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『晩夏の墜落』 (ノア・ホーリー/ハヤカワポケットミステリ)


*ネタバレしています。


『晩夏の墜落』 (ノア・ホーリー/ハヤカワポケットミステリ)


 スコットは画家。47歳。売れっ子とはいいがたく、しかしようやく画廊で個展の企画が進んでいた。彼はニューヨークへ向かうプライベートジェット機に初めて乗った。島の市場で知り合いになったマギーの夫はニュースメディアの経営者で大金持ち。彼女の招待を受けて、出発ぎりぎりに間に合って乗った。その飛行機は離陸から19分で墜落する。

 海の投げ出されたスコットはなんとか泳ぎ出す。もう一人、同乗していた4歳の男の子がいるのを助け、果ての見えない夜の海を泳ぎ続け、陸地へたどり着いた。
 墜落した飛行機事故の生存者。しかも子どもを助けたヒーロー。だが他の犠牲者たちが大金持ち、さらにわけありの大物だったのも相まって、マスコミの餌食にされていく。


 2017年刊。作中の舞台は2015年、8月23日。
 事故か、事件なのか。その捜査が進む中、乗り合わせた乗客それぞれ、パイロットら乗務員それぞれの人生、半生の物語も描かれていく。スコットがマスコミをさけ、助けた男の子JJを大事にしたく思い、そんなリアルタイムと、人物たちの過去から墜落の日までの物語が進んでいく。
 マスコミ、ニュースショーのえげつなさとかもうんざりだし。
 人それぞれに物語があるなあというのも、じっくり描かれている。
 けど、なんか、どーにも、で、飛行機の墜落は事件なの事故なのっ? てのを最後まで焦らされるので、途中の人物の物語がわりと、どうでもいい、ってなってしまった。それぞれに、いろいろある、けど、特に魅力的に思った人物がいなくてなあ。

 で、結局は、副操縦士のせい。女にふられた自己中な男が血迷って墜落させた、というか巻き込み自殺? なんかもうほんと、理不尽……。とんだとばっちり……。
 スコットが、ニュースキャスター、キャスターか? 番組持ってる怒り芸男、ビルと対決するのも、そんなスカっとするわけじゃないし。というか、スコットはヒーロー扱いされたけれども、ヒーローではなくただの男、ってわけで。

 解説によると映画化の話もあるそうだ。作者、ドラマの「ファーゴ」で有名らしいなあ。私もそれ見たい見なくちゃと思いつつまだ見てないのだけれども。
 けどまあ、今作読んだ限りでは、あんまり自分の好みってわけでもないのかもなあ、と思っちゃったり。ほどほどに面白く読みました。けどあんま好きってなるものでもなかったな。

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映画 「時計じかけのオレンジ」


*ネタバレしています。


映画 「時計じかけのオレンジ」

 午前十時の映画祭 で、見に行ってきました。デジタルリマスター版だそう。
 1971年製作、アメリカ。スタンリー・キューブリック監督。

 近未来。アレックスは仲間たちと夜な夜な集まっては、老人を襲ってみたり、家に押し入ってみたり、暴力を楽しんでいた。ある夜押し入った先で女性を死なせてしまう。仲間は逃げ出したがアレックスは捕まる。
 刑務所に入って二年。新しい治療法の治験者になれば、二週間ほどで出られるという噂を聞く。偉い人の視察の時にアピール、めでたく選ばれた。治療はまばたき禁止でひたすら映画を見せられるというもの。その暴力とBGMに洗脳されて、暴力的な行為に吐き気を覚えて反社会的行動が出来なくなる。
 外に出たものの、家族にとっては迷惑者のアレックス。行き場をなくしてさまよっていると、かつて暴力をふるったホームレスの老人に出会って殴られ、昔つるんでいた仲間が警官になっていて、さらに仕返しをされる。
 ボロボロになって辿り着いた家で助けられるが、それは押し入って暴行したことのある老作家の所だった。
 
 アレックスへの治療が悪質な洗脳であると、政治権力争いに利用されるアレックス。だが老作家の復讐から自殺に追い込まれ、しかし死ねずに生き残ったアレックスは、今後の援助を申し出る大臣と共に、笑顔で記者たちの取材に応じた。

 1971年時点での近未来ロンドンが舞台、らしい。けども刑務所のガチガチな敬礼とか、ナチスっぽさがすごいし。街の混沌、部屋のピカピカしたスタイル、服の感じとか、なんかもうあらゆることが不自然に作りこまれていて、自然とかナチュラルさとかが一切ない。凄い。
 キューブリック監督は完璧主義とかなんとなくあるけど、あたらめて、なんだこれこの、変態……って思った。

 名作と名高いし、アレックスたちが暴れてる時の白い感じとか、ミルクとか、いろいろアイコニックな所は知っているけれども、実際まともに全部ちゃんと見るのは初めてだった。
 大昔、大学生のころ、見ようとしてて途中で寝てたような気がする。
 今、見てよかった。
 これ、当時でも今でも、いつ見ても「今」の映画だって感じるんじゃないかな。今見て、すごく、「今」の映画だなーって思った。
 モダン・エイジっつー、暴走する若者。老人の居場所なんてないとか、政治権力のために都合よくつかわれる弱者、とか。貧富の格差が物凄くありそうだったり、洗脳して去勢、みたいな感じとか。

 アレックス、学生っつか、まあ近未来設定だからよくわからないけど、学校に行かなくちゃねっていう年なんだねえ。裕福な家庭の賢い、グレた若者。なんとなくもっと年上に思ってたけど、今改めて見ると、きれいな若者って感じわかる。
 目を閉じられないように瞼開かされてる拷問的な洗脳シーンとか、ブルーグレイの瞳がきれいで不安ですごくよかった。

 老作家がさー。また。すごい。ボロボロになったアレックスを助けたあとに、アレックスがお風呂でリラックスしちゃって、「雨に唄えば」を歌いだしてしまう。それは、かつて押し入った時に唄いながら蹴ったりしまくってた暴力の時の歌なんだよ。それに気づいた時の、老作家の顔が、凄い。物凄かった。
 俳優すげえと思ったし、こういうの撮る監督すっげーって、参りました……。

 ところで老作家の、介護役? 護衛役? の、筋肉むきむきマッチョ、だけど黒縁眼鏡もお似合いのジュリアン、素敵って見ちゃった。こういうちょい役にも隙が無いのねー。

 酷い暴力の世界。たぶんSFなんだよね? しかし社会派映画って感触。音楽がずっとうるさい。すごい。なにもかもひんやりしてた。面白かった。今見られてよかった。

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映画 「ボーダー 二つの世界」


*ネタバレしています。


映画 「ボーダー 二つの世界」


 2018年製作、スウェーデン・デンマーク合作。
 カンヌ映画祭で、ある視点部門でグランプリだとか。北欧ミステリー、だそうで、なんだか気になるけどどういう映画なのかよくわからず、見に行くかどうか迷ったのだけれども、やっぱり行ってみた。

