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『虚実妖怪百物語 序/破/急』 (京極夏彦/角川文庫)

*ネタバレしてます。


『虚実妖怪百物語 序/破/急』 (京極夏彦/角川文庫)

 去年末に分厚~い、合巻という文庫を買いました。製本の限界を試しているのか……。
 「京極史上最長の超大作が一冊に!」という。タイトル、ついきょじつ、と読んじゃうけど「うそ まこと」とルビあり。序、破、急それぞれの1冊の3巻本もあるね。せっかくだから分厚いのにしましょう京極本だし。と思ったけど読んでる最中には、やはりこれ分冊にすればよかったかな……と思いました。けどまあ、終盤にくると一気読み。この、こ、この、あまりにも、馬鹿が馬鹿で話の腰を折りまくり引き回されるのについていくのがタイヘンだけど本半ばをすぎればこちらも慣れた。

 2016年11月の単行本の文庫化ですね。2018年平成30年12月25日初版。

 「虚構VS現実!」という帯文句があって、読み終わってみればそういう話であった。あまりどういう話か知らず、しかし京極が「不思議とはそういうことだよ」とか榎木津平太郎というキャラがいるんだな? 榎木津?? と、まんまとつられました。

 砂塵の中の遺跡。そこに現れた黒い影。加藤保憲、なのか。

 と、おお? ってそそられて読めば、虚構のキャラクターが、現実に、いる? いるのか?? 現実、どうなってる? メタフィクション? この小説の中に、実在する人物そっくり、というか、モデルというかそのものなのかどうかは私は知らないけれども、まあ、「怪」だとか雑誌の編集者とか作家とか漫画家とか、京極夏彦も荒俣宏も水木しげる大先生も出てくる。獏さんなかなか出ないなと思ったら終盤のほうにでてくる。妖怪好きとかオカルトミステリいろいろ、それぞれ厳密には違うのだ、といいながらどんどんじゃらじゃらみんな出てくる。
 私はこの頃はすっかり日本の小説を読んでいなくて、たぶん若手? たぶん今人気の作家、みたいなのがわからないのだけれども。この作中で大物っぽい人たちのはかなり読んでいる。妖怪馬鹿な人たちの側に自分自身も結構近い。多分、まあまあ、近い。
 延々ぐねぐねどんどん世界が歪んでいくのについていきながら、まあまあ言ってることや出てくる名前、ネタ、が、そこそこにはわかる。でもあんまりわかんない。
 
 そしてなんだか延々と妖怪馬鹿が馬鹿の力で馬鹿ばっかりやってるみたいな、馬鹿、馬鹿がしつこいぞ……って思いながら読むのだけれども、かなりリアルというかシリアスというか、現代日本を憂いている社会派小説だなあって思う。

 世の中にあそび、余裕がどんどんなくなって、だれもかれもがギスギスとして疑心暗鬼を抱いている。妖怪が湧いてくるのは、失われた余裕を求めるあがき、みたいな感じ。

 余裕、大事だよねえ。正論やふりかざす正義ばっかりになるとむしろ世界が滅ぶ。
 その感じはとてもわかる。
 妖怪馬鹿、というゆるみで息をしやすくなるといいのにな~という感じ。

 そして最後まで読み切った時には、ああ、水木しげる大先生が、妖怪の世界へ行ったという、そういう始末がさりげなく、でも巨大な愛を感じられて、不覚にもほろりとしてしまった。妖怪絵巻の中に納まる水木しげる。誰もが納得してしまうじゃないか。
 水木しげる2015年11月没、なんですねえ。

 で、まあ、読み終わった時にはすごくほっとした。よくもこんなぐったぐたに広げまくってかき乱した風呂敷をまとめてたたんで一段落つけたなあ~。さすがすぎる。こわい。と、感心しまくり。
 すべては虚構なのだ。
 虚構VS現実、と、そう思いながら読んだよ。けれど、現実もなにも、私はこの本を読んでいるんだもの。と、読み終わって分厚い分厚い文庫本を持ってめくって眺めて、ああ面白かったなと思い。けれども社会派だったなと思い。
 しかし榎木津の名前でつるのはずるいなあ。

 正直いって、私は、こういう、なんだろう、私が最初見たのはミステリかな、『ウロボロスの偽書』か、竹元健治の。作家が実名で出てきて、みたいなのを読んだことがあって、そーゆーノリっつーかどうにも内輪ネタとしか、いやちゃんと小説で面白いのかもしれないんだけれども、私には、なんか、無理、な、ノリ、と思ったりしてたのを思い出した。なまじ中途半端に実名で出てくる人物を実在の人、って思っちゃうのが、自分の中でうまく収められなくて、私にはなんかヤダという気持ちになっちゃうんだなー。別に登場人物ってことで実名だか実在だか気にしなければいいと思うんだけど。そもそも実名ってわかる人物にしたって本当に実際の人として知り合いとかいうわけじゃなのなー。作家の本読んだりインタビューだとかなんとかで知ってる気になってたとしても、知らないんだし。
 でもなんか、そういうのに私がついていけないのだった。あと下品なのな~。
 久しぶりになんかこういうの読んだなあという感慨。ともかくもこの分厚いの読みましたよということで、満足はしました。読み終えた時の気持ちは、よかったです。

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映画 「ビリーブ 未来への大逆転」

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「ビリーブ 未来への大逆転」

 

 

 27日(水)に見てきた。
 昨日は、はてなハイクの最終日で、ハイクにおはようからおやすみまでいつも入り浸っていたものだから寂しくて仕方ないんだけど。映画見てるうちに終了になるのかなあと思ってた。帰宅してまだ残っていたので、「ブラック・クランズマン」とこれ、二本見て、どっちもすごく面白かったよ!と消えてゆく最終日に3行コメントまで書き込めてよかった。午後ロー実況もちょっと参加したし。映画を一日に二本見ちゃう、というのも、ハイクでみんながいっぱいどんどん映画見てるなあというのに影響うけたところがあるわ。昔々は二本立て映画とかあったねえと思うけれども、その後あんまりそういうのなくなって。自分でも一日一本でもいっぱいいっぱいでしょうと思い込んでいた。一日二本三本見るよーというのを目にするようになって、あー、そっかーと思ったのだよねえ。

 

 と、まあそんなこんなで昨日は映画のみならずなんだかみっしりの一日だった。

 

 

 始まりは1956年。ハーバード法科大学院に入学したルース・ギンズバーグ。学生500名の中に女子学生は9名。何故ここに入学した? と問われる始末。
ギンズバーグはすでに結婚していた。夫は同じくハーバードの学生。まだ赤ん坊の娘がいある。ある日、夫マーティンは倒れる。癌との診断。初期とはいえ生存確率は5%と告げられた。ルースは夫を支え、夫のために授業にも出て、自分の勉強も夫の勉強もともにこなしていった。
成績はトップ。それでも、女性である彼女は、弁護士として雇われることがなかった。仕方なく大学教授に。学生たちに法の平等を教える。
ある時、税専門の弁護士となっている夫に、興味深い訴訟を見せられる。母の介護のための税の免除を独身男性であるがゆえに認められないというのだ。これは、男女の差別を法が認めていることになる。ルースは自分では初めての法廷、訴訟に挑んだ。

 

 

 ルース・ギンズバーグ。男女差別の撤廃のために先陣を切った女性。らしい。というのをこの映画のことを知るまで私はよく知らなかった。彼女は今も現役、最高裁判事であるという。夢を諦めない。差別を諦めない。伝統だの先例だのに縛られず、変化することができると訴えた。
ニューヨークの法曹界なんて、めっちゃめちゃスーパーエリートですよねと思う。実際マーティが病から回復し、弁護士となり、すっごくいい暮らしをしてるみたいだった。大学教授だって立派なお仕事でしょ~~~~。でも、彼女たちの、その天才っぷりも、ものすごい努力も根性も鮮やかですっごいので、なんか、なんかもう、ほんと、なるほど、です。

 

 娘との親子喧嘩や料理は得意じゃないとか、当たり前ですが完璧人間ってわけじゃないよねとか。確かにギンズバーグが勝ったことが偉大な一歩だけれども、それまでにも性差別の問題で争っていた先人がいたからこそ、とか。娘の世代になったら、そうか男に黙って従うっていうのは、もう、違うって、娘たちはもう考えを変えている、と認識を新たにしたりするの、そういうちゃんとした積み重ねがわかりやすく丁寧に描かれていて素敵だった。

 

 で、さー。夫マーティンを、アーミー・ハマーが演じているわけです。も~~!!!かっこいい!!!!! 可愛い~素敵~~! 最高の夫だよ~ああ~うっとり~!
 もちろん素晴らしくスマート。病気で泣いちゃうのも可愛い。子育てを当たり前のようにやってるし、ルースの料理がいまいちでも文句は言わない、自分の料理の腕をあげていく。で、弁護士としての成功も着実に治め、事務所で一番若い共同経営者になるだろうって言われている。いい夫がいてよかったね、みたいにルースが言われて腹を立ててるのに困ったりして、でもちゃんと彼女を理解しよう支えようと努めていく。
最高の夫~! そしてそんな最高の夫を惚れさせているルースも最高~! って、らぶらぶ夫婦愛最高じゃないか、と、ほっとする。差別に向き合うきつさの中での、ほっとできるバランスとてもよかった。

 

 アミハマちゃんでっかいから、フェシリティ・ジョーンズの身長差の見栄え可愛くてたまんないしそんな二人のラブラブは最高だし。料理するアミハマちゃんエプロン姿とか子育てするアミハマちゃん、もちろん素敵スーツ姿のアミハマちゃん、いろんな最高のアミハマちゃん堪能映画でもありました。眼福^^

 

 男女差別とか今もなお大きな問題だし女性差別だけじゃない、男性も、人の平等とは、という映画。一歩ずつ。すこしずつ。一人ひとりが、よくなるように、考え進んでいきたい。ギンズバーグみたいにはなれない。けれど、知ってよく見てよく考えて、いきたい。これも見に行けてよかったな~。すごく面白くて、よかった。大満足!

