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『男同士の絆』(イヴ・K・セジウィック/名古屋大学出版会)

『男同士の絆』(イヴ・K・セジウィック/名古屋大学出版会)

イギリス文学とホモソーシャルな欲望

この本の出版は2001年。本国の出版は1985年だそうです。
翻訳までに時間かかってるんだね。みんなは翻訳じゃなくて原典読んでたのかな?
でも2001年っていってももう13年前かー。

フェミニズム、社会史を踏まえての、イギリス文学の読み直し、かな。
レヴィ=ストロースの「女性の交換」論を踏まえ、そうして女性を交換して
男同士は絆を強固にする、という形。物語の中で一人の女性と二人の男という
三角形を取りながら、異性愛の様相で女性をとりあうとか、女性を差し出すとか
しながら、実は二人の男が強い関係を築いていく。
そう見るととっても納得!な感じの読みが、あったあった。『男たちの絆、
アジア映画』で納得したし。漱石先生の「こころ」ってその図式のまんまだと
思った。さすが英国文学者漱石先生。
著者がとりあげているのは英国文学で、その中での読みなんだけれども、それが
アジアでも使えるのは、近代に向かう社会は基本的に英米の輸出品ってことかなあ。
もっと別の社会だと違うのかな。あーでも「女性の交換」って近代社会に限った
ことじゃないもんねえ。男性社会だとどこでもこうなのか。女性社会だと
「男性の交換」をして女性同士が絆を深めるのかしら。婚姻関係ってそういうもの
なんだろうか。

しかし読みづらかった。
とりあげられている英国文学作品知りませんしー。多少紹介はされているけど
やっぱりちらっとも知らなかった読んだことないのばっかりで私には察するに
限界が。シェイクスピアのソネットは少しは知ってる。うつくしいよねえ。
翻訳だしー。まわりくどいしー。何度も中断して休みながら読んだ。
でも楽しかったけどね。なんてステキな英国文学。読んでみたいなあと思った。
この本は基本フェミニズムの立場なんだけど、そこはおいといて、まったく~
男同士で!こいつらは!^^というもえもえで読んでごめんなさい。

いくつか、印象的だったところメモ。(改行は私の都合です)

 「セクシャリティもイデオロギーと同じく、通時的・共時的レヴェルの双方
 から再定義されて形成されるものである」(P23)

 「ルネ・ジラールの初期の著作『欲望の現象学』は、性愛の三角形という
 通俗的な知恵を図式化したものである。ジラールは、性愛の三角形を積極的
 に構成するふたりのライヴァルに注目し、そのライヴァル関係が形成する
 権力の演算法を、主要なヨーロッパ小説の読解を通して明らかにした」
 「人が愛の対象を選ぶ際、まず決め手となるのはその対象の資質ではなく、
 ライヴァルがその対象をすでに選択しているかどうかである、と」 (P32)

 「繰り返しておくが私が言いたいのは、同性愛がここに描かれているという
 ことではもちろんない(同性愛という概念自体が時代錯誤だろう)。むしろ
 (時代錯誤の危険を敢えて冒して言えば)、ここに描かれているのは男性の
 異性愛的な欲望なのである。それは、女性の体内や身体を通して権威のある
 男性と連帯したいというかたちの異性愛的欲望である」 (P58、恋する白鳥)

 「「人妻を寝とる」とは定義すると実は、男が男に対してしかける性的行為
 である。それが劇の中心にあるということは、この劇が異性愛を、ホモソー
 シャルな欲望を満たすための手段としてしかほとんど見ていないことを意味する」
 (P75-76 『田舎女房』)

 「『我らが共通の友』は少なくとも主題だけを見ても『男同士の絆』の執筆
 にとって大きな励みだった。なぜならこの小説には、男性のホモフォビアおよび
 同性愛に関連する主題が非常に色濃く描かれているからである。何はともあれ、
 『我らが共通の友』は「肛門愛を主題にしたイギリス小説」と言われて誰もが
 まっさきに思い浮かべる、そんな小説である」 (P247-248)

