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『やはらかい水』(谷とも子/現代短歌社)


『やはらかい水』(谷とも子/現代短歌社)


第一歌集。
2017年8月刊行。

山登りをよくされているのかな。そういう自然の中の歌と、街で暮らしていることと、
対比があってじっくり沁み込んでくる歌集でした。ゆったりとした調べというか、
一首の中の時間がふわあっと滲んでいるようで、とても美しい。
作者のことは知らないのだけれども、こういう風に生きている人の時間、と
いう感じが伝わってきてとても好きでした。
薄くした木の栞がついていたの。すごい素敵。

好きな歌、と付箋はってるとどれもこれもつけたくなるのでなんとか減らして
いくつか、好きな歌。


  山蕗のまだやはいうちを摘みとつてうれしいこんなに指がよごれて (p10)

  泥にゆつと踏んづけ踏んづけ行くうちに足はずいぶん浮かぶ喜ぶ (p11)

美しい自然の歌、といってしまうとさらさら綺麗なもののように思うけれども、
公園で日向ぼっことかお庭を眺めてお茶を一服、というものではなくて、この
作者の歌は自分が山へ森へ、樹々の中へ分け入っていく、というものですね。
山菜をとる。泥を踏む。手も足も汚れて、そのよごれを喜ぶ気持ち。そういう
気持ちになれる人が山へゆくのだなあと思う。この緑の匂い、湿りの実感を
感じさせてくれる歌がたくさんあって、そう、よごれるけれども喜びである、
ほどけていく気持ちよさが歌になっていて、とても好き。


  こころよりからだ疲れて眠るときごく当たり前に夜はひろがる (p15)

「ごく当たり前」な夜というのは、森から帰ってきて体が疲れてすうっと眠れる
心地よさなんだなと思う。でもこれは反面、こころの方が疲れてでも眠れない、
当たり前じゃない夜がしばしばあるということだと思う。ままならないね。


  本の帯ちぎれちぎれに押し込んだときのわたしのぎちぎちのまま (p20)

この「ぎちぎち」の感じがひしひしと伝わってきて辛い歌。本の帯ちぎれてるんだ。
それ、押し込んでるんだ。私は書店員をそこそこ長くしていたのだけど、その
自分のことを思った。生活していくのって辛い。


  腕時計忘れてしまふ脱力のひだりひだりへ傾ぐわたくし (p38)

ちょっと読み切れない歌なのだけれども惹かれた一首。脱力していると左へ傾いで
しまう「わたくし」。腕時計をしてきちんとして気をはっている時には傾いで
しまったりはしないように自分を保っているのかなと思う。読み切れない、
わかんないと思うものの、なんかこれわかる、という気がしてしまって好き。


  <土が白く乾ききるまで>鉢植ゑの植物界の水のさびしさ (p44)

地面とは繋がらない限られた鉢植えの中。<土が白く乾ききるまで>というのは
育て方の説明か何かの言葉だろうと思う。「水はここまで」という一連の中の歌。
鉢植えの中であろうと世界にしあわせはあると思う。でも、その「植物界」を
さびしく見る作者の視線の在り方が、作者の存在を思わせてぐっときました。


  おさかなの炊いたんにしよ。ふたりして夕焼けながく歩いたのちに (p84)

「炊いたん」というのがとてもよくて好きな歌。お魚とか、白菜とかご飯とか、
炊いたんのごはんにはとっても親しみがある。長く歩いた散歩はふんわりした
心地におちついてうちへ帰るのだな、一緒にご飯食べるんだなと思った。可愛い。


  山全体を雨つつむときわたくしは肉をもたない水の細胞 (p105)

  汗ざんざんと身体濃くして急坂を酸つぱい匂ひさせつつ登り (p108)

山の中にいるときに雨だと実に不快なのでは。と私は思ってしまうけれど、
そういう時にはただもう仕方ないんだなあと思う。山の雨と一体になるしかなく、
それは殊更に雨に濡れるのが厭だとかいうところを超えるんだろうな。
「わたくし」はもう私ではなく人でなく、かろうじて細胞膜だけはあるくらいな
感じに世界にとける。
そして雨ではなく自分がかいた汗の匂いに包まれる時、ひとり濃くなるという
感じ。こういう身体の感覚とてもすごくて、それがとてもふわりとうたわれて
いて、かっこいいです。


  道よりもなほ暗がりの家につき怒声のやうな冷たい鍵を (p139)

帰りついた家がちっとも安らぎの場所という気がしない。つらい。こういう時も
あるよなあと、深く感じ入りました。


全体読み通すと、袋 が出てくる歌が多かったような印象。袋。空っぽ。
そういうものを見ている感じていることが多いのかな。
山、自然のこと、家族のこと。生きている日々を感じる歌集でした。

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