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『重吉』 (江田浩司/現代短歌社)

『重吉』 (江田浩司/現代短歌社)


 詩と短歌の一冊。八木重吉にの御霊に捧ぐ、とのこと。2019年6月刊。
 恥ずかしながら、八木重吉、えーと、詩人? ってくらいしか知らないのでこの本の読者としてダメダメだと思う申し訳ない。ちらっとググったところ、クリスチャンで英語教師で詩人、という感じか。

 冒頭に、重吉「断章」短い詩が引用してある。「わたしは弱い」という4行の詩。
 章の初めに詩、そして短歌という構成。重吉の詩のような感じ、なのだろうか。ひらがなが多く、やわらかく丁寧に畏れをもって世界を歌っている。春、夏、秋、冬、季節の順番に詩歌が並ぶ。優しい一冊という読後の印象が残った。

 短歌に、一字あけとかなくて、ひらがな多いし、ちょっと読みづらくもあった。一冊のトーンがほぼ変わらない、淡い水彩、色を一色しか使わないで描いているみたい。すうっと読める、読めるのは読める、けど、一冊まるっとこれなのはどうかなあ。まあそういうテーマで一冊作りましたということでしょうか。ボリュームが多いわけではないので、んー。けどやっぱりちょっと、納得しかねる気はした。

 好きな歌いくつか。でも私、詩も重吉もわかりません~という中での、勝手な好み。

  手にそつとふれてゐるのはきのふから消えずに残る夕日だらうか (p16)

 多分ほんとはこの前の詩と合わせて読む、べき、かなあと思いつつ一首鑑賞。昨日から夕日の感触が手にずっと消えずにある、という感覚がとても素敵だと思った。何か寂しい、本当は何かに触れていたい、のに、なにもない手にふれるものが、ある、あってほしい、きっと夕日。というイメージ。うつくしいです。

  よわいこころいつもあなたの名をよんで手をふりながらあびるゆふやけ (p22)

 最初にひいた歌と通じるように思う。でもこの時には呼ぶ「あなた」の名があってよかった、という気持ち。弱いこころの支えになる「あなた」なのだろう。あるいはこうして手をふってあびた夕日がまたあしたまで、消えずに残る寂しさになるのだろうか。

  絵のなかにゆれる日がありわたしから弱さをとればひだまりの肉 (p28)

 わたしには弱さしかない、ということなのだろうか。なんて弱いの、と心ひかれた一首でした。自分の肉体、肉、が、その絵の中に入っているみたいに読めた。弱い心だけが漂って、あやうい。弱さがとりだされた肉は、なんだか確かな物体となってごろっと転がっている気がする。ひだまりの中で、肉の塊が穏やかにいるのかな。もう弱いわたしがいなくなった、肉。私の読みの勝手なイメージが広がって面白かった。

 もうそろそろわたしを透きとほらせてくれをんなの顔があかるくうかぶ (p54)

 あまり意味はわからない。なんとなく、透き通りたい、という訴えはわかる気がする。うかぶのは好きな女の顔なのだろうか。透き通る存在になりたい、という願いと、けれどそうはいかない、現世の煩悩につかまって逃れられない、という風に思った。わからないのに目が留まってなんかいいなあと掴まれた歌。

  にんげんが嫌ひな人はまずだれをゆるすのだらう雨のふる日に (p91)

 誰も許さないんじゃないの、と思った。「にんげんが嫌ひな人」という始まりにひきこまれた。私だ、と思う。人間が好きな人はそんな日に誰かを許しているのだろうか? と不思議に思う。しっとりと優しい雨なのだろう。人が人を許せるのだろうか。まあ、許すも許さないも人間の気持ちなので、人間が行うしかないのだけれども。なんとなく、ゆるす、というのをもう少し大きなことのように読んでしまう。キリスト教的気配をなんとなく、なんでかなあなんとなく、思うのかもしれない。

  もうそこに道はないのよふるさとは胸いたきまでいちやうをちらす (p101)

 かつてあった道に銀杏の黄色がたっぷり降り積もって、もう道かどうかもわからなくなるほどに無限に銀杏の葉が散っている景色が見える気がした。思い入れのある大事な場所、道だったのか。「胸いたきまで」という直截な言い方が切実な気がした。

  ざん酷なやさしさのいろおりてくるなにもまじへぬふゆの空から

 「ざん酷」という表記に参った。端的に言えば雪が降ってきたという歌かと思う。冬の空気の冷たさ、それを残酷というのか、けれそれは優しさの色、という。綺麗だ。

 この本の良い読者ではないなあと思うけれども、私なりに、詩歌を楽しませてもらった。綺麗な一冊でした。

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