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映画「トム・アット・ザ・ファーム」

*結末まで触れています。


映画「トム・アット・ザ・ファーム」


恋人ギョームの葬式のために、彼の実家の農場を訪れるトム。ガランとした家に
入り込み、家の人を待つうちに眠り込んでしまう。
母親のアガットには歓迎されたが、兄がいることを初めて知る。兄、フランシス
は、トムに決して弟と恋人同士だったとは母親には言うな、と脅した。ギョーム
にはサラという恋人がいることになっているらしい。
葬儀で友人としての弔辞を言えなかったトムは、フランシスに脅されるままに
農場に残り、仕事を手伝い始めた。

グザビエ・ドランが戯曲を映画化したもの。監督、主演。共同脚本。いろいろ
全部やっちゃう人なのだった。「わたしはロランス」の印象も強烈だったし、
同性の恋人を亡くしたトムの姿も写真見て印象的で、でもサスペンスらしくて
いろいろ期待して見に行った。

田舎の閉塞感。といってしまえばそんな単純なことではないんだろうけれども。
携帯も圏外になってしまうらしい広々とした農場地域。フランシスの異様な
暴力性。同性愛への憎悪。トムを圧倒し支配する力。
薬でやられちゃってるとこもあるんだろうけど、トムも初めは逃げ出したり
してみたけど、どんどんフランシスの支配を受け入れるようになる。
予告というか、宣伝文句では、フランシスに恋人の姿を重ねる、みたいに書いて
たりしたけど、あんまりそうは感じなかったなあ。DV男にはまってしまう弱い
女という感じだなーと私は思ったけど。
でも二人で踊るシーンなんかはかなりドキドキときめいた。怖くてドキドキでも
あるし、セクシーでドキドキでもある。
フランシスが暴力で組み伏せるたびに、うわ、キスしないの?しないの?その
近さまで唇がきてるのに!? と思ったけど、しなかったー。トムの赤い唇が
キスしたくなるセクシーさなのに。

恋人のフリをするよう頼んでサラもやってくる。だけど、フランシスに支配
されている異様さをすぐに見抜き、トムに一緒に帰ろうという。けど、行かない
トム。
けど、サラとフランシスが酔った勢いでやっちゃってる感じから逃れたあとに、
フランシスの起こした暴力事件の話を酒場で聞いて、ちょっと目が覚めた、
のかなあ。怖くなったのか、異様さを自覚したのか。

逃げたトムを追いかけるフランシスの車を奪って、都会へ、帰るトム。
いつ引き返すのか本当に最後までハラハラした。
結局、恋人ギョームの姿はよくわからないまま。いい加減で不実な恋人だった
みたいで、トムの純情は悲しい感じ。
ギョームはおそらくフランシスや母親から逃げて都会へ出た。母親は夫を
亡くしてから一人でいろいろがんばってきてて、大事な自慢の息子を溺愛しつつ
厳しく育ててきたんじゃないかなあ。フランシスの暴力性は母の影響かと。
母親、フランシスをバシッと叩いてたシーンがあって、こわかった。
息子が何かおかしい、ということに気付きながらも、目をそらしてきていた母。
その母をおそれながらも疎ましくこんなところは嫌だと思いながら一緒にいる
フランシス。
確かに農場のイケメン兄妹としてかつてはいい時代があったんだろうけど、今は
どうしようもなく行き詰まっている家族。
そこに現れたトム。トムに依存先を見出したフランシス。お前が必要なんだ!
と叫んだ最後の言葉は本当なんだろうけど、トムは逃げられて本当によかった。
本当の支配者は母親だったんだろうなあ。
こわい。
フランシスはあれからどうなっちゃうんだろう。

ずーーーっとドキドキビクビクしながら見てた。上映時間100分だけど、緊張
しっぱなしで、長く感じた。あれ以上長いとキツイ。
傷ついてゆくトム、グザビエ・ドランがとっても素敵でした。

