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『猫は踏まずに』(本多真弓/六花書林)


『猫は踏まずに』(本多真弓/六花書林)


2017年12月刊。第一歌集。

本多さんのことはもうそこそこ長い間知ってる人で、歌集の感想書くのって
そういう人のもののほうが難しいよねー。
基本的に作者名と、実際本人というのは切り離して読むんだけれども
難しくなる。けど、まあ、あったことある人知ってる人っていったって、
その人の全部を知ってるわけないし圧倒的に知らないわけだから、あんまり
気にしないで読むしかない。

ともあれ、本多さんの歌集は待望の、というものであるのは間違いなくて、
ツイッターでもたくさんの引用が流れてきたりする。
まず本の見た目からしてすごく可愛い。ツイッターアイコンの桜餅の
写真がベースなのでしょう、桜餅みたいなピンクの猫が葉っぱにつつまれて
いるはっきりした線の絵。すっごい可愛い~!
表紙のベースは緑色。白抜きで、くにゃっとした字でタイトル。この
タイトル文字もデザイン凝ったんでしょうね。手触りもいいし、ソフトカバー
で、普通の単行本よりちょっとだけ小ぶりでとても手に馴染む感じの本。
中の遊び紙もなんかすごい上等なのでは。中表紙とか表紙の折り返しにも
凝ってるし。猫のシルエットなイラストもいっぱい。これは愛される~。

栞は、花山多佳子、穂村弘、染野太朗。解説は岡井隆。さすがゴージャス。

製作年にはこだわらず編んだ歌集だそうです。
一冊読むと、会社員として働く姿。想像の世界。一人の女として生きている、
生きていくこと、という姿が見えてるくるように思う。
思ってたよりもずっと、ずっと、「女」ということがテーマにあるように
感じた。
たぶん、生きていく上で、「女」という性を意識させられる、せずには
いられない、ということが「男」よりは多い。
仕事が大変とか、生きるの大変とかは、性別関係なく誰にもありうること
なのだけれども、そこにしばしば「女だから」ということを、多分ことさらな
悪意なくても押し付けられたり自分自身が考えてしまわずにいられなくなる。
そしてある程度の年を重ねれば「産む」ということを。
そんなこんなは面倒でうんざりで、自由になりたいし考えたくもない、と
思うんだけど、私は。岡崎さんの歌集読んだ時にも思ったけどこの歌集を
読みながらも考えたりして、読めば読むほどなかなかつらい、と思う。自分
のことのように読んでしまうのだ。そう読めるのは、歌という作品に完成
させてまとめられているからなのだろう。
面白く読ませてもらいました。


これも付箋だらけにしてしまいそうなところ我慢していくつか、好きな歌。


  わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに (p10)

巻頭の一首。タイトルの歌。印象強くてすぐ暗唱してしまえる。みんな引用
してるね。自分は猫を踏まないけど猫に踏まれまくってる日々みたいな気分
になる。丁寧でちょっとおかしみのある風だけど、「まゐります」って
この丁寧さは諦めだと思う。猫がいてもいなくても、踏んでも踏まなくても、
踏まれても踏まれなくても、会社に真面目に行く。信頼できるなあ。


  ですよねと電話相手を肯定しわたしを消してゆく会社員 (p13)

  ミントタブレットどうでもいいことのどうでもよさに嬲られてゐる (p13)

  女子トイレ一番奥のややひろい個室に黒いサンドバッグを (p16)

  ああ今日も雨のにほひがつんとくる背広だらけの大会議室 (p18)

  パトラッシュが百匹ゐたら百匹につかれたよつていひたい気分 (p21)

「猫は踏まずに」の一連は会社員としての日常という感じ。私自身は社会人
してた頃には下っ端だしポンコツな方だったからなあ。とはいえ一応は働い
てた。ある程度真面目に働く誰もが共感してしまう歌たちだと思う。

電話相手はお客様だか上司だか、で、そういう受け答えには無難にならざる
をえなくて。優秀な会社員は「わたし」という個を消すこともできる。
「嬲られる」というこの漢字を選ぶ気持ちがすごい伝わる、どうでもいいこと
のうんざりの連続。
女子トイレにはやや広い個室があるし、サンドバッグが欲しくなるものだ。
背広だらけの大会議室。そういう、社会。会社。
パトラッシュの歌はツイッターで最初流したのだと思う。すごく人気も
あった。「フランダースの犬」のあの場面のことは、ある世代、でも、多分
世代超えて共通して想起できる場面かなあ。ネロは天に召されてしまうけど、
召されないで。。。疲れたよって、もふもふのパトラッシュが、いればいい
のに。百匹でも千匹でもいればいいのに。いない、この、途方もない疲労感。
こんなに軽やかに優しくでも果てしない疲れを言える歌、凄いです。


  いつしらに母を産みしかキッチンでわたしが母をあやしてをりぬ (p39)

自分がすっかり大人になれば親は老いる。老いている。母のほうが子どもの
ようになっている。「母を産みしか」と捉えている感覚が不思議ですごくて、
とても優しいなあ。


  ひらかれるときのわたしのかなしみをきみのからだも知ればいいのに (p53)

  ひらがなのやうにをんなのもつ肉のゆるりゆうるりたれてゆくなり (p79)

おんなのからだ、おんなの肉、を、かなしみ、愛おしみしている感じ。やはり
ひらがなだよなあと納得してしまう感じ。文字を眺めていたい歌です。


  目にふたがあつて耳にはないことをたしかめたがるひとのくちびる (p101)

  きのふけふあしたあさつてしあさつてあたしあなたのこゑをきく耳 (p108)

耳っていいよね。耳ってすごくいいよね! それはともかく、どちらも
セクシーだけどいやらしくはなく、切なく切実で、素敵だ、とうっとりした。


  あたらしいメールがきみに届くたび目のまへにゐるぼくはうすれる (p114)

「ミント×チョコレイト」という、BL短歌っていう一連から。
BLは好きですし、BLというネーミング以前からこじらせてますしという私
としては何か言わなければなるまい。ってことはないけれども。もちろん
BLといったって人ぞれぞれいろいろに思い表現するもので、別に私がそんな
BLに詳しいわけじゃなく。
一連、ふわあっと綺麗だったり、でもそこをちょっと外してきたりという
工夫があって面白かった。そして別に特にBLだからって読まなくてもいいし
読みたければどんな歌でも何でもBLだよねと言えるわけで。
引いた一首はこの目の前のきみとぼくの関係の切実さがいいなあと思った。
なんかこう、メールひとつにこんなに思ってしまう気持ちっていうのは
とてもとてもきゅんと切ない。怒るでもなんでもなく、自分が相手にとって
うすれてしまうんじゃないか、という、怖れ、ね。
次の一連は百合短歌ってことだそうで。それも、きれいな一連でした。女の子
ってやわらかい、と言いたくなるような。
ただ、ほんっとただ個人的好みというか性癖というか、私が思うにはなんか
綺麗ですてきだけどつるっときれいすぎるような気がするなーというか、
うーん。短歌だからなあ。難しいけど。ほんっとただ個人的好みなんだけど
私が求めるBLは、もちろんきれいなのも大好き、いい、けどもっとがっつり
きてくれ、って、特にこの数年は思ってるので、BL短歌だからってもえる
ってわけでもなくん~短歌だと難しいなあと、勝手なことを思ったのでした。


  ひかりごと啜る白粥はふはふといのちを生きていのちは産まず (p130)

白粥を啜ってる、多分あんまり健康ではない、弱っている状態かな。
そんな時、生きてるなあ、と思う。産むか産まないか、どちらかという
ことを女は多かれ少なかれ意識してしまう。せざるをえない。自分の年や
生活の中に、いのちを産むことができるかできないか、を、タイムリミット
つきで考えてしまう。まあ、考えてしまうのは私なのだけれども。そんな、
生きる時間を思うのでした。刺さるー。考えたくないけど、こういう歌が
ほんと刺さるんだ。自分の歌として読んでしまう。
作者と私とは多少の共通点があるとはいえ、全然違うのに、こうして自分の
歌として読んでしまう~という歌が沢山あって、それはやっぱり短歌として
うまく、短歌として昇華されている作品なのだと思う。

歌集出版おめでとうございます。読めてよかった。


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『羅針盤』(本川克幸/砂子屋書房)


『羅針盤』(本川克幸/砂子屋書房)


2017年11月刊。遺歌集。

遺歌集なのだ。
本川さんというほどの接点があったわけではない。同じ結社で、同じ時に
未来年間賞を貰った。それ以前にも未来賞で注目があったので、未来の
誌上で歌を拝見していたばかりである。
訃報を知った時の事を覚えている。嘘でしょ、と、思って、しばらく嘘かと
間違いかと思っていた。享年51歳だそうだ。

