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『ジャコメッティの肖像』(ジェイムズ・ロード/みすず書房)


『ジャコメッティの肖像』(ジェイムズ・ロード/みすず書房)


2003年8月刊。

先日映画の「ジャコメッティ 最後の肖像」の映画を見てすごく楽しんで、
このモデルのジェイムズ・ロードくんの本を読みたいと思って。翻訳ある
かなあと思ったけどやっぱりありました。

映画の中でも写真撮ってた、あれがきっと、あるはず!と期待して、ちゃんと
写真沢山入っててよかった。絵の変化を見られてすごく嬉しい。
まあ、ジェイムズ・ロード、カメラマンというわけではなく、たぶん映画の
中であったように、パチパチっとスナップ写真のように撮ったものでしょう、
ざっくりキャンバス撮ったもので、ほんとざっくり大まかな感じしか
わからないけど。まあ、素描ですし。仕方ない。それでも十分、とにかく
異様に顔、顔、顔に集中してる筆致が見えて、面白い。黒い塊の中に顔だちが
浮かび上がってきたり消されたりまた浮かんだり。
身体はほんどにざっくり輪郭だけなんだなあ。
顔。
顔かあ。

著者ご本人、モデルしてる姿の写真もあって、これほんと映画の中のアミハマ
ちゃんすごい、再現してるんだな~ってわかって感動です。身長までは
わからないし顔も違うけど、座ってポーズしてる感じが、まんまです。素敵。
恋愛関連のあれこれ的なのはこの本にはなくて、あれは映画の脚色なのか
なんか当時のエピソードみたいなのが後々わかってのことなのか、わからない
けども、まあ、それはそれで、ま、いっかと。


ジェイムズ・ロードは1922年、ニュージャージー州イングルウッドの生まれ。
美術評論家、エッセイストだそうです。第二次世界大戦中、兵士としてパリに
滞在、ピカソと親交を持ち、パリの芸術家たちとの交流をエッセイとかで
発表したみたい。翻訳もある、『ピカソと恋人ドラ』。いずれ、ピカソに
興味持ったら、読む、かなあ。んー。どうかな。

このモデルを務めた期間は1964年9月12日から10月1日までの18日間。
まあでもさっくり短い方なのではないのかなあ、ジャコメッティ的には。
最初は一日で終わるってことだったのにと思うと辛いね、と思う。
ジャコメッティのモデルをしながらの会話等が読めてすごく面白い。
ジャコメッティ、やっぱり何かと苦悩して、出来ない、描けない、って
言っては、でもこんなに上手くいったのは人生で初めてだ、とかも言い、
二人の仕事、をどこまでいけるかやってみよう、っていうのを目の当たりに
してしまうと、やっぱりつきあっちゃうものなんだろうなあ。
勿論ジャコメッティの芸術家っぷりをもともと好きで交流してたのだろうし。

以前読んだ矢内原伊作の話の方がすごく、すっごく、もえるんだけれども、
ジェイムズくんの距離感もいい。最初は単純に嬉しそう、のめりこんで
共犯関係のようになり、でももう帰国したい、終りがないものに終りを
もたらしたい、という、ちょっと、たぶん、逃げたい感じとか、面白く
読めた。
矢内原くんはもうどっぷりって感じがもっと強くあったよなあ。時期の
違いとかかな。
この1964年にはジャコメッティ63歳だって。この前の年、1963年に胃癌の
摘出手術を受けているそうだ。1995年の12月に心臓発作で倒れ、66年の1月、
急逝、とのこと。


