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『ウェブ社会のゆくえ』(鈴木謙介/NHK出版)

『ウェブ社会のゆくえ』(鈴木謙介/NHK出版)

<多孔化>した現実のなかで

NHKブックスで軽くさくっと読める。けども、ひどい風邪をひいている最中で
途切れ途切れに読んだので実際にはさくっと読んだわけではない。ちゃんと理解
できた気はしないけど状況認識としてなるほどーと思った。
基本的にネットに住んでる気分が自分でしてるけど、社会的にはどーなのかなー
という興味で読みました。
 
 はじめに 現実をウェブが融合する時代
 第一部 現実空間の多孔化
 第一章 ウェブが現実を侵食する
 第二章 ソーシャルメディアが「私」を作る
 第三章 ウェブ社会での親密性

 第二部 ウェブ時代の共同性
 第四章 多孔化現実の政治学
 第五章 多孔化した社会をハッキングする
 第六章 「悲劇の共同体」を超えて
 おわりに

といった章立て。
目の前にいる相手が携帯やスマホをさわるのはどうか、とか、小さいことから
共同体の持続、というようなとこまで広がっていって面白かった。

<多孔化>の定義は、「はじめに」で「現実空間に情報の出入りする穴がいくつ
も開いている状態のことを「現実の多孔化(たこうか)」と呼んでいる」(p12)
とされている。目の前の現実と画面の中にあるもうひとつの現実、ね。友達の
情報やお店情報や交通情報、目の前にすることと画面の中で知ることと、両方が
現実、ですね。

親密な相手を選択するとか役割空間の侵入とか面白かった。
第二部では、情報格差のこととか、観光のこととか。東日本大震災のあとのこと
も、阪神大震災のことも。阪神のことは風化しつつある。そこでどう共同体を
持続するか。
持続、させるのって大変だよねえ。

地域のアイデンティティとか、観光やゆるキャラであらたに意味を上書きして
いくのって、今後どうなるかなあと思う。
地域の「文脈を欠いている」という問題。うーんー。

コンテンツ・ツーリズムというのがあって、アニメの聖地巡礼が注目を集めた
けれど、実は昔からあるもの、というのも納得。アニメの、っていうのが目新しい
けれども、大河ドラマで町おこし、みたいなのや、そもそも歴史的事件や武将で
観光地、っていうのはあるし。宗教的に、というのも。

私は、ふるさと松山を連想して、「坊ちゃん」だよなー。「坂の上の雲」だよなー
と思った。持続できるのかなあ。

「悲劇」や死者を抽象化して共同体を立ち上げる感じ、というのも、ぼんやりと
だけれどもわかる。ヒロシマの原爆ドームや長崎のこと。
今年の「ダーク・ツーリズム」もそういうこと、だよね、たぶん。チェルノブイリ、
フクシマ。
悲劇や穢れをもってそれを聖性にまでもっていくのは、うまく言葉にならないけど
感じとしてはわかる。
自分にとってはまだ東日本大震災のことは消化できないし観光化も聖地巡礼も
なんともいえないけれど、いく方向としてはそうなんだろうなあと思う。
その空間に重ねられる情報は多重なものになるだろうし、それは見る人によって
違ってくるだろう。

ネットにどっぷりの自分だけど、なんとなくのイメージとして、情報の違いとか
ネットで見る範囲の違いで、今人はどんどんそれぞれ別世界にいるような気が
してる。ネット使う人使わない人によっても違うし、使う人の中でもますます
細分化している気がする。顕著なのはツイッターや(私はやってなくてわかんない
けれども)フェイスブックのTL。自分が見る範囲って他の誰とも重ならないん
だよね。こんな限定空間にいていいのかと思う。
同じ現実にいるはずなのに、人それぞれ違う孔から見てるんだなー。
もともとそういうものかもしれないけれど。大きなもの、というのが減ってきた分
差は広がっているんじゃないかな。
共有体験ってなんだろうなあ。。。
もともと個人体験しかないか。。。
世の中の変化についていけないわ、と思ってしまう。パソコン通信にはまって、
ということで割と早い時期にネットどっぷりにいったけど、その分新しくなって
いくことについていけないかも。
なるべくいろいろ知って考えておきたいなあ。

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『加藤郁乎俳句集成』(沖積舎/加藤郁乎)

『加藤郁乎俳句集成』(沖積舎/加藤郁乎)

*全部旧字というか、正字?なのですが、いちいちパソコンで出しづらいので
新字です。ごめんなさい。

「球体感覚」「えくとぷらすま」「形而上学」「牧歌メロン」「出イクヤ記」
「微句抄」「佳気颪」「秋の暮」「江戸桜」「初音」

10の句集をひとつにまとめた本。ずっしりデカくて重かった。

「球体感覚」1959年の本らしい。71年に再版されている。びっくり、
くらくらした。めっちゃかっこいい。

  冬の波冬の波止場に来て返す
  枯木見ゆすべて不在として見ゆる
  ふる寺の刻のほとりのさるすべり
  ひとひらの蝶日の果てをひとつがひ
  針曲げしグリニッチ同性愛の蜂ら
  睡蓮、内出血の独楽と耽り
  獄中侯爵正装の成蟲  (成蟲・ルビ-りべるたん)
 