歌集として改めて歌を読んで、控え目に秘めた思いの強さのある、歌として
よく言葉を選んで作り上げている作品だと感じた。
佐伯裕子さんの解説や奥様の「あとがきに代えて」で、お仕事は海上保安官
であったと知る。北国の海での厳しい日々があったのだと思う。そういう
背景を知って、雪の実感が増す。今、横浜にいても寒い。先週、今週も
雪のある厳しい冷え込みの冬である。勿論北国と比べるべくもないけれども、
寒さの実感を思って読んだ。

歌、よくってあれもこれもと付箋だらけになりそうな中、いくつか。


  秋の日の言葉を包む封筒に百舌の切手を貼る「飛んでゆけ」 (p16)

これは未来へ詠草を送る時の歌かなと想像。とはいえそうでなくても、秋の
日に大事な言葉を手紙にして送るときめきが伝わってきて素直にいいなあと
思える歌。最初の頃は詠草を送る封筒、切手、ポスト、全部にお願いします、
って感じで祈りをこめて出してました。今は最初ほどじゃない、けど、やっぱ
今でも毎度切手貼って出しに行くのは格別な気持ちがあるなーと自分のこと
を思った。


  一さいは過ぎて行きます一さいは過ぎてゆきます がらんどうなり (p37)

「一さい」という表記が、最初は一歳? んん? という感じがして、でも
何もかも全てが過ぎてゆくどうしようもなさが伝わってきて、その最初の
ゆらぎを呼ぶのも、うまいなと思う。がらんどう なんだな。


  こわれても修理をすればよい船とこわれたままで働く心 (p59)

  君のいる街が遠くに見えている雪のなか君の街がとおくに (p60)

  右腿のケースに銃を差し入れて「彼ら」と呼ばれているそのひとり (p61)

これらは仕事柄、現場、という重みを感じる。船は壊れても修理をすれば
直る。こころは、修理するのは難しいというか出来ないというか。それでも
そのまま働くのはとてつもなく切ない。
君がいる街を、海から眺めているのかなと思う。雪の中、君、とおく という
繰り返しが心からの祈りのようで切なくて寒さと涙に街の明かりが滲んで
いるのではないかと思う。
「銃」があるのは現代の日本では尋常なことではない。でも、作者の世界
には時に現れるものなのかと思う。その厳しさを思う。「彼ら」という
存在を思う。私に明確にわかるものではないけれど、このリアルが歌で
伝わってくるって凄い。


  夕焼けがこわいのですか夕焼けを見ていることがこわいのですか (p70)

これも繰り返し、少しずらした繰り返しが切実さを伝えてくる歌。こわい、
悲しい寂しいを含んで、一日の終りがこわい、のかなあ。問いかけは誰か
に向けたものというより自分自身のものだと思う。私、上手くとりきれ
ないけれども、好きだ。


  体内は古き公園 誰もいないベンチに春の雪積もらせて (p117)

体内が古い公園、という初句のインパクトが凄い。公園だけど誰もいない。
ベンチには雪が積もる。けれどそれは春の雪。かすかな希望がある。
うつくしい一首。


  救えない命を乗せて走る船 分かっているが陸地はとおい (p137)

淡々とした事実の一首なのだろう。「とおい」ということのやりきれなさ、
苦しさをこういう一首にしているのがとても切ない。「海に死ぬ」という
一連。こういう出来事に向き合う仕事だったのか。


  冬の波に吸わるるために降りてくる雪を吸わるるまで見届けぬ (p144)

自分も海上にいて、雪が降ってきて、果てしなくあてどなく雪が空から海へ
消えていくのを見ている、という一首だと思う。この厳しい冷気、無限の
儚さ、うつくしさが描き出されている歌、美しいと思った。

読めてよかったです。

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『いとしい一日』(喜多昭夫/私家版)


『いとしい一日』(喜多昭夫/私家版)


2017年11月刊。

個人的な歌集なのかな。著者のあとがきや略歴の類もついてないので
どういうものなのかはわかりません。
自転車の写真の表紙とか自転車の写真のトレーシングペパー?な遊び紙とか、
章の見出しのデザインに凝ったりしててきれいな本だなあ。

「アキオ 17歳 1980」という所から始まって大学生時代のこと、今、
という流れがあって、この一冊で作者像がわかる、かと、思いきや、実は
あんまりわかんないなあと。青春時代って結構普遍的なものだな。
相聞の歌が多い。
歌人が出てくる歌が多い。
これは、どういうのなのかなあ。知ってる人同士という感じのもの、と、
いう気がして、いやあ私全然知らないからな、と思って、どう読んだら
いいかと戸惑った。まあ結局別に気にしないで読むしかない。

2017年の夏のことの歌もあったりして、おっ歌集作るのすごい早いのかな、
と。というか、んーー? 歌集というのかなんていうのか、んん~。
私家版、というか、でも、まあそっか基本的に歌集は自費出版が多いわけ
で、それって同人だよなーと思うと、あ、先週入稿したっていってた本が
ちゃんともうこのイベントに間に合ってるわすごい、みたいなこともありか、
と思ってみたりだった。


いくつか、いいなあと思った歌。


  君を待つ部室にきょうも死にきれぬ螢光灯がまたたいている (p14)

青春短歌という感じ。回想にせよなんにせよ青春の頃を歌うとき、
どうしようもなく甘い自己陶酔が滲むものだと思う。「死にきれぬ螢光灯」
という表現がいい。あ~~~ってなります。


  遠くから来しともし火をてのひらは囲みて終わらせ方を知らない (p31)

この歌は一連の中、高校の卒業式のあとの歌なので、青春の終わらせ方と
いうようなことかなと想像する。火をてのひらで囲むイメージが好き。
終わらせなくてもいいというか、終わらせ方はわかんないんじゃないかなと
思うようになってる私のお年頃。


  急に髪切ってどうするつもりでもない君が「髪、切ったよ」と言う (p50)

この~甘酸っぱい~若者たちよ、という感じ。どうしたんだよ何なんだよ
どうでもないことだよ、けど、こう歌になっちゃう感じ、わかる気がする。
君も僕もどうしようもなく、若者じゃなくてもこういう瞬間っていいですねえ。


  てのひらに溢れて英字ビスケット Kから順に殺されました (p106)

英字ビスケットは今もあるものだけど、なんとなくノスタルジック。私が
思うにKといったら漱石の『こころ』のKだよね、ってことで、なんか、わかる、
と、勝手に思ってしまった歌。英字ビスケット食べたくなる。


  そこにある梨とガラスと人の影 それらがみんないとしい一日 (p151)

  指そえて黄いろいボタンを縫いつけるだれのためでもなく夜のため (p159畢)

タイトルにしてる歌。と終りの歌。
すんなりと静かな感じ、やさしさがあって素直にいいなと思えた歌。静かで
少し寂しくて、でも悲しいとかではないひんやりとした感触があっていい。

青春かよーという感じはしんくわっぽくも感じたりしつつ、すいすい結構
面白く読みました。やっぱり普遍的なようであっても、でもやっぱり一人
一人の歌なんだなと思う。私には読み取れないことが大いにあって、でも
心地よく読み終えた感じはあって、よかった。

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『富士見』(結城文/飯塚書店)


『富士見』(結城文/飯塚書店)


2017年11月刊。第八歌集。

短歌の器、というものを思う。この歌集も基本的には作者の等身大に近い
日常の暮らしが歌われているのだと思う。
ちょっと説明的にすぎないかなあと思ったりもするけれども、こうして
歌集として読んでいくと、やっぱり小さなことの、ありふれたことの、
ひとつひとつが奇跡の瞬間と思ったりする。
生きてる中で見出したささやかな大切な瞬間が完成することができるのが
短歌という器の、様々なポテンシャルのひとつの在り方であるのだろうな。


いくつか、惹かれた歌。


  もう空を見ようとしない母とをり花首深く垂るるガーベラ (p14)

老いや死と共にある中の一首。これは、老いてあまり元気もなくなった母に、
いい天気だよ晴れて気持ちいいね、みたいなことを話しかけたのではないか。
でも、もう、空を見ようとしないんだな。その光景がとてもよく見える感じ
と、しおれかけてゆくガーベラが首を垂れている様という重ね合わせが
よく伝わってくる一首だと思った。


  はろばろと北よりわたり来し鳥の数を増やしつつ雪吊りの庭 (p37)

「六義園」というタイトルのある一連。ぐぐってみたら東京、駒込にある
公園なんですね。そこの、冬がやってくる頃のことか。「鳥の数を増やし
つつ」という表現になんかとても惹かれてしまった。端的な描写なのだと
思う。「雪吊り」というのもいい感じなのかなあ。わかんないけど私は
とても完成されたバランスに思った。