 ティーナはフェリーの税関、かな、入国してくる人の持ち物チェックをしている。匂いで。
 彼女は犯罪の匂い、人の罪悪感や悪事を働く時の匂いを嗅ぎつけるという。人の感情を嗅ぎ分ける。
 不法な酒の持ち込みや、児童ポルノ所持の男を見つける。ある時、何かおかしいとチェックするよう別室へ呼んだ男がいたが、彼、あるいは彼女、は、違法なものを持ってはいなかった。なのにどうしても気になる。彼の名前はヴォーレ。住むところに困っているらしいヴォーレに自宅の離れを貸すティーナ。

 児童ポルノ摘発の捜査に協力を求められて、加わる。怪しい家を見つけて、その家にいないはずの赤ん坊の気配に不審を抱く警察。

 ティーナの家に同居していた犬好きの男、ローランド。恋人というわけではない。犬はティーナには懐かない。ヴォーレと親しくなり、ローランドを追い出す。

 衝動的にひかれあうティーナとヴォーレは、同じ種族だった。人間にしては醜い姿。森でこそ落ち着く。虫を美味しく食べてしまう。彼らはトロル。人間ではない種族。激情のままにセックスするとき、ティーナの不完全と思っていた性器からはペニスが伸びて、ヴォーレと交わる。
 
 と、まあ、なんか、あらすじとかもまとめられない。最初、北欧ミステリなの? なんか特殊能力、異様な嗅覚で犯罪捜査とかしていく感じ? と思っていたけれども、そういうものじゃなかった。
 一応、捜査協力みたいなことはしてたし、赤ん坊が取り換えられるみたいなこともあったりだけれども、その謎の解明、というか、犯罪を暴いて逮捕みたいなわけではない。
 なんてったって俺たちはトロルさ、なんてことになってしまうのだから。
 ムーミン……??

 ファンタジーというわけでもない、っていうか。別の種族として生きてる集団あるらしいし、人間に捉えられて生体実験みたいなことをされたりみたいなこともあるみたい、とか。
 ティーナは、けどちゃんと引き取られて育てられたから人間社会になじんでいるのでは、と思うけど、やっぱり、あんまり助けてくれなかったとか守ってもらえなかったって感じがティーナにはあるみたい。

 いろいろと背景は、なんとなくわかる。けれども、なんだかもう、ほんっと、そっかートロルなのか、という、二人の姿に圧倒されてしまう。
 俳優さんすげえ。
 虫とか食べてるの、あれ、は、まあ、実際食べてるわけではない、ないよな? 口には入れたのか?? わかんないけど。
 森の中裸足で、裸で、かけまわったり。泳いだり。野生……。
 セックスもまるっきり獣同士って感じだった。すごい。迫力。
 性別も曖昧。というか境界なんてなかったことになるのか。

 「ボーダー」というタイトル、人間とトロルとか、男女、雄雌? 社会と野生とか、なんかもう、いろいろと、越えるってことかなあ。

 怖いというか、混乱というか。何を見せられてるんだか、物凄い圧倒される。
 ティーナは、ヴォーレと出会ってやっと、自分が自分であることがわかる、という感じ。ずっと、人間として不完全、という感覚があったんだろう。でも、人間じゃないなら、これでいい、それがいい、っていうか。
 けれど、人間ってものに復讐しようと、赤ちゃん取り換え、売買してしまうヴォーレのことは許せない。あのご近所さん、と、それなりに仲良くつきあってきてたって感じなんだろうなあ。人間だからっていうだけでそんな無差別な復讐を、していいわけない。

 ヴォーレは、多分逃げ延びて。未授精、ではない赤ちゃんを産んだわけだ。
 ティーナのうちの前に置かれた赤ちゃんにはしっぽがあった。ティーナが育てていくのかなあ。繁殖……。
 やっぱ、生き物だから、繁殖したいものなんだ。
 それはそれで圧倒的に正しい……。

 これはこういう映画、って、すんなり咀嚼できない、圧倒的な力をぶつけられた映画だった。人間か。人間ではないか。そのあわいが、ゆらぎのまま描き出されている。
 北欧ミステリーっていうか、ミステリ??? ファンタジー?? うーん。そういうの言えない感じ。パワー……。

 「ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者ヨン・アイビデ・リンドクビスト、が、原作、脚本も手掛けた、とのこと。私、ぼくのエリ 見てないんだよな。それもすごく評判よかったのは知ってる。けど、まあ、それを知ってても知らなくてもいいと思うけど。
 とにかく見に行ってよかった。呆然としちゃう。見てよかった。

 

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映画 「ジョン・ウィック パラベラム」


*ネタバレしています。


映画 「ジョン・ウィック パラベラム」

 9日の水曜日に見ました。「ジョーカー」の後に。個人的二本立て。

 チャプター3。とのことで、前作でホテルのルールを破って街中の殺し屋から追われる羽目に陥ったジョン。あの状況でどう逃げるんだ?? と、わくわく待ってました。

 ウィンストンから一時間の猶予をもらったジョン。図書館へ向かう。しかし大渋滞。犬だけならいいはず、と、犬をコンチネンタルホテルへ届けるようタクシーに頼んで、走っていきます。
 で、図書館の本に秘密の隠し場所か~。そこでもう早速フライングの相手と格闘。図書館ではお静かにーっとなりつつ、撃退。

 と、そんなこんなで、またなんか過去に因縁あったり助けたりのつてを使って、カサブランカへ行ったり。砂漠に放り出されてアラブの王様?ギャング? に話付けてまたNYに戻ったり。途中勿論にいーっぱいアクションあり。かっこいい!!!!!

 ソフィア、という、かつてジョンが助けたことある殺し屋(?)に助けを求めて。彼女も犬を飼ってるのね。そんでその犬をやっぱたかが犬、みたいにされたせいで、最初はジョンと関わり合いになりたくないって感じだったけど結果的にジョンを助けて戦う。賢くて強いシェパード2頭が彼女の相棒なの。犬と共闘するそのアクションがめっちゃめちゃかっこよかった!

 一方NYでは、コンチネンタルホテルに裁定人というのがやってきた。殺し屋たちをまとめる王みたいなのがいる、らしく。ウィンストンにクビを言い渡し、ホテルから追い出そうとする。ジョンに一時間の猶予を与えたことの罰。
 ホームレスを束ねるキング、ローレンス・フィッシュバーンね、彼も、裁定人に処罰される。ジョン・ウィックを助けた罰。
 裁定人の手足となるのが、寿司職人、で、忍者なのかな~? なんか強い殺し屋一味なんだけど。寿司職人は猫派で、ネコちゃんの登場もちらっとあって、可愛かった。猫派へのサービスをありがとう監督^^

 ジョン・ウィックは伝説の殺し屋で。実は殺し屋たちの憧れの的って感じ。だからこそ殺す命令だたらみんな沸き立つのね。寿司職人もあんたの大ファンなんだ、とか言って。ヤバイファンだな~っ。

 そんなこんなで、裁定人への反発から、ウィンストンとジョンは共闘する。ホテルを舞台に激しい戦い。たくさんの銃。威力もけた違い。格闘も派手。舞台も派手。ビジュアル最高だし、格闘はしっかり重そう痛そうにたっぷり見せられる。さすがキアヌ~! かっこいい!!!!!