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映画「誰よりも狙われた男」

*結末まで触れています。


映画「誰よりも狙われた男」

ギュンター・バッハマンは、ドイツのハンブルグで、テロ対策の諜報活動チーム
を率いていた。密入国したイッサという青年は、イスラム過激派だと思われる。
ブルーという銀行家を探してやってきたらしい。
バッハマンは彼を泳がせ、より大物への接点を作ろうと画策し始めた。

ル・カレの原作は読んでる。けど、あんまり覚えてないなあと思ったけれど、
映画を見ながら、ええと、こんなだったっけ。ああこんなだったかな。等々
思い出したようなそうでもないような。
小説の印象は、ブルーとかイッサとか、人権活動家の弁護士アナベルとか、
そっちのほうがあって、諜報部のほうはどうだったっけ、と思ったんだけど。
映画ははっきりと、バッハマンが主役。
バッハマンを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンの最期の映画だ。
今年の二月か。享年46歳。オーバードーズでの訃報を知った時には驚いたな。

説明は少ないながらも、バッハマンはかつてヘマをしてとばされてきた、と
いうのはわかる。でっぷりもっさりしたフィリップ・シーモア・ホフマン。
特に何も言わなくても、その佇まいだけで、疲れ果てうんざりして、酒と煙草
をひっきりになしに口にしながら地道な活動を続けている閉塞感がひしひしと
伝わる。
テロとの戦いというわけで、CIAと共同作戦みたいなことになりそうだけど、
自分がやりたい、と言い張るバッハマン。手柄をたてたい、ということでも
あるんだろうけど、かつて失った情報網の痛手をここでなんとか取り返したい、
という心の抵抗のように思う。
前の時もCIAが邪魔して情報提供者の命を失ってるみたい。
それなのにしれっとしてるCIA。アメリカ人め。

ベルリンの本部とか、CIAの連中とかは、綺麗でバシッとしてるけど、
ハンブルグのバッハマンたちは、微妙に使ってる道具にしても建物にしても
綺麗ってわけじゃなくて、あー現場はつらいよ、みたいに思う。そういう細部
もよくうつされていた。ハンブルグの街も、きれいなヨーロッパの街並み、
ではなくて、ゴミ袋が回収待ちで道端につみあがっているようなところを
映していて。生々しく地味な生活の現場。

ジャマーンという青年を情報提供者として利用しているんだけど、彼がもう
やめたいとか言い出したら、強制はしてない、っていうの。でも、君が必要だ、
みたいに優しくして、ああーもー。スパイって。情報提供者を上手く手なずけ、
抱き込む感じがたまんねーなー。でも、バッハマンが彼を大事にしてるのも
本当の気持ちでもあるんだろう。難しい。

イッサは謎めいた青年のままで、攫われてしまった。
今度こそは保護したいと願ったバッハマンの努力は虚しく、作戦が成功したと
いう瞬間にガツンと叩きのめされて成果は攫われてしまった。
CIAめ。上層部同士の打ち合わせみたいなことはあったんだろうけど、でも
現場には何も知らされてなかったのか。酷い。

スパイは孤独で虚しさとの戦いなのか。現場の下っ端は特に。バッハマンの心
の虚無を思う。誰が敵なのか。何と戦うのか。なんのために。
世界の平和のために?
何のために?
現代だなあと思う。

ル・カレ原作らしい突き放された終わり方だった。酷い。虚しい。
んでも、原作であとがきだっけ、なんか読むと、イッサのモデルだった青年は
生きてるらしいし、ただただなんの救いもないってわけではない、んだと、
思う。たぶん。たぶん。
フィリップ・シーモア・ホフマンが凄かったのはもちろんながら。他のどの
人物も抑制きいてて素晴らしかった。セリフなくてもいいのが凄い。
「裏切りのサーカス」の時も思ったけど、よくあの小説をうまく映画にしてる
なあと思う。小説は小説。映画は映画。見に行ってよかった。

