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現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年   「ニューウェーブは何を企てたか」 に行ってきた。

 6月2日(土)名古屋へ行ってきました。

 現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年 
 「ニューウェーブは何を企てたか」
https://wave20180602.wixsite.com/wave20180602

 というイベントへ。
 これは私の個人的主観的メモ、覚書日記で、私の勘違いや思い込みがきっとあって、間違いが多いかもしれない、ただの感想です。

 朝、新横浜から名古屋へ向かう。ランチに味噌煮込みうどんを食べて満足。迷子になる~と思いつつも一応迷子ってほどにはならずに会場到着。

 受付が13:10~ということだったけれども、到着したらもう開場されていた。160名?もっとかな? とにかく沢山の参加者がいるらしい。受付してもらって、なるべく前の方へ、っと端っこながらも席を確保。机がある所に座れてよかった。後ろ半分くらいは椅子のみのようで、すごい、大盛況ですね。企画、スタッフの皆さまさぞ大変だったでしょう。お疲れ様です。ありがとうございます。

 で。
 上記のサイトであらかじめ資料、参考資料をプリントしていきました。行きの新幹線でざっくり読んでにわか勉強。2001年の「未来」の特集?「場のニューウェーブ」という、荻原裕幸さんと加藤治郎さんのメール対談、面白かった。この時点での、現代短歌、80年代90年代振り返りですね。オンデマンド出版への夢と希望、「電脳短歌」だとかの言葉がすごい懐かしい感いっぱい。今これを読むと、ああ、まだインターネットの世界が自由で希望と可能性に満ちている感じだなあ、って感慨深い。オンデマンド出版も別に絶版なしの永遠なものではないし、「電脳」ってあっという間にレトロワードになったし、インターネットは小宇宙化の一途で広がりよりは今気の合う限られた人達同士のミニマムに閉じる方向になってる、と、思う。
 「レ・パピエ・シアン」2003年の大辻隆弘さんの「ニューウェーブ、やや回顧的に」という文章も面白かった。やっぱ大辻さんの言ってることはよくわかる。気がする。多分私には。(いやわかってないかもだけど)大辻さんは同時代で、近い所で「ニューウェーブ」を見てきた、けど当事者ってわけではないかなという感じかな。同時代わかってる感と一歩ひいた観察者感と両方あってわかりやすい、気がする。


 前には四人。加藤治郎、穂村弘、西田政史、荻原裕幸。
 追加資料、「ニューウェーブ関連年表」。荻原さん作。これはこの企画のためのざっくりしたものです、とのこと。1984年~現在まで。

 「ニューウェーブの30年」て、同人誌フォルテから数えるとちょうどそのくらいですね、みたいな感じで始まる。ふぉるて??何それ、という感じで、当事者が語る、自分は全然知らないその頃、という話を聞けたのは面白かったなあ。「ニューウェーブ」を語るイベントだと思ってたけど、始まりの加藤治郎sなんのお話から、ほんとにニューウェーブは存在したのか、という根本的疑問からだったので、えっ? という風に聞き入りました。

 でもそれは参考資料なんかでのにわか勉強でも感じたことで、なんかニューウェーブだとかいって、近代短歌的主体というものからのずれ、口語、記号多用の短歌、みたいなざっくりしたのが、主に加藤、荻原、穂村の一時の短歌の感じをさして言われたりしてるなあ、そういえば、みたいな感触なんですね。

 荻原さんが1991年に新聞のコラムのタイトルとして「現代短歌のニューウェーブ」としたのが、名称としての始まり、ということらしいです。が。それは特に意図的な我々の短歌革新運動を名付けるってものでもなくて、この頃の短歌はこんなのがありますよ、という紹介みたいなんですね。岩波の現代短歌辞典には「ニューウェーブ」の項目があるけれど、三省堂の現代短歌大事典にはその項目はない、と。1999年、2000年と、ほぼ同時期に出てるものでも違う、と。編集委員の考えの違いとからしい。辞典作るの大変そう~。編集委員でもめたよね、みたいな話もちらっと聞けて面白かった。

 登壇者それぞれの話、それからみんなで対談、という感じだけど、まあ、みなさん付き合い長い友人たちということなんですね、雑談風な感じで、このメンバーでこういう場ならではの空気が面白かったです。
 「ニューウェーブ」がもてはやされた、というか話題にされたのって、前衛短歌への二重写しの期待の評価、という話もなるほどと思った。みんな前衛短歌に憧れたんだよねえ、それで、その後の世代でもなんか面白いことないかなっていう期待感の俎上にのせられたのがニューウェーブの三人、という感じか。

 「ライトヴァ―ス」っていう言葉の方が当時強かったね、という話。口語で、都市部の感じとか、軽やかに、とかいう感じ、かな。俵万智さんがな~もう圧倒的にそこは強い感じ。「ライトヴァース」の方がその、80年代90年代の現代短歌としては包括的に示す言葉で、「ニューウェーブ」っていうのは、加藤、荻原、穂村、西田と、この3、4人のことなのです、という定義づけ。
 「ニューウェーブ」みたいに成功するには三つの条件があって、と加藤治郎さんが教授してました。
 ・人がはっきりしていること。人数があんまり多くても駄目で、3,4人がちょうどいい。
 ・作品に明確な共通性、文体があること。これは記号短歌、みたいなことかな。他と識別性があること。
 ・共通の場があること。出発点に「フォルテ」があり、S2プロジェクトやラエティティア(メーリングリスト)という場を作っていた。

