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『声、あるいは音のような』(岸原さや/書肆侃侃房)

『声、あるいは音のような』(岸原さや/書肆侃侃房)

著者第一歌集。新鋭短歌シリーズの中の一つ。

ちょっと不思議なタイトルだと思った。声、音のような、でも、そうでは
ないかもしれないもの。そういう名づけられない震えのようなものを歌に
しているのだ。
きれいで静かな世界。だからこそそういう微かな震えを捉えられるのだろう。

  ふみふみと泣く子の夢を今日も見たふみふみとただふみふみと泣く

この歌が象徴的だ。ただ「ふみふみ」というリフレインがやわらかく切ない。
歌ならではだなあと思う。泣いている子の夢を何度も見る。それだけの
切なさで一首成立している。この歌を何度も思い出してふみふみと泣く子の
夢を読者である私が見てしまう。もう泣かないで。
 
「七日間」という連作は胸に迫るものがあった。笹井宏之さんの死の後、
偲ぶ会のスタッフとなった岸原さん。そこに、こころを病んでいた母の死
の知らせが重なる。そんな七日間だったのですね。
笹井さんの訃報を知ったリアルタイムな感触も、偲ぶ会に参加したあの情景
を私も経験していて、でもどこか夢の中の出来事のような感触でもあって。
さらに肉親の死が重なった岸原さんはどれほどの思いだったのかと思うと、
私には言葉が見つからない。
しかしその七日間をこうして作品にされていることが凄い。歌のことばに
大袈裟なことはなく、静かで哀しい。震えていると思う。
歌を引用することはしない。丸ごと読むしかないと思う。

2011年の震災後の歌もあり、そこでもやはり大袈裟に何かを構える
ことなく、静かな気配がある。嘆いたり、憤ったりできなくて、切実に
祈るしかできない時というのがあるよね。
 
微かなものへの優しく確かな視線の歌。静かで凛とした歌。そんな歌集
だった。祈りを感じる歌集でした。
 
いくつか好きな歌。

 
  薄闇に(ほんとはね)って言いかけて、ふっと(ほんとう)わからなくなる
 
 
  雪を待つ。駅で誰かを待つように。胸にくちばしうずめて鳥は
 
 
  いのちってこんなにかるい水鳥の羽毛の下でまぶた閉じれば
 
  おびただしい読点として降る花をタイヤの黒がいま踏んでゆく
 
 
  うをんうをんと耳鳴りがする耳の奥に哭いてるひとがきっといるのだ
 
 
  どこまでも走った日々の思い出をいだいてねむる放置自転車
 
 
  陽ざらしの鉄路に立てる夏草が六分おきにあびる烈風
 
 
  春よ春よ氷の雨のふりしぶくむこうに髪を馨らせていよ
 


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