« April 2018 | Main | June 2018 »

『ファルコナー』(ジョン・チーヴァー/講談社)

*ネタバレ、結末まで触れています。

『ファルコナー』(ジョン・チーヴァー/講談社)


ファルコナーは刑務所。ファラガットは兄を殺した罪でここへ入ることになった。
妻と子どもがいる。面会に来た妻はそっけない。離婚する話にはなっているが、面会の時にはごく普通に会話をする。
ファラガットは麻薬中毒者で、メタドンを支給してもらう権利を認められているが、次第にその薬を支給されることを忘れて、中毒からは回復した。
刑務所での暮らし。作業。看守や仲間とのやりとり。恋人が出来たりもする。ファラガットは乱暴な男ではない。教養もそれなりにある。家も名門、というか、悪くない育ちをしてきて。だが家族との関係は悪く、兄は嫌なやつで、物の弾みのように殺してしまった。
年寄りの囚人が亡くなるのを看取った時、チャンスだと思ったファラガット。死体袋に自分が入り、脱獄に成功する。

「ファラガットはバスの入口へ歩いていって、つぎの停留所で降りた。バスから通りへ降り立ったとき、彼は、倒れそうな恐怖や、そのほかのそれに類する恐怖がすべて消滅していることに気がついた。彼は、頭をぐっと上げ、背すじをしゃんとのばし、すいすいと歩いていった。愉快だ、彼は思った。愉快だ。」 (p225)

これが終りの一節。愉快だ、ねえ。
アメリカの作家ですね。賞をとったりもしている、らしい。私は知らなかった。この作品が初読み。アミハマちゃんがインスタで本を読んでいる写真をあげてて、その時読んでいる本がこれなのではないか、とのことで、どんななんだろうと思って読んでみました。

私、アメリカの文学とか知らないなあ。この本の巻末の宣伝にはサリンジャーとかあって、あ~なんかそういう感じか、と思う。なんか。うまくいえないけど。アメリカの文学っていうかまあ他の国の文学も知らないけど。一応日本の文学の流れは、多少は知ってる、程度だけれども。
ともあれ、この本、本国で1977年に出た作品。読んだこの本は1979年刊。時代かなあ、「ホモ」と作中に出てきて、うっ、と思う。まあ、仕方ないか。時代。。。

刑務所の中の話だけれども、わりとなんか自由というか、自由なわけじゃないけれども、苦役についてるという感じはしない。ファラガットは周りを観察しているような、達観しているような感じがある。自分の罪に苦しむ風でもない。全部さらっと他人事みたい。恋して、その相手が脱獄しちゃって、寂しい、みたいなのも、さらっとしてる。
というか司祭にまぎれて脱獄、そしてなんとなく司祭が助けてくれるとか、そういうの何だろう。そこんとこもっと詳しく、って思ってもさらっとエピソードは終わる。

翻訳の文体の感じもあるのか。そもそもの原文の味わいがこういう加減なのか。なんかこうほどほど豊かな傍観者みたいな時代の感覚があるのか。わからないけれども。読んでて、私は何を読んでるんだ。何でこの作品は書かれたんだ。わからない……って思う。でも読み終わり、最後に「愉快だ。」って終わると、ふーむ、なんだか愉快な気がする、と思った。
やっぱり刑務所というか、どうにもならない閉塞感みたいなのがあって、そして、脱して、「愉快だ」って、ぽんっと終わってしまう、それは「愉快だ」。ほんと、読んでる最中は何だこれ……と淡々と読み進めたのに、なんか読み終わるとふいっと愉快になれるって、すごいかも。ファラガット、でもしかしどうなるんだ、どうするんだ。わからない。けど、こう終わってよかったなって思う。
面白かったとは、言えない。わかんないし。でも読んでよかったなと思う。へんなのー。

|

映画 「ファントム・スレッド」

*ネタバレ、結末まで触れています。


映画 「ファントム・スレッド」


昨日、30日(水)見に行ってきた。近くでやってなくてちょっと遠出。


アカデミー賞でノミネートも沢山、衣装デザイン賞受賞、ですね。ダニエル・デイ=ルイスがこれで引退という話もあり、話題作、だと思うのになんであんまりやってないの。
監督、ポール・トーマス・アンダーソン。お名前は知ってる、と、思うけど多分見てない。

