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『重吉』 (江田浩司/現代短歌社)

『重吉』 (江田浩司/現代短歌社)


 詩と短歌の一冊。八木重吉にの御霊に捧ぐ、とのこと。2019年6月刊。
 恥ずかしながら、八木重吉、えーと、詩人? ってくらいしか知らないのでこの本の読者としてダメダメだと思う申し訳ない。ちらっとググったところ、クリスチャンで英語教師で詩人、という感じか。

 冒頭に、重吉「断章」短い詩が引用してある。「わたしは弱い」という4行の詩。
 章の初めに詩、そして短歌という構成。重吉の詩のような感じ、なのだろうか。ひらがなが多く、やわらかく丁寧に畏れをもって世界を歌っている。春、夏、秋、冬、季節の順番に詩歌が並ぶ。優しい一冊という読後の印象が残った。

 短歌に、一字あけとかなくて、ひらがな多いし、ちょっと読みづらくもあった。一冊のトーンがほぼ変わらない、淡い水彩、色を一色しか使わないで描いているみたい。すうっと読める、読めるのは読める、けど、一冊まるっとこれなのはどうかなあ。まあそういうテーマで一冊作りましたということでしょうか。ボリュームが多いわけではないので、んー。けどやっぱりちょっと、納得しかねる気はした。

 好きな歌いくつか。でも私、詩も重吉もわかりません~という中での、勝手な好み。

  手にそつとふれてゐるのはきのふから消えずに残る夕日だらうか (p16)

 多分ほんとはこの前の詩と合わせて読む、べき、かなあと思いつつ一首鑑賞。昨日から夕日の感触が手にずっと消えずにある、という感覚がとても素敵だと思った。何か寂しい、本当は何かに触れていたい、のに、なにもない手にふれるものが、ある、あってほしい、きっと夕日。というイメージ。うつくしいです。

  よわいこころいつもあなたの名をよんで手をふりながらあびるゆふやけ (p22)

 最初にひいた歌と通じるように思う。でもこの時には呼ぶ「あなた」の名があってよかった、という気持ち。弱いこころの支えになる「あなた」なのだろう。あるいはこうして手をふってあびた夕日がまたあしたまで、消えずに残る寂しさになるのだろうか。

  絵のなかにゆれる日がありわたしから弱さをとればひだまりの肉 (p28)

 わたしには弱さしかない、ということなのだろうか。なんて弱いの、と心ひかれた一首でした。自分の肉体、肉、が、その絵の中に入っているみたいに読めた。弱い心だけが漂って、あやうい。弱さがとりだされた肉は、なんだか確かな物体となってごろっと転がっている気がする。ひだまりの中で、肉の塊が穏やかにいるのかな。もう弱いわたしがいなくなった、肉。私の読みの勝手なイメージが広がって面白かった。

 もうそろそろわたしを透きとほらせてくれをんなの顔があかるくうかぶ (p54)

 あまり意味はわからない。なんとなく、透き通りたい、という訴えはわかる気がする。うかぶのは好きな女の顔なのだろうか。透き通る存在になりたい、という願いと、けれどそうはいかない、現世の煩悩につかまって逃れられない、という風に思った。わからないのに目が留まってなんかいいなあと掴まれた歌。

  にんげんが嫌ひな人はまずだれをゆるすのだらう雨のふる日に (p91)

 誰も許さないんじゃないの、と思った。「にんげんが嫌ひな人」という始まりにひきこまれた。私だ、と思う。人間が好きな人はそんな日に誰かを許しているのだろうか? と不思議に思う。しっとりと優しい雨なのだろう。人が人を許せるのだろうか。まあ、許すも許さないも人間の気持ちなので、人間が行うしかないのだけれども。なんとなく、ゆるす、というのをもう少し大きなことのように読んでしまう。キリスト教的気配をなんとなく、なんでかなあなんとなく、思うのかもしれない。

  もうそこに道はないのよふるさとは胸いたきまでいちやうをちらす (p101)

 かつてあった道に銀杏の黄色がたっぷり降り積もって、もう道かどうかもわからなくなるほどに無限に銀杏の葉が散っている景色が見える気がした。思い入れのある大事な場所、道だったのか。「胸いたきまで」という直截な言い方が切実な気がした。

  ざん酷なやさしさのいろおりてくるなにもまじへぬふゆの空から

 「ざん酷」という表記に参った。端的に言えば雪が降ってきたという歌かと思う。冬の空気の冷たさ、それを残酷というのか、けれそれは優しさの色、という。綺麗だ。

 この本の良い読者ではないなあと思うけれども、私なりに、詩歌を楽しませてもらった。綺麗な一冊でした。

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『クロストーク』 (コニー・ウィリス/新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

*ネタバレしてます。


『クロストーク』 (コニー・ウィリス/新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 2018年12月刊。
 ブリディはコムスパン、携帯電話メーカーに勤めているアイルランド系の女性。親族の過干渉に悩まされる日々。会社はアップルとは違うさほど大きくはない所。新規アイデアが勝負。噂好きの社員たちに、トレントと付き合ってるの? 婚約? そしてEEDを受けるの? と詮索されまくる。
 EEDとは、ちょっとした脳手術で、恋人同士が互いの感情をダイレクトに伝え合う画期的な技術。言葉を介することなく感情がつながるので、不信、不安とは無縁になる。セレブの間で流行って人気のドクターの予約は何か月も待たないと取れない。家族やなぜか仕事の同僚である変人CBにまでEED手術なんてとんでもないと言われまくるブリディ。
 けれど、トレントの運なのか、キャンセルが出て奇跡的にすぐ手術が受けられることになった。トレントは会社の女子誰もがうらやむような理想的恋人。ブリディはすべての邪魔をかいくぐって、手術を受けた。
 だが、肝心のトレントとの接続を得るより先に、CBの声が聞こえるようになってしまった。一体何故?

 と、そんなこんなの、ロマンティックコメディSF。CBとブリディの間にテレパシーでの会話ができるようになってしまって、そんな馬鹿な!? 恋人はトレントなのに。一緒に手術を受けたのに。何故CBと?? そしてひっきりなしに家族から、電話、テキストメッセージ、直接の押しかけ、などなどのごたごた。会社では噂を避けてなくてはならない。どうして? どうすればいい??

