« 映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」 | Main | 『瀬戸際レモン』(蒼井杏/書肆侃侃房) »

『新装版 桜森』(河野裕子/蒼土舎/ショパン)


『新装版 桜森』(河野裕子/蒼土舎/ショパン)


河野裕子第三歌集。昭和55年(1980年)に出たもので、この新装版は2011年に
出たもの。
河野裕子、1946-2010。作者30代始め頃の歌集ですか。
私は不勉強にしてお名前といくつか有名な歌くらいしか知らなくてちゃんと歌集と
して読むのはこれが初めてです。

一読しての印象は、濃密な歌集。
沢山の「われ」が歌われていて、どれもがずしっと絡みついてくる気がする。
重力が重い、本当は月の住人なので地球の重力がつらい、水に溺れる、人間の
肉体にうまく馴染めない、でもこのわたしの身体に、私の男に、愛憎愛着は
たっぷりとある。
そんな感じがした。
写実的なようであり、でも常にはるばると遠く深い幻想が重なっている。
一首一首、とてもさらりとは読み流せない迫力があった。


  たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり(p8)

これ、とても有名なやつですね。この歌集の巻頭の歌だったのか。
作者自身が近江の地すべてを抱いている壮大さを感じる。昏き器だもんなあ。凄い。

  われはわれを産みしならずやかの太初吾を生せし海身裡に揺らぐ
   (p21、ルビ「太初はじめ」「吾あ」「生な」)
  花や藁乾きてゆける陽の下に血の壺のやうに重たきわれは(p25)
  地に直に触れゐる部分のやはらかさ裸足といふこと私といふこと
   (p30、ルビ「直ぢか」)
  この髪膚われを包みてわれとなすこのぐにやぐにやの湯の底のわれ(p31)
  ちちははも君も子も重し月あらぬ湯の底のわれ更にも重し(p109)
  登りても登りてもなほ坂は坂われみづからを灼く血が苦し(p114)
  肉が肉押しわけてゐる雑踏にどつとかなしきわが乳房なる(p124)
  ほしいまま雨に打たせし髪匂ふ誰のものにもあらざり今も(p164)
  ざつくりと朝より裂けてゐる空に肩さし入れて朝より憂鬱(p204)

いくつか、われの身体感覚の歌。自分が自分を産んだかも、太初の海を自分の裡に
あるという感覚。重たく血が詰まった器である自分。髪や肌の歌もたくさんあって、
愛着はあるけれどもただ綺麗なものっていうのじゃなくて、自分を閉じ込める
肉体、という憎悪も秘められている気がして、苦しい。この、苦しさ、でも
苦しさばかりでもなくて、愛着。こういうあやうさが魅力なんだろうなあ。
わたしはとてもこわい。こういう愛着には圧倒されるしかない。

今、読むと、作者が乳がんを患って亡くなられたということも知っているので、
どうしてもそのことを思ってしまう。
そういう病にこんな愛着持っていた自分の身体が奪われていくのって、すさまじい
ことであったろうと思う。晩年の歌集はまだ読んでいないけれども。絶対圧倒される
だろうから読むのこわい。歌つくるというのは、一旦突き放す行為だから、
こんな歌を若い頃からつくれる人なんだから、凄いに決まってるよなあ。こわい。

   「花」
  ほのぐらき桜の森に棲み待ちて胸乳ゆたかに花浴みゐたる(p38)

「花」の一連はタイトルにしている桜の森の中の幻想世界。鬼が出てきたりで
とてもうつくしくて物凄くかっこいい。


  ゆふがほのひかり寂けき傍らに花より冥くみづは匂へり(p83)

これは比較的さらりとした歌だと思う。美しくてそれでもこんなに水が生々しくて
惹かれた


  死者のみを切なく愛し蜜こゆき白桃無惨に夜ふけに喰へり(p112)

無惨に食べられる蜜の濃ゆい白桃かあ。直接ではなくてこんなにもエロティック
なのがとても素敵。好き。

  ひたぶるに夕日の坂は傾斜せり喉のくらがりが血まみれなり(p139)
  睡さうな生首どもをひとつづつ夕日の納屋の棚からおろす(p140)

「首(かうべ)」という一連から。
首を切り裂いて生首を沢山持ってる。という世界になるのかとても惹かれた。
私がわからないだけで聖書とか的になんかあるのかなあ。サロメとか。黄泉の国?
バカですみません。わかんないけど、こういう感じは私の好みど真ん中。凄い。

  君が指をつたひて落つる血の雫かくまざまざと君が血を見る(p72)
  羞しさや 君が視界の中に居て身震ふほどに君が唇欲し(p181)

「君」を思う歌もいくつか。でも淡い相聞とかではなくて、ぐっとリアルに
血肉があって、欲しい、という激しさがすごい素敵。


  身一つにありし日日には知らざりき日向にても子を見喪ふことを(p174)

子どものことを歌っているのもいくつか。子育て大変そうだなあと伝わってくる。
上にひいた歌は比較的穏やかで、日向の中での不意の不安が切ない。

読んでる間ずっと歌集の中に呑みこまれて、読み終えてやっと呼吸した、って
感じに圧倒されてしまった。作者の壮大な器。濃密です。

|

« 映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」 | Main | 『瀬戸際レモン』(蒼井杏/書肆侃侃房) »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事