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『フード左翼とフード右翼』(速水健朗/朝日新書)

『フード左翼とフード右翼』(速水健朗/朝日新書)

食で分断される日本人

 「食べるものを選ぶ」
 それだけで政治思想がわかる。

と見返しに煽りがあります。食べ物、食生活の違いで政治思想を分けるという
のは読んでみるとなるほど~、と納得させられそうにとてもわかり易かった。

フード左翼というのは、健康志向。オーガニックだとかスローフードとか、
ベジタリアンな方向。具体的には青山のファーマーズマーケットの話や、
有機野菜をつくって届けるところの話などがありました。
フード右翼というのは、ジロリアンだとかメガ盛りだとか、安くてチェーン店
で食の安全に拘りは少ない感じのところ。
なかなかその右翼左翼と分けられるものとイメージが私にはピンとこなくて
そこが難しかった。
右翼っていうと国粋だとかあのー、ゴツイ街宣車で何事か訴えるみたいな
イメージで、左翼っていうと学生運動で火炎瓶投げてましたみたいな。
そもそものその私のイメージがヘンで右翼左翼をわかってないんだ(^^;

食のグローバリゼーションというか、とにかく安く、とにかく大量にという
工業化したような不自然な食べ物に溢れている現在。それをやめて、もっと
自然に地産地消、新鮮な安全な食べ物のみを食べる、という感じがフード左翼
と名付けられている、かな。
それは都市部の在り方で、富貴層の在り方。
オリーブ少女の行く末で理想を追求する在り方。

そういう憧れは私にもないわけじゃない。雑誌のクウネルとか天然生活とか。
ヨガも軽いスピリチュアルもいいと思う。
けど、同時に何がオーガニックだ、ケッ、という気持ちもある。
青山の高級レストランで有機野菜のグリルに塩とオリーブオイルだけで
召し上がれ、みたいな感じには、どーしても馴染めない。
私は富貴層じゃないしおしゃれピープルじゃないしジャンクフード大好きだし
食の安全にあんまり心配持ってない。
青山のファーマーズマーケットねえ。国連大学のあそこ。何度か通りかかった
ことあるけど、そこで生産者と会話したりして新鮮野菜を買うとか食べる
とか、全然魅力を感じない。コミュ障には高すぎるハードルだろ。
それにそんなに「いいもの」を売ってる感じもしないんだよねえ。
私にその価値がわからないから、なんだろうけど。でもねえ。

私は地方の農家の娘だったので、ほんとに新鮮でとれたて野菜たっぷりで
育った。その有難味は全然わかってなくて、むしろうんざりしていて、
今家を離れてから、あー、あの食生活はなかなかいいものだったのかなと
少しは思うようになった。
とはいえ、別に有機栽培無農薬とかだったわけじゃない。
農業のうんざりするところをよーく知ってるので、素敵生活みたいに
有機野菜で手作り、みたいな農業の話にはどうしても、ケッ、という視線で
見てしまう。あと高級レストランの新鮮野菜、みたいな煽りもね。別に
ほんとの新鮮じゃねーだろ。流通の時点でいくら直送ったって時間たってる。
などなど、野菜関係のあれこれには素直になれない私が悪いんだけどさあ。

左翼のジレンマ、ということで多少触れられていたけれど、
実際本当に農業がすべて有機栽培になり、無農薬になり、遺伝子組み換えも
なくなると、世界の人口を賄うほどの食糧確保はできなくなるようだ。
今でも飢えてる人はたくさんいるのに、さらに食糧取れ高が減るように
舵取りしていくのは、都市の富貴層のエゴなのでは。
実際自分が食事をするときに、地球にはまだ飢えた人々が、といちいち
気にすることはできないけれど、ねえ。

著者もこの本の取材をへて、ゆるやかではあるがフード左翼側へ食生活が
変化したそうです。有機野菜自然食レストラン美味しいもんね、ということ
だそうです。ふーん。
富貴層うらやましいね。

っていう、もー、どーしても、都市部富貴層め。という恨み視線ばっかり
になってしまう私って、人間が小さい。

最後の方の、セントラルキッチンの考え、共産主義的なものみたいなんだけど、
今まさに求められている感じのことでは? と思ったけど、どうなんだろう。
集合住宅の真ん中にキッチンがありベテラン家政婦が食を賄い、保母がいて
託児所みたいのもあり、って、働く母親が欲しいものなのでは。戦前ドイツ
で挫折した試みのようだけど、今、ビジネス的にやってみるってどーなのか
なあ。今でも母親の手作りが賞賛される世の中みたいだから無理なのかなあ。
世の中の変化ってどのくらいなのか、いまいちはかりかねる。

政治思想が見える食というのはとても面白かったです。
フード左翼のほうへの私がもやもやと拒否感ある感じもちょっとはクリアに
見える感じがして面白かった。
毎度ながらこうわかりやすいなあ、とすんなりさっくり読めてわかる気に
なってしまう危うい~ということは肝に銘じつつ。読んでみてよかった。


 序章 「食の分断」から見えるもの
 第一章 政治と切り離せない食
 第二章 フード左翼とは誰のことか
 第三章 政治の季節から食の季節へ
 第四章 魔術化するフード左翼と民主化するフード右翼
 第五章 フード左翼のジレンマ
 補章  高齢者の未来食と共産主義キッチン
 終章  食から政治意識を読み解くということ

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『神経衰弱ぎりぎりの男たち』  『犬と小説家と妄想癖』

*具体的内容、結末まで触れています。


『神経衰弱ぎりぎりの男たち』
『地球は君で回ってる』
『最後から一番目の恋』 (高遠春加/二見シャレード文庫)

シリーズで、神経衰弱ぎりぎりの男たち2,3ですね。
これ、一巻目の最初のお話を読んだときには、目が覚めたら自分が誰だか
わからなくって、隣には裸の男が眠ってて、自分も裸で、ええっ、俺、
どーなっちゃってんの!? という、お気楽大学生くんのバカップルみたい
な感じだったのに、3巻まで読むと物凄くずっしりした作品になっていて
凄かった。

七瀬くんは、明るく素直で可愛くて多少おバカではあるけどしっかりも
している、可愛い受だけど長男くんで相手をほっとけなくなるタイプ。
高槻匡一は同じ大学、二年上。医学部で成績トップで美形で、コンピュータ
とあだ名つけられるほどクールで学内でのちょっとした有名人。
七瀬がはずみで怪我をしてしまったことに責任を感じた匡一が、事故で
アパート潰れちゃって行き場のなかった七瀬を余った部屋に泊めることになり。
だんだん二人の距離が近づいて、っていったらまあありがちなお話。
匡一くんが、親に捨てられら子どもだった、という、いろんなのが彬かに
なるにつれて、その生い立ちがちょっとやそっとの孤独じゃなくて、凄かった。

父は実力派だけどメジャーじゃない元役者で、母親は不明で、義理の母とは
まったくの他人行儀で、父は15の時に亡くなり、二十歳の時には義理の母
にも出て行かれ、クールに完璧に、自分を律して勉学に励み、とはいえ
酒も煙草も女も男も適度に遊びこなし、他人を信じないし好きにも嫌いにも
ならないようにしてるのに人肌恋しくて一緒に眠る相手が欲しくて、傷つき
やすくて危うくて脆いのにポーカーフェイスが上手すぎて誰にも本心を見せ
ないとか、匡一くんが素敵すぎるかっこよすぎる。

匡一に恋してしまうまで自分が男と、っていうのを想像すらしたことない
七瀬が怖がるのを余裕で待つのも煽るのもよかった~。こうじっくりと
いくのが素敵。可愛い。セクシー。

一冊に二つほどお話があって、それぞれの時間軸が前後してて、一作目より
あとに出会いがあったりでこれは文庫本三冊一気読みできてよかったなあ。
高遠さんは今は「高遠琉加」という名前にしている。神経衰弱の本が最初の
単行本?1999年の発行。
最初の話だけだったら、ふーん、くらいなもんだけど、次の出会いの話で
ぐっとつかまれてしまいました。
二冊目が2000年、三冊目が2001年ですね。最初の話以外は書下ろしみたい。
雑誌で短いのを読むよりは、じっくり長編がいい作家さんなのかなあ。

