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横浜美術館、イサム・ノグチと長谷川三郎、最果タヒ

 3月6日水曜日、昨日横浜美術館に行ってきました。

「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」
 1950年代、日本美再発見。 (2019年1/12~3/24)

「最果タヒ 詩の展示」 (2019年2/23~3/24)

 正直私はイサム・ノグチも長谷川三郎も知らない方々でした。長谷川三郎は絵画、イサム・ノグチは彫像、かな、すごくざっくり言うと。神奈川にゆかりがあったりして、あのー、でっかい丸とか、横浜美術館にいつもあるよね見てる、うん、それでなんとなく名前に親しみがある気がしてた。認識がクリアになりました。
 
 入口はいってのロビーにかなりでっかいイサム・ノグチの石のオブジェ(?)が。庭の要素。玉砂利の四角の中にそびえたつ石。ん~。こういうのは、どうなの。庭っぽい、と思いながら見るのか。なんて思ったり。展示の先に進むと、あ~雪舟だとかなんとかの影響みたいなのがあって、山口の、あれか。瑠璃光寺とか。石庭みたいな感じの所のインスパイアみたいな感じな感じ~? と、うにゃうにゃ曖昧に連想しつつ、ずずーっと眺めました。

 長谷川三郎のほうも、抽象的。絵画、というか、ハンコ? ある時かまぼこ板を素材につかってぺたぺた押してみた、という屏風画とか。かまぼこ板からのひらめきと言うのもあるものかあ、と、内心すごく面白くなってきて眺めました。いろいろな形、の集まりとか広がりとか空白とか。リズムが画面の中にあると思う。

 イサム・ノグチの鳥とか、身ごもる鳥とか、書、なんていうのは可愛いしわかるなあという感じ。鳥、好きだった。鳥とは嘴なのかと思ったり。この形が鳥なのだと思ったり。

 二人は40代半ばでなんだかイベント?かなんかで出会い、日本美術に詳しい長谷川がノグチを京都奈良等案内してまわったりと交際を深めていったらしい。長谷川も渡米したりして。そういう芸術家同士の付き合いの深まりとか交流とか、何か勝手に妄想しちゃってもえる。楽しかった。

 そしてやはり、老子だとか荘子だとか。胡蝶の夢、強いな~と思う。結局そういう方向にいっちゃうのか。まあそうかなと納得するんだけど。


 「最果タヒ 詩の展示」は、詩、が言葉の断片になってモビールになってつるされている中を、わけいって見るような、面白い展示だった。
 言葉の断片がプリントしてある多角形な小さなボードがモビールにつるされている。ゆらゆらするしくるりと回るし、順路があるわけでもないから、そこで読む言葉の繋がりはかなりの偶然性のもの。そうして一人一人が読み取るフレーズが毎回新たな詩として一人一人にあらわれるのだ、というものなのだと思う。
 最果タヒのことも、なんとなくこの頃人気に若い詩人? という感じにしか知らなくて、今回読んだ言葉の数々の詩、は、なるほど若い感じ、と思う。
 情報センターという方で、iPhoneで詩つくってるのが、あれは、えっと、何?録画?そのiPhoneまんま展示されてて言葉が画面にあらわれたり消したり直したりしているのを見たのも面白かった。スマホで創作します、っていうのももう全然ありだよねーというのを目の当たりにできて。
 そこに本もあったのでパラパラと見る。
 モニタ画面まんまのように四角いみっしりした詩だった。
 私の勝手な思い込みですが、詩って、もっと改行とか余白が多いものだと思ってた~。まあそうだよね詩に決まりはないから好きなようでいいんだし。みっしりしてる詩もあるわ、読んだこともあるし、うんうん。ソネットとか形式あるものでなければ、詩人の好きなように書くのだよねえ。

 美術館のカフェにも、テーブルに小さなモビールがあって、可愛かった。壁にも映し出されたりしていた。詩を読む、というのではなく詩の展示、って、こういうのなのかと、体験したの、よかったです。
 で、カフェでお喋り。お店かえて晩ごはん。の、いい一日になりました。美術館でゆったりできるとほんと気持ちいい。楽しかった^^


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