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『エンダーのゲーム』上下(オースン・スコット・カード/ハヤカワ文庫)

*結末まで触れています。


『エンダーのゲーム』上下(オースン・スコット・カード/ハヤカワ文庫)
 
サードの子ども、エンダーは、モニターを外された。ということは、候補から
外れたのだ。
そう思ったのもつかの間、迎えがくる。地球は、バガーという異星人の二度に
わたる侵略をなんとか退けたものの、次の襲撃に備えてる危機の只中にあった。
バガーを再度打ち破る艦隊指揮官の養成が急務である。そのために選ばれた
子どもたち。エンダーは将来の指揮官の有力な候補として、訓練学校にゆき、
何度も何度もバトル・ゲームで学ぶことになる。
 
映画化の宣伝をたびたび見るようになり、前々からすごく面白いらしいという
評判は知ってたので読んでみた。新訳になって上下巻になってた。もとは、
1977年に同じタイトルの短編でデビュー、85年に長編としてこれが出た、
という経緯らしい。そして、シリーズとしてずっと続くのね。エンダーは伝説
の少年となって。

すごく面白かった!

エンダーはたった6歳で訓練に連れていかれる。子どもたちが集められた中で
も最年少。小さい。けれど、優秀。
大人たちはエンダーを鍛え、孤独にさせ、追い込み、プレッシャーをかけ続け、
最高の指揮官に育てようとする。延々と続くシュミレーションゲーム。戦闘に
次ぐ戦闘訓練。子どもたちの中で起こるいじめや孤立をあえて見過ごし、
エンダーがどう対処するか見極める。
エンダーが、可哀想。でも、地球の危機とあっては、エンダー個人の人権がー
とか子どもを守るーとか言ってられない、という状況設定なんだねえ。
とっても、エヴァっぽい、というか、エヴァのみならず、後のSFアニメなんか
に影響を与えまくったのかなと思った。
小さな子どもが地球を救う。物語の終わりでエンダーはまだ12歳くらいだ。

大人たちは、エンダーを騙していた。
シュミレーション、訓練だと思っていた最後のゲームは実は全部本物の戦闘
だった。バガーとの戦いのゲームと思っていたのは、実戦だった。
エンダーは、シュミレーションゲームのつもりで、バガーを滅ぼしていた。

結構ショックだった。ページが残り少なくなっていくのに、延々とゲームで、
これは実はバガーなんて敵はいなかったんだ!みたいな騙しかと思ったりした
けど、ゲームがゲームじゃなかったのかーと、素直にびっくりしました。
そして、本当にエンダーが可哀想。
ゲームで滅ぼした星が、本物で、敵とはいえバガーという種族を滅ぼす、
虐殺者になってしまった。エンダーは優しい子。誰も殺したいなんて思った
ことはなくて。なのに、学校での喧嘩でもそうだったけれど、結局大人に
追い込まれて殺人者になってしまった。
バガーを滅ぼしたのは、英雄となった行為だけれど、エンダーの背負って
しまったものは重すぎるだろ。。。

まだシリーズが続くようで、子どもから大人へと成長してゆくエンダーの
姿がこれからあるのかあというのは救いのようにも思う。シリーズ続けて
読むかどうか悩むなあ。どうなんだろう。

唯一愛した家族、姉のヴァレンタインも優秀な子どもで。恐ろしい兄の
ピーターも優秀。子どもながらに世の中を動かすような影響力をネットの
言論の場で得るようになる。恐るべき子供たち。。。
訓練を重ねるうちに信頼関係を結ぶ仲間ができたのもわずかな救いかなあ。
アーライとは愛なんじゃないの、きゃ// とちょっともえた。
それでも果てしなく孤独で辛い。誰かの犠牲なしには、勝利というのはない
ものなのか。戦いは勝っても辛い。

ラスト、ゲームの中のシーンが遠いバガーの星の辺境で実現されていて、
バガーの女王の繭を救うエンダー。バガーの、唯一のメッセージ。バガーが
唯一のメッセージを伝えられる相手が、バガーを滅ぼすために追い込まれて
いたエンダーしかいなかったという悲しさ。バガーは昆虫っぽいとのことで、
イメージは蜂なのかな。地球での休暇中、ヴァレンタインの前で蜂を潰す
エンダー、というシーンがあった、と思い出す。
バガーの女王をいつかエンダーはよみがえらせるのだろうか。
許す。許される時がくるのだろうか。

名作って言われてるだけのことはあるなあと納得でした。

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