる過失致死、で遺産を受け取れなくするか、じーさんの意思を尊重してミスを隠し通すか、ってことと、そうはいってもまだ謎が。そもそもブノワを雇ってこの死に目をむけさせたのは、とかあって。

 じーさんと、ランサムのミステリトリック合戦、ガチで、みたいなことだったのねー。

 

 ランサム、一度はマルタの味方だよ、みたいな感じで、ちょっといいやつ、っぽく思わせてからの真犯人でした。とっさにその犯行思いついて実行しちゃうなんて、ほんとは実は鋭い? とか思わせる、クリエヴァのきれいな見た目。だけど、まあ、なにかとごてごてになっちゃうし、荒っぽすぎるし予定通りにいかないこといっぱいで、まあそりゃそうか。だめっぷりがかっこよくも可愛いけどやっぱお前はクズだな、ってなるの面白かった。マルタにげろぶっかけられちゃう。

 

 マルタちゃんが、嘘をつくとマジで吐く、という体質、体質?? なのが、最もばかばかしいほどの設定、ではあるんだけれども、そしてそれがわりとキーポイントになったりして、それはまあ、あんまりリアル路線ではないのかなあ。けど、見てるとなんか、そうかそういうものか、と慣れるので、私はまあそれはそうなんだなってことで納得。映画だもの。

 マルタが、追い込まれちゃって勢いに流されて、とか、けれどやっぱり人を助けようとする善良さというか、看護師だよな、ハーランに気に入られるいい子だな、って納得できるナチュラルさがとってもよかった。

 彼女が移民の子であること。金持ち一家に家族同然に仲良くしたでしょう、って言われても、どこか内心見下している感じ、あったんだろうなあって思うし。この、表面上とりつくろいながらの移民差別感情なんかを描いてるのは、まさに今の映画なんだなあと思う。

 

 マルタちゃんは結局医療ミスでもなかったし、ちょこっとカーチェイスしちゃったとか軽犯罪しかないしで、遺産は受け取る、のね。けど、あの家族を見捨てたりもしない、ことにするみたいだった。いい子だなあ。いい子っていうか、まあそりゃ一切全部もらうあんたたちなんか知らん、ってしたりしない子だろうなという感じで、見込まれたりしたのかなあ。でも厄介を背負わせる感じになっちゃうよ。ハーランじーさん、罪作りなのでは。まあ、あの日に死ぬとも思ってなかっただろうけど。

 

 で。ダニクレですよ。直前には007の予告がある。けど、この作品の中では、いい感じにすっとぼけのある、ちょっとドジっ子的な可愛さのある、おっさん探偵、けど名探偵っていうの、すっごいよかった。ほんと直前にボンドのスタイルちらっと見てるわけで、この作中だと絶妙にダサいというかもっさり感が~。別人なのすごい。うまいなあ。それでもどうにも隠し切れないかっこよさも滲むわけで、すーごく素敵~好き~~~!

 

 ブノワ・ブラン、って変わった名前な気がする。というか、発音もうちょっと違う感じで呼ばれてたよな? 日本でカタカナ表記するとブノワ・ブランてこと? なんか、はっきりわかんないけど、字幕で出てくるのと違和感が。気になった。まあいいか。

 一応軽めのカーチェイスや、とっさの格闘、するのかどうか、みたいなとこ、007ならどれほどド派手に決めるだろうかーと見ながら勝手に思っちゃっておかしかった。

 

 紳士探偵、ってあだ名らしいけど。南部訛りでむかつくやつ!みたいに言われてて、アメリカ人ではあるのか。けど、予告だとなんかもっとねちねち嫌なタイプの探偵なのかなーと思ってたけど、それほどでもなくて、抑制きいててよかったな~。私は好きなバランスだった。

 私がもっと英語聞き取れたらよかったのにっ。訛りとかよくわかんないし。名前もー。

 

 名探偵さんが、推理というか、事件の真相がだんだんわかってきたぞ! と一人しゃべりまくろうとすると、刑事さんが、のってきてるとこ悪いけど、って冷静につっこみはいるのが面白かった。刑事さん、落ち着いてて素敵。部下(?)の若者が、ミステリ好きの子らしくて、ミステリ作家の殺人、にちょっとわくわくしちゃってるのとか、可愛かった~。

 細々したとこのちょっとした、丁寧な描きこみが上手くて、好感持てたなあ。飾ってた野球のボールが巡って結局ハーランの意思実現の手紙につながってくのとか。

 みんないいキャラで面白かったなって思えるの、登場人物多いのに見せ方が上手いのかねえ。すごい。

 

 クラシカルなミステリだ謎解きだ、っていう面白さ、キャラクター濃いけどやりすぎになる手前って感じに抑制きいてるの、緊張とユーモアのバランス、よかったなあ。ビジュアルもみんな強い。かっこいい。可愛い。うまかった。

 予告や宣伝ビジュアルですごく期待して楽しみに待ってて、実際すごく満足できてよかったー。ダニクレ、ボンドのあとはこっちで3作くらいシリーズ撮るといいのでは~。けどこのクオリティで続編、ってうまくできるだろうか。やってほしいけどな。原作小説があるわけでなく、オリジナルらしいの、すごい。小説みたいなのに。もっと見たい読みたいって気分になる。楽しめる映画、ありがとうー!

 

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