  お祭りに特価販売のペット・ボトル青蛙ひとつ貼りつきてをり (p53)

これも小さな発見を丁寧に描写した歌だと思う。あ、蛙がペット・ボトルに
くっついてる、と、作者が目を止めたその情景、心の動きがとてもくっきり
伝わってくる。そっかあ蛙がそんなところにいたんだねと、ふふって思った。


  わたくしの今日をそこにおく赤あかと夕日の海に向きゐるベンチ (p57)

  ゆるやかに飛行機雲は崩れゆきわれは以前と違ふ道ゆく (p99)

  散るものの散りつくしたるわが窓に明日ととのふる闇の寄りくる (p127)

夕日の中に。飛行機雲に。窓に。なんでもないものの中にふと違う何かを
感じ取り表現してる歌だと思う。「わたくしの今日をそこにおく」、
「以前と違ふ道ゆく」、「明日ととのふる闇」という表現がいいなあと
思って目にとまった。


  わが街にも英会話学校とパチンコ店駅前にありて明るく灯す (p152)

あるよねー。駅前に、パチンコ店。英会話教室。その光景、あるあると思い、
でもそれってあんまりうつくしい風景ではないのだと思うのだけれども、
そこを、ともあれ明かりである、としたのは強いなと思った。


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『眉月』(月子/風媒社)


『眉月』(月子/風媒社)


2017年10月刊。第一歌集。

作者のお名前、月子。歌集タイトルが『眉月』。読んでいるとうさぎも
しばしば出てくる。月が好きな人なのだなあと思う。
白い表紙、淡いグレイの月。中の見返し(?)にも月の絵? の、写真が、
あって綺麗な本で素晴らしい。

山田富士郎さんの結構長い解説がついていて、しかし作者のあとがき等は
なく、どういう作者像なのかはわからない。けれど、月が好きで、美意識
やこだわりがあって、という感じはよく伝わってくる歌集でした。
月の歌がほんとたくさんあるなあ。うさぎは実際にうさぎがいるのか、
そして自分の姿を重ねているのか、という両方かな。いろいろな道具立てが
優雅さがあって素敵。でも私の個人的好みはちょっと違うなあと思う所が
多くて、ん~なるほど、と、思いながら読みました。

いくつか、惹かれた歌。


  あの人はとうの昔に死にました。れんげ畑ももうありません。 (p27)

この歌集の中ではわりと乱雑な言葉の歌。端的で散文的、だけどその迫力と
いうか、不意に投げ出されたようなことばがむしろ目をひく。そして詩的。
好きだな。


  まつげすら青しと覚ゆ茂りたる若葉ふたりを包み尽くせば (p43)

若葉につつまれて睫毛まであおく、きれいな緑に染まる。清冽で幻想的で
美しい。私の個人的好みとしてはこの二人は青年二人だといいなあ。


  ティーバッグに湯をぞんざいに注ぎかけ男は飲みぬ色つきの湯を (p58)

紅茶か緑茶かわからないけど、多分紅茶かなあ。こんな適当なことをする
男に呆れているというか、ちょっと眉を顰める感じで見ていたのかなと思う。
「色つきの湯」という、それ美味しいの、美味しくないでしょう、という
感じ。でもこの適当なことする人物像面白かった。


  長雨の降り残したる眉月のおぼろに消えむいづかたとなく (p98)

すんなりと綺麗な歌で、素直にいいなあと思いました。

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『湖水の声』(藤田冴/ながらみ書房)


『湖水の声』(藤田冴/ながらみ書房)


2017年10月刊。第四歌集。

「わたし」が丁寧に歌われている。そして家族の事。姑の介護や身近に
不意に起こる死など。こういう、死との近さが私自身も全く他人事ではなく
感じられるので、こういう丁寧な歌の数々に頷きながら読みました。
とはいえ、実際自分はわからないことも多いし、それにやっぱりどんな
共感があったとしても、人の思い、人の経験は極めて個人的で千差万別。
それぞれの人にそれぞれの歌があるんだなあと、ここしばらく歌集読んで
改めて思う。

いくつか好きな歌。


  新しき手帳がしづけき量感を醸しぬ記念日書き入るるたび (p36)

ちょうど今まだ1月ですし。私も手帳使いますが、こうして手帳を自分のもの
にしていくんだなという実感があった。「しづけき量感を醸しぬ」という
表現が面白い。


  銀色のブレスレット欲し過ちはわたくしですと挙手をするため (p37)

いくつか、「欲し」っていう歌があったなあ。この歌、過ちを自ら挙手する
ために、というのが謎めいていて、でもそのために「銀色のブレスレット」
というのは、お守りのようでもありなんか納得するふさわしさを感じた。


  キッチンはしづかなうつつわたくしにうす焼き卵二枚焼かせる (p57)

多分あんまり楽しく料理している場面ではないなということだけはわかる
気がする一首。日常的に料理作る立場の人なんだよねとわかる。ほんとうに
さりげないなんでもない歌だけど、これなんだか惹かれる。「うす焼き卵」
というのがいいのかなあ。色鮮やかで、でも脆くて危うくて。こういう歌を
見ると具体が大事、ということを改めて感じます。


  ……ですねえ、諾ふやうなふりをしてあなたはもとも冥き目をする (p66)

初句が印象的。諾う返事をする人の「ふり」を見抜いて、冥い目であること
も見抜いて、作者は歌にしたんだなあ。実際なのかどういう場面なのかは
わからないんだけれども、その、ですねえ、という感じが伝わってくる。


  攻撃型認知もあると聞かされて守備なき吾は吸呑み洗ふ (p83)

  ブラウスは明かき花柄きのふより少しく綺麗な姑でゐるやう (p89)

年をとっていくってどうしようもないことで、それがどうなるかというのは
なってみないとわからないことで。「守備」って、ないよなあとかわからない
よなあと、思う。
そんな中でも髪を整えるとか、ブラウスに明るい花柄をとか、そういう
心配りがあるのが、シンプルながら尊い優しさだなあと思う。


  迎え火も送り火もなく屋上の人工芝を踏みて集へり (p103)

何もなく、人工芝、という状況ながら、悼む思いというのはやっぱり変わらず
にあるんだな。迎え火も送り火もあったほうがいいだろうし、人工芝より
もっと優しい自然の中のほうが心休まるだろうし、でも、それでも人の
営みも思いもいろいろに形を変えながら同じようにあるし続くし、という
ことを思った。事実の描写のみだけど深いところに思いが届く歌。


  洋梨を剥くのは愉しラ・フランスとふ名まへ出でこぬ人と対きあひ (p120)

  つゆ草の露に触れをり寛容なわたしの貌も少し見せねば (p134)

ラ・フランスという名前の響きはうつくしくて楽しい。露草の滴はとても
清らかに思える。そういうささやかなものに癒されるリアルを感じる。
生きていくって大変だよねえ。


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『花高野』(道浦母都子/角川書店)


『花高野』(道浦母都子/角川書店)


2017年9月刊。第九歌集。

これは等身大に近い歌集なのだと思う。基本的に「私」の歌が並ぶ。
家族は亡くなっている。自身に病がある。旅先でもその地の哀しみを思う。
過去があり今がある。
寂しさや苦しさがある。けれど、それは全て歌になってこの歌集に編まれて
いる。歌として書きとめるのは「私」のことを私から離して描くことだと
思う。それがとても、すごくて、こんなに等身大そのままのようだけど、
こうして言葉にあらわしている、自分への距離感というのがあって、歌は
美しくて。

あとがきにあるように「久々の政治の季節を含んだ歌集でもある」。
私個人的には、政治の季節というものに馴染めないのだけれども、こうして
季節の移ろいや個人の苦しみ日々の暮らしの中に政治の季節を含むのは、
やっぱそれは、さすが道浦さんということなのかなあ。それが歌になるん
だよなあ。それが等身大と感じさせられるんだもんなあ。凄いです。

いくつか、好きな歌。


  鏡台の中に雪降る気配してしばし紅筆とどめて居りつ (p17)

絵のように、でも決して絵では絵が消えない美しい歌。鏡の中の雪の気配。
静謐な空気かん。「紅筆」という道具がとても素敵。私はもう紅筆で口紅を
塗るような化粧を全然しないのだけれども、こういう佇まいにはとても
憧れる。うっとりした。


  しんなりと首垂れているダチュラ もうわたくしはうなだれないの (p37)

  自らの歌読み返し疲れ果つうたは私の影武者である (p43)

  哀しみはからだとこころの折り合いをつける間もなく差し違うこと (p59)