 1950年代、ロンドン。美しいドレスを作ることに完璧さを求めるレイノルズ・ウッドコック。彼の仕事場。家。彼を仕事に集中させるため、周りを仕切る姉、シリル。全てがレイノルズの求めるままに静謐に美しく整えられている。
 レイノルズはドレスを作るインスピレーションにミューズを必要とするらしい。だが独身主義者。モデルが彼の愛を求め彼を煩わせるようになり彼が飽きると捨てられる。ファッション界の巨匠って感じかな。
 そんなレイノルズが別荘へ出かける途中、寄ったレストラン。ウェイトレスをしているアルマと出会う。アルマを気に入り、ドレスを作り、彼女を迎え入れるレイノルズ。彼女の存在が、静かなレイノルズの暮らしをかき乱していく。

 さすが、次々作られていくドレスや、キャストの衣装も舞台も、素晴らしく美しい。美しい映画なんだろうなあと期待した以上に素晴らしい。そして不穏。
 レイノルズの朝の身支度から始まるのね。もうほんと、ダニエル・デイ=ルイスを愛でる映画。セクシー。彼のストイックさ。神経質そうな、気難しい、支配欲。危うい。静かな朝食のシーン、そこをかき乱すミューズとなる女。アルマの前の彼女も、甘いペストリーを進めて機嫌を損ねるし、アルマが来た当初も、トーストにバターを塗る音とか、なんか、何かとガチャガチャうるさくて、レイノルズの機嫌を損ねる。
 彼は要求の多い男。怒鳴り散らすというよりうんざりと無関心と不機嫌というやり方で人を従わせようと、人が従って当然と思っている男。すごい、嫌だ。それでも、美のカリスマなんだよなあ。貴族や王族も顧客に抱える。美しいドレスを作る。それは単に衣装ではなく彼の作品。彼のアート。ドレス職人であり芸術家であるレイノルズ。
 アルマは、始まりこそシンデレラストーリーに浮かれていたが、次第に彼のドレスを着るだけの人形でいることに我慢できなくなる。ここで、これまでの女は捨てられる一方だったのだろうけれども、アルマはしたたかだった。毒キノコをレイノルズの飲み物に入れちゃう。

 マジかー! で、殺す、ではないんだよね。なんか、なんか、何これ。
 そのタイミングが、ベルギーの王女の結婚式ドレスを仕上げる前日くらいで、倒れたレイノルズのせいでドレスにはダメージ。縫子さんたち徹夜で一部やり直しすることになる。なんでこんな大事な時に実行するのアルマ!?酷い!
 静かに規則正しい暮らししてたらしいレイノルズは病気でダメージうけまくり。へろへろ。医者は断るけどアルマが側にいてくれることに感じ入ったのか、翌朝結婚申し込む。
 レイノルズ~!その女はやめておけ!きみの判断は今正常ではないのだよ!と映画に向かって突っ込みたかった。
 まあ、新婚当初はラブラブだったけれども、またアルマの存在はレイノルズの暮らしの不協和音。アルマの求めには応じられないレイノルズ。
 で。そんで、早速倦怠期かもう駄目かって所で、またアルマはレイノルズに毒キノコを料理して出す。レイノルズが嫌いなバターたっぷりで作ったキノコオムレツ。それを、それを、それをわかっていながら、食べる、レイノルズ。
 死ぬかも。死なないわ。
 そんな、二人。

 アルマが医者にちょっと回想風に語ってる感じで、あれ、でも、多分最後はまたお腹壊してるだけで死んでない、んだろう、たぶん、死んでないよね? 
 そしてレイノルズも、彼女の存在が仕事にも人生にも害悪、って思いながら、あのオムレツ食べるんだなあ。
静かで自分の思い通りの生活を、かき乱すアルマ。静かで、自分の思い通りの生活はもう死んでるようなものだ、って感じか。アルマの不快さに、魅せられていく。こわい。