最後の番外編は、匡一くんの父、俊哉の決して叶わない思いで。
なんという切なさ。BLというよりはJUNEって感じの味わい。
親の因果が子に報うみたいな話はあんまり好きじゃないんだけど、匡一の
過去を見て、俊哉さんと匡紀さんの話を読めたのはよかった。
しかし生みの母、三重子さんよー。ひどいじゃないのー。いやでも、
恋はねえ。仕方ないねえ。哀しい。

最初のお気楽大学生カップル、みたいに思ってたところから、こんなにも
辛いところまできてしまうとは。
さびしい子どもには、ただ手を、手を握ってて離さないで、側にいてくれる
大事な大好きな人が必要なんだよ。
ほんとうはただそれだけ。
匡一くんと七瀬は幸せになるだろう。
俊哉さんがただ一つ望まれて果たせなかったこと。ただ幸せになって、という
願いを、匡一くんはきっと叶えると信じられる。
匡紀を失って、抜け殻になっても匡一くんを育て、育ててもやっぱり匡紀では
ない子どもを捨ててしまった俊哉さん。12の時に疾走したってのは、
出会ったころの匡紀さんの年と近くなって、やっぱり違う、って思ったり
したのかなあ、と、想像する。
やりきれない。
愛していただろうに。あまりにもからっぽになってしまっていたとしても。
幸せになってね。

匡一くんの周りにちゃんと直巳さんみたいなご近所さんがいたり、実は
大事にされているという配慮があってよかった。すごくよかった。
匡一くんの「好きだよ」を言うタイミングだとか、きれいな手の描写だとか、
ものっすごく素敵。
私は高遠さんの小説が本当に本当に、大好きだなあと思う。ツボにくる~。

ちょうど『真夜中の相棒』読んだばかりでもあり。あれは二人ともがさびしい
子どもだったからなあ。二人の側に、お互い以外誰もいなかったからなあ。
切ない。

   *********************

『犬と小説家と妄想癖』(高遠琉加/ビーボーイノベルズ)

大学の時からの友人、不破と鮎川。鮎川をかばって自分が階段から落ちて
しまった不破は右手骨折。責任を感じて鮎川は売れっ子作家である不破の
仕事を手伝う。不破の小説は官能小説。口述筆記を手伝うってことは、
しっかり濡れ場を語り聞かされながらワープロをうつってことで。

これは単発かな。編集の沖屋さんのお話があるのかな? わかんないけど。
まあ可愛い感じでした。
これも恋人に、ってなった後にもなかなか抱かれることに恐怖と戸惑いが
あって鮎川くんがぐるぐるなのが。可愛いけれどもイラっともする(笑)
まあそうだよねえ。

これは2004年。この時にはもう名前変わってるのね。
そしてやっぱ、男が男に抱かれるなんて。俺はストレートなのに、みたいな
感じなのはちょっとなあ、と。この恋の前はまっとうにストレートだった、
みたいなのが神経
衰弱ぎりぎりのほうにも出てたけど、そういう差別的思い
込み発言がさらっとあるのは、まあ、まだまだそんな時代というか、そんな
世界というか、そーだったんだなーというか、そこは葛藤とタブー感がある
ほうがもえるってもんかもしれないんだけど。

ともあれ、高遠さんの本にはぐさぐさと心つかまれてまれてしまうことが多い。
好きだ。

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『真夜中の相棒』(テリー・ホワイト/文春文庫)

*具体的内容、結末まで触れています。


『真夜中の相棒』(テリー・ホワイト/文春文庫)

ヴェトナムの軍隊時代に出会ったマックとジョニー。どこか心を病んでいる
らしいジョニーをほっとけなくて面倒を見るマック。ひたすらマックを信じ
ついていくジョニー。
ギャンブルの負けが続きやっかいな相手に目を付けられ、ついには命じられる
ままに人殺しを請け負うようになる二人。
ある時、ターゲットの側にいた予定外の人物も一人殺してしまった。

前々から名作というか、名前は知っていた作品。今、新装版が出ていて、
そっかあ、読んでみようかなと思って今更ながら読みました。1984年
の文庫本。
もうね。
切なくて苦しくて哀しくて愛しくて。本当に名作だ。傑作だった。今まで
読まずにいたなんて自分のバカ。でも今読めて幸せだ自分。
原題は「トライアングル」だそうで。
マックと、ジョニーと、姿の見えないうちから彼らを追う執念の刑事サイモン
と、濃密な三人の男たちの物語。

BLだジュネだというとわかりやすいんだけど、そういうわかりやすいところ
にいけなかった苦しさがある。今現在なら、同性婚も認識されるようになって
きている。同性愛ということを知る機会は増え禁忌のイメージもかつてよりは
和らいでいると思う。
マックが、もしももっと早く、もっと素直に、ジョニーと愛し合っていると
自覚すれば、もう少し違う風になれるんじゃないのか。
愛してる、と、そういうのはもうほんと、最後3部になってからなんだよ。
女を抱きながらジョニーを思っていく。それでも、なんでだかわからないんだ、
という。
別に体をつなげるだけが愛じゃないし、せっくすする関係になればそれで
すべておっけーなわけはない。だけど、愛してる、って、かけがえのない
相棒として愛してるって、自分の気持ちを知ることができていたら。
もうちょっと早く満たされたのかもしれない。
でも、それでもダメだったかもしれない。。。

強いわけでもないカードゲームをずるずるとやめられないマック。
こんな生活をやめたいとか、俺みたいな奴と一緒じゃなかったらジョニーが
人殺しになることもないのにとか、安っぽい反省は何回もしてるのに、
立ち直れないマック。ジョニーを大事に、大事に大事にしてるのは本当で、
ジョニーもまたマックだけを心から愛してるのも本当で。マックのいう事
ならなんでも聞くし、マックのためならなんでもする。マックの側にいられる
のなら他のことは何にも気にしない。テレビや映画を見て、アイスクリームや
コークやオレンジジューズがあれば嬉しい。
それだけ。
ただそれだけ。

潜入捜査でマックたちのターゲットの側にいたために、殺された刑事、マイク。
その相棒だったサイモンは、マイクを殺した犯人をあげるより重要なことは
ないと信じて、警察署内でさんざんにたしなめられるのに、一人捜査を続ける。
その妄執に、まともでないと判断されて、仕事を失い、妻子とも別れ、
マイクの妻にも、生前マイクもサイモンの思い込みを心配していた、なんて
聞かされて、自分が信じてきたことはなんだったのか、崩壊しそうになる。
そして、ただ殺人犯を追い続け、いつしか殺人犯に執着するために生きると
いう状況になる。
サイモンもね。相棒としてのマイクがそれこそ他の何よりも誰よりも大事で、
それを愛だと、知れば、もうちょっとどうにかなれたのではないかと思うん
だけどなあ。名前のつかない感情というのが一番やっかいだと思う。
名前のつけられない感情。大きすぎる感情。想い。どうにも処理しようの
ないものになって自分が押しつぶされてしまうんだと思う。
恋愛なんだ。ってなってしまえば、傾向と対策を考えていくこともできる
じゃない? でも、自分にもわからないんだ、という思いを延々抱えて
まっとうに生きるのは難しい。

ついにマックとジョニーに辿り着くサイモン。そして、マックは殺され、
ジョニーを連れ出すサイモン。
ジョニーは心が殺されたように、泣き止んだあとサイモンに従う。
サイモンは、自分の孤独を分かち合えると信じたのは殺人犯ジョニーだけ
なのに、ジョニーの心はもうない。
サイモンの孤独。
いっそう深まる孤独。