「ダチュラ」の名前のインパクトがある。ちゃんと思い出せなくてぐぐった
けど。チョウセンアサガオね。有毒だって。そういう花と対比して自分が
あること。そして私はもううながだれない、という宣言、でも全部平仮名。
すごく引き裂かれている感じがする。
「影武者」というのも、私であって私ではない、それが自分の歌、で。
影武者って、つまり、命を狙われてるような時にたてるものなのでは、と
思う。次の「差し違うこと」というのも。そういう苦しみとか不安とか覚悟
みたいな所にいる感じが伝わってきて美しかった。


  「シニア左翼」と呼ばれるわでも揺り椅子にくつろぐわれもいずれも私 (p83)

『シニア左翼とは何か』という2016年に出た新書があるようで、それを
お読みになったんですね。(この前の一首にある)その本に実際名前が
出てたのかどうかは知らないですが、「シニア左翼」という自覚を気負いなく
受け止めている感じが大人だ。とはいえ何か思う事もあっての一首かなあ。
そして行動する人だもんなあ。


  水の仙人 水仙一束活けられて湖畔思わす調剤薬局 (p104)

  あんなにも恨んでいたのに昔の人となりたる君は寒の水仙 (p159)

水仙の清らかさ、香、すがすがしさを思う。「調剤薬局」という場所が
湖畔になる、このイメージの展開、腑に落ちる。
「昔の人」になれば恨みある人も水仙の清らかさに思える、という、その、
それはどれほどの時間を経てのことなのだろう。たっぷりとした時間を
感じた。

  スズメ蜂のむくろゆっくり拾い上ぐ完全な死はあたたかきかな (p184)

これも。スズメバチの脅威も死してしまえばあたたかいものになる。拾い
上げるのも怖いけどなあと思うけれど、これは実景、んー実景でもあるの
かもしれないけれど、もっと象徴的な歌かな。何か許しているようだ。


  書き終えて宛名の主を浮かべつつ切手選ぶはひかるよろこび (p228)

これはすなおな喜びの歌と思う。切手という小さなものだけれども、綺麗な
可愛いものが沢山あって、それを相手を思いながら選ぶというのはとても
素敵なことだ。手紙の内容もいいものなのだろう。小さな喜びが、たくさん
ありますように。

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『花桃の木だから』(中川佐和子/角川書店)


『花桃の木だから』(中川佐和子/角川書店)


2017年7月刊。第六歌集。

今、暮らしている日常の中でのひとつひとつを詠んでいる歌集で、すんなりと、
とても率直な歌として受け止めた。
旅行、お仕事かなんか、いろんな所へ行っているなあとか、お子さんが仕事
してるんだなあとか結婚するんだなあとか、お母様のこともご心配ですねとか、
読みながら一つの家族の物語、世界を眺める気がする。

普通の暮らし、といってしまってもいいような世界なのだけれども、しかし
むしろ今「普通の暮らし」って実はものすごくミラクル、ということはわかって
いる。親がいて、子がいて、働いて、結婚して、孫ができて、って。そうそう
順調にいくものばかりじゃない社会になってると思うんだよねえ。少子化とか
晩婚化とかニートとか引き籠りとか。ここに歌われているのが単純に普通に
幸せばかりではないということはもちろんなのだけれども、なんだかとても、
ああこういう普通で、でも普通じゃない大切な日々という感じが素晴らしいなあ
と、ちょっと感動的だった。


いくつか、惹かれた歌。


  炎昼に下草刈りし青年の放心の貌も薔薇園のなか (p39)

お。耽美的雰囲気。多分写実的光景だと思うけれど「青年」「薔薇園」マジック。
素敵です。


  生き延びし恐竜を異なる思いにて勤め人の子と観ておりわれは (p74)

  然(しか)れども家族の靴を玄関に揃えて置けば明日あるごとし (p76)

親子、家族の在り方も子どもの成長によって変化してくるのだろうとわかる。
それでも玄関に靴を揃えておくというささやかなありふれた毎日の行為で、明日
という、本当はあるかどうかなんてわからないものを繋ぐことができるような、
そういう感触が一首になっていてぐっときた。


  地下鉄は退屈である わたくしに宝物ひとつふえる夏日に (p101)

  玄関でおかあさあんとわれを呼ぶ給食袋を忘れたように (p106)

  プーさんを好きであった子どっしりと共に生きると言うひと現る (p109)

  ドアのまえ秘書が社長を待つに似る電子レンジの前にわが夫 (p125)

  育んだわたしに別れる ウエディングケーキに今日はナイフが入って (p142)

子どもが育ち、わが子であることには変わりなくても、別の家庭に、別の立場、
妻とか母とかになっていくことを喜び、そして寂しむ感じがよく伝わってくる。
夫の姿がちょっとコミカルで、でもこんな風になんだかダメなのうちの人って
微笑ましく描かれてる感じはいいなあと思う。料理とか不慣れだけど始めてみた
ってことなのかなあ。


  方代をかたよとルビ振る人のいて方代の歌つくづくと見つ (p180)

山崎方代、ホウダイだよね。なんか不安になって調べちゃった。でもこれやっぱ
知らないとわからないし、まあそもそも人の名前って知らないとわからないし。
でもこういう、自分にとってはとか自分の世界ではあまりにも当たり前だけど
当たり前じゃない、ということを改めて感じる、ふっと立ち止まる瞬間という
のを忘れないことは大事だなあと思う。方代の歌っていうのがまたふわっと
しつつしんみりくる、よく似合う感じだ。


  花桃の木だから母をわれへ子へ次へ百年(ももとせ)継ぎてゆくべし (p202)

歌集のタイトルになっている歌。百年継いでいける木、百年継いで行ける親子、
血筋。「だから」という接続はなんの説明でもないけど、花咲き誇る感じが
明るくて、いいなあと羨ましく素直に降参~って思った歌でした。

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『去年マリエンバートで』(林和清/書肆侃侃房)


『去年マリエンバートで』(林和清/書肆侃侃房)


2017年10月刊。第四歌集。


タイトルはこれ、映画だよね? と思ってあとがきを見るとやはり映画から
もらったようで、曖昧な記憶、みたいな。歌集は特に映画絡みというものでは
なかった気がします。が。わからない。
正直私がこの歌集の世界に乗りきれないというか、読み切れない合わない
すみません私がバカで、という気がして難しかった。
京都の生まれ、今も京都です、というテイストがあるのと、塚本邦雄の名前が
しばしばあったり。「玲瓏」所属の方なのですね。
雑誌掲載などの依頼で短歌とエッセイという感じのもいくつか。様々な趣向を
凝らすことができ、確固とした美意識、歌の世界を作られているんだなあと、
あー、ほんと私の語彙では無理ーみたいなことをひしひしと感じました。

むつかしーと思いつつ、いくつか好きな歌。


  庭先のまるい日向にまどろめる明治を知つてゐるやうな猫 (p13)

これは素直に可愛いと思いました。猫、明治といえば漱石って連想もあるし納得。

  運河から上がりそのまま人の間へまぎれしものの暗い足跡 (p18)

これはクトゥルーみたいだなあ。それはともかく、暗い足跡だけ残した何かが、
人の間に紛れているというのはひやりと怖くて好き。東京の歌一連の中の一首で、
何かそういう暗いものが居る、ある、という社会詠的要素もあるのかも。


  さくらばなひとつびとつは蔵でありむかしのひとの名前を蔵(しま)ふ (p36)

桜といういかにも儚いものが名前をしまう蔵であるという見立てが面白いと思った。
春、桜、散りおしむものだけれども、桜は繰り返し咲くもので、儚くも永遠を
内包してるかもしれない。美しいです。


  足音に呼応して寄る鯉たちの水面にぶらさがるくちくち (p61)

池の鯉が餌をもらいなれていて、ぱくぱくと群れてくるのは不気味で怖いと思う。
そういうのがすごくよく見える一首で、「水面にぶらさがるくちくち」という
表現が面白いし上手い。


  ブランコを漕ぐといふ語のさみしくてどこの岸へもたどりつけぬ (p104)

ああ、漕ぐというと、船を漕ぐとか自転車を漕ぐとかということがあるけど、
ブランコは何処へも行かず同じ場所にいるんだなあと、改めて思わせられた歌。
ブランコ、鞦韆というもののさびしさのわけを一つ教えてもらった気がする。

そんなこんなも全然歌集として読みこなせなくて私ダメだなあ。うーん。
まあ合わないんだなあ。

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『ライナスの毛布』(高田ほのか/書肆侃侃房)


『ライナスの毛布』(高田ほのか/書肆侃侃房)