 で、まあ、なんとかめでたく裁定人と交渉に持ち込んで、ウィンストンはコンチネンタルホテルを取り戻す。あのロビー受付にいつもいる彼、マネージャーなのかな? 彼も戦ってたの、めっちゃ強くてクールでステキだった。コンチネンタルホテルは再建する。
 さて、では、ジョンは?
 という所で、ウィンストンがジョンを殺す。撃って、落っこちていくジョン。
 けれど、その死体は消えてしまった。

 実はまだ生きていたキングのもとへ助け出されたジョン。あのスーツもやっぱ防弾だったんだっけ。まあ、死んだことにして逃げるって算段だったのかもしれないけど、どうだろう。
 ともあれ、助かったジョンと、キング。結局トップをやっつけに行くことにする、のかなってところでお終い。4に続く! のかな。多分4も製作決定だった気がする。
 キアヌとローレンス・フィッシュバーンが世界を統べる王を倒しに行くって感じ、マトリックスじゃーん。続きも楽しみ~。

 ジョンの過去、がちらっとわかったりもした。バレエ学校、青少年を育成してる裏で暗殺者を育てている学校があるのねえ。バレエ学校ってなんだかそそられる。
 コンチネンタルホテルを舞台にTVシリーズだかなんだかのスピンオフは決まってるんだっけ。そしてこのバレエ学校でもスピンオフがあるの、かな? どうなんだろー。
 ジョン・ウィックワールドがどんどん広がっていく。
 キアヌ、55歳。若い頃からそれぞれに、代表作、シリーズがあってすごいなあ。キアヌにもジョン・ウィックにも幸せになってほしいよ。これからも面白い映画待ってます。

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映画 「ジョーカー」

 *ネタバレしています。

映画 「ジョーカー」

 

 

 9日水曜日に見に行きました。話題作問題作みたいな評判で、早く見に行きたかったけどようやく。

 

 「バットマン」の世界の魅力的悪役、ジョーカー。「ダークナイト」でのヒース・レジャーの圧倒的な迫力にすっかり参った私。今作では、ジョーカーになる前、アーサー・フレックという一人の男の物語だった。

 

 コメディアンを目指しているアーサー。精神病院に入院歴があるらしい。福祉事務所(?)での面談。薬。突然笑いだしてしまうという疾患を抱えながら、ピエロの紛争で、閉店セールの看板盛ったり、慰問に行ったりしている。母と二人暮らし。母も病を抱えていて、その介護もアーサーはしなくてはならない。

 

 母はかつて、ウェインさんのお屋敷で働いていたから、きっと助けてくれるはず、と手紙を書き続けている。街の名士で大金持ちのトーマス・ウェイン。市長選に出馬の話も進んでいる。
 人々に馬鹿にされ街では不良に絡まれ殴られ、通っていた福祉事務所(?)は閉鎖になる。同僚に自衛のために持っておけよ、と渡された銃。小児病棟への慰問の時にその銃をうっかり落としてしまい、問題にされてクビを言い渡される。
 母の手紙を読んで、トーマス・ウェインが本当は父親なのではないかと知るが、母こそが妄想に取りつかれ精神を病んでいたと告げられる。
 母の入院記録を強引に見たアーサーは、自分を虐待する男から守ろうともしなかった母のことを知る。
 誰も、どこにも、認められない孤独を深めるアーサー。

 

 憧れのテレビ司会者、マレーが、たまたま見たのか、アーサーが出演した小さなステージの様子のビデオをテレビで照会したことが評判になって、テレビショーに呼ばれたアーサー。
 すでに地下鉄でエリートサラリーマンを殺し。母を殺し。同僚を殺した後のアーサー。
 もうなにもない、という彼は、憧れだったはずのマレーのひどさを糾弾し、ショーのさなかに撃ち殺す。
 荒廃した街には怒れる群衆がピエロの仮面をつけて暴徒化し、その頂点に祭り上げられるアーサーは、ジョーカーだった。
 ラスト。精神病棟にいるアーサー。部屋を逃げ出し。そして彼の足跡は血の足跡だった。

 

 

 というような感じかなあ。
 とことん、悲惨な、救われない男、アーサーの物語。
 そして、精神を病んでいる彼の世界なので、あれ、途中で彼女できたのか? って思ったら、それは妄想だったのかーーーっと明かされたりして、最後精神病院の所で終わるし。この映画のどこからどこまでが妄想なんだ。というかお前、本当にジョーカーなのか? ってくらいに何もかもわからなくなる映画。
 辛くなってしまってぐったり。

 

 まあ私はオリジナルの、というか、DCコミックにおけるジョーカーについてなんかしってるわけではないんだけど。ジョーカー、に、なるまでのビギニングみたいな映画、っていう感じではなかったと思う。舞台は現代よりは前の、ニューヨークらしきゴッサムシティだけど。そして微妙に、というかまあ、「バットマン」につながるエピソードがあるわけだけれども。
 単独映画だ、というのは言われていて、ほんとそうだなあと思った。「ダークナイト」的な圧倒的悪のカリスマ、先読みの先読みしまくり悪の天才、みたいなジョーカーではない。バットマンになるはずのブルース・ウェイン坊ちゃまはまだ子ども。それはそれで、因縁が深い感じはあったんだけれども。

 

 今作のアーサーは、意図してピエロのまま悪のカリスマになっていったわけではない。地下鉄でエリートリーマンを殺したのも、自己防衛、やけっぱち衝動的短絡的なもの。それが勝手に象徴的意味を持って報道され語られ、群衆を扇動するきっかけとなってしまったけれども、それはアーサーの考えではなく、偶然がもたらした結果。

 

 最初に、街の清掃員ストがあって、街中にゴミが溢れている、というテレビ報道があった。街にはずっとゴミが放置されて、あちこち吹き溜まりの評にゴミ袋が積まれている。
 清掃って大事;;荒廃の象徴はまず、片付けられないゴミなんだよなあ。

 

 多分今のアメリカ、社会に救われなくなってしまった孤独な人って、たくさんいるんだと思う。アメリカに限らず日本だって。ヨーロッパだって。本当に世界中に沢山いるんだと思う。貧しさの問題はどこにでもあるし、社会が、隣人が、困っている人を助けることができるのはたまたまというしかないような。ほんとは社会としては、たまたまとかで助けられるか無理かなんてことではなくて、みんなの救いを考えなくちゃいけない所なんだと思うけど。なかなかすべてに行き届くことはできない。