ジョニーが、昔犬をかっていて、大事にしてて、でもジョニーを罰するために
犬まで殺されてしまった、というエピソードが前のほうで語られるところが
あった。そのあと別の犬をもらったけれど、それは別の犬だから。もう
大事にしなかった、と語ったジョニー。
ジョニーは、心を病んでいるというか、頭弱いのかなという感じだけど、
ジョニーの中での愛や信念はその分まっすぐで揺らがない。
マックの代わりなんていない。
サイモンはジョニーと愛し合えない。
相棒を失って生き残ってしまった絶望の男たち。
まっとうに生きるとか、生活するとか、アイスクリームやピザだけじゃなくて
料理を作るとか、哀しい苦しいだけじゃない愛してるということ。そういう
ことに彼らの目を向けさせてやりたい。
でも、それを自分のこととして考えられないんだろうなあ。

ヴェトナムの体験というのが、アメリカを薄闇で覆う病としてあった時代
なんだなあと思う。やりきれない。

マックを失った後にも、ナット・キング・コールの<モナ・リザ>の曲を
ジュークボックスでかけ続けるジョニー。マックが好きだといったのを
覚えてるから。マックに、曲をかけてくれてありがとうよ、って言われた
ことがあるから。
それは別に本当にマックが大好きな曲というわけじゃない。ヴェトナムで
なんとなく思い出した曲。二人が出会ったころにその話をした曲。
ジョニーの心にいるのはマックだけ。

いつまでも殺し屋を続けていけたわけじゃない。どちらかが死ぬとか、
二人とも野垂れ死にとか、遅かれ早かれなっていただろうけれども、でも
二人で愛し合うことができたんじゃないかという気持ちがどうしても残る。
しかしサイモンの妄執も孤独も切ない。
読んでよかった。

「天使が隣で眠る夜」というタイトルで、フランスで映画化されたみたい。
でも設定がかなり変わってるみたい。ん~。見てみたいような、でも見たく
ないような。この本のこの感じを、このまんまでうまく映画化してほしい
けどなあ。
テリー・ホワイトの他の作品も読んでみようかな。

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『ADコンプレックス』1~3(岩本薫/ビーボーイノベルズ)

*結末まで触れています。


『ADコンプレックス』1~3(岩本薫/ビーボーイノベルズ)

広告代理店業界三位の第一エージェンシーでプランナーをしている有栖一希。
会社が外資と合併し、急遽新しいプロジェクトにつくことになる。
そこにいたのは、女子社員にさっそくプリンス、と騒がれる完璧な美貌と
能力の世羅。それまで密かに努力を重ねて社内のアイドル的人気を集めて
いた俺、有栖はまったく面白くない。
だが、新しい仕事では慣れない強気のプレゼンで仕事を取りに行く中、世羅
からのサポートで段々二人の距離は近づく。
同じチームなのに敵対し、疑いや反発もありながら、世羅の実はエロエロ
モードな裏の顔を知るにつけ、ますます気になる存在になっていく。

3巻で完結。2004年、5年。
最初だけ雑誌掲載、あとは書下ろしだったようで、1や2では、
次にひっぱるぜ!ってところで終わってるので3巻一気読み~。
面白かった、けど。
もーねー。負けん気が強くて意地っ張りで恋愛には初心で不器用、ぐるぐる
キャンキャンよく吠える子犬みたいな受くんってパターンはイラっとする
んだよね~(笑)意地っ張りなくせに「感じやすいんだな」ってあまりにも
簡単にずるずるになってるんじゃん!抵抗しろよ!(笑)
まあ自覚する前から実は好きだったの、パターンで、それがなくちゃ
えっちーしーんが一冊の中にゼロになりかねないので仕方ないんだろうな~。
でもな~。
世羅のほうも、遊び人だけど初めての本気の恋に素直になれないの、とか、
も~~両方が乙女になってんるからもどかしいのなんの。
それでも最後には安定のめでたしめでたしで、じれたったいもどかしい
可愛いおバカ、でも超絶イケメンカップルを楽しめるのはいいかもしれない。

広告屋ってことで、クライアントになる企業へのアプローチやプレゼンの
切り口なんか結構しっかりしてるよーな感じで読めてお仕事小説として、
ま~うまくいきすぎ~のファンタジーだけれども丁寧に描いていると思った。

世羅のお付きの人、ってところの仁科と布施くんがニューヨークへ戻って
からのショートショートが3のあとについててちょっと可愛かった。
こっちの二人のほうが賢そう、というか、布施くんがちゃんとしていそう。
がんばれ^^

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『書楼弔堂 破暁』(京極夏彦/集英社)

*具体的内容に触れています。


『書楼弔堂 破暁』(京極夏彦/集英社)

時が明治というものに変わって二十年ほど。10歳ほどの頃に維新を経た
元旗本の家の出身である高遠は病療養で休職し、家族と離れて一人田舎住まい
をしていた。幸いいくばくかの財産はあり、すぐに食うに困るほどではない。
病と思いこんでいたのも、実は風邪をこじらせただけで治ってしまい、ただ
暇をもてあそんでいる。
そんな折、近くに品揃えのよい変わった本屋があると知る。
本屋の名前は弔堂。
人にとって本当に大事な一冊の本に出会えるように本を売っている。読まれて
こその本。本を成仏させたいという主。主は元僧侶であったそうだ。

6つの短編集、というところかなあ。語り手っぽいのは高遠。丁稚のような
少年がいて、主と、客と。人物としてはそんなところ。そして基本的には
本屋に客がやってきて、主と問答してその人に必要な一冊を主が売ってやる、
という感じ。
無駄などないのです、人が無駄にするだけです。みたいな決め台詞が
あるような。
終りのところでは、神職を継ぐ中禅寺さんが出てきて、京極堂の祖先、て
いうか、おじいちゃん?ひいじいちゃん?そのあたりかなあ。京極堂その
ものは弔堂の雰囲気。京極堂よりは弔堂の主のほうが親切な感じ(笑)
由良卿の名前も出てきて、ああ、地続きなんだなと思う。

それぞれ客というのが、月岡芳年、泉鏡花、不思議巡査という矢作、
井上圓了、ジョン万次郎に岡田以蔵、巌谷小波、と、なんだがゴージャス。
んで、ほとんど主との会話劇。
京極夏彦が自分が好きな人物と予言者となって会話してみたいっていう
話なのかしらと思う。弔堂に水木しげるがやってきても驚かないぞ(笑)

下人のゆくへは誰も知らない。
とばかりに、お話の終りは「誰も知らない」。
硯友社とか、ちょっと前に慶応三年のーとかの本読んでたし多少は
知ってたので、ふむふむなるほどこんな感じうんうん、って思いながら
読んだ。幕末のイメージもあるし。
でもなるほどこういう感じ、ってすんなりわかっちゃうのは、一般的
イメージ通りな人物像でしかないわけで。
彼らのなにがしかの変化のきっかけを与えたのが実はこんな主がいたりして、
っていうところはいいかもしれないけど、でも、人物像として新たな魅力
とか、主なり高遠氏なりに新たに惚れ込むってこともないわけで、ん~、
まあこんなもんか、って感じがしてしまう。
相変わらずの分厚さだけどするっと読ませる文章力はさすがで凄いんだけど、
もっと、もっと面白いのを読ませてくれ! と、私が期待してしまう。

てゆーか、もー、京極堂のシリーズやってくんないかな、って、待ちわびて
いるんだよぅ。エノキヅさんに会いたいです。

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『悪い男に愛されて』 『酷い男に愛されて』 『狡い男に愛されて』

*結末まで触れています。


『悪い男に愛されて』
『酷い男に愛されて』
『狡い男に愛されて』(ふゆの仁子/角川ルビー文庫)

企業法務部で働く津久見円は、キレ者で優秀な弁護士佐伯の仕事ぶりに憧れ
ていた。ある日誘われたパーティ。そこで初めて会った相手に、酔いと薬の
勢いで、自分の中に秘めてきた、兄への想いをしゃべってしまう。