いくつか、好きな所引用させてもらう。


 「金曜日にはパリに戻って来る。帰ったらすぐに、私は彼のためにポーズ
 すると約束していた。カンヴァスに簡単な肖像スケッチを描くだけ、という
 のが彼の考えだった。それはほんの一時間か二時間、かかったとしても
 午後いっぱいですむはずだった。
  土曜日は九月十二日だった。私は三時ごろアトリエに行った。彼が戻って
 いなかったとしても、驚くには当たらなかったろう。彼の計画はしばしば
 突然変更されるのだ。しかし、私は彼が電話のある部屋に座って床を見つ
 めているのを見つけた。ロンドンはどうでしたかと尋ねると、「万事問題
 ない」と答えた。それから私をしばらく不思議そうに見つめ、そして「少し
 ぼくたちの仕事をしようか」と言った。」 (p5)


 「彼は描き始める前にしばらく私を見ていた。それから、「きみは野獣の
 頭をもっている」と言った。
  私は驚いたが、楽しくなって、「ほんとうにそう思いますか?」と尋ねた。
  「もちろんさ!」と彼は大声で言った。「きみはほんものの殺し屋の
 ようにみえる。もしぼくが見えるとおりにきみを描くことができたら、
 そしてその絵を警官が見たら、きみはただちに逮捕されるだろう!」
  私は笑ったが、しかし彼は言った。「笑わないでくれ。ぼくはモデルを
 笑わせてはならないんだ。」」 (p9)


 「何時間も前に起きてからというもの、コーヒーを飲んだほかにはなにも
 食べていないので空腹だ、と彼は何度も言った。私はもう一度、おしまいに
 しましょう、と促したが彼は拒んだ。
  「ぼくたちはいまはやめられない。うまくいっているときにやめようと
 思った。しかし、いまはとても悪くなっている。遅すぎた。ぼくたちはいまは
 やめられない。」 (p11)


 「私たちが仕事を始めることができるようになったときにはもう四時半を
 すぎていた。描き始めると彼は言った。「気付いたのだが、きみは正面から
 見た顔が野獣に見えるだけでなく、横顔は少々変質者のようだ。」彼は
 にっこりと笑い、こう付け加えた。「正面の顔は牢屋に行かねばならないし、
 横顔は精神病院に行かねばならない。」
  私たち二人は笑った。彼は冗談を言えたが、同時に着手しているまったく
 楽しみのない仕事のあまりの大きさに意気阻喪しているようにも見えた。彼
 は半ば自分自身に、半ば私にたいし、この仕事がどれほど不可能であるかを
 つぶやき続けた。
  「ぼくは自分の時間を三十年も無駄にしてきた」と彼は言った。「鼻の
 付け根ですら、ぼくがなんとか描けると思える大きさをこえているんだ。」」
 (p27)


 「私は自分が中国人のことも日本人のこともまったくよく知らないという
 ことを認めたが、これに対して彼は数年間にわたって日本人の大学教授、
 矢内原伊作と極めて親しかった。この日本人はその間多くの油彩と彫刻の
 モデルをつとめた。私は彼が彼自身と矢内原とのあいだになんらかの相違
 を自覚しなかったかどうか疑問に思った。二人のあいだの本能的な態度や
 反応になんらかの基本的不一致を、異なる背景や国民性や人種により生じる
 かもしれない不一致を感じなかったか。
  「まったくなかった」と彼は言った。「彼はまさにぼくのようだった。
 それどころか、あまりにも長く一緒にいたので、僕は彼を基準とみなす
 ようになった。ぼくたちはいつも一緒だった。アトリエで、カフェで、
 ドームやクーポールで、ナイトクラブで。ぼくたちはあまりにも長く一緒に
 いたので、そためにある日ぼくは奇妙な経験をした。矢内原がぼくのために
 ポーズをしていると、突然アトリエにジュネが入ってきた。ジュネが非常に
 変に見えた。とても丸い、非常に赤い顔で、膨らんだ唇をしていた。しかし、
 ぼくはこのことについてなにも言わなかった。それからディエゴがアトリエ
 に入ってきた。ぼくは同じ感じがした。彼の顔も非常に赤く、そして丸く
 見え、彼の唇は非常に膨れて見えた。どうしてそう感じるのかぼくには理解
 できなかった。まもなく、突然、自分がディエゴとジュネとを、矢内原の
 目に映ったにちがいないような有様で見ていることに気付いた。ぼくは
 あまりにも長時間あまりにも熱心に矢内原の顔に集中していたので、彼の
 顔がぼくにとって基準になってしまったのだ。ほんの一瞬の間――非常に
 短いあいだしか続かない印象だったが――ぼくは白人を、白人でない人たち
 に見えているにちがいないような見方で見ることができた。」 (p46)