えっ、そうなの(゚Д゚) なんかこのへんやたら肛門愛とか糞とか出てきてて、
素晴らしき変態大国英国と思っちゃった(笑)

 「ディケンズは、消化機能や肛門を調節する力の中に、経済活動における
 個人主義という幻想の決定的イメージを見ていた。その点で、彼はフロイト
 やフェレンツィ、ノーマン・О・ブラウン、ドゥールーズ/ガタリやその他
 の人々に先んじていたと言えよう―」 (P259)

なんで消化機能と経済活動が結びつくのかわからない。。。ディケンズ読む
べきなのか。。。フロイトとかなのか。

貴族階級にはわりと昔から同性愛、女性化する男性、みたいなことはあった
らしい。あとパブリック・スクールで一時の欲望の嵐として同性愛行為は
あったらしい。
知的中産階級が力をつけるにつれ、男性のホモソーシャルな絆の在り方に
「女らしい」要素は極力排除され、一層男性性を強めていったらしい。
19世紀くらいかな。
セクシャリティって政治的なこと、イデオロギーなこと、社会の変化に
大きく左右されるんだね。

最近だとどうなんだろう。今、セクシャリティというよりはもっとシンプルに
愛だろっ愛、って問題として同性愛は認識されつつある、だろうか。

この本読んだからってあんまりわかったような気にはなれないけど、こういう
読みの在り方を知ったのはとても面白かった。
ホモソーシャルっていうのも前よりはもう少しはわかる気がする。まあ、もや
もやもやもやーとしてたのがぼんやり輪郭が見えそう、くらいに。
久しぶりにメンドクサイ本読んだわー。

 序章
 第1章 ジェンダーの非対称性と性愛の三角形
 第2章 恋する白鳥―シェイクスピア『ソネット集』の例―
 第3章 『田舎女房』―男性のホモソーシャルな欲望のモデル―
 第4章 『センチメンタル・ジャーニー』―セクシュアリズムと世界市民―
 第5章 ゴシック小説に向けて―テロリズムとホモセクシュアル・パニック―
 第6章 代行された殺人―『義とされた罪人の手記と告白』―
 第7章 テニスンの『王女』―七人兄弟にひとりの花嫁―
 第8章 『アダム・ビート』と『ヘンリー・エズモンド』
             ―ホモソーシャルな欲望と女性の歴史性―
 第9章 ホモフォビア・女性嫌悪・資本―『我らが共通の友』の例―
 第10章 後門から階段を上がって
          ―『エドウィン・ドルートの謎』と帝国のホモフォビア―
 結び 二〇世紀に向けて―ホイットマンのイギリス人読者たち―

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『ネトウヨ化する日本』(村上裕一/角川EPUB選書)

『ネトウヨ化する日本』(村上裕一/角川EPUB選書)

暴走する共感とネット時代の「新中間大衆(フロート)」

ネトウヨってよく聞くけど、具体的にはどーなんだろうね、と思っていて、
丁度よく教えてくれるんじゃないかと思って読みました。
ネトウヨってすぐ言うとか、ヘイトスピーチとか、炎上炎上また炎上とか。
アングラ的だった初期のネットの雰囲気が薄まりつつもヘンに広まっている
ような感じがします。私が見ているネットっていうのはごく一部だろうし、
世の中の人が見ているネットっていうのもそれぞれのごく一部で、ツイッター
のTLを言うまでもなく、一人ひとりが見ているネットはその人だけのもので、
マスメディアとはなんか違う。けれども、ネットの中でも声の大きさっていうの
はあって、ブクマ集めるとかリツイート数が莫大とか、炎上が広がるとか、
個々のネットが個々じゃなくなる時って、結局炎上っていうのが一番大きいの
かなあと思う。