 ってもう、1ページ目からうるさいことこの上ない。も~~~ずーーーっとうるさい。邪魔ばっかり。邪魔ばっかり。何一つスムーズにいかないし、ゆっくり落ち着く暇が全然ない。全くない。ずううううう~~~~~~っとうるさい~~~~~あああああ~~~。

 ってことで物凄くイライラするんだけど、面白くて一気読みしそうになる。おそろしいわコニー・ウィリス。二段組で705頁あるのに。二日ほどで読み終わりました。
 まあ、一時も早く読み終わってしまって、このうるささから解放されたかったってのもある。それでもぐいぐい読めちゃう面白さ。ほんとすごい。
 ブリディの心情言葉ひたすら全部、全部全部、一時の休みもなしに書き綴られている。ううううううるさい。そして邪魔が入りまくり。そして人の話し聞かないし、話も聞いてもらえないし。隠し事はいろいろあるし。何なの!?? 何なの~~っと読んでるこっちもすっかりブリディに同調してしまって、あ~ほんと疲れる。イライラ~。

 私はどの登場人物も好きになれず。まあ、そもそもヘテロな恋バナ、ロマコメ好んで読まない……。それに正直、序盤の、何故だかCBとテレパシーが繋がってしまった!って心に入ってこられる感じが、心底気持ち悪くて、コメディって気分では読めなかったし。
 読み進めると、あ~CBがんばってくれてるんだね、ってなるし、まあ、ねえ。ブリディは恋しちゃったんでしょ好きになったんでしょ、お互い好きなんでしょ、はいはい、って思って、認めてないのはお互いだけ、みたいなね~。そういう茶番は全然好きじゃない。
 なのにぐいぐい読まされてしまう、おそろしいわコニー・ウィリス。大森望 訳。

 でもこれって、あれじゃない、映画「スピード」でいってた、危機的状況で協力しあったドキドキが恋愛という錯覚に、って、吊り橋効果って、そんなやつ~。けどまあ、二人がめくるめくラブ&セックスして幸福~ってとけあってめでたしめでたしってことになるんですね~という雰囲気で終わるので、その後はまあ、お好みで、ってことですねー。私だったらテレパシーで互いの思考が繋がるなんて絶対絶対絶対に嫌! ほんとにそんな風に人とつながって幸せ感じるものなの?? ラブラブカップルならそうなの?? いやあ無理~。

 ってまあ、ロマコメSFだから、まあ。そういうものなんですねと。

 ずーっとうるさいし、みんなにイライラするし、んも~~なんだよ~~と思うし、好きな所ないなあって思うけど、面白く読めてしまう。面白かった。おそろしいわコニー・ウィリス~。

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『IQ 2』 (ジョー・イデ/早川文庫)

*ネタバレしてます。


『IQ 2』 (ジョー・イデ/早川文庫)

 アイゼイアは、兄がひき逃げ事故ではなく、狙われて殺されたのだ、と犯人捜しを続けている。ある日、兄の恋人だったサリタから電話がかかってくる。アイゼイアもひそかに恋していた彼女から会って欲しいと言われ、頼まれたのは妹ジャニーンのこと。ギャンブルにはまり、恋人ベニー共々借金を抱えて大変なことになっているらしい。あちこちのギャングスタ、中国系のヤバイやつら。複雑な状況の中、アイゼイアはドッドソンに協力を頼み、ジャニーンたちを助け出すため奔走する。

 1の時に、ロスのホームズ、みたいな煽り文句だとかいろいろに釣られて読んで、結構好きだったな、てことで2も楽しみに読み始めました。今作ではちょっと大人になりつつあるアイゼイアたち。ドッドソンはシェリースという恋人ができて、赤ちゃんももうすぐ生まれるという。フードトラックで地味に真面目に働く中、アイゼイアに誘われてヤバイ事態に踏み込んでいく。

 サリタへの憧れ、恋。アイゼイアはお兄ちゃん大好きっこだから、兄が恋人にとられそうになるなんてむかつくーって感じだったのか、いざ会って見るところっと好きになっちゃう、そんな子どもな感じとか可愛いけどな。
 なんか、そんなこんなの過去と、現在の事件進行が描かれるのが、どうにもぎくしゃくしてて、読みづらい、あんまり面白く思えない。ドッドソンは子持ちになるのか~とか、アイゼイアも恋愛か~とか、そういうの別に私にとっては楽しい話しじゃない~。ジャニーンとベニーは似た者同士ダメダメカップルで、まあ、お似合いなんでしょうが、なんでそうまでギャンブル狂いでアホダメになれるのか、なってしまったから仕方ないのか、どーにもそんなに頑張って助けなくてもいいのでは、って思っちゃう。

 どのキャラにも、なんだかな~という感じのまま読み進むので、ほんとつまんない、もうシリーズ読みつづけようとも思わないかな~。って、思ってた。

 終盤になって、サリタから会いたいという電話がかかってくるシーンがもう一度描かれて。あ、あれ? この時系列、は、どう? えっと~。とちょっと思い直してみて、考えさせられた。場面切り替わりのたびに、これは、何?どうしてるの?なんで今そういう話し? とうまく呑み込めなくて、わからん、つまらん、って思ってたのが、ちょっとすっとした。

 その後はだいぶすんなりわかって、ぐっと面白かった。サリタはもう新しいふさわしい恋人がいて、アイゼイアはなんも言わない、言えないままに失恋。セブという男がマーカスを、サリタとつきあってるなんて許せないとばかりに殺したのだ、と断罪して、アイゼイアは、殺さなかったけど、心を殺すように踏みにじって、また怒り恨みをかってた。どうするの。またなんか後々絡まれるだろうなあ。
 サリタはこれで退場なんだろうか。セブ絡みでなんかあるのかなあ。

 ドッドソンとまた事件解決のために動いてる時、アイゼイアはそっけないながらもやっぱりドッドソンと一緒にいるのが心強いのかも、という感じをちらっと思ったりして、やっとちょっと人間らしさを持ってきたのかなあ。寂しく凍った心がちょっとはゆるんできているのかも。
 ドッドソンも、恋人と赤ちゃんを絶対に愛してる守るっていう信念ありながら、アイゼイアと組んでもっとでかい仕事したい、みたいな申し出をしていた。今後二人で組むのかなあ。どうするアイゼイア。

 一応の解決はあったものの、なんだかアイゼイアはやっぱり面倒な事態にすぐなりそうで心配。でもスクラップ置き場で出会ったグレイスという芸術家な女の子と、進展するのかなあ。
 3冊目も本国では出てるらしいので、続きがまた出れば読む、かなあ。んー。

 話しの筋を丁寧に描写、ってタイプの作家ではなく、シーンの断片、切り替えをしまくる感じ。ちょっと私がうまくついていけないのか……。どーかなあ。あと私はキャラ萌えしながら読むのが好きなんだな~と思う。あんまりこのキャラに思い入れ持てない。アイゼイアとドッドソンが今後うまくコンビになっていったら楽しくなるかなあ。どうなるのかわかんないけど。
 とにかく、がんばって読んだ。個人的満足感は最後まで読み切ってよかった、まあまあ、でした。
 


