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洞田明子歌集『洞田』批評会

洞田明子歌集『洞田』批評会

   2月25日(土)@中野サンプラザ研修室13:30~

先日土曜日行ってきました。
単なる私個人の主観よる覚書メモ。発言や内容に勘違いがあるかもしれません。

司会:斉藤斎藤 パネリスト 大辻隆弘、花山周子、阿波野巧也

最初に阿波野さん。
章立てそれぞれについて読み解き。「駅」という題選びのよかったこと。
発言のわりと最初から、この「歌集」をどう読むのか迷う、悩むということが
あった。批評のレベル。太朗というユニットが「洞田明子」をつくり、洞田明子が
歌集「洞田」を作りその中に「戸綿」の歌があり、戸綿を作ったのは洞田明子
なのか太朗なのか、どのレベルへ話をするのかわからない。
ストーリーよりはプロットが大事で、一首一首についてやっても意味がない。
「洞田明子」という人物像は見えるけれどもはりぼて的である。

次に大辻さん。
全体的な印象としては近代短歌の「私」への検証、挑戦か。生々しい「洞田明子」
のイメージは感じとれない。読みやすく、生々しさを感じたのはⅢ章。
一人の人物というよりは、トポス、場所が重要な感じ。「ドキュメント72時間」
みたいなとおっしゃってましたが、なるほど。
「私性」を編集で作り上げようとすればするほどはりぼてめいている。
個人データの集積が「私」ではなく、修辞や文体から「私性」を感じるのでは
ないか。

手紙魔まみみたいなコンセプトかなとおっしゃっていて、まみを私も連想してた
ので、うむ、そーだなーと思ったり。

三番目に花山さん。
洞田明子はいないと思った。どこに向かって批評するのかわからない気持ち悪さ。
いい歌がない。洞田明子、この歌集といえばこの歌、というのが挙げられない。
Ⅲ章「富士」になると読みやすくなった。短歌らしい短歌の章。
「私性」は個性ではなく、「短歌的私」という共有されているものなのではないか。
それは共犯的なのではないか。

司会の斎藤さんから。一人の人間ぽくない。歌のうまさがバラバラで、一人の人
としてのバラつきの滑らかさを超えてるほどのバラバラさ。Ⅲ章が読みやすいのは
バラつきが比較的なだらか、おおむね揃ってみえるので一人の人間ぽい。

とかなんとか、その後もいろいろ話は出つつ、やっぱり架空の一人の人物として
洞田明子があり「洞田」というこの歌集があり、というのを批評するって
どうすればいいのか、という迷い、気持ち悪さみたいな所がありました。
「駅」というアンソロジーであるなら、一首一首のいい歌とか見つけたりして
いくけど、この場合は洞田明子の歌集、ということで見る、と、すると、歌が
まとまりなさすぎて一首のよさを殺すようになっていて、いい歌が見つけ出せ
ない。
この実験、「私性」への挑戦なのか実験なのか、この歌集が何なのか見えて
こない。沢山の作者の沢山の歌を集めてるのに多様性がない。ステレオタイプに
落としこんでいるのが残念。
等々。

私はこの歌集の名前程度は聞いたことあるものの、この歌集が何なのかはよく
知らず、批評会の参加も直前に申し込んで歌集読んだのもその場でだったりで、
ほんとに何にも知らずよくわからずで参加しちゃったので、ほんとなんだか
よくわからないなあ、と思いました。そんななのに参加してごめんなさい。
わからないのは自分が悪いんですが。
なんだか豪華なパネリストだし、「私性」の話とかいろいろされるだろうなと
いうのに期待して参加しました。

この歌集はTwitterで募集した短歌を太朗というユニットが一冊にまとめたと
いうもの、らしい。集まった短歌全てを収録、短歌そのものには手を加えて
ません、というものらしい。
詞書は編集がつけたのかな?
奥付の編集には「土岐友浩」の名前もあるけどどういう関わりなのか。
なんかこう、全体がもやっとしてわからず、説明もなく。
歌集は歌集の体裁をとってるけども、成り立ちはこういうものですとか
はっきりしたことがわからないままで、わかんなかったなあ。