 

 

 

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映画 「ブラック・クランズマン」

*ネタバレしてます。


映画 「ブラック・クランズマン」


 1979年。ロンは最初の黒人警官として採用された。だが、配属されたのは資料室。ファイルを探して取り出すだけ。そして見下す、仲間のはずの警官たち。配属転換を願い出て、次にいったのは潜入捜査。黒人たちを扇動しているらしき集会に紛れ込んでくること。
そこで、集会を開催している学生の会長、パトリスと出会う。

 ロンは、KKKが出している新聞広告に目をとめた。いきなり電話して、黒人が大嫌いな白人のふりをして資料請求。同僚たちとKKKに潜入して危険を探る任務を開始する。


 27日(水)に見に行った。近場でやってない~のでちょっと遠出。

 テーマとしてはとても重い。黒人差別でヘイトで、白人の中でも女性差別でユダヤ人差別に満ちている。この映画の中は70年代終わりのころだけど、それは確かに40年も昔、かもしれないけど、考えてみれば私はもう生まれているし、間違いなく今も生きている人の中にもある、というかトランプ政権でむき出しになっている今も続く価値観の問題。
 たぶん世界は少しずつよくなっているはず。こうして問題が問題だと認識される。だけど、変わったと思ったけど変わってないこともいっぱい。多分差別は消えない。だからこそ、考え続け見直し続けなくちゃ。

 という辛いきつい作品、ではあるのだけれども、ユーモアとかばかばかしさですっごく面白い作品になってるんだよなー。うまい。すごい。面白かった。

 ほんとに、あらゆる差別が描き出されている。黒人差別を筆頭に。妻は男たちから排除され、危険な役割でも与えられて喜ぶ。愛してるよ、と言われながら、男の仲間ではないという感じ。見た目ただ普通に白人だろって感じでも、ユダヤ人じゃないかどうか証明しろ、と迫られたり。仕事で手柄をあげたはずなのに、ちょっと厄介になりそうってなると予算カットだ、と、ばっさりおしまいにされたり。
 差別と偏見に満ち満ちている。けれど当時は、彼らにとっては、ごく普通に当たり前の感情なんだなということが、描かれている。そしてそれは、当時は、ではなく、今であっても、ありそう、ある、という現実を突きつけてくる。エンディングにはトランプの演説だとか2017年に起きた被害(デモかなんかに車つっこんで轢き殺していた)のニュース映像がうつる。過去から続く今の問題。今も自分が見て考えなくちゃいけない。

 重いものを突き付けられるのだけれども。潜入捜査のスリル、と、電話では黒人と知られずにまんまと信頼勝ちとっていくとか、おかしいんだよね~。ほんと、ユーモアのバランス。

 キャストみんなすごいうまい。当たり前か。んで、偏見ひどい役、セリフいっぱいで、演じるのきつかったんだろうなというのもある。けど、もちろんそうは見えないわけで、本当にすごい。

 ロンに巻き込まれるように、見た目側のロンとして潜入するフィリップを演じているのがアダム・ドライバー。すっごいよかった。好き~!
 ユダヤ人だけどそういうことを意識せず育ってきたけれども、潜入してなんだかんだ言われていく中で自分自身を見つめなおすことになる。最初は、仕事だしーと割り切っているようなちょっとだるい感じだったのが、静かに変化していく。すっごくいい。アダム・ドライバー好きなんだけど、ほんと、どの映画でもなんかちょっとぼさーっとしたでっかい男って感じの中に、しっかりとそのキャラクターが生きてる感じが伝わってきて、すごく、見るごとに面白い。かっこいい。すごい、いいなあ。今作でもますます惚れました。好き。

 こんなにすごく面白く、でもがっつり重いものを見せてくれる映画。見に行けてよかった。期待して待ってたけど期待以上に大満足。見て、考え続けるよ。

 

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映画 「バンブルビー」

*ネタバレしてます。

 

 

映画 「バンブルビー」

 

 

 IMAX、3D字幕で見てきた。
 
 舞台は1980年代らしく。私は当時の洋楽、FMラジオのヒットチャートくらいしか知らないわけですがそれでも、あっ、これ~!好き~!という曲がたくさん。ファンならもっとテンションあがると思う。
 そしてまだインターネット黎明? できてないくらいか。このサイバトロンとの接触でネット構築とかの概念を得た、みたいな感じにしてるのかもしれない。

 

 映画冒頭、サイバトロン星での戦いのシーンから。劣勢のオプティマスプライム軍は、いったん星を脱出、散らばって生き延びろ、と、仲間を脱出ポッドに乗せる。兵士の一員であったB-127は地球という星に隠れて、プライムたちを待て、と送り出される。
 地球に墜落したところは、米軍が訓練中。いきなりの戦闘でシステムに障害が起きたB-127はそこで見た車、ビートルに擬態して眠りにつく。

 

 チャーチーは18歳になるところ。父は急病で亡くなって何年にもなるが、まだほかの家族のように父を忘れてしまうことはできない。父と一緒に直していた車を今も一人で直そうとし続けていて、スクラップ置き場の中から使える部品を見つけ出している。
 そこで、黄色いビートルを見つけた。埃まみれだが、動かせるかもしれない。誕生日のプレゼント、に、スクラップ置き場のおじさんから車をもらって動かせるように直したチャーリー。自宅のガレージに乗って帰って整備しようとすると、それは、二足歩行ロボットに変形した!

 

 てことで、戦いで発声機能を失い、名前のないロボットのうなりを、マルハナバチ、バンブルビーみたい、といってチャーリーが名づけてあげたのね。
 大好きだった父を亡くし、飛込選手だった自分の自信をなくし、母や、その恋人だとか弟ともうまくいってない18歳の女の子が、バンブルビーと出会い、仲良くなり、いろいろ困ったことになり、それでも確かな友情を結ぶ。

 

 トランスフォーマーだけど、青春映画みたいとか感動とかいうあおりがあったけれども、本当に、シンプルに王道の、ティーンエイジャーががんばるお話、未知との遭遇、ビーはでっかいし強いけれどイノセントな存在で、その子を守る、その子に守られる。一緒に戦い、乗り越えて、自分自身の悩みも乗り越える。そんな物語だった。

 

 もっちろんロボット、トランスフォームしまくり~でかっこいいよ~バトルもけっこうあるよー! 楽しい。米軍もわちゃわちゃしてるよ~。

 

 チャーリーと、ご近所さんでバイトの場所も近い、メモくんっていう男の子との恋の始まり、みたいなのもちょこっとあるよー。恋、であり、友達ができた、でもある感じ、可愛い。

 

 で、いったんは地球の危機を回避できたけれども、チャーリーと一緒にいるのは危険、みたいなことか。チャーリーは家族や友達すててビーと旅立つことはできない、と。そしてビーはまたどこかに隠れてオプティマスプライムたちを待つ、ことになるんだよね。最後カマロに変形していった。その先が、あの最初の映画化につながるって感じですね。

 

 ビーとチャーリーの仲良しがベタでわかってても、かわいいし、別れは感動のうるるってくる。シンプルに王道はやっぱ強いなあと思う。楽しく見られてよかった。

 

 

 21日に、「キャプテン・マーベル」二回目見に行ったんだけどね。やっぱりすっごい面白くて、二回目見るといっそう、ああ~あいつが実はあんなでこんなで、って思いながら見て、それもまたすっごい面白かったの。そしてアベンジャーズに、嗚呼;; ってなるし。
 この、シンプル王道だな~という「バンブルビー」楽しかったけど。いや~マーベルの、あの脚本とか完成度っつーか、シリーズ通して作り上げ練り上げ現代とのリンクとか、なんかもうすっごい完成度のレベルが、恐ろしくすさまじくよくできてるなあって、改めて思った。情報量の入り込みがすっごい、し、それでもちゃんとわかるように届けてくるのなー。おそろしいエンタテイメントだ。いや~映画って、ほんとうに、楽しいですね。うん。

 

 

 

 

 

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映画 「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」

*ネタバレしてます。


映画 「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」


 16世紀。スコットランドにメアリー・スチュアートが戻ってきた。18歳で未亡人となった彼女は、イングランドのエリザベス女王と従妹。二つの国をいずれ自分が治めるよう求めていた。