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映画 「天気の子」

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「天気の子」

 

 IMAXで見てきました。せっかくなら色鮮やかに見たい。
 
 とはいえ、正直あまり思い入れもなく。「君の名は。」がすっごく流行った時につられて見に行った。けど、まあ、そりゃあ綺麗だと思ったけれども、大好きってわけでもないなあ、と思った、そのくらいのテンションのままで今作も見に行きました。予告やCMにつられまくって。
 タイアップCM、すごく多いよね? 特にカップヌードルは耳につくので、本編で出てきた時笑っちゃって困る。まあいろいろ、商品名とかなんだかんだ、出てくるのは、んー、いっぱいタイアップできてよかったねと思うんだけど、んー。ああいうのを見て、現実の自分が手にしてるものたちがアニメの中に!って感動するのがよい見方なのだろうか。ん~。
 まあ私も好きな作品見てる時に目についたものとか現実のものであると喜んで買っちゃったりするかなあと思うので、まあ、うん。たくさん物品があるのもリアルな小道具と思うかな。

 そして梅雨が長くて雨降りの多い関東地方。今年の天気でこの映画公開になったの、すごく重なって感じられる。運だなあ。

 

 少年のモノローグで始まる。あの時、と彼は語る。僕たちは世界の在り方を変えてしまった、と。
 女の子が、病室で誰かの手をとっている。雨続きの外を眺めると、一筋の晴れ間が、ビルの屋上の鳥居を照らしているのが見えた。その光を目指して外へ出る女の子。そこは廃ビル。屋上の小さな神社。強く、強く願いながらその鳥居をくぐって、彼女は、願えば晴れになる力を得たのだ。

 

 フェリーに乗って東京へ家出してきた少年、帆高。16歳。大雨の注意を聞かず甲板に出ていた所、大きく船が揺れて、危うく転落しそうだった所をくたびれた感じの男に助けられた。命の恩人、といって子供に飯をたかるダメ男、須賀圭介。胡散臭げな名刺を渡して少年とは別れる。
 家出してきたものの、身元不明の16歳を簡単に雇ってくれる所はない。マックで飲み物一杯で夜を過ごす帆高に、ハンバーガーを一つくれた店員。そのバイト店員が、陽菜、晴れ女の力を持つ女の子。
 
 街をさまよい、野宿の場所も見つけられず、ごみ箱から銃を拾ってしまったりしながら帆高は捨ててなかった名刺の場所を訪ねる。結局バイトは見つからず、圭介の編集事務所、とは名ばかりの半地下の部屋へ、住み込み、雑用、記事書きの手伝いとして落ち着いた。ムーだとか、オカルト系雑誌の記事のネタを集めたり。そこには、夏美さんというきれいなお姉さんもいて、一緒に仕事をする。

 

 そんなこんなで人物は出そろい。あ。陽菜の弟、凪も。小学生なのにモテモテで彼女っぽい子が二人もいて仲良くしてる。恋愛の先輩、と帆高は呼ぶことになる。

 

 雨が降り続く中、晴れ女の力でお金かせげるんじゃない? とネットで売り込んでみたら、依頼がきて、稼げるようになって。大きなイベントにも呼ばれちゃったりして。
 帆高と陽菜と凪。街の片隅で身を寄せ合う子どもたち。

 

 しかし、天気の子、巫女の定めとして、天気をあやつる代償にいずれ消えることになるとか。そんな占い師や言い伝えの注意がありながら、晴れ女として自分の役割、人を笑顔にできてうれしい、と陽菜は言う。

 

 で、まあ幸せな時間は長くは続かず。家出少年として、また、うっかり銃を発砲しちゃったことで、帆高は警察に追われる身。誘拐犯になりたくない圭介には首にされる。姉弟、未成年二人だけで暮らしていた陽菜たちも、いよいよ保護されるかも、そしたら引き離されちゃう、嫌だ。というわけで三人で逃げ出す。
 子どもたち。
 子どもだけでもなんとかやっていける! とか、大人の助言が全部自分たちの邪魔にしか思えないとか。ああ~子どもだ。理屈も正論もない。ただただ、自分たちの感情の爆発に自分が振り回されていく。

 

 まあ、大人たちの方も素敵な良い人ってことじゃないけれども、まあ一応、それなりに大人のふるまい、でもある。職務とか立場とか、大人ってというか人ってやっぱ自分が大事でしょ、というのは当然。
 それでも、つまらない日常の中、ピュアな帆高や陽菜たちの姿は眩しくて、つい、力を貸してしまうのも、ほろ苦いぜ。正論はわかる。けど、それより大事なものと信じる方へ、走り出せ、と見送ってしまう。
 圭介さんが、実にダメな大人で、ダメさがかっこいい、というやさぐれ感ステキだったよー。小栗旬が声やってました。かっこいい。
 圭介さんもかつて、東京へ家出、かなんかで出てきて、妻となる人と出会い大恋愛、娘がいる、けど、妻は死んでしまった、喘息のある娘はあちらの実家に引き取られていて、父である自分は疎外されている。という、ヨワヨワな感じで、ほろっといっちゃうんだよねえ。

 

 晴れの巫女のように願えば天気を変えられる。少しの時間、狭い範囲だけど。そんなファンタジー。ボーイミーツガールの王道のキラキラな恋。貧しくて、食事はカップラーメンでも。ポテトチップスで味付け? で、チャーハン作るとか、豆苗を水につけてて二回目の収穫してんなーとか。そんな節約生活みたいな中、けれど、心から美味しい~、いただきまーす、ってする。若くて、恋、の自覚の一歩手前の何よりもだれよりも仲間だ、という嬉しさいっぱいの二人。
 青春が眩しいぜ……。

 

 ファンタジーだけれども新宿あたり、東京の街はリアルに描きこまれていて、あーあの辺、ってすぐわかるような背景。ただただ雨が降り続け、水が跳ね、晴れが広がる瞬間は最高に輝く。水の塊の中に魚がいるとか、謎は、天には別の世界がある、という証だろうか。

 

 相変わらず少年がお姉さんの胸の谷間みてドキドキ、とかやってますが。その感じで繰り返された「どこ見てんのよ」が、終盤の、陽菜の体が透明になりかけてる、という所で言われると、どうしようもなく切ない言葉で。これはうまかった。
 東京に降り続く雨。異常気象。けれど、陽菜が人柱として天にめされれば、きっといつもの夏がくるよ、と、いう。そして陽菜が消えたあと、確かに晴れて夏がきて。
 