そんなこんなで、佐伯先生の仕組んだ罠におちて仕事のためにカラダの関係
になりーの、それがだんだん愛になりーの、そして実は佐伯先生は昔っから
円に恋しちゃっててーの、も~、よかったね!ってお話でした。

企業買収で契約で、弁護士でとかその辺の感じちょっと面白かった。
しかし料亭や会議室でやるんじゃない(笑)

酷い男 は、美形完璧に円に思われていた兄、周と、最初は遊び気味に
ちょっかいかけてみた須藤の話。佐伯先生と須藤は旧知の中。悪い男と
直結で別のお話だった。ふわふわっぽいのに超優秀って周くんのほうが
私は好きだなあ。天然可愛い自分ではダメだと思いこんでるけど愛され
まくりな円よりはー。

狡い男 は、ちょっと違う話。佐伯先生と同じ事務所の神津先生と
彼を慕うわんこ系後輩国弘くん。背任だインサイダーだのの疑惑とか
ちょっと面白かった。
佐伯先生がちょこっとだけ出てくるくらい。
しかしここでも、会議室とか料亭とかでやるんじゃないよきみたち(笑)
家でやれ(笑)

いずれも、始まりは強引なカラダの関係から、だんだん本当は好き、って
受くんが気が付くということに。攻くんのほうは実はすごく愛してるのに
ついつい強引にしちゃってすれ違ってて。でも最後には気持ちを確かめ
あってめでたしめでたし。
安心して読めていい感じかなあ。えろしーん、いきなりそこまでやるか??
とはいえ、まあ、気持ちよさそうでよかったね。
2004年5年の刊行。
楽しみました。

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『セカイからもっと近くに』(東浩紀/東京創元社)

『セカイからもっと近くに』(東浩紀/東京創元社)

現実から切り離された文学の諸問題

文芸評論として雑誌に連載していたものを大幅に書き換えて一冊にまとめた
ものだそうです。雑誌の頃のは知らないので何がどう違うのかはわかりません
が、文体を「ですます調」に変えたとのことで、たぶん印象は全然違うの
だろうなあと思う。

「セカイ系」という言葉がはやったのはゼロ年代。その「ゼロ年代」って
のもなんだかもう懐かしいねという気分です。きみとぼくとの小さな関係
が、世界の危機、この世の終りみたいな大きな問題に直結してしまうような
お話、みたいな感じ。
そういう「セカイ系」の困難、というのは「社会が描けない」という問題で
今では日本文化全体に広がりつつある問題だと著者は考えているようです。
その困難への答えを、本人の意図かどうかに関わらず、描き出している作家
ということで、新井素子、法月綸太郎、押井守、小松左京の作品の読みを
提示しています。

すごくわかりやすくて面白かった。
取り上げられている作家を私自身が一応は知っているし。セカイ系とその
困難、という問題もわかるような気がする。セカイ系になりすぎててもう
「セカイ系」って言われなくなってきてるんだろうなーと思う。
社会って、描かなくちゃダメかな? とも思う。でも描かれているものの
ほうが圧倒的に面白いと私は思う。セカイ系ばっかりになってしまうのは
やめてほしいなあと思う。
でも、小松左京のとこまで原点はある、みたいに見ていくんだったら、
大抵の作品は「セカイ系」みたいとこはある、と言えてしまうと思うんだ
けど。母性だのなんだのとか。
小松左京の女は古いとか感傷、とか、マザコンとか。まー言ってみれば
すべての男はマザコンですから。いいんだけど。小松左京、ちゃんと読んだ
ことないと思う。読む気をそがれるなあ。

小松左京の全盛期の頃、「未来」が流行っていたってちょっと面白かった。
未来って流行語みたいな感じだったのかね。今思う懐かしい未来、って感じ
はこのころの感じがあるからかなあ。
私、「未来」に入ってるけど、未来は別に未来っぽくないしやっぱり
確かに懐かしい未来な感じがする。60周年すぎてるわけだし。「未来」
という言葉が輝かしい頃つけた名前だったのかな、と、思う。


新井素子はぬいぐるみ含めて「家族」という存在がどうしても出てくる。
法月綸太郎は恋愛という他者を導入してみたらしい。
押井守は不能性の繰り返しの中にこそ希望を託す。
小松左京は子を産め、生殖への欲望を、という道で絶望を救う。
って感じかなー。
何にせよ、子どもなのか。

子どもを持つって、物凄く自身の世界観が変わるんだろうなあと思う。
そこを想像することはするけれども、実際には持たない私にとっては、
実際に凄く変わるということがないわけで、実感としてはわからない。
それを責められているような気がする。
被害妄想なんだろうけど。
そしてそれなら持たないひきこもり思考のままでいい、と思ってしまう。
これも勝手なネガティブ思考でしかないけど。
現実から切り離されたままでいたい。
て、それが問題ってことなんだろうけどー。けどー。けど。うーん。

押井守の「スカイ・クロラ」はそういう風に見るのか、とわかってちょっと
面白かった。森博嗣の原作のはたぶんシリーズ途中で読むのやめてる。
そしていまいちわかってなかった。
大体私はループものにピンと来ない。ルームもの、今でこそもう慣れたと
いうか、またか、ってくらいになってきてると思う。それはゲームな思考
と親和性があるみたい。私はゲームをほとんどやったことないままなので
リセットとかやり直しとかバットエンドだのトゥルーエンドだの、そういう
ところがうまく掴めていない気がする。平行世界っていうのには馴染める
んだけど、何だろう。おんなじように思っていいのかどうかがわからない。
うーん~。

この本のところくらいだとわかる、と思える。本当に理解できているか
どうかはともかく、読んで、認識がまた違う方向からクリアになって面白い
って思える。けど、これより後で、ラノベだの、最近の文学的な作品だの
っていうのは実際の作品をもうほとんど読んでないので私にはわからない
ことになってるのかなあと思う。
最近私が読むのは海外ものが多くなってきたし。BLすら10年前くらい
のを読んでるしな(^^;
ほんとの今の作品て、何が面白いんだろうなあ。私がもう面白いと思えなく
なっているんだろうな。うーんー。面白がれるようによく見てよく考えたい。

 はじめに
 第一章 新井素子と家族の問題
 第二章 法月綸太郎と恋愛の問題
 第三章 押井守とループの問題
 第四章 小松左京と未来の問題
  参照文献

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映画「さらば、わが愛 覇王別姫」

*具体的内容、結末まで触れています。

映画「さらば、わが愛 覇王別姫」

もう遊郭では育てられない。と、幼い小豆は京劇の劇団に預けられる。
厳しい訓練の中、自分を助けてくれる兄貴分の石頭。二人はやがて最高の
役者として覇王と姫の舞台をつとめるようになる。
しかし、中国は、戦争、社会改革など政情が目まぐるしく変わりゆく時代。
華やかな京劇役者として成功をおさめていた二人はどう生きるのか。

1993年の映画なんですねえ。午前十時の映画祭やってたので見に行って
きました。多分公開当時以来なんじゃないかな、ちゃんと見るのは。
完全版? 172分だそうで、がっつり3時間、時代の奔流と蝶衣たちの
人生につきあった感じ。
昔の公開の時ってもうちょっと短かったのかなあ。こんなシーンあったかな
と思ったところも。単に私が忘れているだけかもしれないけど。
あのー、初めて舞台で覇王別姫を演じて、少年小豆くんが爺さんに呼ばれて、
おしっこ、ここにしろ、って、ガラスの器にさせるのね。衝撃。きらきら。
この変態爺!素晴らしい。

最初の子どもの頃、少し成長した少年時代。小豆くんをやってる子が凄まじい
美少年でくらくらした。これは。もう、レスリー・チャンになっちゃうよね。
どんな耽美漫画で描くよりもうつくしいと思った。無垢なる妖艶。彼らの姿
をスクリーンに残してくれてありがとう監督! 「ヴェニスに死す」でも
ビョルン・アンドレセンの姿を残してくれているだけでも素晴らしすぎると
いうものですが、こういう奇跡の作品にはやっぱり奇跡のキャスティングが
必至なのね。たまんねえわ。

