『鉄の蜜蜂』 (岡井隆/角川書店)
『鉄の蜜蜂』 (岡井隆/角川書店)
2018年1月25日初版発行。34番目の歌集となります、とのこと。(あとがき)
初出は「未来」と、他いろいろの雑誌や新聞から。初出不詳の、「大震災以後の歌二十首」もあり。これは3.11の、わりと直後あたりで新聞とかに出してたんじゃないかなあ、と、思うけど違うかも。もう自分の記憶は一切あてにならない……。
2018年で満九十歳になります(あとがき)とのことで、その前2015年~2017年ごろの歌をまとめたもの、と。
それはやはり圧倒的に老いの気配がある。膨大な過去の記憶。思い出、という甘さはあまり感じない。先立って亡くなる友人知人。自分自身の健康状態。勿論医師であった著者は病のこと死のことを知りながら、自分の体験としての老いや病はそれぞれに初めての事なわけで、ゆっくり体をいたわりながらという様子がうかがえる。だけれども、それが憐憫っていう感じはしない。
自分の心、自分の体、そういうものを自分の中からとり出して歌につくる距離感の絶妙さ。もう息をするように歌をよめるのではないかなあと想像するけれども、そうでもなかったりもするんだろう、か。多分。
それでも歌の韻律が作者の呼吸のリズムになっているように感じる。とても自然に調べに添う。けれどとてつもなくテクニックが身についているどころじゃないほどに、歌が自分のものなんだろうな。自分のものであり自分じゃないみたいな冷静さもある。こういう呼吸みたいなものがすうっと言葉で、文字で、伝わってくる。優しい柔らかさがあるけれども、人を寄せ付けない毅然とした孤独みたいなのもあって、畏れるしかない。
私がもう岡井隆大好きすぎて全然冷静に読めないからなあ。わかってないんだろうなあ。未来で読んできているものも、やはり歌集という一冊で手にするとまたきりりとした姿が一層鮮やかに見える。この歌集がまた、装丁というか、表紙や紙の感触まで凝ってて独特で、あ~汚したくないという真っ黒さが素敵でかっこいいんだよー。
めくってもめくってもうつくしい。
短歌ってこんなにも自由で豊かでやわらかくも厳しくもあると思い知らされる。
かっこいいんだよー。
日々の出来事、の中に、皇居に招かれるとか皇室の方々とのことがあったり、受勲があったりで、こ、この、大歌人っ……という圧倒してくれるの、凄い。そういうこと事を大事にしているんだなあと思う。けれど仰々しくもなくそれもまた日々の出来事、というフラットさがあって、巨大さを思う。こわい。すごい。
いくつか、好きな歌。ってもう全部すごく好き好きすきでしかないんだけれども~。
ぼくの心と同じ水位の池ありて睡蓮の花が咲いたみたいだ (p23)
岡井先生が「ぼく」と自分のことを言う声や話し方が最高に大好きです。この歌も本当に柔らかく優しく綺麗に歌われていて、けれど何なのかはわかんない。けれど、睡蓮の咲くうつくしさと、こころの水位という、どこか冷えた寂しさと、感じる。好き。
樹は風の強い日に切れつていふぢやない 旧友長谷川を見捨てたあの日 (p32)
「亡友の記憶に寄せて」という一連。樹、というのは人で、ぼくであり君である感じかな。「見捨てた」という強い言葉を選んで記す、作者の心を思う。遠い過去の記憶であるだろうけれども、今も、樹をを切ったばかりの匂いたつような残酷で鮮やかな記憶として抱えているんだろう。ぞくぞくくるね。亡き友を思う時こういう記憶があってこういう歌に作るんだ。
ポストまで歩数を声にとなへつつさくらも終る痛みも終れ (p43)
痛みを抱えながら、それでもゆっくりポストまで歩く。声にとなえるのは自分を励ますためとか痛みを紛らわせるため、か、単純にいつもの習慣なのか。村上春樹をよく読んでいるらしいので、その影響とか? なんて思ったりもした。何もかもを執拗に数えるとかあったよね。風の歌だっけ。さくらと痛みと、うつくしい切ない取り合わせ。岡井先生んちにはさぞやたっぷり郵便物が届くだろうなあ。自分自身でもいろいろと出しているのかなあ。ポスト、郵便というものが持つ実感があると思う。世界への扉というイメージもあると思う。郵便を出して受け取って飛び回ることばと、もうあまり動けない我と。痛み、終わって欲しい……。