こういう風な愛の姿の映画だとは思ってなかった。こわい。すごい。いやあ。すごく嫌だけれども、そこへ行くのか、というのを茫然と見送った感じ。美しく完璧な世界の不協和音を堪能。当然のように高慢な姿も、かき乱され衰えていく姿も、苦悩も嫌悪も愛も、いろんなダニエル・デイ=ルイスを見られて最高だった。見に行けてよかった。


|

映画 「犬ヶ島」

*ネタバレ、結末まで触れています。


映画 「犬ヶ島」

字幕で見てきた。

監督、ウェス・アンダーソン。「グランド・ブダペスト・ホテル」は見たことある。
舞台は日本、今から20年後の日本、らしく、まあざっくり近未来ということかな。
人形によるストップモーションアニメ、らしい。描いてるアニメ部分もあった。

ドッグ病? 犬インフルエンザ? 犬の病気の蔓延にかこつけて、犬たちを根絶しようとする小林市長。ウニ県メガ崎市、とかって、川崎市なんだろうか。海辺の工業地帯とか。いやまあいろいろ混ぜつつの架空の日本なんだけれども。

最初に昔の伝説、少年侍の話。猫派だった小林朝廷(だっけ)が犬を絶滅させようとしていたけれども、そこに現れた少年侍が悪い小林をやっつけて、犬たちは生き延びて、ペットになったりもして。そして現在、またしても悪い小林市長が。


なんか、なんだろうこの感じ。
英語キャストも豪華なメンバーで、でも私は声だけで誰が誰ってわかるほどでもなく。日本人キャストもね。バーテンダーな松田龍平だけは、あっ、てすぐわかったかな。外科医の渡辺謙も。
主人公、捨てられた犬、護衛犬なんだねえ、スポッツを探しに犬ヶ島へやってきた小林アタリ少年、12歳を演じているのは日系の男の子だそうで。日本語なんだけれども、やっぱちょっとなんか違う感じはあって。

物凄く、監督日本が好きなのかなあって伝わってくるわ。
日本語、漢字カタカナなんかがしっかりデザインされて中に入ってる。同時通訳とか字幕、日本語字幕英語字幕、えーと英語字幕ってわけじゃないか、画面の中に日本語英語が入ってる。英語圏の人が見る感じだとどうなんだろうって思う。日本ネイティブである私が見るこの奇妙さ、英語圏の人も思うことなのかなあ。日本人は日本語まんま喋ってる。これ吹替え版上映だと犬たちも日本語吹替えで日本人声優さんたちが喋ってるのかなあ。どうなんだろう。すごい不思議。

何かの暗喩として社会的メッセージを捉えるか、単にSF、ファンタジー、おとぎ話的に捉えるか。まあどっちでもいいだろう。あんまり暗喩―みたいには私は思いたくない。
終りには犬たちの病気を治すことができるし悪い市長も改心するし、アタリくんが市長になるし。
いろいろ無事めでたしめでたし。

犬たち、すごい、クール。
スポッツやチーフ、めっちゃかっこいい。
ちゃんと犬で。でも人間の友達だった、今は、捨てられ、いや。でも今でも飼い主を愛してる感じあるんだよねえ。これって監督の犬への信頼なんだろうか。犬好きなのかなあ。

可愛いお話、とも言いきれず。不思議~っていっていいのかどうかわからない。
ストップモーションアニメだからなのか、なんか、何、この、表現とか。動きの独特さとか。
ほんとに、この映画ならでは、かなあ。この監督ならでは、かなあ。私、うー、この、この、うう~見た感じた自分の中のぐるぐるを私言葉に出来ない。
奇妙、っていう感じ。
面白かった。うーん。単に面白かった、っていうわけにもいかない、と、思うけどけど面白かった。どうしよう。
可愛い、でもある。うん。可愛くてかっこよくて面白かった。でも、何見てきたんだろう……と思う私の中に残るこの塊。面白かったなあ。見に行ってよかった。


|

映画 「ピーターラビット」

*ネタバレ、結末まで触れています。


映画 「ピーターラビット」


字幕で見ました。
「ビアトリクス・ポターによるイギリスの名作絵本「ピーターラビット」をハリウッドで初めて実写映画化」とのことですが。これ、その、最初映画になるって聞いてイメージした、可愛いほんわかほっこり癒し系~ってわけではない、すごいドタバタコメディ、時に歌って踊って、みたいな作品です。