この本ではネトウヨとは誰か、ネットの「共感」、ネトウヨとオタクと政治、
在特会やロマン主義の解説などなど、わかりやすくて面白かった。
セカイ系と決断主義とかもわかる。んが、最後のカゲロウデイズの話のところ
は、私がそれをまったく知らないということもあって、かなり大量に書かれている
けれども全然ピンとこない話だった。なんでそんなにカゲロウデイズの話を
この本の中でしなくちゃいけなかったの?
アイロニーからヒューモア、ということなのかと思うけど、うーん~。
カゲロウデイズの話をそんなにされてもわかんない、と、私がついていけなかった。
私が見ているネットの中にそのあたりが全然ないからなあ。
ニコ動を全然見てない。pixivとかも。その辺にもう全然ついていけてないので
今のネットっていうのがわかんなくなってるかなあ。そしてわかんなくても
もういいや、って思っちゃってるからなあ。

ネトウヨにいつの間にか染まる一般大衆、みたいなのを「新中間大衆」、
「フロート」と名付けている。選挙での無党派層。とりわけ個人的に主義主張
があるわけでなく、共感から動くもの。
スマホの広がりというのが、タッチパネルで情報に触れるというのが、
今までと違ってより親密に感じているのではないかというのは面白かった。
そうかなあ?
まあ確かに画面の情報を手で触りながら見るけどさ。スマホは眼鏡や補聴器の
ように、ちょっとした感覚サポートのデバイスくらいに身近になっているの
ではないかというの、面白かった。デジタルネイティブだともうそのくらいの
感覚なのかな。

(以下引用の改行は私の都合でやってます)

 「ここで今一度、フロートの定義を確認しておいてもいいかもしれません。
 フロートとは、ネット時代の新中間大衆として、情報と共感的に触れ合う
 存在です。そのような人たちにとって、ネトウヨ化とは、いわばネトウヨ
 的情報を素直に受け取ってしまったがゆえの右傾化状態と言えます」(P186)

 「これまで政治的な活動をしたこともなければ、政治的な主張も持っていな
 かったにもかかわらず、日常的にスマホなどでネットを利用している中で、
 自然さを装った様々な情報に触れているうちに、右翼的、保守的、反・反日的
 な情報・思想バイアスを受けてしまった人たちのこと」(P187)

私、どっぷりネット依存だけど、なんとなく右翼的になってるかなあ。
あんまり自覚はないけど、そうかもしれない、けど、うーん。自覚はできない
ものなのかなあ。

 「ネットの存在しなかった世界では、いかなる思想・文学運動も旗を振るのは
 人間でなければなりませんでした。しかしながら、今やその旗振りは「匿名の
 誰か」ないしはネットの無意識が担うようになったのです。それは、イロニー
 を担うイデオローグの必然的・構造的不在を意味しています。
  (中略)
 ネット時代のロマン主義は、ただその結果としての過激さだけを産出する自動的
 な機構になりつつあります」 (P244-245)

そんなこんなで、文学の復活が必要だ、みたいな話。純文学とかいうわけじゃ
なくて、ゼロ年代のセカイ系の流れからの、セカイ系決断主義、という話に
なっていくんだけど。

 「アイロニー、あるいはアイロニカルな没入に対する抵抗としてのヒューモア
 は、まさにここに書かれている通り、抵抗の身振りです」 (P324)

というのはわかるとして、そのカゲロウプロジェクトの話がなー。わかんない。
「進撃の巨人」も私見てないしなー。それにどっちも完結してなくて完成してない
状況で、あれこれ言われてもちょっと、そうなの?どうなの? と思った。
でも全体面白く読みました。

 目次 
 はじめに
 序章 暴走するネット社会とセカイ系決断主義
 第一章 ネトウヨとは誰なのか
 第二章 ネット上の「共感」はいかにつくられるのか
 第三章 ネトウヨとオタクの政治的親和性
 第四章 ネトウヨの精神的起源としてのロマン主義
 第五章 コンテンツに現れた共感的共同体の可能性
 おわりに
 主要参考文献

