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『水中翼船炎上中』 (穂村弘/講談社)

『水中翼船炎上中』 (穂村弘/講談社)


2018年5月21日刊。4冊目の個人歌集になります、とのこと。

 しおりというか、「メモ」が入っていた。装丁が9パターンありますとかのデザインのこだわり紹介。読者へのガイドとして各章の背景、時代とかが「現代」「子供時代」「思春期へのカウントダウン」だとか説明されている。
 親切設計~と思う。こういうのって、歌から読者が読み取っていくのだと思うのだけど、穂村さんは、エッセイストという面もあって、エッセイは読むけど短歌ってわかんないとかいう読者にも親切にしたい、という感じのメモなのかなあ。あくまでガイドなので、そのガイドに従って読めばわかりやすいけど、好きな歌については私が勝手に深読みしちゃお、みたいなのもかまわないのだろうとは思う。

 ステキな装丁で、素敵な本で、17年ぶり待望の歌集!みたいなことで、おお~~~~、とわくわくで買いましたね。そして、読んでみて、おお~? これまでのキラキラな感じとは違って、普通に歌人の普通に歌集だなあという感じがしました。
 雑誌かなんかで歌集にまとまる前の歌を目にすることはあって、初見ではない歌もたくさんで、それはそれ、で、やっぱりこう一冊の歌集にまとまると、ああ歌集らしい歌集、という気がした。勿論当然すごいさすが上手いと思うし、穂村さんの感じ、という感じはする。小難しい歌はあまりないけれどもあたりまえの言葉なのに角度が独特な。ひかりの当て方が独特、な、というか。そうでありつつ、年をとって親の死や老いなんかに出会う一人の人間という感じ。
 そっかーこういう歌集出すのか~。と、なんか、なんかわかんないしうまくも言えないけれども、そっかー、という気がしました。そっかー。でもやっぱ私がわかんないんだろうかー。わかるわけないか~。けどなー。


いくつか、ひかれた歌。


  電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから (p15)

 若者を見る年長者、の視線。だけどさ、若者はもうあんまりそんなにセックスもしたくないんじゃない? いやまあ私若者じゃないしわかんないし、それぞれしたい人もいっぱいいるのだろうとは思うけど。セックスせよ、という視線の持ち方のおっさん臭が凄い。戦争とセックスの取り合わせ方も。歌かなあ。


  血液型が替わったひとと散歩する春は光の渦を跨いで (p25)

 血液型が替わることってある、か。あることはある。赤ちゃんの頃の測定が不確かだったりとか特別な病気とか。記憶違いってことだったりかなあ。その人を示すインパクトとして「血液型が替わったひと」っていうの、面白くて不穏な感じがします。光の渦ってなんだろうと思うけれども、渦巻くような春の陽だまり? うーん。わからないけれど、どっか平行世界に紛れ込んだようなふわふわと微かな違和感にひかれた。


  食堂車の窓いっぱいの富士山に驚くお父さん、お母さん、僕 (p29)

「楽しい一日」というタイトルの章の始まり。何もかもがレトロなノスタルジーに満ち満ちている一首。「食堂車」「窓いっぱいの富士山」「お父さん、お母さん」という言い方、そして「僕」。こんなこてこてにノスタルジー積み上げるって何事かと思う。こわい。こわくなって、これってノスタルジーの姿を借りたパラレルワールド異世界ものでは、と思いたくなる。
 ノスタルジーにひたるって、そのままの昔の思い出ではなくて、美化したり思い出補正みたいなのかけたりして、なんだか特別な過去の捏造って感じで、それってこうだったかもしれない、もっとよかったかもしれない、パラレルワールド妄想みたいなことかなあとまで思ってしまった。穂村弘だから素朴なノスタルジーなわけないか、と、なんか警戒してしまう、これは勝手な思い込みだけどな。楽しい一日かあ。


  楽しい一日だったね、と涙ぐむ人生はまだこれからなのに (p44)

 子供が楽しい一日だったね、と涙ぐむことがあるかな。これは違うのかな。楽しい一日だったね、と涙ぐんでいるのは親だかなんだか、大人のような気がする。楽しそうだった子どもの姿をみて感極まっているのかなあ。んー。いやー。違うか……。わからない。ただただ殊更な「楽しい一日」がこわいです。人生はまだこれからなのにもうノスタルジーの中に閉じ込められれている。


  夕方になっても家に帰らない子供が冷蔵庫のなかにいた (p87)

 これは、ゴミ捨て場の冷蔵庫に閉じ込められて子供が死んだ、みたいな事件があったんじゃないかなあと、曖昧な記憶。その、事件事故であってもいいし、うちの冷蔵庫に家に帰らない子供がいたら、というのでもいいかもだけど、そっけなく歌にされた帰らない、帰れない子どもの存在がとても不気味。ひやりとする闇みたいなのが、リアルだった子どもの頃という感じ。


  天皇は死んでゆきたりさいごまで贔屓の力士をあかすことなく (p118)

 これは昭和の終りの頃のことだけれども、ああもうじき平成も終わりますねという感慨にふける。天皇にも好きな力士はいて、だけどそれを言う事はできない、しない、というエピソードの印象深さ。天皇陛下も人間ですねということが当たり前ではなくてでも当たり前で、でも、という複雑さを思う。特に昭和天皇はなあ。好きなことを好きって単純に言えないっていうの、大変だなあ。というか昭和の終りの感じをこういう歌にするのか、と、面白かった。


  髪の毛がいっぽん口にとびこんだだけで世界はこんなにも嫌 (p130)

 これはすっごく、わかるーと口に出して賛同したいような、わかるーと思う歌だった。


  月光がお菓子を照らすおかあさんつめたいけれどまだやわらかい (p154)

  冷蔵庫の麦茶を出してからからと砂糖とかしていた夏の朝 (p159)

 「火星探検」という母の死の一連の中の歌。母のことは「おかあさん」で、可愛がられた一人息子で、母の死という現実がありつつも、それを遠巻きに眺めるような歌のつくりで、いっそう喪失の大きさ深さを思う。母に関することって作者にとっては甘いんだな。
 夏の麦茶に砂糖、というのが思い出話でよく聞くのだけれども、それって結局おかあさんが作ってくれた夏のさいこうの飲み物、っていうことなんだなあ。


  いろいろなところに亀が詰まってるような感じの冬の夜なり (p176)

 「いろいろなところに亀が詰まっているような感じ」っていったいどんな感じ?????とわからなくってすごい。なんだかわからない黒くて硬くてでもぐにゃぐにゃ生き物がふさいでるような感じ? なんだかともかくままならない冬の夜があるんだなと思った。
 綺麗な本でした。


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