(視覚まで共有するかのように二人はひとつ、ってなっちゃってっ。ジャコ
メッティと伊作くん~。それを言わずにいて、ジェイムズくんに話すとか~。
たまんねえな)


 「ジャコメッティはモデルとのあいだに情緒的な関係を作り出す傾向があり、
 それはモデルに対するほとんどロマンチックな感情となる、とジャン・ジュネ
 は書いている。これはある程度はジュネの独特な主観の投影であるかも
 しれないが、しかしいくらかの真実も含んでいると私は思う。少なくとも
 私の場合、感情は相互的だった。そのような感情が存在することは驚くには
 あたらない。ジャコメッティはとりわけ激しく全身全霊をかけて仕事に
 うちこむ。」 (p47)


 「ジャコメッティのためにポーズするという経験はきわめて個人的なものだ。
 たとえば、彼は作品のことだけでなく、自分自身のことや彼の人間関係の
 ことについてもあまりにもいろいろ話すので、モデルのほうも当然同じ
 ように話さなければならなくなる。このような話は、ポーズすることと
 描くことという行為に固有な持ちつ持たれつのほとんど超自然的雰囲気の
 なかに、特別な親密さの感じを容易に作り出す。相互関係はときにほとんど
 耐えきれないものとなる。モデルと芸術家との一体化ということがあるのだ。」
 (p48)


 「私は路地に出て、ディエゴのアトリエのほうに戻った。「あまりうまく
 いってないです」と私は彼に語った。
  「明日はよくなるだろう」と彼は冷静に答えた。
  私たちはほかのことを話していた。突然、私はアルベルトの叫ぶ声を 
 聞いた。「ロード! ロード!」私は彼のアトリエに通じる路地のほうに
 戻った。「もう少し仕事をしよう」と彼は言った。「これをこんなふうに
 放置しておくことはできない。」
  「わかりました」と私は言って、腰を下ろした。「ですけど、すぐ暗く
 なりますよ」
  「きみはいらいらし始めているのか?」とかれは尋ねた。
  「いいえ」と私は言った。
  「きみはきっとぼくのことを憎んでいるにちがいない。」
  「そんなこと、ばかばかしい。どうして私が?」
  「こうしたすべてのことをきみに強いるからだ。」
  「ばかなことを言わないで下さい」と私は言った。
  こう言ったものの、絵を描くこととポーズすることという特別な行為と
 して表現されたかぎりでは、そのときの私たちの関係にはサドマゾ的な
 要素があった。進行中の私たちの共通の仕事を取り囲む苦悶の雰囲気の
 原因が二人のうちのどちらにあるのかということは、ときとして決定し
 がたく思われた。私は、モデルとして、偶然的な要素ではあるが、それ
 にもかかわらず、仕事を続けていくためには欠くことのできない要素では
 ある。その結果として、彼の意気阻喪の原因は私の見かけなのに、それを
 私の人格のせいであると取り違えることも、ときに容易に起こった。他方、
 たとえ彼が私なしに仕事ができないとしても、絵は彼なしには存在しえ
 ないだろう。彼は絵を絶対的に支配していた。これを――絵の本性、彼
 への私の賛嘆、完成した作品を所有したいという私の願望、そして私が
 ポーズをするためだけにパリにとどまっているという事実、これらを考慮
 に入れて――拡大解釈すれば、彼は私をも支配していたのだ。絵はどうか
 すると物理的にも想像上にも私たちのあいだに束縛でもあり障壁でもある
 ものとして存在するように感じられた。しかしながら、その成り行きが、
 曖昧とは言えないものの、不可避的に複雑なものとなる状況ではどんな
 行為が彼と私とのどちらの側で、どうしてサディスティックであり、
 そして/あるいは、マゾヒスティックであるかを正確に決定することは
 困難だったろう。」 (p83-84)


