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大西久美子歌集『イーハトーブの数式』批評会

*私の個人的主観的覚書メモ。私の思い込みや勘違いで間違いがあるかもしれません。


大西久美子歌集『イーハトーブの数式』批評会

パネリスト:大松達知、鯨井可菜子、服部真里子、藤原龍一郎
司会:加藤治郎

6月11日(土)、中野サンプラザ研修室

行ってきました。
日記書くのが遅くなり過ぎちゃった。一応ざっくりメモだけ。

パネリスト、最初は大松達知さん。前半Ⅰのほうがよい。ふるさとや作者自身に
根差したきちんとした歌。Ⅱは言葉が空回りしているのではないか。

次に鯨井可菜子さん。イーハトーブ「と」数式 という歌集なのではないか。
ふるさとへの愛着のよく見えるⅠ。やや虚構めいて夢的な数理の世界の二つが
ある歌集。

次に服部真里子さん。ⅠもⅡも殊更に分けて時系列にあてはめてわかりやすい物語
に収束させて読むやり方をしなくてもよい。「表面/空洞」「離人感」「台詞」
「恍惚」等の分類で歌そのものを味わう。

次に藤原龍一郎さん。Ⅰでの手堅い短歌らしい短歌に比べるとⅡは迷いがあるの
ではないか。「雨」「動物」「嗅覚」「洗練された修辞」という取り上げ方。
歌に枕詞等の手法を取り入れて新しい世界へ進んでいこうとしているのでは。


それぞれの発言、議論があり、休憩あって会場発言等。
やはりⅠでのうまさ、手堅く完成しているところの評価と、そこから変化して
いくようなⅡはいまいち、という感じ。
個人的に読んでいてうまいなあいい歌だなあと思うのはどっちにもあって、
付箋をつけたのはまあやはり少しⅠのほうが多かったかな。
変化してゆきたいというのは当然で、どう変わるかはもう作者の思うように
いくしかないので、そんなにⅠのがいい、って意見が出てるのが不思議で
面白かった。

読んでいくからにはわかりたい、というのはそうだと思うんだけど、服部さんの
言うようにわかりやすい時系列だと決めて物語の流れをつくらなくてもいい、
わからないならわからないままでも読んでいい、という感じもわかる。
歌集って一冊になってるから、なんとなく順番に読んでいくし、順番に考えるし
そうするとやっぱり順番な物語にしちゃうなあ。でも作った時とか場所とか
バラバラなんだよねえ別に。フラットに読めばいいかなと思う。
でもまあ編集する時に何も考えてないわけはないだろうと思うけど。
そこは読み手の勝手でいいのではないか。うーん。
作者だって勝手につくればいいんだし。
まあ、そんなこんなを自分の中でもあれこれ考えられて面白かった。
タイトルの裏話、最初は別の案だったけれど、治郎さんの一声でやっぱり今の
ものに決めて、とか。タイトルがいい、って話が多かったので、へ~~~、と
知ったのも面白かった。行ってよかったです。


いくつか、私個人が好きな歌。

  病んでゐる人がわたしの手と足を果実のやうにもぎ取つてゆく
  ジャポニカのマス目ノートを埋めつくす「あ」は朝の「あ」だ。「あ」「あ」、花が咲く
  とほい世の落葉松林だつたらうお湯にほどけるチキンラーメン
  
  指先をスマートフォンに滑らせる指紋をもたないアンドロイドが
  とぢてゆくわたしはただの砂粒になりたいだけよ目だけ遺して
  強き雨弱き雨にも気づかない地下鉄の耳となりしか、この日

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