 20日(水)に見た。
なんだか英国ってエリザベスとかメアリーとかアンとか同じ名前の女王がたくさんいるような気がする……(´―`)というぼんやりした感じをもってしまう、はい私が英国の歴史を知らないからな。もうちょっと知っていればな、と、自分の知識がなくて残念な気持ち。
 あと宗教対立? プロテスタントとカトリック? 英国正教だかなんだか、なんか、わりと厳しい感じだったりするんじゃないっけ。うーん。と、なんとなーくうっすらとはるか彼方大昔世界史やった気がするなあと思ったりしつつ見ました。

 けどまあ、なんかイングランドとスコットランドがあってともに女王がいて対立があるんだなーというくらいでもいいかなと。目にゴージャスな衣装とか宮殿とか。と、いっても、なんていうかこう、ベルサイユのばらキラキラみたいなのではなくてスコットランドのほうは結構暗い、石重い、洞窟か? みたいな雰囲気があったり。イングランドのほうが多少は明るい。「女王陛下のお気に入り」よりもぐっと質素。お気に入りは18世紀らしい。やっぱ時代が違うと全然違うんだろうし、まあ、映画によってそりゃ違いますよね。

 血の正統性を言い合ったり、家臣たちがなんとなくうまいことなあなあでやっていこうとするのをバッサリ退けたり。女王ってお飾りじゃないなー。反乱とかあったら自分が先頭に立って軍を率いていっちゃうんだなあ。王族、たいへん。トップの座を守るってすさまじい。

 で、女王を陥落しようと、男を送り込むとか、まあ、そういうものかっていうのも、すごく、たいへん。王族の結婚、たいへんすぎる。
 エリザベスは、自分は男だ、という風に覚悟を決めていて。メアリーは世継ぎを生むことができればダメな夫なんかもういい、っていう感じ。
 ダメな夫、ジャック・ロウデンが演じてるダーンリー卿ねえ。実は同性愛、とか、なんだかなあっていうダメ夫だけど、ダメなハンサムで素敵すぎて、こんな権力争いにつっこんでいかなければよかったのにね、って思う。かっこよかったなあ。

 エリザベスにもお気に入り、ダドリー卿がいて、でも結婚はしない。メアリーのところへ送り込もうとしたり、なかなか複雑な大変さが面白かった。

 女王であるという孤独を、わかりあうことができるのはお互いだけなのに、女王であるから単純に仲良くなんてわけにはいかない。
 そんな二人をシアーシャ・ローナンとマーゴっと・ロビーが素晴らしく演技合戦見せてくれて、楽しかった。
 
 権力の座って、座ってしまったら誰も信じられないし安らぎの時はないものなのか。戦う女王の孤独の物語だった。


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映画 「キャプテン・マーベル」

*ネタばれ、結末まで触れています。

 映画 「キャプテン・マーベル」

 昨日16日、IMAX、3D字幕で見てきました。
 もう最初っから! あの、マーベル映画が始まる時の、マーベルヒーローたちが次々現れるOPが、スタン・リーの名場面集というかカメオ出演集というかで、ああああ、とうるっとさせられる。サンキュー スタン・リー。去年、2018年11月に亡くなった、マーベル生みの親のおじいちゃん。東京コミコンで私、見たことあるんだよなあ。マーベルとかアメコミをまだ全然詳しいわけではないけれども、こんなにも物凄い超エンタメ大作世界を生み出す原点を作ってくれてありがとう。

 そして。
 始まった映画は、お? なんだか地球ではないんだな?? クリーという惑星、高度な文明世界、でもちょっとダークな色合いな感じ。そこで特殊部隊諜報部隊みたいな感じのチームに、ヴァースと呼ばれる女性がいる。夢の中の記憶の断片。眠れないから、と、チームリーダーと格闘訓練をする彼女。んん? ブリー・ラーソン、キャプテン・マーベルだよね? 異星人?? 地球人じゃないの??
 そんなこんなで、これはどういうこと? というミステリ、スパイアクション的な映画の印象でした。ジェイソン・ボーンとか連想したなあ。
 そしてミッションの果てに地球に落ちてきたヴァース。ここで、あー予告で見た感じ、となる。(名前が曖昧なまま書いちゃう。映画情報に名前とか記されてないなー。覚えきれてなくて変な名前で書いてるかも)

 地球に落ちてきて、敵の潜入を探ると同時に、自分の記憶の断片を探す彼女。この旅というかアクションしつつの珍道中が結構コミカルで面白かった。ニック・フューリーも不振通報を受けてやってきて追うんだけど、サミュエル・L・ジャクソンが、たぶんCGで若返って本人が演じてるんだなー。技術の進歩すごい。

 敵だと思っていた相手が実は滅ぼされかけていた難民で必死の抵抗だったのだとわかって、自分の味方だと思っていたチームのほうが自分を利用しようとしていた敵、とわかる。
 ジュード・ロウがヴァースを鍛えるチームリーダーを演じているんだけど、お~かっこいい~って思ってたら実は悪い奴かよ!ってなってすごい楽しい^^ヴァースにお前はまだまだだな、って暗示かけてたんだなあ。最後の対決の時、突然、よし!今こそ証明しろ!と武器なしの対決を挑もうとするんだけど、あっさりぽいっとパワーで弾き飛ばされておしまい、ってなっておかしかった。かわいいよ~ジュード・ロウ~^^
 
 あのシーンが端的に表していたけれども。キャロル・ダンヴァースという小さな女の子、女性が、女のくせに、と自分のやりたいこととか可能性をつぶされようとしてきた人生の中で、男に、じゃあできるって証明してみろよ、って言われ続けてきたのであろう中で、証明なんてする必要ない、とあっさり言ってのけるの、すっごく素敵だった。
 弱い存在かもしれない。だけどこれは、あきらめずに立ち上がり続けて生きる人間の物語だった。予告でもあった、小さな女の子の時から、少しずつ成長し、怪我したりしながらもでも必ず立ち上がる彼女の姿。泣いた。

 地球にいて、新しいエンジン? の研究をしていたローソン博士。実はクリー人。マー・ベルというのが名前。彼女も米軍の一員の振りをしていたわけで、そこでパイロット(でも1980年代当時女性は戦闘機のパイロットにはなれなかったようだ)になろうとしていたキャロルと出会っていた。テスト飛行のパイロットとして博士と飛んでいるときに墜落。彼女の研究を奪いにきたクリー人から博士の研究を守ろうと、破壊したことによって、スーパーパワーを浴びて、キャロルは超人的パワーを得た、ということだよね。
 衝撃で倒れ記憶をなくした彼女を、クリー人が味方のふりして監視、矯正しようとしていたわけで、わっるい奴らだな~~~~。

 舞台は1980年代終わりのころ? 1990年代になってた頃、か。懐かし感覚にくすっとさせられて面白かった。コンピューターがまだでかいハコって感じよね。CD読み込むのにカリカリカリカリって時間がかか~るんだよね~。

 ニック・フューリーがキャプテン・マーベルとの非常通信機をもらったとか、彼女の空軍時代の写真にちなんでシールドの新しい計画にアベンジャーズ計画って名付けたとか、ほんと、アベンジャーズ誕生のきっかけとなる物語。宇宙からの脅威、というのを目の当たりにしたとか、地球を守るためにたたかわなくちゃいけないとか。マー・ベル博士の残したコア、エネルギーキューブ? を、地球で隠し保存していくとか。

 予告というか、宣伝段階から、かわいいペットの猫ちゃんが単独ポスターになってて、猫ちゃんはそんな重要キャラなの? 単にかわいいから?? と不思議な感じだったのだけれども。グースは博士の猫で、どうみても猫だけれども、実は凶悪強力危険度大、な、宇宙生物だったんだよね。キューブを持ち帰ってくれる本当に重要キャラだった。めちゃかわいい~けどめちゃ怖い~~! あの変化、ギャップもえがすごい。笑っちゃった。

 ギャップ萌えというか、タロス。最初は敵だと思っていた、見た相手に変身できるスクラブ(だっけ?)という種族の中でリーダーなのかな。なんか、科学担当の仲間とか、いる。タロスを演じてたのがベン・メンデルソーンで、途中、ニック・フューリーの上司に化けて入り込んでるの。途中で彼らはクリー人に追われる難民なんだということがわかって。ベン・メンデルソーンおじさんの可愛さ発揮しまくり! 特殊メイクでちょっと爬虫類めいたというかなんというか、みるからに異星人の風貌してるんだけど、最初は敵だと思っていて恐ろし気だったその姿が、仲間として行動するようになると、なんかメンデルソーンのかわいい感じがあふれてくるように見えるんだよねえ。しゃべり方の変化なんかもあるんだろうし、たぶんほんのちょっとしたしぐさ、首をかしげるとかなんか、たぶん本当にちょっとした変化をつけているんだろうなと思う。けど、実は敵じゃなかったーという変化がこっちにわかると、同じ顔でも違ってみえるんだよなあ。

 ジュード・ロウもな~。実は悪役、ってなってからは、あ~英国人は悪役なんだよねって思う。最初からずっと同じくかっこよくて、悪い奴だな~って思ってからもかっこいいんだけど。
 同じ人物に対して見る目が変わる、っていうのがくっきり示されていて、すごい、サスペンスっぽい。

