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映画 「ジョーカー」

 *ネタバレしています。

映画 「ジョーカー」

 

 

 9日水曜日に見に行きました。話題作問題作みたいな評判で、早く見に行きたかったけどようやく。

 

 「バットマン」の世界の魅力的悪役、ジョーカー。「ダークナイト」でのヒース・レジャーの圧倒的な迫力にすっかり参った私。今作では、ジョーカーになる前、アーサー・フレックという一人の男の物語だった。

 

 コメディアンを目指しているアーサー。精神病院に入院歴があるらしい。福祉事務所(?)での面談。薬。突然笑いだしてしまうという疾患を抱えながら、ピエロの紛争で、閉店セールの看板盛ったり、慰問に行ったりしている。母と二人暮らし。母も病を抱えていて、その介護もアーサーはしなくてはならない。

 

 母はかつて、ウェインさんのお屋敷で働いていたから、きっと助けてくれるはず、と手紙を書き続けている。街の名士で大金持ちのトーマス・ウェイン。市長選に出馬の話も進んでいる。
 人々に馬鹿にされ街では不良に絡まれ殴られ、通っていた福祉事務所(?)は閉鎖になる。同僚に自衛のために持っておけよ、と渡された銃。小児病棟への慰問の時にその銃をうっかり落としてしまい、問題にされてクビを言い渡される。
 母の手紙を読んで、トーマス・ウェインが本当は父親なのではないかと知るが、母こそが妄想に取りつかれ精神を病んでいたと告げられる。
 母の入院記録を強引に見たアーサーは、自分を虐待する男から守ろうともしなかった母のことを知る。
 誰も、どこにも、認められない孤独を深めるアーサー。

 

 憧れのテレビ司会者、マレーが、たまたま見たのか、アーサーが出演した小さなステージの様子のビデオをテレビで照会したことが評判になって、テレビショーに呼ばれたアーサー。
 すでに地下鉄でエリートサラリーマンを殺し。母を殺し。同僚を殺した後のアーサー。
 もうなにもない、という彼は、憧れだったはずのマレーのひどさを糾弾し、ショーのさなかに撃ち殺す。
 荒廃した街には怒れる群衆がピエロの仮面をつけて暴徒化し、その頂点に祭り上げられるアーサーは、ジョーカーだった。
 ラスト。精神病棟にいるアーサー。部屋を逃げ出し。そして彼の足跡は血の足跡だった。

 

 

 というような感じかなあ。
 とことん、悲惨な、救われない男、アーサーの物語。
 そして、精神を病んでいる彼の世界なので、あれ、途中で彼女できたのか? って思ったら、それは妄想だったのかーーーっと明かされたりして、最後精神病院の所で終わるし。この映画のどこからどこまでが妄想なんだ。というかお前、本当にジョーカーなのか? ってくらいに何もかもわからなくなる映画。
 辛くなってしまってぐったり。

 

 まあ私はオリジナルの、というか、DCコミックにおけるジョーカーについてなんかしってるわけではないんだけど。ジョーカー、に、なるまでのビギニングみたいな映画、っていう感じではなかったと思う。舞台は現代よりは前の、ニューヨークらしきゴッサムシティだけど。そして微妙に、というかまあ、「バットマン」につながるエピソードがあるわけだけれども。
 単独映画だ、というのは言われていて、ほんとそうだなあと思った。「ダークナイト」的な圧倒的悪のカリスマ、先読みの先読みしまくり悪の天才、みたいなジョーカーではない。バットマンになるはずのブルース・ウェイン坊ちゃまはまだ子ども。それはそれで、因縁が深い感じはあったんだけれども。

 

 今作のアーサーは、意図してピエロのまま悪のカリスマになっていったわけではない。地下鉄でエリートリーマンを殺したのも、自己防衛、やけっぱち衝動的短絡的なもの。それが勝手に象徴的意味を持って報道され語られ、群衆を扇動するきっかけとなってしまったけれども、それはアーサーの考えではなく、偶然がもたらした結果。

 

 最初に、街の清掃員ストがあって、街中にゴミが溢れている、というテレビ報道があった。街にはずっとゴミが放置されて、あちこち吹き溜まりの評にゴミ袋が積まれている。
 清掃って大事;;荒廃の象徴はまず、片付けられないゴミなんだよなあ。

 

 多分今のアメリカ、社会に救われなくなってしまった孤独な人って、たくさんいるんだと思う。アメリカに限らず日本だって。ヨーロッパだって。本当に世界中に沢山いるんだと思う。貧しさの問題はどこにでもあるし、社会が、隣人が、困っている人を助けることができるのはたまたまというしかないような。ほんとは社会としては、たまたまとかで助けられるか無理かなんてことではなくて、みんなの救いを考えなくちゃいけない所なんだと思うけど。なかなかすべてに行き届くことはできない。

 

 見捨てられだとしか思えない状況に陥った男が、世界を憎むことはなんて悲しい。
 悲劇ではなく喜劇だ、と、ゆっくりおどるアーサーに魅入られる。
 演じるホアキン・フェニックスがアカデミー賞候補なんて評判だけれども、そうであっても当然て思える。本当に本当に凄い。げっそりした体。傷だらけの体、そして精神。そのボロボロの砂人形みたいなあやうさと不気味さが、生々しく彼の姿から伝わってくる。
 かっこよくない。全然ダメな感じしかない。なのにとてつもなく美しい。まさに道化の神。神々しいほどの、演技だった。