これは、Twitterで短歌な仲間たちが参加してつくったお祭り文集ですよー、
みたいな、強烈な内輪ノリなものっていう感じがして、参加してない私には
いやあ、なんか、わからないのに批評会きちゃってごめんなさいという気がして
しょうがなかった。
Twitterでちらほら見かけた「私も洞田明子なのです」みたいなツイートも
なんかわからないので気持ち悪く思ってたりして。内輪の中に入れないからさー。

「私性」をつくってみる実験作品なのかなあ。批評会するとしたら、編集に
対してのレベルしかないだろうなと思ってたけど、編集も太朗というユニット
ですとかだし、ほんと、批評したとして誰に向かって語るのかわからないぐにゃ
ぐにゃ感が。
「私性」についてのことも、まあ、なんか、さほど斬新で印象に残るような話に
なるでもなくてわりとこう、まあそうですねみたいな感じだったような。
前で話すみなさんが、誰を殴っていいのかわからないとか、貴族の遊びか?
みたいなこと言ったりだったのがなかなか、ああ、大変だなあと思いました。
このパネリストや司会引き受けて凄いなあと思いました。

いい歌がない、というのも、多分、たぶんですが、やっぱり参加者の人が、
へー、そういう企画があるのかあ、一首出してみるか、くらいなノリで出した
歌が多かったのでは、という気がする。まあそれは私の勝手な想像なので違う
かもしれないけど、でも、すごく考えて頑張ってすっごくいい歌が出来たら、
こういう企画に出すんじゃなくて自分の名前つけて自分の作品として出すんじゃ
ないのかなあ。
そういうそれぞれのほどほどないい感じの歌が集まって、編集は歌に手を加える
ことなく、ほどほどいい感じになんとかまとめて、となると。たぶん、いい歌集
になるのは厳しいんじゃないかなあ。
そこそこ理解しやすいように男女の物語にしたり。
参加者に女性が多かったんだろうけれども、まあ、それでかどうかわざわざ
「明子」という概ね「女性」と認識されそうな名前つけて。その中でまた別に
「男性」作って。
性別曖昧にさせるような名前つけるんじゃ駄目だったんだろうか。

まあ、Twitterで歌募って、予想以上にいっぱい集まってしまって、でもその歌
には手を加えずに全部使って一冊、一個人風にまとめるって、そりゃあもう
すっごく大変だったろうと思うし、まとめ上げただけでも凄いなあと思うけど。

なんでこんなガチめなパネリストメンツ揃えて批評会やったんだろう?
私みたいに「洞田」をよく知らないわかってない人でも参加オッケーな批評会
やったんだろう?
この企画に参加したみんなで打ち上げ~ってやったり、内輪で読書会やったり
するんじゃなくて、歌集批評会、というのをやったのはなんでだろう。
この「歌集」というのについて真面目に考えようとすればするほどはぐらか
されてこっちがバカをみるような気になるばかり。
参加して実験してみた人達にとっては面白い企画だったのかなあと思う。
でも開いた批評会やるんだったら、この歌集の成り立ちとか編集の経緯とかを
丁寧に説明するペーパーでも配って欲しかったなあ。
まあ、この歌集やTwitterの短歌界隈のことをなにも知らないのに行ってしまった
私がダメなんだよな。

パネリストの困惑とか、会場発言のいろいろとか、沢山話を聞けたのはよかったし
面白かったです。
最後の挨拶のところで、太朗のユニットのお二人が、言い訳になるので何も
言えませんみたいな感じだったんだけど、いやそこはたっぷり言い訳して
なんもわかんないこっちに説明してくれ、と思ったけど。
もっと、怒られるかと。叱って下さい、みたいなこと言ったのもね。なんだか。
かまってちゃんの甘えんぼ中学生かよ。
その後の懇親会でもっと、いやあぶっちゃけ、みたいな話したりしてたのかなあ。
まあでも懇親会に参加しないのでやっぱり全くわからないのでした。
こういうのやってるのかあ、というのは面白かった。

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