 かわいい猫ちゃんグースもそうなんだよね。一度あのぐばあって顔が寄生獣みたいに開いて触手伸びての一瞬の怪物の姿を見た後だと、ね、ねこちゃん、かわいい、かわいいけど、けど怪物、って。ニック・フューリーすごいぞ。あの後もびびりながらもちゃんと猫ちゃんかわいいでちゅねー、僕を襲わないでね~というテンションで連れ帰ったもんな。
 ちょっと猫パンチ浴びて、そのせいで片目失っちゃったのね。あのアイパッチのわけは猫ちゃんのせいなのね。おかしい。

 キャロルが自分の力のリミットなしに戦い始めると、宇宙戦艦も一人で撃退する勢いで、ほんっと最強ですごかった! 爽快! 素晴らしい~!
 親友マリアも、ちゃんとパイロットとしてクリー人に負けなかった。
 娘にさ、宇宙へ行くことを後押しされるときに、娘のいいお手本になってよママ、みたいに励まされるんだよね。
 この映画ってほんとうに、そういう小さな女の子の、娘の、子供の、憧れになる大人の物語なんだなあと思って泣く。

 女の子がかっこいいヒーローになりたいって思っちゃいけないの? ということへの答え。いけなくない。なりたい人になるように努力してあきらめないで立ち上がり続けて。誰かに証明なんかしなくてもいい。ただ自分が自分のために立ち上がり続けて。強くなれる。かっこいいヒーローになれる。スーパーパワーを得ることは映画の中でしかないだろうけど、けど、なりたい自分になることはできる。間違えたりうんざりしたりなにもわからなくなって泣いても、時には憂さ晴らししながら。立ち上がる続ける限り、いつかきっと。という希望と夢があるよー。すごい。

 ほんっと、このごろのエンタメ大作は、ありとあらゆる全方位に行き届いたこころくばりをして、夢と希望をもって、そんでもちろん説教臭さなんかよりも圧倒的にすっごい面白い!かっこいい!すごい! を実現している。マーケティングとかポリコレ配慮とか物凄く注意しながら、その上でほらこんなにすごいよかっこいいよ面白い映画だどうだ!って出してくるの、強いよなあ。

 そして4月の末にはアベンジャーズ、エンドゲームが。ああああ。どうなるの;;エンドロール後のシーンから直結、ってことだよね? たぶん。帰ってきてくれた;; 消えてなかった。助けてキャプテン・マーベル;; めちゃめちゃ楽しみです!!!!!

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『風のあこがれ』 (大谷真紀子/北冬舎)

 『風のあこがれ』 (大谷真紀子/北冬舎)


 2018年5月刊。第三歌集だそうです。
 2001年から2017年までという長い期間にわたる歌を477首収めたもの。家族の歌やあちこちへの旅行詠のような歌など、折々の変化を思う。時に挽歌も。歌ですべてがわかるものではないが、その背後に広がる深い思いを十分に感じることができて、自然に歌に、作者に、寄り添う気持ちになりながら読んだ。長く歌を続けるというのはこういうことなんだなと思う。単なる思い出話より優しく深く情景が一行に結晶しているようだった。私はあんまりちゃんと読んで受け取れない読者だと思うけど、あたたかい一冊を手にした気がする。


 いくつか、好きな歌。


  ありったけの力をこめてようやくにこじ開けにけり魔女の抽斗 (p24)

 なんだか固くなっちゃって開けられない抽斗だったんだなあ。それを魔女の抽斗、と表現しているのが面白くて印象に残る。そこにはどんな秘密がしまわれているんだろうか。抽斗がなかなか開けられなかったよ、ということが別世界へ通じるような出来事になる感覚が素敵です。


  この国を出でしことなき私にフランスの香りふり撒きに来よ (p37)

 近藤芳美のこと? 違うかな。遠く憧れの存在、というものがすごく素敵に華やかにあって、あ~なんだかそういう感じ!っていうのがすごくわかる気がする。ちょっとした鬱屈と、でもすなおな憧れの気持ち。フランスって響きはやっぱりいつも夢みたいな感じがするよなあ。


  家猫に留守居をさせてふらふらと梅雨の晴れ間を何処ともなし (p96)

 「夢見る猫」というタイトルがあり。猫かわいいよね猫。猫を飼っていて、猫に留守番をさせて、といっても猫は人間がいないならいないで、ただ気ままに寝たり遊んだりしてるだけだろうなと思うんだけど。梅雨の晴れ間、気持ちよくってあてのないお散歩をして。うちには猫がいる。最高だな~!


  古椅子に言葉のように置かれいし綿毛タンポポ恥ずかしげなり (p114)

 言葉のように、と例えているのが素敵だ。綿毛のたんぽぽを古い椅子にそっと置いた人がいるんだな。置いた人も見つけた作者もちょっとふふって微笑んでる感じがして読んだ私もふふってなりました。


  向日葵のぱんと咲きたる笑い声ふとく捩じれて天にも届け (p130)

 ぱん!って咲いてるという鮮やかさが夏の空の色、向日葵の黄色とくっきり見えてくるような歌で印象的。強くてさわやかな歌でいいなあと思った。


  カップ持つしばしをちょいと一字あけ のような倉敷天領の町 (p159)

 カップっていうのはコーヒーカップマグカップのようなことでしょうか。この歌の調子だとお酒、って思うのは私が酒好きだからでしょうか。ともあれ、ちょっと一息、が「一字あけ」って感じなの、わかる~と思います。「倉敷天領の町」というきっぱりした結句で、倉敷、いいところだろうなあって思えます。
 確かな重みのある歌集読めて面白かった^^


  

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映画 「運び屋」

*ネタバレしてます。


映画 「運び屋」


 アールは、デイリリーという花の農場を持つ老人。品評会で高く評価され、軽口やお洒落ないでたちで人々の人気者だった。だが仕事に熱中していて家族を顧みることがなく、娘の結婚式にさえ出席しない。やがて、時代の波に乗り遅れたようで家も農場も手放さざるをえないことになり、孫娘の結婚前パーティに顔を出すと家族からは非難されるばかり。
 そこで、慎重に運転できるなら、いい話があると持ちかけられる。運転するだけでいい。荷物のことは聞くな。簡単な仕事で得た大金で、アールは少しずつ失ったものを取り返そうとする。

 クリント・イーストウッドの監督、主演作品。自身での監督主演は久しぶりだとか。すっかり巨匠監督であり、もちろんかつてスーパークールな俳優であったイーストウッド。
 とても渋い悲劇のじーさんの役なのかと思っていたら、アールは、飄々とした退役軍人、口からでまかせが上手い、女にチャラチャラ、運転しながらラジオに合わせて歌い、うまいポークサンドが食べたいからと寄り道してぱくぱく食べる、肝っ玉じーさんの役だった。お、こんなキャラクターなのか、と、びっくりしつつ楽しく見入る。

 アールは朝鮮戦争に行ったという退役軍人。90歳近くの老人ながら、いやだからこそ? 度胸ある。自分が悪事に手を貸しているとわかっていても、それより金が必要だ、ということばかりしか考えない。車を買い替え、家を取り戻し、退役軍人会の会館? が火事で閉鎖の危機となれば寄付をする。孫娘の学費を多分援助した。悪事で贅沢、というよりは、切実な金の使い方のように見える。だけど、それは、悪事を働いて得ていい金じゃない。
 描き方のバランスかなあ。見せる所とさっくり切ってる所との余白は、観客の私としては、アールの行動を察して、良いように解釈してしまう。酷い事してるわけじゃないよ。車出してるだけだ。運んでるだけだ。
 けれどその荷物はコカイン。しかもかつてないほど大量で、マフィアからわざわざ、いい仕事してくれてありがとうとばかりに招待されてもてなされるほどの働き。そのコカインのせいでどれほどの汚い金が動き、身を破滅させる中毒者がでることになるのか。それは一切描かれないけれど。

 妻が、元妻が、癌で死ぬという時にやっと、アールは家族のいる家に行く。妻は今もほんとうはアールを愛していて、会えてうれしいと言い、側にいるのにお金なんていらないのよ、と、優しく言う。許して、逝く。

 大量の荷物を動かす運び屋がいる、というのは麻薬取締局に目を付けられていて、けれどまさかそんな老人とは思われてなかった。それでも、ついに追いつめられて、アールは逮捕される。
 「何もかも間違っていた」
 家族といるより、外でちやほやされて評価を受けるほうが重要だと思っていた、そんな人生も、運び屋を繰り返したことも。裁判でアールは、自ら有罪、と全てを受け入れる。

 じーさん、ほんと、あなたいい人だけどほんと、間違ってるよ。ダメ人間だよ。
 運び屋繰り返すうちに、マフィアの下っ端くんたちと仲良くなったり、マフィアの右腕に説教してみたり、捜査官と何気なく素知らぬ風でカフェで会話する時に、家族が大事なんだ、一番なんだ、ってしゃべってみたり。
 愛されるよねえこのじーさんは、って感じがすごかった。チャーミングじーさんだよ。家族としては外面ばかりよくて、と、大変だったのだと思うけど。ちょっとした知り合いになるには最高のじーさんだよねえ。
 イーストウッド、すごい。今、実際に88歳くらい? この役は自分の存在も重ねてる感じが、してしまう。娘役の人、実際の娘なんだって。イーストウッド、離婚再婚とかなんか、子どもも沢山いるみたい。で、こういう、家族が一番大事だった、という役、映画、やるんだなあ。