 けれど、帆高はあきらめない。本当は陽菜のほうが年下で、今月18歳っていうのは嘘で。帆高と陽菜と凪と、三人でいるだけで幸せだった時にも、本当は自分が一番年上だったんだ、って知る。そして無茶苦茶をしまくって、天の陽菜を迎えにいった。天気なんかどうでもいい、晴れなくてもいい、と、陽菜と共に地上へ戻る。帆高の方が竜神的なものなんじゃないのか―? とちょっと思った。冒頭、わざわざ大雨になるっていう時に大喜びで甲板に出て行ったじゃん。あれなんで。特に説明なかったような。ん~。

 

 三年後、ってことで、帆高は実家に戻って高校卒業で、進学のために東京へ。あの日から、雨はやまず、東京は水没している地域がいくつも。それでもなんとか、人々は暮らしているし、大昔は海だったりしたし、天気なんてもともと狂っていたんだ、お前たちのせいじゃない、と、行ってくれる圭介。会社が結構まともにちょっと大きくなっていた。猫ちゃんも大きくなっていた。
 三年、保護観察の身だった帆高は、あれから陽菜に会ってなくて。でも、やっとまた、会いに行って。坂道の上で陽菜は小さく祈っていた。駆け寄る帆高。僕たちは、大丈夫だ!

 

 ってことでめでたしめでたし。ですかねえ。
 本当に綺麗な映画で、汚いところさえ綺麗で、ダメなことも綺麗で、素晴らしくきれいに作り上げられていた。若者の無鉄砲さや閉塞感、その中での希望、絶望、未来。大人のやるせなさやつまんなさも責任も、あった。世界を変えてしまうけれど、恋にひたむきな爽やかさの力がすべてを突破していく。
 感動的だし面白かった。けど、ん~。私はやっぱまあ、あんまり好きにはならない。若者たちの素直な恋が眩しすぎるよ……。
 というかまあ、私が、ヘテロな恋バナに根本的に興味が持てないので、ああそうね、よかったね、と、100歩下がって見てしまうからなー。そうじゃなかったら好きになって感動するだろうか。わからない……。

 

 世界より君が大事!っていうのは、とてもよくって、子どもに運命背負わせるんじゃねーよ、と思うので、帆高くんたちのせいではないよ、っていうのはその通りで、そういってあげてよかった。

 

 しかしまあ子どもだからこそ、陽菜ちゃんちに警察とか児童相談所かなんかの人? 状況把握してたっぽいのに、母が亡くなってから何か月? 二人だけのままにしてたんだか。実は15歳とかって、義務教育のうちってわかってるのに、何故。登校拒否とか扱い? 父がかえってきますとかなんとか嘘ついてたりしたのかなあ。
 子どもだけの世界のキラキラは、とっても良いんだけれども、なまじ現実的背景みっしりだったりするので、そんな根本的なとこが気になったよ……。
 東京、あんなに水没してタイヘンすぎるだろ、とか。まあ、勿論天気のせいなんで、人為で気候を変えることはできないでしょーから、仕方ない、仕方ない、かねえ。けどハリウッド映画ばかり見て地球がしょっちゅう滅亡しそうな世界観に慣れてる私は、まあすごいタイヘンだ、と考えちゃうけど、同時に、ま、関東地方だけのことなら規模は小さい、とか思っちゃったり。いやいやタイヘンなことだよ。

 

 あと「君の名は。」キャラが出てた? ちょっと、ん? と思ったけどまあ、それはまあいっか。他にも多分なんかオタク的サービスがあるのかな? よくわからない。
 映画始まる前のCMで、白い犬お父さんが出てるぞ、探してね、みたいなのが流れたのも笑った。探さなかったけどw
 ともかくあの「君の名は。」の新海監督の新作です!!!みたいな世の中の期待があるんだろうなあと思った。大変ですね監督。けどほんとよくきれいに作り上げてるなあと。見に行ってよかったです。見たぞ、と安心できるから。
 

 

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『三体』 (劉慈欣/早川書房)

*ネタバレしてます。


『三体』 (劉慈欣/早川書房)


 中国のSF、ついに日本上陸! みたいなことで、発売前からめちゃくちゃすごい、すっごいぞすごいすごい、と、ツイッターですっかりあおられまくっていたので、なんだか、もう、乗るしかないなこのビッグウェーブ、と思って、まんまと発売日に買いに行きました。7月4日だったかな。しかし一番近所の書店には入荷がないとのことで。うっ。早川。あんなに煽っておきながら配本行き渡らないとかどういうことだよ。と思いつつ仕方ないので翌日もうちょっと大きな駅近くへ行くついでに買いました。その後バンバン刷ったようで、今はけっこうどっかんと積み上げられてるみたい。けど小さい本屋にも回してよ……もう回ったのかな……。7/14日に読み終わり。


 それはともかく。
 凄い凄いと煽られまくっていて、本編の中の短編というか掌編(?)「円」がネットで丸ごとアップされたりもしていて、この掌編がSF作品の中にどう、本編として入っているのか?? とそんなこんなも気になって、読みました。本当に私も面白いって思えるかなあどうかなあと思いつつ。私、あまりSFに詳しいわけではないし、ハイテクとかこんぴゅーたーとかわかりませんし~。

 始まりは1967年、中国。文革の嵐の中、大学教授で理論物理学者のである葉の父は、つるし上げられた挙句死亡。それを目の当たりにしていた娘、葉文潔もまた、囚われ、辺境での労働につくことになった。
 やがて、彼女自身の天体物理学者としての見込みが認められ、紅岸基地へ赴任を命じられる。周囲と隔絶し、巨大なアンテナを空に向けたその基地は、宇宙との交信をはかる基地だった。

 と、そんなこんなの過去の所と、現在、であるところは2000年代ってことかな。ナノテク研究している王淼の目に謎のカウントダウンの数字が見え始める。秘密裡に軍事会議らしき所へ呼ばれ、不可知の戦争が進んでいるらしいことを知る。
 そして謎のゲーム、「三体」へのログイン。人類の太古からの歴史、文明の興亡を見つつ、その世界の謎の気候、世界のありようを探るゲームだった。人類の、とはいえ、ひどい気候の頃には人々は脱水、といって、すっかり水のぬけた皮の巻物のようになって保存され、その世界の王だけが巨大なピラミッドや地中深くで、天体観測をしたりしている。王淼はここには三つの太陽がある、その引力、接近によって世界は極寒から灼熱、あけない夜などの乱期と比較的温厚な恒期があるのだと見抜く。
 そして、三体の謎を知ったものだけが集められ、人類はもう駄目だ、三体世界から、高度な文明を持つ彼らを招き入れ、地球を守ろう、みたいな組織を知る。