 

 見捨てられだとしか思えない状況に陥った男が、世界を憎むことはなんて悲しい。
 悲劇ではなく喜劇だ、と、ゆっくりおどるアーサーに魅入られる。
 演じるホアキン・フェニックスがアカデミー賞候補なんて評判だけれども、そうであっても当然て思える。本当に本当に凄い。げっそりした体。傷だらけの体、そして精神。そのボロボロの砂人形みたいなあやうさと不気味さが、生々しく彼の姿から伝わってくる。
 かっこよくない。全然ダメな感じしかない。なのにとてつもなく美しい。まさに道化の神。神々しいほどの、演技だった。

 

 けれど、この映画って、名作なんだか問題作なんだか、って、結構周辺のなんだかんだもあるみたいで、どうにもぐったりしてしまう。
 アーサーの姿から、現代の社会格差とか貧困、孤独、底辺の暮らしみたいな問題を見るのも辛いし。
 監督が、ポリコレばかりのこんな世の中じゃコメディは無理だとかなんとか、なんとなく、昨今の風潮がダメみたいなのへのダメ、みたいな感じとか。
 映画作りとして、社会への問題提起、とも、暴動煽る、とも、とれる感じ、とか。謎めいている感じがむしろ計算ミスっぽいように思えたり、ホアキン・フェニックスの演技力が凄いことにかかってるというか、それだけ、か。みたいな感じとか。

 

 いくつかネットで感想いくつか読んでみたりもして、まあ、いろいろで問題作とうか、けど、いろいろすっごくたくさん言われてるのはそれだけの感想呼ぶ力はあるわけで名作かなあとか、私にはわからない。

 

 私は、本当に本当にホアキン・フェニックスすっごい凄すぎる、って思ったけど。どうしたってヒース・レジャーのイメージ連想しちゃうけどなあと見る前は思っていたけれども、それは違った。映画がなんだか全然別物で、「ジョーカー」として比べるものじゃないなあと思った・
 というかほんと、これは「ジョーカー」の名を借りた、「バットマン」を借りた、現代社会派、みたいな作品なんだろうなあと思う。

 

 アーサーが憧れてる司会者、マレーを演じているのがロバート・デ・ニーロなんだよね。ある意味社会の頂点である、強者の立場にいる男。一見親しみやすい顔をテレビで見せておいて、実は傲慢な男。成功者を戯画化したような男。それを撃ち殺すアーサー。コメディアンとしての成功は程遠く。親が親ですらなかったと知らされた金も仕事も何もない男、アーサー。

 

 友達、も。
 同僚殺した後に、小人の男は、あんただけは優しくしてくれたよな、と殺さず逃がすんだけど。けど、といってもアーサーだって小人な彼を馬鹿にしたような感じがあった気がするんだけど。ちゃんとドアロック外して逃がすけれども。あの時小人さんのほうは友達だなんて思えてなくて殺される恐怖しかなかったよねえ。怖い。
 精神に問題抱えてて、友達なんて作れなかった、って感じではある。けど。アーサーも、なんだか実際友達を欲して人付き合いしたことなんてなかった感じだしなあ。
 しかしそれは精神の病ゆえなのか……わからない。

 

 貧しく、苦しく、社会になんの希望もなく。銃を手にしてしまった。
 アーサーの境遇は本当に辛いことの連続。辛い。すごく辛い。だけど、そこで敵と思う相手が無差別になってどんどん人を殺していっていいことには、ならないんだよ。それは違うし。まあだからもちろんヴィランなんだけど。

 

 この前みた「ホテル・ムンバイ」を連想した。貧困の中に育って。こんな世の中が悪いんだーと、無差別テロに走る。こんな世の中が悪いんだー、まではそうだけど、無差別テロで、その辺の人々を殺していいわけないんだよ。辛い。

 

 元ネタというか、影響受けた映画として「キング・オブ・コメディ」「タクシー・ドライバー」があるそうで、デ・ニーロはだからなのかな? 私、どっちも見たことがなくて。有名ですよね、とは知ってるけど、見たことなくて。アマプラにあるらしいので見てみなくちゃな……。それでこの「ジョーカー」がわかるようになるという気はしないけれども。

 

 ほんと、これ、いっそ「バットマン」と無関係であればいいのに、と思う。バットマンのことも考えちゃうから、これ、は、本当にジョーカーなのか?? 何が現実? 何が妄想? ってなんだか考えちゃう。ブルースぼっちゃまの両親が殺されるほどの暴徒化のムーブをこのアーサーがきっかけとしてあった、って、なんだか思いたくない。たまたまのきっかけなのだ、とは、思うけど。まあそもそも本当に、立派な両親が暴徒に殺された、のは、ブルース坊ちゃまの視点、世界の中の物語なので、トーマス・ウェインがあんな風になんだかちょっと金持ちの鼻持ちならないやつ、だったかもしれないし。
 とはいえ、そのなんだか傲慢なトーマス・ウェインはアーサーの世界から見たものだし。うう~ん。
 そもそもあのシーンも幻だったかも、とか、うーん。どうなのかなあ。

 

 アーサーの母の妄想でトーマス・ウェインとは関係なんてなかった。って言われたけど。母の若い頃の写真の裏書に「素敵な笑顔だね TW」ってあったよな? あれ多分TWはトーマス・ウェインだろう、と、思うんだけどけどまあ確証はないけど、けど、それって、本当はちょっとしたつきあいみたいなくらいのことはあったのか、それで母は舞い上がったのか、捨てられたのか、ほんとわからなくなる。

 

 ホアキン・フェニックスのすごさを見られたのはよかった。けど、疲れてしまう作品だったな……。問題作。名作。でもまさに今、の感じを思う映画でした。日米同時公開ありがとう。よかった。

 

 

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『混乱のひかり』 (加藤治郎/短歌研究社)


『混乱のひかり』 (加藤治郎/短歌研究社)

 第十一歌集。

 55歳(2015年1月)から59歳(2019年6月)までの476首を収めた、とのこと。白くて、黒いタイトルがシンプルで美しい大きくて重い(物理)歌集です。

 作者の暮らしが見えるような、けれど詩である浮遊感に漂っている感じがきれいだった。
 帯に、「今度は、「普通の歌集」を作ろうと思った」とあり、前のはレイアウトに凝りまくったやつなんですよね……すみません読めず。で、今度の「普通の歌集」は私にも読みやすく、といっても多分私は歌集全然読めてないんだろうねえ、多分全然いい読者ではないですよねえと思いながら、自分なりにすいすいと読んだ。
 歌、作者、の安定を思う。私なんかが言うまでもなく歌を作ることはとても上手い。なので読んでツライことはなく、差し出された世界をなるほどと安心して味わえる。