 ブラッドリー・クーパーが捜査官役で出ていて、すっごくかっこよかった~!大仰さが全然ない、凄腕でしぶとくうまくがっつり仕事するぞ、というまっとうな有能さを感じさせる。普通の感じなのに素敵でよかったなあ。
 ローレンス・フィッシュバーンも少し出てた。上司といえばフィッシュバーンって感じ~。あとアンディ・ガルシアも出てたらしい。マフィアのボスか、と後から確認。いいボスって感じだったよね。マフィアだけど。そして部下に裏切られて撃ち殺されてた。人情あるボスはいらない、って感じの、これも時代の変化なのかみたいなのも、いい。

 いい映画を見た。イーストウッド、ほんと巨匠だ。納得しました。

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『炎の色』 (ピエール・ルメートル/早川書房)

*ネタバレしてます。


『炎の色』 (ピエール・ルメートル/早川書房)


 『天国でまた会おう』に続く第二部。三部作構想だそうで、次のはまだ出てない、かな。この本は2018年11月刊行。

 舞台は1927-1929年、1933年の二部構成。天国の後7年ほどすぎて、エドゥアールのあの父の葬儀のシーンから。姉、マドレーヌの息子、ポールが7歳になっている。マルセル・ペルクールの柩が屋敷を出てゆく、その時に、ポールは3階の窓から身を投げた。

 前作から時間過ぎているし、エドゥアールのこととかは本当に一瞬名前が出る程度。主役はマドレーヌ。強い意志を持つ大金持ちのお嬢様であった彼女が、大事な息子が車椅子生活になる苦しみを抱え泣き続け、信頼を裏切られ、庶民の暮らしに身を落とし、陥れた奴らに復讐していくという物語だった。
 前半ではただただ翻弄されるマドレーヌという感じだったのが、後半には時に悩み迷いつつも復讐計画を練り上げてやり遂げていく根性に感動する。戯画的ではあるけど、登場人物みんな生々しくて、あ~も~~~お前ら~~~ってハラハラわくわくしながた読んで、そこそこ分厚い一冊だけど一気読みしてしまった。

 厳格パパがさあ、娘を心配してこの男なら年上だけど実直さの面で安心だろうと再婚話をもちかけた銀行の管理職のギュスターヴ・ジュベールが、一度マドレーヌと共に銀行を手に入れられるかも、って思ったあとに破談にされてじわじわと裏切っていくの、そんなの酷い!と思うけど、うーん。マドレーヌのほうも結構酷い、って感じもあって、なかなかすごいうまい複雑さ。侍女のレオンス、美人でしたたかで、一瞬、マドレーヌとラブに? と思わせておいて違ったーとかも、まさに作者の思うつぼにはまってしまって読み進めるのほんと面白かった。

 ポールくんが何故飛び降りちゃったのか。なかなかわからなかったのだけれども、家庭教師でジャーナリスト志望のマドレーヌのツバメだった男が、実はショタコンでポールを密かに襲ってたのね……。酷い。アンドレ、お前、マドレーヌとか他の女とかともたっぷりやってたじゃん!! 自分の本当の欲望を隠して隠してそんな酷い事して。痛快な皮肉正論みたいなコラムを書いて人気ものになっていって。お前こそ死ね、と思いながら読んだ。復讐されてよかった。

 ポールが、心塞ぎ、苦しんでいたのを救ったのは、看護に雇われた、フランス語わかんないままどんどん世界を明るくしちゃうヴラディ。オペラのレコード。
 イタリアのオペラ歌手、ソランジュ・ガリナート。彼女の歌に魅せられたポールはオペラに夢中になり、生きる希望を得た。その歌、音楽の美しさが、小説だから当然言葉だけで描写されていくわけだけども、なんかすっごくよくって、うつくしくてわくわくできて、音楽をこんなに言葉だけで表現できるのかあ、と読んでてうっとりした。素敵だ。彼女の歌を聴きたいってすっごく思う。ナチス台頭してきている頃のドイツでひらくコンサート、その駆け引きと迫力。すごいかっこよかった。
 
 ポールが段々成長してきて、性の目覚め? と、マドレーヌが母としてどうすべきか悩んだりしていると、実は広告戦略に興味があるんだ、って、なんか美容クリームみたいなのを作って売って儲けるぞ、って商売始めたりするのすごい展開だし。なんだそれ。
 でもちゃんとなんとかうまいこと、マドレーヌに協力しているデュプレさんがおぜん立てしてくれるのねー。

 デュプレさん。前作ではプラデル中尉の部下としてなんかいいように使われてた人か、と、私はあんまりちゃんと覚えてないけど、その彼が今度は主要人物になってる、控え目な、善人ではなく悪人でもなく、という複雑さがよかったなあ。マドレーヌとの付き合い、生涯ともにすることになって、でも、ずっとお互いをさん付けで呼び合いました、っていうその感じ、すごくよかった。

 マドレーヌの復讐は、銀行屋実業家や政治家相手だったりするので、経済問題とか政治情勢みたいな、当時のフランスの歴史背景みたいなこと、実際の事件のモデルがあったりするようで、フランスのこともっと知っていたらもっと深く、うんうんわかる、あれね、みたいに楽しみ倍増したりするのかもしれない。わからなくても十分面白いけど。

 そして時代は第二次世界大戦へ、というエピローグ。ポールも戦争へ行き、みたいなことらしく、そういうその後が本当に少しだけあっさりさらっと書かれているのも余韻が深い。大河ドラマみたいにたっぷりのボリューム読んで大満足って感じ。面白かった。

 次作は1940年代らしい。エドゥアールたちを手伝ってた小さな女の子ルイーズが主人公になるらしいとのことで、読みたいな~待ち遠しい。楽しみ。

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映画 「グリーンブック」

*ネタバレしてます。


映画 「グリーンブック」 


 今年のアカデミー賞では全5部門でノミネートされ、作品賞のほか脚本賞、助演男優賞を受賞した、というので、ますます期待高まって見に行きました。

 トニーはナイトクラブでトラブル解決などをしているイタリア系。愛する妻、子どもたち、ファミリーに囲まれる賑やかな毎日。ナイトクラブが改装でしばらく閉店になるので、仕事がなくなり、困る事態に。そこで紹介があったのが、どこかのドクターが運転手を探しているという話。面接があると教わった住所はカーネギーホール。その上に住むドクター・ドン・シャーリー。心理学だかいくつかの博士号を持つ彼は医者ではなく音楽家。黒人ピアニストだった。北部では大人気の彼だが、南部へツアーに出るために、運転手が必要だという。できれば、トラブル処理能力にたけた男が、欲しい。一度は断ったトニーだが、ふっかけた賃上げのを飲んでの申し出の電話で、妻に了承されてしまった。


 グリーンブック、というのは、南部で黒人が泊まれる宿のガイドブックのこと。
 日本での公開が毎度の事遅いわけで、作品賞とったあとに、実話を基にしたとかいいつつ嘘だらけできれいごとの映画だ、みたいな賛否両論の否のほうの記事をちょっと読んだりもしてしまって、ちょっと複雑かなあと思いながら見に行った。
 実話ベースっていったって、映画は映画なんだからフィクションとして私は見るし、そもそもアメリカの、黒人差別のあれこれをちゃんと認識できてはいない。この映画の中でも、多分なんかいろいろ暗喩的に示されていたのであろう差別の根深さみたいな所がちゃんとわかってはいないと思うし、難しい。1960年代のアメリカの、黒人差別問題の映画をいくつかは見てるけど、わかってないと思うし。わからないけど、けど。

 実際見てみて、ほんとうにすごく気持ちよくいい話で、いい作品だなあと思った。話の運びも上手い。役者も上手い。みんなうまい。みんなうまくて、まあな~このすごくウェルメイドな感じが、ん~ちょっと、という所にもなるかなあという気はした。けどなー。うーん。難しい。


 ドクターは繊細で優雅でインテリで、自分にできる精一杯を常に緊張の中で行っているようで、その孤独がひしひしと伝わってきた。マハーシャラ・アリ、スタイルよくて姿勢よくて佇まいが美しくて、ピアノ弾く手、指、とても綺麗で、すごいよかった。
 南部に行くと扱いが酷くて、それでもステージでは盛大な笑顔をみせてみんなに感謝を述べる。いつもはまるっきりクールで、あまり表情は見せない。だからことさらな、ステージでの笑顔のサービスが辛いものに私には見えた。ステージを見た観客は素晴らしい演奏に満足し、有名なピアニストの演奏を聞いたことに満足し。だけど彼が黒人であること、地域で黒人が差別されていることは当たり前と思って気に留めない。黒人と白人は違う、一緒にはいない、というのがあまりにも当たり前な様子が辛い。

