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『1995年』(速水健朗/ちくま新書)

『1995年』(速水健朗/ちくま新書)

1995年。日本の転機となった年の一つである。
阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件という大きな事件の起きた年。
ウィンドウ95のの発売などでインターネット元年とも言える年。

19年前。私は大学を出て臨時職員だった頃だなあ。未明の地震の揺れは
感じたものの小さいものだった。テレビで見て初めて大きな地震だったと
知る。職場でおじさんたちが、おいなんだかすごいことになってるぞ、と
時間がたつにつれて騒めいていったのを覚えている。市役所職員のおじさん
たちには単純に怖い以上に、それがうちで起こったら、ということを考え
たのかもしれない。

サリン事件もテレビで知った。
オウムの報道や雑誌記事には興味を持っていた方だった。いろいろな事件
報道、雑誌、結構ずっと追って知ろうとしていた。中沢新一ファンだった
りしたので、自分なりに身近に思ったように思う。隣人がオウムかもしれ
ない、という得体のしれない感じは地方にいた時分には、そこまでは思わ
なかった。やっぱりテレビで知る謎のカルトという感じだった。

エヴァの放送は地元のテレビではなかった。私がエヴァにはまるのはまだ
少しあと、ビデオを借りて見てというところ。パソコン通信を始めるのも
95年当時ではなく、その1,2年後だと思う。そこでどっぷりはまった。

この本は、「1995年」のことなので、その後どうなったこうなった
ということはごくごく簡単にしか書いてない。
私は読みながら、嗚呼そのあといろいろ変わったよねえ、と、多少知って
いることについては思いをはせ、よく知らないことについては、この本を
見て、ああそうだったっけ、その後どうなったっけ、と、ぼんやり思った。
こういうことが同じ年に起きていたんだなあと思う。

「1995年、誰もがオウムに夢中になった。日本社会対オウムの全面
戦争は、戦争を放棄した日本が久々に経験した戦争だった」(P205)

という記述になんとなく納得。テロという戦争が国内で起きたのだ。
別件逮捕で続々と捕まる信者。テレビ中継の上九一色村の施設へ警察が
踏み込んでいくシーン。すぐにも捕まるはずの麻原がなかなか発見されず
逃げたのではないかという緊迫感はつくづくテレビドラマのようだった。
優秀な日本の若者が何故こんなことを? というおびただしい検証も、
わかったようなわからないような。

政治、その時村山政権だったんだなあ。社会党かあ。そんな時もあった
ねえ。その後の新党ブーム。今もやってる議員さんたちがこの頃はまだ
比較的若手新進気鋭みたいなだったんだねえ。

1990年のバブル期と。その崩壊後の1995年は違う。1995年は
今への転換点と言えて、地続き、かあ。
なんとなく納得。
震災と、オウム。
あの時なんだか世界がぐにゃりと歪んで、平行世界の別のところへずれて
しまったような気がする。
2011年の時もね。
2001年の、9.11、アメリカの同時多発テロの時もね。
やっぱり世界がどこか、別のものへ歪み、ずれてしまったのではないかと
いう気がする。
そんなこんなを思い出し考える一冊でした。

  目次
  はじめに
  第一章 政治―ポスト55年体制の誕生
  第二章 経済―失われた20年の始まり
  第三章 国際情勢―紛争とグローバル化の時代
  第四章 テクノロジー―インターネット社会への転換
  第五章 消費・文化―オカルトと自己喪失の世界
  第六章 事件・メディア―大震災とオウム事件のあいだ
  あとがき
  年表

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