 たくさんの社会詠、時事詠。その手触りの生々しさを、私は記憶力なくてわからなくなっているけれども、歌にしているって、歌集にまとまって読むって、大事なのかな。

 時々のオノマトペとか記号だとか入るのも控えめな感じ。詞書で物語的に情景が浮かび進むのも読みやすかった。親切な歌集をどうもありがとうございます。

 いくつか、好きだった歌。

  シャッターは灰色の舌、野良犬のどこにもいない三十一番街  (p15)
  錆と葉のからむ廃園(もうだれも監視していない)さらさらと消ゆ (p17)

 「冬の遊園」という一連から。閉鎖された遊園地、という舞台。「シャッターは灰色の舌」という言い切りがかっこいい。野良犬がいない、といわれることで野良犬を幻視させる手法も決まってる。
 廃園。というのが、単に遊園地の感じではなくて、天国めいた楽園が荒れ果ててしまったようなイメージを持つ。そこに入る「監視」という言葉の強さとバランスがかっこいいと思った。けど結句「さらさらと消ゆ」はいかがなものか、って気がする。

  早々の小さな文字を便箋に飾るおそらく庭に立つ人  (p26)

 「恋」という一連。先生という人物。誰なのか何なのか私にはうまくつかめなかったのだけれども、この一首にはなんだかとっても惹かれた。手紙の終りとしての「早々」なんだな、と、あとで思った。一読めは、「くさぐさ」って呼んじゃった馬鹿ですみません、なんだけど、下句の「庭」にひかれたんだと思う。草花の話を書いてるのかと思った。「おそらく庭に立つ人」というその人の表し方も素敵だと思う。

  (お)気持ちはだれにでもある夏雲の影が道路をよぎるときのま (p63) 

 気持ちは誰にでもあるよ、夏のひかりと影のつかのま。の歌、だけれども「(お)」がつくと、これはネットで見かける、「お気持ち」といって女性や弱い気持ちを言う相手をからかう、蔑む言い方、ってことだろうと思う。()に入れることによるささやかな抵抗だろうか。こういう言葉をさらっと歌に作れる、時事性っていうか、社会詠っていうか。うまいと思う。

  幾本も錆びた線路が横たわる俺の居場所はおれの体だ (p99)

 これ三句切れでいったん場面が変わると読むか、全部一息に読むか私にはちゃんとわからないんだけれども。錆びた線路が続く乾いた茶色みたいな景色が「居場所」で「おれの体」という把握が面白かった。荒涼とした感じ。言い切ってるのもかっこよかった。

  そっちに行けば苺畑が見えてくる永遠病のぼくたちのため (p141)

 「苺畑」と「永遠病」って、なんだか、うわあって思う。「ぼくたち」だし。甘酸っぱい。ロマンチック。80年代90年代初めって感じ、と、思うのは私がそういう時を懐かしい時って思って持っているからかなあ。ともあれ、この言葉の並びはすごいなあって思った。

  炎天の博物館の階段を上がるわれらは骨をうごかして (p147)

 外は炎天、だからなおさら博物館の中はひんやりと乾いている、その冷たい空気感を思った。その階段を上がる、「骨」というワードが博物館にすごく似合っている。骨を動かして動く、歩く、のはごく当たり前のことなのに、この場とこの時の感じとして、急に骨が意識されるの、なんとなくわかる気がした。

  そしてp173~「混乱のひかり」。 平成元年から平成三十一年、今年2019年までの一年一首ずつの短歌による個人年表。
 これは短歌研究での企画なんですよね、確か。多分。こうして個人の振り返りを歌にして綴ることができるって凄い。そして読んで面白かった。そんな毎年のこといろいろ覚えてるものなのか。いろいろ資料あたって思い出したりしたのか。すごいなあ。詞書と短歌でちゃんとわかるの、すごい。そして平成の前からずっと歌人だったのかーと思った。凄いなあ。


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『微風域』 (門脇篤史/現代短歌社)


『微風域』 (門脇篤史/現代短歌社)

 歌集。

 栞はあるけど著者のあとがきもなにもなくて、わからないなりに、作者の描き出す世界を堪能しました。作者、(作中主体っていうべきかね)多分働く男。無職期間があったらしい。転職かな。妻がいる。多分出身はそこそこに田舎。そんな、多分若い世代の普遍的男性像。夭折、が何歳までなのか気になるくらいの年齢、ねー。

 すごく、うう、わかる、と思う歌がいっぱい。情けなくダメっぽいんだけれどもむしろかっこいい、クール、って感じ。あれもこれもいっぱい好き付箋つけそうになるけどきりがなくなるなって控えめにつけつつ読んだ。
 閉塞感とか、なんでもない日常生活への恐れとか、とはいえ結構ちゃんと生活、暮らし、のある感じの一冊だった。水。雨。自然というよりは、街で感じる、生きている感触が伝わってきた。


 いくつか、好きな歌。

  食道をしづかにくだる牛乳の朝を伝へる冷たいちから  (p9)

 歌集最初の一首。ああ、朝に牛乳を飲む人なんだなあと思った。この、なんだろう、生真面目そうというか、いい人そうというか。冷たい牛乳を飲んでそれが体の中へゆく感覚を感じて描写する人。朝の牛乳ってそういう力があるんだなあ。

  世界から隔絶されたこの場所でジェットタオルの風に吹かれて (p11)

 トイレで手を洗って乾かしている所ですよね。仕事場がとてつもなく異界であるこの一連。「世界から隔絶された場所」「風に吹かれて」という大仰な言葉は、職場にいることをなんでもない日常として受け入れがたい、っていう悲鳴なのかなあと思った。

  秒針と長針短針さういへば同じ給与で働いてゐる (p12)

 時計の針は誰から給与もらってるですか。内臓電池? 多分腕時計をぢっと見ている気がする。時計の針の動きの違いに同じ給与か、と思ってしまう辛さよ……。

  慈雨のごと降つて湧きたる休日に身体中から芽を出してゐる (p21)

 「慈雨」である休日。「身体中から芽を出して」しまうほどの喜びと安らぎ。仕事大変なんだなあ嫌なんだなあと思う。それは多くの人の実感なんだなあと思う。直喩、暗喩、どちらも素敵な表現でほどけていく体の感じが伝わってきて好きだった。

  この忙しい時にあなたが補充する液状のりのよろこびのこゑ (p25)

 これは、あなたに対してイラついているんだかありがとうって思っているんだか迷う。業務用っていうかなんていうか、液状のりのでっかいボトルあるよね。あれ、小さい普段使う容器に補充するんだけど、あるある。それこのクソ忙しい中でやりますかあなた、という苛立ちのようでもあり、使いたい時にのりがないと困るもんね、ありがとう、なのか。どっちでもなく、今ですか、と、なんかそのあなたと、とろとろ落ちてゆくのりを凪いだ気持ちで眺めているのかな。なんか、クソ忙しいからこそ、のりを補充しよう、っていうぼーっとしたくなってるんじゃないかなあという「あなた」もわかるような気がするし、とろとろおちる液状のりの、ゆっくりした時間がエアポケットのようで、いい。補充されてるのりの気持ちとしての充実していく「よろこびのこゑ」っていうのもなんかおかしくていい。わかんないけどなんだかめちゃめちゃ共感して好きな一首。

  蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと (p29)

 蟹缶って贅沢品と思う。それを自分のために開けているの、ちょっと特別な時間だと思う。蟹缶の汁を「海」と表現しているのがとっても特別感が伝わってきて、すごくいいと思った。「そおつと」あけてる手つきが見えるようなのも素敵です。

  いつからか蛍光灯は間引かれて我らを淡くあはく照らせり (p41)

 「いつからか」とはいえ、それは多分東日本大震災の後の節電節電節電しましょう、っていう時からじゃないのかな。電力が足りなくなる、といった時からの。この薄暗さ、日本の薄暗さであり、原発問題であり、不況と崩壊の薄暗さだと思う。その中に「我ら」はいるのだ。

  つつつつと剃られた髭が落ちてゐるもう僕ぢやないただの汚れだ (p74)

 剃って落ちた瞬間から、さっきまで「僕」の一部だった髭が、洗面台の汚れになる。洗面台で剃ってる情景を思い浮かべたんだけど。その、まっしろな陶器に散る黒いモノのリアルさを感じた。

  我が子から死ねと言はれた話など聞きをり日付はしづかにかはる (p92)

 消防団だかで、当番とかがあるの、かな。私はそういうのがよくわからないんだけれども、なんとなく、地域活動で、男の人たちが集まって、っていう感じ。そんな話を聞かされて、それはそれは、くらいしか言えないと思うんだけれども、なんだかこの、地域ぐるみの男たちの連帯感みたいなの、が、違和感でもあり、良いものでも、ある? よいものかなあ。わからないけれども。なんか、けど、そういう、そんな話などしてしまうような場、っていう感じが凄い。

  五線譜にをさまるやうに生きてゐてコロナビールにさし込むライム (p110)

 何度か、臨時記号で変調するみたいな歌もあったと思うけど。基本的に五線譜の線から外れない、ゆるやかな穏やかな流れの中で生きている、っていう感じですか。ころなびーるにライムがささってくれば素直にそのままさし込んでいく。音楽のたとえ、というか、音楽について私はわからないけれども、こういう比喩のあかるさはいいなあと思う。

  くれなゐのホールトマトの缶を開けいつかの夏を鍋にぶちまく (p124)

 料理、よくしてるんだなあと思った。中でも、このトマト缶の歌は、丁寧な暮らしではない方の「ぶちまけ」の粗っぽさがかっこいいのと、「いつかの夏」という表現もかっこよかった。トマトって夏ですねえ。

  これはまだ私だらうか手のひらにひかりをためて顔を洗へり (p159)

 ここでいう「まだ私」が、手のひら、ってことでいいのか、ちょっとわからない。手のひらにためたひかり、水までも「私」って思うのか。けど、ん~。手のことかな。髭と違って手のひらはそう簡単に切り落としたりしないものなのに、「まだ私だらうか」と思ってしまう、ちょっとヤバイ方向なのが綺麗だった。

  遺失物処理係がゐてあなたへの回路はゆつくり閉ざされてゆく (p187)

 どういう歌なのかわからないなあと思いながら味わった。現実のことではなく、一首全体が幻想的かな。自分の中にいる遺失物処理係、というものをが、行き場をなくしたあなたへの回路、あなたへの思い、だと思うけど、それを処理しちゃって回路が閉ざされてしまう、想いが閉ざされてしまう、という感じかなあ。回りくどく淡い哀しみが漂う感じ、いいと思った。
 すごくいい歌だらけですごいなあ。面白かったです。

 

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『空ふたたび』 (原佳子/ながらみ書房)

『空ふたたび』 (原佳子/ながらみ書房)

 

 歌集。
 「空」という一連に始まり、タイトルにも空があるし、空を見上げるのがお好きな著者なのだなあとふんわり読んでいた。空を見上げ、祈ること。この著者のそのわけがわかるのはすぐだった。息子さんが事故にあい、入院、看護、介護と、懸命に寄り添いながら、儚くなってしまった。おそらく小学一年生で事故にあい、瀕死の状態から数年後、亡くなられたとのこと。
 その哀しみの日々を歌の中に読み共にたどる思いでした。

 

 短歌を始めたのはその頃からだいぶ時が過ぎてのことだそうで、大声で泣き叫ぶような哀しみではなく、深く深く静かに、時を経たからこその歌であり、しかし時を経ても全く色あせることのない思いを感じました。
 ブルー。青空の色を配してるのも、悲しみの鮮やかさであり、祈りであり、そしてひかりと癒しでもあるように思います。
 こうして届けられた歌集を読めてとてもよかった。
 人のこころ、いのち、時、勿論私は同じ経験があるわけではないのだけれども、いろいろなことを心底から思う歌集でした。

 

 いくつか、好きな歌。

 

  雲ひとつなき冬空に朝の陽はあたたくありわれのすべてに (p13)

 

 「われのすべてに」という言葉に、何か朝のひかりの許し、癒しを感じているように思った。穏やかにシンプルに朝、という歌だけれど、伝わってくるものがとても大きな許しに見える。

 

  地下鉄の扉のガラスにうつりいる吾の姿に頭あらざり  (p16)

 

 息子さんの事故からすぐの頃の思いだろう。地下鉄の扉、というのがすごくいい。そこにうつる姿って、現実にあるのに、心の中を反映しているようだ。「頭あらざり」と静かに言い切っているのが刺さります。

 

  木の葉には表がありて裏があり返さずにおく人の言の葉  (p25)
  吾がこぼす言の葉なべて降り積もるそのまま朽ちてゆく哀しみと (p26)

 

 言葉に敏感である作者。木の葉言の葉と重なるイメージ。多分傷つく言葉とかそんな事言われたくない言葉もたくさんあったのだろうなと思う。けれど、裏は見ないことにしてる、そう決めているのがいい。
 そして、話しかけても反応のない子への言葉、きっと聞こえてますよ大事なことですよって、そうは思っても朽ちてゆくばかりのような、むなしさを覚えることもあったんだろうなあと思う。さらりと表現されているけれどもとても深く伝わってきた。

 

  窓の辺に風船蔓の苗植えてわたしの空に夢を浮かべむ  (p35)

 

 「風船蔓」の名前に惹かれてふわりと風船を浮かべるような想像を持って植える、小さな心の浮きたちが感じられて好きだった。

 

  いちめんの向日葵とれもこちら向き目を逸らしたき思いにかられ (p38)

 

 あ~なんか向日葵の黄色の鮮やかさと夏って感じと、すごく素敵なんだけど、こちらが弱っているときにはその強さが眩しすぎる気持ち。共感しました。

 

  パリッシュブルーの空が裂けたり冬のあさ息子の息は止まりていたり (p47)

 