 トニーも最初は、黒人嫌いというか、気持ち悪いというかなんかそういう差別感情を持っていて、差別感情持ってるのが当然と思っていた。妻は気にしないようなんだけど。
 トニーの周りには両方の人がいた。黒人だからって差別はしない。黒人を当然差別するやつも。トニーが貧しくて裏社会だって黒人歌手だって知ってるって、ドクターがお城に暮らしてるじゃないかって喧嘩したりするのも、痛いシーンだった。

 人種差別が何もかもの原因でそれさけなければ、ってわけでもなくて、それ以外にも問題はあるし、不幸の種は誰だって抱えている。けど、人種差別って個人の手におえるものじゃなくて深く深く酷い。
 あとたぶん、ドクターはゲイみたい? 男と遊ぼうとしてて警察に捕まったりしてたっぽい。二重に苦しいよなあと、ほんと、めちゃめちゃ苦しい中で、鬼のような自制心で孤独な戦いを続けてきたんだと思った。
 旅の最後の公演の前、トリオのメンバーの一人が、ドクターが何故南部へツアーにきたかという話をした。かつて招かれた黒人歌手がステージから引きずり降ろされて袋叩きにされたことがあると。ドクターがツアーを行うのはお金のためじゃなくて勇気を示しすという彼だけにできる戦いであり感動なんだ。

 トニーが二か月離れることになる妻に、電話は高いんだから手紙を書いてよ、と念押しされていたので、ちょくちょく手紙を書く。ドクターが、子どもの作文みたいなトニーの手紙を、最高にロマンチックな手紙になるよう助言しまくっていく。そういう交流とか。喋り方のレッスンとか。
 白人を黒人が教育してあげるというのも、ちょっとひねりのある感じだったのかな。

 そして、最後の公演の前に、招かれたアーティストなのに、白人と同じレストランに入ることが出来ないと言われるドクター。いいさ、と、これまでなら我慢強く受け流してきた彼が、ここで食事出来ないなら演奏しない、と宣言する。
 それをなんとかするか、しないか。トニーのいうことを聞く、っていったのは、トニーを試すような気持ちだったのかなあ。それとも単にもう疲れちゃったってことだったのか。
そこで、トニーは、一度は説得しようとしてたけど、やっぱりいいさ、って二人して出ていっちゃう。近くの酒場でピアノを弾き、即興ジャズもやって。
 本当はクラシックの教育を受けていて、でも黒人はクラシック界でピアニストにはなれないだかなんか、で、ポピュラーミュージックの演奏もしてる、というドクター。
 クラシックなんていっぱい弾くやつはいるんだから、あんたの音楽はあんただけなんだから、ってなことを言われてたけれど。ドクターの弾くショパンはドクターだけのもの、という、その感じもすっごくよかった。
 音楽のシーンはさすがとっても素敵だったよ~。すごい。

 雪道に苦労しながら、そしてついにはドクターが運転交代して、クリスマスにうちへ帰ることに間に合ったトニー。賑やかで温かい家庭。
 一方、豪華なお城のようなドクターの部屋は孤独で、静か。あまりにも静か。
 ねえ、絶対トニーんちのクリスマスに行くでしょう? 行くよね?? 行ってくれお願い、と思っていたら、ちゃんと、最後には、シャンパン片手にトニーの家へ行ったよ~~読た~~~。寂しかったら自分から手をうたなくちゃ、って、トニーに言われたこと、ちゃんと守ったよねええ。
 妻、ドロレスは、ドクターにようこそ、ってハグしながら、素敵な手紙にしてくれてありがとうみたいなこと囁いて、ふふってなって、終り。
 ほんと上品に、優しく、くすって笑っちゃうこともいっぱいに面白く、まるで正反対みたいだった二人の男の旅と友情っていう中に深い問題も潜ませて、うまい映画だなあって思った。

 ウィゴ・モーテンセンもほんっとうまくて、すごい。作品の度にいつも別人~~て思う。今作ではだいぶ太っての役作りですね。ちょっとヤバいことも知ってる、世渡り上手いんだけどちょっとダメな、けど善良さのある、当たり前の男っていう感じ、すごく素敵だった。かっこいいなあ。見に行って満足。眼福映画でした。

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『Perfect Quartz (完璧なる水晶) 葉山編』 (五條瑛)

*ネタバレしてます。

『Perfect Quartz (完璧なる水晶) 葉山編』 (五條瑛)


 韓国で重要な地位を得ている財閥のトップから、米国軍部へ亡命話が持ち込まれた。ヨハン、北の指導者の息子である。弟が権力の座をつぎ、海外で教育を受け育ったヨハンはどこからも厄介者扱いされる存在となっていた。
 彼を受け入れることができれば、北に隠されている何か、かつてない中核部分の情報が手に入るかもしれない。横田ではエディ自らが動き出し、葉山もそのお供をすることになった。

 かつてスパイ活動のみならず大金を稼ぎだしていたカタツムリ。国外で力を伸ばす誰も正体をしらない完璧なスパイ、「石英」。過去の秘密を追う葉山。ヨハンの亡命話は順調に進み、本人との条件の話までつめていたが、ヨハンは空港で暗殺されてしまう。
 カタツムリと石英はつまり一人の人間なのでは。本当に裏で糸をひいていたのは、引退して息子を隠れ蓑に、生贄にした京星グループの、社長。エディと葉山が詰め寄ってもその男の信念はみじんもゆるがないのだった。


 2018年10月刊行、でいいのかな。アマゾン電子書籍での個人出版。私はオンデマンド印刷の本で買いました。
 『スパイは楽園に戯れる』というのが2016年に出てるね? 雑誌連載時は「パーフェクト・クォーツ」というタイトルだったらしい。んで、本は読んでる、けど、あんまりちゃんと覚えてないな~私~。ヨハンの亡命話、この本は楽園とはまた全然違う感じ、か。こんながっつりと新作書き下ろし? お話としてはスリー・アゲーツだっけ、なんかそれから直後っぽい気がするけど。スリー・アゲーツももうかなり昔だよね? 読んだ、のは覚えてるけど内容をきちんとは覚えてない。うう。全部読み直して読みふける一ヵ月とか作りたい……。

 それはともかくも。韓国での大統領の不正で政治的大問題だとか、金、なんとか、あの、彼が空港で暗殺だかなんだかされた、あの事件、が、織り込まれていて、さっすがハードでリアルな問題の裏の裏の裏では何かが、みたいなのすっごく読み応えあって面白かった。さすが。ほんと。これ個人出版しなくちゃダメなの? 通らないの? 私はまあ何にもわからないんだけど。ともあれ、なんであれ、読めてよかったー!すごい面白い。


 んで。話が面白いのは勿論ですが。キャラもえもしまくってしまうので、今回、エディが葉山くんと一緒にお仕事~! わ~! とか思ってたら、すごい想像以上に、一緒に、い、い、一緒に、すごい、一緒にいて、エディ優しい……。葉山くんは相変わらずこの上司最悪って感じでいるけれどもっ。でもなにこの、二人のらぶらぶ……同人かな? 夢か……あ~~~。

 一緒に高級ホテルにお泊りで、お食事で、プールで。葉山くんてば溺れかけて助けられてその時思わず噛みつくとかなにそれ!えっろ~~~~(*ノωノ) まあお出かけもお食事も仕事絡みですが。あまりにも、妄想的シュチュエーション~~~。
 そしてヨハン暗殺の報道にショックでエディのマンション行っちゃう葉山くんな。雪が降ってきてもう遅いから泊まっていけ、ってな!!!!! な、な、なにこの、ゆ、夢……妄想が公式様からご褒美で降ってきた……(*ノωノ)
 そしておまけショートは髭剃り~~~~~~~っっっ!!!!! めっちゃ大好きなやつさいこうえろす。命あずけちゃうやつやんけーーーっああああああ~~~。
 はあ。
 めちゃめちゃかっこいい。凄い。すごい、ご馳走さまでした……。

 この本が出てくれてよかった。読めてよかった。しあわせ。ありがとうございます。次~続き~もっと~~~読みたいですっ。あるんですよね「半島の猫目石」!? 読みたい~~。待ってます……。

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横浜美術館、イサム・ノグチと長谷川三郎、最果タヒ

 3月6日水曜日、昨日横浜美術館に行ってきました。

「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」
 1950年代、日本美再発見。 (2019年1/12~3/24)

「最果タヒ 詩の展示」 (2019年2/23~3/24)

 正直私はイサム・ノグチも長谷川三郎も知らない方々でした。長谷川三郎は絵画、イサム・ノグチは彫像、かな、すごくざっくり言うと。神奈川にゆかりがあったりして、あのー、でっかい丸とか、横浜美術館にいつもあるよね見てる、うん、それでなんとなく名前に親しみがある気がしてた。認識がクリアになりました。
 
 入口はいってのロビーにかなりでっかいイサム・ノグチの石のオブジェ(?)が。庭の要素。玉砂利の四角の中にそびえたつ石。ん~。こういうのは、どうなの。庭っぽい、と思いながら見るのか。なんて思ったり。展示の先に進むと、あ~雪舟だとかなんとかの影響みたいなのがあって、山口の、あれか。瑠璃光寺とか。石庭みたいな感じの所のインスパイアみたいな感じな感じ~? と、うにゃうにゃ曖昧に連想しつつ、ずずーっと眺めました。