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映画「ダーク・ブラッド」

*結末まで触れています。


映画「ダーク・ブラッド」

砂漠の遺跡を週末旅行で楽しんだ俳優夫婦。だが、車のトラブルで何もない荒野
に立ち往生してしまう。
夜、明かりを見つけた妻バフィは助けを求めにいく。あばら家に一人暮らして
いた青年は夫婦を助けるが、なにかと口実をつけて二人を町まで送っていこう
としない。青年が求めるものは何なのか。

リバー・フェニックス、23歳。この映画の撮影終了しないで亡くなってしまい、
未完のまま放置されていたものを、監督が自身の病気をきっかけに、まとめて
おかなくては、と決意して完成させてもの、だそうです。
リバーの死から20年。完成はしてなくて、やっぱり未完の作品だった。
何か所かは監督の(かな?)ナレーションで出来事が語られる。撮影、できなかった
んだなあと思う。
やっぱり、一つの作品としては私は見られなくて、リバーくん追悼、という、
リバーくんの姿がスクリーンにある、という、そういうものとして見た。

ボーイという孤独な彼。妻は癌で亡くなり、犬と一緒に吠えてみたりする彼。
もっさり小汚い青年なんだけど、やっぱりすごくかっこよかった。凛々しい
鋭い感じの美形なんだよなあ。
迷ってきた夫婦が中年のおっさん俳優とその美しい妻、ということなんだけど、
妻も別にそんなすごく若くてきれい、って感じじゃないのが妙にリアル。
アル中気味なのか。ボーイに執着されて危機感なくいい気になるバフィ。
いやいや奥さん、こんな荒野で若い男にモテて喜んでる場合じゃないよ、殺される
とかなんとか、危機感持とうよ? と、ヘンな感じがする。

お客さんがくるのもいいもんだな、なんて言ってたボーイ。孤独のあまり
ちょっとおかしくなってるのか? と、だんだん理不尽な恐怖がつのる。

あと、原住民は追われ、ここは核実験地の近くで、汚染されているとか、
シェルターをつくっていたりとか、そういう社会問題みたいなものも絡めて
描こうとしていたのかなあと思うけど、あんまり私にはうまく読み取れなくて
核実験地の近くで、とか、って、ちょっと、今、日本であの震災あったあとの
日本人として、そういうちょっと不思議な狂気な背景っていうのはどうなのー
という感じがして、うーん~。わからない。

きちんと映画が完成していればもうちょっとわかるものだったのか、それとも
そもそも映画作品としてどーだったのか、今となっては判断できない。
でも、この理不尽な恐怖、なんだかずれていく感じ、シリアスなのかなんなのか
変にずれている感じ、そういう変な感じがむしろ今時っぽいように思った。
なんか最近、シリアスさと演出のバランスが奇妙に感じるよーな作品が多い
ような気がするの、私。
あんまりまっとうじゃない不思議な感じ。
今見られてよかったかもしれない。

結局、実はボーイは車の修理の手配をしてあげていたのか?
最後、勢いでボーイを殺してしまったハリー。おっさんどーなっちゃうの。
死ぬ間際にバフィの胸にすがったボーイ。でもあれ、結局最後に恋しいのは
ママのおっぱい、みたいな気がして、それどーなのよー、と、思っちゃった。
あと、犬。ドッグ、って呼んでて名前「犬」なのかな。お役立ちわんこで
可愛かった。

でもほんとリバーくんはかっこいい。
今生きていれば43歳くらいってことなのか。おっさんになり、じーさんに
なってゆくリバーくんを見ていたかったよ。ますますかっこよく渋く、年を
とっていってかっこいい俳優でいてくれたら。
もう決してかなわない願い。
改めてかっこいいなあリバー・フェニックス、と、思いました。

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『男たちの絆、アジア映画』(四方田犬彦、斉藤綾子 編/平凡社)

『男たちの絆、アジア映画』(四方田犬彦、斉藤綾子 編/平凡社)

