« 『羅針盤』(本川克幸/砂子屋書房) | Main | 映画「デヴィッド・リンチ アートライフ」 »

『猫は踏まずに』(本多真弓/六花書林)


『猫は踏まずに』(本多真弓/六花書林)


2017年12月刊。第一歌集。

本多さんのことはもうそこそこ長い間知ってる人で、歌集の感想書くのって
そういう人のもののほうが難しいよねー。
基本的に作者名と、実際本人というのは切り離して読むんだけれども
難しくなる。けど、まあ、あったことある人知ってる人っていったって、
その人の全部を知ってるわけないし圧倒的に知らないわけだから、あんまり
気にしないで読むしかない。

ともあれ、本多さんの歌集は待望の、というものであるのは間違いなくて、
ツイッターでもたくさんの引用が流れてきたりする。
まず本の見た目からしてすごく可愛い。ツイッターアイコンの桜餅の
写真がベースなのでしょう、桜餅みたいなピンクの猫が葉っぱにつつまれて
いるはっきりした線の絵。すっごい可愛い~!
表紙のベースは緑色。白抜きで、くにゃっとした字でタイトル。この
タイトル文字もデザイン凝ったんでしょうね。手触りもいいし、ソフトカバー
で、普通の単行本よりちょっとだけ小ぶりでとても手に馴染む感じの本。
中の遊び紙もなんかすごい上等なのでは。中表紙とか表紙の折り返しにも
凝ってるし。猫のシルエットなイラストもいっぱい。これは愛される~。

栞は、花山多佳子、穂村弘、染野太朗。解説は岡井隆。さすがゴージャス。

製作年にはこだわらず編んだ歌集だそうです。
一冊読むと、会社員として働く姿。想像の世界。一人の女として生きている、
生きていくこと、という姿が見えてるくるように思う。
思ってたよりもずっと、ずっと、「女」ということがテーマにあるように
感じた。
たぶん、生きていく上で、「女」という性を意識させられる、せずには
いられない、ということが「男」よりは多い。
仕事が大変とか、生きるの大変とかは、性別関係なく誰にもありうること
なのだけれども、そこにしばしば「女だから」ということを、多分ことさらな
悪意なくても押し付けられたり自分自身が考えてしまわずにいられなくなる。
そしてある程度の年を重ねれば「産む」ということを。
そんなこんなは面倒でうんざりで、自由になりたいし考えたくもない、と
思うんだけど、私は。岡崎さんの歌集読んだ時にも思ったけどこの歌集を
読みながらも考えたりして、読めば読むほどなかなかつらい、と思う。自分
のことのように読んでしまうのだ。そう読めるのは、歌という作品に完成
させてまとめられているからなのだろう。
面白く読ませてもらいました。


これも付箋だらけにしてしまいそうなところ我慢していくつか、好きな歌。


  わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに (p10)

巻頭の一首。タイトルの歌。印象強くてすぐ暗唱してしまえる。みんな引用
してるね。自分は猫を踏まないけど猫に踏まれまくってる日々みたいな気分
になる。丁寧でちょっとおかしみのある風だけど、「まゐります」って
この丁寧さは諦めだと思う。猫がいてもいなくても、踏んでも踏まなくても、
踏まれても踏まれなくても、会社に真面目に行く。信頼できるなあ。


  ですよねと電話相手を肯定しわたしを消してゆく会社員 (p13)

  ミントタブレットどうでもいいことのどうでもよさに嬲られてゐる (p13)

  女子トイレ一番奥のややひろい個室に黒いサンドバッグを (p16)

  ああ今日も雨のにほひがつんとくる背広だらけの大会議室 (p18)

  パトラッシュが百匹ゐたら百匹につかれたよつていひたい気分 (p21)

「猫は踏まずに」の一連は会社員としての日常という感じ。私自身は社会人
してた頃には下っ端だしポンコツな方だったからなあ。とはいえ一応は働い
てた。ある程度真面目に働く誰もが共感してしまう歌たちだと思う。