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映画「泣く男」

*結末まで触れています。


映画「泣く男」

ゴンは殺し屋。
ある時、まるで関係ない子どもを誤って殺してしまった。
酒浸りになり荒れるゴンを呼び出した組織は、ゴンが殺した男が秘密ファイルを
最後に送った三人の相手を始末するよう命じる。ゴンの標的はモギョン。男の
元妻で、ゴンが殺してしまった子供の母親だ。

「アジョシ」の監督の作品ってことで、予告なんかでもまたすごくかっこよさそう
だったのでとっても期待して見に行った。
期待を裏切らないかっこよさ!!!
やっぱり銃だとか爆弾だとか、小物の使い方が痺れるかっこよさ!燃える。
主演チャン・ドンゴン。良く知らないんだけど、どっちかといえば甘いマスク、
って感じなのに、この映画では捨てられた野良犬って感じが凄かった。やっぱり
目が、素敵で。うっとり。
甘いイケメンを痺れるようなハードな男に撮る監督天才か。

標的となる母親。モギョン。
母親であり、子どもを愛していたんだけれども、株トレーダー?企業買収?
なんかそういうバリキャリな仕事に熱心で、子どもを手放した、みたいな
感じだったようで。
寝たきりの母の病院にはいくけど、ちょっと辛く当たったりもして、なかなか。
単に可哀想な被害者の母、というよりは、自分のための身勝手さがあるみたい
な感じが、複雑。子どもを失った悲しみのあまり自殺、というところをゴンが
身勝手な!とばかりに助けるんだよ。嗚呼。
最初登場したときには、あんまりぱっとしないな~と思った女優さんなのに、
進むにつれてどんどんすっぴんになっていき、物凄く綺麗になった。最後には
イノセント、って気がした。すごい。
女優とっても凄いのか監督天才か。

ゴンは殺し屋として街でやさぐれながら生き残ってきた、って感じ。
ああなるほど「アジョシ」の訓練された戦いのアクションみたいなのとは
また違うアクションだなーと思った。凄い。
殺し屋仲間、なチャオズと、最後には手をとって。
殺し合っても、共に戦ってきたという絆があるのか。
何もかもに疲れて、モギョンに殺されることを選んだゴン。贖罪、か。

あとから、その前に、かつて母があかすりをして働いていた銭湯にいって
泣いてきた、というシーンがあって。母にいい子、と言われてた小さい頃の
ことがあって。母の身勝手に砂漠に捨てられたんだけど、それでも母への
想いは消えていなくて。どうして今俺はこんなことしてるんだ、ということ
だったのかなあ。何の罪もない子どもを殺してしまった男になるなんて。
反省とか後悔とかではなく、本当に、生きてきたことに疲れたんだろう。

梅酒。たぶん古い梅酒だよね、あれ。痺れるほど甘い酒だ、って言うの。
家庭で梅酒をつける、というようなことと完全に無縁で、ゴンは知らなかった
んだなあと。そういうことを見せるんだ。すごく上手いなあと思った。

全体的な説明は少なくて、えーと、なんかとりあえず中国とロシアの闇社会
のマネーロンダリングをパアにしちゃったんならそりゃーあんた命はないね、
ってことだ。だからってモギョン殺してもしょーがないだろーと思うけど、
まあ、終りの方ではモギョンもしたたかなことやってたしな。凄い。
ざくざくと人は死ぬし、銃撃戦だけじゃなくナイフで切りまくりとかもあり、
血みどろだったり痛そうだったりで大変だった。

早く見たい見たいと期待しまくっていったけど、期待しすぎたってことなく
ほんとによかった~。痺れます。

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『斎藤茂吉 異形の短歌』(品田悦一/新潮選書)

『斎藤茂吉 異形の短歌』(品田悦一/新潮選書)

斎藤茂吉は国語の教科書に取り上げられることも抜群に多く、中でも「死にたまふ
母」の一連は特に有名である。
だが、茂吉の短歌は単純なリアリズムで読めるものではなく、とびっきりに変な
歌人である。
という感じのお話。
私は茂吉に詳しいわけではないのだけれども、この本の主張は面白くてわかり
やすくてすごく勉強になる~と思いながら読んだ。