 予告が流れてくるようになった時から、あれ? なんか、ちょっと、可愛いイラストなピーターラビットの感じとは、だいぶ、違う映画なのでは?? って、思ってた。
CGのリアルな、でもイラストイメージ実写化って感じのふわふわもふもふウサギちゃんの可愛い可愛いすごい可愛いリアルだけど可愛いめっちゃ可愛い!っていうのはもちろん素晴らしい。狐とか豚とか雀とかハリネズミとか、いろんな動物いっぱいよ。
 そのウサギたち、いろんな動物たちの動きとしたら! ものっすごい躍動感! アクション映画だな。

 いたずらっこピーターが畑からニンジンを盗んじゃうよ、っていうのも、なんかこう、ちょっといただき~っていうよりはヒドイ。まあ、お父さんはマクレガーさんにパイにされちゃったりしてるわけですけどね。うん。そんなこんなの因縁ありつつ、マグレガーさんの畑でおっかけっこがあったりして。
 そしてマクレガーさん倒れる。死ぬ。おおおっ。びっくりしたわ。いやあ。まあ、で、無人になった家と畑をピーターたちが我が物としてたところに、甥っ子トーマス・マクレガーくんがやってくると。

 良き隣人、画家を目指してるビア。彼女はウサギたちを可愛がっていて、もともと動物たちの土地に、私たちが家を建てたのよ、ウサギたちを大事にしてねって感じ。ピーターはビアが好き。しかしトーマスとビアが仲良くなっていくし、トーマスは強行にウサギを排除しようとするしで、喧嘩はますますヒートアップ!


 トーマス・マクレガーを演じているのはドーナル・グリーソン。スターウォーズのハックス将軍でかなり大好きになっていて、今回もすごく楽しみに見に行きました。
 ピーターたちはCGなわけで、ドーナルくんは見えない相手にあんなに格闘してたのか~と思うとほんっと素晴らしい。可愛い~。

 会ったこともない大叔父さんの家を相続することになった。とはいえ、ハロッズ勤務のトーマスは田舎に興味はなくて、家を売って自分の店を持ちたいと思う。基本ドタバタコメディとはいえ、なんかちょっとずつ味付けされてるキャラ設定がほろっとしちゃうんだよねー。トーマスは施設育ちで、ハロッズで真面目に、ちょっとクレイジーなくらい真面目に勤め上げてきて昇進を願ってるのに、社長の甥だかのおバカ野郎に追い越され、キレてしまって休暇に追いやられる。ほんとは、おもちゃ売り場でプレゼントに迷うお客さんに、ぴったりのプレゼントを見つけてあげるのが喜び、という思いがあるのにね。
 ピーターとのバトルでも、結構やられまくりでアホ可哀想で可愛い。ビアと仲良くなっていって恋していくのはすごく可愛いほんわかステキだった~。しかしライバルがウサギって。
 トーマスが真面目にピーターたちとやりあっていけばいくほど、トーマス一人の狂気みたいになっていくの、可笑しすぎるけど、ちょっと切ないほろにがでもある。

 一人と一匹の対決が過激さを増して、害獣駆除の爆弾、えーと、爆竹巨大版みたいなやつかなあ。それを使うまでに至り、そしてピーター自身が起爆装置押して、ピーターの巣穴やその上の木がふっとぶことになり、ビアの家、アトリエに被害を与えてしまうことになる。
 やりすぎた。
 ビアを怒らせ悲しませて、トーマスはロンドンへ帰るし、ピーターも家族や友達の信頼を失うことになる。
 だけど、正直に打ち明けて、心から謝ろう。と、家を去ろうとしていたビアに謝る一人と一匹。あれ、ピーターは喋れるっていうのは実際のところどっちなんだ。トーマスの心にだけ聞こえるのかなんなんだろう。まあいっか。

