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『複製された男』(ジョゼ・サラマーゴ/彩流社)

*映画のと本のと両方結末まで触れてます。


『複製された男』(ジョゼ・サラマーゴ/彩流社)

テルトゥリアーノ・マッシモ・アフォンソは中学校の歴史の教師である。
離婚後一人暮らしで、うつ的な気分の中、数学の教師のすすめの軽い映画を
見てみようという気になる。「傑作ではないが、一時間半楽しむことができる」
その映画はなるほどその通りだったが、そこに出ている端役の俳優が、自分に
そっくりだと気づいた。

ということで、映画と基本的には話は同じ。そりゃそうですね。
でも映画とは違う話のようだと思った。映画だと、男と女、という軸だと思う
んだけど、本だと徹底的にテルトゥリアーノ・マッシモ・アフォンソに寄り添う
感じ。彼一人の物語だと思う。
映画でわかんないなあと思った感じが、この本を読んでも別に解消はされなか
ったなあ(^^:
映画だと、蜘蛛の幻影だったり、俳優の方の妻は妊娠していて、蜘蛛って女か、
と思わされたりしたんだけれども、本だとそういう幻影はなし。最後にびっくり
したのは、途中少し影があった、もう一人そっくりな男がいるらしい、という
三人目の存在が電話でだけど現れて、自分は一人で十分だ、と、たぶんその三人
目を殺しちゃうんじゃないかなあ、というところで終わる。
あと大きな違いは、テルトゥリアーノ・マッシモ・アフォンソ、自分は生きてる
と、母に知らせ、俳優アントニオ・クラーロの方が死んだのだ、と、その妻にも
知らせている。そして妻は、彼にアントニオ・クラーロになって、というのね。
そこを名言してる。でもそんなのうまくいくわけないじゃない??
本は不条理劇のような印象。
映画は幻想文学のような印象。
映画って原作を解釈しての映画監督の作品になってるのね。そりゃそうか。

ポルトガルのノーベル賞作家の作品。て。ポルトガルのこと私は何も知らない
しなあ。主人公の名前、テルトィリアーノ・マッシモ・アフォンソっていうのが
なんかヘンな名前らしいというその最初からしてわからない。とても古風?
日本でいったら九朗衛門でござるよ、みたいな名前って感じなのかなあ?
この舞台そのものの国が明らかにされているわけではないれけども、私には
馴染みの全然ない文化圏、という気はした。
この本の発表は2002年。著者70代の頃で、作家として名をなしたのが50代
くらいらしいので、70代といえど精力的に活動中、な感じみたい。2010年没。
歴史小説のが有名なのかな?でもこういう現代劇もありで。
私が読んだこの単行本発行は2012年。

作中、いろいろ調べるのに、電話帳やビデオテープだったりで、発表年の2002年
よりはもう少し前って感じはする。
映画だとそのへんさくっとネットで調べていて今になっている感じ。調べる過程
が、本だとじわじわ長いんだけど、映画はさくっとしてるので、あれだけ
コンパクトにまとまったのかと思う。
ほんと、このひたすら流れていく文章を解釈してまとめて映画化したんだなあと
感心した。

見開きのページみっしりに、改行もなしに、ひたすらひたすら文字なのね。
章が変わる時だけページに余白があってほっとする。
原典だと会話の「」もないそうで、それは翻訳がつけてくれたらしいんだけど、
でも改行はしてなくて、最初見た時にはこれ読めるかな。。。とうんざりした。
文体も、辞書的教科書例文的というか、かちかちした文体で、そういうのが原作
の雰囲気なのかなあ。うーむ。わからない。。。
けど、読み始めるとわりとすんなり進んでいけた。映画を見てるのでイメージが
できやすかったせいかも。本は本で面白かった。
映画見なかったら私は読まない本だと思う。いい機会でよかったです。

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