最初の方に「異化」というのが出てきて、わっ、そうだよね!そうそう!と
嬉しくなったのでした。
茂吉に限ったことではなくて、私、短歌に興味持って作ってみたりし始めた
最初の頃、短歌って、定型って、異化ってことか、と思ったんだけど。まだ
身近に短歌の話をする人も異化っていう用語を共有して話してくれる人も
いなくて、もやっと思ってただけのことだったんだけど、それが今この本で
出てきて、わー、納得~と思った。そんなこんなで、この本で茂吉の歌を読み
なおしたり、解説したりっていうその説明がすごくわかりやすくて腑に落ちる。
文章の言葉使ってる感じが馴染める感じっていうか。
読んでみてよかったなあ。

 写生の極地は象徴
 茂吉が「写生」を「実相観入」と言い換えたのは、世人の考えがちな「ありの
 まま」を斥けるためだったはずです。(p45)

 現実を直写したはずの表現が現実を凌駕してしまう逆説―繰り返しますが、文明
 の目にそれはリアリズムの不徹底、未熟な写生と映ったのでしょう。しかし茂吉
 にとってはそこにこそ写生の醍醐味があったのだと思います。(p56)

 しかし、短歌もテキストである以上、一首の短歌から読み取れる心情とは、直接
 にはその一首に書き込まれた心情でなくてはなりません。それは誰の心情かとい
 えば、テキストを叙述する話者(「語り手」「叙述主体」とも)か、またはテキ
 ストの中で活躍する主人公(「中心人物」「作中人物」とも)か、このどちらか
 です。両者ともテキストの構成要素であり、テキスト内に設定された存在であっ
 て、テキストを作り出す作者(「創作主体」とも)とは身分が違います。
       (「話者」「主人公」「作者」に傍点。p118)

 しばしば指摘される短歌の「私性」にしても、その実態は「作品の背後にただ一
 人だけの人の顔が見える」ということに尽きるのであって、この場合の「一人の
 人物」は作者でもありえるが、それ以外の誰かでもありえる(岡井隆『現代短歌
 入門』初版一九六九年、講談社学術文庫版一九九七年)。   (p120)

 ただし、ここには短歌ゆえの特殊な条件も関与してきます。テキストとしての読
 みをストイックに厳格化すれうば、理解の手がかりは五九首の短歌だけに限定さ
 れなくてはなりませんが、実はこの方針は、豊かな読みが導けないという意味で
 はあまり生産的ではありません。
  (中略)
 話者/主人公に関する情報の不足を作者のそれで代用するという、近代短歌が編
 み出した便法は、この脈絡でやはり有効だろうと思います。  (p124)

 声調のありかを肉声ではなく、ことばそれ自体に求めること、またことばの「音
 楽的要素」は単独にではなく、「意味」と相俟って短歌の声調を織りなすとする
 こと―   (p209)

 短歌作者にとってことばは他所者であり、異物にほかならない―話しことばと書
 きことばが水と油のように分離していた時代に、茂吉は、東北出身ゆえに背負わ
 された話しことばへのコンプレックスを、書きことばに熟達することで埋め合わ
 せながら、自身の言語感覚を鍛え上げたのでした。その言語感覚の命ずるところ、
 短歌の創作過程においては、自然なことばづかいという俗耳に入りやすい標準を
 峻拒する一方、用語の探索を吟味とを執拗なまでに追求して倦むことがなかった。
                              (p215)

いくつか個人的にうんうんって思ったところなど。
平井弘が、兄がいないのに出征して自爆死した兄の一連を発表して論議を呼んだ、
とか、ほほ~と思う。昔からいろいろあったんじゃん。作者と嘘と作中人物。
そもそも岡井隆が言ってる事に尽きる、というそれも随分昔に出てる本だし。
こういう論議は何度も繰り返しめぐるものなのかね。