 

 けれど、この映画って、名作なんだか問題作なんだか、って、結構周辺のなんだかんだもあるみたいで、どうにもぐったりしてしまう。
 アーサーの姿から、現代の社会格差とか貧困、孤独、底辺の暮らしみたいな問題を見るのも辛いし。
 監督が、ポリコレばかりのこんな世の中じゃコメディは無理だとかなんとか、なんとなく、昨今の風潮がダメみたいなのへのダメ、みたいな感じとか。
 映画作りとして、社会への問題提起、とも、暴動煽る、とも、とれる感じ、とか。謎めいている感じがむしろ計算ミスっぽいように思えたり、ホアキン・フェニックスの演技力が凄いことにかかってるというか、それだけ、か。みたいな感じとか。

 

 いくつかネットで感想いくつか読んでみたりもして、まあ、いろいろで問題作とうか、けど、いろいろすっごくたくさん言われてるのはそれだけの感想呼ぶ力はあるわけで名作かなあとか、私にはわからない。

 

 私は、本当に本当にホアキン・フェニックスすっごい凄すぎる、って思ったけど。どうしたってヒース・レジャーのイメージ連想しちゃうけどなあと見る前は思っていたけれども、それは違った。映画がなんだか全然別物で、「ジョーカー」として比べるものじゃないなあと思った・
 というかほんと、これは「ジョーカー」の名を借りた、「バットマン」を借りた、現代社会派、みたいな作品なんだろうなあと思う。

 

 アーサーが憧れてる司会者、マレーを演じているのがロバート・デ・ニーロなんだよね。ある意味社会の頂点である、強者の立場にいる男。一見親しみやすい顔をテレビで見せておいて、実は傲慢な男。成功者を戯画化したような男。それを撃ち殺すアーサー。コメディアンとしての成功は程遠く。親が親ですらなかったと知らされた金も仕事も何もない男、アーサー。

 

 友達、も。
 同僚殺した後に、小人の男は、あんただけは優しくしてくれたよな、と殺さず逃がすんだけど。けど、といってもアーサーだって小人な彼を馬鹿にしたような感じがあった気がするんだけど。ちゃんとドアロック外して逃がすけれども。あの時小人さんのほうは友達だなんて思えてなくて殺される恐怖しかなかったよねえ。怖い。
 精神に問題抱えてて、友達なんて作れなかった、って感じではある。けど。アーサーも、なんだか実際友達を欲して人付き合いしたことなんてなかった感じだしなあ。
 しかしそれは精神の病ゆえなのか……わからない。

 

 貧しく、苦しく、社会になんの希望もなく。銃を手にしてしまった。
 アーサーの境遇は本当に辛いことの連続。辛い。すごく辛い。だけど、そこで敵と思う相手が無差別になってどんどん人を殺していっていいことには、ならないんだよ。それは違うし。まあだからもちろんヴィランなんだけど。

 

 この前みた「ホテル・ムンバイ」を連想した。貧困の中に育って。こんな世の中が悪いんだーと、無差別テロに走る。こんな世の中が悪いんだー、まではそうだけど、無差別テロで、その辺の人々を殺していいわけないんだよ。辛い。

 

 元ネタというか、影響受けた映画として「キング・オブ・コメディ」「タクシー・ドライバー」があるそうで、デ・ニーロはだからなのかな? 私、どっちも見たことがなくて。有名ですよね、とは知ってるけど、見たことなくて。アマプラにあるらしいので見てみなくちゃな……。それでこの「ジョーカー」がわかるようになるという気はしないけれども。

 

 ほんと、これ、いっそ「バットマン」と無関係であればいいのに、と思う。バットマンのことも考えちゃうから、これ、は、本当にジョーカーなのか?? 何が現実? 何が妄想? ってなんだか考えちゃう。ブルースぼっちゃまの両親が殺されるほどの暴徒化のムーブをこのアーサーがきっかけとしてあった、って、なんだか思いたくない。たまたまのきっかけなのだ、とは、思うけど。まあそもそも本当に、立派な両親が暴徒に殺された、のは、ブルース坊ちゃまの視点、世界の中の物語なので、トーマス・ウェインがあんな風になんだかちょっと金持ちの鼻持ちならないやつ、だったかもしれないし。
 とはいえ、そのなんだか傲慢なトーマス・ウェインはアーサーの世界から見たものだし。うう~ん。
 そもそもあのシーンも幻だったかも、とか、うーん。どうなのかなあ。

 

 アーサーの母の妄想でトーマス・ウェインとは関係なんてなかった。って言われたけど。母の若い頃の写真の裏書に「素敵な笑顔だね TW」ってあったよな? あれ多分TWはトーマス・ウェインだろう、と、思うんだけどけどまあ確証はないけど、けど、それって、本当はちょっとしたつきあいみたいなくらいのことはあったのか、それで母は舞い上がったのか、捨てられたのか、ほんとわからなくなる。

 

 ホアキン・フェニックスのすごさを見られたのはよかった。けど、疲れてしまう作品だったな……。問題作。名作。でもまさに今、の感じを思う映画でした。日米同時公開ありがとう。よかった。

 

 

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