あの幼い日。あの時に出会ってしまったのが石頭だから。石頭くんは気のいい
愛すべきバカで、兄貴分で。つくづく普通の男なんだよなあ。流されやすいし
狡いし逃げる。覇王じゃない。覇王じゃないじゃないかー。馬鹿っ。
なのに、あの辛い子ども時代に出会って助けられて一緒に学び大きくなって、
それはもう運命の男なんだよなあ。どんなに馬鹿で全然いい男じゃなくても、
かけがえのない男なんだよなあ。蝶衣にとって、他の誰もない、彼こそが
蝶衣の覇王。かなしい。切ない。苦しい。

菊仙も、なんでかなあと思うけど。まあ出会ったときには人気の羽振りのいい
役者で、華やかで男気あって、って感じの小楼だったから、遊女から普通の
結婚生活を手に入れるチャンス、と賭けてみたんだろう。
昔見たころはただ邪魔な女っ、って思っただけだけど、今見直すと、実に
したたかに、でも必死に、遊女だった頃から人生変えてやる、と、彼女なりに
強く生きようとしているのもわかる。
ダメ男小楼に執着してるだけじゃなく支えにもなってる。蝶衣にも意外と
心尽くしているようになってたと思ったなー関係長くなってくると。

とにかくヘタレ男な小楼に、どうしてそんなに執着するんだよ二人とも!
と言いたいけど、でも、運命なんだなあというのもひしひしとわかる。
そして、ただ昔はただバカな男とだけ思ってたけど、今見直すと、石頭も
実は苦しんでいたんだろう、か。と、思えなくもない。

小豆があの爺にやられちゃったこと。たぶんその後もいろいろあっただろう
こと。それをどうにもできない石頭。そこで、蝶衣を受け入れる度量も、
連れて逃げる力も、何もない哀しいくらいただの男だった小楼。憂さ晴らし
で遊郭で遊んでたのかなー。菊仙とのことも勢いがほとんど、みたいなとこ
あったし。それでも一緒に暮らして情も愛もあっただろうに、裏切る。
誰もが風木のセルジュになれるわけじゃない。
本当は小楼が蝶衣のことをどう思っていたのかはっきりとはわからない。
本人にもはっきりとはわかってないんだろう。
あの共産党(?)に責め立てられての自白的裏切りで、「あの男とっ」
って蝶衣の身売りを責めた小楼の心は、嫉妬なのかなんなのか。
二人で愛し合えればよかったのか。
蝶衣がどんなに求めてもそれはしなかった、できなかったであろう小楼。

虞や虞や汝を如何せん

って詩の言葉だけど。石頭はバカで。ただ舞台で覇王を演じるだけで自分は
覇王じゃなくて。如何せん。如何せん、って、いくら思っても自分ではどう
にもできなくて。
蝶衣は自分で自分を処するしかなかった。
狡い男。覇王もまた狡い男。自刃させるんだよ、虞に。

姫を演じて、舞台でも舞台以外でも、姫であった蝶衣。
でも女になりたかったわけでもなりきれたわけでもない。何回も間違えた、
「男と生まれ」と歌ってしまうこと。「女」と言って演じはじめた時から
姫になったけれども、男なんだよなあ。
丸ごと全部演じたままでいられたらよかったのか。
どうすれば。蝶衣のしあわせはどこにあるんだろう。

レスリー・チャンがもう、素晴らしく凄まじく妖艶で、うつくしすぎて
涙が出てしまう。「この僕を、裏切ったな」って狂って叫んだり。ベッドで
戯れてたり。キラキラの飾りを磨いていたり。化粧しててもしてなくても
凄い。今見てもやっぱり凄くて。最後のあの青いひかりの中での姿。
終わって泣いて泣いて泣いて、映画館で困るくらい泣いて、うつくしくて
凄くて泣いてしまった。


中国の近代史というのが改めて凄まじいなと思った。
あんなに目まぐるしく社会体制が変わる中で、生き延びるのは至難の業だろ。
まだ若いやつらはころころ変わり身できるのかもしれないけど。
こわかった。

小四くんね。
あの時小豆が拾った赤ちゃんだよね。若い彼を再会後育てようとしたのに
手ひどい裏切りをする。黙って殴られて修行するというような世代ではない
ということかなあ。若いがゆえの残酷な彼の行動に胸をえぐられましたよ。
中国の社会変化の象徴みたいに、小楼と蝶衣を責めるのね。
でも彼なりにも思うところはいろいろあるだろーと今見ると思えて、苦しい。
一世代違うわけで、若い彼なりに時代に染まってしまうのもねえ。嗚呼。

21年前の映画。ひょっとして私、21年ぶりに見る?って映画。
ただただうつくしいというだけでも凄くて、さらに今見ると、という
いろいろ考えさせられるところも凄くて、見に行ってよかった。運命だ。

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『地方にこもる若者たち』(阿部真大/朝日新書)

『地方にこもる若者たち』(阿部真大/朝日新書)

都会と田舎の間に出現した新しい社会

2013年発行。
地方都市についての一冊。巨大イオンモールのようなほどほどになんでもある
地方都市の魅力とそこから生まれる新しいコミュニティの在り方など。

岡山近郊でのフィールドワークの結果が丁寧に紹介されている。
岡山ってほどよく地方都市なのでしょうねえ。新幹線とまるし中四国の交通
要所ではあると思うけど、どっちかといえば広島のがメジャーな感じ。観光地
はあるけれども中心街を離れればのどかな田舎である、という感じ。
巨大なイオンモール、ショッピングモールができて、若者の休日の余暇は
ドライブを兼ねてモールへ行く、というライフスタイル。
ドライブ、というのも結構ポイントのようで、やはり地方都市生活で車は
重要ですよね。モータライゼーションと聞くと「あまちゃん」で大吉さんが、
とか余計なネタを思い出して笑っちゃうけど、やっぱり大吉さんも車なしで
生活はしてなくってね。

地元愛着のヤンキー的な世界ではなく、暴走も反抗もしない、ごく一般的
と思われる若者への調査で、地元にこもりつつ、開いていくという新しい
ステージにあるのではないかというのは、うーん、わかるようなわからない
ような。
都会を目指す野心ある若者像がいいとはまったく思わない。モールでそこそこ
楽しめる地方都市の魅力というのはわかる。
そのほどよい暮らしで「分離」して、やがて「統合」の時代を迎える準備を
している、というのは、どーなのかなー。
コミュ力最重視な昨今、やかてこのハイパーギャル的存在みたいなのが
もっと広がってきて折り合いつけてってくれるのか。でもそもそも「統合」
していくもんなのか? でもしないと日本とかいう大きな社会が成り立たない
かなあ。ちょっと私の理解が追い付かない。

Jポップを通じての若者の変遷、というのはとってもわかりやすかった。
80年代、逃げろ!って「逃走論」ね。流行ったもんなあ。
反発する的が消えて、自分たちで努力、になって、関係性からの自分らしさ
というミスチル的世界へ。そして、関係性すらあいまいになって、その都度
の試行錯誤でつくる自分らしさ、か。ポストミスチルになってくると私が
わかんないところだ。

空気を読む、空気なんか読むな、という話。
空気なんか読むな、って言う世代は、ある程度決まった空気があるものと
して語るけど、そもそもその場での「ある程度決まった空気」なんてない
から、瞬間瞬間の空気を読まねばならないという感じはわかるなあ。
空気を読まない、としてコミュニケーションの場から下りてしまうか、
軽々と読めるコミュ力高い人についていくかしかないような気がする。
コミュ力高い人というのはやっぱりいて、それは空気読むとか意識しなくても
自然にできるか、空気を自分のものにして操れる人、とかだったりして、
それはやっぱり強者だよなあと思う。
画一的な巨大な敵とかいなくなって自由の裁量が増えたのはいいけど、みんな
一緒であることがなくなるっていうのはコミュニケーションとる方法が
一層微妙になってきてめんどくさいよね。
「笑っていいとも!」も終わったしね。みんなで一斉に語ることができる
事象っていうのなくなっていくんだろうなあ。でも多様性が広がるのはいい
ことだと思ってる。
と、無駄話。

