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『微風域』 (門脇篤史/現代短歌社)


『微風域』 (門脇篤史/現代短歌社)

 歌集。

 栞はあるけど著者のあとがきもなにもなくて、わからないなりに、作者の描き出す世界を堪能しました。作者、(作中主体っていうべきかね)多分働く男。無職期間があったらしい。転職かな。妻がいる。多分出身はそこそこに田舎。そんな、多分若い世代の普遍的男性像。夭折、が何歳までなのか気になるくらいの年齢、ねー。

 すごく、うう、わかる、と思う歌がいっぱい。情けなくダメっぽいんだけれどもむしろかっこいい、クール、って感じ。あれもこれもいっぱい好き付箋つけそうになるけどきりがなくなるなって控えめにつけつつ読んだ。
 閉塞感とか、なんでもない日常生活への恐れとか、とはいえ結構ちゃんと生活、暮らし、のある感じの一冊だった。水。雨。自然というよりは、街で感じる、生きている感触が伝わってきた。


 いくつか、好きな歌。

  食道をしづかにくだる牛乳の朝を伝へる冷たいちから  (p9)

 歌集最初の一首。ああ、朝に牛乳を飲む人なんだなあと思った。この、なんだろう、生真面目そうというか、いい人そうというか。冷たい牛乳を飲んでそれが体の中へゆく感覚を感じて描写する人。朝の牛乳ってそういう力があるんだなあ。

  世界から隔絶されたこの場所でジェットタオルの風に吹かれて (p11)

 トイレで手を洗って乾かしている所ですよね。仕事場がとてつもなく異界であるこの一連。「世界から隔絶された場所」「風に吹かれて」という大仰な言葉は、職場にいることをなんでもない日常として受け入れがたい、っていう悲鳴なのかなあと思った。

  秒針と長針短針さういへば同じ給与で働いてゐる (p12)

 時計の針は誰から給与もらってるですか。内臓電池? 多分腕時計をぢっと見ている気がする。時計の針の動きの違いに同じ給与か、と思ってしまう辛さよ……。

  慈雨のごと降つて湧きたる休日に身体中から芽を出してゐる (p21)

 「慈雨」である休日。「身体中から芽を出して」しまうほどの喜びと安らぎ。仕事大変なんだなあ嫌なんだなあと思う。それは多くの人の実感なんだなあと思う。直喩、暗喩、どちらも素敵な表現でほどけていく体の感じが伝わってきて好きだった。

  この忙しい時にあなたが補充する液状のりのよろこびのこゑ (p25)

 これは、あなたに対してイラついているんだかありがとうって思っているんだか迷う。業務用っていうかなんていうか、液状のりのでっかいボトルあるよね。あれ、小さい普段使う容器に補充するんだけど、あるある。それこのクソ忙しい中でやりますかあなた、という苛立ちのようでもあり、使いたい時にのりがないと困るもんね、ありがとう、なのか。どっちでもなく、今ですか、と、なんかそのあなたと、とろとろ落ちてゆくのりを凪いだ気持ちで眺めているのかな。なんか、クソ忙しいからこそ、のりを補充しよう、っていうぼーっとしたくなってるんじゃないかなあという「あなた」もわかるような気がするし、とろとろおちる液状のりの、ゆっくりした時間がエアポケットのようで、いい。補充されてるのりの気持ちとしての充実していく「よろこびのこゑ」っていうのもなんかおかしくていい。わかんないけどなんだかめちゃめちゃ共感して好きな一首。

  蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと (p29)

 蟹缶って贅沢品と思う。それを自分のために開けているの、ちょっと特別な時間だと思う。蟹缶の汁を「海」と表現しているのがとっても特別感が伝わってきて、すごくいいと思った。「そおつと」あけてる手つきが見えるようなのも素敵です。

  いつからか蛍光灯は間引かれて我らを淡くあはく照らせり (p41)

 「いつからか」とはいえ、それは多分東日本大震災の後の節電節電節電しましょう、っていう時からじゃないのかな。電力が足りなくなる、といった時からの。この薄暗さ、日本の薄暗さであり、原発問題であり、不況と崩壊の薄暗さだと思う。その中に「我ら」はいるのだ。

  つつつつと剃られた髭が落ちてゐるもう僕ぢやないただの汚れだ (p74)

 剃って落ちた瞬間から、さっきまで「僕」の一部だった髭が、洗面台の汚れになる。洗面台で剃ってる情景を思い浮かべたんだけど。その、まっしろな陶器に散る黒いモノのリアルさを感じた。

  我が子から死ねと言はれた話など聞きをり日付はしづかにかはる (p92)

 消防団だかで、当番とかがあるの、かな。私はそういうのがよくわからないんだけれども、なんとなく、地域活動で、男の人たちが集まって、っていう感じ。そんな話を聞かされて、それはそれは、くらいしか言えないと思うんだけれども、なんだかこの、地域ぐるみの男たちの連帯感みたいなの、が、違和感でもあり、良いものでも、ある? よいものかなあ。わからないけれども。なんか、けど、そういう、そんな話などしてしまうような場、っていう感じが凄い。

  五線譜にをさまるやうに生きてゐてコロナビールにさし込むライム (p110)

 何度か、臨時記号で変調するみたいな歌もあったと思うけど。基本的に五線譜の線から外れない、ゆるやかな穏やかな流れの中で生きている、っていう感じですか。ころなびーるにライムがささってくれば素直にそのままさし込んでいく。音楽のたとえ、というか、音楽について私はわからないけれども、こういう比喩のあかるさはいいなあと思う。

  くれなゐのホールトマトの缶を開けいつかの夏を鍋にぶちまく (p124)

 料理、よくしてるんだなあと思った。中でも、このトマト缶の歌は、丁寧な暮らしではない方の「ぶちまけ」の粗っぽさがかっこいいのと、「いつかの夏」という表現もかっこよかった。トマトって夏ですねえ。

  これはまだ私だらうか手のひらにひかりをためて顔を洗へり (p159)

 ここでいう「まだ私」が、手のひら、ってことでいいのか、ちょっとわからない。手のひらにためたひかり、水までも「私」って思うのか。けど、ん~。手のことかな。髭と違って手のひらはそう簡単に切り落としたりしないものなのに、「まだ私だらうか」と思ってしまう、ちょっとヤバイ方向なのが綺麗だった。

  遺失物処理係がゐてあなたへの回路はゆつくり閉ざされてゆく (p187)

 どういう歌なのかわからないなあと思いながら味わった。現実のことではなく、一首全体が幻想的かな。自分の中にいる遺失物処理係、というものをが、行き場をなくしたあなたへの回路、あなたへの思い、だと思うけど、それを処理しちゃって回路が閉ざされてしまう、想いが閉ざされてしまう、という感じかなあ。回りくどく淡い哀しみが漂う感じ、いいと思った。
 すごくいい歌だらけですごいなあ。面白かったです。

 

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