「えくとぷらすま」
澁澤龍彦だとかなんだとか、ああもう、ああいう感じかあと思う。
定型はほとんどない。一行詩、という感じなのか。俳人、詩人、とのこと
だしなあ。でも一行詩ならそれで何故俳句っていってるのかわからない。
俳句っていうつもりもないのかな。華麗なる世界で凄いくらくら。でも
読みにくい~。

「形而上学」
これも定型は関係ない感じで。詩、かあ。言葉あそびも目立つ。

  少年を娶るむらさめの速度で夕這ひせよ
  
「牧歌メロン」
百句なのか。百物語的に区切りがいいとか。「大体、
意味なんてどうだつていいのである」 と本人が書いてあるとおり、
意味はどうでもこの世界って感じかなあ。

「出イクヤ記」
春夏秋冬。120句らしい。ちょっと俳句っぽくもなってきた。
レディ・メードという人(?)の解説というかエッセイというか、なんか
ついてて、面白かった。誰?? 何?? 加藤郁乎の彼女つか愛人つーか
そういう人? ほんとの人? 加藤郁乎本人? 

  桐の花いちど生まれし前後を見る
  しぐるヽや降るや灰人二十面相

「微句抄」
習作時代の句集。なるほど俳句っぽくて読みやすい。36句で一冊、って
出したのかな。どんだけ人気者だったの。不思議。

  手袋をして架空なること多く 
  焚火あとユークリッドの火を起こす
 
「佳気颪」
1977年か。かなりふつうに俳句っぽい、ような気がする。私はこれは
好きなのはひとつもなかった。

「秋の暮」
最初に「秋の暮」づくしがずらっと。ふーん。
いろんな人にいろんな本をもらって一句つけている中に岡井隆の名前も。

    岡井隆より家集『鵞卵亭』を贈られて
  たれやらむ岡井に高き青すヽき

「江戸桜」
1988年かな。俳句らしいというか、定型だし、年とったのかなーと
思った。読みやすい。けども、わかりやすいとはなってなくて、んー
でも私が俳句が読めてないだけか。昔の豪華絢爛たるくらくらはなくて
俳諧の軽み、みたいな感じがすると思う。

  あらかたは二番煎じに初しぐれ
  江戸知らぬ鏡花でありぬ紅葉忌
  
「初音」
平成10年。てことは、えーと、1998年かな。最近だなーと思う
けど15年も前とも言える。1929年生まれだそうなので、69歳?
そこそこ年だなあと思うかまだ若いと思うのか、俳句もわかんないなあ。
一気にまとめて読んでくると、さすがに初期のみたいなのはいつまでも
やれないよなーと思うし、こうして俳句は俳句の定型にってなるのも
わかる。続けるって大変だけど面白い。
このあとがきには、40年つれそったという亡き妻に捧ぐ、とある。
歳月は流れ人は年をとるのだ、と、当たり前のことを思う。
 
  お静かにこの恋とげよ女郎花
  親と娘におもはせておく端居かな
  あれとさすゆびが肴や露しぐれ
  それしきの切字に迷ふゆだちかな
  私を棄てヽしまへり春の風
  水澄めり膝を屈する師父ほしや
  花あやめ古典となりてなんとする
  さうかと呟く外なく雪降れり

とりあえずざっくり読み終わる。とても読めたとは思わないけど、
知らなかった世界を知って面白かった。俳句にもこんな感じがあったのね。
というか、前衛というか、そーゆー頃っていうのはさぞや楽しかったのでは、
と思ってみたり。いいなあ。

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映画「魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語」

*具体的内容、結末まで触れています。


映画「魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語」

まどか、マミ、さやか、杏子。学校生活の傍ら、魔法少女としてナイトメアと
戦う日々。ある日、転校生がやってきた。睦美ほむら。彼女もまた魔法少女。
5人で協力して、街を守る。油断してはいけない、というものの、信頼する
仲間と戦うのは、楽しいとさえ思えることだった。
ナイトメアの現れない夜はまどかと語り合う。ずっと、こんな日を待っていた
気がする。だが、ほむらは気づく。ここにくる前、こんな世界ではなかった。

新作~。あの後ってどう作るんだろうと思ってた。最初、あまりにも理想的に
協力しあい、戦い、魔法少女として変身シーンがあったりもして。日曜の朝の
魔法少女ものめいたシーン。でも、あんなにも可愛さ全開の絵柄のキャラなの
に、変身シーン、きらきらしてるはずなのに、どこかいびつでじわりとこわい。
すごい。
ナイトメアも、まあ、魔女めいたものなんだけど。
異空間イヌカレー空間。凄いよねー。ものすごく可愛くてなお不気味で狂ってる。
やっぱり魅せられました。