地縁関係とか親族関係とか、強固と思われていたものがそれほどでもなく
なって、もちろんそういうのもありながら、友達という関係が大事になって、
そこそこ楽しめる地元の魅力があって、というのはいいね。
でもただ地元でこもるだけじゃなくてだなあ。うーん。これから本当に
開かれていくのか、社会の変遷を見ていたいです。


 はじめに
 現在篇 地元にこもる若者たち
 第一章 若者と余暇
 第二章 若者と人間関係
 第三章 若者と仕事
 現在篇のまとめ
 歴史篇 Jポップを通して見る若者の変容
 第四章 地元が若者に愛されるまで
 未来篇 地元を開く新しい公共性
 第五章 「ポスト地元の時代」のアーティスト
 第六章 新しい公共性のゆくえ
 歴史篇・未来篇のまとめ
 おわりに


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映画「アデル、ブルーは熱い色」

*結末まで触れています。


映画「アデル、ブルーは熱い色」

高校生のアデル。男の子と付き合ってみたがぴんと来ない。うまくいかない。
ある日青い髪をしたエマと出会って、激しい恋に落ちた。

あらすじ、といってみればただそれだけの、初めての激しい恋に溺れて、
傷ついて別れて大人になっていく、という一人の女の子のお話。よくある話。
レズビアンの恋ではあるけれど、殊更にそのことだけを強調しているわけで
はないと思った。アデルがレズビアンじゃないの、って女の子友達に悪口
言われてしまったり、職場にばれたくないと隠そうとしたりということは
あったけれど。基本的には恋しちゃった女の子に密着している映画、と思う。

何よりアデルが最高に魅力的。可愛い。めっちゃ可愛い。そしてえろい。
女の子の欲望。女の子の弱さ。女の子の狡さ。女の子の危うさ。何もかも
素敵だった。女優さん、アデル・エグザルコプロス。二十歳だってー。
彼女の姿をこの映画にとどめてくれてありがとう監督! 可愛い~。
すごくアップで撮ってた。
目も、唇も、お尻も、可愛い。特に髪が、無茶苦茶適当な感じなのにすごく
素敵。いいなあ。結んだりほどいたり。心とともにゆれる。

たくさんの食べるシーン。
アデルはお腹がすいてなくても食べるの。食べつくすの。というセリフが
あって、なんていうか欲望に素直というか流されやすいというか、目の前の
誘惑に弱すぎるというか。そういう女の子なんだよなー。エマのことを
愛してる!って泣くのに、失ってボロボロに泣くのに、彼のことはなんでも
ないの! っていう相手と寝ちゃうんだね。寂しかったから。まだ若くて
脆いアデル。エマのことは好きだから、許されると思ってたアデル。

エマは、レズビアンとしての自覚も早くからあって、芸術を志して。哲学も
好き。アデルは本が好きなんだけど、哲学はさっぱりわかんない。
芸術家仲間と楽しくやってて、先生になるとか、地味で堅実な仕事とか家事
をしていこうとするアデルに、もっと好きなことをすればいいのに、小説を
書くとか、と、そういうことを進める。パーティの顔ぶれとか、いろいろ
住む世界が違うのかも、ということからのすれ違いが、アデルの寂しさに
なっていく。
エマもさー、年上なんだしもっとアデルとちゃんと向き合えば。そうは
いっても、芸術家としてやってくために必死なんだろうし余裕なさそうで
年上っつっても若いわけで、難しかったかなあ。切ない。

アデルの浮気を徹底的に責めるエマ。エマのほうも心変わりしつつあった
んじゃないのか、と、ちょっとずるい気もするけどさー。もー。
心が痛かった。
別れて、再会して、エマには別のパートナーがいるけれど、アデルと恋し
あっていたころとは違う、と。
二人、せっくすがよかった、っていうのもあるだろうけれど、やっぱり
何もないただ恋だけがあるあの時、っていう感じだったんだろうな。
恋。
恋だねえ。

せっくすしーんはたっぷりで、おう~と思うね。二人ともきれいで素敵。
アデルの唇セクシー。ああ私がアデルとキスしたい。
ほんとにアデル可愛かった。これから大人になっていくんだろう。今、この
瞬間の彼女を、見つめられてよかった。

あ、あとフランス語なのが素敵さ倍増~と思う。憧れのフランス語。ずっと
聞いていたいフランス語。フランス語であいしあってフランス語の罵倒され
たい。素敵だった。満足。

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『同性愛と異性愛』(風間孝、河口和也/岩波新書)

『同性愛と異性愛』(風間孝、河口和也/岩波新書)

2010年に出た本。
同性愛と異性愛について。同性愛について、は、必然的に異性愛についても
語ることになる。やはり、始めに異性愛ありきの上で同性愛というものが
意識されることになるよねえ。

同性愛というものが広く意識されるようになるのが19世紀末のヨーロッパ
やアメリカにおいて、ということは、歴史的にはまだここ100年あまりの
ことなのか、と思う。もちろんそれ以前にも、聖書のソドムとかにも、
同性愛的なことは記述あるんだよね。でも、産業革命後、都市に人が集まり
仲間を見つけたり同性愛者として自己認識を持ち、やがて人権の問題として
社会性を持つ同性愛というのは、そのくらいということか。
都市部でのある程度の匿名性を持つようになってからの同性愛者の生き方と
いうのが切ない気がする。村社会でははなから同性愛者として生きること
自体あり得ないことだったんだろう。

この本は、1980年代あたりからのこと中心。歴史的変遷を紹介しつつ
エイズパニックの頃から現在までの日本の状況の大まかな流れがわかる。
著者は二人とも男性であるゆえに、同性愛といってもおもにゲイの話。
レズビアンのことに触れているのは少しですねー。まあ仕方ないか。

「動くゲイとレズビアンの会」が勉強合宿を行った府中青年の家で、差別を
受けたことを訴訟に持ち込んだことが丁寧に紹介されていた。
発端は1990年。高裁の判決が下りて訴訟が終わるのは1997年。
そのくらいかかちゃうもんなんだなあ。
この件のことは当時なんとなくニュースかなんかで知ってたような気がする。
いや、もっと後から知ったのかなあ。記憶曖昧。
なんとなくその時は、大っぴらに訴訟とかメンドクサイことしなくても、と
私は思ってしまっていたと思う。でもこうしてきちんと差別への異議を主張
して広く訴えていく活動がなければ、いつまでもこっそりひっそり黙って
受け流す、泣き寝入りばっかりしてなくちゃいけない。
人権て、黙ってたら誰かがくれるものじゃないんだよねえ。
私はやっぱり今でも何らかの活動のために自分が動く、ということはできて
ないんだけど、もうただ黙って泣き寝入りすればいいとは思わない。

フェミニズムみたいなこととか、ジェンダーの思い込みとか、なんかもう
ほんと全部、「性別」というもので差別するのもされるのもなくなればいい
のになあと思う。まーなくならないんだろうけれども、建前でもきれいごと
ででも、なんにせよ「性別」というものを人間の要素の中で最大のものに
しなければいいのにと思う。
背が高いとか低いとか、痩せてるとか太ってるとか、頭いいとか悪いとか、
美形とか不細工とか、優しいとか冷たいとか。ある人を構成する要素は
いいものも悪いものも沢山あって、その中の一つは性別であって、でも
性別だけがことさらに丸ごとに「人」を分けるものにならなければいいのに。