2017年9月刊行。
第一歌集、ってことでいいのかな。違うかも? カルチャー教室の講師として
とてもご活躍されているようです。

最初に「メリーゴーゴーラウンド」という連作があり、登場人物というか、
ミカ。ユウ、シュウという三人の、三角関係、ってほどでもないけどまあ、
彼彼女らの恋物語ですという連作なんですね。ミカちゃんは新人ちゃんで
主任のシュウに恋してる。シュウはユウとつきあってるけどちょっとそろそろ
もう駄目かもみたいな所。で、ミカは主任をゲットしたらそれで満足して
次いってもいいかなーみたいな。みたいな? どうかな。歌なので殊更な
説明はなく、こういう風にそれぞれの恋があるのね、と、わかりやすくわかる
のは、上手いんだなと思う。

思う、んだけれども、私が個人的問題として、まーそのこういう、まあ特に
ミカのキャラ、いかにも女の子女の子してるような言葉遣いとかが、まあ勿論
歌物語でわかりやすくってことでシンプルにわかりやすくしてるんでしょうが、
こーゆーのにあまり心惹かれないので、ふーん、という感じで読んでおわり。
もちろんヘテロと思わずに全員男って妄想してもいいんだけど、いやそれに
してもあんまり心惹かれるキャラを想起できなかった。私の好みの問題として、
ちょっとなーという所でした。

少女漫画の短歌化というのも、なるほどと思って読みましたが。
あげられているタイトルの漫画を知らなくてもいいと思うし読めるけれども、
でもやっぱりそう明記がある以上はちょっと、敷居が高いと思う。
作品が読者を選ぶタイプの歌集なんだなあと思った。そして私はあんまりこの
歌集の読者にはなれないなあ。
作者はどうやら りぼん から、別マへ、というルートの少女漫画世界である
ようで、私は なかよし から、LaLa、そしてJUNE、オタク方面のルートなので、
やっぱりあんまり、向いてない読者なんだろうな。

Ⅱ部のほうは多分少女漫画というよりはもうちょっとリアル世界に近いかな。
でもこれ作者と思って読むものでもないのかなあと思ったり。少女漫画の世界の
少女、女の子が、少しずつ成長してある、という感じかなあと。

表紙からして、とてもとても可愛くて素敵な本です。黒ベースの背景、
大きな犬?狼?に包まれて眠っている三つ編みの女の子。この女の子の世界、
という一冊かと思いました。


いくつか、好きな歌。

  りぼんから別マに移る春のなか膨らまないよううつ伏せ寝する (p52)

この成長してしまう感じが少し嫌、でも少し期待、という感じがあるなあ、と。
膨らむのは自分の体、胸みたいなことと、期待とか不安とか心の問題と、たぶん
両方で、それを抑え込んでしまいたい感じ。春なのだ。


  深呼吸できる書店がなくなってチロルを添えるローソンのレジ (p54)

いつもわくわくとマンガや本を買っていた自分にとっての大事な場所である書店
がなくなって、ああコンビニになってしまったんだなとすんなりわかる。町の
個人経営の本屋さんだったのだろう。そういうの、ほんと潰れてしまって、という
社会詠な一面もあって。私も昔通っていた本屋さんとかなくなったよなあという
実感を持って受け取りました。


  いまだけはむつかしいこといわないでぜんぶひらがなではなしをしよう? (p68)

ぜんぶひらがなしかヤダ、という気分になる時ってとてもわかるー。


  衣替えごとにあかるい服を捨てイチゴのパフェをあきらめてゆく (p72)

あきらめていかなくちゃいけない気になる、そういう思春期すぎての若い頃の
感じもとても、よく伝わる。でもほんとは諦めなくていいのにね。なかなか
そう気づく、思う、諦めるのをやめるっていうのも、難しいんだよなあ。 


  ”ごっこ”ではいつも悪役 妹に倒され聞いたカナカナの声 (p78)

優しい、いい子なお姉さんです。ちゃんとお姉さんでいることを引き受けてる。
引き受けてるけど、あーなんだかなあと思うのであろうカナカナの声の中の
感じがとてもいい。


  突然にながくなりたる祖母の名に生きた証の一字をさがす (p93)

祖母が亡くなり戒名がつけられる。その、突然な変化に戸惑う感じが腑に落ちる。


  過去になる名字に朱色が染み渡る 戻れないことは幸せなこと (p100)

結婚する、してく、そういう中の一首。こんなに甘やかに結婚を歌うんだなあと
感動的でした。名字が変わる手続きの面倒さ。「戻れない」ことは上区の感触
としてはそうただ幸せなだけでもない感じがするんだけれども、結句では
「幸せなこと」と規定している。そういう決意なんだなと思って素敵でした。


  お揃いのショーツはいかがでしょうか? こちら、おリボン結びなんですよ (p113)

ブラを買いに行くシーンが歌の一連になってて可愛かった。「おリボン結び」
って店員さんが実際に言ったんだろうなあ、言ってて欲しい。「お」がついて
るの。可愛い。おもしろかわいい。

とても甘やかな世界、でも背後には少し切ないを秘めている、そういう歌の
世界を作り上げまとめ上げた歌集で、きれいにつくっていて凄かったです。

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映画「パディントン 2」


*ネタバレ、結末まで触れています。


映画「パディントン 2」


20日(土曜日)に見に行きました。字幕で。
字幕での上映がされてない地域があったりもあるようで。なんでそうなるかなあ。
もちろん吹替えもよいのだけれども、せっかくウィショーくんがパディントン
なのに。それ聞きたいでしょう。素敵なファミリームービーだけど小さい子ども
だけにむけたものではないよー。悪いヤツ、ヒュー・グラントだよ。英国男子
ブーム初期にもえころげたおとながホイホイされていくじゃん~~。勿体ない;;

さて。
始まりはルーシーおばさんに子グマなパディントンが助けられるシーン。
来月にはロンドンへ旅立とうと話していたおばさんとおじさんだったけれど、
濁流の川に流されている子グマを助けて、育てることにしたのね。
パディントンがおばさんっていうのはこういうことだったのかあ。
濁流の川へ、ためらいなくおばさんは身を投げ出すの。ただただ子どもを助け
なくちゃ、という、大人の行動なんだよねえ。

前作ですっかりブラウン一家のうちの子になったパディントン。相変わらず
お隣さんには警戒されてるけど、街のみんなとはすっかり仲良しになっていて、
パディントンの存在が街のみんなの、ささやかだけど大事なものになっている
ということがすっとわかる。
素敵な街。すてきな人達。素敵な暮らし。
ルーシーおばさんがもうすぐ100歳の誕生日を迎えるので、何か特別な贈り物
をしたいと思うパディントン。アンティークショップに持ち込まれた品物の中の
飛び出す絵本を見つける。それはロンドンの名所をめぐる絵本。ロンドンを
いつか見たいと願っていたおばさんへのプレゼントにぴったり!
でもその絵本は世界に一つしかない手づくりのもの。高い。
よーし働いてお金を貯めるからとっておいてください! と、アルバイトを
始めるパディントン~。

も~~ほんっと、パディントの動きの全てが可愛らしくてたまんないんだよね。
そしてしっかりジェントルマン。でもちょいちょい獣なんだよねー。
パディントンはロンドンの理想を抱いていて、でも獣であるという、異質な
存在であることをちゃんと保っているのがとても好き。
大英帝国様であるところ、その中心、ロンドン。世界中からたくさんの人が来て、
沢山の異文化があって、それでも紳士であれという体面みたいなのがあって。
私は外国経験がないので実感なんかはわからないけれども、ああいう大都市、
ああいう異人種間の混沌って、いろんな軋轢をうんで、世界中で問題なんだと
思う。そこで、クマですよ。子グマですよ。礼儀正しく、親切に、イノセントな
存在であるクマが、いて、人を信じているならば、みんなも礼儀正しく親切に、
友達になれるよ、という。ものすごいファンタジーなんですよねえ。
悪い人も信じられない人もいるけど、血のつながりなくても異人種であっても、
友達になれるよ、家族になれるよ。という、ほんっと最高の理想の世界なの。
それをさあ、こんなに可愛く楽しく可笑しく面白く、感動させてくれる映画に
つくりだしているんだよなあ。すっごい!