ホモソーシャルな欲望

セジウィックの論を受けて、ホモソーシャルという概念でアジアの映画を
読み解いてみよう、という試論。

 男たちの絆   四方田犬彦
   *
 トニーとジョー   四方田犬彦
 高倉健の曖昧な肉体  斉藤綾子
 漱石から清順へ ホモフォビアの近代   岩見寿子
 性の境界線に立って『さらば、わが愛/覇王別姫』 アン・ニ
 政治的な男たちの絆と香港女性   メアリー・ウォン
 香港ノワールの英雄(ヒーロー)たち   ハン・イエンリー
 韓国映画 猟奇殺人と戦友愛   キム・ソヨン
   *
 ホモソーシャル再考   斉藤綾子

著者のお名前の漢字出しづらいのでカタカナのほうで。ごめんなさい。
これは明治学院大学文学部藝術学科での公開シンポジウムをもとにしての
論文まとめの本らしい。2004年刊。

「覇王別姫」のを読みたいなと思って探したときに見つけて読んでみた。
とりあげられている映画は見たことあるものもあるけど、知らない方が多かった。
読みやすくわかりやすく面白かった。けど、そんな簡単でいいのか、という
気もしないでもない。というか、ホモソーシャルってこんなにもわかりやすく
使いやすいのね。ホモソーシャルって世界共通にいける概念だなあ。まあ
男主体になっている社会においてはほぼ言える概念なんだろうなあと思う。
ホモソーシャルであるがゆえにホモフォビア、っていうのもちょっとわかる
ような気がした。
社会の基盤が異性愛から成り立っているというのは残念ながら事実で、
そーなっちゃうか。
でもこうして言語化して認識するようになることで、それだけに偏ってる
ばっかりってどうなの、って考えていけるといい。

高倉健とか日活アクションのジャンル映画とか、見て見たくなったなあ。
まだ若い高倉健が男に認められる男になっていく、とか、素敵。
『日本侠客伝』『昭和残侠伝』とか見たい。
男というフィクションを成り立たせる極み、みたいなところかなあ。

男二人、女一人という構成が男の絆を深めるための構成、というのも
面白かった。腑に落ちる。
香港という街が女性な位置づけであるというのも面白かった。
香港返還のあの1999年のひとときの不思議な空気。私はもちろんなんの
当事者でもないので、それこそ映画で見るくらいしかわからないことだけど、
そういう時代の感じってなんとなく感触があるのなあ。

しかし四方田犬彦の無自覚なホモフォビア、みたいなの呆れた。いや、素直に
そういうの出すあたり可愛いもんなのか。当然立派な先生なんだろうけれど、
こういうの読むと私の中では四方田犬彦ってすげーバカっていう認識に
なりっぱなし~。

覇王別姫の論は、まあそんな感じなのかな?という感じで。わかったような
わからなかったような感じで。ホモソーシャルな構図の話なので、あの圧倒的
なうつくしさのことは別に触れられてなくて、あ、私が読みたいのと違った、
と思った。

しかしやっぱりなによりもともとの、セジウィックのを読もうと思う。
順番違っちゃったなと反省。

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『密告者のゲーム』(ディック・レイア&ジェラード・オニール/角川書店)

*ネタバレ、かな?

『密告者のゲーム』(ディック・レイア&ジェラード・オニール/角川書店)

FBIとマフィア、禁断の密約

若き特別捜査官、ジョン・コナリーはサウス・ボストン育ち。その街で幼い頃
憧れた青年ホワイティ・バルガー。バルガーは若くして有名なタフなティーンエイジャー。
FBIになったコナリーは密告者が欲しかった。
マフィアを潰すため、対立するバルガーは密告者となって自分の有利を得る。
貴重な情報源を得てのしあがっていくコナリー。
FBIとの繋がりから捜査情報を得て暗黒街で力をつけてゆくバルガー。
二人は法の規制の範疇を越えて親密さを増し、腐敗の道を進む。