 ん~~と。話し壮大なので、あらすじ書ききれない。あちこち、あれこれ展開していく。けどまあ筋がわからないってことはない。主役的なのは、葉文潔、現代だとおばあちゃんになっている彼女と、王淼かな。学者であり行動する人である。お気に入りキャラとしては、史強かなあ。警察官で上からはうとまれているけど現場に強い直感とか根性とかある、したたかおっさんキャラ。
 けどまあ、いろいろいっぱい話広がるし、人物も多いですし。ちゃんと把握できているかどうか自分でわかんないなあ。多分一応、ちゃんと読めた、気はする。どんどん広がる話に、えっ、そう?? とびっくりしながら。

 葉が、太陽を反射板に宇宙へメッセージを送ってみた、そして返事がきた。人類への警告だったのに、人類に絶望しちゃってる葉は、人類を滅ぼしにきて!って返信を一人勝手にすぐさま送ってしまう。

 文革とか、過激過酷な時、人生を生きてきたとは思うけど、おおお~~~お前の一存で人類滅亡ですか????? って、すごくびっくりした。世界に、未来に、良いものも幸せなこともあるだろうに。葉の知らない世界があるだろうに。考慮ゼロ??????????????
 そんだけ彼女の絶望が深かった、と思わなくちゃいけないのかもだけれども、あまりにも視野狭窄。一応その時彼女は中国以外の世界もあるとか、それなりに知識教養深めているはずなのに。怖い……。まあ私は中国の事をほとんどわかっていない。けど。映画なんかで見てる感じの感触しかわからない、けど。

 連想したのが「ゴジラ キング・オブ・モンスター」で、あれもさー。息子失った母の暴走で、古代の怪獣呼び起こす、みたいな感じだったなーと。人類なんてもう駄目よ、みたいな。いやいやあなたの一存で。あなたが子どもを失った悲しみ苦しみを世界中に広げていいわけ? 同じ苦しみを人類全体が味わえってわけ?? と、思ったり。まあ彼女は人類滅亡させるつもりじゃないって感じだけどさあ。
 どいつもこいつもサノスかよ!?? なんで自分の一存で。嗚呼。と、つい、マーベル世界まで思いが広がって泣いてしまうぜ。

 ともあれ。なんかいつの間にか地球は三体世界に侵略されるかもね、ってことになってる。大変だ。人類は虫けらだ。だが、虫けらを絶滅させるなんてことは、簡単じゃない。
 てな感じの、一応生き残る希望を抱く感じで一巻、終わり。三部作だそうなので、続きがもっとすごいとかまたもう煽られまくってますが、続き、早く~。2020年に出るらしい。早く……。

 いろんなテクノロジーのお話は、まあ私は多分ちっとも理解はできてないです。なんかそういう理屈があるのですか、へぇ……ってくらいで読みました。わかる人が読んだらもっと面白いのかなあ。
 この壮大な広げっぷりがどうなっていくのか、どう決着するのか、楽しみです。

 

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映画 「アダムズ・アップル」(カリコレ2019にて)

*ネタバレしてます。


映画 「アダムズ・アップル」

 15日(月・祝)に、カリコレ2019で先行プレミアだという上映に行きました。ノーザンライツ・フェスティバルで見てる。2017年かあ。(その時の日記↓)
映画「アダムズ・アップル」
 二回目なので少しは落ち着いて。と思ったけど、やっぱりすごく混乱するし、最後にはやっぱ泣いたわ。話しの展開はわかってるのに。わかっているからよけいに早めに心配だし、やっぱなんか嘘やろお~アホか~~~みたいなのも、すごく。

 仮出所してきたアダムを預かって、更生するよう手助けするイヴァン。教会の仕事を手伝う、そして自分で目標をみつけて。ってことで、アダムはすごく適当に、庭のリンゴでケーキを焼くのが俺の目標だ、と決める。

 ブラック・コメディというか、やはりなんだか、きちんとしてるとはいいがたい映画って感じなんだけど、その無茶苦茶さを最後には愛さずにはいられないってなるの、ほんとうにすごい。なんなんだろうこの、奇跡。

 マッツ・ミケルセンが大好きなので。マッツの半ズボン~ってもう何もかも好きなわけですが。イヴァンの、クレイジーなポジティブと、それに苛立ち、追い詰めてぼこぼこにしちゃうアダムとの関係が、本当にたまらなく好きだ~。
 人生の困難を、悪魔の試練だ、として、まともに考え直さず、ただただ退けることしかしないイヴァン。神を信じ、神の愛を信じてる。
 
 アダムがやってこなかったら、イヴァンはあの現実逃避のポジティブさのまま、脳腫瘍だかで突然死亡する、みたいなことになっていたんだろうか。アダムが現れたのは、神の愛?
 いやその前に、イヴァンにそんな過酷な人生背負わせてんじゃねーよ神様、と思うけどな~。けどアダムとってもあそこへいってイヴァンとやりあう、やり直す、のが、必要だったのか。うーん。神の御心ははかり知れない……。

 イヴァンがアダムと車に乗るシーンが何度かあり、「How Deep Is Your Love」のテープ(かな)をかけるんだけど。ラブソングだよねえ。アダムに何度も途中で切られてしまう。それが最後にはちゃんと歌詞も出て聞く、と、ほんっとラブソングだよねえ。神の愛って思うべきなのか。けど、隣にいる二人の、愛、と、思うよねえ。明るく爽やかに、ちょっと切なく。
 過激で過酷なテーマを抱えながら、なんか変な人ばっかりひどい、おかしい、わけわからん、という映画で。どうしようもなく素敵で大好き。愛の映画だ。うつくしい。

 上映後にトークショーというのがちょこっとありました。デンマークの人はこれでげらげら笑えるらしく、あ~デンマーク語がわかって、そういうナチュラルな笑いの感覚がわかったらいいのにな~~~と思う。私は、変なの~ってちょいちょい笑わせてもらったけど、デンマーク語のなまりとかまあそもそもデンマーク語わかりませんし。げらげらは笑えなーい。全然わからない言語でしゃべってる映画、素敵だよ(*ノωノ)

 10月に公開になるとのこと。すごいよなあ。2005年の映画が今公開。また見に行く。公開規模がどのくらいなのか、近くでやってくれーと思うけど。そして、ぜひぜひ、円盤出して。お待ちしてます……。

 

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映画 「ジョナサン ふたつの顔の男」

*ネタバレしてます。


映画 「ジョナサン ふたつの顔の男」

 15日(月・祝)に見ました。6/21公開だったのだけど、近くではやってなくて。まだやっててくれてよかった!