 で、なんとか仲直り。壊れたアトリエを協力しあって直し、きっとみんなでここで幸せに暮らして、いくのだろうな、というおしまい。

 途中のドタバタの毒がけっこうキツイよねえ。さすが英国様なのだろうか。話のテンポもよくってまったく飽きる暇がない。ほんとよく動く~。みんな可愛い。
 うさぎ妹ちゃんたちの声もゴージャスなんだよね。デイジー・リドリー/カトンテール、エリザベス・デビッキ/モブシー、マーゴット・ロビー/フロプシーだって。正直ワタシそんなに聞いてすぐわかるわけじゃなかったけど、三姉妹ちゃんたちもしっかり個性的で可愛かった~^^ 楽しかった!

|

『夫のちんぽが入らない』(こだま/扶桑社)


『夫のちんぽが入らない』(こだま/扶桑社)

 ネットで評判を見たのがきっかけだったかなあ。煽情的なタイトルだけど全くえろくはない。告白小説、というものかな。もとは、文学フリマに出す同人誌に書いたエッセイだったそうです。

 子どもの頃から始まって、大学進学を期に一人暮らし。同じアパートで初対面からなんだかなれなれしい、でもとても自然に一緒にいられる男の人とつきあうようになって結婚しました。と。学校の先生になりました。学級崩壊があって仕事をやめてしまった。夫は理解あって文句を言われるわけでもなく。だが同じく教師の夫も精神的危機はあり、治療を続けている。
 二人はセックスができない。夫のちんぽが入らない。いろいろな努力の結果、裂けて血塗れになりながら、ならば、入る。できる。でもそんなの続けられない。不妊治療を試みたことはある。でもできなかった。
 誰にも言えない事情。どうしようもない出来事。もう少しうまくやれたかもしれなかった事。人には、夫婦には、それぞれが抱える問題があり人生があり、生きてきたのだ。

 他の人相手だと夫も自分もセックスできるんだなあ。でもお互い大切な夫婦であるけれどもセックスがうまくいかない。どういう事情なんだかわからなくて、でもまあわからないというのがこのお話なので、受け止めるしかないか。
 もうちょっとちゃんと医者と相談とか、誰にも言えないって頑なに思いこむのではなくて助けを求めるとかなんか、なんか、もうちょっとなんとかなるんじゃないのか? というつっこみを思ってしまって仕方ないけれども、そういうお話なので仕方ない。どのくらいに事実なのかなんなら100%フィクションなのか、それはどうでもいいんだけど、なんか、なんかもうちょっと、っていう気がしてしまう。

 文章はすいすい読めて、丁寧なんだけれども、えっ、そこはもうちょっと詳しく、って思っても不意に投げ出される感じになったりして、面白かった。著者の感覚がちゃんと文章になってるんだろうなあ。
 悲しいこととか不幸だとか、単純に同情誘うような書きぶりでもなくてちょっとふわーっとしてるのも面白かった。読んでみてよかった。

 あとがき が、別紙、という感じでついている。その途中から手書き文字になっていて、なんでこういう感じにしてるのか謎。同人誌っぽさ? いやあ??? 

|

映画 「BPM  ビート・パー・ミニット」

*ネタバレ、結末まで触れています。


映画 「BPM  ビート・パー・ミニット」


近くの映画館にくるのを待ってました。

1990年代始めのパリ。ACT UP パリ。エイズ活動家団体のミーティングが始まる。
大学の講義室かなあ。集まった様々な人達。ゲイ、レズビアン、いろいろ。HIV陽性、陰性に関わらず、この活動に参加するということは、世の中からは陽性とみなされる。
ミーティング、Mっていうそうだ。参加するルール、様々な活動の相談、報告。課題への行動は、反暴力、だけど血のりの袋を投げつけるなど、過激な抗議運動。
リーダーのチボー。ひときわ過激なショーン。ショーンと恋人になるナタン、あたり中心で進む。ドキュメンタリーというわけではないけれども、殊更な物語や説明はない。彼らは病気を抱え、死を目前に感じながら激しく声を上げる。生きたい!という願い。誰でも当たり前に願うであろうその、切実な叫び。

