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『同性愛と異性愛』(風間孝、河口和也/岩波新書)

『同性愛と異性愛』(風間孝、河口和也/岩波新書)

2010年に出た本。
同性愛と異性愛について。同性愛について、は、必然的に異性愛についても
語ることになる。やはり、始めに異性愛ありきの上で同性愛というものが
意識されることになるよねえ。

同性愛というものが広く意識されるようになるのが19世紀末のヨーロッパ
やアメリカにおいて、ということは、歴史的にはまだここ100年あまりの
ことなのか、と思う。もちろんそれ以前にも、聖書のソドムとかにも、
同性愛的なことは記述あるんだよね。でも、産業革命後、都市に人が集まり
仲間を見つけたり同性愛者として自己認識を持ち、やがて人権の問題として
社会性を持つ同性愛というのは、そのくらいということか。
都市部でのある程度の匿名性を持つようになってからの同性愛者の生き方と
いうのが切ない気がする。村社会でははなから同性愛者として生きること
自体あり得ないことだったんだろう。

この本は、1980年代あたりからのこと中心。歴史的変遷を紹介しつつ
エイズパニックの頃から現在までの日本の状況の大まかな流れがわかる。
著者は二人とも男性であるゆえに、同性愛といってもおもにゲイの話。
レズビアンのことに触れているのは少しですねー。まあ仕方ないか。

「動くゲイとレズビアンの会」が勉強合宿を行った府中青年の家で、差別を
受けたことを訴訟に持ち込んだことが丁寧に紹介されていた。
発端は1990年。高裁の判決が下りて訴訟が終わるのは1997年。
そのくらいかかちゃうもんなんだなあ。
この件のことは当時なんとなくニュースかなんかで知ってたような気がする。
いや、もっと後から知ったのかなあ。記憶曖昧。
なんとなくその時は、大っぴらに訴訟とかメンドクサイことしなくても、と
私は思ってしまっていたと思う。でもこうしてきちんと差別への異議を主張
して広く訴えていく活動がなければ、いつまでもこっそりひっそり黙って
受け流す、泣き寝入りばっかりしてなくちゃいけない。
人権て、黙ってたら誰かがくれるものじゃないんだよねえ。
私はやっぱり今でも何らかの活動のために自分が動く、ということはできて
ないんだけど、もうただ黙って泣き寝入りすればいいとは思わない。

フェミニズムみたいなこととか、ジェンダーの思い込みとか、なんかもう
ほんと全部、「性別」というもので差別するのもされるのもなくなればいい
のになあと思う。まーなくならないんだろうけれども、建前でもきれいごと
ででも、なんにせよ「性別」というものを人間の要素の中で最大のものに
しなければいいのにと思う。
背が高いとか低いとか、痩せてるとか太ってるとか、頭いいとか悪いとか、
美形とか不細工とか、優しいとか冷たいとか。ある人を構成する要素は
いいものも悪いものも沢山あって、その中の一つは性別であって、でも
性別だけがことさらに丸ごとに「人」を分けるものにならなければいいのに。

今、かつてよりは同性愛への偏見は減ってきているかもしれない。
同性婚を認める国も増えてきてる。同棲カップルの結婚も離婚もある。
でも異性愛者の異性愛が当たり前の気分はあまりにも強固で空気のごとく
意識されることすらないほどに強固で、私もたぶんいろいろジェンダーの
思い込みとかいっぱいある。
できるだけ考えて自覚して自由になりたい。
できるだけ広くいろんなことを知りたい。
この本は具体的事例がわかってよかった。

ジュネやらBLやらできゃあきゃあもえもえはしてるけど、真面目に
真剣に、差別から自由に生きられたらいいのにと思ってます。フィクション
を楽しむのは楽しむとして。知りたい。
誰も、愛のかたちで苦しまないでいられたらいいのにね。

 はじめに
 第一章 エイズ・パニック
 第二章 法廷に出された差別
 第三章 歴史のなかの同性愛者たち
 第四章 ホモフォビアと異性愛主義
 第五章 性的マイノリティとは何か
 第六章 親密であるということ
 おわりに

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