茂吉が造語してることとか、近代短歌ならではの古語風な言い方とか、いろいろ
ほんと勉強になるーと思う。というか今まで私が勉強ができてなさすぎて知らない
ことが多すぎるんでしょう(^^;
これ一冊で満足しないで自分でいろいろ読んでいかなきゃいけないな。。。
物凄く細々とたくさん調べていることいっぱいで、この著者はいったい。。。と
びっくりする。学生さん使ったりしたのか。それにしても凄い。

あとやっぱ変なんだ茂吉、やだかっこいい、という感じがすごくしたので、
茂吉もざっくりしたアンソロジーじゃなくて歌集を読んでみたいと思う。
私にとっては今読んでみてすごくいい本でした。

 はじめに
 第一章 「ありのまま」の底力―茂吉の作詩法
      たまらなく変な茂吉の短歌
      写生という不思議
 第二章 一人歩きする世評
      茂吉の生涯
      国語教材としての茂吉短歌
 第三章 「死にたまふ母」を読み直す
 第四章 茂吉の怪腕―作詩法補説二題
      已然形で止める語法
      声に出さずに読みたい日本語
 注
 参考文献 
 あとがき

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『二度のお別れ』(黒川博行/文春文庫)

*結末まで触れています。


『二度のお別れ』(黒川博行/文春文庫)

銀行強盗の男が、たまたま居合わせた正義感の強い客の男を撃ち、そのまま
人質として連れ去った。融資の相談にきていた、小さな工場経営者の垣沼。
やがて、垣沼の小指を添えて脅迫状が届く。身代金の要求は一億円。

てことで、犯人に振り回される警察の話だった。
黒川さんのデビュー作。単行本は昭和59年だそうだから、1984年かな。
文庫は1987年刊。
第一回サントリーミステリー大賞の佳作だったそうで、それを書き直しての
デビューってことでしょうか。

会話が面白くて最初からさすがだったんだな~と思う。警察の捜査の様子も
丁寧に詳しく追ってって、結局は迷宮入り。後年、犯人から電話がきて、
回想的にこのレポートを書いた、っていう形。なるほどーと思う。
なんか、グリコ森永事件で参考にされたんじゃないかとかなんとかあったらしい。
小指や耳を送り付けてくるとか手紙の感じとかいうことなのかな?事件の舞台
が北摂あたりで、みたいなのも関係あるのかな。あの事件もなあ。

結局はシンプルに、誘拐殺人事件に見せかけて身代わりの銀行への恨みの犯行。
最後に種明かしを語られればなるほどってなるし、警察が振り回されてしまった
っていうのもなるほどって思うし、面白くよく出来てる~と思った。
妻が共犯だったわけだけど、その後まともな暮らしになれなくて娘つれて自殺。
男もまた絶望して明日死ぬ、その前にあんたに話しておきたい、っていうの、
なかなか辛い重い結末だった。
地道に生きてきた男がついうまいこと完全犯罪成し遂げてしまったけれど、
死んだことになってそれで新天地とか行って痛快に生きて行くことなんてでき
ないんだよな。。。もともとが悪人で高跳びするあてがあるとかなんとか、
犯罪しても折れない心があるかどうか、とか。そういう点ではとってもまっとう
な夫婦であったがゆえの結末。警察に捕まってしまったほうがよほどよかった
のに。警察~~。無能な警察の罪でもあるよ。。。

妻が戻る故郷が愛媛で、今治で。タオル工場でつつましく働くものの、ってのが
あ、愛媛出身ですよね、今治といえばタオルですねと個人的にはおっ、と
思った。今治タオルは今は素敵ブランドになってるけど、このころだとまだ
あんまりいいものとして定着はしてないんじゃないかなあ。なんて思ったり。
辛い。

ただ面白いだけじゃなくて、こう、ぐっと暗い重いところがあるのが、この
最初の作品からもわかって、読んでみてよかったです。


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久野はすみ第一歌集『シネマ・ルナティック』批評会

久野はすみ第一歌集『シネマ・ルナティック』批評会
(2014年10月4日・中野サンプラザ)