 長谷川三郎のほうも、抽象的。絵画、というか、ハンコ? ある時かまぼこ板を素材につかってぺたぺた押してみた、という屏風画とか。かまぼこ板からのひらめきと言うのもあるものかあ、と、内心すごく面白くなってきて眺めました。いろいろな形、の集まりとか広がりとか空白とか。リズムが画面の中にあると思う。

 イサム・ノグチの鳥とか、身ごもる鳥とか、書、なんていうのは可愛いしわかるなあという感じ。鳥、好きだった。鳥とは嘴なのかと思ったり。この形が鳥なのだと思ったり。

 二人は40代半ばでなんだかイベント?かなんかで出会い、日本美術に詳しい長谷川がノグチを京都奈良等案内してまわったりと交際を深めていったらしい。長谷川も渡米したりして。そういう芸術家同士の付き合いの深まりとか交流とか、何か勝手に妄想しちゃってもえる。楽しかった。

 そしてやはり、老子だとか荘子だとか。胡蝶の夢、強いな~と思う。結局そういう方向にいっちゃうのか。まあそうかなと納得するんだけど。


 「最果タヒ 詩の展示」は、詩、が言葉の断片になってモビールになってつるされている中を、わけいって見るような、面白い展示だった。
 言葉の断片がプリントしてある多角形な小さなボードがモビールにつるされている。ゆらゆらするしくるりと回るし、順路があるわけでもないから、そこで読む言葉の繋がりはかなりの偶然性のもの。そうして一人一人が読み取るフレーズが毎回新たな詩として一人一人にあらわれるのだ、というものなのだと思う。
 最果タヒのことも、なんとなくこの頃人気に若い詩人? という感じにしか知らなくて、今回読んだ言葉の数々の詩、は、なるほど若い感じ、と思う。
 情報センターという方で、iPhoneで詩つくってるのが、あれは、えっと、何?録画?そのiPhoneまんま展示されてて言葉が画面にあらわれたり消したり直したりしているのを見たのも面白かった。スマホで創作します、っていうのももう全然ありだよねーというのを目の当たりにできて。
 そこに本もあったのでパラパラと見る。
 モニタ画面まんまのように四角いみっしりした詩だった。
 私の勝手な思い込みですが、詩って、もっと改行とか余白が多いものだと思ってた~。まあそうだよね詩に決まりはないから好きなようでいいんだし。みっしりしてる詩もあるわ、読んだこともあるし、うんうん。ソネットとか形式あるものでなければ、詩人の好きなように書くのだよねえ。

 美術館のカフェにも、テーブルに小さなモビールがあって、可愛かった。壁にも映し出されたりしていた。詩を読む、というのではなく詩の展示、って、こういうのなのかと、体験したの、よかったです。
 で、カフェでお喋り。お店かえて晩ごはん。の、いい一日になりました。美術館でゆったりできるとほんと気持ちいい。楽しかった^^


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笹井宏之賞授賞式とシンポジウム「わたしたちのニューウェーブ」

 3月3日(日)、中野サンプラザで行われた、笹井宏之賞授賞式と、シンポジウム「わたしたちのニューウェーブ」を見に行きました。以下、あくまで単なる観客、一個人の主観的覚書メモです。発言とか意図を勝手に私が思い込んでいることが多分あって正確なものではないだろうなという、個人的メモです。

 書肆侃侃房の「ねむらない樹」というムック本企画かな。あんまりよく知らなくて申し訳ないのですが。書肆侃侃房は、笹井さんの歌集出したことをきっかけに、というかなんというかわかりませんが、歌集、短歌関係の出版事業に力を入れてらっしゃるところ、という感じ。
 笹井さんの名をつけたこの賞は50首、ウェブからの応募のみ、らしい。大賞ひとつと、審査員それぞれの名前での賞がありました。選ぶ側も受ける側も、どのスピーチも真摯な思いがあるんだなあと思って、面白く聞きました。皆様おめでとうございます。

 で、休憩挟んでのシンポジウム。「わたしたちのニューウェーブ」は、去年6月の名古屋で行われたニューウェーブを振り返るってイベントに続いての企画、かと思います。名古屋見に行ったよー。あの場でニューウェーブは荻原、加藤、穂村、西田の四人の活動です、と言いきっていたのが、ざわざわ、って感じだったのね。他にも同じ流れ、似た活動というか一緒にやってた歌人っているんじゃないの??? という疑問。いません、という断言がきたからなあ。

 登壇者は、東直子、水原紫苑、江戸雪(司会)。タイトルは東さんが、なんかタイトルつけろと言われたので一応つけました、というものらしい。
 レジュメにはそれぞれが選んだ10首。わたしたちのニューウェーブ、というので思った歌、とのこと。6月の時の四人の歌を入れてないのは、シンプルに、あの四人のはあの時たっぷりやったからいいでしょうという感じ。あげられているのは女性歌人の歌に限ったものではなく男性歌人もあり。江戸さんがあげてますね、大辻隆弘、大塚寅彦、山田富士郎、正岡豊。複数入ってるのが紀野恵、大滝和子、早坂類、山崎郁子あたり。

 で、まあ、話を聞けたのは面白かったですが、話していくうちに、ライトヴァ―ス(都会的とか浮遊感とかドラマ性、口語)、という大きな流れの中での自称ニューウェーブ、みたいな所なのかなあという感じ。口語や記号使っての表現を広め習熟させていく、みたいなテクニック的な所がニューウェーブの特徴だったのかなあ。そういう表現をしていた人はたくさんいて、でも僕たちニューウェーブ、って張り切って自称するのはあの四人、ってことでいいのかな~という気がした。80年代終り、90年代に、ニューウェーブ的な表現は流行ったけれども、それは流れ広がって一時代の一つの特徴、とはいえるけれども、多分ライトヴァ―スの方が大きなくくりであって、ニューウェーブは僕たち四人です、と言い切るならそれはそれでどうぞ、というくらいなのかなあと、短歌を知ったのはその時代より後である観客の私としては思いました。去年6月のイベントで言い切ったことによって、ニューウェーブって、ぼんやり流れというか広い波みたいに思っていたものが、ぎゅっと限定されて、矮小化されたような気がするなあ。
 今回登壇のみなさんも、ニューウェーブの一員に、入ろうと入らなかろうと、別にまああんまりどっちでも、みたいな感じかな、と。ただ、他にはいません、というような切り捨てられ方をした感じが、え? という感じなのかなあ、と。
 というかだいたいライトヴァ―スなんじゃないの? まあ、私はライトヴァ―スもちゃんと認識してるわけじゃないけど。

 やはりバブル期、という、景気いいねーって時代の空気みたいなのがすごくあって、伝統的しがらみみたいな所から自由に、都会でおっしゃれーでお金つかっちゃうぞ、銀行にあずけたら利子が増えて預金増えちゃうぞ、僕たちは永遠の子ども、死なないんじゃないか、老いないんじゃないか、みたいな空気があった時代、の、歌、って感じかなあ。永遠の青二才とか言われてたのは島田雅彦だっけ。
 やはり今の50代くらいのバブルな空気体験してたってのは、実際本人がお金バンバン使ってよかったわとかじゃなくても、まーその空気感みたいな中にいたことっていうのは、なんだかな~。
 と、バブルのハシゴが目前で崩れた世代である私は、憎しみを持っていて信用できないわ~と思う。

 ま、そんなこんなで。ニューウェーブとかはまあそういう時代がありましたね、という感じで今はまだ、あの頃は~という思い出話なのだろうというのがよくわかった気がする。
 当事者が現役で、当事者が30年前を振り返って、というのは。やっぱ思い出話になるしかないかねえ。あの頃若かったね、みたいな感じ。多分評価みたいなことを言うにはまだ早いのか、な。30年って随分時間がたっているような気はするけど、でも全然普通にちょっと前の若い頃、みたいな感覚なのだろうと思う。私も30年前かあ、と単にちょっと前な気分で思い出せることあるからなー。
 
 てことで、なんかニューウェーブがどうこうって結局みんなそれぞれに思う事が違うみたいだなあということがわかった、かな。そして統一見解みたいなのは出せない、出すとしたら多分あと30年先とかそういう感じなんじゃないかなあ。で、たぶん、ライトヴァースというほうが用語としては使える、気がする。記憶や記録は大事と思うけど、評価ってなかなか難しいなーと思った。時代の変化も広がりも凄く関わるものねえ。面白かったです。


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映画 「アリータ バトル・エンジェル」

*ネタバレしています。


映画 「アリータ バトル・エンジェル」

IMAX、3D字幕で見ました。

 未来。空中都市ザレムが浮かぶその下にはアイアンシティ。ザレムから落ちてくる屑鉄のゴミの中に、サイバー医者であるイドはサイボーグの少女の頭部を見つける。持ち帰ると、奇跡的に脳にダメージはなさそうだ。サイボーグの体を与え、目覚めた彼女にアリータという名前をつける。それは亡くした娘の名前。記憶をなくしている彼女は、だがイドの危機に恐るべき戦闘能力を発揮する。
 彼女は300年前の大戦争時に失われたはずの、最先端最強のサイバー戦士だったのだ。