 青空だったのか、と思う。「息子の息は止まりていたり」のむき出しの出来事が深く刺さってくる一首。この一連、とてもとても凄くて胸が詰まる思いで読みました。

 

  ひさかたの春のひかりに取り出す闘病日記三十六冊  (p53)

 

 三十六冊の重み。それがもっと増えてもよかったのに、とも思う。あるいは「闘病日記」なんてなくて、「成長日記」だったらよかったのに。ふわりとした初句からの結句の重みのバランスがぐっときました。

 

  アスファルトの小さき割れ目につゆくさは咲きたり車が通れば揺れて (p71)
  吾子が渡りきること叶わざりし道きょうもわたしは歩むほかなし  (p71)

 

 お子さんが事故に遭った時のつゆくさ。その道。作者にとっては決定的に変わってしまったそれらが、まるで変わりなくあること。一人一人に、一瞬に、景色は変わってしまうし、変わらずにある、ということを思いました。それを見つめる作者の目の確かさ、秘めた哀しみを思います。

 

  スロバキアの公園のベンチにおばあさんと英語で話す日本のこと (p83)
  ひら仮名で日本語を話す韓国の女性と村上春樹を語る  (p100)

 

 旅行詠もあり。作者は異国で、一期一会で、話をするんだなあと眩しく思いました。丁寧に互いを尊重している趣が感じられていいなあと思った。

 

  これまでに見たことのない鮮やかな紅をさしたる吾子のくちびる (p123)

 

 兄を亡くした妹。多分息子の方へ心囚われすぎていたこともあったのだろう。我慢をさせてしまったとかもあった。その娘が成長し、小さな妹、ではなく一人の女性として、これは踊り? かなにか、舞台に立つ姿ですね。改めて目を見張る、家族でありながらまた別の顔を見せるちゃんと立派な一人の女の子である姿が印象的。こういう感慨、あるんだろうなあと想像できました。

 

  いやだった雨の日がいやでなくなって雨が好きという君に近づく (p135)

 

 これは夫とのことだろう。夫との関係も、時間をかけて寄り添っていくんだなあという感じ。家族の関係って、一定じゃないし、良くも悪くも変わっていくし、ゆっくり時間をかけるということ、大事かなあと思う。「雨」を挟んで表現されているのがいいなあと思った。

 

  肩の力抜いてごらんと木は立てり椎の実ぽーんと目の前に落つ  (p142)

 

 これは多分下の句が先で。目の前に椎の実が落ちてきて、ちょっとびっくりして立ち止まる、目をあげる、そして見つめたその木に「肩の力抜いてごらん」と言われたように思えた、という感じだと思う。「ぽーん」というのがよくって、ぽーんとその一瞬、ほわっと力が抜けた気がする。「ぽーん」っていう実感があったのではないかなあと思う。読んでいて私もふっと力が抜けた。歌集終盤のこの一首、印象的でした。
 
 どんな歌集にも、いやどんな本でもエンタメでも、作り手の思いは深くこめられていて、いいものなんだけど、これは本当にとても、大事な歌集を手渡された気がしました。ありがとうございました。

 

 

 

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映画 「ホテル・ムンバイ」

*ネタバレしてます。


映画 「ホテル・ムンバイ」


 2008年。インド、ムンバイでの同時多発テロ事件。まだ子どもみたいな、少年、青年たちが、マシンガンや手榴弾など武装して、駅や繁華街で人々を殺していく。高級ホテルとして外国人客も多いダージマハル・ホテルもその標的となった。
 多くの宿泊客。従業員。テロリストの問答無用無差別の殺戮の中で、懸命に生き残る。

 実際の事件なんですよね。あんまりちゃんと記憶してない。11年前か。同時多発テロ、って、アメリカで9.11があったのが2001年か。テロの恐怖って、ほんと、現場の悲惨さが……。
 この映画の中では、犯人側、実行犯の青年たちはたぶん狂信的に洗脳されてるような感じ、というか、イスラム以外は人じゃないと信じ込まされている、信じている、彼らにとって聖戦っていうのは本気なんだろうけれども、けれど、街で、ホテルで、無差別に殺していく人々は、敵じゃないだろ、と、苦しくて悲しくて怖くてたまらなかった。

 ホテルの従業員たちにも家族がいる。今なら裏口からひそかに脱出できる。という時に、逃げるのは何も恥じゃない、いいんだ、って、料理長が促してあげるのよかった。かっこいいよ料理長。
 そして残った従業員たちは必死に、お客様を安全に誘導し、落ち着かせて静かに助けを待つ。
 怖い、ということでパニックになりかけそうな客とか、ほんと、ハラハラする~~~。

 ドキュメンタリーではなく映画なので。かっこよくヒーローが描かれる、というほどでもないんだよなあ。みんな一人一人がヒーローである、とも言えるけど、そしてそれぞれ本当に立派な人も必死の行動も描かれていたけど、殊更な劇的さというわけではなく。スーパーヒーローはいない。誰もがただの一般人、という感じが、すごく苦しかった。

 レストランで働くアルジュンが一応主人公かな。彼に始まり、彼が家族のもとへ帰れたことで終わる。かっこよかった。合わない靴とか、大事なターバン、ターバンじゃなかった、何か、あのー頭巻いてるやつのことを丁寧に話したり、けど人の命かかってるときには躊躇なく外して傷をおさえて、とか。彼の誠実さみたいなのがじんわりとよかった。
 やっと、脱出できて、原付でほわーっと家族の所へ帰って。小さい娘に沐浴させてる妻の姿見て、ちょっとはにかむようにしてたのが素敵で。家族を見つめる。大声あげて駆け寄ったりしないんだなあ。しみじみと嬉しくて、生き延びたって思えたんだろうし、大事件の非日常から、自分の暮らし、自分の日常に戻って、ちょっと気恥ずかしい、みたいな感じがすごく、よかった。

 アーミー・ハマーが人質になるアメリカ人、で出てて、さっすがビューティフルで見惚れた。すっごく金持ち? マハラジャとかいう感じ? のインド人の妻ザーラの、愛する夫デヴィッド。金持ちのアメリカ人やイギリス人は人質にしろ、ってテロリストの方針。
 赤ちゃんがいて、ナニーの女性がいて、って、まあ、金持ちですなーという感じなんだけど、赤ちゃんを守る、という一心で行動する。
 アミハマちゃんが演じてるといえど、ただのアメリカ人なので、テロリストをやっつけたりはしない。できない。銃を持ちざくざく人を殺してる相手に、丸腰で出来る事なんてほとんどない。捕まるし殺されてしまった;; ショック。とはいえなんとか反撃するとか命からがらとかで生き延びるのではと思ってたの。
 テロリスト、ほんと、自分の命も最初から捨てる気だから、人殺すのもためらわないんだよなあ。
 唯一ためらったのが、妻、母であるザーラが銃をつきつけられて思わずイスラムの祈りを口にしたとき。
 イスラムでなければ人じゃない、という彼らにとって、アッラーの名を唱えて祈る彼女は人、なんだな。そしてやっぱり、人殺しは嫌なんだ。辛い……。