正直、活動、過激すぎなのではという気はする。製薬会社と敵対してもなあ、という気がしたけど。でも「ダラス・バイヤーズクラブ」も連想したりして。そこに薬があるなら、そこに治療の見込みがあるなら、よこせよ、情報教えろよ、って、なるよなあ。だって来年までなんて待てない。死が、あまりにも身近な彼らにとっては、今すぐに欲しいんだよねえ。
でも。
そんなやり方でいいのか?
でも、そんなやり方をしなくては声が届かないのではないか。

エイズはホモ(あえてこの言葉をここでは使う)がかかる汚らわしい病気だ、と言われてた。神の怒り。ソドム。本当はセクシャリティなんて関係なくかかる病気なのに。
偏見。無知。予防の方法があるんだからちゃんと教えて。ちゃんと知識を持って。命の危機はホモだけの問題じゃない。
血友病でかかってしまった人だけは、可哀想とか。被害者の連帯の中でも対立が煽られたりもする。
活動が過激になることに反対するものもいるし、もっと別の見方を示すものもいる。
Mのさくさくとした進行や、小さなことや時に楽しんだりもする活動を確実に積み重ねていくのも、すごい。
ビラを貼る、みたいなことから、セーヌ川を血の色に、とか。あれ、セーヌ川?だよね?あれマジ? パレードやデモは多少は知ってても、活動する人達の様子とか全然知らなかったので、映画とはいえ垣間見えたのは面白かった。

ショーンとナタンが、ちょっとしたきっかけでセックスする関係になり、段々関係が深まり恋をして。
ナタンは陰性なんだよねえ。ショーンはキラキラ過激に活動してたけど、病にむしばまれていく。どんどんやつれ、動けなくなり。あれ、俳優さん凄いなあ。げっそり痩せて、もともと印象的だった眼が、どんどん大きくなり。透き通る美しさ。儚くなっていく。
二人のセックスは結構リアル、というか、わかんないけど、演出なんかはあまりなさそうな、求めあう息遣いと暗闇での動きと。それで、またお喋りしたりして、あ~すごく覗き見てる気分!人を好きになって結ばれてって、いいよねえと溜息。
セックスするのも大事なんだよ。
生きてる。

そして、ショーンの死。痛み、苦しみをもう終わらせてくれと、ナタンに頼んだんだろう。どれほどの葛藤と話があったのかはわからない。けれど、ショーンの苦しみを終わらせたことを、ナタンは抱えていくんだなあと、とても、辛かった。

ショーンが亡くなった知らせで、仲間たちが集まって。そして遺灰を、ショーンの望みだったとはいえ、ほんとに保険会社? かなんか、きらきらしいパーティの場に乱入して遺灰投げてまき散らしていたの。ほんと、そこまでやるかなあ。でもこの映画はそうして、でも、だからって、どうこうってストーリーには導かないんだよなあ。
ただ、見せる。
見て、どう考えていくかは観客に委ねられているように思った。

ナタンはチボーとセックスする。ショーンを亡くしてすぐにか~と思うけど、そうでもしなきゃ、という気もしないでもない。うーん。
活動は終わってないし。仲間に死が迫っている事に変わりない。
一人の死。
かけがえのない大切な。
でも、通り過ぎてゆく一つの死。

パレードを楽しくお祭りにしよう!っていうのも、それやってらんないっていうのも、ほんと、どっちもどっちで。
レインボープライドだとか、この頃はすっかりゲイパレードの楽し気な感じがお馴染みって気がするけれど、こうなるまでにも、こんな、そんな、たくさんの人の活動が少しずつ積み重なって、こうなってきて、多分これからもいろんな変化はあって、多様性がもっと認められていくといい。

黙っていたら死ぬ。
という切実さは私には持てないし彼らをすぐさま見習いたいというわけにはいかないけれども、声をあげていくこと、声をあげている人のことを知る事を、おざなりにしないようにしようって思う。
映画、見に行けてよかった。


|

『君の名前で僕を呼んで』(アンドレ・アシマン/マグノリアブックス)