 ジョナサンはパートタイムで建築士として働いている。規則正しい毎日。昼間の出来事はビデオメッセージに残す。夜、ジョンという別の人格に入れ替わるから。

 ということで、二つの顔。二重人格が、首に埋め込んだタイマーで時間区切って入れ替わっている、んだね? ちょっとだけSFチック?? そういうことでもないのか。彼らの認識としては同じ体を二人が共有しているのだ、ということ。二重人格、って言い方もしてなかった。もう一人いた、とちらっと言ってたのでもとは三重人格だったのかなあ。赤ちゃんの時からだったみたいで、親に捨てられて、医師が、彼らの問題をつきとめ、育て、今もケアしている、ということみたい。
 多重人格といえば虐待!トラウマ! みたいな、かつて流行った感じとはトーンが違うかなあ。淡々と淡い映画だった。精神病としてセンセーショナルにとかいうのではなく、一つの体に二人で生きている日常生活をなんとかうまくやっていく、なんとかストイックに、仕事して眠って入れ替わって別の仕事して。それぞれの人生を交互に生きていくのだ、という所から描かれていた。
 けれど、恋人はつくらないルールを夜のジョンが破って、うまくやってたはずのルーティーンが崩れ出す。

 アンセル・エルゴートが主演。ほとんど一人芝居。基本的に昼のジョナサンの視点。ジョンはビデオの中にいるだけ。けれど、さすが、すっかり別人だし。ジョナサンの、ストイックに生きる、ぎりぎり張り詰めた緊張感の中、静かになんとか普通に、生きる感じ、とても綺麗でよかった。
 そしてジョンの恋人と自分がつきあうようになっちゃうとか。
 複雑な兄弟もえ~しちゃうなあ。ジョンがビデオメッセージ残さなくなって、ジョンがいなくちゃ駄目なんだ、みたいになっちゃうんだ。ジョナサンのほうが主人格、と思わせておいて、そうじゃなかった。
 医師であり母替わりでもある先生はジョンを可愛がってる、ってひそかに苦悩してたのも可愛い。エレナと付き合ったのもジョンの彼女だったから、みたいな屈折。ジョナサンのほうが、ついには消えてしまう。
 ジョンは、悲しみながらも旅立つ。

 これ、物心ついた頃には医師のもとで観察されてて、なんか、うーん。どうなんだろう。問題があった、のかもしれないし、あの医師はちゃんとまともに信用できる人なのか、ちょっとだけ疑っちゃう。面白い症例で論文書きたいみたいなことあったりしないか? まあわかんないけどな。ジョナサンがあまりにも素直で真面目だから、騙されているんじゃないのかと心配しちゃうよ。夜のジョンもへらっと陽気なようでいて、メンタルのダメージに弱いみたいだし。けれど、一人になって一人だちして、生きていってくれるのだろう。

 ジョナサンが、フランス語(だったっけ?)の勉強みたいなのしてたのを、一人になったジョンが飛行機乗った時、なんだかフランス語がわかるかも、みたいな雰囲気だったのか切なかった。ジョナサンは消えたけど、消えてないよね。

 夜のジョンが自分に隠し事しているのではないか。と疑ったジョナサンが私立探偵頼んで、自分を監視させる。その探偵役をマット・ボマーがやってた^^ 出番ほんの少しだったけど、すーっごいかっこよくって大満足! ちょっと髭で、ちょっとやさぐれ、あ~私立探偵ってこういう感じだね~と納得しちゃう。ハンサム。最高ハンサムでした。ステキ。
 
 思ってたよりずっと物静かな映画で、じっくりアンセル・エルゴートくんを堪能しました。

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映画 「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」

*ネタバレしてます。


映画 「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」


 14日(日)に見に行きました。
 1998年の劇場版ポケモン映画一作目をフルCGでリメイク、ということらしい。
 私は、その一作目は勿論、テレビアニメとか本来のゲームとかほとんど知らずに生きてきた人間。今、スマホで毎日ポケモンGOはやっている。先日のハリウッドの「名探偵ピカチュウ」はすっごく楽しんだ! という感じの人間。中高年。なので、本来のこの映画のターゲット、は、多分小学生くらい? そしてかつてポケモンに夢中になって今ちびっこ連れてまたミュウツーの映画を見ちゃう!という親、とか、その辺の人向けなのであろう作品を、見ても、お、なんか、わかんない。そもそも人間のキャラが全然、わかんない。まあうっすらと、主人公くんたちの仲間、と、なんか、ずっこけ的な敵役組が、いるねー、というくらい。で。ほんと何の予習もしてなくてすまない、と思った……。

 ミュウツーかっこいい~! とか、ポケモンたち可愛い^^ とか。ピカチュウの優しさ!可愛い!!! とか、そこそこには楽しみましたが。

 テーマとしては、人工的にクローンとして生み出されたミュウツーの命、を、ミュウツー本人(?)が懐疑し、勝手にうみだした人間に怒り、けれどサトシたちとともに戦う、ともに仲良く生きるポケモンたちを見て、自らも生きる場所を求めてさっていく、みたいな所ですかね。
 1998年、て約20年前。クローンとかが話題騒然だったりする頃だっけかなあ。ちょっとぐぐってみたところ、クローン羊のドリー誕生が発表されたのが1997年らしい。その辺の感じが、クローンとは。命とは、という命題が新鮮で深い話だったのかなあ。

 けどまあ。もちろん子供たちのための作品なので、親切設計。セリフはわかりやすく繰り返され、一つ一つの出来事の進行がゆっくりだなあと感じる。ミュウツーがいきなり根城にしてるあの設備とかいつの間に? 誰が?? とかよくわからなかったし。アニメとかポケモンとかちゃんと知ってたら背景みたいなことがちゃんとわかるのだろうか。ん~。
 サトシ以外のポケモントレーナーたちとか? ボンクラすぎか??? というか全然ほんとキャラを覚えられなかった。ごめん……。
 
 クローンとオリジナル、同じポケモン同士の戦いはヤメテ! ってピカチュウは優しいし。ミュウとミュウツーの激突を止めようとしたサトシが石のようになってしまうのを、ポケモンたちの涙で復活、とか。て、天使? ピカチュウ可愛い。
 まあ~。ん~。これは完全に全然本来のポケモンに思い入れもってない私が見に行ったのが悪かった、ってことだなあ。ポケモンいっぱいいたのは楽しかったです。