詩はつねに誰かと婚ひながら成る、誰つて、そりやああなたぢやないが。 (p50、ルビ「婚 まぐは」)
詩にこんなにエロスなイメージもって描かれているのぐっとくる~。きゃ~。で、あなたではないよ、ってふっとかわされるのなー。もえころげる。好き。
家中にいただきし花が咲きつづくわたしの過去が咲いてゐるんだ (p63)
「授賞式以後の私」。2016年文化功労者に選出、という受賞以後ということでしょう。家中に花が満ち、褒められたとはいえそれは「過去」というクールさ。勿論嬉しく思っておられることはわかる。けど、岡井隆にとって「過去」って、今も生々しく血を流し悪夢にさいなまれたりしているのではないかと思ってしまうので、なかなか複雑な思いがする。けれどその次の歌は「過去と共に明日(ルビ:あした)が一つづつ咲いて家内(ルビ:いへぬち)を明るく照らして下さい」というもので、花が咲き続くことをやっぱり希望のように捉えているのかなあ。過去も、明日も、花に彩られますように。
女性だから、ゆつくりと羽ばたいて去る。ぼくを漆黒の視野に収めて (p82)
「女性だから」という捉え方がぐっとくる。漆黒の視野に収められて去られていくんだぼくは、女性には。いう思いにぐっとくる。そういうものなんですか。黒い瞳に見つめられて、という感じかなあ。けれど作者が漆黒のなかに塗り込められて窒息しそうな感じがする。素敵だ。
日に一度朝があるつていふ嘘をたのしみながら花に挨拶 (p83)
朝があるのは嘘じゃないでしょう、と思うのに、嘘なのかなと不安になる。嘘だ、としていながら、たのしんで花に挨拶なんかしてる歌で、軽やかさが楽しい。
今日もまたぱらぱらつと終局は来む鉄の蜜蜂にとり囲まれて (p88)
歌集タイトルにもなっている「鉄の蜜蜂」。すごく惹かれる言葉。それって何? というのはわからないんだけれども、すごく印象に残る言葉。蜜蜂は益虫だけれども、針を持つ虫でちょっと怖いものでもある。鉄の、だから、より怖いものみたいな気がする。SFめいても思えるし、固く冷たい不吉のようにも思える。「終局」だものなあ。初出は未来の2017年8月号。だから多分書いたのは2017年の6月ごろ、だろう、多分。この一連の一首目には「水無月の終りが近い」だからまあ、6月なのでしょう。んー。
一輪の傘が咲くとき 不思議だなあ 雨の方から降つてくるんだ (p158)
こういう口調でつくる歌あるよね、この作者の文体だなあと思う。あ、雨かなとぽつぽつ雫を感じて、傘を開くと、それまでよりもっともっと雨を感じる感じ、だと思う。「雨の方から降つてくるんだ」という表現が不思議だなあという感じすごくするし、言われるとそうだなあと思うし、とても可愛い。こういう優しい歌もとても好きです。
美しい言葉に飽いた青年が汀に貝を殺めると聞く (p193 ルビ「汀 なぎさ」、「殺 あや」
これも私にはわかんないんだけれども、すごく、綺麗な絵が見えるようでとても好きです。この青年も美青年に違いないって思うね。詩人が漁師にでもなったのか、どうか、わからないけど。美しい言葉に飽いた彼をうつくしいことばで讃えるのって残酷で美しいな。
と、全然読めてないじゃん~自分~と情けなくなるけれども、わかった、ってことじゃなくてもこんなにも短歌って素敵とうっとりさせてくれる。作者と合わせて読んでしまう。好きなので仕方ない。平成が終りますね。今上陛下のご退位がこの春、かあ。岡井先生この頃の体調はいかがでしょうか。元気になって欲しい。好きです。
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