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『ラプソディーとセレナーデ』 (鷺沢朱里/短歌研究社)

『ラプソディーとセレナーデ』 (鷺沢朱里/短歌研究社)


2018年8月12日刊。第一歌集。

 重厚な歌集。歌数も多く本の重みもずっしりでした。
 独特な世界がみっしり詰め込まれていました。屏風絵の世界の歌、絵、画家、宝物、古い物語の世界の歌。章立ては「楽章」ということで、この一冊はクラシック音楽のような歌物語ということか。

 読むのに身構えてしまうのは、私自身の教養のなさというか、これ読めるのかなあと不安になってしまうから。作者はその題材に深く傾倒して歌をつくっているのだと思う。で、読む私は、どういう距離感で読めばいいんだろう、と、まず考えこむ。物語として読む、のだろうけれども、たんに連作から読み取れる物語って思っていいのかどうか、迷う。物語っていうなら小説のほうがいいわけで、歌として表現されている意味と意図って、どう、読み取ればいいんだろうか、と、私にはうまく腑に落ちてこない。作者の思いにまで私のほうがたどり着けないんだろうなあと思う。全然よい読者になれなくてごめんなさいと思う。

 で。ともあれ、私に読めるように読むしかなくて、歌から読める物語を味わう感じで読んだ。んでも私が作中主体っていうのか作中人物について知識も理解も足りてなくて、ん~、なんかこういう感じなのか、と、ふわっとした気分だけ味わいました。

 言葉が硬い感じが残る。単に鉱物だとか宝石みたいなのがいっぱいあって、っていうのもあるし、漢字、漢語がおおいような気がする、という気がする。ぱっと見開きの中に歌数多いし漢字が多いなあっていう、アホな感想もってしまって、ごめん……。
 こういう文体の作者なんだな。

 物語や古典に題材をとったものではない、多分極めて個人に近い歌として、うつのこととか祖父との農作のこととか介護の歌は、あんまり身構えずに読めて、比較的わかりやすい気はした。心情にもそうことができるような気がする。
 
 「古典的な美意識の復権」と帯にあったように、短歌というか、和歌というか、ただの今の日常とはかけ離れた美の世界を構築しようとする意欲の作歌で作家なのだろう。その美意識はとても素敵だ。ホント、読んでいて私がダメ読者で申し訳なかった。


いくつか、いいと思った歌。


  宵闇にふるへる手もて肉つかむ息きれぎれに君の名を呼び (p27)

 「青年二人同衾図屏風」という一連から。きゃ~随分赤裸々ですね///と思った一首。これは自慰のシーンととったけど、個人的思い込みすぎるかな。「肉つかむ」が生々しくてよい。


  空といふ青き皮膚すら冒しゆく悪しき肉腫となれ日蝕よ (p28)

 これも同じ一連から。空、日蝕、という自然を、皮膚、悪しき肉腫、という、生々しい肉の表現にしているのが凄味がある。日蝕って空が癌に犯されていくようなイメージなのか。凄い発想だと思う。古来思うまがまがしさが伝わると思う。


  クリニックに小さな竹が植ゑてある身の丈を生きよと言ふがごとくに (p51)

 なんだかひどいめにあって職場を持して心を病んでのクリニック通い。苦しさが強く伝わってくる一連の中、この一首の所で、ふ、と、変化が訪れたように思えた。小さな竹、身の丈を思って、いいんだ、大丈夫なんだ、と思える瞬間がきたのではないか。はりつめていた息苦しさから、ふ、と呼吸できたような一首に思えて、よかった。


  さくら色の鬱の薬をまた今日ももらひて風のなかに立ちをり (p55)

 たぶん小さなピンク色の錠剤なのだろうと思う。その薬を「さくら色」と捉えている繊細さの哀切を思った。すんなりとした歌だけれど切なさをとても感じて好きでした。


  ごはんだよチューブに柔き冬の陽のひかりも混ぜて介護する日々 (p63)(ルビ「柔:やは」)

 自分を助けてくれていた祖父に介護が必要となった。そのために資格もとり、そばにいる優しさと悲しさ。ごはんといってもチューブでのもので、でもそこにひかりを混ぜてという心情がしみじみと優しく、悲しかった。

 物語世界的な連作は、好きな一首とか選べなかったなあ。物語だから。
 あとうっすらと想像したのは、日本画かなにか志した想い人か恋人かがいたけれどもなくした、という背景があるのかなあ、と、なんとなく。
 たっぷりとした歌集でした。

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