 「彼は疲れと寒気を訴えた。ロンドンに行く直前に風邪に罹っていたのだ。
 私は彼にしばらく横になって休むように言った。一時間後、彼のベッドに
 行った。彼は服を着たままベッドのなかにいて、『寒い国から帰ってきた
 スパイ』を読んでいた。」 (p92)

(ル・カレ! 映画でもいってたけどほんとだったのね。この時流行ってた
ってことかなあ。いいよねえ)


 「アトリエのなかの光はしだいに暮れていった。だか彼は仕事を続けた。
 私たちは二人きりでそこに永遠に取り残されてしまったように思えた。
 まるで絶滅した針葉樹の樹脂でできた琥珀のなかに閉じ込められた先史時代
 の昆虫のように。「ぼくはきみをつかまえた」と彼は言った。「きみは
 もうぼくから逃げられない」彼の言おうとする真意がどういうことなのか
 私は自問した。しかし、それはどうでもよいことだった。彼の真意がなん
 であれ、事実としてそれは真実だった。」 (p99)


 「「じゃあ私が関わることはなんらかの意味で積極的なものだったと感じて
 いいんですね。私は自分のことを、セザンヌ夫人のように、ただのリンゴ
 だとは感じていませんでした。
  「もちろん、そんなことはない。モデルはとても重要なんだ。矢内原と
 カロリーヌじゃきみがポーズするときしてきたのと同じように、ポーズする
 ことはこの仕事に積極的に関わることだと自覚していた。といっても、
 それは簡単なことではない。ぼくはそのことを承知している。だが、ジュネ
 は、ポーズすることは完全に受動的なことだ、と感じていたね。彼は自分
 が物に変えられていると感じて、それでポーズするのをやめたんだ。それは
 まさに文学的な態度だとぼくは思った。」」 (p105)


 「次の日はゴゴ二時半ごろに、私はタクシーでアトリエに行った。
 アルベルトはそこにいたが、絵はすでに、まだ乾いていないまま、輸送用
 に梱包され、胸像とともに運び去られていた。
  「あれは行ってしまったよ」と彼は言った。
  「私が行ってしまいました」と応えた。「出発します。とても妙な感じ
 がします。」
  「とても残念だ。ぼくたちはようやく一歩を踏み出したところなのに。
 これからずっと続けられたのに。」
  「わかっています」と私は言った。「私がこの数週間のあいだほかの
 とこよりも長い時間をすごしたこの場所にいること、そしてこれが最後
 だと承知していることは、とても妙なことです。」
  「きみは行ったきりじゃないんだろ」と彼は言った。「戻ってきたら、
 また始めよう。ぼくたちはもっと遠くまで進もう。」
  「そうですね」と私は言った。」 (p153)


 「私は彼に手紙を書いた。その返事に、彼はこう書いてきた。「ぼくは
 いまスタンパに来て一週間になる。ぼくはたくさん仕事をしている。
 たくさん寝てもいる。同じものを続けている。いつもあの頭たちだ! 
 いつの日にか、きっときみの頭をもう一度やりたいものだ。きみがぼくの
 ためにポーズしてくれてたとき、いつでもぼくはとても楽しかった。」
  私もだ。」  (p155)


あとがきの前↑これで終り。完結で素晴らしい。
すごく、画家とモデルという、特別な、物凄く特別な関係がある。
美しいなあ。
いっぱい書き写したけど、たくさんもっといい所ある。読んでよかったです。
  

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