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「世界と<私>の関係を言葉にする」


 昨日、夕学五十講 というのに行ってきました。丸ビル入るの初めてだったー。

講師、穂村弘さん。「世界と<私>の関係を言葉にする」 講義90分、質疑応答30分かな。18:30~20:30でした。
 久しぶりに穂村さんのお話聞きにいって面白かった~という個人的覚書メモ。私個人の主観思い込みの感想で発言など勘違いがあるかもです。記録ではありません。

 最初は「●言葉からわかること」 で、ご自身のお話で、結婚した後、それまで居なかった自分の妻という存在を人に紹介なり話なりするときに、その人をどう呼ぶか、ということに戸惑ったお話。「妻、女房、奥さん、嫁、家内、家人、パートナー、つれあい、細君、相方、ワイフ、うちのやつ、配偶者、山の神、大蔵省、敵」等、妻を表す言葉が列記されており、どれを選んで言ったとしても、自分はそれを選んで言う人だ、と相手に認識される、自分の中の何かをさらけ出すことになる。その言葉の中で、多分一番ニュートラルであろう「妻」という風に言うけれど、それもつまり「妻」が意味合いニュートラルだと思ってその言葉を使う人、ということをさらけ出している。女性が夫を呼ぶ言葉としてもいろいろあって、その中から何かを使う人、になる。
自分の一人称に、「小生」って使っちゃう場合とか、言葉には、人それぞれに、その言葉がイメージさせる人物像や物の在り方のイメージの蓄積がある。
 「小生」って自分のこと書いちゃうおじさん、まあ、おじさんに限ったものではないけれども、それを使って書いちゃうこと自体が発するメッセージというか、イメージ力って。強いよね。私は無理~って思うけど、まあ、うん。そう使いたい人がいるんだなあというのは、まあ、なるほど。

 電車や商品、物のネーミング、ラベリングの変化の話。特急「つばめ」かつては実体のある、速そうなかっこよさそうなネーミング。→「こだま」「ひかり」という夢の超特急には、目には見えない、触れない、けれど聞こえる、見える(光のあるなしはわかる)ものになり。その次はどうなるんだ? と不安に思っていたら→「のぞみ」。これはもうすっかりイメージ。思念だとかの世界になる。
 昭和的、実体→イメージ、限界がないものへの変化。イメージ化しやすいのは、生活必需品よりは嗜好品、レベルがちょっと違うもの。

 言葉の含むイメージ自体の変化。「科学」って、かつては良いもの、未来への希望、憧れだった。万能感。ユートピアのイメージ。電気、電子、原子、等「ピカピカギラギラ 憧れだ」というもの。けれど、近年だとむしろディストピア。
 
 特にもう今の日本だと震災、原発事故を経ているからなあ。原子力だとか無邪気に凄いパワーだとか言えないよな、と思う。アトムがラララ科学の子で、妹だとかがウランちゃんとかコバルトとか、そのネーミング、今、ちょっともう以前みたいには見られない。世界は変わるよね……。

 短歌の紹介。子供、青春、中年、老年が見える短歌。
 子供の短歌は世界への知識の蓄積が少なくて、ガードも緩くて遠慮少なくて、新鮮な驚きや発見がぐっとくる。
 青春の恋はほんの些細なことにも集中度が高くて眩しい。童貞感だとかいい変態の歌とか面白かった。短歌ってもう一度プリミティブに、一言で言える名前がついているような物事を解体して表現をするもの。
 中年期ってぼんやりしている。
 老年の歌は、いつか自分がそういう所へ行くのか、と思う。そこで愛の歌がある、精神レベルの高い歌をうたうひとがいる。それって、憧れられるからいいなあと思う。

 夫が妻を歌った歌、妻が夫を歌った歌の温度差みたいな話。
 夫の方が概ねロマンチストなままだったりするのねえ。妻の側の冷え冷え具合は、何故そうなったか、みたいなわけが垣間見えるのも引用があったりして、ねー。わかる。
 でも多分今後、本当にちゃんと家事育児分担をするとか、夫側がリアルな毎日の生活や暮らしに本当に関わる人が増えてくる、きてる? そうなってきたとしたら、温度差も傾向として捉えられるほどにはなくなるのかもしれないなあ。どうなんだろうね。

 イメージ化の方が私も好きだし、実体のリアルからは私も逃げたい、現に今も逃げている。フリスク食べることを選ぶ方でありたい。けどまあ、そっちへばかり逃げ切れるかどうか、わからない。
 私はバブル期のスタイリッシュな幻想を学生の頃に垣間見た気はするけれどもその場にはいなかったしその幻想は目の前で暗転した気がするし社会は景気悪くなってくばかりな気がするし、その後、これから、日本が持ち直して行ける気は、あんまりしない。
 逃げたい。逃げ切りたい。
 けど、そういうわけにはいかないのか、なあ。どうかなあ。けど逃げたい……。
 ここんとこ毎年、新年の抱負というかなんというかで、全力で現実逃避、と自分の中で掲げている。実際今自分は社会的に何か責任ある立場とか重要な仕事があるわけではなく、つるっと何もない毎日をぼんやり生きている。
 言葉に耽溺して世界と私の関係を言葉の中だけで築いていたいな。どんな言葉を使うか、選ぶか、出来る限り繊細でありたい。

 いろんな認識を考えることが出来て面白かったです。なんかあの「場」も面白かったな~。

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