パネリスト 五島論・佐藤弓生・大島史洋  司会 田中槐


土曜日に批評会行ってきました。受付だったので最初のほうは聞けず。
正式正確な記録ではありません。私個人の主観覚書感想メモです。
何か勘違い間違いがあるかもです。

最初の五島さんの発表は、好きな歌、とても好きな歌、意外で新鮮だった歌、
特徴的だと思う歌、アイデアで勝負する、などのレジュメ。
後々の対話で、一割増の感じ、というようなことをおっしゃったらしい。
ひかれている歌が、私が好きな歌、って思って挙げるような歌と全然重なって
ない。一首くらいか。なるほどー。

次が佐藤弓生さん。途中からお金を数えながら聞いた。
あふれる、感情、夢想。希望とずれ、現実、親子、などのお話。
夢の中のような幻想がありながら、基本は現実に足をおいている、というような
お話だった、と、思う。納得。うつくしいけど醒めている感じもあると思う。
このレジュメでも私が挙げる歌はないなあ。なるほど。

次が大島史洋さん。
未来賞受賞な過去のお話を交えつつ。演技で構えちゃってるところはちょっと
苦手、素直な第二部はちょっと中だるみかも、三部は懐かしい思い出の歌、
という感じのお話。一人の女性の生き方、挫折、悔しさ、素直さ。健康な形で
現れている、というような。
健康な形、というのに納得。
もちろんいろーーんないろーんなたくさんの鬱屈はあるのは当然なんだけれど、
それをこう歌集にしてこういう歌に表現している、その表し方をこう選んでいる
その感じが健康、という感じなのがすごく納得いく言葉だった。

五島さんは大島さんが挙げた歌にあまり納得がいかない感じ、なのか、一割増しで
あまりよいとは思わないけど、というような応酬があり。

なんとなくの印象で私が思った解釈だけど、一割増に短歌らしく仕立ててる歌
があんまりよいと思わない感じ、か。きれいな化粧箱に「短歌」でございます、
と贈答用にしている歌が「一割増」っていってるのか。そうではなくてもっと
さらっと、マドレーヌに直接リボン結んでカフェでちょっと買ってきた、これ
短歌だけどどうぞ、くらいのが一割増になってない歌でよい、ということ、
なのか、なーと。思う。
どっちもよいものだと思う。
大島さんが、歌は自分の生涯の積み重ねになっていかないとつまんないと思うの、
「私」の個性がない淡い歌ばっかりになっていくのはつまんない、というような
ことをおっしゃって、それはそうだなあと納得がいく。

ネットでさらっと流すだけ、ネットプリントでさくっと一枚見るだけなら、
月詠でぽんと出すだけなら、作者の名前がなくてもいいものでかまわないと
思う。けど、長く歌を続けたり、一冊歌集作ったり、まとめて見る、読む、
詠むには、作者の名前がついて読み込む重みとかついているほうがはるかに
面白いと私も思う。
それが現実生身の作者としてじゃなくてもいいんだけどさ。だって実際に本当
の作者の人生とかわかるわけないんだし。
初めて何か歌を読むとき、作者のことなんて知らないよね。それでもいいものは
いい。好きなものは好き。
どっちもよいと思う。どっちか一方がよくて他方はダメっていう話ではない。
でもまあつまり、この歌集には一割増の歌もそうでない歌もあって、ふんわり
面白く読めるし、一人の作者の姿としても読める。

レジュメでひかれている歌があんまり重なってなくて、ああまんべんなくよい
歌で全体のレベルが一定してある一冊なんだなあと改めて思いました。

休憩の後、会場からの発言。
演劇、舞台を構成するようだ、という演劇絡みでのこととか、ノスタルジックな
言葉選びが上手いとか、あとがきがよかったとか、ほんとにいろんな意見が聞け
ました。本をつくった砂小屋書房さんからは、この造本がいかにこだわりの本か、
という話もあって、ほほう~と勉強になったり。
最後に岡井さん。いろいろお互い何言ってるかわかんないところあって、世代が
違うんだしわからないのがほんとで。この久野さんのも私には謎めいていて
それがいいですね。歌集は構成されているから。最近の歌はまたちょっと違う
ようでもあり。など。