*ネタバレ、結末まで触れています。

『君の名前で僕を呼んで』(アンドレ・アシマン/マグノリアブックス)


今日は映画の「君の名前で僕を呼んで」二回目見てきました。本を読んで、また見てきたの。映画と本と両方の内容に触れて感想メモします。


小説の方は、回想スタイルなんだ、というのにまずびっくりした。
私には映画が完璧に大好きなので、原作本の翻訳が出ると知ったけれども、読まなくていいかと思っていた。けれど、本だと、映画のその先まであるらしい。
映画と小説は別物。というのは鉄板のセオリーだけれども、でも、あの二人のその先が描かれているものがあると、いうと、それはやっぱり、読みたい。
てことで、読みました。

 第一部 あとでなければ、いつ?
 第二部 モネの段丘
 第三部 サン・クレメンテ症候群
 第四部 ゴーストスポット

しかしこの文庫、主な登場人物があるけど目次がないのは何故。目次欲しい。

基本的には映画と同じ、というのは当たり前だけれども、オリヴァーがやってくる前から、彼をこの夏のゲストに迎える選考をする時から、エリオは彼が気になってた。彼がやってきたその時から、もう彼が気になっていた。彼と仲良くなりたい、でも彼はそっけない、彼が気になる、けど彼の視線が冷たい。ぐずぐずともだもだと、彼の一挙一動にかき乱されている感じは映画よりもっとずっとわかりやすく描かれていて、ああ~この、どうしようもなく些細なことに一喜一憂、自分自身の感情のアップダウン、好きも嫌いもくるくる変わる混乱って感じを、延々と読むのはもう~~~甘酸っぱいの極み!

 小説だと、オリヴァーはエリオんちのお隣さんだかの、ヴェミニという女の子と仲良くなる。小さい女の子。病気で長くは生きられないと、本人もみんなも知ってる女の子。切なかった。でもこの子は映画には入れられない、というのもわかる。映画はやっぱだいぶすっきりさせていて、焦点は二人に絞っていたんだなあと思う。
わりと最初から桃、というかアプリコットってオリヴァーのお尻ですね。きゃ。
 「あとで!」がぶっきらぼうで乱暴って感じなのか。朝食の卵を上手に上だけ割って食べられないってアメリカ人だからって感じなのか。そっかあ、ヨーロッパなスタイルの感じとアメリカ人って感じの違いみたいなことがあるのかあ。
 あとユダヤ人同士だ、っていう親近感の持ち方の感じが私にはよくわからないんだけれども、そういう民族的なこととか意識したりするのも、ヨーロッパ的っていう感じ、なのかな。迫害の歴史とかある、あった、のがリアル? 私がなにかと無知で、その辺の感覚とかよくわからない。
 でもそう、そういう、ハンサムでスマートで気さくなアメリカ人、映画スターみたい、ってたちまちみんなの人気者になる感じのオリヴァー。アーミー・ハマーでとても納得。一目見ただけで、ああ映画スターみたい、ってうっとりできるもんね。

 映画ならではの印象的な、エリオの父は美術研究者っぽいんだけど、小説だと文学者?哲学者なのかな。ビジュアル的に映画的に結構アレンジしてるんだなという違いも納得した。
 映画の中のほうがエリオの家庭、環境は夢のようだ。言葉だけだと映画を見たあとだと物足りない気がする。小説はエリオの回想だしずっとエリオ視点のモノローグみたいなものだから、エリオの行為、心情、揺れ動きくるくる変わる気分はすごくくっきりわかるけれども、その分私の解釈とは違うなあ、と、思ってしまう。まあ、先に映画見てめちゃめちゃ妄想したからな。

 エリオとオリヴァーがリバだな、って確信したのは嬉しかったっ。二人が関係を持ったあと、一度きりではなくて何度もやるんだな~やるよねそりゃねうんうん。
  「今朝はあらゆるものからオリヴァーを守りたかった」
  「平凡な幸せ。昨夜彼が僕を上にならせてくれたという、それだけの理由で」(p212)