 そんなこんなで、元は日本の漫画だそうです。私は読んだことない。『銃夢』、ってウィキを見るとこの映画とはだいぶ違うというか、多分、映画はそーとーアレンジしているのだろうなって感じか。
 ともあれ、なんかすっげー強い少女の姿のサイボーグ戦士とか、過去の巨大テクノロジーとか、しかし地を這うスラム街では荒っぽいモーターボールという競技、のバトルがあるとか、いろいろと、あ~なんかこういうのありますねという、お馴染みの感じ。

 けれどもさっすがのアクションとか映像とか。CG? なんかもうわかんないけどすっごいリアルに自然に、いや、サイボーグ少女だから不自然なんだけど不自然なのが自然に、演じられていて、とにかくかっこいい映像世界ですっごかった。

 脇を固めるのはオスカー俳優たちですし。イドはクリストフ・ヴァルツ。勝手に、いつ殺されてしまうのかと思いながら見てたけど、無事だったよかったよかった。父としての存在である彼を殺されてアリータが逆上、覚醒、みたいなことかと思っていたよ。
 医者の顔、父の顔で善人のようでありながら、深夜怪しげに出かけていったりして、ん? と思わせておきながら、裏の顔は犯罪者を狩る賞金ハンター、とか。本当は上、ザレムの生まれであるエリートっぽい、とか、設定もりもりキャラだった。さすがヴァルツさんが演じるわけですね。

 その妻でありやはり優れたサイバー医師であるチレンはジェニダー・コネリーだった。迫力あってお美しい。すごいなあ。
 贅沢キャストって思った。

 アリータが恋するヒューゴ。よくいるその辺の若者って感じながら、いつかザレムへ行きたいんだ、と、密かにサイボーグ化してる人を襲ってパーツ強盗してたり、悪いヤツのベクターってやつの下っ端してたりと、なかなかのチンピラっぷり。アリータとの恋で、まっとうになろうとするのだが、結局はザレムへ登ろうとしてるところで死ぬことになる。
 
 話がどこまで行くんだろう? とずっと飽きずに展開眺めました。本当の敵にはまだたどり着かない感じで終わってしまった。けどまあ仕方ないか。
 モーターボールとか、賞金ハンターとしての戦いとか、アリータの始まりの感じをかっこよく描きました!って感じ。すっごいかっこよく、バシバシに見せ場シーンたっぷりで、満足感は充分。
 
 予告編を随分前から見せられていて、最初はアリータのアニメじゃないのに大きすぎる目とか気になったのだけれども、実際見てる時にはその目に表情たっぷりだし、大部分サイボーグなわけで、不自然さも当然という感じ。
 
 そしてバトル。サイボーグだからっていうのか、ざっくざっく体バラバラになったりして、やばい。これ欠損萌えとかヤバい扉が開いてしまいそう。かっこいいすてき怖い可哀想もえる……。
 ワンちゃんが殺されちゃって。あー。イド医師ではなくワンちゃんが犠牲に、と悲しかった。ヒューゴが死んじゃってアリータは泣いちゃうけど、観客の私としては、ヒューゴは、なあ。まあなあ。と、そこにはあんまり感情移入しませんでした。

 世界観的なことは、なんで? という疑問、突っ込みはあった。漫画だともうちょっとなんか説明というか話があるのかなあ。わかんないけど。けどまあ、そういう世界なのだなってことで気にしなくても平気。なんかすごいぞかっこいいぞ~! というのは楽しかったです。3D、IMAXで見た鮮やかさも満足~!

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映画 「天国でまた会おう」

*ネタバレしています。


映画 「天国でまた会おう」

 
 2017年、フランス製作。
 
 第一次世界大戦の終戦間近。アルベールは無謀な偵察任務に送り出された兵士が後ろから撃たれていることに気付いてしまう。戦争好きなプラデル中尉のせいだ、と直感するが、直後、爆撃で穴に生き埋めになりかける。そこを助けてくれたのはエドゥアール。仲良くしていた兵士。だが、またしても爆撃で、エドゥアールは倒れ、顔の下半分ほどを失ってしまう。
 命は助かって病院にいる二人。家には帰りたくない父に会いたくないというエドゥアールのために、アルベールは別の死んだ兵士と身元をすり替え、エドゥアールを別人として救った。
 痛みに苦しみ、モルヒネを欲してばかりのエドゥアール。ひっそりパリの片隅で暮らす二人。ある日、エドゥアールが戦没記念者のための記念碑詐欺を思いつく。

 原作小説を読んで、映画を楽しみに待ってました。
 何よりまず、ビジュアル! エドゥアールの顔を隠す仮面の数々、素晴らしく美しい! 不気味だったり滑稽だったりもして、それらすべて含めて美しい。小説の描写はもちろんいろいろ丁寧だったけれども、それをやっぱ、ぱっと見せられる映画の世界は強いなあ。素晴らしい映画化だ。

 原作との変更点もある。けど原作の細部まできっちり覚えているわけではないので、気にせず見ました。
 映画は、植民地へ旅立ち逃げたアルベールが、現地で捕まってこれまでの話をする、というスタイルだった。やっぱ展開は随分早く感じる。それぞれの背景だとか毎日の暮らしみたいな細細したことは小説読んだのがわかる。けどまあ、そういうのざっくりすっ飛ばしてもいいかなあ。映画のテンポももちろん好きだった。けど、やっぱり私は本を読んでおいてよかったかなあ。なかなか顔が覚えられないので、えっと、この人誰だ誰だっけ、ってなったかもしれない。まあでも多分見てるうちに慣れるか。

 やはりエドゥアールの最期を変更したのが大きかった。父の車に轢かれて、親子の会話もなにもなく終わる小説とは違って、映画では再会する。そして、お互いを、わかりあう一瞬があった。救い……。
 とてつもなくうつくしいシーンだった。その時エドゥアールがつけているのが華麗な孔雀の顔の仮面でさ。目だけ、目だけしか出てないのに、わかりあう親子。ハグして、エドゥアールの目が潤み、涙がこぼれ、ありがとうと伝えて。そして、テラスから飛び降りてしまう。
 衝撃だった。
 車の事故で亡くなったのも相当衝撃的だったけれども。今、父と和解したのでは? なのに目の前で? むしろ残酷な。いやでも。って、もう、茫然と私も涙を流すしかなかった。
 
 エドゥアールを演じているのはナウエル・ペレーズ・ビスカヤートというアルゼンチンの俳優さん。「BPM」ビートパーミニッツ、の人だ。フランスでのエイズアクトのやつだ。見た。うん。
 彼の目。最初以外はずっと顔半分隠して仮面の中で演じているわけだけれども、本当に、綺麗な印象的な深い青い目をしていて、素晴らしかった。仮面の奥の彼の目の演技。綺麗な涙。ほんとうに凄い。

 エドゥアールは若き放蕩息子で、アルベールは冴えない中年男っていうコンビで、ルイーズという女の子を仲間に迎えての、詐欺計画。そして金を持っての豪遊とか。映画ならではのビジュアルのすばらしさ。すっごいよかった。細部まで重厚で美しくてすごくよかった。

 インタビュー記事とかで、原作者の言葉で、これは幸福な映画化の実例だみたいなことがあったと思う。本当にそう。原作もすごいよくて、言葉で丁寧に積み重ねられた長い深いそれぞれの登場人物の細やかな動きを読み重ねていくの面白かった。そして映画は、とにかくどっと目に入るビジュアルが物凄くよくってよくって、生きて動いているキャスト、人物がいて、音も動きも声も、すごい、生きてるって伝わってくる。
 アルベールを演じているのは監督でもあるアルベール・デュポンテルという方。ベテラン俳優? 私はよく知らなかったんだけれども、ほんとこの映画をありがとうと言いたい。
 
 ラスト。捕まっていたアルベールを軍人さん? 警察署長? が、うっかりきみの手錠の鍵を置き忘れたままちょっと外出するから、って、逃げるよう言外に進める。これも映画オリジナルだと思うけど、その人は、最初戦場で無駄死にさせられた偵察に行った若い兵士の父だったの。その、めぐりあわせの奇跡とか。すごい。映画の派手な見せ場でありぐっと感動ポイントとしておさえてくるよねえ。

 エドゥアールは天才だった。芸術家だった。絵、のみならず、詐欺という復讐を行うことさえ天才だった。善良な立派なヒーローとは程遠い困った子だけど。人の心を揺さぶる男だった。善良な小心者であるはずのアルベールはエドゥアールに振り回され、それでも、彼のしでかすことに惹かれ、助け、欲も出て、生きていく。
 これも運命の二人だったなあ。小説も映画も、両方見ててよかった。大好き。すごくいい映画を見たっていう満足。
 予告トレイラーをツイッターで見た時から一目ぼれして、本読んで楽しみに待ってて、そして期待通り、期待以上にいい映画で感動した~。公開劇場が少なくて川崎まで行っちゃったけど行ってよかった。大好き。


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