ホワイティ・バルガーの弟は上院議員だったみたい。兄は暗黒街の顔役、弟は
立派な政治家。街のヒーロー的な兄妹だったみたい。
コナリーがバルガーに接触し関係が始まったのは1975年。その後いろいろ
明らかになるのは1999年くらいか。この本の終りの時点でホワイティは
捕まっていない。大昔のことじゃなくてつい最近じゃん、と思う。映画みたい
だよねー。映画化の話もあるようだ。だろーなー。ほんとに映画化するのか?
この本発行2001年。
話はあれど実現には時間がかかるものなのか。

ジャーナリストがつかんだスクープからの渾身のノンフィクションだそうで、
小説ではないので、私には読みにくかった。いろいろ現れる人の名前が
覚えられないし(^^;
まあ細かい人物のことはいっか、と、淡淡と読んだ。
悪いマフィアと戦うために、身内にとりこんだちょい悪なバルガーのことは
守ります、ってなっていたのが、だんだんちょい悪どころじゃなくて暗黒街
の大物のためにFBIや警察の情報流す、と、主客逆転するコナリー。
裁判やマスコミにがっつり出ていたらしいコナリー。アメリカじゃ有名な
スキャンダルだったのかな。知らなかった。

街のダークヒーローみたいな感じで俺たちのホワイティ・バルガーみたいな
存在だったような感じでもある。弟のほうもどのくらい知っていたのか、
関わっていたのか、それは証拠もないことなのだろうし明らかにされてないけど
そういうのもますますお話じみている。凄いねえ。
最初はコナリーなりの正義感だったのに、とか、取り込まれていった上司
モリス。結局不遇に落ちぶれたモリスが告発に回るとか、なるほどあるある、
とてもドラマチック。

ぐぐってみたら、2011年に、バルガーは15年にわたる逃亡の果て逮捕
されてるみたい。81歳だそうで。凄いな。今は84歳になるのかな。
逮捕されたから映画化も動いたのかな。
こういう密約や腐敗があったこと、それが明らかにされたこと、両方凄いな。
明らかにならずに逃げきったものもあるんだろうなあ。
暗黒面はすぐ隣にあるかもしれない。面白かった。

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映画「アメイジング・スパイダーマン 2」(2D、字幕)

*ネタバレです。


映画「アメイジング・スパイダーマン 2」(2D、字幕)


スパイダーマンとして街を守るピーター。マックスという男は人々から
ないがしろにされている中、ヒーロー、スパイダーマンに憧れていた。
オズコープ社で残業の途中、実験設備の水槽に落ちてしまったマックス。
彼は自らに電気を溜め操る怪人エレクトロに変わってしまった。

という感じで、敵は最初は冴えないおっさんだったマックスが逆恨みの塊に
なるエレクトロ。電気ウナギに噛まれたせい?
相変わらずの迫力やNYのビル街を飛び回るスパイダーマンの爽快感を堪能。
2Dでもね。

ピーターがいかにもティーンエイジャーだった。グウェンとの恋に悩み、
彼女を傷つけたくなくて離れる。けれど、忘れられないし結局側にいようと
決意したのにその時、と。
グウェンが美人で優秀で、こんな彼女がいたら大事にしたいし別れられないよね!
と納得の素敵さ。だから彼女がまさか最後にそうなるとは。実は目を開けて
にっこりするはず、と、信じてたのにー。彼女を抱きながら泣き出すピーター
にはぐっときた。ステイウィズミーって何度も何度も囁いてた。嗚呼まだ子供
の男の子なのに、こんな試練は酷い、と、本気で哀しかった。
ずっとお墓に佇みにいくピーター。
青春映画だなあと思ったよ。
アンドリュー・ガーフィールドは1983年生まれだそうで、実際には30に
なってるのか。でも若い男の子って感じがすごくして、よかったよー。