プレゼントにしたいその絵本は、実は宝の隠し場所へのヒントを記したものだった。
本を作った移動遊園地の創設者はサーカスの花形で、山のように高価な贈り物
もらってたのを、どこかへ隠した、と。
それを知っていたブキャナン、落ち目の俳優、おじいさんがそのサーカスの
マジシャンだったので秘密を知ってたブキャナンが、絵本を奪う。
たまたまその現場を見たパディントンがおっかけるけど、逃げられて、パディントン
が犯人として捕まってしまう。
パディントンの無実をはらそうとブラウンさん一家が駆け回ってくれる。
ブキャナンは宝の秘密を解き明かしていく。

さっすがテンポよくて、めちゃめちゃ楽しい。
パディントンが刑務所の中でやらかしつつも、仲間が増えて刑務所がなんだか
楽しいところになっていくとか。
ヒュー・グラントがさあ~~~。すごいアホ臭く胡散臭く、一人であれこれ
変装してひとり舞台続けてるのも最高。過去の栄光を飾ってる屋根裏部屋に、
若い頃の写真もいっぱいあってちらっとだけ映ったのだけど、ああああもおお~
最高でしょ嗚呼なんて美しいって震えるね。だって~ヒュー・グラントだもの;;

いろいろなドタバタあって、おっかけ追いつめ。
パディントンが列車ごと川に落ちてしまったらママが躊躇なく飛び込んでいくの。
ああ。また助けられるんだね。助けてくれる人がいる。家族なんだよね。
そこで、でも、扉が開かない、って水中で絶望的になる。あーこれって
007のカジノロワイヤルじゃない? まあ、別によくあるシーンではある
けれども。前作でもちょっと007かな~みたいなとこあったりしたよな。雪の
中のおっかけっこだっけ。やっぱ、いろんなパロディ的なウィンクもあるかと
思う。列車の屋根での追っかけっこも。スパイ映画みんな好きだよねえ。うんうん。

一度は裏切られたと思った刑務所友達が、やっぱりきてくれて助かった。
よかったよ~~;;
脱獄した彼らは、戻ったら捕まって前よりもっと大変なことになる。それでも、
パディントンと友達だ、ってところに着地したんだなあ。素晴らしい;;

パディントンが目をさますと、ブラウン家の、ベッド。ホーム。パディントンの
ロンドンのホーム。家族。
ほっとして、でもおばさんへのプレゼントができない、ってしょんぼりする
パディントンに、街のみんなからの親切がある。
ルーシーおばさんにロンドンを見せたかった、今の僕を見せたいな、という
のがパディントンのしたかったプレゼント。だったら、本物のロンドンを見せれば
いいんじゃない?
って、大佐が空軍のコネを使ったよとかって、ルーシーおばさんが、来たの。
パディントンとおばさんとのハグで、終り。
ふあーー
すごいよかった。
ベタだろーとなんだろーとこの可愛さ、愛しさに泣かずにはいられない;;
とってもとってもよかったよお~~;;

映画館の客席全体の一体感がすごかった。これはさすがに。みんながパディントン
可愛い~ってなっちゃってたし、パディントンが裏切られたとか忘れられたら
どうしよう、とか、辛くなってしょんぼりしちゃう姿を見ると、ほんっとに
客席全部が、ああ~大丈夫、大丈夫、かわいそうに、パディントン、大丈夫~
ってみんながパディントン抱きしめるよ、って感じになってるのがわかった。
ほんとこれ映画館で見てしあわせな瞬間だったなあ。すごい映画だ。

エンドロールでは、捕まったブキャナンが刑務所で、ミュージカル演じてたw
さすがwwww
その可愛さも胡散臭さアホ臭さも本当にまたもう最高で、ヒュー・グラント~!
すっごいわ。楽しかった。あの刑務所は新入りに影響されすぎなのでは。あそこ
いい刑務所すぎるでしょ。

ものすごい理想と夢のファンタジー映画だけれども、嫌味なく可愛く楽しく
面白く丁寧に、こんなにテンポよくわかりやすく、ちゃんと作り込んたお話で、
素晴らしい。見終わってすごいしあわせな気分をくれる映画。少しだけいい人に
なろう、なれるかも、って思える映画。よかった。
ウィショーくん可愛すぎる~。とてもとてもよかった。

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『やはらかい水』(谷とも子/現代短歌社)


『やはらかい水』(谷とも子/現代短歌社)


第一歌集。
2017年8月刊行。

山登りをよくされているのかな。そういう自然の中の歌と、街で暮らしていることと、
対比があってじっくり沁み込んでくる歌集でした。ゆったりとした調べというか、
一首の中の時間がふわあっと滲んでいるようで、とても美しい。
作者のことは知らないのだけれども、こういう風に生きている人の時間、と
いう感じが伝わってきてとても好きでした。
薄くした木の栞がついていたの。すごい素敵。

好きな歌、と付箋はってるとどれもこれもつけたくなるのでなんとか減らして
いくつか、好きな歌。


  山蕗のまだやはいうちを摘みとつてうれしいこんなに指がよごれて (p10)

  泥にゆつと踏んづけ踏んづけ行くうちに足はずいぶん浮かぶ喜ぶ (p11)

美しい自然の歌、といってしまうとさらさら綺麗なもののように思うけれども、
公園で日向ぼっことかお庭を眺めてお茶を一服、というものではなくて、この
作者の歌は自分が山へ森へ、樹々の中へ分け入っていく、というものですね。
山菜をとる。泥を踏む。手も足も汚れて、そのよごれを喜ぶ気持ち。そういう
気持ちになれる人が山へゆくのだなあと思う。この緑の匂い、湿りの実感を
感じさせてくれる歌がたくさんあって、そう、よごれるけれども喜びである、
ほどけていく気持ちよさが歌になっていて、とても好き。


  こころよりからだ疲れて眠るときごく当たり前に夜はひろがる (p15)

「ごく当たり前」な夜というのは、森から帰ってきて体が疲れてすうっと眠れる
心地よさなんだなと思う。でもこれは反面、こころの方が疲れてでも眠れない、
当たり前じゃない夜がしばしばあるということだと思う。ままならないね。


  本の帯ちぎれちぎれに押し込んだときのわたしのぎちぎちのまま (p20)

この「ぎちぎち」の感じがひしひしと伝わってきて辛い歌。本の帯ちぎれてるんだ。
それ、押し込んでるんだ。私は書店員をそこそこ長くしていたのだけど、その
自分のことを思った。生活していくのって辛い。


  腕時計忘れてしまふ脱力のひだりひだりへ傾ぐわたくし (p38)

ちょっと読み切れない歌なのだけれども惹かれた一首。脱力していると左へ傾いで
しまう「わたくし」。腕時計をしてきちんとして気をはっている時には傾いで
しまったりはしないように自分を保っているのかなと思う。読み切れない、
わかんないと思うものの、なんかこれわかる、という気がしてしまって好き。


  <土が白く乾ききるまで>鉢植ゑの植物界の水のさびしさ (p44)

地面とは繋がらない限られた鉢植えの中。<土が白く乾ききるまで>というのは
育て方の説明か何かの言葉だろうと思う。「水はここまで」という一連の中の歌。
鉢植えの中であろうと世界にしあわせはあると思う。でも、その「植物界」を
さびしく見る作者の視線の在り方が、作者の存在を思わせてぐっときました。


  おさかなの炊いたんにしよ。ふたりして夕焼けながく歩いたのちに (p84)

「炊いたん」というのがとてもよくて好きな歌。お魚とか、白菜とかご飯とか、
炊いたんのごはんにはとっても親しみがある。長く歩いた散歩はふんわりした
心地におちついてうちへ帰るのだな、一緒にご飯食べるんだなと思った。可愛い。


  山全体を雨つつむときわたくしは肉をもたない水の細胞 (p105)

  汗ざんざんと身体濃くして急坂を酸つぱい匂ひさせつつ登り (p108)

山の中にいるときに雨だと実に不快なのでは。と私は思ってしまうけれど、
そういう時にはただもう仕方ないんだなあと思う。山の雨と一体になるしかなく、
それは殊更に雨に濡れるのが厭だとかいうところを超えるんだろうな。
「わたくし」はもう私ではなく人でなく、かろうじて細胞膜だけはあるくらいな
感じに世界にとける。
そして雨ではなく自分がかいた汗の匂いに包まれる時、ひとり濃くなるという
感じ。こういう身体の感覚とてもすごくて、それがとてもふわりとうたわれて
いて、かっこいいです。


  道よりもなほ暗がりの家につき怒声のやうな冷たい鍵を (p139)

帰りついた家がちっとも安らぎの場所という気がしない。つらい。こういう時も
あるよなあと、深く感じ入りました。


全体読み通すと、袋 が出てくる歌が多かったような印象。袋。空っぽ。
そういうものを見ている感じていることが多いのかな。
山、自然のこと、家族のこと。生きている日々を感じる歌集でした。

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『スウィート・ホーム』(西田政史/書肆侃侃房)


『スウィート・ホーム』(西田政史/書肆侃侃房)