久野さんのご挨拶は、演劇では裏方なので、照明があたるとさっとはけるもの
だったので、もうはけてしまいたい、みたいな発言で始まり可愛かった。
次はもっとえぐります、とのことで、次の歌集がますます楽しみです。

私の感想はたぶん年末までには出る同人誌「遊子」に書いて、書いたばっかりで、
うまくまとめられないけど。
やっぱり上手くて、でも大仰さがちょっとひくな、ってとこもあって。
そして気になったしまって自分のこととして考えこんでしまう「母と娘」の歌
があって。なにかと読みながら自分のことを考えてしまう歌集でした。
同じ松山で、長く近くで歌を見たりしてきたからでもあるのでしょう。
あんまり冷静に客観的にはなれないなあ。
参加できてすごく面白い批評会でした。

懇親会も楽しく、息子くんともお話させてもらったりでした。
久野さんの人徳~と思います。素敵な第一歌集、おめでとうございます。

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映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」

*結末まで触れています。


映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」

まだ子どもだったピーター・クイル。母が病気で亡くなったその夜、一人
病院の外に駆け出した時、巨大な宇宙船にさらわれてしまった。

それから26年後。
成長し、宇宙を駆け回るトレジャー・ハンターとしてスター・ロードと名乗って
いるピーター。オーブという謎の球体を手に入れたものの、それを狙う者たちから
追われ戦うはめに陥る。あげくノバ軍に捕まり刑務所へ。
なりゆきで刑務所の中で仲間になった、アライグマの見た目なロケット、歩く
植物(?)なグルート、改造人間のラモーナ、妻子を殺された復讐に燃えるドラックス。
オーブの力を使って惑星を破壊しようとするロナンらからオーブを取り戻すべく、
ピーターたちは立ち上がった。

銀河を救え! みたいなことだけど、勢いとなりゆきでなんかそうなっちゃった、
くらいの軽いノリが楽しかった。シリアスになりそうなところでさくっとハズす。
爆笑にはならないけど、ぷ、くらいのシニカルな笑いが多々ありました。
ママの形見というか、地球から攫われた時にもっていた荷物はリュック一つで、
大事なママがくれた最強ミックスな音楽が70年代ベスト、みたいな感じで、その
音楽がすごくかっこよくって、SFだけどレトロ。

ベースはやっぱスターウォーズな感じかなあ。
アライグマとグルートはソロとチューバッカでしょ。ピーターもソロな感じ。
んで、チームになってって仲間になってって、共に戦う!
そこにノバ軍も加わっての! 最終決戦のシーンはかっこよかった!
あのー、巨大な船が落ちてきそうな感じはエヴァの使徒を連想したり。それを
食い止めるべぐ、小さい戦闘機で連結してネットになって耐えるとか、ぞくぞく
する~。かっこいい。
あと指輪物語みたいな。でもまあ指輪物語はあらゆる物語の原点みたいなもん
だからな。

ママの手を握れなかった。ママの最期のプレゼントを開けられなかった。
そんなピーターのわだかまりが最後にはほどけて、じーんと感動させるのは
お約束だーと思いつつやっぱり素直にうるっと、よかったね。

それぞれのキャラがやっぱり濃い。んで私はやっぱり、アライグマとグルートが
なんだかんだいいつつ二人は固い友情で通じ合ってる!ってのが可愛くて面白くて
大好きだった~。
アクションも戦闘シーンのいろいろも熱くなれるしね。
最初は、なんか、見に行くつもりではなかったんだけれども、面白いという
評判が多くて、やっぱり見に行って、楽しかったなあ。

スター・ロードが実は単なる地球人じゃなくて超古代の血をひいているとか、
これはまだまだ続編やるんでしょうか? というひっぱりや謎を残しつつで、
あればまたアライグマと木を見られたらいいな~と思う。

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