« 『生きても生きても』(西炯子/小学館ルルルノベルズ) | Main | 映画「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」 »

生きても生きても

生きても、生きても。
西さんのことを思うはずなのに自分のことを延々と思ってしまう
こっぱずかしいワタシ。
でも自分日記としてもうちょっとだらだらと書く。

『生きても 生きても』というタイトルはなんか至言だなあと思う。
二十代のころの文章、やっぱり西さん流で突き放しっぷりが凄いんだけど
それがだんだん変わっていく変化が見えてとても面白い。

若い頃ってやっぱりヒリヒリ痛いものね。
穂村さんのお話だったかなあ。やっぱり若い頃は社会とか世の中とか自分に
対する期待値みたいなのが高くて、許せないことも多くて潔癖だったりする
よね、というようなこと。
自分もやっぱりそうで、若い頃は、というか、思春期なんかは世界はもっと
凄いのだろうし大人は賢く凄いのだろうし自分自身だってきっと何者にか
なれるんじゃないかと根拠なく思い、期待し、絶望し、許せないことが
いっぱいでガチガチだったりした。
西さんももちろんそうで、鋭く鋭く鋭く繊細にモノゴトを描き出している。

そして年を重ねてのエッセイにあるように、なんかロックじゃない、という
自分に気付いて、あー、と思ったりする。
生きるんだな、と思う。

思う。私も思う。たぶん明日も生きる。

若かりし日々、ワタシもやっぱり二十歳までに死にたいと思っていた。
小学生くらいの頃から死にたい死にたいとはいつもどこかで思っていて、
大人になりたくないみたいなことを思っていた。たぶん思春期ってみんな
そーゆーこと思うよねー。超フツウだけどそんなこと鬱々と考えて酔ったり
してました。

ああ実際死ぬな、という瞬間が大学生のころにあった。
魔が差すってああいうことなんだなあと思う。
大体いつも死にたいとか思っても痛そうとか怖いとかヘタレなので実行した
ことはないんだけど、そういうのがふっと消えて、あ、今動いたら私死ぬ、
という瞬間があった。ありありと、あそこの包丁とって手首なり首なり腹なり、
切って刺して死ぬ、とはっきり自分でわかったときがあった。
なので、う、いかん。ほんとに死んでしまう。今動いたら死んでしまう、と
わかって動かなかった。
死にたいと日頃思ってるくせに動かなかったの。やっぱりヘタレなんでしょう。

もういい年をした今でも、ワタシなんか死ねばいいのに、というのはずっと
思っている。若い頃みたいなことはないけど、死ねばいいのにワタシ、という
自己嫌悪みたいなのは死ぬまで消えないだろうなあ。自意識過剰でハズカシイ
ですね。まあこれはこれでこういうものか、と思う。

そんなこんなで、尖りまくったところはやっぱり減って、世の中のいろんな
許せないことが許せることに少しずつなって、ゆるくなった。だらしなくなった。
ずるくなったし甘くなった。自分にね。

生きるんだな。
たぶんこの先もうしばらく。

生きても生きても 別に楽にはなってないけれども、生きるんだろうな、という
方向に考えることが多くなる。
年を重ねていくって、そうなのかなあと思う。
ほんとは残りの寿命は減っていくはずなのにね。生きることに折り合いをつける
方法を自分なりに見つけていけるようになるということか。

実際に若くして亡くなった人がいて、その衝撃、残された悲しみを実感したり
したことも大きい。実際に知り合いじゃない夭折の作家だとかはかっこいいけどね。
多少なりとも縁のある、自分よりずっと若い人が死んでしまう哀しみ。
生きていて欲しいと思う。
生きて欲しかったと思う。

西さんにはもうついていけない~と思うこの頃だけれども、西さんが生きて
くれる限り、見ていたいなと思う。
まあなんとか、生きようかねえと思う。
自分に本当に大事なことには甘くならない。
そして生きる。西さんて、私にはそういう存在だ。

|

« 『生きても生きても』(西炯子/小学館ルルルノベルズ) | Main | 映画「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 『生きても生きても』(西炯子/小学館ルルルノベルズ) | Main | 映画「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」 »