『斎藤茂吉 異形の短歌』(品田悦一/新潮選書)
『斎藤茂吉 異形の短歌』(品田悦一/新潮選書)
斎藤茂吉は国語の教科書に取り上げられることも抜群に多く、中でも「死にたまふ
母」の一連は特に有名である。
だが、茂吉の短歌は単純なリアリズムで読めるものではなく、とびっきりに変な
歌人である。
という感じのお話。
私は茂吉に詳しいわけではないのだけれども、この本の主張は面白くてわかり
やすくてすごく勉強になる~と思いながら読んだ。
最初の方に「異化」というのが出てきて、わっ、そうだよね!そうそう!と
嬉しくなったのでした。
茂吉に限ったことではなくて、私、短歌に興味持って作ってみたりし始めた
最初の頃、短歌って、定型って、異化ってことか、と思ったんだけど。まだ
身近に短歌の話をする人も異化っていう用語を共有して話してくれる人も
いなくて、もやっと思ってただけのことだったんだけど、それが今この本で
出てきて、わー、納得~と思った。そんなこんなで、この本で茂吉の歌を読み
なおしたり、解説したりっていうその説明がすごくわかりやすくて腑に落ちる。
文章の言葉使ってる感じが馴染める感じっていうか。
読んでみてよかったなあ。
写生の極地は象徴
茂吉が「写生」を「実相観入」と言い換えたのは、世人の考えがちな「ありの
まま」を斥けるためだったはずです。(p45)
現実を直写したはずの表現が現実を凌駕してしまう逆説―繰り返しますが、文明
の目にそれはリアリズムの不徹底、未熟な写生と映ったのでしょう。しかし茂吉
にとってはそこにこそ写生の醍醐味があったのだと思います。(p56)
しかし、短歌もテキストである以上、一首の短歌から読み取れる心情とは、直接
にはその一首に書き込まれた心情でなくてはなりません。それは誰の心情かとい
えば、テキストを叙述する話者(「語り手」「叙述主体」とも)か、またはテキ
ストの中で活躍する主人公(「中心人物」「作中人物」とも)か、このどちらか
です。両者ともテキストの構成要素であり、テキスト内に設定された存在であっ
て、テキストを作り出す作者(「創作主体」とも)とは身分が違います。
(「話者」「主人公」「作者」に傍点。p118)
しばしば指摘される短歌の「私性」にしても、その実態は「作品の背後にただ一
人だけの人の顔が見える」ということに尽きるのであって、この場合の「一人の
人物」は作者でもありえるが、それ以外の誰かでもありえる(岡井隆『現代短歌
入門』初版一九六九年、講談社学術文庫版一九九七年)。 (p120)
ただし、ここには短歌ゆえの特殊な条件も関与してきます。テキストとしての読
みをストイックに厳格化すれうば、理解の手がかりは五九首の短歌だけに限定さ
れなくてはなりませんが、実はこの方針は、豊かな読みが導けないという意味で
はあまり生産的ではありません。
(中略)
話者/主人公に関する情報の不足を作者のそれで代用するという、近代短歌が編
み出した便法は、この脈絡でやはり有効だろうと思います。 (p124)
声調のありかを肉声ではなく、ことばそれ自体に求めること、またことばの「音
楽的要素」は単独にではなく、「意味」と相俟って短歌の声調を織りなすとする
こと― (p209)
短歌作者にとってことばは他所者であり、異物にほかならない―話しことばと書
きことばが水と油のように分離していた時代に、茂吉は、東北出身ゆえに背負わ
された話しことばへのコンプレックスを、書きことばに熟達することで埋め合わ
せながら、自身の言語感覚を鍛え上げたのでした。その言語感覚の命ずるところ、
短歌の創作過程においては、自然なことばづかいという俗耳に入りやすい標準を
峻拒する一方、用語の探索を吟味とを執拗なまでに追求して倦むことがなかった。
(p215)
いくつか個人的にうんうんって思ったところなど。
平井弘が、兄がいないのに出征して自爆死した兄の一連を発表して論議を呼んだ、
とか、ほほ~と思う。昔からいろいろあったんじゃん。作者と嘘と作中人物。
そもそも岡井隆が言ってる事に尽きる、というそれも随分昔に出てる本だし。
こういう論議は何度も繰り返しめぐるものなのかね。
茂吉が造語してることとか、近代短歌ならではの古語風な言い方とか、いろいろ
ほんと勉強になるーと思う。というか今まで私が勉強ができてなさすぎて知らない
ことが多すぎるんでしょう(^^;
これ一冊で満足しないで自分でいろいろ読んでいかなきゃいけないな。。。
物凄く細々とたくさん調べていることいっぱいで、この著者はいったい。。。と
びっくりする。学生さん使ったりしたのか。それにしても凄い。
あとやっぱ変なんだ茂吉、やだかっこいい、という感じがすごくしたので、
茂吉もざっくりしたアンソロジーじゃなくて歌集を読んでみたいと思う。
私にとっては今読んでみてすごくいい本でした。
はじめに
第一章 「ありのまま」の底力―茂吉の作詩法
たまらなく変な茂吉の短歌
写生という不思議
第二章 一人歩きする世評
茂吉の生涯
国語教材としての茂吉短歌
第三章 「死にたまふ母」を読み直す
第四章 茂吉の怪腕―作詩法補説二題
已然形で止める語法
声に出さずに読みたい日本語
注
参考文献
あとがき
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