 二人の関係は始まってしまえば情熱的。ローマへの二人の旅のシーンは、オリヴァーが本を出すための準備、で、書店でパーティとか、詩人の延々とした語りとか、その辺はあんまり私は、ピンとこないし、二人がもっといちゃいちゃしてるのを、読ませてくれよ~せっかくの二人きりの最後の旅なのでは~ともどかしかった。
 でも、そして、別れはやってくる。
 小説のほうがあっさりはしてたかなあ。別にママに迎えにきてとか頼んだりしてなかった。

 ハヌカの祭り、光の祭りってユダヤ教のお祭りなんだ。クリスマスの頃の。映画だと電話だけだったけれども、小説だとオリヴァーがきて、婚約の知らせは直接話していた。
 でももう、二人は抱き合わない。夏の情熱は消えてしまった。ほんと、ほんと、切ない。
 映画の感じだと、その後の再会って、また切なくハグして、という感じだと思っていたのに、まさかの、リアルに目を覚ました感じ。辛い。。。それから時間は流れ、エリオはアメリカの大学に進学するけどオリヴァーに会いにいったりはなく、他の出会いはあり、みたいに、まあ、さくさくと回想は進み、15年も過ぎて、20年も過ぎてから、やっと、オリヴァーがイタリアへ一泊戻ってくる。エリオの父が亡くなって、それを偲ぶ、という感じかな。その前に再会はしていたものの、オリヴァーはあの情熱はすっかり過去の事にしていて、また恋愛するでもなく。
 それでも、本当は忘れてなんかいない。エリオの部屋からこっそり持ち出していた絵葉書はずっと大切にされていて、エリオへのメッセージも一言記されているのだ。「心の中の心」。
わりと最初の頃、エリオがオリヴァーに初めて告白めいたことを話した時の雑談で出た言葉。大事なことを知らないんだ。君はわかってるくせに。君に知って欲しいんだ、と、二人の気持ちを見せ合う始まりの時の、言葉。

 小説の結びの一文も、完璧だった。別れの朝の予感。これしかないって思う。

  「そしてあの頃みたいに僕の顔をまっすぐに見て、視線をとらえ、そして、僕を君の名前で呼んで。」


 今日、本を読んでの、映画、二回目を見て、やっぱりとてつもなく切なく美しく、完璧な映画化だと思った。小説のほうがかなり即物的に思春期男子~って感じに何もかも全部って感じに言葉になっててすごかったけど。(スカトロ風味までもありか~ってびっくりした)
 映画は、映画だからこそ、うつくしいものだけでできていた。
 理想的な家族。理想的な夏。夢のような恋。恋する人とのキス。セックス。
 鼻血出ちゃった、って時にオリヴァーがエリオの足をマッサージして、思わずって感じで足の甲にキスするの、アドリブだったらしい。マジか。アミハマちゃん天才か。いやほんとかどうか知らないけど。
 初めての恋におちたとき、世界がこんな風だったらいいのに。という、理想を見せてくれる映画。本当になにもかもが美しい。
 
 エリオがオリヴァーに、こつん、て、頭、額をぶつけてく感じが好き。猫みたい。抱きしめる距離をつめるのにためらって、手も足も出せなくて頭ぶつける感じ。めちゃくちゃ可愛い。猫みたいに、という描写は小説にもあって、嗚呼~わかる。と、思う。
 マルツィアとの恋、というか、恋、友情とセックス、も、同時進行しちゃう感じもわかる、いや、わからないけども、エリオにとってはそうなんだ、って、わかる。
 やっぱり映画のほうが好きだなあ。大好きだ。とはいえ、小説も読んでみてとてもよかった。面白かったしこっちでもめちゃめちゃ胸きゅんだしこの小説がああいう風に映画になるのかあって面白かった。
 エリオ。オリヴァー。二人の名前がずっと、この先もずっとずっと、私の中に甘く切なく棲みつく。エリオ。オリヴァー。イタリアの夏。眩しくて優しくて切なくて、かけがえなく愛しい。大好きです。


|

« April 2018 | Main | June 2018 »