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『無韻を生きる』(三田村正彦/短歌研究社)

『無韻を生きる』(三田村正彦/短歌研究社)


三田村正彦第三歌集。

一部を除き2013年から2016年の間の歌だそうで、作者の日々の暮らしの
中の歌だと思う。
ことさらにドラマチックなことはない。なくていい。見慣れた物や情景への
作者の視線が歌になっている。


印象として「父」が沢山歌われているということが強くあった。


  直線に空から降りる晩夏光父が私を占拠する夢(p9)
  星二つ並ぶ秋空 二人分見てゐるよ今日は父の命日(p62)
  雨のただ降りかかる肩濡れながら父にかざしたビニールの傘(p66)
  また空のメガネケースが光りをり 父はゆふやけ雲のあたりか(p77、空「から」ルビ)
  ガラス戸を打つ風の音透明な父の言葉が今を生きをり(p119)

父を亡くして5年という感じの歌があったのだが、もういない父がずっと側にいて
まだ強く作者の心の多くの部分を占めているのだと感じた。単なる懐かしさという
よりは、かなり複雑に深い思いを秘めているのだと思う。父が今も自分の側に、
中に、当たり前にともに生きているという感覚が伝わってきた。


  鶏の声をうしろにオフィスへと私のやうなわたくしがゆく(p79)
  蛍光灯堪へ切れずに切れるとき我を取り巻く冷笑の止む(p99)
  今我はペットボトルの空だから苦情を入れる準備はしない(p101、空「から」ルビ)


仕事関係からくるやるせなさを感じる歌は結構静かで、落ち着きがあって
じんわり沁みてくる気がした。具体的に何のお仕事なさっているのかわからない
けれども。人事関係だったりなのかな。悩まされることは多く、楽しいことばかり
なわけはなく、でもきちんと役割をこなそうとしている誠実さを感じる。
「今我はペットボトルの空だから」というの、すごくわかる気がした。ペットボトル
は軽くて透明で薄くて、ちゃんと必要な強度はあるんだけれどもベコベコにされて
しまいそうでもあって。今はやめてくれ、という感じがとてもわかる気がした。

 
  自転車が光に変はる夏真昼終はりに向かふ飴色の雲(p11)
  自動販売機の光ひとつの夜の街だあれもゐないときが来たのだ(p18、自動販売機「じはんき」ルビ)
  何か今始まるはずだこの町の形を変へる夕暮れが来る(p22)

概ねリアルな現実に即した歌の中、なにか、こう、世界が終わるような瞬間を
感じる歌があって面白かった。
夕暮れにはまだ至らない、午後の日差しの「飴色」の雲を見て「終はりに向かう」
と感じたり、夜の街、自分の他に人影はなく、自販機の灯りだけが頼りという
静寂の瞬間とか、やはり夕暮れの前、町の形が変えられてしまうような、
終わりの始まりのようなことを感じてしまうとか。ふうっと紛れてくるこの感じ、
いいな。
自転車の歌が他にもあった。自転車に乗る日常なのかなと思う。好きです。


  八月の電信柱まひるまを言ひ訳しない姿勢にて立つ(p14)
  冬の日をじつとしてゐる扇風機過去を語らず今を生きをり(p143)

真夏の電柱。冬の日の扇風機。じっと立っているそんな無機物の姿に自分を
重ねている歌だと思う。余計な事も文句も言わず、やや時代遅れのような電柱、
扇風機のすっと真っ直ぐ垂直に立つ姿。
かくありたい、という姿なのかなと思う。にんげんでいるのはこうはいかない
ことが多いもんね。


  雨降れば必ず雨を受けるその道のくぼみが今を生きたる(p39)
  春の日を喪服の我は複数の雨粒だから流れては消ゆ(p125)

雨の歌も多かったと思う。雨を受ける道の窪みが生きているという見方が面白い。
雨が降ったら必ず水たまりになっちゃう窪み。いつもここに水たまりになる窪み
があるな、と、作者がそれをいつも見るんだなあ。そしてこんな歌に作るのか。
喪服の我、は、雨粒になって消えてしまう。流れていってしまう。でもどこかに
受け止めてくれる窪みがあるはずなんだよね。
これを書いている今、結構激しい雨が降っています。雨は、憂鬱になってしまう
けれども、でも、雨はやさしくもある。

歌集のタイトル『無韻を生きる』というように、「生きる」物、人、思いが
伝わってくる一冊でした。

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