 あと人質の中のロシアン・マフィアっつーか、元特殊部隊だったとかいう、下品な、けどザーラを助けてくれたおっさんがいて。彼もかっこよかった。けど。けど、普通というか、映画的には彼が目覚ましい活躍をして人質を助けるとかになってもいいのに、彼も抵抗は示したけど、結局は殺されてしまう。
 銃をためらいなく撃つ相手に、丸腰、無理……;;

 赤ちゃんが泣いちゃう、気づかれる、殺される、というハラハラがありつつも、赤ちゃんが無事逃れられて、ほんとよかった。
 ザーラも脱出できた。ほっとした~。

 大勢が、あまりにもあっけなく殺されていった。助かった人もたくさんいて、よかった。
 本当に本当に、彼ら一人一人がヒーロー。だけど、どうしようもなく苦しい。テロリストたちの被害者は、ただたまたまそこにいただけの、普通の人たち。たとえ金持ちだったとしても、それは敵で殺していいわけない。無関係、みんな、ただの人なのに。

 実行犯たちを、多分訓練し、多分洗脳し、信仰の狂気にかりたてた、ほんとの悪人、親玉みたいなやつが、ずっと電話で指示したり、悲鳴が聞きたいから電話を切るなといったりしてて、電話の向こうの声に、お前が~~~悪い奴――っと怒りがわくのに、そいつはまだ捕まっていないという。事実の、重み。苦しみ。
 悪が制裁されてすっきりおしまい、ではない……。

 実行犯たち、家族にお金がいくから、っていうことも動機の一つだったみたいで、その親玉が家族にお金出すっていってたらしいけど。騙されてるのでは。家族、お金もらったりしてないのでは。青年たちは単に使い捨てされたのでは。ほんと、苦しい。
 テロリストは悪。だけど、あの青年たちが、単純に悪いって言いきれない。いや、すごく、めっちゃめちゃ人を殺してて、悪いのは決まってるんだけど。悪、って、一体……。
 
 ずっしり重く苦しい、見ごたえたっぷりの映画でした。

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『わが母なるロージー』 (ピエール・ルメートル/文春文庫)

*ネタバレしてます。


『わが母なるロージー』 (ピエール・ルメートル/文春文庫)

カミーユ警部のシリーズ、2.5作目、といった所。シリーズの三部作の途中に入る、200ページあまりの中編。

 序文によると、依頼があって書いた。その頃、『天国でまた会おう』を構想中、で、道端に開いている何かの工事かなんかの深い穴が開いているのを見た。で、この小説のアイデアが固まった。というようなことらしい。すごい。書いてくれてありがとうの気持ち。

 パリの街で爆弾が爆発した。テロ組織によるものではない。なんと戦争時の不発弾をもってきて起爆させたものらしい。
 カミーユは休みあけ、ルイから電話を受ける。犯人が自首してきた、カミーユとだけ話すと言っている、と。

 で、爆発が起きてから三日間の物語。ジョン、でも自分ではジャンだと言い張る犯人は、全部で7発、爆弾を仕掛けてる。要求として、車で死亡事故を起こして捕まっている母、ロージーを開放して、自分と母とをオーストラリアへ身を隠せるよう手配してくれ、ということ。
 そんな要望はきけない。けれど残りの爆弾を爆発させるわけにはいかない。カミーユから、特殊部隊(だっけ?)の拷問に切り替わっても、ジャンの要求は変わらない。
 何故、彼はそんな事をしているのか。母の事故とは。

 母と息子の物語だった。
 ちょっと愚かで、息子べったりの母親。喧嘩ばっかりしている親子なのに、ジャンが家を出ようとすると、一度は喜んでみせるものの、母は絶対に息子を手放しはしない。
 ジャンもまた、こんな事件を起こしたりせず、今が自立のチャンスのはずなのに。母にこだわる。何故。

 てことで、カミーユもずっと何故、と違和感を抱えて突き詰めていって、この親子は離れられない、ということ、が、わかった、わかったんだろうな。彼らは逃亡しきることは出来ない。

 で、神経戦って感じでヒリヒリと捜査の進行とジャンとの尋問とがぎゅっと詰まってる。
 相変わらずルイくんは超有能で、かっこよかった~。私の脳内キャストはアーミー・ハマーだよ。政府のえらいさんになりかけてるかつてのクラスメイト(?)がいて、えらそうにしてるかと思いきや、ルイが来た途端しょぼんってなるシーン面白かった。ルイは首席、彼は落第すれすれだった、みたいなことらしい。

 で、最後には、警察は要求をのむふりで、飛行機にが離陸と同時に爆弾の場所を教えろ、と、ジャンとロージーを開放する。爆弾の場所を聞き出せば飛行機をUターンさせる計画。
 しかし、ジャンは空港へ行かない。夜の公園。自分が仕掛けておいた地下の爆弾の真上で、母とともに踊る。携帯で鳴らす古いヒット曲。「ロージーとジョン」。ロージーがその曲にちなんで息子の名前をジョンにした。ジョンは、自分ではジャンだと言い張った。

 愛し合っていた恋人たちの歌、名前。ロージーとジョン。
 最後にその曲とともに、ジャンは母を抱きしめて爆弾を爆発させ、死んだ。

 張り詰めたラストシーン、とてつもなくうつくしかった。
 ロージーが息子に執着してて、息子は被害者的な、洗脳っつーか支配下にあって、って感じに思ってたけど、息子のほうも、どうしようもなく愛してた、のか。愛? 愛かなあ。それはやっぱり支配されてたのでは。何度か逃れようとして。けれど逃れられなくて。それは、それでも、ジャンはジョンである自分を、持て余し苦しみ、最後に受け入れたのか。
 さすがにおフランスといえども、実の母子の、親子愛じゃない感じの愛は、なしだよねえ。
 捕まった母から、離れがたかったのか。そしてもう、無茶なことをしなくては母ともう一度一緒になれないし。そして。死を選ぶしかない、と、いうことだったのかなあ。

 あっという間に読み終わってしまった。
 これ、三巻目の時に、ちらっと触れられてた事件なんだよねえ。これで、カミーユ警部のシリーズは全部翻訳が出たってことか。
 今からなら順番に読んでいける。いい。

 『悲しみのイレーヌ』→『その女アレックス』→『わが母なるロージー』→『傷だらけのカミーユ』ね。一応事件は一つずつ、とはいえ。やっぱり二冊目から出て、っていうのは、ちょっとなあ。けどまあ、それで面白くて続いたってことなんだろうから、うーん。難しい。
 だんだんはまってきた。ルメートル。カミーユ警部ものはもう書かないそうだけど。ルイくんでスピンオフとか~どうですか。どうかな。
 次は天国―からの三部作目なんだっけ。お待ちしています。

 


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