電話相手はお客様だか上司だか、で、そういう受け答えには無難にならざる
をえなくて。優秀な会社員は「わたし」という個を消すこともできる。
「嬲られる」というこの漢字を選ぶ気持ちがすごい伝わる、どうでもいいこと
のうんざりの連続。
女子トイレにはやや広い個室があるし、サンドバッグが欲しくなるものだ。
背広だらけの大会議室。そういう、社会。会社。
パトラッシュの歌はツイッターで最初流したのだと思う。すごく人気も
あった。「フランダースの犬」のあの場面のことは、ある世代、でも、多分
世代超えて共通して想起できる場面かなあ。ネロは天に召されてしまうけど、
召されないで。。。疲れたよって、もふもふのパトラッシュが、いればいい
のに。百匹でも千匹でもいればいいのに。いない、この、途方もない疲労感。
こんなに軽やかに優しくでも果てしない疲れを言える歌、凄いです。


  いつしらに母を産みしかキッチンでわたしが母をあやしてをりぬ (p39)

自分がすっかり大人になれば親は老いる。老いている。母のほうが子どもの
ようになっている。「母を産みしか」と捉えている感覚が不思議ですごくて、
とても優しいなあ。


  ひらかれるときのわたしのかなしみをきみのからだも知ればいいのに (p53)

  ひらがなのやうにをんなのもつ肉のゆるりゆうるりたれてゆくなり (p79)

おんなのからだ、おんなの肉、を、かなしみ、愛おしみしている感じ。やはり
ひらがなだよなあと納得してしまう感じ。文字を眺めていたい歌です。


  目にふたがあつて耳にはないことをたしかめたがるひとのくちびる (p101)

  きのふけふあしたあさつてしあさつてあたしあなたのこゑをきく耳 (p108)

耳っていいよね。耳ってすごくいいよね! それはともかく、どちらも
セクシーだけどいやらしくはなく、切なく切実で、素敵だ、とうっとりした。


  あたらしいメールがきみに届くたび目のまへにゐるぼくはうすれる (p114)

「ミント×チョコレイト」という、BL短歌っていう一連から。
BLは好きですし、BLというネーミング以前からこじらせてますしという私
としては何か言わなければなるまい。ってことはないけれども。もちろん
BLといったって人ぞれぞれいろいろに思い表現するもので、別に私がそんな
BLに詳しいわけじゃなく。
一連、ふわあっと綺麗だったり、でもそこをちょっと外してきたりという
工夫があって面白かった。そして別に特にBLだからって読まなくてもいいし
読みたければどんな歌でも何でもBLだよねと言えるわけで。
引いた一首はこの目の前のきみとぼくの関係の切実さがいいなあと思った。
なんかこう、メールひとつにこんなに思ってしまう気持ちっていうのは
とてもとてもきゅんと切ない。怒るでもなんでもなく、自分が相手にとって
うすれてしまうんじゃないか、という、怖れ、ね。
次の一連は百合短歌ってことだそうで。それも、きれいな一連でした。女の子
ってやわらかい、と言いたくなるような。
ただ、ほんっとただ個人的好みというか性癖というか、私が思うにはなんか
綺麗ですてきだけどつるっときれいすぎるような気がするなーというか、
うーん。短歌だからなあ。難しいけど。ほんっとただ個人的好みなんだけど
私が求めるBLは、もちろんきれいなのも大好き、いい、けどもっとがっつり
きてくれ、って、特にこの数年は思ってるので、BL短歌だからってもえる
ってわけでもなくん~短歌だと難しいなあと、勝手なことを思ったのでした。


  ひかりごと啜る白粥はふはふといのちを生きていのちは産まず (p130)

白粥を啜ってる、多分あんまり健康ではない、弱っている状態かな。
そんな時、生きてるなあ、と思う。産むか産まないか、どちらかという
ことを女は多かれ少なかれ意識してしまう。せざるをえない。自分の年や
生活の中に、いのちを産むことができるかできないか、を、タイムリミット
つきで考えてしまう。まあ、考えてしまうのは私なのだけれども。そんな、
生きる時間を思うのでした。刺さるー。考えたくないけど、こういう歌が
ほんと刺さるんだ。自分の歌として読んでしまう。
作者と私とは多少の共通点があるとはいえ、全然違うのに、こうして自分の
歌として読んでしまう~という歌が沢山あって、それはやっぱり短歌として
うまく、短歌として昇華されている作品なのだと思う。

歌集出版おめでとうございます。読めてよかった。


|

« 『羅針盤』(本川克幸/砂子屋書房) | Main | 映画「デヴィッド・リンチ アートライフ」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事