今、かつてよりは同性愛への偏見は減ってきているかもしれない。
同性婚を認める国も増えてきてる。同棲カップルの結婚も離婚もある。
でも異性愛者の異性愛が当たり前の気分はあまりにも強固で空気のごとく
意識されることすらないほどに強固で、私もたぶんいろいろジェンダーの
思い込みとかいっぱいある。
できるだけ考えて自覚して自由になりたい。
できるだけ広くいろんなことを知りたい。
この本は具体的事例がわかってよかった。

ジュネやらBLやらできゃあきゃあもえもえはしてるけど、真面目に
真剣に、差別から自由に生きられたらいいのにと思ってます。フィクション
を楽しむのは楽しむとして。知りたい。
誰も、愛のかたちで苦しまないでいられたらいいのにね。

 はじめに
 第一章 エイズ・パニック
 第二章 法廷に出された差別
 第三章 歴史のなかの同性愛者たち
 第四章 ホモフォビアと異性愛主義
 第五章 性的マイノリティとは何か
 第六章 親密であるということ
 おわりに

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『好きの鼓動(ビート)』 『プライドの欲望』 『高慢な天使と紳士な野蛮人』

*結末まで触れています。

『好きの鼓動(ビート)』(岩本薫/ビーボーイノベルス ビブロス)

 好きの鼓動(ビート)
 好きの吐息(ブレス)

大和の幼馴染の悠介は大人気アイドル。沢山のファンの女の子には見向きも
せず、ただ大和だけが好きだと執着している。自分の気持ちがよくわからな
いままに、流されている大和。だが、悠介がアメリカ留学すると知って、
ショックを受ける。離れたくなかった。

そんなこんなで最後にはらぶらぶめでたしめでたし~。かっこいいアイドル
と地道な俺、という苦悩も可愛かったです。「吐息」はそれから四年後で
大和くんは新米中学教師。留学からもどった悠介が生徒に嫉妬、とか、ド定番
に可愛くて楽しく読み終わりました。えろしーん多目ですね。素敵。
オトナカップルのお話もあるらしく、マネージャーと社長? オトナなお話
読みたい気もするけどなー。まあいっか。


『プライドの欲望』(ふゆの仁子/キャラ文庫 徳間書店)

広告代理店に勤めるアートディレクターの成宮。この仕事を選んだきっかけ
はあるCMだった。憧れのそのCMを作った男、嶋村と一緒に仕事をする
チャンスがきたのに、初対面でいきなりお前を認めない、と言われてしまう。
なんとか嶋村に認められたくて教えを乞う成宮に嶋村は俺を知りたければ
もっと感情を見せろ、と体を重ねてきた。

CMのコンペをとりにいくぞ、という広告業界なお話をそこそこ丁寧に
描いているのに、会議室で初めてでいきなり最後までがっつりやるとか、
ええええ~~、とびっくり。(笑)そんなに重要大事なコンペの企画の
時間ない中で何回やってるの、とつっこみたい(笑)
セクシーはまあまあかなあ。嶋村のほうも実は成宮に一目ぼれメロメロ、
みたいに明かされるのがとても唐突に感じる。ま。らぶらぶでよかったね。

『高慢な天使と紳士な野蛮人』(ふゆの仁子/ビーボーイノベルス ビブロス)

槇哉は生まれながらの幸運に恵まれてきた。勝負運は強いし金持ちの一族と
してわがまま王子様のごとく育つ。叔父に譲られたカジノのオーナーとして
そつなく経営をこなしている。
新しく雇ったディーラー、大門は、6年前に初めての恋とセックスを交わした
男。素知らぬふりで、なにかわけあり風の大門を問い詰めるが、軽くかわされ
てしまう。

日本でカジノ舞台とかって。と思うほどには悪くなかった。
麻薬絡みになるのも納得感あり。わがまま王子がワイルド大門につっかかり
ながら受けっていうのも可愛かった。
ずっと槇哉ぼっちゃまにお仕えしてきたのに病んじゃった猪狩はちょっと
可哀想だけどなー。でもまーダメだなー。

しかし、ダイモンさん、ってセリフで。大門といえば渡哲也。。。と思って
しまうんでなんか笑ってしまう。せくしーえろしーんなのに。いやまあ、
それでも結構好きでした。面白かった。

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『虚飾の果て』(ジョン・モーガン・ウィルスン/ハヤカワポケットミステリ)

*結末まで触れています。

『虚飾の果て』(ジョン・モーガン・ウィルスン/ハヤカワポケットミステリ)

ジャスティスはテンプルトンと共にパーティに参加した。脚本の書き方を
教えるキャントウェル・メソッドで名をはせたゴードン・キャントウェル
が開いているパーティ。テンプルトンはハリウッドの裏話を特集する雑誌
の記事を書くためにジャスティスに手伝ってほしいと頼んできたのだ。
自分を、脚本を、売り込みコネをつかみたい人々で賑わう中、一人の若者
が死んでいるのが発見される。
HIV陽性だった彼、レイモンド・ファーは病死だろうと判断されるが、
ジャスティスは何かおかしいと感じていた。

シリーズの二作目。
ハリウッドって。ロサンゼルスって。虚飾の街なのね。
今回も、実は殺された青年はHIV陽性にも関わらず男女かまわず寝ていた
とか、自分を売り込むために嘘を重ねていたとか、なかなかゲスな人間だと
わかってくる。
ジャスティスは、レイモンドとルームメイトだったダニエル・ロメロに心
奪われて、疑いをもたれた彼を助けるべく、秘密を探っていく。
ダニーのためなら他の人間への思いやりなんてないのね。ジャスティスは
ほんと嫌な記者魂だと思う。自分が大事に思うことのためにはそれ以外の
人のことは踏みにじるよねー。ダニーには助かって欲しいけど、とばっちり
な他の人たちが気の毒。。。と思いながら読んだ。それぞれにそれなりに
後ろ暗くて、ああやはりみんな虚飾の中、という、ドロドロさがいい塩梅。
面白かった。

エイズで死なせてしまったかつての恋人ジャックのかわりのように、ダニー
にのめりこむジャスティス。死に向かうダニーから逃げ出そうとしたり、酒
に溺れかけたり、ジャスティスは実に弱い。
体だけの関係をローレンス・ティールと重ねて手っ取り早く欲望を満たして
情報を横取りされるようなヘマをしでかしたり。
余計な詮索のせいで車で殺されかけたり。
ジャスティスは正義のヒーローじゃない。

脚本を盗んで二つの殺人を犯すことになったキャントウェルを追いつめた
ものの、死なせてしまう。ジャスティスの勝手な行動が死に追いやった感じ
で、なんだかなあと思う。でも、警察小説ってわけじゃないし、捕まって
スキャンダラスに書きたてられるより、さっさと死んでしまったほうがいい
のか。。。ハードボイルドやのう。

ダニーの最後の願いをかなえ、星を見ながら死ぬ助けをするジャスティス。
やっと、ジャックの死から逃げた償いをする、って感じなのかなあ。これは
これでとても切ない。ヒーローなんかいない。寂しくて苦しくて切ない。
刹那の愛だと思う。ダニーのために、ジャスティスがいてよかったと思う。

これ、シリーズはまだあるみたいなんだけど、以後の翻訳はどうやら出てない
らしい。
結構あからさまにゲイライフというか、せっくすしーんがあるので日本に
合わないのか、みたいなことらしいけど、もったいないなあ。
ティールとの即物的欲望だけの手っ取り早いセックスは、ええのかそれでー、
といいたい気はするけど~。リバーシブルか、とか、いきなりSMか、とか
もえた。ディラン・ウィンチェスターだっけ、隠れ家にしてるところでの
謎の美少年ハーレムみたいな牧場シーンとか、何そのえろ妄想な場所は!? 
と面白かったけど。

この本は1999年。
そろそろ日本でもゲイへの敷居は下がってきてるんじゃないのか。まだ
ハードボイルドな方面ではホモフォビアが幅をきかせてるのか、どーなの。
今のほうがちゃんと出せばもっと読まれるんじゃないの。
ハヤカワさーん。