ビューティフルドリーマー。ほむらちゃんが望んだ世界なのに、ほむらちゃんが
真っ先に気づいて壊してしまう。魔女のいなくなった世界のはずなのに、ほむら
ちゃんが最後の魔女になってしまう。
呪いよりも強いのは、愛。
ほむらちゃんの愛。
そういえば、ほむらちゃんはまどかのことを大好きで、大好きで大好きで大好き
なのに、まどかは、ほむらちゃんに答える、という形だったよな。テレビでの
あのラストは感動したしまどかは究極に優しくて、ほむらちゃんだっていつかは
まどかに救われたはずだったけど。
まどかという個体をなくし、円環の理という現象になってしまったものを、
観測しようときゅうべえたちがほむらちゃんを隔離し閉じ込めた結果、ほむら
ちゃんはまどかに救済される道を閉ざされて、魔女になってしまった。
それでも、まどかはやってきた。
そしてそれでも、ほむらちゃんはまどかを欲した。愛。実らない片思い。
魔女を超えて、まどかと同じくらい強力になってしまった、ってことなのかなー。
悪魔になったほむらちゃんは世界をかきかえてしまった。

世界って、そんな簡単に書き換えられてしまっていいの?
でも、まどかとは違うエゴにもとづく愛こそが呪いよりも強力っていうのも
なんだか納得させられてしまう。まどかは、ほむらちゃんの繰り返した時間の
因果をためて女神になった。ほむらちゃんもまた、時間を繰り返し。まどかが
女神になったあとにも戦い続け、因果を溜めたってことなのかなー。それで
悪魔になれた、のかなー。でもそのエゴが、愛しい。かなわない愛が愛しい。
ほむらちゃんの物語。
神を、ひきずりおろし汚す堕天使、悪魔になるほむらちゃんの物語。
面白かったー。

映像もね。さすがアニメ。かっこいい。素敵不思議華麗可憐迫力荘厳。
圧倒されたー。
でもこれって、どうなんだろう。まだ続編があるのかな?? わかんないけど、
ほむらちゃんが、あれでいいのかなー。切ないわ。

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映画「危険なプロット」

*結末まで触れています。


映画「危険なプロット」

高校で文学を教えるジェルマン。妻は画廊勤め。
週末のことを作文に書く、という宿題に、ほとんどの生徒の出来はひどいもの
だったが、一人、読ませる作文を出してきた生徒がいた。クロード。
ジェルマンは、彼が提出する作文に才能を見出し、放課後個人教授を始める。
あまり幸福な家庭とはいえないらしいクロードが、同級生のラファに数学を
教える口実で、「普通の幸福な家庭」に入り込み、そのことを書き綴る。
クロードの目的は?ラファの家庭の結末は?
ジェルマンはクロードの作品にのめりこみ、続きを書くように進め、そのため
に教師としては逸脱してゆく。

クロードを演じるのはエルンスト・ウンハウワー。フランソワ・オゾン監督は
彼の目力を見込んでキャスティングしたとのこと。ポスターからして美少年だ、
と惚れてしまって見に行った。美少年にまどわされるおっさん教師。そそられる
じゃないか。

ラファの家庭。中産階級。ごくありふれた家庭。父と息子はバスケットボール
仲間。母はうちの内装に頭を悩ませる。そこに入り込むクロード。
クロードは、父は今は体が不自由になり無職。母は家を捨てて出て行った。
そのことをうちあけると大人が同情するということを自覚し、利用するクロード。
魔性の少年。
ってほどでもなくて、けっこう笑っちゃうようなとこもあり、面白かった。
クロードの作文の中なのか事実なのか、どんどん混乱していく。
ジェルマン先生も作文の中のシーンに登場してきたりしてびっくりした。面白い。

ジェルマンの妻の画廊は経営者の意向で潰されちゃったりして。クロードにのめり
こんでいくうちに、数学の試験の問題盗むとか、クロードの要求のままになって
しまうジェルマン先生。最後には職も、妻も失ってしまう。
あの時妻に殴り殺されてしまえばよかったのに、と、思った。最後、クロードの隣
で、また別の「家庭」を眺めているジェルマン先生。美少年の前におっさんは無力だ。

ラファとキスシーン、ちっともえろくはないなーというのがあったけど。あんまり
期待ほどはジュネっぽいシーンがあるわけではなかった。ちょっとユーモラスさがね。
でも妄想するには十分。
クロードがすばらしかった。彼を見つめるだけでも幸せな映画でした。
フランス語だし~。さっぱりわからないけどフランス語でまくしたてるのを聞くのは
うっとりする。素敵だった。

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