 これはこれで、後から会場発言とか参加者的にも、ニューウェーブってそんな、3人だけ、4人だけのことかよ~という驚きがあがってた感じ。
 でもまあ、それはそういう風にしか語られてこなかった、という事実、事実かな、私はちゃんと知らないのだけれども、まあ、ニューウェーブを語る時にはその3、4人の名前で語られてきたのでしょうねっていうのはわかる。だから、女性歌人とか他の人は入らないのですか? という質問に、入らないですねという返しでおしまいになったのもわかる。

 東直子さんが観客(?)でいらしてて、会場質問で話してたの面白かった。
 今後の見直しとか、語りなおしで、いや東直子さんだってそうだろう、みたいになるのかもしれないし、わかんないけども、それは今後の話で、これまでは結局その目立って活動活躍してた三人がニューウェーブ、って感じなんだろう。今回の企画としてこの4人の活動中心に年表ざっくりと作ってみました、というのもわかる。そもそも「ニューウェーブ」なんてあるのか? という話になるんだなーというのも、なるほどと思った。
 ニューウェーブって、今回前に出てた3、4人が、短歌面白いよ、なんかもっと面白いのやろうよ、やってみようよって感じでいろいろ活動したことが、目立って人気出て、そんでまた彼らが何かときちんと記録したり発表したり、今回だってこうして企画して人集めて、ってやってきてる、そういうことなのかなあと思う。同調したりしなかったり、同時代のいろいろな人のそれぞれの活躍はあるのだろうけれども、まあ、表立って仲間って目立ってやってきた3人、みたいなことでまとめてなんとなく呼ばれる、他の人はなんか個々に、かなあ。

 それから主体の話とか。近代的主体、「私」とは違う感じになってる、けど。これはちょっと全然語りきれない感じだった。この対談とかは記録でまとめられて本?ムック? が書肆侃侃房から出るみたいだし、その時に全対談が読める、のかな。違うかな。まあいろいろまとめられてくでしょう。

 インターネットという場が始まって広まったの、が、ニューウェーブなのだろうなあという感じ。記号使ってみたとか、加藤さんがデジタル化で文字が動く、カット&ペーストとかおっしゃってたけど、そういう、手書きとは違う遊びみたいな変化で短歌つくってみたとかもあるのかなあと。荻原さんはワープロで、画面とか二行くらいしかなくて、かな、そう言ってたのもすごいわかるw。ワープロ、表示画面ちっさかったねーと、思う。別にモニター上で作ったわけではない、と。
 まあ、それでも、自宅ですぐに活字、プリントを出せるという感じは、原稿用紙に手書きとはちょっと違う、のではないかな、と、思う。コンピューターとかインターネットとかがきらきらしい未来と夢と希望、ロマンな感じなー。その過渡期の実感みたいな所もあるんじゃないか。

 あと、時代はバブルで、なんか浮かれてお金あって、みたいに言われるけれども、それがすごく嘘なんじゃないか、っていう違和感はすごくあって、という風なお話とか。
そーはいってもあんたらバブルじゃん、って思うけどね。もちろん、その、嘘っぽさを感じてというの、すごくそうなんだろうなあって思うけど。
 私はバブルが目の前で弾けて放り出された感の世代なので(ロスジェネとか? 今はひきこもり高齢化問題とかいわれる、40代後半さ)なんだかんだちょっと上の人々のいやバブルっていっても恩恵なんかなかったよ的言説には超ムカつく、ぼんやりと怨恨抱くよ、個人的にw

 あと、穂村さんがちょっと愚痴めいた感じで言った本音っぽいようなこととか。短歌は他ジャンルの人には知られてないとか、フィクション、ノンフィクションのこと、差異、異化とか圧倒的散文的社会には通じないしあっちにはどうでもいいんだよ、という苛立ちとか絶望めいたこととか。若い人が正しいと思ってるけど、苦しい、とか。
与謝野晶子がいればいいんじゃない、とか俵万智一人でいいんじゃない、とか。

 いろいろな質問に答えてたり、加藤治郎さんが岡井隆らぶなんだなーっ、岡井隆の存在感、と思ったり。
 この30年を振り返る、かなり誠実に簡単にまとめずに、なんか面白いことやりたいっていろいろやってたらなんとなくニューウェーブって言われてて、でもその実態とか特にはない、みたいな感触を語ってるなあ、と、眺められて面白かった。

 今後は、でも、男友達同士で内輪でやるよ~って時に、そこで女性を無視するのか? という視点がくるよね、と、思う。ほんとは理想は、性別がどうこうっていう話をしなくてよくなることなんだけれども、まだまだ、女性は、ということを指摘しないと悪意なく自然に無視されがち、ということがあるかなあ。それは自分自身でもあって、私個人的には女性がいることが苦手で、勿論これは完全に個人的問題。女性として声を出すことが苦手、というか。うーん。まあ、いろいろ、自分自身の内面の問題も考えたりでちょっとしんどい。


 パーティへ場所移動。そこもかなりの人数でほんと大賑わいでした。ポエトリーリーディングがあったり。四人へのプレゼントがあったり。私は飲んで食べて、多少はお喋りもできて、楽しい一日でした。このイベントの話を知った時、名古屋か~と思ってたけど、行けてよかった。皆様ありがとうございました。
 そして私はホテルへ戻り、部屋でもうちょっと飲んで、「おっさんずラブ」の最終回に一人盛り上がり、いやあ、よかった。
 翌日はもう観光とかの気力もなく、ホテルでだらけて、だらだらして後片付けを気にしなくていいって最高~とのんびりした~。コメダ行ってコーヒー。名古屋駅へ戻って自分お土産買って帰りました。新幹線あっという間だよ。いい週末でした。


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