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映画 「Girl ガール」

*ネタバレしてます。


映画 「Girl ガール」

 昨日10日(水曜日)に見てきた。

 ララは16歳。バレリーナを目指す少女。トランスジェンダー。肉体的には男性だが、カウンセリングや医者の助けを借りて、ホルモン治療やいずれは手術するよう準備している。
 父と、6歳になる弟と暮らす。名門バレエ学校に編入を認められ、レッスンに必死でついていく。トゥシューズの中の足には血が滲み、股間はテープで固定して隠し、学校が終わるまでは水もろくにのまずに、ひたむきにレッスン、学校生活を送る。
 ようやくホルモン治療の薬を飲み始めたが、女性としての二次性徴を起こすはずの薬の効き目が思うようになく、ララの焦燥感はつのる。クラスの女子たちの意地悪にあったり。
 そして思いつめたララは、自分で決断を下す。


 バレエの世界って、過酷。バレエ学校のシーンがたくさんあって、大変そうすぎる、と辛くなる。けれど踊る彼女たちの姿は素晴らしく美しい。その足の、体の、悲鳴を飲み込んで優雅に、激しく、飛んで、回って、爪先立って背筋を伸ばす。ただでさえ、学校のみんなが本当はライバルなんでしょう。仲良くもする、けど、嫉妬も当然。ましてララは、転校生で、そして、違う、から。

 女子更衣室を使うんだけども、その事で女子たちに戸惑いがあるんだろうなあっていうのも、それはそうか、とも思う。けれど、ララは女の子なんだから、と、見てる観客としては思う。ララの努力が認められて、発表会みたいなものかなんかで、役を得るのを、多分嫉妬される。誕生日会ではしゃぐ女子グループの中で、ちょっとした意地悪、けれどとてつもなく残酷に、ララ、あなただって私達の裸を見るじゃない、あなたも見せてよ、と詰め寄られる。女の子同士だったらいいでしょ? 女の子扱いしてほしいんでしょ? と。勢いに負けてララは体を見せる。けれど、それがどんなに辛く傷つくことなのか、何も言わなくても彼女の姿から物凄く伝わってきた。

 カメラは近すぎるほどの距離で、踊る彼女たちの姿にせまる。水着の女の子たちの体にせまる。自室で、トイレで、鏡に向かうララの体にせまる。
 肉体はうつくしい。肉体は残酷……。

 ララは言葉少なく。控えめに微笑みを見せる。父は、ララの気持ちになんとかできる限りより沿って、彼女の希望を叶えてやりたいと頑張っている。一緒に医者の話を聞き、ララの願いを第一に考えている。引っ越しをして学校を変わった。それってはっきり言われてなかったけど、多分ララにとって辛い何か、いじめとか? 何かあって生活を変えたって感じなんだろうなあと思う。ララに幸せに生きて欲しい。父の願いはそれが一番。母のことは何もなかった。離婚なのか死別なのかわからないけれど。父に恋人ができれもいい、って思ってるみたいなんだけれども。ララはやっぱり、自分のことでいっぱいいっぱいになっちゃう。

 いつも、迷惑をかけないようにとか、話しても仕方ないという風に、自分の中に悩みも苦しみも抱え込んで、父には「大丈夫」としか言わない。医者やカウンセラーにも言わない。
 ララ自身にも、どうしたらいいのか、なんていったらいいのか、言葉にならないんじゃないかなあと思う。彼女だって、父や医師が、彼女の健康や希望や幸せを最大限大事にしようとしてくれていることはわかっているんだよね。だから「大丈夫」っていう。学校とか友達とかは難しいけど、家族とか、近しい人はみんなララを大事にしてくれている。わかっているのに、それでも、ララのどうしようもない気持ちは、落ち着かない。
 思春期だものなあ。
 ただでさえ不安定で苦しくてわけものなくイライラもするし泣いたりもしてしまう。人の思いやりに素直になれなかったり。
 体と心の不釣り合い。不安定。それは誰にもあることで、けれどララにとっての違和感や苦しみは深く。
 痛みって、ひとそれぞれだから。トランスジェンダーだから普通より酷い、って簡単に言えることではないと思う。ララの苦しみも痛みも彼女のもの。彼女の悩みに、落ち着いて、我慢して、時間をかけて、というのは正論なのだけれども。それで待つことができるかどうかも、また、簡単なことではないよねえ。

 ララは、救急車を呼んだあと、自分でペニスをハサミで切る。死にたいわけじゃない。ただこの間違った体をなんとかしたいだけ。ペニスなんかいらない。男じゃない。自分じゃない。自分の体なのに自分じゃない。
 見ながら痛そうすぎて、心も痛くなりすぎて、本当に辛かった。

 ラストシーンでは、少し時間がたっているのだろう。セミロングの髪になった彼女がしっかり顔をあげ、靴音を響かせながら歩いていた。彼女は生きていく。

 まだ6歳の弟くんの面倒をみたりして、仲良しなんだけど、弟くんもそれなりに、多分転校したところでなじめなかったりでぐずってて。辛いねえ。ララにちゃんと学校へいくように言われて、嫌だ嫌だで、ララじゃなくて本名? 男の子の名前で呼んだりして、一気に空気が冷えたり。弟くん、天使みたいに可愛くてなー。そのぐずって意地悪なこといっちゃったり、けど仲直りして。すごく細やかなところをすっと見せてくる。
 同じアパートに住む男の子のことがちょっと気になって、部屋を訪ねてみて、フェラしてみたり。あれは、恋、というか、興味? ほかの男の子のあれはどうなるんだ、って感じかー。そしてやっぱり、こんなの嫌、違う、って感じかなあ。そんな混乱の様子も、見ていてとても辛い。
 トランスジェンダーだからということと、思春期の女の子、ということが重なり合って複雑。

 バレエをやるって、それだけでもう過酷な世界って感じだし。
 ホルモン治療がうまくいって、手術がうまくいったとしても、うーん。女の子ならなんでもいいわけじゃないし、女の子になれば万事解決ってことでもないよねえ。
 けれど、ララにとっては、自分だと思えない体をなんとかすることができない限り、スタートラインに立てない、ってことなんだろう。多分。
 手術しなくても、見た感じララは女の子だし。手術なしでも女の子の自分として、やっていける場合もあるかもしれない。
 けど、ララにとっては、体を変えることでしか、生きることを始められないくらいなんだろうなあ。
 バレエダンサーだもの。体、己の体、人の体、その美しさ、動き、何度も何度も鏡の前にたって、自分を、他人を見て。他人から見られて、見せて、いく体。その体が自分じゃないっていう感じ。どれほどの深い悩みだろう。言い表わせないものを、ララの全身から感じた。