被害者の彼は実はイスラムで、レイザー・ジャファーリって名前。
9.11以前だなあとはちょっと思った。
まあそもそもゲイであることでマイノリティ扱いではあるんだけど。
ゲイである自分ありのままに生きることができない青少年の悲劇という
ところとか、エイズへのケアとか、そういうところも丁寧に描かれていて
沁みる。
みんながありのままに穏やかに生きられたらいいのにね。

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『夜の片隅で』(ジョン・モーガン・ウィルスン/ハヤカワ文庫)

*結末まで触れています。

『夜の片隅で』(ジョン・モーガン・ウィルスン/ハヤカワ文庫)

ジャスティスは元新聞記者。ピューリッツアー賞をとったことがある。だが、
そのドキュメンタリー記事はでっち上げだったと発覚して、賞は返上。記者
として働くことはなくなり、ひっそりと暮らしていた。
ある日、かつての上司ハリーが訪ねてくる。ゲイバーの表で起きた殺人事件。
被害者ビリー・ラスク。その場にいた少年が自白。単純な事件だが、新人記者
に書かせる記事のサイドバーに、ちょっとした深みのある記事が欲しいと頼ま
れた。最初は断るジャスティスだったが、犯人という少年をニュース映像で
見て気が変わる。ギャングには見えない彼の目には恐怖があった。

この文庫は2002年刊行。最初出たのは1997年かな。
エイズのこと、ゲイコミュニティのことゲイバッシングのことなどが背景に
あって、ハードボイルドミステリであり、ゲイノベルであるってところか。
シャスティスがゲイで、恋人をエイズで亡くしている。ゲイの権利みたいな
のはエイズの恐怖の中バッシングにさらされていて、でもそれなりに幸せや
コミュニティを築いている街。

新人記者が若くて美しいテンプルトン。学生の頃はシャスティスを尊敬して
いて、んで今、ジャスティスを誘惑にかかる。ゲイだっつってんのにあから
さまに誘惑してかかるのってなんなんだろう。自分に自信のある女で、誘い
にのってこない男が許せないのか? ジャスティスの過去を調べ上げたり
許してあげようとしてたり、かなりイラっとくるヤな女だったなあ。正義感
と親切心と好奇心に溢れた若者像なんだろうか。むかー。

ジャスティスもまったく聖人君子なわけはなくて、記者として知りたいんだ、
ってことで他人のプライベートにずかずか入り込む。議員の息子ポール。
父のスキャンダルを暴いたジャスティスに悪気はないにしても、ポールは
犠牲者だったろうに、と、思う。
被害者ビリー・ラスクが、顔はきれいだけど恐喝者であったクズじゃん、と、
人物像がわかるにつれて悲しくなってくる。
ゲイであることをオープンにできないことがゆすられるネタになってしまう。
ポールも可哀想だと、同情の余地はある。でも、無実の少年を犯人にした
ままではいられないよなあ。
事件が解決して真犯人がわかっても、すっきりとはできないやるせなさ。

ラストシーンで、ジャスティスはポールを追いつめておきながら、泣き出し
たの腕を撫でる。

「あと数分で警察官たちが現れて彼を連れ去るだろう。それまでは、彼は
私のものだ」

と終わる。
なんとも残酷でうつくしい。うっとりした。

出てくる全員がどこかしらなにかしらゲスな嫌なところのある奴で、哀しい。
死んだ恋人とか、家主の老カップルくらいかな、清らかに描かれているのは。
ジャスティスの過去、かつて父を殺したことも、恋人の最期をきちんと看取る
ことができなくて逃げていたことを償うように理想のエイズにかかった恋人
たちの記事をでっちあげてしまうのも、酷いけれど哀しい。
きれいごとで終わらないのが魅力的だった。

解説で、『闇に消える』(ジョセフ・ハンセン)という作品があるのを
知った。1970年に書かれた、これもゲイが主人公のハードボイルドな
のね。シリーズだそうで。読んでみたい。
この本のもシリーズで出てるみたいだけど、翻訳されてるのはあと一つ
だろうか。読んでみる。
昔は海外ものが苦手であまり読んでなかったから知らないのばっかりだなあ。
今読めてよかった。

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映画「LIFE!」

*結末まで触れています。
映画の日、1100円になってたー。増税実感。。。


映画「LIFE!」

雑誌LIFEは廃刊となることが決まった。
ウォルターは写真のネガを管理する仕事をしている。最後の表紙のための、
カメラマン、ショーンの傑作だというネガが一枚なくなっていた。大事な
写真。それを見つけるため、どこを放浪しているのかもわからないショーン
をつかまえるため、推理し手がかりを求め旅に出る。

暗い部屋で地味な作業をしている冴えない男、ウォルター。出会い系?な
ネットサービスに書く自分のPRとなるような経験が何もない凡庸な人生。
だけど、地味でもLIFE誌の仕事に誇りと愛着を持っているウォルター。
写真部で働くシェリルを好きになっているのに、うまく会話を続けること
さえできないウォルター。空想癖がありぼーっと固まってしまうウォルター。
そんな男が一歩踏み出して冒険をする!

音楽がなにかとツボにきた。
スペースオディティを予告で聞くなあと思ってたら、どうやら作中でいい感じ
に使われてるみたい、と知って、やっぱり見にいってみた。
なんかこう、地味な男が冒険して生まれ変わる!みたいな説教臭い話だと嫌だ
なあと思ってたんだけど。

妄想がすんなり突然始まるので、なんじゃそりゃ、と苦笑する感じがあった。
けど、そこは軽くクスクス笑っておけばいいんだと思う。監督も主演も
ベン・スティラー。コメディ俳優って感じの人なんですね。よく知らなかった。
けど、冴えない男の最初から、結構かっこいいなあと思った。イケメン。
でも、妄想癖の人付き合いうまくいかない生真面目くんな感じ。
それが、えいっとヘリに飛び乗ったり海に落っこちたり、スケートボードで
疾走、ヒマラヤに登っちゃったりもして。
すごく景色が綺麗で素晴らしかった。
ワイルドになっていくウォルターはますますかっこよくて、すごい素敵だった。

それでも、またNYに帰ってくる。別人に生まれ変わってるわけじゃなくて、
やっぱりいまいち冴えない男にかえってくる。
そのふわっとさらっとした帰還がよかったなあ。
人生変わりました!みたいな冒険の旅!って大仰なカタルシスにするんじゃ
なくて、凄いことやってきたけどやっぱり母の大事なピアノを売ってしまうしか
なくて、クビになって失業証明かなんかもらいにいって。
そういう地味なところに帰ってくるバランスがじんわりと沁みた。

妄想して心ここにあらず、ってなるウォルターに周りが「トム少佐」って
からかって声かけるの。スペースオディティのね。
も~~~。
それだけで私はうるっときちゃって困るんだけど。
そして、酔っ払いの操縦するヘリに乗るかどうか迷う時に、歌に押されて
駆け出すの。ぐっときたー。
大事な歌として使われててすごくよかった。

シェリルとはいい感じになる。
見つけた写真は実はずっと手元にあった。ショーンはウォルターの仕事を
尊敬していてくれた。
無くしたと思ってた写真、もしかしてウォルターのママかな? って思った
んだけど、ネガをチェックしているウォルターだったんだねえ。それが表紙
になった最後のLIFE。
表には出ない地道な作業をこつこつと続ける裏方あってこその雑誌。
そういうささやかな誇り、みたいなのがとても素敵だった。
私も裏方人生だもんなあ。
まあ映画は映画でおとぎ話で。
グリーンランドにもアイスランドにも私は行けやしない。
妄想、していくよ。

LIFEの表紙や、エンドロールでの写真。
写真がとってもよかった。凄くて、すごくよくって。写真っていいなあと見惚れた。
LIFEは実際廃刊になって今はオンラインになってるのかな。それはそれで
仕方ないんだろうけど。けど。
生きるって、地道でつまんないけど、いいこともあるよね、と思う。
見に行っておいてよかった。

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