2017年8月刊行。
著者第二歌集。

私は著者のことを不勉強にして知らなくて初めて読みました。解説、あとがき
等をみて、へえ、ニューウェーブな人なのかあと思って読んだのですが。
ええとー。
正直いって、なるほど、ニューウェーブな感じがする、ような、気がするなるほど。
と思ったのですが、ニューウェーブとは何かということが私にちゃんとわかって
いるわけはなく。なんとなくニューウェーブってあんなそんなこんな感じという
イメージが曖昧にあるだけです。
解説で「ニューウェーブ歌人」だとあったり、「ニューウェーブのエッセンス」
とか「ニューウェーブ以降一貫したモチーフ」とかある感じは、なんか、わかる
気がする。
読みながら、ああなんかこういう感じあったなあと、凄く思う。
すごくっていうほど私は短歌読んできてないしわかってない知らないんだけど、
あーこういう感じなあ。わかる、気がする。と、思う。
ちょっと外した取り合わせとか、不意に明るい唐突さとか。宇宙とか星とか。
性欲をドライな感じで扱ってる風の装いとか。かっこよさそうな道具立て、言葉。
ちょっとサブカル。うーん。なんか、その、なんかそういう感じ。
そして多分ニューウェーブって注目集めたりの80年代、90年代くらい?
その頃には新風でかっこよくて、って感じだったのだろう、と、思うこと。
私はそれ多分落ちついたあとに短歌に興味持ったので、たんにイメージです。

こういう感じ、かっこいいし上手いなあと思いながら、読んだんだけど、
でも、なー。ちょっと、今の私にはもう無理。。。今の私の好みには全然
合わないなあと、つくづく思ったのでした。かっこよさそうな気はする。
ニューウェーブっぽいような気はする。でも今の私は全然好きになれる所がない。
むしろ気持ち悪く思ったりした。私には向いてない歌集だったなあ。


  世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱へて待てり (巻頭)

巻頭のこの一首はかっこいいなと思いました。


  きみが涙を拭ふあひだも日本はキリンのやうに佇んでゐる (p40)

  朝のカレーにのせる半熟たまごとかたまに唄つてゐる校歌とか (p50)

  さらば地球よさらばカナリア色の陽よぼくらは愛し殺し悲しむ (p98)

こういう、↑、こういう、その、こういう感じが、読みながら、うーん~~~~
ちょっと私には無理~~~となりました。
なんだかステキそうな感じはする、するんだけど、なんか、うーん。
私には向いてない歌集なんだなあと。私にはわからないんだなあと。思いました。

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『白猫倶楽部』(紀野恵/書肆侃侃房)


『白猫倶楽部』(紀野恵/書肆侃侃房)


2017年7月刊行。現代歌人シリーズ16。
紀野さんの、第何歌集なんだろう。数えないけど。

まずタイトルからして惹かれた。猫~。猫の歌いっぱいなのかなあとわくわく。
猫の歌もたくさんありましたが、当然そればかりというわけではないですよね。
紀野さんの歌、読めない。。。と、私が勝手に身構えてしまうんだけれども、
読んでみれば殊更に難解なわけではなく。
といっても、私がさらっとざっくりとしか眺められずに全然読めてないのかも、
と思ってしまう。。。なんていうか、紀野恵、レジェンドすぎて無理、って
私が勝手に思ってしまうんだなあ。でもまあちゃんと読めなくても仕方ない。
まあいっか。
と、うっ、と随所で圧倒されながらもさくさくと読んでみた。
壮大だったり歴史の時空がほいほい出てくるようだったり、いや、えーと。
文学だったり。多分私が全然、背後のものを読み取れてないんだろうなーと。
うっ。
でもまあいっか、と、とにかく読んでみた。

読めばやっぱりぐわっと世界が広い壮大さを感じる。調べのうつくしさを感じる。
圧倒的な美。ほわっと軽やかなおかしみも感じる。自在だなあと思う。
歌をつくろうということに作者は無理を全然してないんじゃないかなあと思う。
なんで、こんなに圧倒的にうつくしくて、なのにさらさらと歌えるのかなあ。

「水の変容」の中、詩のような? ところがあったり。んん~。読めない。
水とひかりのイメージ。かなあ。

いくつか、すきな歌。


  複合の鍵(きい)を押す我が(はたりはたり)ひとのかたちに戻るゆふぐれ
  p37

「詩・唐・王維」ってあるからなんか下敷きにしてるのがあるのか。私には
わからないのですが。。。鍵に「きい」のルビ。(はたりはたり)はそのまま。
「ひとのかたちに戻るゆふぐれ」というのがぐっときた。


  響もして過ぐる夕立しろねこの脈とわが脈まじはつてゐる p49

「響もす」って「どよもす」だよね。昔昔小説で読んだことある単語だけど、
絶対自分じゃ使えない日本語。。。と思って印象に残ってるんだけど、こう歌に
使われたりするんですね。と、ぐっときた。
急な夕立の音に驚きじっとともに耳をすましているような、しろねこと作者の
姿を思う。猫といっしょに暮らしてるっていいなあ。


  銀河はいちまいの布穿たれし穴が星ぞと思へば軽しも p51
  
  白い花降らせてみよう誰も居ぬ前庭に地に地球のうへに p70

こう、やすやすと、視界が宇宙規模になるのがほんともう凄い。なんで。
大滝さんもこんな感じあるなあと思うんだけど、やすやすと宇宙規模の把握が
ある感じを持てる女神な感じがある歌人って。なんでかなあ。宇宙ーって思う
のに軽やかでもちろん美しくて好きな歌。


  あひて別れ別れてはあひ水を綯(な)ひつひには君と滝を得(え)去らぬ p93

これ、とても、とてもとても好き。うつくしい。濃密な相聞と思う。好き。好き~。

  雪降らば雪の重みに月照らば光撓ませいささ群竹 p107

物凄く美しい。これぞ短歌って感じがする。完璧な美。うっとり。。。


  この星を出づる術なく我が居りし紫禁城さへ夕焼けてをる p114

  人民になるといふのは白菜を籠に抱へて歩めばよいか? p118

  ふつうとは違ふ誰でもさう思う天になつたり人になつたり p119

「皇帝と猫」という一連の中から。ラストエンペラーモチーフですか。
皇帝の気持ちになって詠えるかーと、思う。すごい。そしてやっぱりそういう
視点で詠むか??? と、なんか不思議な気持ちになる一連で好きだった。

  白猫が半眼をつむる 淡雪が中天流る 早や春が来る p126

  とことことわたしの猫があんぜんに歩いて暮らす まあよいでせう p128

猫のかわいさを思う。愛しさを思う。猫の姿が見える。春が来ることを思う。
二首目、ほんとうにふんわりとやさしい歌でとても好きです。猫も、わたしも、
あなたも、せかいも、あんぜんに歩いて暮らしていけたらいいのに。あんぜんに
歩いて暮らせたら、だいたいまあよいよね。

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映画「バーフバリ 王の凱旋」

*ネタバレ、結末まで触れています。


映画「バーフバリ 王の凱旋」


「バーフバリ 伝説誕生」の続き、完結編。私は最初のを見逃してしまってたので
見る予定じゃなかったんだけど、見た人たちの評判がよさそうで、なんか、
凄そうで気になってしまって、昨日、アマゾンビデオで「伝説の誕生」をまずは
見てみた。

すごい。とても、凄い!!!!!
えーと、なんか、赤ん坊を抱いた女の人が追われてて、川で立ち往生しちゃって、
神に自分の命は差し出すが赤ん坊を助けよ!って、川で溺死するけど、手だけは
赤ちゃんを高く持ち上げてて、赤ちゃんは村の人に助けられてそして女の人は
流れ去っていく。。。という始まりからしてもうただものじゃない感じ満々。

赤ん坊は無事立派な青年に成長し、滝の上を見てみたい、って、滝の崖を登って
みる日々。

ってもう、話書いてたら終わらない。男の子は実は王子様。王国はいろいろあって
今は暴君に治められている。その暴君は母と父の仇なのだー。男の子、バーフバリの
両親を知る奴隷で剣士のカッタッパが昔語りを始める。
で、素晴らしい人物だった父の生い立ちを聞く。その父の死はなんと裏切り、
そのカッタッパのせいだったー、何ーーっ!?
ってところで前作は終わったの。何だとーっ、ってすっごい気になる!海外ドラマ
かよ!!! で、もちろんまんまと、早速この「王の凱旋」見にいってきた。


はじまりに、前回のあらすじというか紹介というかがしっかりあって、昨日見た
ばかりなのに、ほほう、そういう話だっけか~、と、よくわかる感じ。つーか
見てる最中は壮大なかっこよさにくらくらするので、改めてきちんとあらすじ
紹介聞くと、へーなるほどーってよくわかって助かるね。

