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『近代という教養』(石原千秋/筑摩選書)

『近代という教養』(石原千秋/筑摩選書)
 
「文学が背負った課題」 というサブタイトル。
 
 第一章 文学史と観察者
 第二章 進化論の時代
 第三章 なぜ主人公が必要なのか
 第四章 物語と主人公の力学
 第五章 固有名という装置
 第六章 写真が与えた衝撃
 第七章 表情を読む感性
 第八章 苦悩を書く文体の誕生 
 
近代とは何なのか。という本。近代的自我とか近代文学の話。
著者は漱石研究者、というのかな?新書とか読んだことあるかも。
この中でも漱石をひいてというのが多い。いくつか雑誌に発表済みの
文章もまとめてはいっている。
 
近代小説、というのは坪内逍遥あたりから、という、基本的文学史的
なところから入って、近代的自我とか近代の悩み、というのは、女の
謎、というあたりで終わり。まだ途上という感じの一冊だった。

帝大生が日本中から集まったごくごく一部の超エリート、というのは
まったくだと思う。そして小説を読み、悩みのレッスンをしていたの
ではないか、というのはちょっと面白かった。
日本に肩凝りが蔓延しているのは漱石先生のせいだ、というネタを連想。
エリートたちは漱石に悩みを習ったのか(笑
日本の文学というのはこういうエリートたちが新たに悩みたいところから
始まったのかー。
文学って悩みかなあ。悩みだなあ。
まー基本的に奴隷に働かせて自分たちは悩んだり議論したりってゆーのが
芸術や哲学や文学ですよね。素敵。
 
近代は進化論が圧倒的価値として受け入れられていた、と。そう言われると
ああなんかそうだなあと。それがそうだと意識されないほどに広まってこそ
パラダイム、なのですね。その意識が私はなかった。

主人公という装置。どうでもいいような語呂合わせ的な名前ではなくて、
個人名固有名が現れてから、自我ができる、という展開面白かった。

女、というものは徹底的に受身で見られる存在だったものから、漱石先生の
小説の中で、表情を見せるようになって内面の謎を見せる、というのも
面白かった。不思議。女の表情、女の内面というものが、そんなにも封じら
れてきたものなんだなーと、改めて認識した。
最初の頃の「女学生」の描写は、着ている物の描写のみ、みたいなのが典型
だったのね。それを見る男の側からの視点しかなかった。
なんか。
女って不遇だったのね。文学の中で。
そして、漱石先生の小説はやっぱり凄いのね。新しさ、共感を持たせたり
複雑な驚きを盛り込んだり。
たぶん著者も漱石よりだろうし、私個人も漱石大好きなので、これは私が
過大に漱石先生すてきーって思いながら読んでいるせいがあるだろう。
でもやっぱり漱石の文章はすごくすてきだなあ。

実はまだ『明暗』は読み残している。漱石全部読みきっちゃった、ってなる
のがもったいないんだよね。でもそろそろ読もうかなあ。私ももういい年だ
よなー。と、思ってみたり。
初めの作品からゆっくり読み直していきたい気分。
 
白樺派あたりは読んだことがないなあ。読むべきか迷う。
『浮雲』だの『蒲団』だのもちゃんと通して読んだことがない。『少女病』
っておそらく日本で初めての電車の車内での視姦の話、って、なにそれ。
田山花袋って素晴らしい変態だなあ。
東京という都市の成立、なんて話に展開してて面白いけど、単純にそれ
読みたいわ。

細々と改めて言われるとふーむ、ということばかりで、面白かった。
なんとなく勉強になったような気がする。近代小説読みたくなったよ。

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