 主演のビクトール・ポルスターって、現役バレエダンサーらしい。映画初出演で主演なのねえ。ほんとうに綺麗で、ダンスシーンもとってもとってもよくて。ララだーと思う。よくぞこういう人が現れて演じてくれた。映画の中で永遠になってくれた。とてもとてもよかった。綺麗な映画だった。

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映画 「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」(二回目)

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」

 

 二回目。今日は3D字幕、IMAXで見てきた。

 

 昨日の金曜ロードショーで「スパイダーマン ホームカミング」をやっていた。昼には午後ローでトビー・マグワイアが演じる最初のスパイダーマンのシリーズの2をやっていました。ちょっと見た。
 そんなこんなで、スパイダーマンって、街の身近なヒーロー。地球を救うとかじゃなく、街の悪い奴をやっつける、というものなんだよなあと思ったりで。アンドリュー・ガーフィールドのでもやっぱり身近な街のトラブル対処だったよね、多分。アベンジャーズ入りした今のトム・ホランド演じるスパイダーマンがニュースタイルってことかなあと思う。
 それでも、まだ「ホームカミング」では、アベンジャーズにゲスト参加のあと、スタークさんにアピールしたい!ってのもありつつ、まあ、ご近所で頑張るしかない。だって子どもだもの。
 
 「スパイダーマン2」で、改めて印象的だったのは、電車止めなくちゃってボロボロになったピーターのマスクがとれて人々に顔を見られてしまうシーンです。まだ子供だわ、って言われるの。うちの息子と同じくらいだ、って。この時ピーターは大学生かな。それでもまあ子どもだよねえ。そして気絶してる彼を街のみんなが、助けよう守ろうと、悪役の前に立ちふさがる。すごくよかった。今改めて見て本当によかった。
 ピーターはその後気がついてまた戦いに行くんだけど。街のみんなに愛されてるよなーってすっごく伝わって、泣きそうになる。

 

 トム・ホランド演じるピーターは、本当に本当に高校生に見えるんだよなーっ。トムホはちゃんと二十歳越えてるけど。1996年生まれ? 今23かな。実際アベンジャーズに最初に参加したころってほんとに10代だったくらいかな~。若い。ほんっと子どもじゃん。
 そりゃあスタークさんに叱られちゃうわけだ。スカウトされたけど叱られて。けどそれは守られてることでもあって。
 インフィニティー・ウォーでもエンドゲームでも、まだ子どもの彼を巻き込んだ、失ったということがどんなにトニー・スタークの心を傷めたかと思うと。辛い。そして、スタークさんに憧れて認められたくて大好きで大好きで大好きで一生懸命だったピーターが、目の前であんなことを経験しなくちゃいけなかったなんて。

 

 まだ子どものピーターは守られなくちゃいけない。
 けれど、ピーターはスパイダーマンだ。ヒーローだ。ヒーローになれる力がある。

 

 今作ではもう地球を救いたいとかでっかいことやりたいってことはなくて、ただ友達と旅行を楽しみたいし、MJに告白したい、って、ほんとにただの高校生の願いでいっぱい。

 

 改めてきのう「ホームカミング」を見た時にも、あー、ピーターは友達が楽しんでいる所を見て、ただ遠くから見て、そこに入れない、入らない、戦いに行く、っていう風に走りだしているんだなって切なかった……。
 それでも、前作の時にはスタークさんがいて、叱ってくれたり見守ってくれたりしてた。

 

 彼がいなくて寂しい。と、ハッピーに話すピーター。今作では、何度もピーターの目元が赤くなってて、傷ついて涙目になってて、ほんっと胸が痛い。
 どこにいっても彼を思い出す。彼の姿は地球を救ったヒーローとしてみんなに追悼されている。
 だけど、本当の彼を知っている人はいて、彼は遠いヒーローじゃなくて実際に生きていたただの一人の人で。誰もアイアンマンの代わりにはなれない。トニー自身でさえね、といってくれるハッピーがいて本当によかった;;
 だからピーターは友達のために、目の前にある危機のために戦いに行く。アイアンマンの代わりじゃない。スパイダーマンだ。

 

 ジェイク・ギレンホール演じるミステリオ、いくらトニー・スタークに恨み持ってたといっても、あんなことして、もし本当にうまくいって、もし本当にあの時あのまま騙しきったとして、どうしたかったんだ。アイアンマンに成り代わって、自分こそがヒーローとして人々に熱狂されたかったのかなあ。世界を変えた、世界を救った男になりたかったのか。まあもっと単純に金と権力みたいなのが欲しいってのもあったんだろうけど。けど長続きなんかできなかっただろー。気づかれる前になんか地球を制圧できちゃう?? できないよなあ。もしキャプテン・マーベル呼ばれたらすぐ終わっちゃうだろう。
 トニー・スタークのことを、金とハイテクに身を包んだ奴、みたいに言ってて、それが結局うらやましいの、か? 自分もそうしてみたかった、って感じかなあ。
 人は信じたいものを信じる。嘘だろうとなんだろうと。見たいものを見る。そんな表層の熱狂をあやつってみたかったのかな。

 

 最後、ピーターにやられた、スパイダーマンこそが悪役、という芝居を残し。ピーターの正体を暴くよう促して。
 途中、結構しんみりと、人を信じやすい馬鹿な子って感じにピーターを見くびっていた感じは、やっぱり相手は子どもだから、という甘さがちょっとはあったのになあ。ピーターにバレずにいれば、危害を加えるつもりではなかったはず。わざわざあんな舞台用意して、イーディス眼鏡手に入れたわけだし。まあイーディスの使用許可みたいなのをピーターが命じなくてはいけないから、かなあ。ん~。それにしても。

 

 つくづく、スタークさんがいてくれればと;; スタークさんがいないから起きたことなんだけど。スタークさん、ピーターをもっと守ってやってよ;;
 この次はどうなるんだろう。
 ほんっとニック・フューリー、あんた何やってんの~~。あの、スクラブ人たちの船だか星だかで、何か計画進行中? ただ単にニック・フューリーも夏休みだったのかなあ。もお~~。タロスをパシリにしてんじゃねーぞ~~。
 
 3Dで見て、ミステリオに騙されまくるあの幻覚シーンいっそう迫力あったし面白かった。怖い~。ちょっとホラーじみている。墓から出てくるボロボロのアイアンマンはターミネーターっぽい~。映像もどんどん進化して面白くなってきてるよなあ。

 

 映画はどこまでいくんだろう。見れば見るほど面白くて、凄い。そして今後のMCUはどーなっていくんだ~。できるだけ見続けたいな。

 

 

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