で。えーと、父のほうのバーフバリが、いかに立派に育って。王妃と出会い、
恋をして、国母たるシヴァガミとの仲がうまくいかなくなり。云々。
兄弟として育ったバラーラデーヴァの、バーフバリのほうが立派すぎて歪んじゃったり
するのとかもえるわー。でも残酷~。
デーヴァセーナめっちゃかっこいい王妃様~!強い!凄い強い!そして美しい!
素晴らしい~!
嗚呼~カッタッパ~~;; 奴隷とか身分みたいなのもほんと辛いしそういうのも
すごい。
結局最後にはめでたしめでたしになるけど、でもね。さすが。シヴァ神。
破壊神だよね? やっぱり、敵、仇を絶対許さない。ぶっ殺す切り殺す首刎ねる
焼き殺すよねー。でも殺されて当然だしねー。


バーフバリと王妃の、二人のラブラブ船の旅、白鳥モチーフの帆船で、ロマンチック
すぎて凄い。
これ、でもこれ、宝塚ならいける! そうだなー。このかっこよさうつくしさの
塊でくる感じ、宝塚とか歌舞伎と通じる気がするわ。素晴らしい。

異世界ファンタジーみたい。古代インド風味。で、ほんっと、ほんっっっとに、
すごい、画面隅々まで濃厚にかっこいい。
キメの画面の神がかり的かっこよさったらもーーーっ!!!!!
実写でこんなにすごいかっこいいの、すごい。

まだ女性をモノのように扱ったり意志とか無視されまくったりしてる世界は
リアルにもあって、でも、この映画ではすごく強く美しい女性がいて、不埒な
男は許さないとかあって、異世界ファンタジーみたいで古代みたいで、でも
今の映画なんだなあ。

すごいもう、かっこいいかっこいいって満足して漫喫して、楽しかった。
ほんとはもっと歌ったり踊ったりのシーンがあればいいのに。本国とは違う?
ダンスシーンとかカットがあるのかなあ。もっと見たいよう。
ともあれ脳がやられる。すごい。さすがインド映画。壮大さが凄すぎる。
バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!

もーあまりにかっこよさの塊すぎて何も言えない。見に行ってよかったー。

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2017年まとめ


2017年まとめというか覚書。

この日記ブログに書いてたものを数えてみたところ、本は50冊、映画は63本
でした。映画は映画館で見たぶんだけかな。複数回行ったのもあったなあ。
テレビで見たり海外ドラマもちょっとは見たり、と、映像作品についてももっと
ちゃんとメモっといたほうがいいかなあ。記憶が。。。

もう全然本を読めていない、と思ってたけど、50に届いてた。もっと少ないかと
思ってた。それでもほんっと読んでなくて愕然とするね。
6月に歌集をどんどん読んでましたね。他は月に3冊前後だった。
そーいやフォーサイス読んだんだったな。あと「混沌の叫び」読んでよかった。
映画待ち遠しい。

映画は、そっかードクターストレンジだ、とか、コンサルタントも去年だったのね
とか。いい映画いっぱい見たな~。楽しい。
いろいろと、見たことは覚えているけど、それがいつだったか、というのがもう
ほんと記憶できてない。
日記ブログ、ちゃんと真面目に書いていこう。ブログ書き続けてきてよかった。
ホント何より自分のために役立つ~。

今年もいろいろと楽しみます。

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映画「キングスマン ゴールデン・サークル」


*ネタバレ、結末まで触れています。


映画「キングスマン ゴールデン・サークル」


IMAXで。やっと見に行けた。

前作ではハリー、頭撃たれたじゃん? 予告では復活してるーって知ってから、
あれからどう生きてたことにするのか双子なのか別人なのかいやそうじゃない
やっぱ本人かとか、まー、いろいろ待つのが長かったですね。。。


始まりは、すっかり立派にかっこよくスーツ着こなすエグジー。そこに現れた
敵は、チャーリーだった。キングスマン候補生として失格になった彼も実は
生きていたのかーっ。で、もう、始まった途端に凄いアクション。かっこいい!
チャーリーはゴールデン・サークルという麻薬組織の一員になっていた。
ポピーという組織のボスは大金持ちなのに隠れていなくちゃいけないのがご不満。
麻薬を合法にしろ、と大統領を脅迫するために毒入り麻薬売って、認めれば
解毒剤配るわよ、って感じ。
あらかじめ、計画の邪魔になりそうなキングスマンを潰そうとして攻撃、爆撃。
ロキシーやJB、基地を失い、危機に陥ったエグジーとマーリンはステイツマンと
いうヒントに従って、アメリカへ渡った。
そこには、英国と従弟だという組織、ステイツマンがあった。

まーそんなこんなで、麻薬組織をぶっ潰してまた世界を救うのね。

そしてハリー。
ハリーは、あの教会の騒ぎの直後、ステイツマンに助けられていた、と。
脳の損傷は回復したものの記憶喪失と若年退行があって、鱗翅目学者だっけ、
蝶の研究をするんだ、ってなってる。マーリンによると軍人になる前のハリーの
希望の道だったんだって。
そのさー、記憶喪失で、ジャージでゆるふわ~で蝶の絵を描いた白い部屋にいる
ハリーが、もう、可愛いったらありゃしない。マーリンやエグジーのことが
わからない、ただのおじさん、の顔してるハリー。コリン・ファース凄い;;

何かトラウマものの目に合わせれば記憶再起動できるかも、ってんで、マーリンは
キングスマン試験の時の部屋で水責めのやつやるんだけど、それではダメで。
記憶喪失のままかーってがっくり。
エグジーが、俺を標本にしろよあんたが芋虫から綺麗な蝶にした、みたいなことを
言って!ハリーにせまるの~たまらん~かっこいい~きゃ~~。
で、エグジーが、犬を撃つところを、再現しようと思いついて、パニックに
なったハリーは記憶を取り戻す。
も~~~。エグジーに追いつめられてくハリー最高じゃん。そんで、自分を
取り戻したハリーになったら、あのゆるふわジャージおじさんだったのに、
ちゃんとハリー・ハートになるの。さすが。かっこいいーっ;;

でもなかなか本調子にはいかなくて、マナーメイクスマンでも決まらないし。
蝶の幻視に悩まされたりして。

でもでも最後にはエグジーとの共闘!さいこーにかっこいい~~~!!!!!
これ、こういうの、見たかったっ
そういう、こういうの見たかったって妄想が、公式で~~っと萌えころげて
しまう。最高;;

まーエグジーは前作で助けた王女さまと付き合って無事結婚までいって。
その付き添う父の役がハりーでさー。またも~盛装したハリーがしぬほかっこいい
でしょ。たまらん。

マーリンが、エージェントとして三人でポピーの本拠地に乗り込むんだけど、
その手前で地雷踏んじゃったエグジーを助けて、敵をひきつけて爆死、って;;
あの、その時にカントリーロード歌ってて。ああああなんか立て続けにこの歌に
泣かされる;;
でも、その決意をしたマーリンの心を知って、誇りに思う、と敬礼したハリー;;
こ、これ、うう、ビルジムって個人的に泣いてしまった。
コリン・ファースとマーク・ストロングずるいだろ;;
でもでも、ほんと、ほんとにマーリン死んじゃった? なんか別バージョンと
いうか、編集段階ではマーリンが生き延びてて足はなくしたけどちゃんと
エグジーの結婚式にも参列とかも撮られてたとかなんとか。それでいいじゃん。
ロキシーでも思ったけど、そんな、重要キャラだと思ってた人が、そんな雑に
死んだことになるの、けっこうショックー。

まあ、前作でも思ったけど、だいぶ、なんか、うーん、あんま好きになれない
所も多々あるよなあと思う。
でもかっこいいシーンのかっこよさがほんっとにかっこよすぎて、ああああ~
この厨二心を刺激しまくるのがたまらんってなって、好きっていうしかない;;
場面場面の凄さを愛せばいいか。

あとゴージャスおまけというかおやつというか、エルトン・ジョン!
ド派手で、実は強いみたいなのもありで、遊んでるな~楽しかったのかな~って
思って楽しかった。

ステイツマンもね、ほんとはチャニング・テイタムがもっと活躍あるのかと
思ってた。ちょっと寂しい。ダンスはちょこっとだけ見られたぞ。
ラスト的には彼はイギリスで今後活躍するのかなあ? これ、シリーズまだ
続けるんだっけ。噂だけだっけ。決まってるんだっけ。キャラは変わるのかな。
わかんないけど。ん~。マーリン復活して欲しい~。チャニング・テイタムが
また出て今度こそ活躍いっぱいしてほしいなあ。どうかなあ。

見に行って満足~。これでネタバレに怯えなくてすむ。
コリン・ファースのかっこよさ満喫できてしあわせでした。

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