ピーターと子供の頃親友だったというハリー登場。オズコープ社の若き跡取り息子。
でも難病の家系らしく、そもそも父親もその研究としてなんか謎の実験やら
生物交配やらやってたっぽい。スパイダーマンのスーパー蜘蛛もその産物?
スパイダーマンの血が欲しい、と、ピーターに頼むのね。スパイダーマンの写真
撮ってるから、知り合いだろ?って。でもスパイダーマンは断る。
これがねー、なんで断るんだよー。人体実験は危ないかもしれないけど、血を
提供してハリーの助けに何故なろうとしないんだよピーター!友達だろ?
二人の仲良しシーンがなかなか素敵だったのに。ちょっと納得いかなかったなあ。
ヤケになり暴走するハリー。
デイン・デバーンの傲慢そうな感じとか不幸どん底な感じとか、すごくよかった。
ハリーが好きだー。

コミカルではあるし、なんでだよなんだよそれ、というツッコミしたいことは
あるけど、まあお約束はお約束な感じとして。
軽やかさもジーンとくる感動も、もちろんかっこよさもたっぷり味わいました。
なかなか見に行けなかったんだけど、やっと昨日行った。行けてよかった。
映画館で見るもんだよー。

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『妖琦庵夜話 人魚を喰らう者』(榎田ユウリ/角川ホラー文庫)

*結末まで触れています。


『妖琦庵夜話 人魚を喰らう者』(榎田ユウリ/角川ホラー文庫)

シリーズ三作目。
瀬戸内の小さな島にある人魚伝説。
若い娘が攫われて、殺されて肉を喰われる事件。古い過去の出来事と、妖人の
<人魚>との間につながりはあるのか、ないのか。

お正月。賑やかな妖琦庵に転がりこんできた脇坂くん。行方不明になった娘が
人魚なのではないか。その肉を喰う妄想に取りつかれたものの反抗ではないか。
捜査協力で夷さんは婚活パーティに参加。
そこで出会った見た目は若いが39歳の女性、加南。被害者の女性水希と親しく
していたとのことで、脇坂は彼女からいろいろ話を聞きだす。

まーそんなこんなで、過去の因縁話と今と、30年を経ての事件でした。
そんなところにも青目の仕掛けがありました。
今回の一番のびっくりは、青目は実は伊織の弟なのか! てことでした。
そうだったのか。

てことでこれはシリーズがまだまだ続くのか。二人の過去話もいずれじっくり
描いてくれるのかなーと期待。でもさあ、もう青目が死ぬ以外の決着ないんじゃ
ないのか。青目が実は心入れ替えましたとかないよな。ないよね。伊織があっち側
にいくってこともないだろーし。ホラー文庫だからあっち側にいっちゃうって
いうのもありなのか??いってくれたら凄いけど、いかないだろうなあ。うーん。

婚活女子、加南が、痛いというか怖いというか。辛いというか。
実は哀しいとかただ愛されたかったんだとか、脇坂くんが優しく認めちゃう
からなあ。結局本当に嫌な人間悪い人間いない、という感じなのが優しいお話
だなあと思う。物足りなくも思うけど、これでいいような気もする。うーん。

脇坂くんは随分成長してるようで、ついには伊織に茶室に招かれました。
こんなに働かないと認められないのね(笑) 
意外と脇坂くんのアホの子ながらのポジティブ成長がどんどん進んでいって、
もしも伊織があっちにいきそうになってもこっちに引き戻す重要な強さになる
のかもしれないなあ。夷さんもマメももう家族だからねえ。
ノラ犬神な新キャラも登場したな。メイン人物はもう十分なんじゃないのか。
まだ増えていくのかな。シリーズどのくらい続くんだろう。あんまり長くは
してほしくないなー。
青目との今後の展開に期待。

そうだ、初回特典? 中村明日美子さんのコミックペーパー。脇坂くんを
いじめる(笑)伊織と夷が妖人らしくてよかったw
表紙も今回のはかっこよかったな。

しかししかししかし、やっぱり京極堂に似すぎてませんかー。シリーズ3作
読んでもまだ京極堂のイメージ払拭できない私。
あ~京極堂の新作読みたいなあ。。。

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